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 あなたがいつも若々しいために!

 老化予防のページ(1)なぜ人は老化をするのでしょうか?


    音楽(BGM)は大庭加奈子が演奏をした「子守歌」です。
      左のスライド
音を小さくしたり、止められます。


 このページの内容

     3つの願い
     成せばなる=可能性への挑戦
     教育勅語の見直し
     聖徳太子十七条憲法
     功名よりも若さと心の安らぎ
     食べ物に関する注意
     老いやすい人と老いにくい人=老いの自覚
     ボケやすい人とボケにくい人
     ボケやすい人とボケの初期症状
     老化とは何か?=老化と時間=時間とは何か?
     なぜ老化をするのであろうか?
     時計を持たない生活
     まだ半分ある=もう半分しかない
     人の一生?
     「妻を亡くした夫」と「夫を亡くした妻」
     サムエル・ウルマンの『青春』という詩
     青春とは何でしょう?
     脳の不気味さ
     寿命の記録(1)=天皇の記録
     寿命の記録(2)=東西の記録
     寿命の記録(3)=旧約聖書の記述
     長寿の心得=人生万才
     杖は持つべきか?
     荷物はどのように持つか?
     リハビリテーション
     少年老いやすく、学成りがたし
     人生の折り返し地点
     命長ければ恥多し
     仙崖の『老人六歌仙』
     横井也有の『歎老辭』
     晩年の活躍=作家は長生き?
     75歳の大作『十戒』
     高齢者の活躍=国鉄十河総裁70歳からの再スタート
     多作と佳作=ピカソとフェルメール
     いつまでも若い人
     逆さ仏とは何でしょう?
     あいさつをしない人=不愉快な人間関係=ソクラテスと常不敬菩薩
     老人の一般的な傾向
     老化現象=老人の特徴
     老醜現象というやっかいな症候群
     老化を予防する方法の発見
     現代楢山節考・考
     富士山と八十八ヶ所巡り=足腰のトレーニング
     ゲームの楽しみ
     じゃんじテスト(麻雀ゲームのあらまし)
     同義反復(トゥトロジー)
     老化予防のページ関連資料


 なぜ人は老化をするのでしょうか?

3つの願い

 久しく考え続けてきたことがあります。
 それは、
(1) いつも健康で、日々こころが安らかでありたい
(2) 高齢になってもフレッシュで、いつまでも老化予防したい
(3) この世にグッドバイする前に、安心立命を確立したい
というテーマです。

 そして、最近になって気付いたことがあります。
 それは、それらの願いが単に私だけのものでなく、私の回りの多くの方々におかれましても、同様の問題になっているという事実です。そのことまでを実のところは、今までは配慮していなかったので、これはいけないと改めて考え直した次第です。

 (2)の老化予防は、ボケ防止アンチエイジング(antiageing)などとも言って、世間では加齢に伴う症状の予防と治癒が行われています。「老化予防」のほかに、「老化防止」「抗加齢」「抗老化」などを意味する言葉です。例えば、「アンチエイジング クリーム」などが商品化されています。

 このページでは、(2)の老化予防(アンチエイジング)・ボケ防止などを考えてみましょう。
 最初は、自分だけのことと考えて、学んだり調査をした内容ですが、実際に見るに忍びないような事例があまりにも多いので、いささかなりとも私の経験や知識を用いて、社会に貢献すべきではないかと反省をしました。そして、どのような方法があるかを改めて真剣に検討したのです。

 今までは個人用だった上記テーマなどの問題を、どなたにも気軽に利用いただけるようなマニュアル化して、システムを完結しようという計画なのです。そんな意味で、このホームページに「老化予防のページ」が作られた次第です。なぜそのような決心をしたかと申しますと、『涅槃経』にありますように、
  <この生、空しく過ぎなば 後悔するも及ばず>
と考えたからです。

 そして、私にとっては老人問題がもはや他人事(ひとごと)ではないのです。とっくに還暦や古希を過ぎてしまって、身体のあちこちがガタピシしてきたり、度忘れや勘違いが多くなってきたからです。そんなわけで、自分自身のためにも真剣に考えなければならない時期に来たのです。
 おそらく、多くの訪問者の方々もそうでしょう。高齢になると、とくに「ボケ」「恍惚の人」になりたくないと思うし、「寝たきり」「アルツハイマー病」「よいよい」そして「植物人間」はご免だからです。
 あなたの場合は、いかがでしょうか?


成せばなる=可能性への挑戦

 何事も工夫をしてやってみると、「できないと思ったことも可能だった」というような経験があります。
 むろん、精神論ではいけませんが、可能性への挑戦ということは老化予防の一つの方法として非常に大切だと思います。なぜならば、そのようにするとそのこと自体に、生き甲斐を感じられるからです。

 「成せばなる」という言葉で思い出すのは、
    <成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり>(上杉鷹山(うえすぎようざん))
    <成せば成る 成さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨てる 人のはかなさ>(武田信玄)
などです。

 しかし、上杉鷹山は疲労して死んでしまいました。

 若い人たちからは、アナクロニズムと言われるかもしれませんが、ついでに二つ……

 私は「可能性への挑戦」ということで、いつも思うのは明治天皇が詠まれた次の御製「述懐(じゅつかい)」です。
    <かたしとて思ひたゆまば なにごともなることあらじ人のよの中>
 その意味は、「難しいとか面倒だからと言って、しなければならないことを怠ったら、社会のことは決して成功をしません。」というのではないでしょうか。つまり、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で、物事に当たらなければいけないと仰有(おっしゃ)るのです。まったくその通りだと私は思います。

 昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の御歌の中には「沈黙」というタイトルの
    <すぎたるは及ばざりけり かりそめの言葉もあだに ちらさざらなる>
もあって、ここでも私は大いに反省をしたりするのですが、……

 もう一つは、さらに古く『家康公御遺訓』と言われている次の文章です。
 <人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、いそぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心にのぞみおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍(かんにん)は無事長久の基(もとい)。怒(いかり)は敵と思え。勝つ事ばかり知って負くる事を知らざれば、害、その身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。
 慶長八年正月十五日  家康>
 この御遺訓について私は、現在でも通用する味わいのある名文章だと思います。
 あなたは、いかがでしょうか。


教育勅語の見直し

 教育勅語と言うと、戦前の暗いイメージをもっている年配者や若い人もいることでしょう。
 しかし、いま読み直してみると、大いに教えられることが多いと考えるのは、私だけでしょうか。そして、何となく最近の社会がぎこちないのは、敗戦と同時に教育勅語を時代錯誤と考えて投げ出してしまったことによる社会全体のモラル低下などがあるのではないかと、秘かに私は思います。
 そんなことを考えながら、現代語風に訳してみました。

 <私(明治天皇)は、考えています。
 私たちの祖先は、国を建て始めたときから、ずっと道徳を大切にしてきました。そして、国民が国家と家庭のために協力して、見事な成果をあげたのは、優れた国がらおかげで、教育によるところが大きいのです。
 皆さんは、両親にやさしく、兄弟は仲よく、友達どうしは信頼関係を保って、つつしみ深くして他人に対しては礼儀正しく、すべての人々に親切にして、学問に励んだり、職業を身につけ、知恵や能力を伸ばして、憲法を守って法律や規則に従い、一度(ひとたび)重大な事件が起こったら、正しい勇気でもって当たり、国の運命を助けなければなりません。
 これらの教えを守ることは、立派な国民であるばかりではなく、同時に祖先の風習を明らかにするでしょう。
 このようなことは、先祖が残した教えですから、皇室の子孫も国民とともに守っていかなければならないことで、昔も今も通用するのです。そして、このことは国内や外国で行っても、道理にそむきません。
 国民の皆さん、いっしょになって守っていって、立派な人になることを切望します。
 明治二十三年十月三十日  御名御璽>

 私なりに簡単な意訳をしましたが、実際には「爾(なんじ)臣民(しんみん)、父母に孝に、……」のように始めていますから、「孝」の概念がまず最初に大切なのでしょう。しかし最近では、子が親を大切にするなどということは、非常に珍しくなってしまいました。
 もっとも、最近でなくとも『仏説父母恩重経(ぶっせつ ふも おんじゅうきょう)』などでも、親が嘆いているところが長々と続いています。また、民間伝説の「姥捨て山」や深沢四郎の『楢山節考』などを考えると、古い貧しい時代にあったからかもしれませんが、必ずしも親は大切でないのかもしれません。
 戦後の教育が何となく「敗戦によって自信を失った親たち」を疎んじることによって、さらに大きく変わってきたのではないかと私は思います。幼いころからの教育が、一生の価値観を築くことは確かですから。
 中国や韓国などは、親に対してどのように考えているのでしょうか。

■慈宏寺の境内にある開目鈔から引用した「孝」の石碑


 東京都杉並区宮前3丁目にある慈宏寺の境内に、上の写真のような「孝」についての石碑がありました。
 『開目鈔(かいもくしょう)』は立正大師(日蓮)の著ですが、日蓮は「自分自身が釈迦の使者」と考えていたようです。そして、そこで一連の抱負を述べたものです。中でも「孝」に関しては、「天よりも高く、地よりも厚い」と最大級のことを言っています。
 なお、このような教育勅語や日蓮に関してなどの私の考えについて、もしも誤った箇所がありましたら、どうぞ指摘・ご修正をしてください。

 だいぶ後(2006年5月27日)になって、大阪の玉木さんから「戦後、西ドイツのアデナウア首相が座右の銘として、この教育勅語を執務室に掲げていた」ということを教えられました。
 私は、さもありなんと思った次第です。


聖徳太子十七条憲法



功名よりも若さと心の安らぎ

 誰の作品だったかを忘れてしまったが、『雑詩十二首』の八首目に
 <丈夫(じょうふ、ますらお)は四海に志す
 我は願(ねご)う 老いを知らず>
というのがあった。

 その意味は、「男子ならば志を天下に馳せることにある。しかし、私はいつまでも老いを知らないということを願っている」というのである。つまり、出世をしなくても若々しくあればよいというのである。
 同じようなくだりが、洪自誠(こうじせい)の『菜根譚(さいこんたん)』にもあった。
 それは、
 <世に処しては必ずしも功を求めることなかれ。過ちの無きはすなわち是れ功なり。>
という文章である。
 その意味は、「この世で生活をしていくときに功名を求めなくてもよい。ただ大過なく生きていければ、それ自体が功名なのである。」ということでしょう。

 いずれにしても、大いに生き方を教えられる中国の古典です。もっとも、洪自誠は明(みん)の万暦のころの人といい、著作はあるが人物については詳しくは知られていないようです。


食べ物に関する注意

 また私個人は、ここ10年ほど食べ物に関して細心の注意をしてきましたが、その結果グロミューが正常に回復したせいでしょうか、暑さ寒さに身体がある程度フレキシブル対応ができるようになりました。おそらく、農薬や化学薬品などの摂取量を大幅に減らした結果でしょう。そして、身体の中が純化された結果ではないでしょうか?
 そんな経験も、多くの方々に理解していただきたいのです。

 私が食べ物に関して注意をするようになった動機は、昭和50年(1975年)に出版された
    有吉佐和子著『複合汚染』(新潮社)
という本に書かれていた衝撃の内容を読んで、そこにあるような心配が、必然的に現実化することを非常に恐れたからです。

 そして最近のある調査によると、現在は平均1人あたり年間4キログラムの化学薬品を摂取していることになるといいます。そんな状態では、当然のことながら原因不明の奇病や難病が発生するのではないでしょうか。

 また脳を侵されてしまい『恍惚の人』になってしまった方々が、私の回りに次々と発生しているのも、厳然とした事実だからです。そして、さらに悪いことには、最近の傾向として若い人たち、例えば小学生たちの間にも不健康な子どもが大幅に増えているといいます。まったく、困った状態の現実ではありませんか。
 そんなわけで、今までの研究を幼い人たちも対象として含め、総合化をして何とか完成したいと考えた次第です。今まで自分だけか、せいぜい高齢者に対して考えていたことが、それでは済まされずに、見直すべき時期にきたように思えたからです。

 つまり、自分が学者から聞いたり、本で学んだりした貴重で有意義なことを、もはや一人だけで利用するのは、身勝手ではないかと反省をしたわけです。
 一方では、「ルカによる福音書」にある
    <聞いても行わない人は、土台なしで土の上に家を建てた人に似ている>
という言葉のように、やはり私もいい加減ではありたくないからです。
 そんなわけで、大いに躊躇(ためら)った後で、このページを作り始めたのです。


老いやすい人と老いにくい人=老いの自覚

 老(お)いやすい人と、老(お)いにくい人がいます。
 老(お)いの自覚をするかしないかで、老(ふ)けてしまうか老(ふ)けてしまわないかが決まってくるようです。つまり、自分の努力で若々しくしている人は、なかなか老いないのです。その努力に関する工夫について、このページでは考えてみることにしましょう。しかし、あまり難しいことや学問的なことは述べません。簡単にできる日々の注意とでもいったところですか。
 ぜひ、あなたもやってみてください。

 まず、自分自身を冷静に観察することが必要でしょう。それには、鏡を見ることがよいのではないでしょうか。

 曾野綾子『心に迫るパウロの言葉』の「異端怪談」(p186)の章に、
 <私は五十歳で初めて私に出会ったのである。「鏡を見たら、そこに、老婆がいた」と私は思った。>
とありました。
 この記述には、50歳になる数ヶ月前に目の手術をしたことが背景にあるようです。確か、白内障の手術だったということでした。それでも、認識を新たにしたということは、そのショックを乗り越えて、それ以後の自分自身のメンテナンスに大いに役立つことでしょう。

 鏡は不思議なものです。鏡で鏡を映したら、いったいどうなるのでしょうか。
 セールト作曲の『鏡の中の鏡』という曲があります。ハープとヴァイオリンの曲で、ハープの反復伴奏の上にヴァイオリンが単調(短調ではありません)に歌います。美しい旋律ですが、速い部分のないゆっくりとした、ちょっと退屈するメロディーで進んでいきます。それは、いつまでも同じ状態が続くということを暗示しているのでしょうか。
 もしかしたら、曾野綾子も自分自身で自分自身を見ることに、ちょっと抵抗があったのかもしれません。
 もしも、興味のある人は、このホームページにある「回想創造法」の『不思議な三面鏡』をご覧ください。

 ギャラップが行ったチンパンジーの鏡のテストも、なかなか意味深長です。
 チンパンジーの額に赤い印を付けてから、鏡を見せるのです。すると、チンパンジーは鏡に写った姿を仲間とは思わずに、ちゃんと自分と考えたようです。そして、自分自身の額に手をやったというのです。

 鏡を見る目自体も不思議なものです。
 あいみつの『目』という作品を見ていると、いつも見られているという不思議な感じがします。
 心理的なものもあるのでしょうが、鏡や目には私たちが知らない何かが隠されているのでしょうか?


ボケやすい人とボケにくい人

 学者や研究者は、ボケやすいタイプだという人がいます。それに反して、芸術家や小説家などは、ボケにくいといいます。つまり、積極的に物を作り出す創作などをしていると脳が活性化をしてボケないのでしょう。単に事実を調べるような作業では、脳の活性化ができないのかもしれません。
 何もすることがなくなったら、急速にボケが進むこともわかっています。高齢者の無意味な日々、寝たきりによる精神的な弊害、起きていてもテレビを何となく見続けることなどは、ボケをいっそう進めてしまうようです。


ボケやすい人とボケの初期症状

 有吉佐和子著『恍惚の人』(p150)に、
 <経済的に安定している者が呆ける。>
とあったので、ショックでした。

 また、同じ本(p154)には
 <老いると昔話をするようになる。>
ともあって、私は愕然としました。

 なぜならば、この本を読んでいると自分のことを言われているように感じるからです。
 そんなわけで、たまたま私が貧乏で経済的には安定していなかったことが幸いでした。しかし、昔話をしようとする度に、上のコメントを思い出して、結局はその話をやめてしまうことが多くなりました。


老化とは何か?=老化と時間=時間とは何か?

 老化とは何かを考えると、いろいろな問題に突き当たります。まず、その原因です。
 しかし、老化の原因には現時点でも数百の学説や意見があり、いずれもそれなりの理由が存在して、成り立っているようです。つまり、いちがいには言えないということでしょう。
 アレキシス=カレル著・桜沢如一訳の有名な『人間−−この未知なるもの』を意識して書かれた『人間 この不可思議なもの』(p320)という本にも、最近のリポートとして書いてありました。

 いずれにしても、自分自身のこととして考えなければなりません。傍観者ではなく、あくまで当事者にならないと効果がないのです。自分がその中に入っているという必要性は、とくに高齢者の場合に言えるでしょう。政治でも経済でも批判ばかりをしている人がいます。他の者に対する批判は、自己の能力の数倍も可能です。
 ですから、アメリカの大統領や日本の総理大臣でも愚かなことをしているように見えるのです。しかし、自分自身の健康や老化予防に関しては、批判ではいけません。自分で自分を批判しても、実行がなければ仕方ないからです。

 それはともかく、誰もが当然のことながら、いつまでも若々しくフレッシュでありたいと考えることでしょう。
 むろん、あなたもそのようにお考えになりませんか?
 ふつう「老化とは環境に順応する能力が失われていく過程」のことを言います。それは少しずつそれは進むので、外面的には衰微や衰弱をしていく状態を言うのでしょう。でも、ふつう年齢とともに老いてゆき、さらに衰えていくのが自然の摂理であると言えるでしょう。それは、仕方がないことなのです。
 なぜならば、時間が経過をしていくからです。
 それでは、いったいこの「時間」とは何だとお考えでしょうか。もしかしたら、時間の正体がわかれば、老いの実態がわかるかもしれません。

 いくら老けないといっても、浦島太郎リップ=ヴァン=ウィンクルのケースでは困るでしょう。相対的に自分だけが時間を超越して若くあったとしても、周りの事情が変化をしてしまっては、あまり意味のないことになってしまうからです。

 また、「仙家より帰って七世の孫」というのがあります。晋の王質という人が、仙人の家へ行って、碁を見ていたのです。そしてつい時を忘れ、やがて家へ帰ってみると、わが家は七代の孫の世になっていた。
 さらに、内容は忘れましたが「安芸の介の夢」なども、その類ではないでしょうか。

 リップ=ヴァン=ウィンクル  アーヴィングの短編小説で、主人公が森で迷って不思議な老人たちがする九柱技(今でいうボーリング)を見て、翌朝村に帰ったら、数百年経っていて、誰も知った人がいなかったというストーリ。

 仙家より帰って七世の孫  述異記に出ている。(菊池訳「平家物語」p519)


 ここで「時間」について、少し考えてみる必要がありそうです。

 アレキシス・カレルは『人間この未知なるもの』(桜沢訳、p185)で次のように言っています。
 <一生のうちで最も豊富な時間は、もちろん最初の幼年時代である。それ故この間の時間は、出来得る限りの程度と方法で教育のために利用さるべきで、この時期は空費すると取り返しがつかぬのである>

 また、p190では
 <我々は生まれたときにはあらゆる可能性をもっている。ただ親ゆずりの素質という伸縮力のある境界をもっているだけである。しかし我々は刻々選択の要に迫られる。その選択によって闇に葬られる可能性ができてくる。……幼年時代の我々の内部には多くの人物がかくれているが、それらは次々に死んでいくのである>
というような時間とともに重大な変化を示唆しています。

 時間については、哲学者が考えても難解なのでしょうか? ベルクソンは「時間を生命のはずみ」としてとらえました。連続するものの一部分をチューリングマシンの記録のように、のぞきめがねでその一部分を常に見ているようなものでしょうか。
 私は、「時間とは絶対的なものでなく、色や味などのように単に変化をするパラメータにすぎない」と考えています。だから、「よぎる」というような漠然とした概念で表現できるのではないのでしょうか。


なぜ老化をするのであろうか?

 いろいろな学説があるようだが、いまだに「残された謎」でもあるようです。
 ここでは、2つの意見を参考までに述べておきましょう。

・ 誤謬が集積されていく

 日々の生活に悪い結果をまねく習慣があったり、身体に対するストレスがあるので、老化が起こってしまうのだと考える学派があります。したがって、できる限りよい状態に自分自身を保ち、かつストレスをなくすことによって、かなりの長命を得ることができるとも考えているわけです。

・ 老化はプログラミングされている

 別な学派の人たちは、すでに老化は「遺伝子の中に老化が組み込まれている」と考えます。そして、そのことは実験結果によっても証明できるといいます。つまり、栄養をどれほど与えても、細胞は50回程度の分裂しかできません。そして、やがて細胞が死んでしまうのだというのです。つまり、長命な種を生じるメリットは進化の過程で、必要がないというのかもしれません。


時計を持たない生活

 私は、還暦を過ぎたころから「なるべく時計を持たない」生活をしています。
 むろん、部屋には柱時計もあり、その他いくつかの時計があります。また、目覚まし時計やタイマーなども愛用をしています。しかし、腕時計はもっていてもしません。腕に付けるのが、何となく締め付けられるように感じて煩わしいのと、あまりにも気軽に時間を気にしてしまうからです。つまり、いつでも見れる状態だからです。したがって、外出するときも腕時計はしないのです。

 時間というものは、かなり相対的なものですから、個々で別々なんでしょうか。
 その一人一人によっても、長く感じたり短く感じたりすることもあるようです。したがって、そのためにも互いに共通の時間が制定されているのです。それを用いることによって、社会の運営に混乱を与えないためです。
 例えば、南海の孤島に漂流したとします。まったく一人だけならば、あまり時計などは必要ないでしょう。つまり、時計は社会的に共通のスケールとして存在していることがわかるのではないでしょうか。


まだ半分ある・もう半分しかない=もうこんな時間か?・まだこんな時間か?

 人間の心理は不思議なもので、同じ状態でも感じ方が違うことがあります。
 高級ウイスキーのボトルが半分ぐらいになったときのことを考えてください。バーナード=ショーではありませんが、そのときにどう考えるでしょうか?

  まだ、半分もある。(したがって、気分もリラックス)
  もう半分しかない。(残っているのが少なくなっちゃったので、何となく心細い)

 いずれに考えるかは、その人の性格によってかなり異なってくるでしょう。また、同じ人であっても、そのときの事情や場合によっても異なるでしょう。
 同じようなことが、時間に対してもいえるようです。

  まだこんな時間か?(まだまだ大丈夫だ。時間はじゅうぶんにあるから安心!)
  もう、こんな時間か?(もたもたしていた自分を嘆き、時間をムダにしたことを焦っちゃう)

 天体や元素の特性を基準にして時間を測定する「ニュートン時間」と、むしろ肉体的・心理的な状態を基準にして時間を考える「ベルクソン時間」があります。そして、ふつうニュートン時間とベルクソン時間には、あまりずれがないように感じていますが、何かの状況によっていちじるしく異なってくることもあるのです。そのようなときに、上記のような感じ方の違いを生じるのではないでしょうか。

 無限の時間、つまり無限に連続したニュートン時間の中に、個々の時間、つまり有限のベルクソン時間を包含しているわけですから、それぞれの個体数だけ別個の時間があることになるでしょう。そして、それぞれの時間が、道元の言うように「飛枯」していくようです。それは、共通する晩年の嘆きのようです。


人の一生?

 人間の一生などは長いようでも短いといえるし、また短いようでも長いともいえるでしょう。つまり、その人の考え方次第なのです。それは、長いとか短いということが多分に相対的で、各々によって異なっているということです。とくにベルクソン時間についての長短の感じ方は、個体内つまり内的世界ですから、大いに違ってくるのが当然なことでしょう。

 したがって、ニュートン時間で定義をしてしまえば簡単です。
 例えば、「人の一生は物理的に何時間以下で、多くても何時間を超えることはありません。」というようにです。しかし、そのように言っても「生きる」という問題と「死ぬ」という問題が残ってしまいます。


「妻を亡くした夫」と「夫を亡くした妻」

 奥様が亡くなった直後、急にめっきりと老け込んでしまった知人がいます。
 ふつう配偶者に先立たれた人、つまり妻を亡くした夫、または夫を亡くした妻は、急速に老けると言います。そして、なぜか夫を亡くした妻よりも、妻を亡くした夫のほうがダメージがいっそう大きいようです。男は、何とも哀れなことですね。中には、そのまま奥様の後を追うようにして、逝ってしまう人さえいるんですって。

 さらに、何とか立ち直って再婚をしてみたものの、前の妻のよいところばかりが思い出に残っているため、新しく迎えた現在の妻の悪いところや欠点ばかりが目立つように感じる人がいるんです。そして、そんな状態のまま少し時間が過ぎると、つい不満や愚痴が出てくるそうです。それでは、いったい何のために再婚をしたのか、さらに何のために生きているかなどと考えていくと、まったく愚かしいことになるかもしれません。
 あなたは、そう思われませんか?

 また別な人で、今でも十年ぐらい前の姿や考え方と何ら変わっていない人もいます。その人は、なぜか年月が経過をしてもあまり老けていないのです。それは、成長が止まったようにも見えますし、また時間が逆行して、何だか若々しくなっていくようにさえも思えるのです。まったく、不思議な現象です。
 いったいなぜでしょうか? 世間にはまだ、ふつうの理屈では考えられない事象や現象があるようです。


サムエル=ウルマンの『青春』という詩

 次の『青春』(サムエル=ウルマン作)という詩を読んでみてください。

      青 春   サムエル=ウルマン作

  青春というのは、人生の一時期ではない。むしろ、それは心の持ちかたをいうんだ。
 紅顔の少年、その紅色(くれないいろ)の唇、しなやかな身体(からだ)ではなく、
 意志の力強さ、想像力の豊かさ、沸々(ふつふつ)と湧(わ)き上がる情熱をいうのだろう。

  青春というのは、人生の深くに潜(ひそ)む源(みなもと)の清々(すがすが)しさだ。
 青春とは、臆病を退(しりぞ)ける勇気や、マンネリを捨て去る冒険心のことだ。
 二十歳の青年よりも、六十歳の老人のほうが青春の状態にあることさえある。

  年を重ねただけでは、人は老いない。人が老いるのは、理想を失うときだ。
 歳をとると皮膚に皺(しわ)が増える。そして、情熱を失えば心は萎縮(いしゅく)する。
 苦しみ・恐れ・諦(あきら)めによって気持は土になり、精神は塵(ちり)になる。

  六十歳であろうと、はたまた十六歳であろうと、心中に不思議なものに興味をもつ気持、
 子どものような未知への探求心、人生への興味と喜びがある。
 あなたにも私にも、目に見えない中継所が心の中にある。

  他人から、あるいは神から、美しさ・望み・勇気・インスピレーションなどを受けられれば、
 まだあなたは若い。インスピレーションを失って、精神が雪のような皮肉で固まり、
 氷のような悲憤で閉ざされたら、たとえ二十歳であろうと老人である。

  姿勢を正して、希望を持ち続けるならば、八十歳であろうと、青春のままだ。


 なかなかすばらしい詩です。心の持ち方で、青春が保てるのならば、その心の持ち方をマスターしておきたいものです。そして、いつまでも青春でありたいものです。あなたも、そのようにお考えではないでしょうか。
 なお上記は、宇野収・作山宗久両氏の訳を参考にさせていただきました。

 このサムエル=ウルマンと同じようなことを残した人がいます。フォード創業者であるヘンリー=フォードは、次のように言っています。
 <学び続ける人は、たとえその人が八十歳でも若いと言える。逆に学ぶことをやめた人は、二十歳でも年老いている。
 人生で最も素晴らしいことは、心をいつまでも若く保つということだ。>


青春とは何でしょう?

 「青春」という言葉があります。古くから中国で言われた言葉で、人生を百年として四つに区切って、赤青白黒のように四色を考え、それを春夏秋冬の四季と組み合わせたといいます。
 例えば、青春は二十五歳まで、朱夏は二十六歳から五十歳まで、白秋は五十一歳から七十五歳まで、そして玄冬は七十六歳から百歳までの期間をいう言葉です。赤は「朱」、黒は「玄」となるので、青春、白秋はそのままだが、赤夏でなく「朱夏」、黒冬でなく「玄冬」になります。

 つまり、「青・朱(赤)・白・玄(黒)」と「春・夏・秋・冬」を組み合わせているので、青春は「人生の第一の時期」と言えるでしょう。
 むろん、命の価値観は時代や状況によって異なります。しかし、やはり精神的にはいつまでも若々しくありたいものですね。老人の多い社会は、何となく元気がないようにも感じられるからです。
 私の場合は、気分的には百歳までも青春と言ってもよいでしょう。なぜならば、いつもそうありたいと願っているからです。

 しかし、そのようなことは個人的に大きな違いもあるでしょう。人生の時期に、とくに青春という期間を考えなくて、自分自身の尺度で考えた人がいます。例えば、保科百助(ほしな ひゃくすけ)という反骨の地方教育家です。百助は「五無斎」と称し「おあしなし、草鞋なしには歩けなし、おまけなしとは、おさけもなし」などと言った人ですが、また「人生五期の節」を考えました。
 それは、次のようなものでありました。
 第一、貧食期(一名食い気時代) 生後間もなく発達し、十四、五歳から二十四、五歳のころに旺盛。
 第二、漁色期(ぎょしょくき)(一名色気時代) 十三、四歳のころ萌芽を発し、このままにて五、六十歳ごろまで継続す。但し伊藤博文の如きは除外例。
 第三、釣名期(ちょうめいき)(一名被煽動(おだてられ)時代) 二、三十歳のころより、ようやくその発達を始め、国会議員にならんなどとあせりにあせり、先祖伝来の田地田畑までも売りとばすに至る。
 第四、拝金期(一名金気時代) 人生黄金を拝すること、五、六歳のみぎり飴菓子を買うころよりその萌芽を見ることを得べしといえども、四十歳ごろにいたりてその旺盛を極むるものなりとす。大倉喜八郎のごときは、比較的早くこの期に達し、比較的おそくまでもこの期の生活を営む、一種の精神病者と見るのは外なし。
 第五、拝仏期(一名二度ボコ時代) 食色名刹の念、一時に失せて小児(ボコ)となるの時代。「自分は何れの期に該当するか。曰く、第一第二第三第四、ともにきわめて旺盛なり。

 このようなことは、その個人の立場によって大きく異なるでしょう。
 例えば、下田歌子のような良妻賢母教育の女傑でも、幼いころ父が勤王派だったので藩主より蟄居を命じられてました。そしてそれを見ていた歌子は、五歳ぐらいのときに玩具の貨幣に興味をもち始めたのです。貨幣をため込んでは、出してじっと眺めていることがありました。
 驚いた祖母が問いつめると、「このお金を役人にあげて、お父さまの罪を許していただくの」と言うではありませんか。客の誰かが「すべてこの世は金次第」と言ったのを聞いていたのです。

 なお、伊藤博文に関して説明が必要であれば、このホームページの「語句・人名など覚え」を参照してください。
 「青春」というような意味が、各人にとってずいぶんと違っていることがおわかりでしょう。

 生物には、ふつう寿命があります。
 植物の場合には、動物より寿命の長いものがあります。メタセコイヤや松の一種には、とても長い生命力をもっているものがあるからです。しかし、ここでは、自分自身、つまり人間のことで考えてみましょう。老いてくると、どうしても身体の具合が悪くなってきます。しかし、精神的には元気でいることも可能かもしれません。もっとも、その場合には精神が肉体に作用されないくらい強い性格でないとムリかもしれませんが……

 それは、ちょうどポンコツ車中古車と似ているのかもしれません。古くなって故障の起きやすい車を、何とかして支障なく目的地まで走らせないといけないからです。決してムリな走行をしてはいけません。古くなって、ちょっとしたムリでも故障を誘発しやすくなっているからです。ていねいに、かつ慎重に運転をしなくてはいけないのです。もしも、新車のつもりで、びゅんびゅん飛ばしたらオーバーヒートをしてしまいます。さらに、悪い場合にはエンジンがダメになったり、爆発をするかもしれません。

 また、高齢でも若々しくあるためには、入れ物と中身の関係があるのかもしれません。ここでは入れ物が大切なのではなく、入れ物は中身を運ぶための一種の道具なのですから、…… 入れ物が古くなっても、中身が新しければいいのです。一般には、聖書にあるように「新しいブドウ酒を古い革袋に入れてはいけない」と言います。しかし、破れなければ問題はないのです。
 そんなわけで、気持ちの持ちようによっては、高齢になっても青春の状態に自分を置くことができるのです。


脳の不気味さ



寿命の記録(1)=天皇の記録

 古い時代の寿命の記録は、あまり定かではありません。しかし、天皇の記録は残されているので、それを見てみましょう。

 1代 神武天皇  137歳
 2代 綏靖天皇  45歳
 3代 安寧天皇  49歳
 4代 懿徳天皇  45歳
 5代 孝昭天皇  93歳
 6代 孝安天皇  123歳
 7代 孝霊天皇  106歳
 8代 孝元天皇  57歳
 9代 開化天皇  63歳
 10代 崇神天皇  168歳
 11代 垂仁天皇  153歳
 12代 景行天皇  137歳?
 13代 成務天皇  95歳
 14代 仲哀天皇  52歳
 15代 応神天皇  130歳

 16代 仁徳天皇  83歳
 17代 履中天皇  64歳
 18代 反正天皇  60歳
 19代 允恭天皇  78歳
 20代 安康天皇  56歳
 21代 雄略天皇  124歳
 22代 清寧天皇(せいねいてんのう 生まれたときから白髪であられた)  ?
 23代 顕宗天皇  38歳
 24代 仁賢天皇  ?
 25代 武烈天皇  ?
 26代 継体天皇  43歳
 27代 安閑天皇  ?
 28代 宣化天皇  ?
 29代 欽明天皇  ?
 30代 敏達天皇  ?
 31代 用明天皇  ?
 32代 崇峻天皇  ?
 33代 推古天皇(最初の女帝)  ?
 ………
 50代 桓武天皇

 なお、上記の資料は太田善麿『古事記物語』(現代教養文庫)によります。
 「古事記中巻」が初代神武天皇から15代応神天皇まで、「古事記下巻」が16代仁徳天皇から33代推古天皇までです。また上記で「?」を附したのは、私(黒田康太)がわからないので、史実として不明というわけではありません。

 推古天皇は最初の女帝であられた。蘇我氏が、自己の勢力を温存するために女帝を決めたといわれている。しかし、聖徳太子つまり厩戸太子(うまやどのたいし=厩戸皇子(うまやどのみこ))が摂政として補佐された。
 奈良時代には女帝が多く、元明天皇(げんめいてんのう)、元正天皇(げんしょうてんのう)、孝謙天皇(こうけんてんのう=称徳天皇(しょうとくてんのう))がそうであった。また、皇極天皇(=斉明天皇)、持統天皇も女帝であられ、神功皇后(仲哀天皇の后)は女性であったが、戦場に出かけて行ったという。

 50代桓武天皇は別の記述にあり、
   延暦9年(790年) 禁肉令(永制)
を発布しました。


寿命の記録(2)=東西の記録

 旧約聖書の世界には、メトセラ969歳、アダム930歳などと書かれています。
 また、日本では武内宿禰307歳と言います。

 しかし、もっと信憑性の高い記録に残っている人たちを探してみましょう。
 スコットランドのジェンキンスという漁師は、160歳のときに証人として裁判所に出廷したと言います。そして、120年前に起こった事件について証言をしました。その9年後に169歳で死んだということです。
 モロッコのハジ=モハメッド=ベン=バチャーは、1966年1月に166歳で死んだ。このとき彼は35人の子と152人の孫があった。産んだ妻のほうは一人ではなく、5回再婚をしているという。
 ノルウェーのヨシク=スルリントンは1790年に160歳で死んだが、そのときに9歳になる末子がいました。つまり、150歳で妻を妊娠させたのです。
 イギリスのトーマス=パーは1483年生まれ、1635年に152歳で死んだ。パーが有名なのは、「ルーベンスが描いた彼の肖像を貼った「オールド・パー」というスコッチウイスキーである。死んだときも性腺や軟骨などが収縮しておらず、病変も見られなかった。つまり、精力絶倫の長寿者だったわけである。

 わが国の徳川時代の医者だった永田徳本117歳などという長い寿命だったそうです。

 1986年に亡くなった徳之島の泉 重千代さんは120歳と237日生きたそうです。そして、死の直前の一ヶ月前までは、別に不自由はなく、お元気であったといいます。

 近年になって、なぜ早死にする人が多くなったかが疑問です。
 『礼記』に「五十になると身体が衰え始め、七十になると絹の着物でなくては暖まらない」というような記述がありました。

 大隈重信という人は、「適当な摂生をすれば、人間はもともと125歳までの寿命をもっている」と言いました。この意見について、当時はいろいろと騒がれたそうです。もっとも、大隈重信は文章、つまり書いたものをほとんど残していません。したがって、誰かに話した言葉なのでしょう。もしかしたら、ニュアンスなどが異なっているかもしれません。
 なお、書物を残さなかったのでしたら、釈迦やイエスのように大物の人物だったかもしれません。
 しかし、ご本人は残念ながら83歳で没しました。それでも、当時としては長寿といってもよいでしょう。

 最近の新聞記事(読売新聞 2004年10月15日)に、次のようなものもありました。

 <ブラジルに124歳の女性? 「ギネス」を10歳上回る
 【リオデジャネイロ=中島慎一郎】ブラジルの各種記録を認定する団体「ランクブラジル」によると、同国南部パラナ州アストルガに124歳の女性が暮らしていることが明らかになった。ギネスブックが認定している世界最高齢は114歳のオランダ人女性で、認定されればこれを大きく上回ることになる。
 マリア=オリビア=ダシルバさんは1880年2月28日、サンパウロ州生まれ。2度結婚し、養子4人を含む14人の子供がいたが、このうち11人にすでに先立たれ、現在は末っ子(58歳)と暮らしている。今月初め、地元ジャーナリストが取材中に偶然マリアさんの話を耳にし、出生記録を確認して124歳と判明した。
 マリアさんは、体力的には衰えているものの、記憶力や視覚はしっかりしているという。>


寿命の記録(3)=旧約聖書の記述

 旧約聖書の「創世の書」第五章に、次のような記述がありました。
 ほんとうでしょうか。

01 これは、アダムの系図の書である。神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、
02 男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。
03 アダムは百三十歳になったとき、自分に似た男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。
04 アダムは、セトが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。
05 アダムは九百三十年生き、そして死んだ。
06 セトは百五歳になったとき、エノシュをもうけた。
07 セトは、エノシュが生まれた後八百七年生きて、息子や娘をもうけた。
08 セトは九百十二年生き、そして死んだ。
09 エノシュは九十歳になったとき、ケナンをもうけた。
10 エノシュは、ケナンが生まれた後八百十五年生きて、息子や娘をもうけた。
11 エノシュは九百五年生き、そして死んだ。
12 ケナンは七十歳になったとき、マハラルエルをもうけた。
13 ケナンは、マハラルエルが生まれた後八百四十年生きて、息子や娘をもうけた。
14 ケナンは九百十年生き、そして死んだ。
15 マハラルエルは六十五歳になったとき、エレドをもうけた。
16 マハラルエルは、エレドが生まれた後八百三十年生きて、息子や娘をもうけた。
17 マハラルエルは八百九十五年生き、そして死んだ。
18 エレドは百六十二歳になったとき、エノクをもうけた。
19 エレドは、エノクが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。
20 エレドは九百六十二年生き、そして死んだ。
21 エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。
22 エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。
23 エノクは三百六十五年生きた。
24 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
25 メトシェラは百八十七歳になったとき、レメクをもうけた。
26 メトシェラは、レメクが生まれた後七百八十二年生きて、息子や娘をもうけた。
27 メトシェラは九百六十九年生き、そして死んだ。
28 レメクは百八十二歳になったとき、男の子をもうけた。
29 彼は「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。
30 レメクは、ノアが生まれた後五百九十五年生きて、息子や娘をもうけた。
31 レメクは七百七十七年生き、そして死んだ。
32 ノアは五百歳になったとき、セムハムヤフェトをもうけた。

 なお、左にある一連番号は私の聖書に記述してある節を示すナンバーです。


長寿の心得=人生万才



杖は持つべきか?

 杖を持つと、どうしてもそれに頼ろうとして、腰や脚が弱ってしまいます。なるべく持たないほうが無難でしょう。階段を下りるときや、エスカレータで下るときは、必ず片方の手を手すりに添える準備をしておいて、いざというときに備えます。

 転ばぬ先の杖。
 スフインクスの謎。(朝4本・昼間2本・夕方3本?)
 スフインクスの図(図解データ通信)


荷物はどのように持つか?

 本当は、頭に乗せるのがよいのですが、そのような習慣は日本人にありませんので、手で持つのが一般的です。できたら、大きなものを持たないのが理想的です。
 リックサックで背負っている人を見ますが、それはちょっと考え物です。なぜならば、身体がカンチレバーのようになってしまい。身体全体の重心の位置が崩れてしまうからです。カンチレバーは建築学でいう梁(はり)のことですが、「├」のような形になりますから、当然のことながら重心は後ろに移動をしてしまいます。

 人生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。東照宮家訓。


リハビリテーション
 日医大へ入院をして、何とか退院をした。そこで、リハビリテーションをすることになった。
 豊ヶ丘の住宅で、簡単な方法でする。
(1) 玄関を出て、通路を右(東)へ進む。東端の階段を上がる。
(2) 通路を西へ進む。西端にあるエレベーターで、一階まで下りる。
(3) 一階の通路を東へ進む。東端の階段を上がる。
(4) 二階の通路を西へ進む。西端にある階段を上がる。
(5) 三階の通路を東へ進む。東端の階段を上がる。
(6) 四階の通路を西へ進む。西端にある階段を上がる。
(7) 五階である。東に少し行けば我が家。
なお、通路とその両端にある階段には屋根が付いているので、雨の日でも濡れない。


少年老いやすく、学成りがたし

 有名な朱熹(しゅき)の『偶成』にある
 <少年易老学難成。一寸光陰不可軽>
は、学生の時代に漢文の時間に習いました。

 そして、<少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず>と読むことを知ったのです。しかし、それから50年以上経った今日でも、なかなか私にとって重みのある言葉なのです。

 また、唐の詩人、許渾の『秋思詩』には
 <昨日の少年、今の白頭>
とあります。
 実は、この許渾という人は知らなかったのですが、『孝経』を訳した栗原圭介氏の解説にあったのです。

 あらゆるものから興味が薄れていってしまうと、ボケが始まるようです。また、感情が鈍くなってくると、老化をして呆けてきた現象なのです。何とかそうならないうちに、ある程度のことはしておきたいものです。何となれば、正直のところ私にも、ぼつぼつとそのような現象が出かかってきたからです。


人生の折り返し地点

 若かったときは活発だった自分自身も、いつしか疲れやすくなり、気力もなくなってきます。
 つまり、人生のアクセレーションの時期を終えて、減速の時代に入ったのです。そのようになると、若いときほどの作業量はこなせません。しかし、経験がものをいうので、効率のよい作業ができるようになります。
 人生の折り返し地点は、いつごろからかなどとは個人差が大きいので一概にいえないのですが、だいたい還暦のころが、多くの人の折り返し地点だと考えておいたほうがよいかもしれません。

 健康で、いつまでも若々しく生きるためには、どこかで区切りをつける必要があります。つまり、アクセレーションの時期が「自分からは、すでに去った」ということを認識する必要があるのです。そして、折り返し地点を過ぎたら、減速の時期ですから、一つずつを確実に仕上げていきます。そのようにすると、意外にも素晴らしい結果になることでしょう。
 有限の生で、無限の知識を負うのは危ういからです。

 一般的に、老人の心は穏やかでありません。なぜならば、焦りと後悔でいっぱいなのです。したがって、そうならないようにしたいと思います。老人は、すでに社会における居場所がないことは事実でしょう。そんなときに、半分以上来てすでに折り返しているんだと考えれば、心強くなることは請け合いです。
 老いて、本当の意味で「己を知る」ことや「己の限界を知る」ということは、非常に大切なことではないでしょうか。


命長ければ恥多し

 平均寿命が伸びた現在では、ちょっと不思議な感じがしますけれども40歳ぐらいを死の時期と考えた時代もあります。
 『徒然草』には「命長ければ恥多し」とい記事があります。そしてそれは、卜部兼好(うらべのかねよし)が『荘子』を読んだふしがあるように思われます。また、兼好(けんこう)は『徒然草』で「老い」ることに対して、かなり悲観的になっているようです。

 なぜならば、『徒然草』(第七段)のくだりです。
 「飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心ちこそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも、四十(よそぢ)にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」

 さらに後のほう(第百十二段)には、もっと強烈なくだりがあるのです。そこでは、
 「日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生既に蹉蛇(さだ。時期を失うこと。「だ」は足偏)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。」
とあるのです。
 ここで、いつも私はがっくりとくるんです。なぜならば、まだまだ私は、とても放下の心境にはなれないからです。そして、いま自分がしていることを恥ずかしくも思ったりします。

 還暦を過ぎて始めたWindows、インターネットの社会に入っていくこと、そんなことは自分にとって実際に必要なんでしょうか? いくら自分の「可能性を確かめる」ためだなどと言っても、まったく道具に使われているのではないかという危惧があらわれるのです。
 もっとも、「健康」や「老化予防」や「安心立命」などについては、大げさな言い方をすると、それこそ「国の将来を危惧」しているからなんですが、…… そして、「命長ければ恥多し」にならないことを密かに祈っているのです。


仙崖の『老人六歌仙』

 仙崖(せんがい)の画賛です。
 老人たちの集まりを「六歌仙」に見立てた画で、人物の上には次のような歌が書いてあります。

 <しわ(皺)がよる ほくろ(黒子)が出来る 腰曲がる 頭がはげる ひげ白くなる

 手は震え 足はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる

 身に添うは 頭巾襟巻(ずきんえりまき) 杖 眼鏡
 たんぽ(湯たんぽ) おんじゃく(カイロ) しゅびん(尿瓶) 孫の手

 聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心がひがむ 欲深くなる
 くどくなる 気短かになる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話焼きたがる

 またしても 同じ話に 子を誉める 達者自慢に 人は嫌がる>

 しかし、単に老人を侮蔑しているのではなく、「老いることに引け目を感じないで、楽しく生きなさい」と言っているのではないかと私は思うのですが、……
 仙崖(せんがい 1750−1837)は仙高ニも書かれるようです。「香vは略字なのかもしれません。また、「老人六歌仙」画賛の絵や文章には、異なっているものがあるようです。おそらく請われるままに、そのときの気分で何枚も書いたのでしょう。江戸後期に活躍をした臨済宗の禅僧です。美濃の国で生まれ、諸国行脚の末に40歳で聖福寺(博多)の住職になった。禅の境地をわかりやすく説き示したそのユーモアに富んだ戯画が多い。
 例えば、左から横に「□△○」が並べて描いてあって、「一円相ではない」というようなことを言ったりしているのではないかと考えられる画もありました。


横井也有の『歎老辭』

 横井也有が五十三歳のときに書いた俳文『鶉衣(うずらごろも)』の後編にあたる「歎老辭」に、次のような記述がありました。その記述とは、かなりショックなもので
 <耳もとおくなり、眼はかすみ、四肢のふしぶしは痛むようになってしまいました。老人と話をして、まどろかしく感じたり、また老人をうとましく思ったのは、つい先日のような気がする>
とあります。

 つまり、自分自身が老いたことを改めて認識をしたというのです。
 そんな記述を読むと、実は「私も以前は老人を見て、鈍いのでうとましく思った」が、もはや自分がそうなっているので驚いてしまう。まったく横井谷有の書いているとおりです。若いころの奢(おご)りは、いつの間にか少しずつ失われていくようです。
 しかし、少しずつ失われないで、いっぺんに吹き飛んでしまうこともあるようです。

 『歎老辭』の全文は、ここ で見てください。


晩年の活躍=作家は長生き?

 必ずしも、「命長ければ恥多し」とは限りません。
 ピカソ(1881〜1973)は多くの作品を残しているが、六十歳を過ぎてから二人の子をつくったそうです。そして、九十一歳でその天寿を全うするまで、七万点の作品を残したといいます。それは、絵画だけでなく彫刻・陶器・舞台芸術・詩などにも及んでいます。
 さらに多く、円空上人(1632?〜1695)は生涯に十二万体の木彫り仏像を残しました。

 葛飾北斎(1760〜1849)は長寿で、九十歳近くまで筆をとり続けながら生きました。そして、その間に九十三回も引っ越しをしたといいます。また、生涯独身であったらしい。代表作の『富嶽三十六景』は、ヨーロッパの印象派画家たちにも影響を与え、国際的にも注目をされた画家です。技法も斬新で、ブルシャン・ブルーを最初に使い始めました。それは、ベルリンの藍色、ベロアイといい当時は舶来の色でした。

 一般に作家は長生きで、井伏鱒二(1898〜1993)は九十五歳まで活躍をしたそうです。
 ゲーテ(1749〜1832)は、七十二歳のとき十八歳の少女に恋をして求婚をしたといいます。
 一茶(1763〜1827)は五十二歳で結婚。渋沢栄一(1840〜1931)は、八十五歳のとき十八歳の愛人に子を生ませています。
 もっとも、以上のようなことを恥と考える人がないとは限りませんが、……

 いろいろと考えてみると、誰の一生にも苦労と問題があったようだ。そんな中で、多くの文書を残した人がいる。しかし、実際には「子供を作る」ことと比べると、「文章を作る」ほうが簡単なのではないでしょうか?

 空海(774〜835)や親鸞(1173〜1262)も晩年になって、驚くほどの精神で多くの著作を残しています。
 親鸞は八十五歳を過ぎてから、物にとり憑かれたように書き始めて、多くの書物を残しました。

 貝原益軒(1630〜1714)が、大著述家としての本領を発揮するようになったのは七十歳からです。主要な著書だけでも九十九部二百五十一巻にもなるといいます。有名な『養生訓』は、死ぬ前年の八十四歳のときに書かれました。

 作家に長寿が多いのはアウトプットすることによって、脳の活性化をしているのでしょうか。
 例えば、武者小路実篤(1885〜1976)や芹沢光治良(1897〜1993)は高齢になっても作品を作っています。また、川端康成(1899〜1972)も高齢まで書き続けたのではないでしょうか。また、北村西望(1884〜1987)は彫刻家ですが、やはり長命でした。

(注) 武者小路実篤氏がまだ三鷹の井の頭(当時は牟礼といった)に住んでいたころ、よく井の頭公園を散歩しておられた。まだ小学生だった私があいさつをすると、必ず立ち止まってていねいに返礼をなされた。
 また、北村西望氏は井の頭自然文化園の中にアトリエがあった。仕事をしている姿を近くで眺めたことが何回かあった。
 そのころ私は、井の頭4丁目(当時は牟礼(むれ)431番地)に住んでいたので、お二人の姿をよく見かけたものだ。


 そう考えれば、芥川龍之介や小山内薫、そして太宰治たちの自殺は、事情があったにしても残念です。例えば、芥川龍之介はアウトプットよりもインプットのほうが、多かったのかもしれません。キリスト教の知識などですが、インプットを続けると常に若々しい状態でいられるのかもしれません。
 また、逆に寿命を縮めた例として、開高健という作家は執筆テーマのグルメ(美食)を実際に試みることによって、亡くなったそうです。いってみれば、インプット過大だったのかもしれません。


神沢杜口と『翁草』

 ここで、私(黒田康太)にとって「晩年の活躍」としてとくに思い出されるのは、「足(たる)を知る生き方」をしたといわれる神沢杜口(かんざわ とこう)です。天明8年(1788年)に起こった「天明の火災」について詳しく調べて、個人的な記録を残したのは、すでに神沢杜口が七十九歳のときだといいます。
 そして、そのような記録を一生にわたって書き残し『翁草』二百巻を残しました。その内容は、論理的で正確であり、後の時代の考証にも大いに役立っているのです。

 神沢杜口は、もと京都町奉行の与力であったが、早く隠居をして著述に励んだようである。『翁草』の自序は明和9(1772年)年で六十三歳となっている。まさしく晩年からの著述である。そして、寛政3年(1791年)に全二百巻がなったわけだが、すでに八十二歳になっていました。したがって、足掛け二十年がかりの著述であったことがわかる。

 この『扇草』には異本もあるが、ここではあまり区別をしなかった。多くの人が書写をしたので、内容の異なる部分が出てきたようだ。やはり二百巻ある異本のほうには、和歌が多く引用されているので、もしかしたら歌をたしなむものが筆写したのかもしれない。
 なお、「扇草」という言葉自体は、キンポウゲ科の多年草で、白色の長い毛で覆われるので「翁」の名がついたようだ。紫色の花をつける。また「翁草」はキク(菊)の異称でもあり、これを「聞く」にかけたのかもしれない。


 『翁草』(正本)巻之一の本文の書き出しは、

 <○板倉周防守牛込時楽軒を諭す
 一 牛込時楽軒の語りしは、吾等忠左衛門たりし時、御目付被仰付、其の砌(みぎり)板倉周防守へ吹聴に参りしに、折節在宿にて対面有し時、其申す様、不調法の拙者へ、御目付被仰付、難有奉存候、仍(よっ)て御吹聴に参り候由申(もうし)ければ、重宗聞(きか)れ、一段目出度事に候、御自分の不調法を必ず御隠し有間敷候、若(も)し不調法を錺(かざ)られ候へば、下に立候役人に、迷惑する者多きものに候、御自分の不調法に、立て勤(つとめ)られ候へば、御上には御人多く候間、御役御免遊ばされ、其の器に当(あた)りたる者を被仰付候事故、必ず其心得有べき事の由被申候に付(つき)、忝(かたじけな)き御意見に候、此の御言葉を、我等守りに掛け相勤可申と申(もうし)ければ、周防守又云(いわ)く、是れ我が言に非らず、亡父伊賀守が申たる事にて候、序(ついで)ながら、語(かたり)て聞せ可申候、以前御上洛の節、京都にて亡父へ上意有しは、其方事も年寄候儘、代りの役人を披遣度思召せども、未だ思召当られたる御人も無之候故、不被遣候間、其方儀も、代り役人に可成者を見立候へとの仰(おおせ)なり。>

のように淡々として始めている。
 句読点が多いのはいいが、文が長いのでなかなか読みづらい。しかし、途中の読点で区切ってしまってよい箇所も相当にあるので、どんどんと先に行ったらよいと思う。全体にわたってこのような長文が続くようだ。なお括弧の中は、読みやすくするために私が補ったものである。今日の用語法とは、送りがながだいぶ違っているようだ。

 ここに『翁草』から、私の好みでいくつかの記述を拾ってみよう。ただし、記述のあらましを個人的にまとめてみたものだから、もしかしたら間違って解釈をしているかもしれない。もしも、お気づきでしたらご注意をいただきたいと思います。


 <宝暦のころ、百歳くらいの出家者がいた。
 誰も頼るものがいないので、もう死のうと思って断食をして半月ほどになった。
 年の暮れになったので、ぜんざい餅をもらったのであるが、よそへあげようとした。しかし、「お年寄りによい」と言ってくれたので、仕方なく持ち帰った。そこで、断食をしているときに大食をすれば死ぬんじゃないかと考えて、残らず食べてしまった。さらに、湯に入れば早く死ぬと考えて、銭湯に行って念仏を唱えながら長く入った。
 しかし、死なないので家に帰って寝た。すると、翌日もぴんぴんして元気であった。(巻二「○断食」)


 耳が聞こえにくく、目がかすむようになったので、いろいろ考えるようになった。つまり、「生涯皆芝居也」と。
 舞台の上で、男女が愛し合ったり、子が親に孝行をしたり、家来が主君に忠孝をつくしたりする。しかし、芝居が終わったら、恋人同士でもなく、親子でもなく、主君と家来でもない。一連の生涯は芝居と同じである。
 芝居は虚にして実であるが、人生は実にして虚である。それはみんな夢幻泡影(むげんほうよう)である。(巻二「○生涯の劇場)

(注) ここで、私はシェークスピアの作中(題名は忘れた)に出てくる「人生は芝居だ」という言葉を思い出す。
 また、O・ヘンリの短編小説『人生は芝居だ』などにも思いが馳せる。
 そして、さらに「芝居」から発展をして、『葉隠』の記述にある「幻」や「あやつり人形」なども思い出す。そこには、
  <この世はすべてからくり人形のようなものだ。だからこそ幻の字を用いているのである。>
  <「人間というものは、何ともうまく作り上げたあやつり人形」ではないか。糸であやつっているのでもないのに、歩いたり、飛んだり、跳ねたり、口まできくというのは、いかにも名人の細工である。>
なども思い出す。


 人間は健康で長生きをしなければ、完成できないことがある。
 大切な道具なども手入れをよくすることによって、長持ちをするものだ。同様に、人も若いときから養生をすることが、最も大切で、長生きができる基本なのです。(異本巻八「養生」)


 身体が病むことは四つ七つある。
 天に風寒暑湿がある。身に七情の病がある。外患は治しやすいが、内傷は治しにくい。内傷を一つにまとめると、ただ「思い」ということになる。人間は生まれてから死ぬまで、思わないことは一時もない。だから、思うと疾(しつ)となり、労熱ともなるのだ。(異本巻九「衛生」)


 農家の子が馬を追いながら町から帰る途中、川が氾濫して渡れない。すると馬が、その子をくわえて川を渡った。しかし、暗くて道がわからない。今度は、馬が先にたって進んだので、その子は綱にすがって後についていくと、自分の家に着いてしまった。馬は人の労を助けて有益な動物だから、他の獣(けもの)に勝っている。(巻二十八「○馬犬熊猿話(馬の部分だけを引用)」


 ○小野篁(おののたかむら)は閻魔大王の家臣でもあり、この世と冥府を行き来しているという。五条の東に死の六道、上佐賀に生の六道があって、そこを通るということだ。(巻三十三)


 正徳5年未(ひつじ)3月、江戸の賀に老人7人集まれり。
   榊原越中守の家来  志賀 瑞翁  167歳
   医師  小林 勘斎  136歳
   松平肥後守内  佐治 宗見  107歳
   御旗本  石寺 宗寿  97歳
   医師  谷口 一重  93歳
   御旗本  下重 長兵衛  93歳
   浪人  岡本 半丞  83歳
   旗本 亭主  生島 幽軒  81歳(巻三十八「老人集会」)


 和漢ともに古今同名の者が多い。
 伯夷二人、扁鵲二人、魯班三人、李広四人、我が国では人丸十五人、行平五人、義経五人、忠信五人。
 (巻四十一「○同名人物」)


 錦木(にしきぎ)という遊女は、親の敵を狙っている藤戸大三郎という浪人に深く情を交わした。そのことを知って、錦木はとても驚いた。自分と逢っているうちに、仇討ちができなくなるかもしれないと心配をしたからだ。そこで、錦木はわが身を売って、三十両の金を路銀として藤戸に与えて別れた。
 しかし、藤戸は敵を討ちもらし、そのうえ病気になって死んでしまった。
 錦木は慟哭して、禅僧鉄眼(てつげん)を尋ね、金を出して藤戸の供養をお願いした。そして、自分自身の身売りの期限が過ぎたら、弟子にして欲しいと頼んだのである。
 期間が過ぎて、鉄眼のもとを尋ねた。しかし、鉄眼は「年が若く、容姿端麗であるから難しい」と聞き入れてくれない。
 ある日、錦木は自分の額に焼きごてを当てたのである。痛さに息も絶え絶えになったものの、仏の御心であろうか助かって元気になった。鏡に向かって、醜くなった己の顔を見て錦木は喜んだ。そして、ふたたび鉄眼を尋ねた。鉄眼は驚いて、「実に鉄石の心腸なる哉(かな)」と言って、弟子にして修行をさせたのである。(異本巻四十一「顔を焼いた女」)


 あの兼好が書いた『徒然草』に、「馬のきつりやうきつにの岡中くほれりくれんとう」というのがある。私(神沢杜口)は「馬のきつは馬といふ言のく也、さて、りやうきつにのをか中くほれいりとは、りとかと上下の文字をのこして中の七文字をのくるを、中くほれいりとはいひまぎらはしたる也。くれんとうは顛倒にて、のこれるりかの二字をさかしまによみ、雁になるなぞなぞとはとけたり。
 (巻四十七「○謎語」)


 日本の文人は、「云々」の二字の使い方を知らない。東鑑(吾妻鑑)などに頻繁に出てくる。延喜のころから文章が次第に衰えて、保元になると滅茶苦茶だ。(巻五十「○云云二字)


 人に呵(しか)られたと言って死に、笑われたと言って死に、負けたと言って死に、蛸に食中毒をしたからと言って死に、色におぼれたと言って死ぬ。このような場を逃れて時を待つということは、中国人の剛なるに反して、日本人は性急な気象だからだろうか。
 (巻五十「日本人短慮」)


 庵は、仮のものである。
 自分自身でさえ仮の世に、持ち家とか借家とか区別なんかない。すべての土地は、大君のものだ。国民はすべてそれを借りて住んでいるので、言ってみればすべて借家だ。衣食住さえ足りたら、その上に何の望みもない。飽きずに思ったならば、七珍万宝(しっちんまんぽう)を積んでも欲には足らんだろう。(巻百四「借家暮らし」)


 中(=仲)のよい兄弟がいた。しかし貧乏で、その日の生活に事欠いた。そして、兄の病気。
 ある日、弟が外出中に兄は自殺を図った。弟が帰ると、すでに虫の息。ただ、ぜいぜいと喘(あえ)いでいる。喉に刺さった短刀が抜けなくなって、死ねないのだ。兄は、弟に目配せをして哀願をした。弟は見るに見かねて、とうとう小刀を抜いてしまった。そして、兄は息が絶えた。
 その兄を護送して、船で川を下るときの警護の役人の話である。
 (巻百十七「森鴎外が『高瀬舟』で安楽死(ユウタナジイ)を書いた動機になったくだり)


 独身の白川候に家臣がお願いをした。
 「世継ぎのために、どうぞ側室を召し抱えるように。」
 すると、白川候はすぐに言った。
 「それでは、そうしよう。家中で容姿が醜いために縁遠い娘のいるものがいるであろう。その女を側室にしよう。」
 そんな案配で、いかにも醜婦と見える女が決まったのである。(巻百三十九「白川候の奥方)


 「がる」と「くさき」は禁物。
 誉められたがる、でかしたがる。成りたがる、行きたがる、欲しがる、惚れられたがる。
 儒者くさい、坊主くさい、侍くさい、自慢くさい、奢りくさい、上手くさい、気取りぐさい、侮りぐさい、我ぶる(鼻にかける)くさい。
 (巻百四「がるとくさき」)


 物覚えがついてから、七十年のことを振り返ると、ただ一瞬のようだ。いそじ(五十路)、はたとせ(二十歳)のことなど、つい昨日今日(きのうきょう)の心地がする。
 浮世(ふせい)は夢のごとし、今となっては「死」を待つばかり。(巻百四「七十歳」)


 同じところに数年住むと情が出てくるので、引っ越しをする。あまり眺めのよいところや繁華街に近いところに住んだことはない。
 (巻百四十二「あだし言二編」)


 白川候の屋敷に医師が行ったときのことだ。木綿の着物を着たびっこの醜い婦人が居間まで案内をした。医師は取り次ぎの端女(はしため=召使い)と思って、挨拶もしなかった。しかし、その婦人が白川候の婦人であったので驚いた。
 (巻百八十九「白川候」)>


 以上のように、『翁草』の内容は非常に幅広く、歴史・地理・文学・芸能・芸術・宗教などに及んでいる。私(黒田康太)は何回も読んで、時代の隔たりや考え方の相違などを超えて、感激したり教えられることが多い。
 神沢杜口は京都を中心として、俳壇の人たちとも交際があったらしい。読書を好んで、早く隠遁をして著述に励んだのであるが、俳句も残している。

 辞世の句は、単刀直入で「辞世とは」で始まり、
   <辞世とは則ちまよひただ死なん>
というのであった。
 なるほど、淡々としている人生であったようだ。
 寛政7年2月11日、神沢杜口は八十六歳で没した。


75歳の大作『十戒』

 いままでに私が見た映画の中で、いちばんスケールの大きなものは、おそらく『十戒(じっかい)』でしょう。
 『旧約聖書』の記述にしたがって、モーセが活躍をするというものです。
 そして、私が感動をしたことは、その映画を監督して製作をしたセシル=B=デミルが、七十五歳であったことです。ふつうでは、仕事を辞めて庭いじりでもするような年齢なのに、このような雄大な映画に当たるとは、何とも素晴らしいことと思いました。
 そしてまた、私の驚いたことは新約聖書にあるイエスの生涯を物語った『ザ・キング・オブ・キングス』が、やはりデミルの作品であったということです。

 そしてさらに驚嘆をしたことがあるのです。
 それは、デミルがその収入を教育・慈善・宗教に関する事業の信託基金などに回していたことです。デミルがまだ子どものころに、毎夜、必ず彼の父から「旧約聖書の一つの章」と「新約聖書の一つの節」を読んで聞かせられたといいます。
 何とも素晴らしいことではないでしょうか。


高齢者の活躍=国鉄十河総裁70歳からの再スタート

 高齢者の活躍としては親鸞などとともに、私は十河信二のことを思い出します。
 戦後で、人材が不足していたためかもしれない。いったん停年で退職をしたが、七十歳で戦後国鉄の総裁に迎えられた。そして、戦後の国鉄を再建したのである。さらに、弾丸列車(新幹線)の計画をして、ついに実現した。その後、九十七歳で肺炎のために死亡。新幹線が実用化したのも、彼の多大な努力があったからだとも言われる。


多作と佳作=ピカソとフェルメール

 すでに、ピカソが多作であったことは述べました。しかし、生涯に多作であればいいというものではないでしょう。個人ごとに事情が異なっているし、必ずしも作品が多ければよいというものではありません。私は、多作と佳作ということでは、ピカソとフェルメールの名前を思い出すのです。

 ピカソは、九十一歳でその天寿を全うするまで、7万点の作品を残したといいます。それは、絵画だけでなく彫刻・陶器・舞台芸術・詩などにも及んでいます。まったくものすごいエネルギッシュな創作欲であったものと、つくづくうらやましく思ったり、感心をしたりします。
 しかし、いっぽうでは45年の生涯に35点の作品しか残さなかった謎の画家、フェルメールがいます。フェルメールの絵の光の魅力は、何ともいえません。カメラオブスクーラを使って、光の美しさをとらえたのかもしれないのです。顕微鏡の発明者と同じページに、出生記録が書かれているそうです。


いつまでも若い人

 いつまでも若々しい人がいます。例えば、淡谷のり子はいつまでも若い人といえるでしょう。
 老いについての記述があるのですが、それを読んで私は「なるほど」と思ったことを覚えています。そして、その著書に書いてあることを学ぶと、いろいろと老化予防の参考になると思いました。でも、残念なことにその書名と書いてある内容を忘れてしまったんです。機会があったら、調べ直そうと考えてはいるのですが、……


逆さ仏とは何でしょう?

 逆さ仏(さかさぼとけ)をご存じでしょうか? 最近になってよく使われる言葉です。これは「仏さまが逆立ちをする」のではなく、「二人の仏さまの順序が逆になった」ことをいいます。つまり、ふつうは親の葬式を子どもがするのですが、そうではなく親が子の葬式を出すことが多くなったというのです。

 大阪の玉木さんからいただいたメールに、次のような記述がありました。
 <長寿社会の日本には、100歳以上の人が200名にも達したということです。また、平均年齢は男78歳、女84歳となって、世界でも第一位の長寿社会になったそうです。そして、その原因は60年ほど戦争をしていないこと、生活が向上して食生活が欧米化したこと、医療が発達したこと、生活環境が機械化されて重労働がなくなったこと、そして労働時間が大幅に短縮されたことなどが原因であるというのです。>

 しかし、私(黒田康太)は「逆さ仏」が農村などで大流行(?)をし始めたことなどを考えると、とても安心はできないと思っています。つまり、長寿社会には、なっていないのです。確かに見かけ上はそうでしょうが、現在78歳の男が78年、現在84歳の女が84年生きただけなのです。そして、現在20歳の男は平均的にあと58年も生きられないし、現在20歳の女は平均的にあと64年も生きられないのではないでしょうか。
 そしてそんなことは、「私の杞憂に過ぎなかった」と後になって思えればよいのですが、……

 また、国が発表をする統計の誤謬には気がつかないように、誰かに錯覚をさせられているのでしょうか。何のことはない、幼児の死亡率が減っただけなのです。それと、延命処置が進んだことにあるでしょう。
 統計の扱い方の間違いについては、かつて有吉佐和子氏が『複合汚染』に詳しく述べておられました。したがって、ここでは説明を省きましょう。必要があれば、『複合汚染』(新潮社)をご覧ください。70歳を過ぎた探求心の盛んな隠居に、有吉佐和子が一つ一つ的確に応えていく問答式のわかりやすい記述です。

 今後は、いろいろと問題が表面化してきます。老人人口が増えて、多くの人が当事者になっちゃうからです。そして、若い人も含めて、すべての人が当事者として関係をしてくるようになるでしょう。そのような中で、物事を正しく見ることが必要です。あたかも、檻の中で飼育されている動物が、互いに責任をなすりつけるような方式では、檻の外も含めた全体としては解決ができないという傾向の問題だからです。
 国や行政でも、何とかしていただきたいところです。


あいさつをしない人=不愉快な人間関係=ソクラテスと常不敬菩薩

 現代社会には、煩わしいことが非常に多いということは事実でしょう。
 新聞の勧誘や商品のセールスなど、頼みもしないのに次々と押しかけてきます。電話でしつこく話す方法も、ここのところ増えてきました。さらに、いかがわしいメールなども多数やってきます。
 食べ物が悪くなって、健康に問題が生じ始めたのではないかと危惧をしているときに、不愉快な人間関係までを負い込みますと、精神的にも老化をしてしまいます。煩わしいことをしていると、次第に老けてしまうからです。

 また、最近はおかしな態度を取る人が増えたようにも思います。やはり、食べ物に入っている化学薬品、環境ホルモン、界面活性剤などが脳に影響を与え始めているのでしょうか。近所に住んでいてもあいさつをしない人が増えました。若い人にも多いようですが、よく観察をするとあいさつの仕方を知らないようでもあります。

 脳に異常をきたし始めると、あいさつどころではないのでしょう。福祉センターへ行くと、高齢の人が「最近の若者はあいさつもしない」と怒っていることがあります。私は、そのようなときには必ずソクラテスの片足の人のことを思い出すのです。

 最近は他人のことなどに関わろうという人も少なくなったようです。そんなときは、いつも私は常不敬菩薩のことを思い出して反省をします。自分自身がやっていること自体、おせっかいで常不敬菩薩のかけ声と似ているからです。


老人の一般的な傾向

 老化現象として「老人の特徴」を見るまえに、老人の一般的な傾向を眺めてみましょう。あくまでも一般的な傾向ですから、いちがいには言えないのでご了承願います。

 老人は一般に自己本位でいやらしい場合が多いようです。つまり、自分のこと以外には無関心になるようです。あまり他人のことに興味がなく、自分のことだけが問題となります。ただし、その場合でも芸能人などについては別のようです。誰がどうしたなどと言って、興味を示すからです。おそらく、それは何らかの自己願望のあらわれなのかもしれません。
 宮沢賢治の『雨にも負けず』に書かれているような人は少ないのでしょうか?

(注) なお、宮沢賢治の『雨にも負けず』原文は、このホームページの
 「健康のページへ」 → 「健康とは何でしょう?」 → 「健康全般に関するQ&A(十問十答)」
にありました。


 「お陰様で、還暦までは無事過ごしてきました。これも、社会の皆さんのお陰です。これからは、何か社会のお役に立つことをしていきましょう。そのためには、少々の費用も惜しみません」などという人は、あまりいないようです。もっとも、私(黒田康太)があまり素晴らしい人とのお付き合いがないためかもしれませんが、……
 もしかしたら、そういう人が集まっているグループも多くあるんじゃないでしょうか。

 とにかく、老人が頑固で、ひとりよがりなのは困ります。それでいて、自分をかまってくれないと不満を言う人もいるようです。つまり、孤独に耐えられない人がいるのです。欲が深くて、面倒くさいことをしないという反面では、わがままな意見でもあります。

 私の住んでいる多摩市の団地部では、高齢化が進んでいます。そして、精神的な支えがなくて惰性で生きているような人も、かなりいるようです。さらに、そのような場合に悪いことは、病みがちになったり、病んでしまうことなのです。何とか孤独にも耐えられるような修養というか、練習をしておく必要もありそうです。


老化現象=老人の特徴

 老いてくると、いろいろ不都合なことが起こります。それらは、若いときには考えられなかったことですから、自分自身で認識をして、ふだんから注意をするようにしてください。
 私は、年齢(とし)をとった日々の生活を思うと、古くなった自動車やノートパソコンのバッテリーを連想します。それらは、いくら充電をしても、間もなく放電をしてしまうのです。つまり、長く続かないのです。そのように自分自身の身体もすぐに疲れてしまって、いくら休んでも回復をしないのだ。
 すべての老人がとはいわないが、多かれ少なかれ次のような傾向があらわれるようです。

斑気(むらき)になったり、自己本位になる

 一概には言えませんが、そのときの環境や感情によって、気分が変わりやすく、気まぐれに勝手気ままなことをしたり、言ったりするようになります。また、自己本位になって相手のことを考えたりしなくなることもあります。したがって、何事に対しても積極的に参加をしようという人は少なくなってしまうようです。

ずるくて疑い深くなる

 人生を多く経てきたためでしょうか、何となくずる賢くて、物事を疑うようになります。誰かが好意で言ったことも、必ず疑うようになります。性格が鈍ってしまい、何となく魯鈍になったような感じを与えることが多いようです。

身勝手で、欲が深くなる

 あまり他人のことを配慮することがなくなり、物欲や名誉欲が深くなってくるようです。したがって、自分の利益になるであろうことしかしない。そのために、いつまでも不幸であり、豊かにはならない。ふつうは、還暦を過ぎたころから社会のためになることをしようと考えて、世の中に奉仕をし始めてもよいように思うのですが、……
 そして、さらに80歳を過ぎると、老人に付きもののあらゆる愚かさや脆(もろ)さを露呈する。やがて、頑固で気難しくて、貪欲で不機嫌になり、愚痴っぽくておしゃべりになる。そして、人間本来の温かい愛情がわからなくなってしまう。つまり、嫉妬深くなって、実力がないのに、欲望ばかりが強くなる。

文句ばかり言うようになる

 社会のシステムから外れてしまうために、自分自身の存在する場所がなくなって、文句を言うようになる。したがって、老人になったら仕事やすることを自分で作らないといけない。なぜならば、誰も頼んでこないし、また期待もされていないからである。

躓(つまず)く

 老いてくると、どうしても歩行のときに足を引きずるようになります。つまり、若いころのように足を上げて歩けないのです。当然のことながら、ちょっとした段差があっても躓いてしまいます。最近になってバリアフリーの住宅が増えてきました。居住空間になるべく段差を少なくした設計の家です。車椅子などの通行にも便利になっています。
 高齢者が躓くと、身体のバランスを崩して転んでしまうことがあります。そして、倒れたときに骨折をすることが多いようです。骨折をすると歩けなくなる場合が多いので、そのまま寝たきりになって、大きく体調を崩してしまうことになるでしょう。そして、寝たきりになってしまうと、なかなか戻れません。したがって、平素からの注意が必要です。

不潔になり、汚らわしい

 老人は、一般的に不潔です。若いときのように、肉体的な新陳代謝がうまく行えないからです。そして、それは肉体的ばかりではなく、精神的にもどうしようもなくなってきます。そんなわけで、とくに若い人たちから見ると、「老人は汚くて、不潔なもの」となりかねません。それは、仕方のないことですが、できたらそうならないように日々注意をすべきです。
 身体を清潔に保ったり、とくに口の中に注意をしたり、さらに話す言葉にも気をつける必要があるでしょう。相手がそのような印象で接してくるときは、とくに注意が必要です。

 老いてくると、とくに日々の生活によろこびや、やり甲斐を見つけることが大切です。しかしそれが、身体の健康を保ち、脳をリフレッシュして、いつまでも若々しくするコツなのでしょう。そのようなことを忘れないで、上記の老人の特徴である老化現象にならないように、くれぐれも注意をしてください。


老醜現象というやっかいな症候群



老化を予防する方法の発見

 私は、かつて五十歳代も残り少なくなりはじめたころ、自分はあと何年間しっかりと生きられるだろうかと不安になったことがあります。そんなある日、ふとしたことから「気持ちが老いたり、惚(ぼ)けたりしない方法」を偶然に見い出しました。それは「老いない方法」や「惚けない方法」というよりも、「いつまでも若々しくいる方法」と呼ぶほうが、むしろ正しいかもしれません。
 その後、それを自分自身に実践してみました。そして、かなり効果があるということに驚いたのです。なぜならば、それからは自分があまり老けていかないからです。

 老人が増えていくという時代に、私もその仲間入りをしたわけです。もしも役立つことなら発表をして、その一連のカリキュラムを多くの人々に利用していただきたいと思い、老化予防のボランティア活動も始めた次第です。そして、生きている日々の時間を大切にしたいとも考えました。
 急速に変化をしている最近の社会事情、価値観さえ大きく変わっていく世間の動向に、少なからず不安や憂慮をいだいているのは、おそらく私だけではないでしょう。

 森鴎外の『高瀬舟』や深澤七郎の『楢山節考』のような場合には、いたしかたないかもしれません。なぜならば、『高瀬舟』では美しい兄弟愛の結果の殺人ですし、『楢山節考』では貧しい農家の現実だったのですから、……
 しかし、美しい「チューリップの国」のワーストケースのようには、私自身なりたくないからです。
 さらに欲を言えば、桜沢如一が「永遠の青年」というエッセイで書いているアナトール=フランスのようになりたいと思うからです。

 チューリップの国……かつてオランダで自由死が認められたときに、看護婦が勝手に数十人を安楽死させた事件。


 それでは、いつまでも若々しくするためには、どうしたらよいのでしょうか?
 むろん、食べ物や運動が大切であることは、今さら申すまでもありません。その他に、脳に対する配慮が意外に重要なのです。このことは、理屈でわかっている反面では、なおざりにされている場合がいままでにも多く見受けられます。なぜならば、かなり難しい問題だからです。

 肉体の物理的な退化や機能の劣化は、遺伝子の関係もあるので、ある程度はいたしかたないでしょう。その一方では、不注意や無関心によって身体に起こってくるボケや老化などを何とか避けたいものです。正しい脳のトレーニングを行うことによって、それらを未然に防ぐことができるということが、ある程度わかったのです。脳の活性化、つまり脳を生き生きとすることによって「肉体的な老い」を遠ざけることが、誰にでも実現可能なのではないでしょうか?

 具体的な結論を述べましょう。それは、脳に対する情報のインプットとアウトプットとのバランスが、非常に大切ということなのです。なぜならば、それらが不釣り合いだと病気になったり、老化を早めたりするからです。とくに、インプットの過多はいけません。ちょうど、それは食べ物を採りすぎて運動不足だと肥満になり、さらに糖尿病や心臓病を併発するのに似ています。その結果、身体全体の死の時期を早めてしまいます。

 ここで人間を単なる生体として扱うのは、ちょっと問題があるかもしれません。ふつう脳のことを無視して、人間の生命は考えられないからです。ラット(ネズミ)の実験結果が、必ずしも人間の場合に当てはまらないケースもあるといいます。それはラットに比べて、人間の脳が飛躍的に複雑なものだという配慮がなされないためではないでしょうか。とくに、感情や気持ちをともなう肉体の不都合または病気のような状態に対して、脳の作用が大きいといわれます。

 ごく簡単に説明をすると、老化防止のためには
(1) 言葉の空間を広げることにより、創造性を豊かにする
(2) 言語空間の凝縮によって、脳の活性化トレーニングをする
(3) システム空間という価値観を構築し、自分自身をその中に位置づける
という三つの段階的な方法などが考えられます。

 いずれも簡単な手順と身近な道具で、効果的に実現できることがわかりました。中でも、最初のステップである(1)による老化防止は、「言葉の空間を広げる」ことにより、すぐに実現できます。言葉の空間を広げる、つまり、文章を作成することによって、創造性を豊かにするのです。
 しかし、それを面倒と感じたり、意味がないと考える人もいるでしょう。その場合は、人間社会のすべてが言葉のイメージによって構成され、運営されているということを思い出してください。憲法や法律、学問や文学などです。

 また、文章を作るのが苦手という人もいるでしょう。それでも、まったく話ができない人はめったにいないようです。書くというのも慣れてしまえば、あたかもそれと同じことなのです。身構えてしまうと、なかなか実現ができません。それは、いざ改まると話せないのと同じです。
 もしも、たくさんの聴衆がいるところで、まとまりのあることを話せと急に言われたりすると躊躇してしまいます。そんなときはあわててしまって、内容のないことなどをついしゃべってしまうではありませんか。

 現在は、かろうじて社会のバランスが保たれている時代ともいえます。ちょっと大きな事件や問題が生じれば、たちまち崩壊をしてしまう脆(もろ)い社会なのです。そんな中で、以上のようなカリキュラムを考えた次第です。例えば、ビルの屋上から飛び降りて、身体が落下してゆくときに助けるのは非常に難しいからです。その時点で救助するのではなく、もう少し手前の時間、つまり飛び降りる以前に、そうならないように説得などの対処をしなければいけません。

 実際には、「論」や「技法」などという堅苦しいイメージはないでしょう。その手順どおりにすれば、ひととおりのことができるようになっています。人生をより豊かにするために、ぜひお試しになってはいかがでしょうか?


現代楢山節考・考

 この節の最後に、「フィクション」をおまけとして付けておきましょう。
 いつの時代でも生産力のない老人が増えてしまうと、社会が疲弊してしまいます。そこで、日本でもかつて貧しい時代には、「姥捨て山(うばすてやま)」などと言って、老人を捨てたものです。姥(うば)といっても女だけではなく、むろん男の老人も含まれます。

 親しくしている臼井先生の知人であられた深沢七郎氏は『楢山節考(ならやまぶしこう)』を残されました。
 <お姥(んば)捨てるか裏山へ 裏じゃ蟹(かに)でも這(は)って来る>
と歌いながら、おりんばあさんを背負って、孝行息子の辰平は胸のはり裂ける思いで母を捨てにいきます。それは、因習にとらわれた貧しい部落に厳然と続くしきたりなのです。

 現在では、日本の政治家が非常に優れているので、国民の老人を捨てるような必要はありません。また、病院や養護施設でも、内部で楢山節考のようなことを秘密裏で行っているところは絶対にないようです。しかし、今の時代の優れた政治家に安心をしている私たちも、今後はどうなるかわからないのです。なぜならば、いくら賢くて優れた政治家でも、これから生じる自然の大変化によるダメージなどとともに、どうすることもできないアポリアになってくるからです。

 オランダでは、すでに「尊厳死」が認められています。また、アメリカでも尊厳死を認める州が出始めたようです。日本では、これからいったいどうなっていくのでしょうか。よその国と比較をして現在の日本の驚くべき人口構成などを考えると、私は自分も含めて大いに悲観的にならざるをえないのですが、……
 日本では、異常なほどの老人増が問題なのです。キャベツなどができすぎたときは、平気でブルトーザでつぶしてしまい、ドカッと穴に埋めています。そのような安易な処置をする国や行政や生産者だから、私には心配なこともあるのです。

 米寿(八十八歳)を過ぎて卒寿、つまり満九十歳が来たときに、それぞれの属している行政から「デラックス旅行」つまり「ファイナルトレック(最終旅行)」とでも言えるような招待状が来るのです。なぜならば、老人に米をそれ以上食べられると、国が疲弊して困るからです。行き先は、次のところからコースが選べるようになっていて、いずれも初日の夕食は非情に(「非常に」ではありません。)素晴らしい豪華なものということです。
(1) 富士山青木ヶ原樹海散策コース
(2) 大島三原山噴火口または阿蘇山噴火口見学コース
(3) 鳴門海峡遊覧船周遊コース
(4) 永平寺寝禅(座禅ではなく、初めから寝ていてかまいません)断食コース
(5) 超高層ビル屋上ビアガーデンコース(ビル名は未定だそうです。未発表かもしれんです。)
(6) ……
 それこそ、これは「現代楢山節考」とでもいう小説になるようなテーマですね。


老化予防のページ関連資料



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Kuroda Kouta (2003.07.04/2015.07.18)