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 あなたが日々健康であるために!

 健康のページ(3)今後どうすればよいのだろうか?


      音楽(BGM)は大庭 加奈子が演奏をした「パガニーニの旋律による練習曲」です。
     
 左のスライド音を小さくしたり、止められます。


 このページの内容

     いまここに自分がいることの不思議
     宇宙のあらましを知ろう
     太陽と地球
     地球のあらましを知ろう
     人間に生まれたということ
     人間について=コメニウスの人間
     マクロコスモスとミクロコスモス
     水の小宇宙
     飲料水について=飲み水について
     空気について
     きれいな空気と水を!
     ラブロックの地球=ガイアの理論
     地球の危機?
     廃棄物でいっぱい?
     生命のあらましを知っておこう
     ヒト科ヒト
     ヒト科ヒトの系統
     人間のあらましを知っておこう
     心と身体=こころとは=身体とは
     人間と神さま=人間の体験の範囲=神の範疇
     現代科学について
     親算(おやざん)
     伝統を大切にする
     反復のわずらわしさ=百万だら?
     長期的に健康を考えよう=ダイオキシン=アスベスト
     傾向を知って対策をたてよう
     頭がキリキリとする
     風邪や下痢などにかかったら?
     目を大切にしよう!
     目がチクッとする=毛細血管が詰まる?
     目の中にほこりのようなものが見える=飛蚊症(ひぶんしょう)?
     耳も大事にしよう
     脳の病気に気をつけよう!
     脳に関する問題=脳に対するインプットとアウトプット
     グルミューとペルオキシゾーム
     サルモネラ菌と腸炎ビブリオ菌
     歯周菌を繁殖させないように!=歯槽膿漏の予防
     白癬菌にも注意をしよう=水虫、爪白癬の予防
     腸内細菌のことを知っておこう!
     体格指数(BMI)と標準体重と体脂肪率
     肥満とは?
     メタボとは?
     健康診断の驚くべき結果
     自分自身の身体の観察=日々の自己チェック
     自分にあった健康法の確立
     歩く健康法=歩くことのメリット=歩行による健康維持
     ころばないようにしよう
     お医者さまにかからない方法(予防の大切さ)
     口の中が渇く=口呼吸の弊害
     歯なしにならない話
     自分の身体から毒素を抜こう!
     水を飲む健康法?
     サウナの効用
     「生老病死」と「生老死」
     「六苦(りっく)」の時代?
     笑いの必要性=笑いのある生活を!

 今後どうすればよいのだろうか?

いまここに自分がいることの不思議

 考えてみれば、いまここに自分がいること自体、非常に不思議なことです。
 健康の問題を大きくとらえるために、宇宙のあらまし、地球のあらまし、生命のあらまし、そして自分自身である人間のあらましなどを知っておくことは、今後とも大いに役立つことでしょう。


宇宙のあらましを知ろう

 人間のあらましに続いて、宇宙のあらましについて考えてみましょう。すべての人間が宇宙に置かれているのですから、いちおう宇宙についても知っておくほうがよいでしょう。

 この宇宙は、120億年ないし180億年前に生まれたといいます。
 それに対して、ホモ-サピエンスが地球上にはじめて現れたのは、今から約500万年前です。
 簡単に考えて、宇宙の歴史を1日とすると、むろん宇宙はその日の最初に生まれたことになります。そして、最初のホモ-サピエンスは、23時59分59秒を過ぎたところで、はじめて姿をあらわしたことになります。

 太陽から地球に光が到着するまでには、8分14秒もかかるそうです。太陽と地球が、かなり離れているからです。しかし、私たちは8分前の太陽を見ているなどと考える人はいるでしょうか。そのようなことは、星を見るときにも言えます。いま見ている星の光が、何万年も前にその星を出たとは、やはり直感的にも考えにくいことではないでしょうか。
 例えば、アンドロメダから来る光は、アンドロメダを200万年も前にスタートした光なんです。

 太陽は、私たちにとっても、とっても大切なものです。(同義反復ではありません。)
  太陽の大きさ  地球の130万個分
もあるそうです。

 その他の惑星も、お馴染みです。
 水星には大気がなく、むろん水もないといいます。
 それでは、金星には金があるのでしょうか? また、木星には木が生えているのでしょうか?


太陽と地球

 最初に太陽と地球の関係を大雑把に考えてみましょう。

  太陽から地球までの平均距離  1.5億[キロメートル]

 面倒なので円軌道を描くものとして、地球が太陽の回りを移動する軌跡の概算は、
    2 × 3.14 × 1.5 = 9.42億[キロメートル]

 この距離を1年で移動するのですから、1時間の距離、つまり時速は、
    9.42 / 365 / 24 = 0.001億[キロメートル] → 10万[キロメートル/時]

 つまり、あなたは時速10万キロメートルの物体に乗っていることになります。これは、時速100キロメートルの1000倍の速さですから、かなり高速ということになるでしょう。だいぶ以前に、ナショナルという会社の広告に「50億人の人を乗せて、時速10万キロメートルで走っている星」というのがありました。
 それで、私はつくづくと「地球号という乗物」について考えさせられたことがあります。

 さらに、これを秒速に換算すると、
    9.42 / 365 / 24 / 60 / 60 = 0.0000002億[キロメートル] → 20[キロメートル/秒]
となります。

 以上は大雑把な計算ですが、『理科年表』(89p)を見ると軌道平均速度は29.78[キロメートル/秒]となっています。しかし、『新詳高等地図』(p111)には「軌道に沿った地球の平均速度……29.76[キロメートル/秒]でした。おそらく、年度が違うためでしょう。
 いずれにしても、約30[キロメートル/秒]と考えると、時速は10万[キロメートル/時]となるわけです。しかし、「私たちは時速10万キロメートルの速さで宇宙空間を移動している」などと考える人が、いったいこの世にいるのでしょうか。


地球のあらましを知ろう

 ここで、太陽と地球の関係をもう一度考えてみましょう。
 地球は自転をしながら、太陽の回りを公転しています。
 自転について考えれば、日本の位置で1秒に400メートル移動しています。つまり、時速1440キロメートルで動いていることになるのです。また、一日で移動をする距離は
     400[メートル] × 60 × 60 × 24 = 34560[キロメートル]
となることがわかります。

 つまり、相対的に考えると一日に3万キロメートルも移動をしていることにもなるのです。さらに太陽の回りの公転で考えると、もっとスケールが大きくなって1秒に30キロメートルも移動をします。秒速30キロメートルというと、時速10万キロメートル強ですから、一日に進む距離は何と250万キロメートルほどになるのです。
 しかし、実際に私が計器を用いて測ったというわけではありません。理科年表などから、知った事実なのです。

 それでも私たちが、実際には時速1440キロメートルで動いている物体に乗っているなどとは考えられません。そして、風がなかったり、じっとしていられるのが当たり前のことと考えます。物理学的には説明がつくことでも、身体自体が不思議に感じることですからしかたがありません。
 新幹線の屋根の上にしがみついていること以上の状態なのに、平静でいられるのが何となく不思議です。それは、ハイスピードで動いている物体の上に平気でおられるという学問や理論とが、私たち平素の常識とが一致しないからでしょう。

 また、同じように1平方センチあたり約1キログラムもの気圧を受けているのに、身が軽く感じるときがあるのはなぜでしょうか。それもつまり、平常に慣れてしまっているためでしょう。ふつうは、空気自体の存在にも気づきません。もしも、空気がなかったら死んでしまうのですが、……
 ついでながら、スペースシャトルは秒速8キロメートルで飛んでいるそうです。時速にすると、約2万8000キロメートルの速さです。

 さらにわからないことは、数多くあります。
 なぜ、地球が太陽の回りを回っているかです。とくに現時点では、すでに動力もないようです。地球が1日に250万キロメートルずつ動き、1年間で9億1000万キロメートルも動いて、またもとの位置に戻ってくるのが不思議です。
 さらに、地球に引力があるのはなぜでしょうか。

 地球からいちばん近い天体は、人工衛星を除くと月ではないでしょうか。
 それでも、月と地球との間の距離は、38万キロメートルほどあるといいます。そして、月は地球の引力のために地球の周りを回っているそうです。
 月は地球の衛星ですし、地球は太陽の惑星です。
 惑星や衛星でないふつうの星は、地球からいちばん近い星でもそこまでの距離は4光年もあるといいます。これは、光が4年間で進む距離に相当します。したがって、ふつうのロケットで行っても、10万年くらいはかかる距離なのです。


人間に生まれたということ

 私たちが人間に生まれたということは、非常にありがたいことだと仏教では説きます。
 盲亀浮木(もいきふぼく)の譬(たと)えというのでしょうか。

 大海に一匹の目の見えない亀がいました。そして、百年に一回海上で休みます。そのときに、穴の空いた板があって自分の首がそこに入ることによって、安らかな休息ができるといいます。さて、そのような可能性は、……というような内容であったと思いますが、もしかしたら記憶違いで間違っているかもしれません。
 つまり、人間に生まれてこられたのは、そんなわずかな確立の上に実現をしたというのです。だから、一日を大切にして自己を完成する努力を怠ってはいけません。とまぁ、そんなふうに、仏教では考えているようです。

 しかし、私は次のようなことも言えるんじゃないかと考えている次第です。

 「あなたは、人間であることをうぬぼれたり、奢ってはいけません。ホモサピエンスが生き物の頂点であるなどとは、決して言えないからです。実際には、昆虫のある種のものが、生命体の頂点にあたるのです。単に、学者が生命の歴史の系統樹を書き換えただけなのです。それは、「世界地図の中央に自国を据える」のと同じ理由。
 実際には、人類などは歴史の中にできた「あだ花」のようなもの。やがて、滅んでしまうのです。つまり、サーベル虎やマンモス、あるいは恐竜のようなものなんです。
 自分の一部を発達させたために、それが生存を致命的に不可能にさせました。サーベル虎とマンモスは、その牙(きば)、そして恐竜は、私の学説によると血圧なのです。(心臓と脳とが遠くなりすぎてしまった。)
 そして、人は……
 やはり、その異常に発達をしすぎた脳なんです。内容はともかく、物理的にもでかくなりすぎて、やがて帝王切開以外の出産はムリになるでしょう。そして、そこで絶滅をするのです。

 なぜならば、出産ができない動物は、もはや生き延びれないからです。
 しかし、人間のことですから脳だけを切り離して、何とか生き延びることを考えるかもしれません。その場合は、適当な宿主(しゅくしゅ)を探す必要があるでしょう。また、切り離した状態でも培養ができるように、世話や管理を行う動物を飼育したり、ロボットを製作する必要があるかもしれません。
 そして、もしかしたら遠い過去の時代にもそうなって、そのような処置をすでに行っているんじゃないかと、秘(ひそ)かに考えたりもしている私は、もしかしたらすでに変人であるのかもしれないという心配もあるのです。

 そのようなことは、単なる私の杞憂(きゆう)であったらよいのですが、……
 最近の世界情勢などを考えると、何となく憂鬱(ゆううつ)になってくるのは、私だけでしょうか。
 そして、あなたはどのようにお考えでしょうか?


人間について=コメニウスの人間

 J.A.コメニウスは、「人間の7つの年齢段階」と「人間の身体」そして「人間性」について、非常に有意義な文章を残しています。

 「人間の7つの年齢段階」には、
 <人間は最初赤ん坊です。次に少年、その後若年、さらに青年、続いて壮年、それから初老、最後に晩年
 同様に女性の場合も少女おとめ婦人初老婦人晩年の婦人となります。>
と簡潔に記しています。

 そして、「人間の身体」については、
 <は上、は下です。
 (肩までですが)の前側はのど、後ろ側はうなじです。
 は前で、後ろは背中です。女性は乳頭のついた二つの乳房を胸にもっています。
 胸の下はです。その中心にへそが、下には下腹陰部があります。
 背中の上に肩胛骨(けんこうこつ)があり、そこにがくっついています。この上にひじをともなってあり、それから両側に、つまり右手左手があります。
 腰部座骨とともに肩から続き、そして臀部(でんぶ)にがあります。
 大腿(だいたい)、それから下腿(かたい、中間にひざ)が脚部をなしています。そこにふくらはぎ頸骨(けいこつ)をともない、さらにくるぶしかかとおよび足の裏、最後に4本の他の指をともなった親指があります。>
とあります。
 そして、裸の男女がいて、その身体に番号が付いています。とてもわかりやすい説明です。

 ついでに、「人間性」についても写しておきましょう。
 <人間は互いに善であるように創られています。それゆえに親切であるべきです。
 顔つきは心地よく愛らしく、行儀態度は礼儀正しく上品であって、口は愛想よく本当のことを話し、は優しく誠実でありなさい。
 愛しなさい、そうすればあなたも愛されるでしょう。そしてむつまじくて、おだやかで、双方とも好意的なキジバトのように、相互に友情が生まれるでしょう。
 わがままな人は、憎らしくて、ねたみ深く、礼儀をわきまえず、けんか好きで、怒りっぽく残酷でなだめにくく(人間というよりは、むしろ狼かライオンのようで)、そして自分たちの間で不和を起こすのです。それゆえ決闘をすることになります。
 嫉妬は、他人の不幸を願い、自分をやつれ衰えさせるものです。>

 コメニウスは優れた教育者ですから、ものごとを簡潔に見るための工夫をしたようです。
 以上の文章が載っている『世界図絵』は、子供のための絵本として高く評価されています。ゲーテが自分自身の子ども時代を回顧して、この『世界図絵』について述べています。


マクロコスモスとミクロコスモス

 天体のマクロコスモスに対して、私たちの人体をミクロコスモスということがあります。
 人体は皮膚に覆われた一つの個体ですが、非常に高度なシステムと複雑な機能をもっているからです。
 むろん、マクロコスモスの中に人間も含まれているのでしょうが、人間がこの空間であたかも主体であるような思想や考え方では解決をしないことがほとんどです。その中の非常に小さい部分を占めているということを認識しなければなりません。
 つまり、人間はマクロコスモス、すなわち大宇宙や自然に溶け込んだ状態の存在なのです。

 しかし、その人間を考えると実に複雑な機能をもっていることがわかります。それは、それ自身あたかも一つの宇宙にも匹敵するような高度なシステムで運営をされていることがわかり、驚嘆します。そこで、人体を一つのミクロコスモスと考えることを始めたのでしょう。つまり、私たち一人一人がそれぞれの宇宙を構成しているのです。
 何とも素敵なことと思いませんか?


水の小宇宙

 地球のことを「水の惑星」と言った人がいますが、私は一人一人の人間の身体は「水の小宇宙」つまり「水のミクロコスモス」ではないかと思っています。日々ふつうに私たちの身体は新陳代謝を行っていますが、その中で水のはたらきは重要です。簡単に言ってしまえば、水で身体の中を洗い流してクリーンアップしているようなものでしょう。水は、私たちの不浄になりがちな身体を清めているのです。

 人間の身体も、その成分で見たら約70パーセントが水分です。つまり、80キログラムの人で56キログラムの水分、60キログラムの人で42キログラムの水分を身体に含んでいることになります。
 ウンコの成分でさえ、ほとんどが水なのです。ふつうの人でふつうの場合、つまり下痢などをしていない健康のときです、だいたいその75~80パーセントが水で、ウンコの比重は1.06くらいです。したがって、水に浮かばずにゆっくりと沈むくらいでしょう。


飲料水について=飲み水について

 私はなるべく生水を飲むようにしています。しかし、水道水ですから安全のためにハーレーという浄水器で濾過をしてから飲んでいます。なぜ生水を飲むかというと、おそらくヒトの細胞や組織はその遺伝子に生水が好ましいと記憶されているのではないかと考えるからです。つまり、甘い缶ジュースやスカッとする清涼飲料水などは、過去の時代に経験をあまりしていなかったのではないでしょうか。
 そして、美味しいとか気持ちのよいということと健康とは、異なると考えるからです。

 また、アルプスから取水したものとか、海底から取り出したなどといっても、日本で売られているものは法令で決めているために、すべて煮沸滅菌をしているので、いわゆる生水ではありません。いうなれば湯冷ましと同様な死に水ですから、細胞など体内の活性化にはどうなでしょうか。
 その意味で、牛乳や飲料タイプのヨーグルト、ヤクルトなども飲み水の代わりにはならないでしょう。
 生水がいかに身体によいかということは、20年ほど体験をしてよくわかりました。
 あなたも、確かめてみてはいかがでしょうか?

 料理にはむろん濾過水を用いますが、うがいや口すすぎなどにはわざわざ濾過をしません。体内に入って細胞や組織になるであろう水以外は、その必要は現在のところなさそうです。水はそのように直接に人体に取り込んで用いる場合のほかにも、風呂や洗面に用いられます。また、衣類の洗濯や食器の洗い水なども必要です。いかに多くの水を使って日々の生活を実現しているかを考えると、大いに水に感謝をしてもいいのではないでしょうか?


空気について

 水が清浄のものが好ましいのと同様に、空気も清浄のものでなければなりません。しかし、水の場合と違って、空気を浄化するには大変な費用がかかります。エアコンなどもよいのですが、浄化までをしてくれるかどうかが不明です。
 昔から「二階に住むと肺病にならない。」などと言います。少し高くなった分だけ、空気がきれいなのでしょうか。私は12階に住んでいますが、地上を歩いているときよりも、何となく空気がよいようみ感じます。しかし、よい空気を準備しておくのは、ちょっと難しいので自分が吸いにいくのです。木の多いところへ行ったり、川の畔に行くのもよいでしょう。

 そういえば、結核の療養所なども森の中や海の近くにあったようです。
  鶴川サナトリウム……木々が多い町田の外れにあります。
  湘南サナトリウム……かつて鎌倉の小坪というところにありました。海の見える高台です。


きれいな空気と水を!



ラブロックの地球=ガイアの理論

 ガイア(Gaia)とは、ギリシア神話に出てくる「大地の女神」のことです。したがって、ここでは単に「地球」というような意味に考えればよいでしょう。次に、ラブロックの言っている内容を私なりにまとまてみましょう。

 ガイアは、非常に複雑であり微妙なバランスの上に、かろうじて生きています。ガイア上の生き物は互いに関係をしているので、ある生物にとって有益でも、他には有害となるものもある。そのような現実のもとに、相互関係によってガイアは何とか安定を保っている。
 だから、ガイア自体が主役で、ヒトやクジラや象、牛や豚、犬や猫、虫や細菌、そして世界一大きなインドにある木、都立桜ヶ丘公園の桜の木、そして農家の梨や柿、米、麦、豆、クロレラなどはバラバラのように思えるが、実はすべてを構成要素とする一つの集合した生命体なのです。
 それは、私たち身体の器官の構成を考えれば、ガイアがその数回り大きな存在であることがおわかりでしょう。したがって、全体のバランスを考えてやらないとアウトになっちゃうんです。
 そして、近年はそのような傾向にあるので、ラブロックは警告を発しているのかもしれません。

 ヒト科に属する私たち人類は、あまりにも他のメンバーのことを考えていないのです。また、他のメンバーの実態さえも知らないのです。もっとも、人間同士のことでさえわからないことだらけ。地球の内部に何があるか、土塊中の未発見のバクテリアのことなど、むろん知っていない。
 しかし、それらを含めてすべてが存在することによって、これまで何十億年とガイア自体のホメオスタシス(生命の安定状態)を維持してきたのです。そして、考えてみると人間はそこに最後にやってきたメンバーでありながら、身勝手にわけもわからず振る舞っている。
 自分勝手に振る舞うことが、どんなに近い将来に危険をもたらすかなどを考えていないのだろうか。ただ、自分自身が儲かればいいとか、気持ちがよければそれでいいんだというような身勝手な行動を果てしなく続けているだけではないのか。

 いままで、何十億年もこのガイアを維持してくれた先輩たちのことなどをいっさい考えないで、いったい何をしようとしているのか。などと、私(黒田康太)なりに考えて、このホームページを作ってみたんだが、……
 言いたいことは、まだまだあるがこの辺でやめとこう。なぜならば、いわゆる生き物でない物なども、私は含めて考えているので展開が大きくなっちゃうんだ。


地球の危機?

 近年になって地球の環境が大きく変わってしまい、将来が危ぶまれ始めてきました。

 次のような環境問題が論じられているからです。
・ 炭酸ガスによる地球全体の温暖化
・ フロンガスによるオゾン層の破壊
・ 酸性雨の被害
・ 森林、草原の砂漠化
・ 原発の事故による放射能の汚染
・ 使用済み核燃料の問題、未処理のものの保管
・ 地球上にある7万7000種類もの工業用化学薬品の影響
・ 自動車や家電製品などの廃棄物の処理

 さらに、人間の活動の周辺には
・ 政治の腐敗、金権政治の拡大
・ 経済の崩壊、物価の不安定
・ 失業者の増加、働く意欲のない若年層の増加
・ 無秩序の子ども、刹那的に犯罪を犯す子ども

 これらは、考えてみるとかなり大きな問題です。そして、大げさに言うと、いずれも人類破滅の危機さえをはらんでいる現象だからです。何となく『法華経』にある「長者火宅の比喩」を思い出しませんか?
 それでも、人類が繁栄をしているような様相を呈しているのはなぜでしょうか?


廃棄物でいっぱい?

 現在のペースで科学技術が進んでいくと、やがて間もなく地球上が廃棄物でいっぱいになっちゃうのじゃないかと心配をしているのは、私だけでしょうか。最近は、処理ができないほど大量の廃棄物やその大気汚染などで、自然のバランスが大きく崩されていきます。そして、それらを省みない自分を含む人間のやりかたに、何となく憤慨したりもします。
 すべての人が加害者でもあり、被害者でもあるからです。

 そのようなことは、確かハワイ博物館にあった「人類の墓」という予言をした人の作品を思い出させます。もしかしたら、ハワイじゃなかったかもしれません。いつの間にか度忘れをしちゃったんです。間違っていたらごめんなさい。
 楳図かずおの『14歳』という作品に、すべての廃棄物を地核のマントルに流し込んで処理をしたために、地球が破壊されていくというような内容がありました。単にストーリなのですが、何となく近未来を予測しているようで恐ろしかったです。
 単に私だけの杞憂であればよいのですが、……


生命のあらましを知っておこう

 生命の歴史つまり生物の歴史と医学の歴史について考えてみましょう。

     ===================================
     -----------------------------======
                生命の歴史(生物の歴史)                医学の歴史
                3,500,000,000年(35億年)                  (3,500年)
                   99.9999%                        0.0001%

 上の「生命の歴史」と「医学の歴史」を見比べてください。「=」で示したところが、その期間です。医学の歴史は、「医薬の歴史」と考えてもかまいません。ヒポクラテスよりもかなり以前からとしても、せいぜい3500年前からです。それに比べて、生命の歴史は35億年もあります。
 それぞれの期間をパーセントで比較をすると、まったく医学のなかった時代のほうが長かったように思います。そして、私たちの生命の歴史には、ほとんど医学がなかったことに気づきます。つまり、病院も医者も薬もなかった時代です。

 病院にいくことを嫌う人がいます。おそらく、その理由は
(1) 上記のように医学のなかった時代を遺伝子が記憶していて、医学以外の療法に頼ろうとしている。例えば、ホメオスタシスなどです。
(2) 人はそれぞれ異なっていて、個人差が大きい。個の存在として考えると、血圧、体重、運動量などはどのくらいが正常化などと一概には言えない。
などと考えるからではないでしょうか。

 なお、「健康とはなんでしょうか?」章の「医学の歴史?」節も参照をしてください。同じ内容のことが、別な角度から書かれているはずです。


ヒト科ヒト

 「ヒト科ヒトは、500万年ほど前にピグミー・チンパンジー(ボノボ)とコモン・チンパンジーの祖先から分離したチンパンジーの仲間である」と言います。
 多摩動物公園へ行って、オランウータンやチンパンジーを観察していると、いつまで経っても興味がつきません。学問的なことはわかりませんが、オランウータンが個として優れているように思えるのに対して、チンパンジーは集団で行動することに優れているようです。
 いずれにしても私が観察をしているときに、何となくオランウータンやチンパンジーたちも、私を観察しているように思えてなりません。

 「ヒトが出現したのは、太陽系創成から46億年後」と言います。また、宇宙誕生から100億年以上経ってから、地球に最初の生命が現れたようです。それは、地球が生まれてから10億年ぐらいしてからのことです。そして、人類の出現はその生命の誕生から36億年も後のことです。
 というようなことを聞いても、何が何だかわかりません。つまり、実感できないからです。もしかしたら、いずれかの文章が間違っているかもしれません。あるいは、すべてが誤りかもしれないのです。しかし、ある程度は概念として知っておくことが必要でしょう。


ヒト科ヒトの系統

 私たちはヒト科の中で、唯一の種です。
 人間の系統を確認のために、以下に示してみましょう。

   界 = 動物
   門 = 脊索動物
   亜門 = 脊椎動物
   綱 = 哺乳動物
   目 = 霊長類
   科 = ヒト
   属 = ホモ
   種 = サピエンス

 なお、脊索動物とは脊索のある動物をいいます。脊索とは、個体発生途中の脊椎動物や原索動物の背部にできる支持器官のことです。ヤツメウナギでは終生見られるが、魚類以上の脊椎動物では成長するにつれて退化をします。
 また、霊長類とはサル目の哺乳類の総称です。全動物の中で最も進化した一群で、サル類とヒト類を含んでいます。大脳がよく発達していて、知能も高い動物です。


人間のあらましを知っておこう

 最初に人間を観察して、物理的な数字などを知っておきましょう。
 むろんそれらは平均的な数字ですが、それでもそれらを知っていると、今後どうすればよいかが何となくわかるからです。また、それによって自分自身の身体を正常に機能させるための方法などが、それとなく明白になってくることもあるでしょう。

 結論から言うと、私たちが日々健康に生きていられるほうが不思議なほどなのです。つまり、人体の複雑さ・神秘さなどを考えると、あなたは「日々健康に生きている」ことのほうが不思議になってきませんか?
 また、五体満足に生まれてきたのが、何とも大きな幸せのようでもあります。

  細胞  数十兆個
  体内微生物  数兆個

 人間は、およそ50兆個の細胞で構成されているわけですが、最初から50兆個だったのではありません。生命を受けた時点では、受精卵というただ一個の細胞でしかなかったのです。それが、次々に倍々となって50兆個で安定をしたのです。何とも不思議なシステムになっているので、驚嘆します。
 また、私たちの身体には、内臓があります。五臓六腑などともいいます。そして、それらの調子が悪かったりすると四苦八苦をするのです。

 毛細血管は、地球を1周するほどの長さなのです。そして、一人当たり2.5~4リットルの血液があり、その中には4グラムの糖が含まれています。

 食べ物の外にも、生きていくのに空気はどうしても必要です。どのくらいだと思いますか?

  1日に口にする空気の量  20キログラム(ご飯100膳分くらい)
が必要といいます。

 大変な量だということがわかります。そして、その空気は清浄でなければなりません。しかし、その清浄さも近年になって、全世界的に危ぶまれてきているのです。
 人体は皮膚によって外界と接しており、内部の臓器を守っています。あったり前のことですね。

  体表面積  1.5[m2]
  肺胞面積  90[m2]
  腸管面積  200[m2]……体表面積の実に130倍もあるんです。

 なお、皮膚と腸管がともに人体で外部に接触している器官なのです。

 も不思議な器官です。
 人体には、206本の骨があるといいます。そして、その骨々を500ほどの筋肉で動かしているのです。206本といいましたが、実は生まれたてはもっと多くに別れていて、約300本だそうです。それが成長にともなって、つながっていくのです。
 私たちは、専門家でもないかぎりそのようなことも意識しないで日々暮らしています。
 旧約の『伝道者の書』に、あなたは<体内の骨々のことを知っているか>というようなくだりがありました。

  脳が記憶する項目の数  15兆項目

 いま仮に寿命を70年と考えると、その間に記憶する項目は、何と15兆項目といいます。なぜそのようなことが可能かというと、脳が150億個の神経細胞から成り立っているからです。


心と身体=こころとは=身体とは

 一人の人間について、その「こころと身体を別々に考える」ことがあります。もともと分離するわけにはいかないものでしょうが、そうしたほうがわかりやすいからです。単に精神的な問題を考えるときと肉体的な問題を考えるときに、その方向から人間を観察するということなのでしょう。

 ギリシアで言われた「健全な肉体に健全な精神が宿ればいいのだが、……」ということは、「身体が健康な人でもその考え方がなってない」というような指摘だったようです。それが間違って伝えられ、「健全な身体には、健全な精神が宿る」となってしまったようです。しかし、そうとは限らずに逆の場合が多いので、ギリシアの哲人は嘆息をしたのでしょう。

 ボケ防止にも同じようなことがいえるのではないでしょうか。
 肉類を取りすぎた健全な老人は、健全な精神が宿らずにエッチな性格になる場合があるといいます。なぜならば、消費カロリーよりも余分な栄養を摂るので、精力が余ってしまうからです。
 なかなか心と身体のバランスは難しいようですね。

 ついでに、なぞなぞを二つ。
 心があって身体がないものは、いったい何でしょうか?
 それでは、身体があって心がないものは、いったい何でしょうか?
 バカバカしい回答ですから、このページの最後に小さい文字で示しておきましょう。
 ふつう、人間の心と身体は分離できないものです。なぜならば、人間の脳は病的といってよいほどに発達をしてしまったからです。それらを分離すること自体が、脳のもつ一つの幻影なのかもしれません。


人間と神さま=人間の体験の範囲=神の範疇

 私たちは人間の身であるから、実体験のできないことはわかりにくい。
 「共観福音書」に出てくるトマスのように、「私はその釘痕(くぎあと)に、手を差し込んでみないと信じない。」と言ったところで、それを確認するのは、せいぜい自分自身の目と手の感触だけなのです。目や手などは科学的にいっても、万全ではないのです。
 現実に、見えない波長の光や聞こえない周波数の音があります。つまり、逆に可視光線や可聴周波数の音は、すべて光や存在する音の中のごく限られた狭い範囲のものなのです。そして「これがその光です。」とか「いま聞いているのが、その音です。」などと言っても、残念ながら人間の目や耳では感覚ができきません。

 また、現実に実体験をしていても、ちょっとわかりにくい現象もあるようです。
 秒速30キロメートル、つまり時速10万キロメートル強の物体の上でじっとしている自分、そして夜空に輝く何億年も前に発せられた光を見ている自分、そんなことを考えると不思議ではありませんか。それは、走っている新幹線の屋根の上にしがみついているよりも、もっと厳しい状態にあるのでしょう。また電気のスイッチを入れても1秒もかからない瞬間に点きます。
 そんな大きなスケールで、いったい誰がどうして設計をして、操作をしているのでしょうか。
 また、誰も関係などなくて偶然にそうなったのでしょうか。

 そんなあんばいですから、何となく神さまの存在を認めざるをえないようになってくる人も、中にはかなりいるのではないでしょうか。また、そのときには、いったい何を神の存在として考えたらいいのでしょうか。
 ホーキンスは「神はない」と言ったようです。また、『サイバネティックス』という本を書き残したウイーナは、『科学と神』という本で「神はある」というような書き方をしていました。もしかして、「神はない」と言った人は、その人が神を感じなかっただけかもしれません。また、「神はある」と言った人は、何かと勘違いをして「ないものをある」としたのかもしれません。


現代科学について

 確かに、現代の科学は非常に発達をしました。
 例えば、ギリシア時代に情報をマラソンによって伝えたことと、現代の光通信などを比較すると、ものすごい技術的発展があったことは事実です。それは、しかし物理的な進歩なのです。なぜならば、ギリシア時代の哲学者が考えたようなことに対して、現代人が「それは幼稚である」などとはいえる段階ではないからです。つまり、物質的なことばかりが発達をしたものの、それに比べて精神的なことはあまり発達をしていないのです。
 時代を経て現代人すべてが、ソクラテスのような崇高な人間に成長をしているとは思えません。

 私は、現代の物質科学が「存在の表面だけをなぞっているのではないか」と思って、心から危惧をしています。
 なぜならば、それよりももっと深い世界が事実存在しているのではないかと考えるようになったからです。まだ、その証明などはできないのですが、何となく感じられるのです。世界中に頻発する戦争や、社会情勢の不安などを考えると、私たちの科学の発達も、時には無力のような感じがすることがあるからです。


親算(おやざん)

 親算をご存じでしょうか?
 ちょっとネズミ算や鶴亀算とも似ているので、なかなか面白い理屈です。あまりにも大きな数になるので、どこかに理論の誤謬があるのかもしれません。おわかりでしょうか?
 それは、次のようなことなのです。

 あなたには、むろん父と母がいました。つまり、二人の親がいるのです。そして、父にはやはりその父とその母がいます。また、母にもその父とその母がいるわけです。自分の父母の親は、四人いたことになるでしょう。そのようにして、10世代前の父母すべてを合わせると、2046人になるのです。
 20世代前では、209万7千150人、そして30世代遡(さかのぼ)れば何と21億4748万3646人になります。30世代というと約1000年くらい前でしょうか。

 むろん人生は1000年も続きませんから、人口のことを心配しなくてもいいんです。でも、自分がいま存在するためには、その世代までを考えただけでも21億の人が関係をしたというのです。つまり、何が言いたいかというと「多くの人がいて、初めて現在の自分がある」ということなのです。親になっている人々、つまり祖先に感謝をしなければならないという意味もあるでしょう。

 そこで、私は「自分は幸福な人間である。」と思うようにしています。
 なぜ「自分ほど幸福な人間はいない。」といわないかというと、考えてみればすべての人がそういう状態だからです。出生の確立についても、大いに感謝していますが、その他に「食べ物や水の豊かな国にいること」、そして「身体の状態が今のところよいということ」、つまり心というか遺伝子の乗り物が何とか安定をしていることでしょうか。


伝統を大切にする

 近年になって科学技術が非常に進んだために、私たちの生活様式が大きく変わりました。
 そして、日常の生活から考え方までが非常に変化をしました。しかし、私たちの身体自体や遺伝子などは変わっていないので、あまり変化が大きいと対応ができなくなってしまいます。そこで、伝統やしきたりなどもいっさい新しくするというのではなく、ある程度は過去のものも残しておくほうがよいのかもしれません。
 そのようなことは、ちょっと考えたら健康や幸福にどう関係するかがわかるのですが、よほど大きな障害でも起こらないかぎり、国や行政も黙っています。全体の経済の発展のほうが、個人の健康などよりも大切と言わんばかりの本末転倒です。

 西アフリカに、ウダベ族が住んでいます。その名称は「伝統を大切にする」という意味らしいのですが、「何もかも静かにやさしくゆっくりと進めよう」というのが彼らの方針らしいのです。生活は牛とそのミルクによっています。転々とあちこちを移動して、生活をしています。牛の乳で炊いたアワのおかゆを一年中食べるのだそうです。
 そして、部族はほとんどの人が健康そのものの身体をしているということです。


反復のわずらわしさ=百万だら?

 「百万だら」という言葉があります。「百万陀羅尼」の略ということですが、くどくどと同じことを繰り返すことをいいます。そのお経を百万回も唱えるということからできた言葉です。そんなに大きな回数を数えるのには、ふつう数珠(じゅず)を使うのです。
 よく反復が煩わしいと言う人がいます。また、同じことを3回言って友を失ったという話をかつて聞きました。
 しかし、実際にはそうなのでしょうか。
 イエスもペテロに、まったく同じことを3回も反復して聞いたりしています。

 さらに、人間の身体のことを考えると、反復をすることがむしろ当然のことと思われるのではないでしょうか。
 心臓や肺の活動から始まって、日々の食事や睡眠など、さらに一年の行事なども同じことの反復といえば反復なのでしょう。社会活動でも交通機関などの一日も、日々まったく同じパターンの繰り返しです。元来、反復をすることが生活の基調なのです。
 人間の身体には、遺伝子にある反復の記憶によって心臓や肺が動いていますし、交通機関にはダイヤなどの時刻表があって、それに合わせて時間が進んでいきます。むしろ、それらをくどいと感じるほうが、かなりの思慮不足なのでしょう。人間の一生などは、単に反復に過ぎないのでしょうか。そして、その反復はたいがいの場合、愚かなことの連続のようです。

 ヘミングウエイの『日はまた昇る』は、「旧約聖書」の『伝道者の書』をモチーフにしています。その『伝道者の書』は、かなりペシミズム(pessimism)な内容で、反復する物事を悲観的にとらえる思想傾向のようです。つまり、厭世(えんせい)主義に近いものがあるようです。

 私は目が悪いので、あまり読書はしないでカセットの朗読などを寝しなに聞くことにしています。同じ内容でも、10回くらい聞くと、作品自体のよさがわかってきます。それと同時に欠点やボロも見えてきます。最初の数回では、気がつかなったことが次第にわかってくるのです。
 また、ある箇所が読まれているときに、その先も知っていますから、ストーリの考え方が深くなるのです。そして、反復をするごとに新たな発見などがあって、なかなか楽しいものです。おそらく学校の先生の講義や僧や牧師の説教なども、同じことを繰り返しているのでしょう。


長期的に健康を考えよう=ダイオキシン=アスベスト

 ダイオキシンが問題になる以前は、企業や個人向けにに小さい焼却機の設置を推奨して、国がそのために補助金まで出しました。そこで、中規模の事業所や学校などで、盛んに小型の焼却機が導入されたものでした。しかし、小型焼却機で燃焼をさせるときにダイオキシンが発生するという問題が発覚して、そのよううな計画はすべて中止になりました。

 アスベストの問題も、古くから取り上げられていました。しかし、その当時はまだ肺ガンが問題にされることはなく、塵肺(じんぱい)という病気・症状の問題でした。当時の建物は、ほとんどのところがアスベストの板で天上を貼ったり、アスベストを粉状にして天上や壁に吹き付けたものです。それが、何年かして大問題になったのです。

 戦後のある時期には、身体に大量のシラミがいるということで、小学生は定期的に頭の上からDDTの粉を振りかけれれたものです。おそらく、GHQの衛生指導があったからでしょう。今考えると、まったく危険なことを非常識なためにやったものと、つくづくと思います。あなたが60歳代でしたら、もしかしたら記憶にあるかもしれませんね。

 私は、昭和39年(1964年)に学校を卒業して、製紙会社に入りました。
 そして、そこではPCB用紙というのを作っていました。初期のノン・バックカーボン用紙で、青い色に変色をするコピーペーパでした。その原料は、どろどろになった牛乳状のものですが、当時はそれに手で掬ったりして溶け具合を見たものです。その後、ガンの発生をうながす物質だということで、生産停止になりました。

 健康の問題に関しては、長期的に考えて慎重に対処しなければいけません。後で取り戻しが効かない問題が、かなり多くあるからです。安全か安全でないかがわからないときは、もしも安全でない場合のことを考えておくべきでしょう。用心をするにこしたことはないからです。
 とくに自分で選択ができる食べ物については、万全の注意が必要です。


傾向を知って対策をたてよう

 人間のあらましを知ったところで、次に自分自身の特徴を把握しましょう。
 人間には各自大きな個人差があって、いちがいに言えないことが多いからです。したがって、平素より自分自身を知って、病気に具えなければいけません。かつて「傾向と対策」という旺文社の受験シリーズがありました。「傾向」を知って「対策」を考えるのです。それは、健康についても言えることで、自分自身のユニークな傾向をあらかじめ知っておきたいものです。

 つかれたときに出てくる症状などは、個人差が大きくどう対処したらよいかはむろん違います。すべて医者にかかればいいのでしょうが、知人の話によると医者にかかってもダメなときもあるようです。
 例えば、本の読み過ぎやパソコン画面の見過ぎでなった飛蚊症などは、しばらくすると治るものです。しかし、その知人は「網膜剥離の前兆もあるので、精密検査をする」ということでした。危険性があるというので、驚いて検査を受けたのですが、結果的には「何でもない」ということだったそうです。

 つまり、自分自身の傾向を知ることによって、医者にかかるべきかそうでないかの判断ができるようになります。それは自分の症状について、対策がたてられることになるので、ムダな心配が少なくなるのです。心配をすること自体が、病状を悪化させることを考えると、心配をしないのがベストな方法だということもわかるでしょう。

 ちょっとした変化の傾向を知って、早め早めに対策をたてることが、健康維持にかかせないことということが、誰にでも理解できる健康維持の原則なのです。


頭がキリキリとする

 頭がキリキリと痛むときがあります。
 そのようなときは、何もしないで安静にしているのがよいようです。非常に大きな問題をかかえているときと、一時的なことがあるからです。様子を見て、すぐに治ってしまえばとくに問題はないでしょう。
 しかし、繰り返すようでしたら専門医の診察を受けなければなりません。


風邪や下痢などにかかったら?

 風邪や下痢などにかかって、それが比較的軽い症状のときは、食事の量は少ないほうがよいようです。つまり短期間の病気のときは、栄養のある食べ物をとらないほうが治りやすい場合が多いのではないでしょうか。なぜか、そのようなことが昔から言われています。

 したがって、「病気だから、うんと栄養をのあるものを食べて、身体を元気にしなさい。」というアドバイスは必ずしも正しくありません。軽い病気のときと重病のときでは違った結果になるでしょうし、もともと個人差が大きな問題ですから、注意をする必要があります。
 自分自身の場合がどうなるかを常日頃から知っておくことが必要でしょう。


目を大切にしよう!

 目は大切な器官です。
 別の項にある
   目がチクッとする=毛細血管が詰まる?
   目の中にほこりのようなものが見える=飛蚊症(ひぶんしょう)?
のほかにも、
   パソコンの画面の1行の文字が曲がって見える。
   上を見ると、天上がゆっくりと降りてくるような感じがする。
   滝の裏のような水中が見える。
などがあると、問題です。
 ちょっと休めば治るときが多いのですが、心配なら一度眼科医に相談をすればよいでしょう。

 なお、目を休めたり、眼をいたわる工夫をすることも大切でしょう。
 ここで、目を休めると言っても、眠って休めるだけが解決ではありません。例えば、電車の最前部に乗って、運転席を通して前方の景色を見ます。すると、かなり遠方を見ていることになりますから、目の焦点距離が長くなって健康によいといいます。むろん、景色は次第に近づいてくるわけですが、絶えず遠方を確認していると、目の疲れが次第にとれてくるようです。

 さらに、何にもつかまらず股(また)を少々開いて立っているのもよいでしょう。そのようにすると、身体のバランスを保つことになって、やはり身体には好ましいことかもしれません。急ブレーキをかけたときやカーブのときに安心なように、どこかに掴(つか)まる用意だけはしておくほうがよいでしょう。


目がチクッとする=毛細血管が詰まる?

 ときどき目がチクッとすることがありませんか?
 それは、おそらく目の毛細血管に何かが一瞬だけ詰まったのではではないでしょうか。目の毛細血管は人体でも非常に細くなっている部分といいます。したがって、血液がどろどろしていると、詰まってしまうのかもしれません。
 あまり回数が多いようでしたら、まず眼科医の診察を受ける必要があるでしょう。


目の中にほこりのようなものが見える=飛蚊症(ひぶんしょう)?

 目の中にほこりのようなものが見えることがあります。おそらく、網膜の上に何かがあるのでしょう。危険性のあるものとそうでないものがあるようです。心配であれば、眼科医の診察を受けてください。とくに、青空などを見上げると誰にでも多かれ少なかれあるものです。

 しかし、誰かに見られているような感じを受けたり、それが奇妙に感じられるときもあります。そのようなときは、もしかしたら精神的な異常などの問題があるのかもしれません。いずれにしても、それにこだわるようでしたら、何か危険がひそんでいるのかもしれません。
 なるべく常日頃から注意をして、そのようなことを問題にしなくてもよい身体の状態でありたいものです。


耳も大事にしよう

 よくイヤホンで音楽を聞く人がいます。電車の中などで、大きな音が外に漏れているのに、本人は平気です。そのように大きな音で聞くと、そのときは快感が得られますが、やがて難聴になってしまうでしょう。とくに、高域を聞く機能がだめになりますので、低い音しか聞けなくなってしまいます。そんなことにも、注意が必要です。
 そうなると若い人でも、「ええっ」「ええっ」などと言って、聞き直すようになってしまうことが多いようです。


脳の病気に気をつけよう!

 脳の病気は致命的なダメージを与えるので、とくに注意をする必要があります。
 脳の重大な病気としては、
(1) 脳出血
(2) 脳梗塞(脳軟化症・脳血栓も同じ病気です。)
(3) くも膜出血
などがあります。
 なお、この(1)から(3)までの症状は、かつて一口に脳溢血(のういっけつ)といわれた病気です。


脳に関する問題=脳に対するインプットとアウトプット

 まず、脳が何であるかということを理解しておかなければなりません。
 その上で、「脳が一種のアンプリファイヤー」と考えると、すでに狂ってしまっている場合が多いのではないでしょうか。なぜならば、ふつう小さなことでも加速(アクセレーション)または異常増幅(サチュレーション)してしまって、本人にとっても社会的にも重大事を引き起こすことが多くなったからです。
 また、この逆のことも言えるでしょう。

 いずれにしも、脳は私たちの中にあるのですが、何となく不気味な存在なのです。
 若いときはともかく、高齢になると脳に関するインプットよりもアウトプットを考えなければなりません。つまり、健康や老化予防には脳からのアウトプットが大切なのです。

 例えば一日中テレビを見ていたり、新聞を読んでいると、受け身になってインプットが多く、むろん批判などのアウトプットはありますものの脳の活性化は少ないでしょう。むしろ、能動的に日記を付けたり物を作ったりするほうが効果的です。老いてくると一般的に、「入れる」ことよりも「出す」こと、「もらう」よりも「与える」ことが日々の生活に好ましくなってきます。なぜならば、先が短くなった「有限の身」で「無限に望む」ことは何とも危ないことだからです。
 自分のもっている知識をフル活用して、脳のリフレッシュを図るのが最善でしょう。


グルミューとペルオキシゾーム

 あまり聞き慣れない言葉ですが、私たちの身体には「グルミュー」と「ペルオキシゾーム」とがあります。いずれも、退化をしてしまって現在ではあまり問題にされることがない器官なのです。グルミューは「静動脈吻合枝」と訳され、ペルオキシゾームは「化石小器官」と訳されるようです。
 もしかして違っていたらごめんなさい。「吻合枝」の「枝」は「つきへん」かもしれません。

 グルミューは皮膚の下にあって、毛細血管よりも細い部分でもともと血流を制御する器官です。例えば、急に寒いところに行ったりすると、そのグルミューが機能をして、血液を一時バイパスさせることによって体温などを保護しようというのです。つまり、身体全体に対する一種のサーモスタットのような働きをするのではないでしょうか。
 しかし、グルミューが正常に機能する人はチアノーゼにはならないようです。私も、グルミューを回復させたら、四季をとおして、上下各2枚、計4枚で問題なく過ごせるようになりました。チアノーゼになったこともありません。
 なお、チアノーゼとは寒さのために身体が紫色になることをいいます。血液中の酸素が一時的に減少するときに起こる現象です。

 ペルオキシゾームは、もはや無視されてしまったような器官ですが、ガン・高血圧症・痛風などの根本的な発症原因とも言われます。あまり問題にされなかったのですが、「ロレンツオのオイル」という映画では南海の島で感染をしたかもしれない息子の症状に対して、母親が熱心に調べていくうちに到達した結論であり、原因でもあったようです。
 実は、『人体の世界』という本の194pに説明がありましたが、その本が見あたらないので詳細なことがわからないのです。正直なことを言うと、その本がどの本なのか忘れちゃったのです。ここには、そのメモが残っているだけなで、……
 しかし、もしこれらの器官が正常に機能をしているならば、私たちの健康状態も大きく変わってくるのではないでしょうか。

 なお、グルミューについてはこのページの
  「健康とはなんでしょうか?」(節)にある「グルミューが機能しなくなった日本人」
も参照してください。


サルモネラ菌と腸炎ビブリオ菌

 食べ物には菌が付着しています。むしろ、私たちの回りは菌だらけといってもよいでしょう。
 サルモネラ菌と腸炎ビブリオ菌とは、何となく私たちに身近な菌なのです。
 サルモネラ菌は、腸チフス・パラチフス・食中毒などの原因となる腸内細菌の一群です。飲食物や手指などに付着して経口感染をします。菌自体は生卵の中などで繁殖をするので、割った卵を放置しておいてはいけません。

 腸炎ビブリオ菌は、その繁殖に塩分が必要です。10℃~60℃くらいの間で繁殖をしまが、塩で殺菌できない種類もあることを認識しておく必要がありそうです。


歯周菌を繁殖させないように!=歯槽膿漏の予防

 高齢になると、どうしても歯の根本に歯周菌が住み着いてしまいます。そして、やがて歯がぐらぐらになって抜け落ちてしまいます。歯自体の病気ではなく歯根部の異常ですから、なかなか治りません。したがって、若いころからの注意が必要なのです。


白癬菌にも注意をしよう=水虫、爪白癬の予防

 最近になって水虫の人が増えています。中には若い女性でも、重度の水虫の人がいるようです。
 さらに水虫の原因である白癬菌の浸食が進んで、爪の内部に入ることがあります。爪白癬といいますが、足の親指などが異常に厚くなって、見た目にも醜くなってしまいます。痛さなどはないのですが、黒ずんできたり分厚く変形をするので早期に治療が必要です。

 ほんとうは素足でいるのが予防にはいちばんよいのですが、そうもいかないでしょう。五本指の靴下というのが売られていますので、それを利用するのもよいでしょう。ちょうど、軍手の靴下版といった感じのものです。ちょっと分厚いので、靴がきゅうくつなときは靴のほうを大きめなものに変えます。
 靴の中で、足指が変形をしないようにしなければなりません。したがって、靴の形状には注意をする必要があります。あまり先のとがっていないもののほうが、不格好になっても足のためにはよいでしょう。

 爪白癬になってしまったら、塗り薬ではなかなか治りません。皮膚科の医者に診てもらって、飲み薬を処方してもらうのがよいようです。しかし、飲み薬には副作用があるので、それを面倒に考える医者は投薬をしません。そんなときは、別のところへ行って相談をする必要があります。内服薬でも、やはり半年くらいの期間が治療に必要なので、どうしても厄介な症状といえるようです。


腸内細菌のことを知っておこう!

 私たちの身体には、約100種類、100,000,000,000,000個つまり100兆個の細菌が腸内に住んでいるといいます。
 これは驚くほど膨大な数です。大腸菌などがいることはわかっていたのですが、最近になって腸内細菌が人間の消化作用を微妙に助けているというようなこともわかったようです。ですから、すべてを滅菌してしまうと健康を維持できなくなってしまうのです。
 むろん中には有害な菌とそうではない菌がいます。善玉菌とか悪玉菌などと呼び分けをすることもあるようです。中には、日和見(ひよりみ)菌といって人体が弱るのを待って活躍をする性質のものもあるから困ったものです。

 ついでながら、便つまりウンコのことについて書いておきましょう。
 玄米食などを始めると、驚くほどのウンコが出るようです。ムニュムニュ~ッと大量に出るので、そんなに食べていないと不思議に思うのです。そのようなときは、ウンコが何でできているかを考えてください。

 ちょっとバッチイ話ですが、ウンコは
(1) 食べたもので消化をできなかった残滓(ざんし=かすのこと)。
(2) 腸内細菌の死骸。
(3) 腸内細菌が食べたもので、腸内細菌が消化をできなかった残滓。
などで構成されます。
 玄米は腸内細菌にとって大ご馳走ですから、(3)が増え、そして世代交番の結果(2)が増えるのです。その結果、驚くべき量と大きさになるんです。


体格指数(BMI)と標準体重と体脂肪率

 体格指数(BMI)という言葉があります。

   体格指数(BMI) = 体重(Kg) / 身長の二乗(m × m)
で与えられる数字です。
 仮に、身長を147(cm)つまり1.47(m)としましょう。この値は、ほぼ一定ですから、この人が

   50(Kg)のとき  50 / (1.47 × 1.47) = 23(ふつう)

   47.5(Kg)のとき  47.5 / (1.47 × 1.47) = 22(ふつう)

   45(Kg)のとき  45 / (1.47 × 1.47) = 21(ふつう)
となります。
 そして、42.5(Kg)のときに20弱となって痩せ気味になるのです。

 この判断基準は、
   < 20   痩せ気味
   ≧ 20 ~ < 24  ふつう
   ≧ 24 ~ < 26.4  太り気味
   ≧ 26.4   太りすぎ
となっています。

 とくに身体に異常を感じないかぎり、あまり体重のことを気にする必要はないでしょう。
 標準体重については、いろいろな方法がありますが、

   標準体重(Kg) = 身長(m) × 身長(m) × 22
として求める方法があります。
 私は、身長が1.64メートルですから

   標準体重(Kg) = 1.64 × 1.64 × 22
             = 59
となります。
 つまり、59キログラムだと標準になるわけです。しかし、実際には体重が83キログラありますので、24キログラムもオーバー、超デブということになります。83/59=1.40ですから、40パーセントも超過をしています。しかし、いっぽうでは体脂肪率を測定しましたら20.4パーセントで、これは標準を下回って、私の場合は「痩せ」に入っているそうです。つまり、身体に脂肪が少なくて筋肉や水分が多い体質だそうです。
 これは非常に珍しい体質ですが、プロレスラーなどにはかなり多いそうです。しかし、自分自身では筋肉が多いとは考えられませんので、水分が体内に多いためでしょう。

 体脂肪率は男の場合、30歳から69歳までの平均は、17 ~ 23パーセントだそうです。
 そして、
   軽度の肥満は、25 ~ 30
   肥満の場合は、30 ~ 35
   極度の肥満は、35パーセント以上
ということです。(1999.10.14 唐木田福祉センターにて)
 女性の場合は、上記と少し異なっていますので注意をしてください。


肥満とは?

 「肥満」とは、身体の脂肪組織の量がふつう以上に増加した状態をいうそうです。
 レスラーやボクサーなどのような筋肉組織の増加による体重の増加は、「過体重」(over-weight)といって肥満ではありません。また、浮腫などによる病的な体重増加も、むろん肥満ではないのです。さらに、「非肥満性肥満」というのがあります。それは、体重の増加はないが、脂肪組織量が増えた状態ですから、見た目にはわかりにくいものです。
 しかし、ふつうには見た目に大きくなっているのを「肥満」または「デブ」などと言っているようです。

 生命保険会社の統計によると、確かに肥満の人のほうが死亡率がずっと高い。肥満の人には、高血圧や糖尿病の場合が多いからです。肥満者の現実として統計の結果、ほとんどの病気で太っていない人よりも死にやすいからです。保険会社で調べた結果では、肥満者の死因で少ないものは、結核と自殺だけです。他はすべてが、多くなっています。

 また、近年になって、アメリカでは「太った者は、経営者になれない」などと言うようです。
 なぜならば、そのような者は「自分で自分の身体さえもコントロールできないので、経営などはできるはずがない」という理屈なのです。しかし、食欲が旺盛であるとか、甘いものが好きなどというのは理性で司る以前の本能的なものです。また、個人差があるのでいちがいには言えません。

 チャーチルや吉田茂は、決して痩せていたとは言えません。それでも、一国の経営を担っていたのです。また、オーソン=ウエルスやヒッチコックは素晴らしい作品を残しています。彼らも、決して太っていなかったとは言えないようです。見かけではわかりませんが、意外に過体重の人は多いようです。

 実は、そんな意味で、私も過体重らしいのです。身長が1.64メートルなのに、体重が83キログラもあるからです。しかし、レスラーやボクサーのような筋肉組織はついていないようです。なぜならば、激しいトレーニングなどはしないからです。それでも、日々快調で少しも不都合を感じません。心臓の調子もよいし、糖尿なども出ていません。
 そんなわけで、健康には心配がないとも言いたいところですが、……

 ここで、心配もあります。
 体重が身体に対して大きいことは、膝の関節を痛める傾向にあるからです。だから、減量をしようと考えているのです。そのようなことは、自分自身でわかっていることですから、安心して行えます。しかし、市の定期健康診断に行くと体脂肪率も測らずに、別な観点から脅かします。そのときは、膝のことなどまったく言わないのです。心臓病や糖尿病のことばかり、くどくど説明をしてくれます。
 大きな個人差があることなど、まったく考慮をしていないようです。そんなわけで、還暦の年から3回ほど続けて、その後は定期健康診断をやめてしまいました。


メタボとは?

 最近になって「メタボ」という言葉が、よく使われます。しかし、それでは「メタボとは何か?」と聞かれたら、正確に答えるのはちょっと難しいでしょう。「メタボリック シンドローム」または「メタボリック症候群」の略語が「メタボ」なのです。
 メタボリックシンドロームとは、
(1) 内臓脂肪型肥満+高血糖
(2) 高血圧
(3) 高脂血症
のうち二つ以上を合併した状態なのです。


健康診断の驚くべき結果

 私は現在の住宅へ移ってから、引っ越しに伴う整理や前からの雑務で何となく忙しく、ようやく最近になって落ちつきました。二間(ふたま)しかない公団の賃貸住宅ですが、気持ちのとても安まる毎日です。晴れた日は富士山がくっきり見え、何とも爽快です。朝夕には鷺(コサギ、ダイサギ、まれにアオサギ)や鴎(ユリカモメ)、さらに鵜(カワウ)などが、それぞれ小さな群れになって、窓から見ている目の高さで飛んでゆきます。

 また、朝昼晩、日に三度、時を知らせる鐘が近くの寺から響いてきます。
 そのような修道院というか、あるいはたこ部屋、さらには監獄のような狭いところで、いわゆる修行のような充実した生活をしております。そんな中でも、以前から多くの方々のご指導、ご協力をいただいて、ここ数年がかりで「脳の老化防止」つまり「心の活性化」の方法を何とか確立いたしました。そして、その試行テストを数人のグループとともに試みています。

 その後、還暦の年に受けた市の無料健康診断で、医者から驚くことを宣告され、改めて不安になるという出来事がありました。そこで、何とも付け焼き刃のようでお恥ずかしい次第ですが、さっそくあれこれと「健康法の勉強」を始めた次第です。なぜならば、私もとうとう年金生活者になったので、病気や怪我をして人に迷惑をかけたくないからです。また、充実をした日々をこれからも過ごすために、いろいろと工夫や努力を自分自身でしなければならないと考えたからです。

 市の健康診断の結果として、とくに異常がなかったことは今までも配慮からも当然で、自分としても結果がわかって何ともうれしかった次第です。しかし、驚くべきこととは若い担当の医者が、何気なく言った次の言葉なんです。
 「このような状態が続けば、もしかしたら百歳まで大丈夫でしょう!」
 これは、私にとって青天の霹靂、まったく驚いたことです。私は、かねて祖父や父の死んだ歳などから、せいぜい70歳、運がよければ80歳までもったらいいんじゃないかと考えていました。それが、100歳などと言われたので、まったく慌ててしまいました。

 そして、にわか「健康法の再調査」になったのです。
 しかし、例えばいくつかの疑問を解決しようと思い、いろいろと調査をしてみましたが、はっきりわかりません。もしも、何らかの好ましい方法をご存知でしたら、どうぞご教示・ご指導ください。また、日々健康で楽しく過ごすためにあなたが行っている事柄で、もっとよい方法があったら、どうかお知らせください。さらに、お気づきのことや疑問があったら、ご面倒でもご連絡ください。よろしくお願いいたします。

 次のような症状にならずに、健康で安らかな日々を過ごす方法。いつまでも自分の足で歩くことができ、自分自身の思考が健全でありたいからです。
(1) よいよい(中風)・半身不随・寝たきり
(2) 痴呆(ボケ)・アルトハイマ・恍惚の人
(3) ガン・悪性腫瘍・アレルギー

 具体的な方法に関する疑問の例としては、(他にも多くあるのですが……)
(1) 食べ物に関することがら
   ココアを飲むと健康によいか?
   ほうれん草を食べるのは、健康によいか?
   玄米を主食にすると、身体が丈夫になるか?
(2) 運動に関することがら
   ゆっくり歩く(ぶらぶら歩きをする)と健康によいか?
   ジョギングをして汗ばむのは、健康によいか?
   プールで水泳をすると、身体が丈夫になるか?
(3) 生活習慣に関することがら
   遅めに夕食をとって、その後ですぐ眠るのは健康によいか?
    (胃腸の負担を軽くして、消化を完全にする)
   水道水を冷たいままで多量に飲むのは、健康によいか?
    (身体、つまり血液や細胞などを浄化・活性化する)
   板の間に毛布を敷き、薄い掛け毛布、枕なしで眠るのは、身体によいか?
    (せんべい布団の上に仰向けに寝ることによって、脊椎を矯正する)
(4) 身体の清潔に関することがら
   塩で歯を磨くのは健康によいか?
    (口内の殺菌と消毒、および歯茎(はぐき)のマッサージをする)
   石鹸で身体を洗わないようにするのは、健康によいか?
    (皮膚や毛穴の保護をして、衰えたグロミューを回復する)
   風呂の湯に塩または酢などを入れると、身体が丈夫になるか?
    (血行をよくして疲労の防止・回復、また風邪を予防する)
などです。


自分自身の身体の観察=日々の自己チェック

 身体の状態は個人差によって、かなり異なっています。つまり、人それぞれに異なるのです。したがって、自分に合った健康法を見いだし、いつまでも楽しく若々しくありたいものです。そんなためにも、日々行う自分自身の身体の観察が必要なのです。そして、自分自身の状態を知っておかなければいけません。

・ 足の膝と踝(くるぶし)の中間ぐらいの前の部分を人差し指で押してみる。すると、へこんだままでなかなか戻らないときがある。そのようなときは、脚気気味なのかもしれない。ふつうは、張りがあってすぐにへこみがなくなり、元の状態に戻る。

・ 口の中の状態


自分にあった健康法の確立

 それでは、いったい何をどうすればよいのでしょうか?
 健康が大切なことはわかりますが、具体的に何をどうすればよいかがわからないのです。あまりにも環境の変化が激しいので、私たちの身体が適応できない状態になっていることは、何となくわかるようです。しかし、その中にいると、気づかないのです。ちょうど、その状態は台風の目に入ったようなものです。とにかく大変革の中にいることだけは、何となくわかるでしょう。

 前に述べたように、あまりにも多くの情報があって、しかもそれらの中には、まったく反対のことをいったりしているので、どれが自分によいのかもわからないのが、現実ではないでしょうか? ひっきりなしに走っている救急車、次々と報道される新しい病気や奇病などのニュース、異常気象による世界中の大被害、そんなことを数え上げると、何だか憂鬱になってしまいます。
 さらに理由のない犯罪や、若年者の犯罪なども増えているようです。それは、価値観までが失われてしまった現代の病んだ現象なのでしょうか。やがて、誰もが右往左往する日がくる気配さえあるのです。

 一人一人は、すべて異なっています。ちょうど、顔が異なっているようにです。
 しかし、誰にも目があって鼻があり、耳があって口があるのが普通でしょう。そして、そうは言っても、厳密に見ると千差万別、人それぞれに異なった特徴があるのです。その特徴、つまり個人差に合わせた細かい対応が、今後は必要になってくるのかもしれません。すべてを一律に考えるような教育や、競争をさせて勝ったものだけを優遇するやりかたは、行き詰まってしまうでしょう。そのような現実のしくみは、私には理解ができない方法のように思われてしかたがありません。

 人間であること自体が憂鬱の原因であったら、何とも憂慮しなければならない時代です。しかし、反面では誰もが「人間であることがうれしい」と思うようになると、身体が病みにくくなることでしょう。
 宮沢賢治の短編に『どんぐりと山猫』というのがありました。
 それぞれが、それぞれの状態に満足をして、それなりの努力を続けていくのが、いちばんいいんじゃないでしょか? むろん、自分自身が努力を続けていくためには、自分自身の健康を自分なりに考える必要があるでしょう。

 ドングリと山猫』……誰がいちばん偉いかを互いに譲らないドングリたち。彼らは「大きいのが偉い」とか「光っているのが偉い」とか「まんまるなのが偉い」とか言い合ってきりがない。そこで、依頼をされた山猫が裁判官になって、判決をする。
 判決文「お前たちの中で、つぶれて、腐りかかって、見る影もないのがいちばん偉い!」


歩く健康法=歩くことのメリット=歩行による健康維持

 歩くことは、想像以上に健康にメリットがあるようです。
 また、精神的にもよいようです。「逍遥」ということばがあります。ぶらぶら歩きのことです。そのぶらぶら歩きの途中で、哲学的発想などができるからです。個人差があるのでいちがいには言えませんが、1日に4キロメートルくらい歩くのがよいようです。
 前方に歩くだけでなく、後方に歩くのも効果的です。つまり、バックをするのです。そのようにすると、バランスや平衡感覚を養うことができるでしょう。また、腹筋にもよいようです。バレー(踊り)の練習にも、後ろ歩きがあるようです。 

 また、歩くことは心臓にもよいのです。なぜならば、足のふくらはぎが心臓のペースメーカーの役目をするからです。血液の循環がよくなれば、身体のコンディションもよくなるでしょう。
 歩くこと自体は、カロリーを消費するというよりも気分的な問題に効果があるようです。なぜならば、1万歩歩いたとしても消費熱量はせいぜい300キロカロリー程度だからです。これは、摂取エネルギーに例えていうと「ざるそば一杯分」でしかありません。


ころばないようにしよう

 歳をとると、よくころぶようになります。
 なぜならば、加齢によって運動神経が鈍くなるのと、歩くときに足をあまり上げないので、物に引っかかることがあるからです。そして、転んだときに足の骨折をしてしまう人もいるようです。そのようにして足の骨折をすると歩けなくなることが多く、寝たきりになってしまいます。そして、そのまま「おしめをする生活」になったりしますので、とくに注意が必要です。

 よく足下を見て歩くとともに、ズボンのポケットには手を入れないでください。ポケットに手を入れた状態ですと、いざというときに身体の保護ができないからです。とくに、エスカレータの下りに乗るようなときには、注意が必要です。
 また、階段のときは手すりのある側を選んで、もしも転びがかったときには、すぐに手すりがつかめるように、手を手すりのそばに用意しておくとよいでしょう。むろん、上りも注意をしなければなりませんが、とくに下りのときは大怪我をしやすいので気をつけてください。


お医者さまにかからない方法(予防の大切さ)

 もしも、このページをご覧になっているお医者さまがいらしたら、ごめんなさい!
 ここでは、予防の大切さということで、いくつかの例を示しておきましょう。

 腰痛を出なくする方法

 腰痛は、中年から非常に起こりやすい現象(?)です。何とか、腰痛を出さないことを考えねばなりません。長年にわたって姿勢をたもってきた脊椎が、ちょっと問題を起こしているのかもしれません。何とか、姿勢を正すことを試みてください。

 私は、寝るときに薄い敷き布団を用いるようにしました。そして、なるべく仰向けに寝るのです。むろん、敷き布団の下にマットレスなどを敷いてはいけません。また、ベッドもダメです。なぜならば、柔らかいものの上では、姿勢が正せないからです。そこで、床のフローリングの上に直接薄布団を敷くのです。そのようにして、数ヶ月を過ぎたころには腰痛が出なくなりました。
 あまり危険はないようですから、あなたも確かめてみてください。

 糖尿病からの決死的な涙ぐましいカムバック

 糖尿病も、しつこい病気です。
 糖尿病からのカムバック記録が、このページの「健康とは何でしょう?」にありました。「健康に関するQ&A」ですから、参考にしてください。

 歯と目の問題?=眼鏡について

 内科のお医者さまには、もはや20年近くかかっていません。風邪をひいたり、お腹が痛くなったりしなかったからです。むろん、風邪気味だったりしたことや軽い下痢をしたことはあります。しかし、どうしようもなくて病院に行くような状態は、一度も経験をしていません。まして、救急車などには生まれてから一度も乗ったことがないんです。
 しかし、歯と目には問題があるんです。なぜならば、学生時代の不摂生がいまだに影響をしているからです。

 歯は、新しい虫歯はありません。また、歯周病も何とか努力をして治しました。しかし、前に治療をしてアマルガムを詰めたところなどが、やはり使っているうちに取れてしまいます。そこで、1年に1回ぐらいは必ずかかりつけの歯医者さんに行くことになります。若い頃に、ちょっと注意をすればよかったのではないかと、いつも反省をしています。

 目も、学生時代に寝転がって本を読んだりしたので、両方の度合いが異なってしまって、どうしても作業には眼鏡が必要です。これも後悔をしているのですが、今さら言っても始まりません。そこで、2年ごとに検眼をしてもらい、眼鏡の新調をするわけです。
 眼鏡はもはや身体の一部として考えてもよいでしょう。長く使っていても疲れない構造のものがよいようです。とくにクリングスのところが、軽く当たるようになっていなければなりません。鼻を締め付けるような間隔ですと、疲れてしまうからです。


口の中が渇く=口呼吸の弊害

 口の中が渇(かわ)くことがあります。そのようなときは、口すすぎやうがいをしてください。
 夜、睡眠中に口の中が乾くようなことがありましたら、口呼吸をしていたのかもしれません。口を空いてねていたら、健康上もいろいろな問題があります。まず、その癖を直してください。マスクをして眠(ねむ)るのも、一つの方法でしょう。
 また、鼻つまりを完全に直すようにします。鼻洗などを定期的に行うことによって、鼻つまりはかなり直すこともできるでしょう。


歯なしにならない話

歯式(ししき)=人間の歯は臼歯門歯犬歯合わせて32本

 歯式という表記法があります。成人の歯式は、ふつう左か右の半分の上下を示します。欠けていない場合は、

   2 1 2 3
  ------
   2 1 2 3

のようになっています。
 分子にある上の歯は、門歯2本、犬歯1本、前臼歯2本、後臼歯3本ということです。また、分母のほうは下の歯で、やはり門歯2本、犬歯1本、前臼歯2本、後臼歯3本です。

 歯式から顔半分で、上下16本です。顔の右半分または左半分で16本ですから、全体で32本があります。しかし、そのすべてが高齢になっても残っている人は、まずいないでしょう。虫歯や歯周病で、抜けてしまうからです。また、後臼歯のいちばん奥の歯、つまり親知らず歯は早い時期に抜いてしまう人もいるでしょう。なぜならば、いちばん故障をしやすい箇所にある歯だからです。

 参考までに私は、親知らず4本を抜きました。そして、ものすごい八重歯であった左上の内側にせり出していた臼歯1本も抜いたのです。ですから全体の32本のうち5本がすでになく27本になっちゃいました。

 その後、歯医者さんで見てもらったら26本ということです。さらに、左の奥下のぐらついた歯を一本抜いたからです。それでも、私の年代で歯の残っている人の上位10パーセントに入るそうです。(2011年2月現在)


 なお、歯式の中央にある線は、ふつう続けて一本に書きます。
 門歯(もんし)とは、歯列の中央部にある上下各4枚の歯です。合計で8本あります。物をかみ切る働きをしますから切歯(せっし)、また前にあることから前歯ともいいます。果物や野菜を食べるときに使う歯です。
 犬歯(けんし)は、門歯と臼歯(きゅうし)との間にある尖った歯です。上下左右に1本ずつ、全部で4本あります。犬歯は、糸切り歯ともいいます。肉や魚を食べるときに使うという歯です。
 臼歯(きゅうし)は、歯列の奥にある臼(うす)のような形をした歯です。奥歯とか「うすば」ともいいます。合計で20本もあります。主に穀物を食べる歯です。

 臼歯の数が多いということと犬歯の数が少ないということは、もしかしたら人間がもともと肉食ではなくて、穀物を中心とする野菜食であったと考えられます。そうではないでしょうか。
 ついでながら、動物の中で犬歯が発達してになったものが多いようです。
 やはり、驚くほどの長い期間のうちに、よく使う歯は発達をして、使わない歯が退化をするのでしょう。そして、牙が発達をしすぎたために滅んでしまった種もあるようです。サーベル虎やマンモスが、その例かもしれません。

(注) 犬歯(けんし canine tooth)は、「犬の歯」という意味でしょう。
 しかし、人間の器官のなかで正式な名称として動物の名がついているものは、いまのところこの「犬歯」のほかに一つあるだけです。
 あなたはいったい、それが何かおわかりでしょうか?
 ちょっと言いにくい回答ですから、このページの最後に小さい文字で示しておきましょう。


歯のトラブルを減らす方法

 歯が痛いのは、何とも不愉快です。気分も、優れません。鬱陶(うっとう)しいのです。高齢になると、慢性的に歯が痛み続けるようなことさえもあるようです。原因を知って、何とか対策をたてなければなりません。

 先日、福祉センターに行ったら、ある女性から相談を受けました。(その女性は、もはや高齢者ですが、それでも昔の美しい面影が残っていて、見た限りとても素敵な人です) その人が言うには、お孫さんを抱いたときに「ばぁちゃ、お口がくさい!」と言われ、大ショックを受けたそうです。
 今までは高齢になっても、その女性が美人で気品の面影があったので、誰も言いそびれて口の中の臭(にお)いのことを黙っていたようです。口臭があったり、歯が臭(くさ)い臭(にお)いをすることは、よくあることだからです。ところが、お孫さんは正直です。
 そして、聞いてみると、どうやら歯周病のようです。歯周病は、かつて歯槽膿漏ともいって不治の病と考えたり、老人は誰でもなるなどと思ったりしました。そのような考えは、まったくの無知から始まった浅はかな結論です。たいがいの歯周病は、努力さえすれば治ります。なぜならば、私が治ったからです。

 口腔(こうくう。「こうこう」でもよい)内の臭(にお)いの原因は、主に虫歯と歯周病です。その他にも、原因として胃が悪かったりすることなどがありますが、高齢者の場合は、まず歯周病を考えてください。
 虫歯は歯が細菌によって侵されるのですが、歯周病は歯の病気ではありません。歯自体ではなく、歯の周りにある歯肉が細菌によって侵されたのです。ふつうは、痛みを伴いません。したがって、自覚症状がないので気がつかないことが多いようです。また、自分の口臭はよほどひどくならないかぎり、自分では嗅(か)げません。
 歯周病は、非常にしつこい病気です。したがって、よほどの忍耐がなければ治らないことも事実でしょう。
 なお、歯周病に関しては、

    歯周病を治すためには?

を参考にしてください。

 いちばんいい簡単な方法は、口の中、つまり口腔内の清掃です。歯はむろんのこと歯茎、舌の上下などを絶えず清潔にしておくことです。そのためには、「歯を磨く」ときに歯茎のマッサージや舌苔(ぜったい)の清掃までを同時にしてしまうことです。とくに糖分を食べたとき、肉や魚を食べたときには必要です。

 口腔内の清掃ですから、歯磨きの代わりに自然塩を用いるとよいようです。自然塩には、滅菌作用もあるからです。歯自体は、あまりゴシゴシと磨いてはいけません。すり減ってしまうからです。また、表面よりも歯と歯の間、つまり歯間を磨くようにします。歯は、前から見る幅よりも奥行きのほうが長いものが多いからです。隙間に歯ブラシの毛先を挿入して、左右に動かすのもよい方法です。
 そのようにすると、歯ブラシが早く傷んでしまいます。しかし、歯ブラシの費用は、歯周病が原因になって重病を併発し、寝込んだり入院を余儀なくされた場合の費用のことを考えると、安いものと考えて諦めなければなりません。

 なお、口腔内の清掃や歯磨きに用いる塩は、間違ったものを用いると逆効果になるので注意が必要です。私は、ここ十数年「海の精」というのを利用していますが、なかなかよいようです。


自分の身体から毒素を抜こう!

 身体から、老廃物などの毒素(?)を抜くことが大切です。また、食品添加物に含まれている化学薬品、環境ホルモンなど、そして界面活性剤などの体内に入ってしまった人体の異物は、なるべく早く体外に排出する必要があります。

 とくに、アトピーやアレルゲン、花粉症などの治療には、それが絶対に必要でしょう。なぜならば、ステロイド剤などの薬で一時的におさえても、いずれまた再発をするからです。再発したときは、前回よりも症状が悪化しているのがふつうです。そして、そのようなことを何回か繰り返すうちに、お医者さまでも投げ出すほどの不可解な状態になってしまいます。


水を飲む健康法?

 水を飲む健康法というのがありますが、ご存じでしょうか?
 朝起きたときに、多量の水を飲むのです。昔は一升瓶(いっしょうびん)健康法などといって、一部の人たちの間で流行ったものです。しかし、身体が必要とするだけを補給すればよいので、一度に多量を飲む必要はありません。むしろ、胃液が薄まってしまったりするので、食事のときに問題でしょう。
 また、最近は水道水があまり健康によくない場合もあります。飲用にする水には、注意をしなければなりません。

 もともと、水は喉が渇いたりして飲みたいときに飲めばいいのです。しかし、四六時中チビチビと飲むほうが健康によいのかもしれません。実際には、すでに人間の身体はそのほとんどが水分なのです。健康な人は、それほど多く水分を補給しなくても大丈夫でしょう。
 食事もそうですが、食べたいときに食べるのが本来の姿でしょう。時間を決めて食べるというのは、近年になって生活が非常に豊かになってからの習慣です。キケロの言葉に<腹が減ったら食う。腹が減らなければ食わない>というのがあったと思います。
 水についても、身体が欲したときによい水を飲むべきでしょう。


サウナの効用



「生老病死」と「生老死」

 「四苦八苦」という言葉があります。その言葉を聞くと、「苦し紛れになって、ふうふうしている様子」が目(ま)の当たりに浮かんできます。四苦とは「生と老と病と死」の4つを言います。それに「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五陰盛苦」を加えて「八苦」になります。元来、それらは仏教の言葉です。しかし、私たちの日常の生活にも身近です。
 なお、「苦」とは「苦しい」という直接の意味ではなく、「思うようになららい」ということです。そして、それが「苦しい」のです。

 私たちは、何とかしてこの四苦八苦を避けたいものです。とくに高齢化社会になった現在、老いと病、そして死の問題は切実です。そこで自分自身の安心のために、いわば「生老病死ハンドブック」というようなものを作っておくとよいでしょう。いわゆる自分の老後、死後のための準備とか、覚え書きのようなものです。見方を変えれば「死の準備教育」のためのマニュアルと言ったところですか。
 そして、私はできる限り「病」の期間を減らして、できたら「生老死」にしたいと、いつも思います。そして、そのための工夫が真剣になされているのです。


「六苦(りっく)」の時代?

 四苦八苦というよりも、何だか「六苦」(りっく)の時代になったようです。
 つまり、
     六苦?=四苦+二苦?
なんです。
 四苦八苦という言葉のもともとは、お釈迦様の言葉、つまり仏教の教えです。「生老病死」の四苦のほか、会いたい人に逢えない、厭な人と一緒にいる、……などの四苦を加えて八苦なんです。

 しかし近年になってから、私は四苦でなく「六苦」(りっく)を主張したいです。それは、「生・食・老・習・病・死」なのです。
 つまり、追加した2つの「苦」は「食べてはいけないものを食べる苦しみ」、そして「知らず知らずになる悪い習慣」です。
 若いころは「三苦」でありたいと思ったんですが、…… それは、「生老死」であって、病気にならないままに、死んでいきたいというんです。

 しかし、現代文明が発達した結果でしょうか、まず「食べてはいけないものを食べる苦しみ」が発生しました。それは、飽食の時代ということのほかに、食品添加物などの化学薬品を食べなければならなくなったことも意味します。味付けや防腐の目的で、食品化学が発達をしたからです。
 ある統計によると、日本人が「一人当たり1年間に4キログラムの化学薬品を口に入れている」といいます。当然のことながら、やがて体内において好ましくない現象が発生することは、もはや必然でしょう。

 一方では、交通機関や家電製品が発達したために、あまり身体を動かさなくなったための問題もあります。それは、知らず知らずのうちに不健康な状態になるからです。つまり、楽をすると身体は機能が衰えてしまうのです。なぜならば、遺伝子が対応できないために、いろいろな不都合が生じるからです。急激な変化は、やはり人体にとって好ましくないようです。
 あなたは、どのようにお考えでしょうか?


笑いの必要性=笑いのある生活を!

 笑いは、健康法の一つです。一日に何回か、大声で笑いたいものです。笑いのない生活は何となく暗く、惨めですね。しかし、深呼吸をするのと違って、ただ「わっはっは」と大声で言ってもダメ。笑いを感じる要素がなければいけないからです。したがって、そのような場に自分を置くことが必要です。

 それは、「読書」の中であってもよいし、「落語」や「万才」を聞いたりするのも一つの方法でしょう。しかし、よく注意をしてみると自分自身の回りにも、かなり「笑い」があることがわかります。もしかしたら、自分自身の存在自体が笑いといってよいほどです。さらに「マンガ」や週刊誌の4コママンガなどでも、あるいはさらにテレビの愚かしい画像でもかまいません。
 笑うということに着目すると、それらはそれなりに意義があります。一日に何回か心から笑うことが、健康に大いに関係をするからです。そんなことを言うと、笑えない現実がわかっていないとも言われそうです。

 このページにある「健康に関するQ&A」を読んでいただくとおわかりでしょうが、実に多くの箇所に笑いがあります。会話の中に笑いがあると、お互いに話がスムースに進むことでしょう。
 笑いの話題については、

    笑いの話題 健康訓

を参照してください。


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なぞなぞの答え(心と身体=こころとは=身体とは)
 心があって身体がないものは、いったい何でしょうか?……幽霊(ゆうれい)
 それでは、身体があって心がないものは、いったい何でしょうか?……死体
 バカバカしい回答で、ごめんなさい。

人間の器官のなかで正式な名称として動物の名がついている「犬歯」のほかの一つ……鬼頭(きとう)


Kuroda Kouta (2004.07.03/2015.07.09)