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 あなたが日々健康であるために!

 健康のページ(1)健康とはなんでしょう?


      音楽(BGM)は大庭 加奈子が演奏をした「パガニーニの旋律による練習曲」です。
     
 左のスライド音を小さくしたり、止められます。


 このページの内容

     健康いろは=はじめのはじめ
     はじめに=健康とは?
     不注意や無知によって病気になる?
     食べ物の変化による問題
     健康への四捨五入=健康へのアプローチ
     健康でなければ病気?
     妊婦や乳幼児に緊急なお願い
     やまいだれの文字
     救急車の出動回数=非常事態?
     病は気から
     部分と全体
     快眠・快食・快便
     健康ブーム・健康食ブーム
     食の言葉
     食事とは何でしょうか?=病気になりにくい!=一つの儀式
     『ウパニシャッド』の食
     『タルムード』の衛生観念
     病気は犯罪か?=サミュエル・バトラー『エレホン』
     貝原益軒のことば=少食 多齟 ……
     杉田玄白のことば=養生七不可
     健康と個人差
     イルヘルス・日和見菌
     活性酸素に注意しよう!
     偏食の問題
     バクテリアとウイルスの問題
     健康全般に関するQ&A(十問十答)
     ガンジーの健康論
     医学の歴史?
     火食をするようになった人類
     生活習慣を変えた日本人
     靴を履くようになった日本人
     グルミュー(グローミュー)が機能しなくなった日本人
     日本人の墓地に関する考え方
     食べ物の大変革を行った日本=現代は壮大な実験中?
     人体内の『複合汚染』?
     塩と砂糖と化学調味料など
     ウンコの成分
     オシッコの成分
     何を信じてよいのやら……お大事に!
     健康や病気や生活習慣についての諺や格言
     卵の話=NON-GMOとPHPって知っている?
     老いてますます盛ん=中野さん
     後手後手の薬対策=タミフルの場合
     歯無しにならない話(二)
     納豆や玄米=いちがいに言えない健康食品
     三種の神器を備えよう!
     健康器具や病院など
     健康のページ関連資料



 健康とはなんでしょう?

健康いろは=はじめのはじめ



はじめに=健康とは?

 健康でありたいと、誰もが願います。それは当然のことでしょう。
 しかし、日々のちょっとした不注意で、思いがけなくも病気になってしまうことが多いようです。このことは反面、注意さえ正しくしていれば、健康な状態を保つことができることも意味しているのではないでしょうか?
 私たちは、食べ物生活習慣などについて何かと気をつけることにより、若い時代はむろんのこと、老いてからも生き甲斐のある充実した生活ができることでしょう。
 あなたも、そのようにお考えではないでしょうか?

 そこで、「身体の健康」と「精神の平安」を保つために、このページにいろいろとまとめてみました。なぜならば、健康に関していろいろなことを知れば知るほど、今までの常識には誤りがあることに気づいたことも事実だからです。また、個人差が非常に大きく関係していて、いちがいには言えないことが多いようです。

 しかし、最初にお断りしておくことがあります。
 それは、「私が医者でも学者でもない」ということです。ただ、自分自身と回りの人々、そしてこのホームページを読んでくださる方々のために、私が知っていることや経験をしたこと、そして私なりに調査をしたり、まとめたことなどをここにメモしただけなのです。
 むろん、私も「医学の専門書」や「医・歯学会の報告書」、そして「健康ハンドブック」の類(たぐい)を読みあさりました。何とかして、自分自身の病気や回りの人の病気を治したかったからです。

 なお、このホームページは現時点で、まだ体系的に完全にまとまったものではありません。(2008.08.12現在) したがって、今後少しずつ内容を整理して完全なものにしていきたいと考えています。
 そんな次第ですから、

(1) 記述にチグハグしたところやムラがある。(次々と思いついたところから作成をしたため。)
(2) 語調が違っている。(これも、作成が時間を置いたため、前後と異なってしまった箇所がある。)
(3)
 適当な場所に置かれていない記述もある。(挿入箇所を厳密には検討しなかったため。)

のような問題が、表面化してしまいました。
 それらについては、ひととおり体系ができたら見直して、修正をしたいと考えます。(2008.08.12現在)
 また、むろんのこと医学的に詳細な記述などはしません。そのようなことは私にはできませんし、また優れたハンドブックがあるからです。ここでは、一般常識のレベルで健康を実現しようとしているのです。そのような次第ですから、すでに重度の病気になっている人には、あまり参考にはならないでしょう。しかし、現在は何となく健康ではあるが、どうも心配だというような人には、大いに参考になると思います。
 なぜならば、ここでいう健康とは、あくまで「予防」とか「メンテナンス」という視点で考えているからです。つまり、このページでいう健康とは単に部分を見るというような狭い範囲の問題ではなく、もっと実用的な高度の視点から捕らえているのです。

 唯円(ゆいえん)が書いた『歎異抄』に、親鸞の言葉があります。それは、

 <学問的に知りたいのなら、南都北嶺にも立派な学者がいるので、そこに行って聞けばよいでしょう。>

というくだりで、ちょっと開き直った言葉です。実は、このホームページもそうなんです。
 国の政策が正しく、医学などの学問が優れていたら、今ごろは国中が健康な人で満ちあふれ、健康保険の納付金なども余ってしまうはずです。しかし、どうもそうではないようです。そこで、何とか自分でしなければならないと考えて、このホームページを始めました。


 私たちの身体は、微妙な釣り合いですべてが成り立っているようです。それを生命恒常体ホメオスタシス)といい、その巧妙なバランスが生命を維持しているといってよいでしょう。フィードバック(帰還=戻すこと)とかサイバネティックス(船の舵とり)といった概念も、微妙に関係をしています。
 しかし、これらの言葉の中には「非常に精巧なバランスを保つ」ということのほかに、その反面では脆弱性も含まれています。つまり、いったんそのメカニズムが狂ってしまうと、思ってもいなかったような不都合な結果を次々と招来してしまうからです。
 そのように考えると、健康とは「身体の各機能がいずれも効率よくバランスが取れて維持されている状態」といえるのではないでしょうか。
 つまり、このバランスが大切なのです。

 健康という言葉の定義もあるようです。
 例えば、WHO世界保健機構)の憲章前文では

 <健康とは、身体的、精神的および社会的に完全に良い状態であって、単に病気あるいは欠陥のないことだけではない>

というようなわかりにくい説明になっています。
 「身体的、精神的」というのは何となくわかります。しかし、「社会的に完全に良い状態」というのが具体的には何のことだかわかりません。また、「……ことだけではない」という意味合いも、私にはちょっとわかりにくいのです。
 さらに、「良い状態」とは具体的に何をさすかがわからないのです。個人差もあるし、そのときの気分もあるでしょう。したがって、例えば

 「体重が80キログラムプラスマイナス10パーセント以下であって、尿に蛋白と糖が出ていないとき」

などという表現とは異なって、判断がしにくくなります。
 また、仮に上のように定量化をしても個人差の問題が大きく影響をしてくることでしょう。

 ついでながら、WHOでは2000年までに「すべての人に健康を」という目的の実現に向けて活動をしてきたそうです。しかし、2000年をすぎたころから不可解な病気が増えてきて、すべての人が健康ではなく、ほとんどの人が健康でない状態になりつつあるというのが現実です。
 食物の中に混入している化学薬品環境ホルモン界面活性剤などが、人体内でどのような作用をするかなどは、まだ解明をされていないことにも、大きな原因があるのでしょうか。難病性の痛みを伴う病気などで、かつてあまりなかった種類のものも増えているようです。

 (注) このページでいう化学薬品や環境ホルモンとは、DDT、PCB、ビスフェノールA、トリクロロエチレン、ダイオキシンなどの化学物質を言います。とくにダイオキシンは、「内分泌攪乱物質」または「環境ホルモン」といいます。

 人体については、それぞれの臓器だけではなく、トータルとして見る必要があるのではないでしょうか。
 さらに、そのトータルは自分だけではなく体内菌なども含めて考える必要がありそうです。なぜならば、それらを伴って人体は微妙なバランスを保っているからです。
 そしてさらに、体外の宇宙全体までのスケールで考えなければならない事態になってきそうです。そんなことに心配をしているのは、私だけでしょうか。
 全体的に見るお医者さまがいないので、患者はなかなか治らないのかもしれません。人間を臓器の集合として考えたり、部分だけを治療する方式ではトータル的に健康にはならないような気もしますが、……

 このページでは、具体的に何をしたらよいかがわかるようになっています。
 また、してはいけないことがらも書いてあります。いわば学問や医学的な専門知識を私たち、つまり患者側に押しつけられても、なかなか理解できません。したがって、このページでは「やさしい基本的なこと」だけで、何とか処置をしていくように心がけています。
 健康が目的なのですが、そうはいっても、それはかなり大きくて微妙な問題です。したがって、むしろ結果的にそうなるようなアプローチの方法を考えてみました。このページを参考にすることによって、あなたも健康で有意義な日々を過ごすようにしてください。
 よろしくお願いします。


不注意や無知によって病気になる?

 私たちの身体は、風邪などのような軽い病気ならともかく、ふつう病気にかかるとなかなか治りません。
 したがって、病気になってしまったら、専門の病院で正しい治療に当たるのがよいでしょう。それでも、完全に治るとは言えないのです。もしかしたら、それが命取りになったり、一生の持病になってしまうかもしれないのです。
 そこで、いつも病気にならないような予防に配慮をして、日々を過ごす必要があります。ちょっとした知識を得ることによって、「不注意や無知によって病気になる」ことを避けようではありませんか。

 私たちの健康については、各自の個人差があって一概には言えないことが多くあります。
 そんな中で、間違った常識・判断が多く行われていることも事実です。また、勘違いも多くあるでしょう。さらに、いまだに古い学説が信じられていることがあるかもしれません。つまり、身の回りには危険がいっぱいなのです。
 いきおい健康になるどころか、逆に身体をこわしてしまうようなことが、不注意で行われます。各自の体内の『複合汚染』について、それぞれがほとんど無防備に近い状態だからです。その辺の事情を知っているのと知らないのでは、毎日が大きく変わってくるでしょう。

 意外にも「常識の非常識」といったことや、間違った「現代の神話」などのようなことが多くあります。よく調べてみると、健康に関してもそうなんですが、考え方や信仰にまで誤った常識や根拠のないことがらが、かなり多く存在しています。
 そんなわけで、無知から病気にならないようにしようではありませんか。
 仏教では、「無明(むみょう)」と言って、「知らないことさえも罪」であると考えます。
 また、古い中国の書である『孫子』には、

 <自分のことがわかっていて、相手のことも知っていれば万全だ。>

というようなことが書いてありす。
 とにかく必要最小限の知識だけでも、理解しておいて健康な日々を過ごしましょう。
 そんなために、このホームページがあるんです。


食べ物の変化による問題

 近年になって、食べ物や水について、大きな変化がありました。例えば、
 「いつも化学薬品を食べていないか?」
 「日々の栄養価は大丈夫か?」
 「本当に人体によい水を飲んでいるだろうか?」
などに、あまり注意をしている人はいないようです。
 しかし、それらの変化が私たちの健康に大きく影響をしているのです。ここでは、次の3点について考えてみてください。

・ 化学薬品などの問題

 食べ物には、多くの化学薬品が用いられています。そして、それらをその食べ物といっしょに私たちが食べているのです。むろん、日々わずかな量ですが、それが蓄積していくと大きな問題が生じます。食べている薬品ごとの人体内における相互作用などは、ほとんどわかっていないのが現状だからです。

・ 栄養価の問題

 ここのところ、促成栽培の野菜が増えています。ビニールハウスなどで短期間に作成するために、栄養価が少ないのです。例えば、トマトなどは同じ大きさでも、昔のものの3分の1くらいしか栄養がないと言います。もしも、そんな状態の食材でかつての栄養価を摂ろうとすると、逆に3倍くらいの量を食べなければならないことになるでしょう。

・ 飲み水の問題

 水道水も、滅菌のための薬品がかなり増えているということです。そんなために、ペットボトルの愛用者が増えています。しかし、人体の遺伝子生水(なまみず)に慣れていて、化学的に作成した飲料や自然水、そして滅菌煮沸をした水、電気分解などの処理水には慣れていません。また、清涼飲料には糖分を含んでいるものがあります。長期間にわたって人工水を飲んでいると、体調がおかしくなってしまう場合があるといいます。

・ ペットボトル飲料の問題

 ペットボトル飲料などは、法律で「定められた基準(ふつう5パーセント)以下であれば、添加物を加えても表記しなくてもよい」ことになっています。つまり、表記してあるもの以外に何が入っているかわかりません。ふつう、ペットボトルに入っている飲料の色は「着色料」で、味や香りは「香料」です。それらは、基準以下の添加だから表記の義務がありません。
 現代の技術では、化学的に緑茶やウーロン茶などが作れます。そして、申し訳程度に緑茶成分を入れているのが現状です。さらに、酸化防止剤・防腐剤を入れて保存をしやすいようにしています。

 その他、食べ物・飲み物の近代化による弊害は数え上げると、きりがありません。このページでは、そのようなことに注意して、健康な日々を過ごすための基本的なことを少しずつ考えていきましょう。


健康への四捨五入=健康へのアプローチ

 このページでは、経験的に確実な健康へのアプローチを考えることにします。したがって、従来のやり方と異なっていることもあるでしょう。それは、次のような例えで、あなたにも理解をしていただけるのではないでしょうか?

 「四捨五入」を説明します。
 最後の桁を見てください。そして、その数が4以下であれば切り捨てをします。しかし、5以上であれば切り上げをするのです。つまり、最後の桁が「0」「1」「2」「3」「4」のときは切り捨て、「5」「6」「7」「8」「9」のときは切り上げればよいことになります。例えば、

   123.4 は 最後の桁が「4」で それは4以下ですから切り捨てて 123 となります。
   567.8 は 最後の桁が「8」で それは5以上ですから切り上げて 568 となります。

 これで、従来の一般的な説明終わり。
 これに対して、私たちは「四捨五入」の本質をつかんで、

   その数に、「0.5」を加えて切り捨てる。

と考えます。例えば、

   123.4 + 0.5 = 123.9 これを切り捨てて 123
   567.8 + 0.5 = 568.3 これを切り捨てて 568

のように考えるのです。
 もっとも、上記は考え方の説明ですから、どちらの方法でも結果的に同じだということのほかは、まだ言おうとしていることが、ちょっとわかっていただけないかもしれません。
 実際には、いかに健康へのアプローチをするかという具体的なお話で進めていきましょう。

 また、非常に高価な薬品や食べ物を利用した健康法では、あまり意味がありません。朝鮮人参を毎日食べたり、仙丹を用いたりするのは費用の面でもムリでしょう。仙丹などは一粒100万円以上もするからです。さらに、苦痛を伴うトレーニングや面白くない反復などは、例え効果があっても長続きはしません。第一、苦しい方法であること自体が、もはや私たちの方法ではないのです。なぜならば、そのような方法は好ましくないからです。
 そんなことも、四捨五入の考え方と同時にご理解ください。


健康でなければ病気?

 「健康でなければ病気」などという短絡的なことを考えないでください。
 イルヘルスという状態があったり、身体には日和見菌などが多く住んでいるからです。だから、もともと私たちの身体や心は、病みやすいものなのです。そして、そのためにも注意が必要になってきます。
 現代社会は煩(わずら)わしいことや心配が多すぎるし、ストレスも多い。そこで、病気になるのです。生活習慣病などがそうです。そのようなことは、すでに中国の古い書物『黄帝内経』に書かれています。
 各自が身の回りをシンプルにするのも、健康のためにはよいことでしょう。

 また、常日頃からコンディションを整えて、快適な状態を保つように配慮をしてください。そして、自分は病気でないと思うこと。そのようなことが大切です。なぜならば、人間は脳が異常に発達をしたために精神的なダメージを受けて、病気のような状態になってしまうことがあるからです。
 日々快適な生活が行われているならば、各測定値が平均と異なってもあまり気にしないほうがよいでしょう。
 そんなことに一喜一憂する人がいますが、取り越し苦労であることも多いようです。血圧の測定値、糖尿や蛋白の値などは少々大きくても、あまり問題はなさそうです。ホメオスタシスが働いて、やがて戻るからです。しかし、増加をし続けるようなときには注意をしてください。

 私たちは医学的な原則に従うものの、すべての人の身体はいわば百人百様であり、単純にどうすればどうなるというわけにはいきません。なぜならば、健康に関しては、個人差が大きすぎるからです。それぞれの人の永年の習慣や成長の過程において、それぞれが微妙に異なっているから、ある人によい結果をもたらしたことやものが、必ずしも自分にとってはそうなるとは限りません。それどころか、そのよくなると考えたことが、逆に悪い結果になることさえあるのです。
 そのようなことをくれぐれも忘れないでください。

 そしてどうぞ、このホームページを参考になさって、若い人も、中年の人も、そしてご高齢の人たちも、常に健康で生き生きとした充実を感じられる毎日を過ごすようにしてください。健康が何ものにも変えられないほど、私たちにとっては大切なことなのですから。

 今日の日本の社会では、「人間の『健康』さらには『いのち』よりも経済を優先させる」ような傾向が、見られることさえしばしばあります。これでは本末転倒で、何のために何をしているのかがわかりません。まったく不思議な現象です。そんなわけで、各自が注意をして食べ物を選んだり、生活習慣を正す必要が生じるのです。
 なぜならば、「本来ならば国や行政がやってくれるもの」だと安心をしていて、自分自身が油断をしたために、一生取り返しがつかないような事態になった人もたくさんいるからです。

 このページでは、あなたがご関心をもっている部分をお読みください。
 はじめてお読みの方は、最初からざっと見出しだけをお目通しいただいてもよいでしょう。お使いのマウスに中ボタンが付いている場合には、自動的にゆっくりと下へスクロールさせると、読みやすいかもしれません。
 また、このホームページでは、どこをどのように見ていくかという順序について、あまり考慮をする必要がないでしょう。なぜならば、項ごとの説明の中に重複を惜しまないようにしたからです。
 ここでは、まず健康の常識といったことを確認してくだされば、それでよいのです。
 最初は、あまり細かいことにこだわる必要はありません。


妊婦や乳幼児に緊急なお願い

 あなたが妊婦であったり、またあなたの回りに妊婦であられる人がいたら注意をしてあげてください。また、乳幼児をもっておられる人にもお願いをいたします。後で、取り返しがつかないからです。
 妊婦や乳幼児には、絶対に食べてもらいたくないものがあります。
 それは、
(1) ダイオキシン
(2) 水銀やカドミウム
(3) 残留農薬
(4) 合成ホルモン剤や残留抗生物質
(5) 環境ホルモン
(6) 食品添加物
(7) アルコールやたばこ(とくに妊娠・授乳中)
(8) 遺伝子組み換え食品
です。
 むろん、それがそのままという形のものではなくても、野菜や他の食べ物に含まれていて、それと同時に摂取をしてしまうのです。つまり、汚染した食べ物を食べないようにしなければなりません。
 これらのものは、思いもよらない結果をもたらすことがあるので、あらかじめ注意をしておく必要があるでしょう。
 なお、遺伝子組み換え食品については安全とは言いながら、長期的な結果が出ていません。したがって、当分は差し控えたほうがよいのではないでしょうか。


やまいだれの文字

 「やまいだれ」の文字が、かなりあります。『パソコン・ワープロ漢和辞典』で見ると、「疔」から始まって「癲」まで実に70文字もありました。これは、何となく「病気の種類が多い」ことを暗示しているように思います。なお、最初の「疔(ちょう)」は、似ていますが「庁」ではありません。
 なお、「健康」の「康」の字を含む「まだれ」の文字は、「やまいだれ」よりも少なく61文字でした。

 実際には、八百八病ともいってそのすべてが文字の組み合わせによって、病名として表現されるらしいのです。とにかく病気が多いということは、身の回りの人々を見てもわかります。とくに、老人の多い高齢者福祉センターなどへ行くと、その実態がはっきりとするでしょう。

 とくに恐ろしく、不気味なのは「癌(ガン)」という文字です。
 この文字は、やまいだれに「品」と「山」を書きます。つまり、「品物が山ほどある」、「物が有り余っている」ということで、何かを暗示しているようです。たいがいの病気は、栄養素が不足をしたり、体力が弱ったためにウイルスなどに犯されるのですが、ガンの場合は少し事情が異なっているようです。
 部屋の中を片づけないままにしておくと、足の置き場もなくなってしまい身動きが取れなくなってしまうような事情が、体内でも起こっているのでしょう。余ったもののために、自分自身の中に他の生き物ができるわけですから、まったく恐ろしいことだと思います。

 そして、ガンを初めとする病気などがそれぞれによって、かなり異なっているようです。同じ病名であっても、症状が異なっている場合もあります。神経痛などという症状も、千差万別のようです。人はそれぞれに異なっているし、個人差が大きいので一律にはできません。
 基本的な血圧や脈拍、そして体温なども高齢になると、かなり異なってきます。何を基準と信じてよいかなども一般的にはわかりませんが、それでも食生活を正して、自分自身で確かめながら健康を取り戻すようにしたいものです。

 ひっきりなしに走っている救急車、どこの病院もいっぱいのベッド、待合室に入りきれないような診療所や病院、予約制になっているのに「待つのが30分、するのが3分」の歯医者さん、3年以上も入所を待たされる養護老人ホーム、まったく病むに病まれぬ今日このごろです。そのためにも、健康であらねば困るのです。
 あなたは、それらのことをどのようにお考えでしょうか?


救急車の出動回数=非常事態?

 ここのところ、救急車の出動回数が非常に多くなっているようです。
 私の住んでいる聖蹟桜ヶ丘駅の周辺では、ひっきりなしと言っていいほどにサイレンを響かせて救急車が走っています。ひどいときには、2台が別々に別方向に走っていることさえあります。このような事態が、ますます年ごとにエスカレートをするのではないかと心配をしていました。なぜならば、食品に含まれる化学物質・環境ホルモン・界面活性剤などの影響が各自の体内に、ぼつぼつ出始めてくるのではないかと、私は心配をしていたところですから。

 そんなある日、ニュースを聞いていたら、次のようなことを言っていたので驚きました。
 平成16年(2004年)の1年間出動回数は502万9108回で、初めて500万回を越えたそうです。逆算をすると、27人に一人が救急車のお世話になったことになるといいます。また、救急車が現場に到着する時間の平均は、6分42秒だといいます。そして、この時間は年々長くなっているそうです。救急車の出動要請は15パーセントが交通事故で、45パーセントが65歳以上の体調の不全だといいます。(2005年9月20日 NHK(FM 放送)のお昼のニュースから)

 おそらく今後は、さらに急速に悪化をすることでしょう。
 なぜならば、食品に含まれていて体内に取り入れてしまうダイオキシン、水銀、カドミウム、残留農薬、合成ホルモン剤、残留抗生物質、環境ホルモン、食品添加物、遺伝子組み換え食品などが相互に作用をして、思いもかけない症状を引き起こすのではないかと思われるからです。
 ちょうど、有吉佐和子の『複合汚染』のような状態が、人体の内部で徐々に進んでいると考えてもよい症状なのではないでしょうか。そして、何とも不思議な現象で「1億総病める国民」になってしまいそうです。

 すでに、非常事態に突入をしているのかもしれません。
 国民の3人に一人がガンであると聞かされたり、C型肝炎の人が200万人を超えたなどということを聞くと、もはや来るところへ来てしまったという感じがしないでもありません。そんな中で、何をどうしたら健康が維持できるのかを真剣に考えて、早め早めに予防をしなければ、やがて自分自身が倒れてしまいそうです。
 そのような目的のためにも、このホームページを有効に活用していただくことを祈っています。


病は気から

 昔から、「病は気から」といいます。
 人間は脳が異常に発達しているから、心で考えたことが身体に影響します。そこで「気のせい」で病気になったり、何となく「不調を考えている」だけで病気になったりします。
 また、「こころの病(やまい)」というような症状もあるので、気持ちをしっかりともっていることが必要でしょう。

 「自律神経失調症」という病名があります。
 医学的には、自律神経の均衡が乱れて、種々の症状を示すことを言います。つまり、頭痛・めまい・微熱・疲労感・不眠・息切れ・胸苦しさ・食欲不振・冷え・発汗異常・便秘・下痢・嘔吐(おうと)などの症状です。
 しかし、「ない病気をあると思ったりする」こともあるようです。何となく身体がだるいので、自分は「自律神経失調症」だと考えたりします。さらに、「目が見えること自体が不思議である。目の仕組みや構造は誰が作ったものだろうか。それでは、目のない生物はどうして見るのだろうか?」などと考えているうちに、自分自身の視力を損なってしまったりすることがあるそうです。


部分と全体

 あまりにも専門的に分化をしてしまうと、部分だけが対象になってしまい、ともすると全体を忘れがちになってしまいます。そして、本質を見失ってしまうようなことがあります。私たちも身体の一カ所だけに注意を向けるときには、とかくそうなりがちですから、注意をしてください。
 身体の一部分、つまりパーツを調べるだけで、全体を調べようとしないのはいけません。パーツは、むろん古くなれば悪くなるでしょう。そして、それなりに、メンテナンスを行わなければならないことでしょう。

 実際の痛みを伴わない病状のこともあります。例えば、心を病んでいるような場合です。空しさや悲しみなど、精神的な欠陥による症状が出てくるのではないでしょうか。

 常に、人間が一つの全人格的なものと考えなければなりません。
 あまりにも、細かく分けてみるときも、それは、治療の方便だということを忘れないでください。
 部分だけを見て全体を見ないのもいけませんし、全体ばかりを見て部分を見ないのも困ったことです。

 最近になって大病院に行くと、医師は始めから終わりまでパソコンの画面を見ていることがあります。患者のデータは、すべてその中にあって、それが画面に表示されるからです。しかし、患者は何となく画面ばかりを見ている医師を信頼できなくなるのが、ふつうです。つまり、全体のデータがそこにあっても、患者には医師が部分しか見ていないように見えるからです。


 

快眠・快食・快便

 日々快眠ができて、快食であり、快便ができれば、まずは健康と考えてよいでしょう。しかし、このうち一つでもできないときは、注意が必要になります。私たちは、快眠・快食・快便のある充実した日々を送るように努力をしましょう。

 歳をとると、どうしても身体の機能が衰えます。それでも、快眠・快食・快便などの自己チェックをすることによって、体調を整えることはできるでしょう。ちょっと、それは中古車の場合と似ています。こまめに手入れをすることにより、何とか機能を維持できるからです。
 つまり、高齢者の場合には、とくにメンテナンスの必要性がクローズアップされるのです。

 加齢が進むと、まず食欲がなくなります。そして、あまり多くの量を食べられません。消費カロリーが少なくなるのですから、当然のことです。また、老人になると睡眠時間が少なくなってしまい、なかなか快眠ができないようです。そのために、日中に眠くなって、ついうつらうつらしてしまいます。ひどい場合には、昼夜がまったく逆になったような生活になってしまうこともあるようです。

 快便についても、注意が必要です。食べる量が減ると、どうしても便量も少なくなって出にくくなります。したがって、かさを何とかして増やす必要があります。そのためには、なるべく玄米や野菜などの繊維質を多く摂るようにしてください。しかし、便を固くしてしまってはいけません。むろん下ってもダメですが、ある程度やわらかくて快適な排便を日々心がけるようにしなければいけません。
 ふつう、私たちは一生の間に食べ物を約50トンほど食べて、約3トンの大便が出ると言います。

 あくまでも健康のことは、自分自身で行わなければなりません。むろん、食べ物や生活習慣についての注意も、自分自身の責任で行います。なぜならば、国や行政がやってくれるなどと言って、なおざりにすると必ず自分自身の身に不都合なことが起こるからです。確かに国や行政も行っているでしょうが、それは問題が表面化してからのスタートが多いようです。すでに大きな問題が生じて、被害者が出てしまってからでは遅すぎるのです。

 世の中のことを怒ったり、嘆いたりしても始まりません。自分自身で自衛をするのがベストです。悲憤慷慨(ひふん こうがい)をする前に、簡単な自己チェックを日々確実に行いましょう。


健康ブーム・健康食ブーム

 ここのところ、テレビや新聞などを見ると、健康や健康食に関しての内容が多いですね。
 それだけ、関心が高まっているのでしょう。誰もが健康でありたいと考えることは、もはや当然だからです。しかし多くの人が、いまだに健康にはなっていないので、どうしても健康問題に注目が向きます。そのような社会的・個人的な心配をもとにして、マスコミがあおり立てるような動向さえ見られるのではないでしょうか。
 ブーム
というのは、何か一つの信仰のような事象になってしまいがちです。つまり、個人差があるのに一般化をしようというムリが、そもそも最初からあるのです。だから、騒ぐ割には効果がないのでしょう。

 また、非常に不思議な現象があります。
 いろいろな健康法が、テレビや本などにあふれています。そして、関係図書にかなりの売れ行きがあったり、テレビ番組の視聴率が上がるのです。いったん知れると、健康によい食べ物などが売り切れてしまって、どこの店にもありません。そんなあんばいですから、健康な人が世の中に満ちあふれていることになるでしょう。
 しかし、現実に満ちあふれているのは病院や薬局なのです。つまり、流行のように競って健康法をするのですが、逆に病人が増えていて、健康保険の財政などがパンク寸前といいます。そのように、テレビや本で知った健康食品を走り歩いて買っていた人も、いっこうに健康の状態にならないのが不思議な現象とは言えないでしょうか。


食の言葉

・ 人の必要のうち、もっとも大にして第一位なるものは食物である。(ソクラテス

・ 一代の守り本尊たずぬれば朝夕たべる飯と汁なり(太田蜀山人

・ 何を食うにも飲むにもアリガタクいただく心を忘れなよ。(金光教祖


食事とは何でしょうか?=病気になりにくい!=一つの儀式

 いまさら改めて、食事とは何かと聞かれると返答に困ってしまいます。
 ここでは、食事を単に食べることとは考えないで、一つの儀式と考えてみましょう。「理工式健康法」では、食事を一つのセレモニー(儀式)として位置づけているからです。そして、そのように考えることは、私たちの健康にも大いにメリットがあるんです。つまり、
 「食事は大自然の一部を自分自身の中に取り入れる厳粛な行為の儀式である。」
と考えるのです。
 したがって、米の一粒一粒、小魚の一匹一匹に思いを馳せ、感謝をしていただくのです。
 かつて、私は夢にもそのようなバカバカしいことは考えませんでした。自分の金で買ったものだから、食べようが捨てようがかまわないと考えていました。そして、それが原因かどうかわかりませんが大病にかかりました。2年ほど休職をして、やっと大病が治ってから、考え方が何となく変わってきたのです。
 そして、セレモニー方式へと考え方に変えたのがよかったのかどうかはわかりませんが、その後は何とか病気もしないで、日々元気に暮らせるようになりました。

 食事を大事と考えて、20年間ほど続けてきました。
 その結果でしょうか、お陰様で高血圧も糖尿病も治ってしまいました。尿から蛋白や糖は、まったく出ることがなくなりました。血圧は少々高いときがありますが、あまり問題はありません。個人差の範囲に入っているからです。そしてまだ、体内のどこもガンになっていないので、日々食べるものにも感謝をしている次第です。

 現代のような複雑怪奇なものに取り巻かれていて、さらに不都合なものを食べているのですから、早晩次々とダウンする人が出てきても一向に不思議ではありません。そんな中でも、健康で楽しい日々が過ごせることは、何ともありがたいことだと思っています。


『ウパニシャッド』の食

 古代インドの宗教に関する文献『ウパニシャッド』の「タイタリア」編に、
 <すべてのことは食から始まり、そして食に帰る。食の秘密を知るものは幸不幸を自由にできる。さらに、全世界の人々を導くこともできる。しかし、食の秘密を知らないものは不幸に悩み、命を滅ぼす。>
とあります。

 そのような記述は、ちょっとオーバーとお考えでしょうが、決してそうではありません。
 考えてみれば、私たちが日々活動をしている原因は食事だからです。むろん、その他に清浄な空気や水などが必要です。しかし、直接に運動エネルギーとなるのは、食べたものです。


『タルムード』の衛生観念

 『タルムード(TALMUD)』は「偉大な研究」という意味で、ユダヤ民族を5000年にわたって支えてきた生活の規範です。
 その中で、衛生に関しては
(1) コップで水を飲もうとするときは、使う前にゆすぎ、使った後でもゆすぎなさい。
 自分が使ったコップを洗わずに他の人に貸してはいけません。
(2) 目薬をさすよりも、朝晩に水で眼を洗ったほうがよい。
(3) トイレに行きたいときは、一刻たりとも我慢をしないほうがよい。
(4) 医者のいないところには、住まないほうがよい。
とあります。
 それなりの知恵が含まれているのでしょう。私は、大いに学ぶところがあると思います。


病気は犯罪か?=サミュエル=バトラー『エレホン』

 あなたは、イギリスの作家サミュエル=バトラーの『エレホン』という小説をご存じでしょうか?
 風刺的なユートピア物語なんですが、エレホン国では「病気が犯罪」なのです。そして、泥棒などというふつうの犯罪よりも重罪になっていて、病気になると刑務所に送られます。つまり、その国では「犯罪よりも病気のほうが重罪」なので、病人は処罰をされて刑務所に送られ、犯罪をおかしたものは病院に入れられるというのです。

 ついでながら、世界で最初にユートピア物語を作ったのは、トーマス・モアと言われています。
 トーマス・モア(Sir Thomas More 1478-1535)は、イギリスの政治家であり、思想家でもありました。下院議員だったが、後に国王の問題で処刑をされたのです。『ユートピア』で、当時のイギリス社会を痛烈に批判をしたからです。
 バトラーは、モアの作った言葉「Nowhere」を逆にして「Erehwon」としたのです。つまり、逆に読んで回文にしたのです。したがって、「病人が処罰されるような」倒錯した国家を描くことができたのかもしれません。

 仏教では「知らないということ自体が罪」であると言います。
 私がいままでに体験をしたり、学んだ範囲で考えると、「無知と病気」とはかなり深い関係があるようです。なぜならば、知らなかったために、後で取り返しがつかないような状態になってしまうことがあるからです。とくに目や歯は、若いころの無知なために一生ダメにしてしまうことが多いようです。
 やはり、人間の身体も正しいメンテナンスをすることが必要なのです。


貝原益軒のことば=少食 多齟 ……

 健康問題について関心を高めるような風潮は、かなり古くからあったようです。例えば、江戸時代の貝原益軒はどうでしょうか。貝原益軒は『養生訓』で健康の大切さを述べています。そしてこの本は、当時ベストセラーになりました。
 貝原益軒は、次のような言葉を残しています。
  少食 多齟   少肉 多菜   少糖 多果   少塩 多酢
  少煩 多眠   少怒 多笑   少言 多行   少欲 多施
  少衣 多浴   少車 多歩

 これは、現代社会においても、そのまま当てはまるのではないでしょうか。文明が高度に発達した現代社会とは、かなり異なった環境の江戸時代でさえも、上のようなことが言われたということには、今さらながらびっくりしてしまいませんか?
 そんなわけで蛇足ながら、注釈を加えておきましょう。

 1行目は正しい食事のしかた、2行目はストレスを避ける方法、3行目は生活習慣に関するものです。
 つまり、まず「たくさん食べるよりも、よく噛みなさい」。実際にやってみるとわかりますが、よく噛むと満腹の状態に近づいて、あまり多量の食事ができなくなってしまいます。その時代の倹約思想などが、ちょっぴり覗いているような気もしないでもありませんが、……
 「肉類を少なくして、野菜を多く摂りなさい」は、糖尿病ガンなどの予防にも効果的でしょう。当時から指摘されていたことです。「砂糖を少なくして、果物を多く摂りなさい」も「塩を少量にして、酢で味付けをしなさい」も妥当なことでしょう。
 さらに「くよくよ考えず、よく眠れ」とか「怒らずに、笑え」など大いに考えさせられることと思います。
 「不言実行」や「欲を少なく、多く施せ」などは、もはや信仰の段階に入った感じさえしますが、いかがなものでしょうか。
 「風呂によく入り、薄着をしなさい」や「なるべく車に乗らずに、歩きなさい」なども、今日の生活に対して、何となく警告をされているようですね。
 もしかしたら「多浴」は風呂ではなく、「日光によく当たりなさい」かもしれません。


杉田玄白のことば=養生七不可

 夢之介さんが送ってくれたメールにあった言葉です。杉田玄白の「養生七不可」と言って、長生きをしたい人が「やってはいけない」ことが7つあります。

 その意味内容をやさしく、私なりにまとめると
(1) すんだことをいつまでも くよくよしてはいけない。
(2) これからのことを 今から思い悩んではいけない。
(3) 食べ物や飲み物は、腹八分にしておかなければいけない。
(4) 安全でしっかりしたものを食べ、消化の悪いものや危ないものを食べてはいけない。
(5) よほどのことでない限り、薬を飲んではいけない。
(6) 物事をやりすぎたり、あまりムリをしてはいけない。
(7) こまめに動くようにして、面倒くさがってはいけない。
です。

 メールには、「ボケ防止にももってこい」とあり、さっそく私も注意をしようと考えたのです。
 夢之介さん、ありがとう。

 なお、杉田玄白(すぐた げんぱく 1733-1817)は、江戸中期の蘭学医でした。代々外科医だったそうですが、前野良沢(まえの りょうたく)らと『解体新書』を翻訳したことで有名です。『蘭学事始』などの著書もあります。
 私は学生時代に、『解体新書』を作る一連の苦労を教科書で読んで、大いに感激をしました。まだ、彼らの翻訳中には「解体新書」という言葉ではなくて、確か「ターヘルアナトミア」と書いてあったみたいです。そして、「腑分け」などという言葉にも何となく不気味さを感じたものでした。

 その後に読んだ有吉佐和子『華岡青洲の妻』などとともに、それらは強烈な印象に残っています。
 下記に華岡家の関係図を示しておきましょう。

   直道────┐
            ├───┬────雲平(華岡青洲・震)┐
   於継(おつぎ) ┘     │    妹背佐次兵衛┐     ├┬小弁
                  │             ├ 加恵 ┘└雲平
                  ├治兵衛      ? ┘
                  ├於勝(乳ガン)
                  ├小陸
                  ├?
                  ├?
                  ├?
                  └良平


健康と個人差

 あなたは、いったい「健康」とはどのようなこととお考えでしょうか。
 そもそも、「健康」とは何なのでしょうか。学問的には、むろん厳密な定義があるでしょう。しかし、私はあまり勉強をしていないので、細かい専門的なことは知らないのです。だから、厳密な意味での「健康」についてはわかりません。

 それでも、敢えて言えばWHO(世界保健機関)憲章の前文中にある定義付けが有名で、それは
 <健康とは、身体的、精神的ならびに社会的に完全に良好な状態であり、単に病気や虚弱でないことに留まるものではない。到達しうる最高度の健康を享受することは、人種、宗教、政治的信念、社会・経済的条件の如何にかかわらず、全ての人類の基本的権利の1つである。>
と言っています。

 つまり 単に病気だと言うだけではなく 平穏無事に生活していく事も 大切だと言うことです。
 しかし難しいことを言わなくても、考えてみれば「不都合な部分(患部)を忘れている」ときほど、健康(幸せ)なときはないでしょう。元来、健康とは身体のどこも心配をしなくてよい状態なのかもしれませんね。
 ここでは、私が体験的にわかったことを中心にして、テーマを進めていきましょう。

 健康とか病気といっても、それは「相対的な状態」なのです。かなりの知識人であってさえも、まじめに「健康とは病気でない状態だ」などと平気で言います。それでは、何だか「同義反復の反対の表現」のようで、満足な説明にはなっていません。そして別の機会にその人に「病気とは何か?」と聞くと、たいがい「それは健康でない状態だ」などという答えが平然と返ってくるからです。

 私は、あなたが「健康とは何か」と考えるようになったら、そもそもすでにあなたの健康が危ぶまれている状態ではないかと思うんです。つまり、ふつうの状態では、つまり身体に問題のないときは、健康それ自体に対して注意があまり向かないのではないでしょうか。それは、歯の痛いときのことを考えると、何となくわかるようです。
 問題がなければ忘れてしまうのもよいでしょう。しかし、問題が起こったときのことも、思い出さなければなりません。

 ふだんは、そんなことに注意力が向かずに忘れしまい、歯それ自体も意識しない日々が過ぎていることでしょう。それが本来の姿ではないかと、あなたは思いませんか。私たちは誰でも、身体に脳や胃や細胞など多くの器官があることは知っています。しかし、専門家でない限り、「それらの詳細については知らない」場合が多いということと、ちょっと似ているのではないでしょうか?


イルヘルス・日和見菌

 イルヘルスという状態や日和見菌(ひよりみきん)のことなどを考えると、「健康」の厳密な概念が、なかなかつかめないということがわかります。
 「イルヘルス」とは健康でもなく、病気でもない中間的な状態をいいます。つまり、医学的には病気といえない状態で、病気の予備軍のようなあいまいの存在なのです。
 また、「日和見菌」は平常はおとなしくしていて、何かの機会に身体が弱ってきたりすると暴れ出す菌のことです。身体の健康状態を伺っているので、日和見菌などと言うのです。

 ヒトはそれぞて顔かたちが違うように、個人差があります。とくに健康に関しては、その差が大きいのです。ある人にとって好ましいことであっても、別の人には不都合なことになったりします。また、その逆のことも多くあります。日々の注意をあまりしない人が健康であったり、食べ物に細心の注意を払っている人が病気になったりもします。いったい、なぜでしょうか。
 それが、個人差の問題なのです。


活性酸素に注意しよう!



偏食の問題

 人によって健康によい食べ物なども、それぞれの人で、かなり異なっていることがわかります。だから、「何がよい」などとはいちがいには言えないのがふつうではないでしょうか?
 それはちょうど、パンダが笹(ささ)ばかり食べていたり、コアラがユーカリの葉しか食べないのと似ています。むろん、人間の場合はそれほど極端な偏食ではないが、それでも健康を維持する食べ物は各人によって異なるのです。
 また、人生の時期的に変わっていく食べ物もあるでしょう。乳幼児のときは、母乳やミルクしか飲まないことを考えればわかります。それは、「蚕(かいこ)が桑の葉しか食べない」のに似ています。

 動物の種(しゅ)によって、かなり食べ物の種類が異なってきます。牛や馬は草食動物ですが、ライオンや虎は肉食動物です。ふつう、どちらかに分かれているようですが、むろん雑食性のものもあるでしょう。ヒトは雑食性の代表のようなものかもしれません。なぜならば、ヒトは多くのものを食べて栄養をまんべんなく摂取するからです。
 何となく「数打ちゃ当たる鉄砲」というのに似ている論理ではないかとも、考えてしまいがちです。

 非常にめずらしい例で、日々酒しか飲まない人もいるようです。画家の横山大観がそうだったといいますが、確かめたわけでありませんのでわかりません。また、司馬遼太郎『坂の上の雲』に出てくる秋山大尉が、やはり酒だけしかとらなかったと書いてあったと思いますが、創作中の人物なのか実在の人だったかを私は知りません。

 以上は、ちょっと無責任の例ですが、私の知人でここ10年ほど「玄米」と「約10種くらいの決まった品目」しか取っていない人が実在します。


バクテリアとウイルスの問題

 体内にバクテリアウイルスが住み着いていることは、誰でも知っている事実でしょう。
 バクテリアは細菌、バイ菌などと言うこともあります。腸内に住むバクテリア、つまり腸内細菌は単に有害なものばかりではなく、人体や健康にとって必要で有効なものもあるのです。つまり、食べたものの消化を助けたりするからです。ちょうど、白血球や赤血球、さらにミトコンドリアなどと同じように、それ自体が一つの体内要素ともいえるものです。

 ふつう身体が健康な状態のときは、体内のバクテリアやウイルスは問題を起こしません。また、健康な身体のときには体外からバクテリアやウイルスが少しぐらい入ってきても、まず影響を受けないでしょう。
 O-157という菌も、それによって発病をする人と、そうでない人があるといいます。
 かつて、そのようなことを証明するために、培養したコレラ菌を飲んだ勇敢な医者がいたそうです。


健康全般に関するQ&A(十問十答)



ガンジーの健康論

 ガンジーの健康論というのがあります。インドの初代大統領ガンジーの唱えたものです。
 健康という概念について、基本的なことから述べられたもので非常に参考になるものです。
 改めて、ここに紹介をしたいと考えています。
 しかし、かなり精神的な要素も含まれていましたので、今日の日本ではあまり実践をされていないようです。


医学の歴史?

 医学が進歩したと言っても、それは考え方次第でしょう。
 医学の祖といわれるヒポクラテスの時代であっても、せいぜい今から2500年程度の昔です。それ以前は、ほとんど医学らしきもののない時代でした。むろん、祈祷や呪文(じゅもん)のような行為はあったでしょう。しかし、医学的に考えるとそれが必ずしも効果があったどうかは疑問なのです。

 つまり、医学のない時代が35億年あるいは3億5000万年もあったのです。私たちの生命の歴史で原始人類を考えてみても、今から50万年も以前のことです。さらに一歩譲って現生人類が現れた時点を考えても、およそ3万年も以前のことです。

 したがって、現生人類でも医学のなかった時代が、医学のある時代の10倍以上あったことになります。そして、その間に何とか連綿と子孫を残しつつ今日に至ったわけです。なぜかというと、その結果あなたや私がここに存在しているからです。
 つまり、医学らしい知識がなくても無事に生き続けてきた期間があるということが、何とも感動的な事実に思えるのですが、そうではないでしょうか。医療が進んだ今日よりも、医療も薬もなかった時代のほうが長かったという事実です。

 そんなわけで、自分身の生命のもつ本能を信じるということも、ときによっては必要ではないでしょうか。すべてを学問にたよるといっても、いまだにカバーできない範囲もあるからです。遺伝子にたくわえられた直感を研ぎすまして、冷静になって判断をするときも、場合によっては必要になってくるのです。
 つまり、数百年の歴史しかない近代医学に頼るか、数億年以上ある直感に頼るかの問題なのです。そんなことも考えてみてください。

 私の人生は、せいぜい長くても80年くらいでしょう。現実には、残り5年くらいではないでしょうか。しかし、遺伝子のレベルで考えると3億年以上、現生人類から考えても3万年もあるのです。したがって、そのほとんどが医療のない時代にあったことを考えると、何とか医療に頼ることを最小限にしたいというのはムリなことではないようにも思うのですが、いかがなものでしょう。
 つまり、大きな流れの中で各自が努力をすることも必要なのではありませんか。
 元来、人間は生まれ、育ち、老い、そして死んでいくものだからです。

(注) 現生人類は、わたしたちの直接の祖先と考えられる人たちです。なお、「現生」は「げんせい」と読みます。「げんなま」ではありません。念のために。
 原始人類、現生人類については「インターネットの入門」の「まず、通信の歴史を見てみよう!」を参考にしてください。

 なお、「今後どうすればよいのだろうか?」章の「生命のあらましを知っておこう」節も参照してください。


火食をするようになった人類

 歴史的に大きな目で見て、人類がなぜ病気をするようになったかを考えてみる必要も、時にはあるのではないでしょうか?
 
 そもそも、人類が火を用いるようになったのは、いったいいつごろのことでしょうか。確かに人類の歴史にとって、それは重大な進歩でしょう。しかし、そこに付帯する大きな別の問題も、あったのではないでしょうか。私たちは、自分が健康の間は、それが当然と考えてしまって、とくに何も注意しません。
 しかし必然的に、現代人が病気になる要素を持っているということも、致し方ない事実です。そしてそれが、どうやら人類が火を用いて食物を加工するようになったということに、大きな原因があったと言えるのではないでしょうか。

 そんなことも、時には考える必要があるようです。
 俗に「八百八病」と言ったり、世間で用いる「万病」という言葉があります。つまり、病気の種類がたくさんあるというのです。
 なぜ、私たち人類にはこのように多くの病気があるのでしょうか。むろん、他の野生の動物たちにも、やはり病気はあるでしょう。しかし、その種類はあまり多くないようです。その事実は、不勉強のためによくわかりません。しかし、自分のことを含めて考えると何となく原因がわかるような気がします。

 これは私が考えている一つの仮説ですが、
 「人類が火食(かしょく)をするようになってから、急速に病気の種類が増えていった」
ということです。あまりそのような意見を聞かないし、また食材を煮たり焼いたり炒めたりするのが、いわゆる今日の常識ですから、誰もそのようなことに注意をしないのは当然でしょう。
 いろいろと調べてみたのですけれど、火食に関する記述は一つしか見つかりませんでした。
 それは、文久4年(1864年)に『遊相医話』という筆録で
  「遠き上古の時は知らず 火食有てよりして疾病あり……」
とありました。その他、その記述には
 「古は風俗すべて質朴にして人皆思慮少なく無為にして化する故自ら天年を終る」
 「夜食は忌むべきものなり」
 「これ(牛蒡(ごぼう))を食すれば降気して 転失気多く出便閉の患なし」
などという記述がありました。

 しかし、この「火食」ということには、人類の将来を左右するほどの重大な秘密が隠されているのです。そこで、私は健康のために火食でなく、生食(せいしょく)をなるべく心がけています。つまり、なるべく生(なま)で食べるのです。野菜などは、煮たり炒めたりしないで食べられるものを優先的に用います。その結果、ニンジンなども生でかじって食べると、結構おいしいものだということが、還暦を過ぎてからわかった次第です。
 そして、生食をするようになってから、なぜか病気をしなくなったことも事実です。それを始めた時期から、すでに20年になろうとしていますが、その間に内科の医者にかかったことが一度もないからです。

 火食と生食……「火食」とは「生食」に対する言葉です。むろん、火食は火を食べることではなく、食物を火で焼いたり煮たりして食べることを言います。生食は、食べ物を煮たり、焼いたりしないで、生のままで食べることを言います。

 硬い食べ物を長い時間かけて噛むことがなくなってから、急速に進んだ問題として「歯の変化」があります。つまり、虫歯歯周病の問題がそれでしょう。
 また、消化のよいものだけを食べていると、どうしても繊維質の食べ物が少なくなってしまいます。そして、そのようなことは腸内細菌にとっても、やがて大きな問題を生じてくるのではないでしょうか。ガンなどの発生率が、異常に高くなっているのも、そのことが考えられるからです。つまり、日々の食生活は長い時間を経過して、少しずつ私たち自身の健康や体調に影響を与えているのです。

 腸内細菌を寄生虫の一種と考えて、減らそうとする動きもありました。しかし、細胞はむろんのこと、ミトコンドリアのことなどを考えると自分自身の一部として捕らえたほうがよいのかもしれません。いろいろと調べてみると、蚤(のみ)やダニ、そして虫歯のミュータントなどと比べると、腸内細菌は私たちにとって有意義な働きをしているように思えるからです。
 つまり、腸内細菌は別の生命体であるにもかかわらず「消化器系の器官の一部」として考えても、不思議でない位置にあることがわかります。


生活習慣を変えた日本人

 さらに、時代の流れによる文化的な変化も考えなければなりません。
 私たち日本人にとって、歴史の中の大きな変化が何回もあったでしょう。それらは、その都度かなり大きな変革を食生活や生活習慣に与えました。それこそ大げさに言って、人類の存亡がかかっているともいえる大変化が、そのときにはあまり注意もされずに、急激に始められたのです。そして、それを始めないと、何だか時代遅れになって損をしてしまうと考える人さえ出てくるほどなのです。何とも困ったことではありませんか?

 例えば、明治維新とその後の考え方の変転です。
 一例として、履き物についての考察から始めて、いくつかを考えてみましょう。それぞれの事象が、政府や学者たちによって検討をしつくされて始まったわけではなく、安易な妥協で進められたことが多いようです。そして、その結果、思いもよらない不都合が、次々と生じているような場合が見受けられます。


靴を履くようになった日本人

 人間は元来、裸足(はだし)で歩いていたようです。裸足でないとしても、素足(すあし)に草履(ぞうり)や下駄(げた)の時代もありました。
 「恙(つつが)無くお過ごしください」というような言葉は、素足に関係があるのかもしれません。なぜならば、(つつが)とは害虫のことだからです。そして、それが人体に入るとツツガムシ病になって、命を失うこともあったそうです。

 明治になってから、それまでの日本の生活は大きく変わりました。しかし、今考えてみるとずいぶん短期間に欧化したため、かなりの無理があったようです。そのようなことを誰も言いませんが、私は密かに思っていることがあります。
 むろん、丁髷(ちょんまげ)をやめたり、帯刀を禁止したりしたのは合理的でしょう。その必要が、すでになくなったからです。
 しかし、洋服の着用にともなってを履くことが常識となったことには、どうも納得がいきません。
 森有礼大倉喜八郎はともかく、福沢諭吉渋沢栄一郎などの教養人が何も言わなかったのですから、ちょっと不思議でもあります。

 そもそも日本の気候では、冬以外には靴がムリなんです。そしてなぜ、サンダルでなかったかが疑問です。仮に背広にサンダルを履いていても、見慣れてしまえば違和感はなかったでしょう。それが民族のいわれある伝統であれば、男性が格子縞のスカートを履いても、それを不格好と見たり、変質者と見たりはしないのと同じです。

 急速に西洋化をしたところに、軍隊があります。それまで、草鞋(わらじ)や下駄(げた)、もしくは裸足(はだし)だった人たちに、命令で靴を履かせたのです。そこで、「靴に足を合わせろ」などと、ムリなことを言ったりしたのでしょう。どうやら、土田靴(どたぐつ)という言葉も、そのころにできたようです。

 ギリシア・ローマのサンダルは快適で効率的だったようです。メロスなども、おそらくサンダルで走ったのでしょう。もしかしたら、裸足だったかもしれませんが、…… それに反して日本の西洋化による靴の着用は、逆纏足(ぎゃくてんそく)ともいえる現象ではないでしょうか?

 足の健康や自由が奪われるのならば、チコロや纏足(てんそく)、さらにはぽっくり下駄などの類(たぐい)と同じです。
 現在では、それが当然のことのようになっていることが、当初はツイアビのような疑問をもった人も、かなり多くいたはずです。

 ツイアビ  『パパラギ』という本で、靴を履くことの愚かさと疑問を述べています。



グルミュー(グローミュー)が機能しなくなった日本人

 皮膚のすぐ下に、グルミュー(グローミュー)という器官があります。「静動脈吻合枝(動静脈吻合血管)」とも言われ、もともと体温を調節するための器官だったようです。実はこのことに関して私には、あまり医学的な知識がありません。したがって、ここでは想像も含めて記述しますので、間違っていたらご教示ください。

 この毛細血管のバイパスであるグローミューを再生させることが大切です。私たちの全身にある「グローミユー」を再生して、血液の循環をよくすることが必要だからです。グローミューは、動脈と静脈をつなぐ毛細血管のバイパスの役割をする徴小な血管で、フランスの解剖学者レアリスによって発見されました。
 グローミューは非常に徴小な血管なので、体調や老化などの影響を受けやすく、食生活の乱れやストレスの多い生活などで健康管埋がおろそかになって体調が乱れてくると、グローミューはすぐ消滅し、バイパス機能が低下してしまいます。

 高血圧なども、全身のグローミューが消失して毛細血管だけになった人におこりやすいといいます。したがって、裸療法や温冷浴を行うことによってグローミユーを再生しなければなりません。
 裸療法は、部屋を開け放しておいて裸になる時間と、着衣して部屋を閉めて暖まる時間とを交互に操り返す健康法です。
 いっぽう、温冷浴は全身水に入る冷浴と、全身湯に入る温浴を操り返します。どちらも、温と冷の交互の刺激で皮層に近い毛細血管が拡大と収縮を操り返すので、グローミューは再生強化されるのです。
 そのようにすることにより、全身の血行を促し、血圧も調整されるので、高血圧の予防や治療によい。さらに、脳卒中狭心症心筋梗塞などの予防にもつながる。出血をしたり、化膿したときにも、グローミューが健全であれば血液は毛細血管には流れずに、グローミユーに流れる。その結果、出血は自然に止まり、化膿菌には栄養が運ぱれなくなって治ってしまう。


 元来は、この器官が機能をして体温調節を行ったといいます。つまり、毛細血管をバイパスしている血管ですから、急に寒いところに出たようなときには、一時的に血流をバイパスさせて人体のダメージを防ぐ機能を果たしたのです。しかし、現代人にはすでにその機能がなくなってしまって、グルミューという言葉さえもあまり使わなくなってしまいました。
 食べ物や生活習慣を近代的には変化していない未開地の原住民は、まだグルミューの機能がしっかりしていて、寒さや暑さに強かったということです。ダーウインが調査をした国の一つに、フェゴ人のことが書いてありました。そこでは、原住民が一年中とくに衣服を身に付けず、裸で暮らしていたと書いてあります。寒いときは、霙(みぞれ)の降るような気候になりますが、それでも裸で寝ていたというのです。
 もっとも、それはかなり昔のことで、その後どうなったかはわかりません。

 話はちょっと変わりますが、手の甲に静脈が出ている人がいます。美しく若い色白な女性にも、よくあることです。
 元来、血管は外部からの損傷を避けるために、かなり内部にあるはずです。それが、皮膚の位置よりもはるかに浮き出ているというのは、どうしたことでしょう。おそらく、内部の組織が固くなってしまったので、仕方なく柔らかい皮膚を血管が押し上げたのではないでしょうか。
 そのようなことは、赤ちゃんの手にはありません。まだ、組織が犯されていないからでしょう。
 長い目で見ると、私たちの人体にもいろいろな変化があるようです。

 なお、グルミューについてはこのページの「今後どうすればよいのだろうか?」(節)にある「グルミューとペルオキシゾーム」も参照してください。



日本人の墓地に関する考え方

 ついでながら、墓地に関する考え方にも、ここに敢えて触れておきましょう。
 日本のような狭い国土で、各自が広い墓地をもつということも、次第に困難になってきました。そもそも無理なんです。先祖代々の墓のように家計で一つとしてまとめても、分家をしたり距離が離れている場合には不便ですから、新たに作ります。

 親鸞は、<私が死んだら死体を加茂川に流して、魚の餌にしなさい>と書いています。
 また、仏教を擁護した壇林皇后は<自分が死んでも葬式などしないで、死体を庭にうち捨てて、犬に食べさせなさい>と言ったそうです。
 沢庵(たくあん)も思い切ったことを言っています。その遺戒には、
 <全身を後の山に埋めて、只(ただ)土を掩(おお)うて去れ。…… 木牌を本山祖堂に納むることなかれ。>
とあるそうです。
 沢庵は「人は一人で生まれ、一人で死ぬ」ものだと考えたようです。

 日本の国内においても墓地が、やがて行き詰まるのは明白です。排気ガスやゴミの問題、さらには地球温暖化の問題と同じで、最初から何らかの対策が必要でしょう。そのようなことは、その社会の中にいる個人としては対処のしようもなく、何ともいたし方がないかもしれません。しかし、それでも各人がその影響や結果をしっかりと認識しておいたほうが、今後のためによいのではないでしょうか?

 日本の話ではありませんが、チンギスハンという人は墓も祈念碑も残っていないそうです。どこに埋葬をしたかを隠したようです。世界を制覇した人で、そのように考えたのは珍しいことではないでしょうか。


食べ物の大変革を行った日本=現代は壮大な実験中?

 また、ここ数十年の食べ物の変化を考えて見ることも、ときには大いに必要です。
 なぜならば、現代は急速に科学が発達して、私たちの遺伝子が対応できないくらいの変化が、私たちの体内外に次々と生じているからです。そしてその結果、少しずつではありますが、私たちの身体の調子が、何となく損なわれてきたようです。
 遺伝子の変化は非常に遅く、環境の変化に対応するのにも時間がかなりかかります。そして、対応がなされないうちは、いろいとな不都合が生じるのです。

 結論から言うと、「現代は壮大な実験中?」ではないかということです。それも、私たち人体実験を実際にしながら進めているのです。かつてないほどの規模ですから、結果がどうなるかはわかりません。
 食べ物に含まれている化学薬品環境ホルモン界面活性剤などのほかにも、排気ガスや水の問題があります。つまり、食べることによる実験のほかにも、呼吸や皮膚に関する耐性試験なども行っていることになるのです。壮大な実験でも、突然変異などを含めて、よい意味の結果が出ればよいのですが、もしかしたら検体のほとんどが滅びてしまうかもしれません。

 あまり大規模に実験をしていますので、都会に住んでいる人はむろんのこと、南極にいるペンギンの胃の中まで、汚染が進んでいるということです。このスケールの大きさでテストをすれば、テストをした人自身もその影響を免れえないのです。
 つまり、テストをしているのは何か別の次元にいるものとしか考えられません。例えば、ヒ素を1日に何グラムまで食べても大丈夫かというような実験は、ジェンナーの種痘のテストとは異なって、ふつう自分自身や自分の子どもを検体にしたりしないでしょう。なぜならば、非常に危ないことだからです。


人体内の『複合汚染』?

 有吉佐和子氏によって書かれた『複合汚染』とともに、その言葉が昭和50年(1975年)ころから使われていました。しかし、現実には対策があまりなされていないためでしょうか、最近になって各方面で問題が次々と現実になってきているようです。
 その現象は公害や環境汚染にとどまらず、私たちの身体の中にまで及んでしまったのです。
 つまり、体内に食品添加物などとして摂取された化学物質・環境ホルモン・界面活性剤などが蓄積してしまいました。そして、それらはホメオスタシスを失調させて、人々の体調を崩していきます。

 その結果、原因不明のアトピー、アレルゲン、内臓の故障、口内の炎症、皮膚の爛(ただ)れなどの異常を引き起こしているのが事実です。さらに悪いことに、それらは原因の特定ができないために、ステロイド剤などを投薬されて一時的になおっても、すぐにいっそうの悪化をして再発をするという結果になってしまいます。
 もはや、病気と治療が追いかけごっこのような状態で、なかなか治らないで悪化の道をたどるばかりのことが、ふつうになってしまいました。

 私たちは、少々の毒物を食べても大丈夫です。
 身体も大きいし、解毒作用も強いからです。しかし、妊娠中の女性の場合は問題があります。その解毒作用を胎内の赤ちゃんがしているからです。その結果、おそらく思いもよらなかったような子供が生まれてくるでしょう。そしてそのような傾向は、これからかなりの期間は続くことでしょう。そんなふうに、あなたはお考えにならないでしょうか?
 おそらく、将来を担う生まれてくる子どもの多くが奇形であったり、正常でなかったら大問題になります。しかし、そのようなことがすでに始まっていることを私は警告しているのです。そしてそんな目的が、このホームページにはあるのです。


塩と砂糖と化学調味料など

 は人類にとって、古くから貴重な調味料でした。
 『聖書』には、「汝らは地の塩なり」とあります。「マタイによる福音書」第5章13節です。そして、「もしも塩の効き目がなくなったら、何によってその味が取り戻せるか?」と続きます。そして、さらに「汝らは、世の光である」とも言っておられるのです。いずれもイエスの言葉ですから、深い意味のあることでしょう。
 日本では、かつて塩が化学塩であった時代がしばらくありました。 その時期に瀬戸内海の塩田、例えば赤穂や大塩の塩田などがすべてなくなってしまいました。さらに、悪いことに塩の販売体制が専売公社でしたから、その化学塩のために非常に大きな問題が起きたのではないでしょうか。おそらく、それが「国民総病人」とか「1億人が病気」などと言われた原因になったのでしょう。

 科学的に塩の精度が高いことと、健康的によいということは、まったく異なるということが、合理化によって不問になってしまい、認められなかったというのが現実でしょう。私は、そのころも何とか自然塩を入手して使うようにしていました。大島で実験的に作っていた自然塩を会員組織として定期的に買っていたのです。
 科学的に作られた塩が何となく口にピリッとくるので、危険ではないかと考えたからです。それに反して、自然塩は口にやわらかく、むしろ少し甘さを感じるからです。おそらく、自然塩には海水の成分に含まれる人体に好ましい各種の元素が、かなり残っているためではないでしょうか。

 いっぽう砂糖も、かつて貴重品だった時代があります。
 砂糖つぼに、鍵をかけた時代があったりもしました。また、寺の和尚が外出をするときに、留守中に砂糖を小僧に食べられてしまわないように、毒だと言ったような話さえあるくらいです。
 そのために、科学的に安価な代用品が作られて、安易に用いられたのです。サッカリンズルチンは、化学的に合成された砂糖の代用品です。しかし、それらにはガンを誘発する危険性があるという人もかなりいるようです。

 さらに科学技術が進歩したおけげで、化学調味料などというおかしな食品が出回ることになりました。
 アメリカには、「中華料理シンドローム」という症状があるそうです。
 おいしければよいという考えが優先して、健康は第二に考えられるのは困ったことです。また、価格がすべてという考え方も、後日になって大きな問題が起きるでしょう。そして、問題が生じたときは手遅れで、治療や補償などのトラブルが長く続くことになります。

 現代は、物が豊富に出回っています。食料品や食材も、種々雑多です。おいしいものが、限りなくあります。そんな中で、何となく「グルメと健康とは両立しない」と考えるのは、私だけでしょうか?

 あるいは、そのような考え方が全体の成り行きだから、誰にとっても致し方ないのかもしれません。おいしくするためには、素材に自然物のほかに多量の化学薬品が含まれてしまうからです。また、食品が長期間の保存に対して傷まないように防腐剤などをかなり投入するのが、最近になって常識になってしまったからです。
 牛乳がテーブルの上で1週間も置いたまま大丈夫であったり、ジャガイモがいつまでも芽をふかなくても不思議に思う人は、もはやいないのでしょうか。何となく不気味であっても、見慣れてしまうと当然のことと考えるようになるのです。
 私が子どものころは、配達された牛乳を冷蔵庫に入れないで放置しておくと、すぐに饐(す)えてしまいました。また、ジャガイモはしばらくして、むくむくと芽を出してきて、それが有毒だと聞いたものです。しかし、今日の多量に「防腐剤が混入された」牛乳や「発芽防止処理をなされた」ジャガイモは、昔と違って見かけ上は大丈夫なんです。

 しかし、だいじょうぶなのは商品である牛乳とジャガイモなどであって、それを食べた人間はだいじょうぶではありません。考えてみれば、当然のことです。それをそのまま体内に取り込むのですから。
 また、大量生産を可能にするために行われている遺伝子組み換えの技術も何となく不気味です。何がどう原因するのかわかりませんが、いろいろなものを食べるようになった最近の人間自体も体質が変化してきたと言います。

 独り暮らしの老人がアパートで死んで、そのまま3年も気が付かなかったというようなニュースがあります。ふつう考えると、腐敗をして周りがが異臭に気付くのでしょうが、ミイラ化をしていただけで遺体が残っていたといいます。また、昔はドライアイスを棺の中に多量に入れたものですが、最近はとくに入れなくてもだいじょうぶと言う葬儀屋さんもいます。つまり、私たちの身体は死体になっても腐りにくくなっているからでしょう。
 そのような変化に、私はだいぶ前から気付いているのですが、何がその原因なのかわかりません。

 いずれにしても、注意が必要です。
 なぜならば、防腐剤や発芽防止処理剤、照射した放射線などは何らかの人体に対する影響があると考えられるからです。それらが、複雑に影響しあって、人体の中ですでに有吉佐和子氏の『複合汚染』が生じているのではないでしょうか。常識で考えても、防腐剤や発芽防止処理剤が身体に対してよくないことは理解できます。また、放射線を照射したものを食べるのも、何となく不気味です。
 そこで注意が必要なのですが、それが一般の常識になってしまっているので、何とも致し方がありません。ちょうど、車の排気ガスが身体に有害であるとわかっても、それから逃れられないのと同じ理屈なのです。
 いっそ、健康とグルメは両立しにくいものと、初めから覚悟を決めて考えたほうがよいのではないでしょうか?


ウンコの成分



オシッコの成分



何を信じてよいのやら……お大事に!

 ここのところ健康に関する情報が、私たちの周りに氾濫しています。
 お昼のテレビをつけると、たいがい健康に関する番組をやっています。そして、それはなかなかの盛況です。ブームというと適当ではないかもしれませんが、健康問題もグルメや痩せる方法などとともに、波があって流行(はや)ったり廃(すた)れたりするようです。
 しかし、そのような番組を聴いていると、いつも不思議に思うことがあり、さらにちょっと注意をすると、とても妙なことに気づくんです。あなたは、いったい何のことだと思いますか?
 それは、番組によっては同じ目的やテーマについて、アナウンサーや学者が正反対のことを言う場合があるということなのです。つまり、ある番組では「よい」といったものが、別の番組では「ダメ」だというのです。そして、それぞれその理由について、かなり説得力のある細かい説明や実験がなされるのです。中には、わざわざ実験結果を解説したり、著名な学者のインタビューまでを付けたりしている番組もあるからです。

 そんなわけで、「何を信じてよいのやら」という気持ちを持つ人も多いようです。
 もしも、確実に健康になる方法があって、それが世間の常識になって実行されているのなら、いまごろ社会は、健康な人たちで満ち溢れているでしょう。そして、健康保険の料率などは大いに下がって、経済的に一人一人の負担もずいぶんと軽くなっていたことです。
 しかし、なぜそのようにならないのでしょうか? また、そのようになっていく傾向でもないんです。なぜならば、ますます悪化もしていく方向、つまり反対の方向へ突き進んでいるからです。

 それは何度も言うように、健康や人生観などには、個人差例外が多いからです。そして、放送ではそれを一律に定義づけようというところに、かなり無理があるのでしょう。したがって、誰もがご自身の特徴を知って、それに対処する健康法を自分自身に実施することをおすすめします。
 また、食べ物にはメリットとデメリットのあることを知っていただきたいのです。確かに、ニンジンは健康に好ましい食べ物でしょう。しかし、発芽防止処理剤が入っていれば、そのニンジンを食べることは、健康に好ましいとはいえないのです。

 そのようなデメリットのことに触れない放送を聴いて、そのまま行うことは危険です。自分自身の身体を実験材料にするのと同じだからです。そして、その結果は社会のためには役に立つかもしれません。しかし、自分自身が原因不明の病気になってしまうと、折角の健康志向が元も子もなくなってしまうわけです。
 すべての人に対して、必ずそうなると言えるようなことは、むしろ少ないんじゃないでしょうか?

 お互いに「お大事に!」とか「身体をお大切に!」とか言います。しかし、それでは具体的に何をどうしたらよいかがわかりません。むしろ、それらは何かの結果なのです。そこで、このページではもっと具体的な表現をします。

 例えば、「お体をお大事に!」と言わずに「朝食後にピーナッツを20グラム食べてください。そして、卵は食べないようにします。」などのように具体的に言うのです。ただし、この文章は一例であってケースバイケースになってくるでしょう。
 したがって、「……の場合は」というような断り書きが付いて、その後に「……をしてください。」のようになるでしょう。個人差が大きいので、必ずしも万人向きの予防法などはないからです。
 非常識な常識がまかり通るなかで、決めるのはあなた自身です。「何を信じてよいのやら、……」と迷うことは、なるべく少なくなるようにしてください。


健康や病気や生活習慣についての諺や格言

 この節の最後に、健康や病気についての諺や格言を記しておきましょう。
 諺(ことわざ)とは、教訓や風刺や真理などを巧みに言い表し、古くから言われてきた言葉です。俚諺(りげん)ともいいます。いっぽう、格言(かくげん)とは戒めや教訓を簡潔に言い表した言葉です。金言(きんげん)ともいいます。しかし、それらの厳密な区別を私は知りません。

鬼の霍乱(おにのかくらん)……ふだんは非常に健康な人が病気になることの喩えです。

病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)……病気が横隔膜の近くにある膏肓(こうこう)というところに入っちゃうと、もはやアウトであることを意味します。膏肓の「肓」の字を「盲」として、「やまいこうもうにいる」という人もいるようです。実際には、「病 膏肓に入る 薬石効なし」として用います。『左伝』からの「病入膏肓」と、唐の宣宋のことば「薬石無功」をくっつけたことばなのです。全体として、初期治療の大切さをいっているように、私は思います。

喉元過ぎれば熱さを忘れる……実際には食道を傷つけるので、ガンを誘発する恐れがあります。なるべくしないようにしてください。


三種の神器を備えよう!



健康器具や病院など


なぞなぞの答え(心と身体=こころとは=身体とは)
 心があって身体がないものは、いったい何でしょうか?……幽霊(ゆうれい)
 それでは、身体があって心がないものは、いったい何でしょうか?……死体
 バカバカしい回答で、ごめんなさい。

人間の器官のなかで正式な名称として動物の名がついている「犬歯」のほかの一つ……鬼頭(きとう)


Kuroda Kouta (2004.07.03/2015.07.18)