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 私のイスラム教(サマリー)


  ○なぜイスラム教を学ぶのか?
  ○イスラム教の歴史

  ○イスラーム
  ○ムハンマド(マホメット)
  ○コーラン(クルワーン)
  ○アブラハム・イサク・ヤコブの神
  ○ユダヤ教・キリスト教・イスラム教
  ○世界の終末
  ○最期の審判
  ○神への恐れ
  ○神への感謝
  ○日々行うべきこと

     

○なぜイスラム教を学ぶのか?

 ここで、今後の考え方の基礎になるように、何とかしてイスラム教の勉強をしておこうと思います。
 私の場合は、いわゆるイスラム教に対する知識や経験がなく、なかなか理解することができません。そして、それではいけないと思うからです。
 そこで、自分なりに調べたことや考えたことを、ここに簡単にまとめておきましょう。
 なお、世界に宗教が多くあるのは「何を決め手に心のよりどころを求めるかにある」のではないかと、私(黒田康太)は思っています。


○イスラム教の歴史

 イスラム教の人たちは、

 <本当に賞賛に値するものは、神だけである。>

と考えて、それを信じるのです。
 つまり、すべての賞賛は神のものなのです。
 人は互いにいろいろと誉めますが、結局は神を褒めたたえていることになるのです。
 さらに、イスラム教では自分たちを神の奴隷として考えました。

 聖典のうち、一部はキリスト教の旧約聖書と同じ内容のもののようです。


○イスラーム

 イスラームとは、

 <自分自身を神の前に投げ出し、その意志にゆだねる。>

ことなのです。
 1300年のイスラム教の歴史があります。
 そして宗教のみでなく、日常の生活まで規則どおりに行います。つまり、心の問題だけではなく、生活すべてにまで決まりがあるのです。
 その主なものに、1日に5回の礼拝、そして1年に1回の断食があります。


○ムハンマド(マホメット)

 ムハンマド(Muammad 570ごろ〜632)は、イスラム教の創唱者。メッカに生まれ、神アラー(アッラー)の啓示を受けて伝道を開始。厳格な一神教で、偶像を厳しく否定した。そのために迫害を受けたが、イスラム教団発展の基礎を確立した。
 なお、「マホメット」はムハンマドという名前の訛(なま)り。
 ムハンマドは、「コーランか然らずんば剣か」という「唯一神アラーに絶対服従」を説いた言葉を残したそうです。


○コーラン(クルワーン)

 コーラン(Koran、アラビア語ではQur'n)とは、「読みとなえるもの」という意味です。
 マホメットは「となえる」(クルワーン)という啓示を天使ガブリエルからアラーの言葉として聞きました。それは、20年間にもわたるといいます。そのアラーの啓示を集録したものがコーランです。それはアラビア語で書かれ、信徒の信条・倫理的規範・法的規範などを散文詩体で述べています。ムハンマド没後に結集され、114章から成る。内容は物語の形式ではなく、神の独白のような書き方です。


 讃えあれアラー → 本来の意味は、「賛美」。
 「賞賛」は、本来神だけのもの。つまり、神のみが真の賞賛に値する。自然・人間・芸術などを誉めているが、結局のところ神を誉めていることになる。
 誇り高いアラブ・イスラム人は誰にも仕えないが、神にのみ仕える。なぜならば、人間は神の奴隷であるから。

 平和を求める言葉とともに、その反対の暴力を求める言葉もある。つまり、二面性をもっているのです。また、日常のことも教えています。したがって、「努力」(JIHAD)という言葉なども「聖戦」などの意味に使われるようになったのでしょうか。
 イスラム過激派のもととなったクツブは、コーランにはジハード(聖戦)の必要性が書いてあると言ったそうです。
 「知識(Ilm)」という語が、「神」という言葉の次に多く出てくるといいます。

 コーランには、「聖書」の内容と同じ人物が登場します。例えば、「マリアの子イエス」などです。


○アブラハム・イサク・ヤコブの神

 イスラム教は、唯一なる神を信仰します。そして、その神を絵とか像であらわすことはしません。
 神の名で、人間にあらわれるのです。
 アブラハム・イサク・ヤコブの神が、アラーなのです。


○ユダヤ教・キリスト教・イスラム教

 アブラハムの宗教は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教になりましたが、イスラム教が「最後の完成」と言われます。
 イスラム教では、「決算」「帳簿」「かせぎ高」などという語がコーランの中に出てくるそうです。なぜならば、当時のアラブのメッカは商業社会だったからです。
 ユダヤ教・キリスト教では、どうでしょうか。


○世界の終末

 神は、終末を引き起こします。
 そのために、世界の終末が必ず来るというのです。

○最期の審判

 終末で死んだ人間は復活をします。そして、神の前で審判を受けなければなりません。
 つまり、

   「終末」 → 「復活」 → 「審判」

というような行程なのです。
 この場合の「復活」は、「第二回目の創造」とコーランは考えています。
 最後の「審判」については、個人として全面的に責任を取らなければなりません。


○神への恐れ

 迫ってくるタクア(恐れ)に対して、自分の身を守らなければなりません。そのために、神の前に全面的に身を投げ出すのです。
 喜捨を出すことも大切です。
 イスラム教では、貧しい人に財産を差し出します。それは、神に財を預けることになります。
 そして、来世に役立つ行為となるのです。

 永遠に続く来世よりも、束の間の現世のほうがよいと考えるのは愚かなことなのです。


○神への感謝

 コーランの神は、やさしい慈しみのある神です。
 しかし、人間がこれを無視すると恐ろしいことになります。さらには、復讐をする神になってしまうからです。

 この世における人間によるあらゆるものや天地自然のすべてのものは、神の働きによります。そのような理由から、常に神に感謝をしなければならないのです。
 そして、私たちの存在そのものが感謝であり、何かよいことがあった場合だけの感謝ではいけません。
 つまり存在そのもの、すべてのものに感謝をして生きるわけです。


○日々行うべきこと     

 神は、すべてのものを人間のために役立つように作って、それを与えてくださったのです。
 つまり、

   太陽、月、星、昼、夜、家畜、魚、……

などです。

 イスラム教は、現世に肯定的な宗教です。来世にあこがれたりするような現世否定的な宗教ではありません。
 そして、

 <現世を作りかえていこう。そして、一歩でも理想に近いように作りかえていこう。>

と考えるのです。
 しかし、その場合でも常に神の意志にしたがうことは、もちろんのことです。
 なお、初期のメッカ時代には「現世否定的な面」もありました。初期は個人が対象でしたが、メジナ時代は信徒の共同体が対象になりました。

 何を食べ、何を飲むべきか、老人に対する考え方、孤児の扱い方など日常の問題までを述べています。
 具体的には、

 <両親に対して、やさしくしなさい。>
 <言葉を荒げて叱ったりしてはいけない。>

などと言います。
 好戦的な宗教ではなく、

 <やられた程度にやり返す。>

あるいは、

 <我慢するほうがよい>

と教えています。


Kuroda Kouta (2004.09.21/2008.01.22)