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  老人学


○はじめに
○「老い」と「衰え」
○「老人」という言葉
○『老人学』とは?
○「老いては子に従え」ではなく、「老いては良心に従え」

○はじめに

 「老人学」(Gerontology)という学問があるそうだ。新しい分野で、心理学から派生した学問らしい。「老いることについて、心理学的な立場から考える」学問で「老年学」とも言うそうだ。
 しかし、ここではその「老人学」とは関係がない。「学」とついているが、単に私の「考え」である。そんなことをご承知いただきたい。

 『老人学』とは、何とも珍奇な名前ですね。
 でも、曽野綾子氏の『戒老録』などと比べると、言葉の響きは平凡で穏やかなのではないでしょうか。「老人」などという言葉そのものが、何となく引っかかるので「高齢者学」とでも言ったほうがよいかもしれません。また、思い切って「シルバー」などと言い換えてみるのもよいでしょう。

 しかし、何といっても古来から「老人」は「老人」なのです。
 「老年」を「晩年」のように言い換える言葉がありません。したがって、ここでは仕方なく『老人学』なのです。
 そして、そんなことを次々と書き足していきたい。


○「老い」と「衰え」

 かつて颯爽と走ったベンツの赤いスポーツカー。でも、今は?




 前から、よく見ても。




 「くさってもベンツであるか?」と言われれば、「それは間違い!」と答えなければならない。
 2008年3月3日(月曜日)のこと。谷沢川に沿って等々力渓谷を下り、ジブラルタ生命保険のところに出て、目黒通りが多摩川に突き当たろうとしたところにあった自動車屋の置き場。そこに、赤いベンツのスポーツカーが放置されていた。

 「腐ってもベンツ」と言いたいところだか、実際はそうでない。
 フェンダーに穴が空いていて、タイヤはすべて空気が抜けている。赤色も褪(あ)せて、もはや走ることもできないままに放置されている。かつては、愛用された車であろうが、何とも情けない有様になっている。もっと早い時期にスクラップに出してしまえばよかったのだろうが、何らかの事情で残してあるのだろう。

 何となく、「恥をさらしている」ような感じである。
 「老い」と「衰え」をすでに通り越して、寝たきりになった感じだ。もしかしたら、すでに死んでいるのかもしれない。むろん、もはや青春の面影は、すっかりない。


○「老人」という言葉

 「老人」という言葉は、何となく抵抗を感じるようである。
 「老年」という言葉も、やはり同じ。そこで、「晩年」と言う。しかし、「晩人」という言葉がないので、「高齢者」などと言ってみたりする。「老人何々」というようなときは、「シルバー……」などとする。すると、抵抗がなくなってくるから不思議。
 しかし、何といっても老人は老人。言葉だけを変えても仕方ないのであるが、「老人」の代わりに「シルバー」を用いるのはよいかもしれない。シルバーというと「いぶし銀」ではないが、何となく落ち着いて物静かな感じがするから。


○『老人学』とは?

 老いてくると自分自身に対するコントロールする注意が少なくなって、何となく愚かしいことをする場合があります。そんなことのないように、ここにいくつかの注意をメモっておきましょう。
 「学」と付いているからと言って、むずかしく考えたらいけません。
 「老人の楽しみ」や「慰め」、そして日々の「喜び」などを求めるものなのです。しかし、ここで「求める」と言っても、物質的なものばかりではなく、むしろ精神的なこと、つまり「こころの問題」になってくるのです。
 「健康」から始まって、「老化予防」。そんな努力をしてきました。そして、「安心立命」。ぜひ、そうありたいものです。その「安心立命」に入るためにも、この『老人学』が必要になってくるのです。


○「老いては子に従え」ではなく、「老いては良心に従え」

 還暦を過ぎたころからは、「子」でも「両親」でもなく、自分自身の「良心」に従って、判断をしなければいけません。ふつう、「子」は独立をしていて別な次元に生活をしています。また、「両親」はすでにない場合が多いからです。


Kuroda Kouta (2008.01.13/2008.03.05)