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○ゲームの楽しみ


 ゲームをすることは、「脳の活性化」をはかるためにも好ましいことではないでしょうか。そのときに、あまり熱中をしすぎてはいけません。冷静になって、大きな流れを見ながら客観的に進めるのは、とても楽しいものです。
 また、ゲームをすることは、高齢になって(というよりは老いてといったほうがよいかも?)散漫になった「精神に集中力を付ける」ためによいことかもしれません。「思うようには、ことが運ばない」ソリティアや「必ずしも、いつもトップにはなれない」麻雀などは、あたかも画面上で行う人生のシミュレーションとも考えることができて、記憶力や判断力の訓練が手軽に可能です。

 トランプ麻雀、そして将棋などのゲームは、使い分けてする必要があるかもしれません。
 トランプのソリティアは「一人占い」と考えて、「運試し」(うんだめし)をするとよいでしょう。最初のカード配置によっては、必ずしも上がれるとは限らないからです。むしろ、上がれないことのほうが多いようです。麻雀は、なるべくスイスイと早打ちをやって、脳の活性化を図るのがよいでしょう。また、将棋のような沈思黙考型のゲームでは、先の先までを読む必要があります。いきおい、計画性のある手順を考えなければいけません。

 お世話になっているソリティアと麻雀は、GAMEDESIGN社が作成したものです。いずれも、無料で使わせてくれる優れ物です。非常に設計思想が正確で、やっていても矛盾をほとんど感じません。まして、誤動作などはまったくないようです。
 おそらく、非常に優秀なシステムエンジニアの方々が作ったものでしょう。
 麻雀などは、あたかも「人がやっているような気配」を感じることがあるので、設計をした人の緻密なご性格が偲(しの)ばれます。

 そんなわけで、このソリティアと麻雀は、改めて「老化予防」について効果的であると考えます。
 皆さんもやってみると、次のようなことを体験なさるでしょう。
 ソリティアでは移動の手順を間違えると、行き詰まってしまいます。したがって、先を考えて移動をしなければなりません。いっぽう麻雀では、牌(ぱい)を切るときのスリルが、脳に刺激を与えるのでよいでしょう。とくに、リーチのかかっているようなときにです。

 ただ、この麻雀については、ちょっと心配なこともあります。非常に優れたゲームですから、どのようなアルゴリズムで作られているかということです。気のせいか、私にはサムシング・グレートもどきのものを感じることがあるからです。

 例えば、最初の山や配牌(はいぱい)が乱数で配置されているのではなく、あらかじめ決められている多くのパターンの中の一つを選んでいるのではないかということです。また、捨てる牌(ぱい)にはありえないことでしょうが、つもってくる牌があらかじめプログラミングされているのではないかという懸念です。そして、いわゆる勝負ではなく、単に楽しく遊ばせてもらっているのではないかということです。
 ロンをして裏ドラを示されるときに、ふっとそのような感じを受けたことがあるからです。
 だって、他の三家(さんちゃ)の動きを作った人は一人のプログラマであって、私を含めて互いの当たり牌やつもってくる牌を知っているからです。

 しかし、いずれにしても、あまりムキになったり、のめり込んで自分を失ってしまってはいけません。なぜならば、日常の物事が考えているようになるとは、必ずしも限らないからです。当然のことながら、相手がある場合には相手も勝とうとしています。つまり、互いに競争相手になるから、一方が常に勝てるとは言えません。
 もしも麻雀を一人でしたら、どうでしょう。最後に残る山にある牌(パイ)以外であったら、すべての役(やく)ができるはずです。それは、当然のこと。でも、そんな麻雀のゲームでしたら、やってもあまり面白くはないでしょう。
 一人でする下のソリティアのようなゲームの場合でも、それ以上の移動ができなくなって、未完のままの負けに終わることもあるのです。手が詰まって、方法がなくなってしまうからです。


・ このソリティアのあらましメモ
(1) やってみると上がれないときのほうが多い。私の場合、10回に1回くらい上がれるようだ。もっとも、練習をすれば成績はもっとよくなるだろう。
(2) このソリティアの方法は、「配りカードがない」ので慣れるまでは難しいかもしれない。画面もすっきりしていて、操作も簡単! しかし、それだけに挑戦のしがいがあろう。
(3) 移動の仕方に幾通りかがある場合、手順を間違えて円満に収まるところを間違えると、後がうまく運ばないときがある。一度カードを移動してからの「やり直し」や「どこに移動できるかなどのヒント」がないので、ある程度の注意力が必要でしょう。

 下記は、麻雀で上がれなかった例です。
 私が小三元(しょうさんげん)で点ぱっているのに、対面(といめん)も安い手で上がろうとしていました。幸いこの回は流れましたが、ともすると結果的には邪魔をされたような顛末(てんまつ)になることが非常に多いようです。


 それどころか、下図のような恐ろしい「知らぬが仏」のケースもあるのです。
 私の対面(といめん)が国士無双(こくしむそう)でロンした瞬間です。下家(しもちゃ)が何の気なしに、「発」を振り込んでしまいました。対面のパイの切り方も不自然ですし、五萬でリーチをかけたのも巧妙です。もしかして私に「発」が来たら、おそらく何のためらいもなく捨てて、役萬(やくまん)を振り込んでいたことでしょう。


 麻雀をやってわかることがあります。それはあったり前のことですが、
(1) 一人でやってるんじゃない。したがって、技量が同じくらいのとき(このようなゲームでは、プログラムの組み方によってそう言えるとき)は、上がれるのは「せいぜい4回に1回くらい」と考えておく。
(2) やはり、ツキのようなものがある。大げさに、運命とか宿命とでもいうのでしょうか。上がれないときは、なかなか上がれない。
(3) やけくそになって投げてしまうと、ますます負け越す。
などの事実が、身にしみてわかります。

 考えてみると、いくら大きい役(やく)で点ぱっても、上がれなければ仕方ありません。むしろ、安くても早く上がることを考えるほうが賢明ではないでしょうか。もっとも、人生と似ていて、「一か八(ばち)かの勝負」などというようなこともあるので、一概には言えませんが。

・ この麻雀のあらましメモ
(1) 最初に、配牌(はいぱい)をすっきりとした形に並べてくれる。
(2) ゲームでは、他の場所が振り込んだ牌(ぱい)で上がれるときは、「ピポッ」と音で知らせてくれ、その当たり牌が点滅をします。振り点のときは、メッセージが出て上がれません。
(3) ロンしたときは、ちゃんと正確に点数を数えてくれます。
(4) その他、いろいろなチェックをしてくれる。
 例えば、ゲームの途中で「しょうぱい」(牌の枚数が少なくなってしまう)エラーなどは生じません。また、「ちょんぼ」などの問題もないようです。まったく、至れり尽くせりのフェアなゲームです。
(5) ゲームの進行は、引っかけリーチがあったり、ダマテンがあったりして、何となく人間がやっている錯覚に陥る。ちょっと狡猾な感じを受ける場合があって、なかなか面白い。

 当然のことながら、「常に勝つ秘訣」などはありません。しかし、安くても小(こ)まめに上がるようにするとよいでしょう。欲張らなくても、誰よりも早く全回上がれば、当然トップになるからです。熱中をして「一(いち)か八(ばち)か」の勝負をするよりも、スイスイと上がっていくほうが、老化予防の訓練にはむしろ好ましいようです。
 そんな意味で、荘家(親)と張り合ってはいけません。
 また、自分が親でもなかなか上がれないことがあります。追っかけリーチなどがあって、他家(たちゃ)に上がられたり、リーチをかけないで点ぱっているときでも、降りざるをえないような場合もあるでしょう。

 むしろ、かなり熾烈(しれつ)な競争が小さい場所で行われているということを知るべきでしょう。このゲームのような仮想空間の中でも、そこに生存競争があることに気付きます。そして、何となく人生のシミュレーションが、そこにもあるようです。
 あまりに面白いので、止め際(やめぎわ)が難しくなります。「もう一丁(いっちょう)、もう一丁」とならない注意が、必要であるかもしれません。

 この麻雀の素晴らしいところは、(当たり前のことですが)いつでも止(や)めれることです。画面右上の「閉じる」ボタンをクリックしてもよいですが、キーボード左上の[Esc]キー(エスケープ キー)を押してもいいでしょう。しかし、いずれの場合も再開はできません。それまでに行ったゲームの記録は、すべて失われてしまいます。実際の麻雀ですと勝手に休憩をしたり、止めるわけにはいきません。そんなことを考えると、気楽な勝負です。また、お金をかける必要もありません。そんな意味でも、「老化予防」にはもってこいのゲームと言えましょう。

 パソコンのプログラムによって勝負をしているのですが、実際には「戦い」や「争い」などが日本中、そして世界中ではどうあるかに考えが及んでいけば、それは素晴らしいことです。あるいは、点ぱったのでリーチをかけて、その後の情勢から自分自身のそれまでの戦略などを客観的に眺めると、ずいぶんムリなことをしようとしていたことがわかることもあります。
 そんな意味で、ゲームの局面を碁や将棋のように後で反省をするとよいでしょう。


Kuroda Kouta (2007.02.14/2007.11.14)