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  人間とは何か?


○はじめに
○宇宙と自分
○人間の研究?=アヴェロンの野生児
○トポロジー的に考えると
○内管と外管
○内包と外包
○ミクロコスモスとマクロコスモス
○ポアンカレとポアンカレ予想
○食べて寝て、交わるために労働をする


○はじめに

 自分が人間、つまりヒトであることは当然のことながらわかっています。
 しかしここでは、学問的なヒトではなく、自分なりに考えた身近なことをメモっておきましょう。なぜならば、安心立命をするためには、どうしても人間、つまり自分自身を知る必要があるからです。そして、自分自身を知ることによって、さらに神の概念までを知ることができるかもしれません。
 『孫子』ではありませんが、「己を知る」ことが、最初に必要だからです。

 なお、このページは少しずつ追加をしたり、書き直していく方法で作成をしています。つまり、考えをまとめるための場として用いています。したがって、まだ内容について公開できるようなものではありません。
 また、図形ソフトなどについては練習中で、満足に描ける段階ではないのです。
 そんなわけで、見苦しい箇所が多くあることをご承知おきください。


○宇宙と自分

 「宇宙」とは、空間と時間の広がりです。
 そもそも、「宇宙」という言葉は『淮南子』(えなんじ)によると、「宇」は天地四方の空間、「宙」は古往今来の時間、つまり「空間と時間」の広がり言います。したがって、あらゆる存在物が置かれている無限の空間と時間の広がりで、むろん人間である自分もその中にあります。

 「哲学」の分野ではコスモスとして、「秩序ある統一体と考えられる世界」を言い、「物理学」では「存在するすべての物質とその放射を含む空間」、さらには「天文学」では「天体の存在する空間」、つまり「銀河系外星雲とそれらを包含する空間にまで対象を広げて「小宇宙」「大宇宙」と言うそうです。

 しかし、ここでは人間を考えるために、独自な解釈をしています。
 つまり、「自分」という言葉の間違った解釈から、間違った考えに陥らないためです。



 宇宙の中に自分が含まれる。そこから飛躍。自分の中に宇宙を内包してしまう。
 『正法眼蔵』にある「法華、転法華」という言葉。
 「宇宙」が「自分」であり、「自分」が「宇宙」である。という考え方。


○人間の研究?=アヴェロンの野生児

 「安心立命」とは、いったい何でしょうか?
 この言葉は、仏教でしばしば使うようです。そして、この安心立命を実現するためには、そもそも「元来、人間がどういうものか?」についての研究をする必要がありそうです。つまり、研究対象が自分自身なのですから、最初に自分がいったい何ものであるかを知っていなければなりません。

 しかし、現代ではすでに自分が本来の自分ではなくなっているようです。
 なぜならば、幼いころから多くの学習をして、いろいろなことを学んでいるからです。学校へ行く前に、家庭では主に母親から教えられました。そしてそれが、当然のことになってしまったのです。そんなわけで、それぞれの家庭によって、かなり違った価値観をもった子どもがいるでしょう。

 そのように考えると、何も与えられなかった場合には、どうなるかを知っておきたくなります。そこで、そのような資料を探してみました。
 インドで発見をされた狼に育てられた少女たち、アマラとカマラの姉妹の場合は、その学術的な資料が多くありません。

(注) オオカミ少女(狼少女)たちについては、「カマラとヴィッキー」というテーマで、
    詫摩『性格はいかに作られるか』(p27〜29)
に記述がありました。


 また、
    ジコン(ハイチで、ベルベットモンキーに育てられた少年)
    ルーカス(=ルカ、南アフリカのヒヒに育てられた狒々少年)
    オクサナ(ロシアで、両親から虐待されて犬に育てられた少女)
たちも、見世物になったり作為的な報道がなされているので、あまり参考にはならないでしょう。


 しかし、フランスのアヴェロンで発見された野生児については、イタールなど優れた医師の詳細な記録が残っています。そこで、私はアヴェロンの野生児について研究をしてみようと考えたのです。
 下記左側のシルエットのような写生は、実際にビクトールという名前が付けられたころの野生児を保護観察した学者が忠実に描いた姿だといいます。

    


 しかし、当時の新聞などには右側のような挿絵を入れたということです。
 つまり、実際に実物を見ないで想像画を作成したようです。さらに勘ぐれば、読者の想像をかき立てるような姿に置き換えたのではないかと思います。実際には、ほとんど裸の状態で発見をされたのですが、露骨な描写ができないことや記事を面白おかしくするために、かなりの部分を捏造してあることがわかります。

 あまりにも複雑化をしてしまった現代社会に置かれた私たちを原点から見直すために、そのような方法が最短コースと考えたからです。いったい、アヴェロンの野生児(ヴィクトールという名前が発見後に付けられた。)ですが、いったい彼は何を人生のキーワードとしていたのでしょうか。
 そして、そのようなバックグラウンドをもって、どんな一生を過ごしたのでしょうか。

 ヴィクトールを見ると、非常にすっきりとした回答が得られます。それは、じゅうぶんに納得ができるもののようです。私たちは彼を見ることによって、いわばノイズを取り除くフィルターを通して、人生を考えることができるからです。
 そのような方法を用いて、私たちも何とかして生きている間に安心立命を確立したいものです。


(注) 最近になって、カンボジアでも「獣人に育てられた少女」の報道がありました。
 2007年1月13日のことです。カンボジアのラタナキリ州で、男女らしい獣人が畑を荒らしていた。村人が追うと、男のほうは逃げてしまった。しかし、女は逃げ切れずに捕らえられた。
 その女は、19年前に行方不明になった村の少女であった。しかし、4本足で歩き、言葉を話さずに奇妙な音を発するだけであったという。
 実父に引き取られたが、部屋の隅にうずくまるだけで、とくに人間社会に対して興味や反応を示さなかった。そしてその年の11月、家族の隙をみて逃げ出してしまった。おそらく、一緒に生活をしていた男のもとへ帰りたかったのであろう。

 それが、8歳で誘拐されて19年間もジャングルで男の獣人(ヌグォイ・ランというUMAらしい)に軟禁されて過ごし、それでも生きながらえた結果の厳しい現実であろう。そのように、私(黒田康太)は考える。つまり、相手や環境によって人格や価値観は形成されるのではないか。


○トポロジー的に考えると

 私たちの身体は、一連の皮膚で囲まれた部分に過ぎません。部分というのは、さらに大きな全体があるからです。

 上の図を見てください。
 一見「複雑そうに見える彼女」も、よく観察してみると「単なる一本のパイプ」と考えることができます。つまり、インプットとアウトプットがある皮膚に囲まれた一つの有機系ということになるのです。

 つまり、人間の身体は、約5.5平方メートルの皮膚に囲まれた部分。しかし、その内部は誰もが同じとは言えないようだ。その内部で驚異というか、摩訶不思議なことが日々・時々刻々行われている。例えば、5リットルの血液は、総延長9万6000キロメートルの血管を流れる。しかし、血液が毛細血管の先にあるグルミューまで、正常に行き渡っている人は少ないであろう。私は20年間も努力をして、そこまで通したつもりである。


 人間は、単に「入れ物」に過ぎないという考え方。
 「孔子の壷」「クラインの壷」


○内管と外管

 ここで人体について、改めて考えてみましょう。
 人体をモデル化して、最終的にはトポロジーとして「人体を一本の管」と考えるのです。すると、そこには内管外管があるのです。
 内管は、言葉のとおり閉じられた管です。いっぽう外管は、少なくとも一つの開口部があって、外界と通じている管なのです。

 内管と外管についても、概念を示す図を下に示します。

 内管は、左図のような「一本のパイプ」と考えてください。つまり、内管はオリフィスやベンチュリー管のようなもの。インプット側とアウトプット側の流量が異なることがふつうだからです。
 いっぽう、外管は底の閉じたパイプ、つまり瓶のようなものを考えたらよろしい。

 哲学で用いる言葉に、オッカムの剃刀(かみそり)(Ockham's razor)という比喩がある。それは、「存在することは、必然性なしに増加してはならない」という原則。ある理論が、現時点よりも広範囲の事象を説明できればよい。そしてその場合、現在よりも単純な理論が好ましいと考える。オッカムが、論理的思考として多用したことにちなんで名付けられた。


○内包と外包

 さらに、内包と外包の概念が必要です。

 内包は、内部に含むこと。そして、外包は、自分自身が一つのカテゴリーに含まれることです。
 そのカテゴリーには、自分以外にも他のものが含まれていることがあります。


○ミクロコスモスとマクロコスモス

 ミクロコスモスとマクロコスモスは、単に相対的なことである。


○ポアンカレとポアンカレ予想

 ポアンカレ(1854〜1912)は、フランスの数学者・天文学者・物理学者です。実用主義に対して「科学のための科学思想」を主張しました。トポロジーなどの考え方も、その一つではないでしょうか。
 トポロジー(topology)とは、「位相」のことです。さらに、位相幾何学や位相数学などを言います。
 位相数学は、狭義としては位相幾何学のことですが、広義としては「考えている対象を通常の空間から位相空間、つまり抽象空間まで広げて、その性質を研究します。

 ポアンカレ予想という難題があります。
 それは、宇宙が一つのまとまった空間であるためには、トポロジー的に閉じていないとダメという考え方です。しかし、それをなかなか証明できる人が出てこなかったと言います。やがて、サーストンが8種類のパターンを用いて証明をしました。八種類とは、球、ドーナッツ状、その他6つの変形をしたドーナッツ状です。

 私(黒田康太)には、難しいことはわかりません。しかし、ここではポアンカレやサーストンに習って、人間をシンプル化して二種類の構成単位、つまり「球」と「ドーナッツ」で考えようとしています。


○食べて寝て、交わるために労働をする

 生物にとって、基本的なこと。
 人間は「存在すること自体が恥」。


Kuroda Kouta (2007.02.14/2008.03.25)