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 あなたに心豊かな日々を!

 安心立命のページ(5)


      音楽(BGM)は、大庭加奈子が演奏をした「母に抱かれて聞いた歌」です。
      左のスライド
音を小さくしたり、止められます。


 このページの内容



  最終的な安心感の確立

     死に関するエピグラム
     人の一生=人生とは何か?
     老人の死
     「老人になる教育」と「死の教育」
     自分自身の死後のこと
     死ねばすべてが終わりか(死後の状態)
     福音書とは何か?
     「恐竜の化石」「地球は平ら」「ノアの箱船」
     独り宗教のすすめ(自己宗教の確立)
     自己福音書の作成
     隠された事実(ドラゴン伝説)の感知?
     康令の最期
     私の「死後の世界」入門


 最終的な安心感の確立

人の一生=人生とは何か?

 おそらく死ぬ直前に、私は「よくよく考えてみれば、愚かであり、恥の多い一生だった。」と思うんじゃないでしょうか。
 そして、もしも「自分の一生は、輝きのある誇らしいものと思う。」と考える人がいたら、私はその人について
 「それは、脳の作用として生じた『自己防御のからくり』という幻影でしかないかもしれない。」などと思うことでしょう。

 ほんとうは、私自身もこのようなホームページをだらだらと作るよりも、黙って何も残さないで去っていったほうがよいのではないかと思ってはいるのですが、…… なぜならば、私にとって物を書くということは、恥をかくのということと似たようなことなのです。まぁ、言ってみれば『荘子』の恵施(けいし)に対する批判のようなものでしょうか。

 だから、ほんとうは「求められたことで、必要以外のことを書いたりする必要はない」はずなんです。それが、仲間とのいきさつ上で引っ込みがつかなくなって、このようなことになりました。実のところ、自分自身の存在自体が『星の王子さま』の飲んべえのように、恥ずかしいのかもしれません。
 かなり偉大な人にとっても、人生はあまり楽しいものではなかったようです。モーツァルトは、三十五年の短い生涯で数多くの名曲を残しましたが、あまり楽しい日々ではなかったようです。とくに、晩年は。

  ベートーヴェンの生涯の最後の言葉は、

  <喜劇は終わった。>

だそうです。そして、

 <あの馬鹿な連中には、言いたいことを言わせて置くより他に仕様はない。>

という捨て台詞のような言葉も残しています。
 老いたゲーテは、自分の過去を語りがらず

 <全生涯を通じてほんとうに幸福だったといえるのは、たった四週間にも足らなかった>

と言ったそうである。
 いっぽう、シェークスピアは『マクベス』の中で、死の定義とも考えられる

 <一生は動く影>

と書き残しています。
 もっと冷静になって、『寒山詩』にあるように単純に

 <人々が次々とこの世を去ってゆくのは、あたかも残った灯火がだんだんと消えてゆくようなものだ。>

と考えればよいのではないでしょうか。
 もともと「人の一生」を定義づけたり、「人生とは何か?」などと考えること自体が、ツイアビが『パパラギ』で言っているように、一種の脳の病気なのかもしれません。つまり、「考えるという重い病気」なのです。私も、大いに反省しているところです。あるいは、「恥をかくのも一生のうち」だと、開き直ってしまうのも安易な一つの方法かもしれませんが、……

 「人の一生」などと言うと、何となく「メメント・モリ」という言葉を思い出します。ヨーロッパでは、ふつう骸骨や髑髏(どくろ)の絵でメメント・モリを表現しました。日本でも良寛の『骸骨詩』などは、同じ考え方によるものでしょう。「骸骨」は、何となく人生の終末を意味するからです。

 ベルギーのアンソールという画家は世間に認められず、骸骨や仮面を付けた人物の絵を描きました。つまり、人の内面を骸骨や仮面で皮肉に論(あげつら)ったのです。しかし、有名になると骸骨や仮面には、もはや皮肉のない他愛のないものになってしまったそうです。
 さらに、マルクス=アウレリウスの言葉や荘子の言葉が脳裏をよぎります。
 マルクス=アウレリウスの『自省録』にある言葉です。

 <あたかもよく熟れたオリーブの実が、自分を産んだ地を讃(ほ)めたたえ、自分を実らせた樹に感謝をささげながら落ちていくように。>

 何とも、さわやかではありませんか? そして、私もそうなりたいと思っています。
 荘子のほうは、先ほどの恵施の対話とは違って、もっと厳しくスケールが大きいようです。

 <死は、雄大な帰省(きせい)。>


老人の死

 老人の死は後ろから来るようです。若い人の死のように、前から突然に襲ってくるのではありません。つまり、老人の死は背後からゆっくりと追いかけてくるような感じでしょう。ですから、本来ならば準備をする期間があるのです。それをいつまでも奢りの気持ちがあるために、つい見過ごして不覚をとってしまいます。死は「まだ私の問題じゃない」などと、のんきに構えるのです。ほんとうは、「のんきに構え」ているのではありません。それを自分が考えたくないのです。
 しかし、根本的にそのような考えをやめるべきでしょう。

 「死ぬことも人生の一部」と考えてみてください。生と死は、もともと別なものではありません。それぞれが、連続をしている人間の一生のプロセスを構成する一部分なのです。ですから、それに触れないようにするということは、無責任な生き方をしていることになるでしょう。自分の死については、むろん未経験です。そこで、想像をしてみて一連の記述をしてみるのもよいでしょう。自分なりに覚悟を新たにするためです。
 さらに、自分自身の死亡広告や死亡通知、遺言書なども作っておくとよいでしょう。自分の死を客観的に見ることによって、死を恐れないようにするためです。

 いつの日か、あなたは必ず死ぬでしょう。それは、紛れもない事実です。自分のいなくなった後の家庭を考えたり、自分の葬式を想像したり、もしかしたら新しく作られる自分の墓などに想像を巡らしてみてください。そのようなことを冷静に考えられるようになると、安心立命の境地に近づいたと言えましょう。
 ルイ15世が言ったような「わが亡き後は、大洪水も何のその。」などとは、決して考えてはいけません。なぜならば、空間と時間を必要としない感覚などが、死後も残るかもしれないからです。


「老人になる教育」と「死の教育」

 還暦を過ぎたら自分自身で「老人になるための教育」を行わなければなりません。また、「死に対する教育」つまり「デス・エデュケーション」も必要です。
 老人は、ふつう「エルダー」と呼ばれます。その意味には「年長者」「先輩」「長老」などという意味があって、人生について知りつくしていなければならないのです。そんなためにも、付け焼き刃のようですが「老人になるための教育」と「死に対する教育」を確率しておきたいのです。自分自身に対してあいまいな不明なところがあったり、いまだに「死とは何か」がわかっていないようでは、とても安心立命ができません。
 そんなためにも、ここでまとめておきたいのです。


自分自身の死後のこと

 親鸞や檀林皇后のことを考えると、自分の死後の処置などは何でもありません。
 私は、自分自身で自分の死後のことを取り仕切ることはできません。それは、誰でも当然のことです。そこで妻に強く次のようなことを言って、約束をさせています。まず、葬式は一切不要ということ。私が死んだら、誰にも知らせず市へ届けて、焼いてもらってから骨壷は自宅へ持ち帰る。そしてその後、一段落をしたら私が(生前に)指定した場所へ、骨を分散をして撒きなさい。

(注) 親鸞と檀林皇后については、「私のシステム」にある「死の準備メモ(メメントモリ入門)」の「親鸞と檀林皇后」を参考にしてください。


 ただ、それだけである。香典もいらないし、むろん式をしないのであるから、焼香なども不要です。
 また指定した場所と言っても、多摩川の流れと多摩の奥山であるが、ここでは場所を内緒にしておきたい。実際には、問題になると困るので、こっそりと流したり、撒いたりしてしまうのです。そのようなことを決めてからは、心が落ち着いて安心感を確立したことは事実です。
 なぜならば、死んだら自然に帰れると信じたからです。


福音書とは何か?

 「福音」とは、「幸福の音信」(いんしん)のことです。つまり、それは一種の便りなのです。その便りを編集したものが、福音書なのです。しかし、『新約聖書』にある四つの福音書は、現在では物語になっています。長い間の何回もの編集の結果なのでしょう。文章を少しずつ補填していくと、どうしてもストーリのようになってしまうようです。言い足りないことを次々と継ぎ足していくと、どうしても長くなるからです。

 一例として、私の場合の便りの内容を次に述べてみましょう。
 「自分が望んでいるものになりたいのであれば、思考をそれに合わせなさい。
 風になりたいと思ったとしよう。私は風のことに思いを巡らせる。すると風になったのだ。
 本当に風になったのだろうか。また、そのことを誰かに尋ねる必要もない。
 神が自分の中にいても、自分が神の中にいても、どちらでもいいことだ。
 もともと一体のものだから。」


「恐竜の化石」「地球は平ら」「ノアの箱船」

 地球は動いているという事実。しかし、あなたはそれをあなた自身の身体で実感として感じますか?
 そのような知識から常識になってしまったことで、もはや何も感じないままに不思議ではなくなってしまったことがらが、現代にはかなり多く見受けられます。わかりきったことは、とくに自分自身が認識をしなくてもよいのです。

 それぞれの価値観や言い分というのは、かなり異なっているのがふつうです。ある宗派の人たちは、過去に恐竜などはいなかったと言います。恐竜が過去に繁栄をしたということ自体が、学説の捏造だというのです。したがって、恐竜がないのですから、「恐竜の骨」などはむろんないのです。
 もしも誰かが「それでは恐竜の化石が発掘されるのはなぜか?」と問うと、

 <恐竜がいたのではなく、最初から化石の状態として神が作った作品なのだ>

と言い返します。
 現代の社会にも、「地球は平ら」(「地球は平たい」「地球は平べったい」などというときもある)という協会があるそうです。アメリカに本部があって、1700人もの会員がいるそうです。そしてそこに属している人は、今日でも「地球は平面である」つまり「地球は平べったい」と信じているそうです。NASAが月面から写した地球の写真を見せると、「それはデマゴーグの陰謀だ!」と真剣に言い張るそうです。
 そして不思議なことに、恐竜がいなかったという人たちも、地球が平らであるという人たちも、いわゆる普通の人たちに混ざって、日々何事もなく暮らしているのです。

(注) 「地球は平ら」については、贈呈を受けた青山圭秀著『科学と知識のさらなる内側 理性のゆらぎ』(三五館)(31p)という本に書いてありました。


 また、過去の伝説を自分たちの有利に解釈をする人々もいます。ノアの箱船が到着をしたのは聖書ではアララト山とされていますが、フランスとスペインの間にあるバスク地方の人々は、そこにノアの箱船が到着したのだと主張をします。なぜならば、そこにも箱船の残骸が残っていたからです。
 しかし、もしかしたら箱船はいくつもあって、それぞれに別なところにたどりついたのかもしれません。そして、むろん途中で難破してしまったものもあるでしょう。その場合は、そこには子孫が残っていないのです。


独り宗教のすすめ(自己宗教の確立)



自己福音書の作成

 自己福音書は、自分自身の「こころのやすらぎ」を求めたものです。いわゆる「安心立命」は、人によって異なります。なぜならば、人生観自体がそれぞれ十人十色だからです。そして、最終的には自分自身で自分自身の信仰を作る必要が生じます。つまり、どうしても自分自身の独自な立場の信仰の確立が必要になってくるからです。この内容については、改めて別のページで説明をいたしましょう。
 そのようなことを詳しく知りたい場合は、

    自己福音書

をご覧ください。
 しかし、このようなことをバカにしてはいけません。なぜならば、効果が非常に大きいからです。
 嘘だと思ったら、あなたもなさってみて下さい。


隠された事実(ドラゴン伝説)の感知?

 科学が進んでも、何とも理解できない不思議なことがあります。それは、私たち人間の目がある対象に関しては見えないようになされているからです。近代になって科学が発展したことによって、逆に感性が衰えてしまったために、間違った認識をしていることが多いようです。

    私のドラゴン伝説・説

を参考にしてください。
 しかし、そこに書かれていることは私が感性で知ったことがほとんどですから、証明ができません。したがって、そのようなことをご承知いただけないときは、お読みにならないでください。その隠された事実を知ってしまうと、今までに不思議であったことが当然のこととして理解できるのです。


康令の最期



私の「死後の世界」入門



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安心立命に関する一連のメモ

 舛添問答などで、ついったを利用したときのコメント
○ふぉあ=フォロー、ありがとうございます。わたしは=私は、昭和14年(1939年)生まれ、超高齢者で、病気だらけの人間ですが、こんよ=今後とも、よろしくお願いいたします。黒田 康太


 舛添問答
  多額の都の税金を無分別に使われてしまうので、何とかしなければならない。
 舛添に関するコメント
○舛添にだらだら時間かせぎをさせると、その間にシナ、北・南チョーセン、帰化人、国際スパイなどによって、国(日本国)や国土が少しずつ乗っ取られて、しまいには完全にアウトになっちゃう。私は心から、それを心配しているんです。
○今まで見てきた舛添の性格から、もしかしたら、第三者は舛添自身(自作自演)ではないかと思う。どげちだから、費用をかけないで、都民を騙すことなどへっちゃら。そのくらいの演技力はある。舛添にだらだらと時間かせぎをさせると、国がアウトになってしまう。
○政治家の皆さんも、ぼつぼつ恐ろしい現実に気付くでしょう。この瞬間にも、シナ、チョーセン、帰化人、国際スパイなどによって、国(日本国)や国土が少しずつ乗っ取られて、しまいには完全にアウトになっちゃう。私は心から、それを心配しています。
○税金の私的流用は【横領】と言って犯罪。金を返したら済むわけではありません。
万引きして見つかったら金払うからいいだろ!と逆ギレする奴と同じ。金を払っても窃盗の罪は消えない。
○確かに、その通りだとも思う。しかし、私が考える舛添は犯罪人(国賊)で、しかもチョーセンのスパイと言われても仕方ないことをしている。したがって、法によって裁かれ、服役をするのが妥当ではないか、と私は思う。
○筋金入りの悪人というよりも、筋金を入れられた普通の人なのではないだろうか? ただ簡単に金で釣られて動く人間だということを組織に見破られて。
○舛添は、実質上、南トンスルランドのスパイだった。
○舛添に関しては、いままでに何回かツイットしたが、私は他の記事を見ただけで、確証がない。全体からの判断をしてみただけ。そして、やはり思ったような結果だった。そこで、こんなバカバカしいことは止めようと思う。
○案をいくら協議してもしかたない。舛添のような「国賊」というか「外国のスパイ」のような国家公務員が出ないようにしてほしい。そして、税金を舛添のように愚かしいことや無分別に使わないでほしい。そして、日本の国を、素晴らしい国にしてほしい。
○立正大師(りっしょうだいし)の著作に『立正安国論』があるのをご存知ですか?。文応元年(1260年)に書かれたもので、執権北条時頼に送って治世の要道を説き、当時の天変地異は邪法によるとして、正法を弘めるべきことを主唱した問答体の漢文です。蒙古の来襲(元寇)の危機も述べられている。
○どなたかのツイットに「立花隆さんと言う人が、ひねもすYouTubeの記録をしている」とあったが、私も似たようなもの。ここのところ老化予防とボケ防止に空いた時間はYouTubeやこのツイッター。しかしいま急変する世界の情勢を鑑みると、こんなことをしていていいのだろうか? とも思う。
○きのう、乞田センターバス停の横に「東京を世界で一番の都市に!」という自民党のポスターが貼ってあった。舛添のことを考えると、みっともない話。市民に、投票の注意をうながしているのであろうか?
○私も、そんなことだろうと思う。給与半額返却から、暗殺を逃れるために給与全額返却への茶番劇、北海道に競走馬を10匹もっているという話。千葉で社長から、競馬について学んでいたことなどは、隠しておきたい。それらも、いま何とか逃れたみたい。


 シナの大気汚染
 ケムトレイル

 海外スパイ
 ハングル表示


ここからは、日々メモ

2016.05.24(火) パソコンの調子が悪くなってしまった。
舛添に関する意見 舛添にだらだらと時間かせぎをさせると、シナ、北・南チョーセン、帰化人、国内スパイによって、国(日本国)が乗っ取られてアウトになっちゃうんで、私は心から心配しているんです。

すでに地球が、エイリアンによって乗っ取られているみたい。

2016,05,30(月)
新聞・テレビなどでは真実が得られない。広告主がいて、情報が正しくないからである。そこで、インターネット上の情報を自分自身の責任で見る。そして、自分自身の判断を下す。
現時点において、何が事実であるかを知ることが必要である。
とくに、後日必要であると思われるソースは、
 facebook(個人・お知らせ)  
 ツイッターに入るとき、https://twitter.com/
に残しておこう。


20160207 今年になって、比較的暖かい日。ベランダのオオイヌノフグリも、小さい空色の花を開いている。
何とか今年も、健康でありたい。脳梗塞やガンにはなりたくない。

20160208 【高齢者】
とうとう私も高齢者になってしまった。いつまでも、健康でありたい。そこで、日々注意しなければならないことがある。差し当たり、「空気」と「水」と「食べ物」に注意をしよう。

20160209 【空気】 日々生きていくに「空気」は、大切。「水」は、半日。「食べ物」は、せいぜい一週間。大丈夫。しかし、空気は3分ほどしか、がまんできない。私は、新鮮な空気を吸うために深呼吸をする。しかし、シナから来る汚染された空気や、飛行機の散布した毒ガスなどを避けたい。(ツイッターいっぱい。ここまで

20160211(木) 【水】
水も人体には大切。よい水が少ないので、私はハレーという浄水器を使っている。ペットボトルを利用したり、安全な水の配達を利用する人もいるみたい。

20160211(木) 【グリーンライブセンター】
臼井先生が来てくれた。私の携帯につながらなかったらしい。もしかしたら、充電中であったからかもしれない。クロスガーデンのすき家で、牛すきを食べてから、グリーンライブセンターまで歩いていった。坂がきついので、往復ともにパルテノンのエレベーターを利用した。

20160213 (土) 【食べ物】
食べ物については、日々の食べ物によって、身体の調子がおかしくなってしまわないように、下記を認識して欲しい。
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/am/kayaku.html

20160214 (日) 【運動】
高齢になって、五日間ほど歩かない日々が続くと、脚がダメになってしまうらしい。それが原因で、車椅子になってしまった知人がいる。私は玄関の外の廊下を利用して、小さい散歩をする。玄関を出て右に行き、階段を昇って、六階の通路を左に進んで戻ってくる。

20160217 (水) 【春】
東京都多摩地区は、朝から晴。だいぶ春らしくなってきた。しかし、もう一度くらい、雪が降るかもしれない。異常気象が世界的に起こっているから、心配。また、地震などの天災や、愚かな戦争があるかもしれない。

20160219(金) 【杞憂】
私は、気が小さいから心配性である。アメリカとシナが対峙して、賢いシナ人がいたら、早急にアメリカから日本を切り離すことを考えるだろう。そして、追い詰められたシナは、持っている核弾頭をすべて日本に向けて発射するかもしれない。つまり、……。

20160220(土) 【喜寿】
とうとう、私も喜寿(七十七歳)。還暦(六十歳)、古希(七十歳)のときは、まだ元気があったが、ここのところ身体がだいぶ弱ってきた。でも、日々YouTubeを見たり、身近な研究【黒騎士(ブラックナイト)】【かぐや姫(モナ・リザ)】などはしていきたい。

20160221(日)【糖尿病の歩行】
高齢者には、日々歩くことが大切。運動療法の基本。そこで、細かい立ち居振る舞いの他に、少しでも歩くようにする。

20160221(日)【UFOの観察】
いつも、夜中にUFOの観察をする。今朝は曇っていて、人工衛星も見えなかった。東南を見ると、赤い点滅が二つと、普通の点滅が一つ見える。それぞれ、飛行機に対する目印になっているらしい。羽田から、飛び立つ飛行機は、赤や普通の点滅をしている。

2016.02.24)(水)【曇った日々】 今日、東京都多摩地区は、曇り。晴れ間がない。シナから来る排気ガスのためか、すっきりと晴れた日が少ない。朝方に富士山を眺めたり、夜中にUFOの観察をすることも、少なくなってしまった。

2016.03.07)(月)【ものの整理】 三月に入って、二週目。小雨が降っている。ここのところ、なぜか体調がよくない。自分自身の身体をメンテナンスするほかに、身の回りの持ち物なども、整理をしていこう。とくに、書類などは作品に仕上げたり、自分自身で納得のいく形にして残しておきたい。

2016.03.08(火)【UFOの観察】 今、朝から薄日が差して、何とか晴れ。しかし、今朝がたまで空は曇っていて、人工衛星も見えなかった。したがって、UFOの観察はできなかった。

2016.03.08(火)【疲れる・めんどくさい】 ここのところ、疲れが激しい。そして、何をするのも、何となく面倒くさい。単に、加齢による現象か? しかし、もしかしたら、重力の加速度が変化したり、地球の地場の向きの変化があったのかもしれない。

2016.03.09)(水)【YouTube】 とくに、することがない一日、ひねもすYouTubeを見ている。実に有意義な情報がある。無料で見られるのがありがたい。世界の動向やニュース、科学や歴史などの知識、音楽や映画など、すべての分野がある。いつまで見ても、飽きない。


Kuroda Kouta (2003.05.03/2016.06.21)(火)