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 あなたに心豊かな日々を!

 安心立命のページ(2)なぜ心が落ち着かないのか?


      音楽(BGM)は、大庭加奈子が演奏をした「母に抱かれて聞いた歌」です。
      左のスライド
音を小さくしたり、止められます。


 このページの内容

     孤独な存在
     病院や養老院
     急速な技術革新
     ものがありすげて不自由の愚
     ものは豊富にあるが心が貧しい
     若い男女が求め合うのはなぜか?
     西行・長明・兼好
     全体を見通す必要性
     宇宙に溶け込んだ状態
     哲学について
     死にいたる病
     死のあらまし=従来の常識とは、まったく異なる考え方
     往生用心集(いわゆる死の準備、死へのハンドブック)
     超整理学入門

 なぜ心が落ち着かないのか?

孤独な存在

 多くの人といると、独りになりたいと思います。しかし、一人になると誰かと話がしたいなどと考えます。元来、人間とはそんなものでしょう。もともと人間は孤独であるのに、それを忘れているのです。いや、そのようなことを忘れようと努めているだけなのかもしれません。実際には、かろうじて自分の内部に遺伝子として35億年も引き継いできたものを、自分の代で失おうとしているのであるから、考えてみれば何とも寂しいことである。

 ギリシア時代に考えられたアンドロギュノスの説は、人間が二つに切り裂かれていて、互いに相手を求めて探し回るという内容であった。確かに、言われてみればその理屈には説得力がある。そんなわけで孤独な存在でありえたいという考えの反面、多くの人と交わりたいとの気持ちもあるので、何とも人間は複雑なのです。

 社会から離れて生きるということは、もはや今日の経済ではムリでしょう。隠遁者の生活など、実際には不可能だからです。でも、人間関係の煩わしさを逃れる方法として、隠遁に似た生活をすることは今日でも可能です。そして、さらに清貧の生活を求めるのです。そのようにして、事実上乞食と同じような状態になったとき、何とも伸び伸びとした状態が実現できます。

 『方丈記』の言うような身のこつがいになることを恥じたりする必要は、まったくありません。なるべく物を持たないという生活が、いかに素晴らしいかということも、実際にやってみないとわからないでしょう。そして、やってみても個人差が大きいので、必ずしも私が感じたのと同じになるとは限りません。そんな意味で、一人一人が確かめてみるしかないのです。


病院や養老院=貧者の救済

 最近になって病院で亡くなるお年寄りが増えています。思いがけずに、病院が終(つい)の棲家になっちゃうのです。それも、3ヶ月ほどを過ごして別の病院に移され、不自由な日々を送るなかで死を迎えることになるようです。また、養老院という施設が昔からあったようです。現在は、高齢者養護ホームなどともいうようですが、その仕組みはあまり変わっていないのでしょうか。
 つまり、家族から見捨てられたような状態で、死を迎える場合が多いというような現実をみて思うことなのですが、……

 いろいろな設備を参考までに思いつくまま、ここに記してみましょう。過去にあった施設で現在はないものや想像上の場所なども含んでいるかもしれません。なぜならば、書物の中に書かれていたものもあるからです。

ピエタ慈善院……ヴィヴァルディの時代に孤児を集めて、音楽や美術を修得させた。他にも3つあった。

貧民院……言葉のとおり、自立できない貧しいものを収容するようです。
 バーナード=ショーの『ピグマリオン』(p401)に書かれていました。なお、『ピグマリオン』の内容はイライザの出てくる『マイ・フェア・レディ』と同じです。

養育院……年齢に関係なく収容するのでしょうか。
 『クロフツ短編集 I 』(p156)に記述があります。

・ 「貧しい者に食を供する長者」……釈尊の教典「スッタニパータ」「サンユッタニカーヤ」などに出ている。

・ アショーカ王の「施しの家」……インドでには、救済事業に関心のある王が多くいました。

・ 聖徳太子の施薬院(せやくいん)など四院(他は、りょうよう院、悲田院、きょうれい院)……『看護史』(p39 p80)に詳しい記述があります。

(注) 「悲田院」については、『徒然草』の第百四十一段に、次のような記述があります。ただし、施設に関しての説明ではなく、そこの責任者の人柄についてです。

 <悲田院(ひでんいん=京都鴨川の西に在り、京中の病者孤兒を收容して施養する施設)の尭蓮上人(ぎょうれんしょうにん)は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、言受けのみよくて、實なし」といひしを、聖、「それはさこそ思すらめども、おのれは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに情あるゆゑに、人のいふほどの事、けやけく否(いな)びがたく、よろづえ言ひはなたず、心弱くことうけしつ。僞(いつはり)せんとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。吾妻人は、我がかたなれど、げには心の色なく、情おくれ、偏にすくよかなるものなれば、初めより否といひて止みぬ。賑ひ豐かなれば、人には頼まるゝぞかし」と、ことわられ侍りしこそ、この聖、聲うちゆがみあらあらしくて、聖教(しゃうげう)のこまやかなる理、いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心憎くなりて、多かる中に、寺をも住持せらるゝは、かく和ぎたるところありて、その益もあるにこそと覺え侍りし。>


行基……行基菩薩と言われるほど、社会福祉につくしたそうです。

栄西(ようさい)・叡尊(えいそん)・忍性(にんしょう)……いずれも、貧者の救済や病人の治療、そして捨て子の養育などに力をつくしました。

鉄眼(てつげん)の事業……鉄眼は大蔵経の出版を一時断念して、天災による被害者を救済しました。

桃水(とうすい)は、乞食僧と言われながら貧者を救済しました。

・ 栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)、高弁も社会事業にかかわりました。

・ 寺による救済事業……天災や火事などがあると、多くの寺が炊き出しや人々の救済にあたりました。

徳川吉宗……小石川の療養所

 世界を見ると、そのような設備はいろいろとあったみたいです。また、日本国内でも過去には多くの福祉設備が完備していました。そして、生活ができなくなったら転がり込んで世話になり、しばらくしてふたたび社会に出て自立をしたようです。しかし、現在の日本ではいかがなものでしょうか? 安心をして転がり込み、そこで面倒を見てくれるようなところがあるのでしょうか。何となくホームレスが、最終点のように私には思われるのですが、……


急速な技術革新

 以下のことを申し上げようとすると、いったいシーラカンスのような老人がホームページで何を言おうとしているのかといわれそうで、びくびくします。しかし、ここにありのままの気持ちや感想を正直に言ってしまいましょう。だって、通り一遍の上辺(うわべ)だけの話しをしても、安心立命には荒唐無稽な内容になってしまうからです。

 まず、こんな思い出です。
 私が、小学校に上がった年のことでした。それは、前の大戦の終わった年でしたが、そのころ真面目に考えたことがあります。それは、「一生に一度でよいから、自動車の運転をしてみたい」と思ったことです。そして、晴れた日の郊外のまっすぐな道路を夢想したものです。まったく今から考えてみると、当時小学生だからといっても、何とも愚かしい将来の希望だったことでしょうか。しかし、それが事実だから不思議です。

 それなら、三十歳のころ私は電子顕微鏡を作る企業のプログラマでした。仕事でコンピュータに触れていたのは事実です。しかし、そのころ真剣になって「将来は自宅にコンピュータを持ちたい」とも考えました。そして、そのために一部屋多く間取りをもった家に住まなければならないとも考えていたものです。さらに、メモリ容量もできたら500キロバイト、ハードディスクは100メガバイトくらいは奮発をしたいと悲願的な計画をしていたのです。

 それがどうでしょう。技術革新のおかげで、次々と考えた以上のことが急速に実現してしまったのです。自動車はむろんのこと、コンピュータも同様です。そして、かつての夢どころか、自動車は2台、さらに他にオートバイまで持ったことがあります。また、コンピュータは仕事の関係もあって、パソコンクラスが12台と中型機1台を所有していたことがあるんです。
 まったく、当時の夢からすると嘘のような現実でした。

 急速な技術革新によって、製品のコストが下がったことが普及をした理由だと思います。しかし、誰でも自動車やパソコンを持っているということは、本当に豊かなことでしょうか? 考えてみれば、自動車は主に移動の手段、パソコンは情報処理の道具です。本来の道具としての機能のほかに、遊びや楽しみの要素があるので、実にすばらしいことだと思います。
 携帯電話なども、ずいぶんと普及したものです。元来は通信の手段だったものですが、若い人たちの間では、通信というよりもおしゃべりの道具になってしまったようです。したがって、必要のない通信を絶え間なく続けている場合も見受けられるのです。


ものがありすぎて不自由の愚

 ふつう考えると、ものがあると自由になるはずです。少なくとも初期の電化製品は、家庭の主婦に自由時間を与えてくれました。それまでの力仕事であった労働をほとんど自動的に行ってくれらからです。しかし、最近になってものを持ちすぎて、かえって不自由になる愚かしいことが起こっています。
 多くのものがあるために迷ったり、ためらったり、心配をするのは愚かなことです。昔から、ものは精神を乱す作用があるようです。


ものは豊富にあるが心が貧しい

 科学技術の発展で、物資が豊富に出回っています。食べ物や日常品などは、食べきれないほど、使い切れないほど、いったい全部が売れるのかと心配になるほど、スーパーの店頭などに並んでいます。また、電化製品も同じです。すばらしい性能で、とても使い切れない能力をもつ製品が次から次へと売り出されます。そして、誰もが次々と購入をするのです。その価格も量産による効果で、非常に手頃です。
 しかし現代社会では、このようにものが豊富にある反面では、精神的な充足が得にくいのではないでしょうか。
 ものを買うときに、それが自分に適しているかどうかなどと検討をしたりはしないようです。そんな次第ですから、買ってから多くの機能を使わないままに終わってしまいます。実に、もったいない話ではないでしょうか。

 いちばんすごいと思ったのは、ナビゲーターの付いた車を買った知人の話です。その人は、カーナビを使わないと言います。不思議に思って、私がなぜかと聞いたら、「あれを使うと便利なのはわかっているが、使い方がよくわからない。一度やってみたが、事故を起こしそうになった。」と言うのです。
 その人は、お金持ちだから考えまでが豊かなのでしょうか。つまり、機能を使わないままに終わってしまっても、少しもムダとは考えていないのです。

 私ならば、すでに持っているものについては、何とか勉強をして使いこなそうとするのですが、…… なぜかというと、それにかけた費用が何となく惜しまれるからです。そして、それはちょうど自分自身が能力があるのに、怠(なま)けていて何もしようとしないということのように思えて、何となく後ろめたい気持ちになるのと似ているでしょう。
 そんなことを考えるのは、私だけなんでしょうか。


若い男女が求めあうのはなぜか?

 人間の霊魂が不滅であると信じたプラトンは、「大昔、人間は恋人どうしの一対であった」とも考えました。もっとも作品中で、喜劇作家に語らせているので、当時の社会における比喩(ひゆ=例え)か、政治に対する揶揄(やゆ=からかい)を意味したのかもしれませんが……
 それによると、人間の本来の姿はアンドロギュノスといい、手が4本、足が4本、1つの頭に顔が2面あったそうです。つまり、男女が背中合わせに合体したようなものでした。歩くときは4本足ですが、走るときは8本の手足を用いて、ボールのようにころがりました。その性格は複雑で、何かと理屈をつけては神々に抵抗しました。そこで、ゼウスが怒って2つに切り離したのです。



 したがって、分けられた2つが求め合います。しかし、考えることや行動が以前と異なって単純になり、どちらも互いに扱いやすくなりました。
 しかし、プラトン自身について言えば、彼の信じていた「霊魂の不滅」については、証明ができなかったようです。現代のわれわれも、まったく霊魂の不滅などを信じないでしょうが、プラトンほどの理路整然とした哲学者が考えたことですから、ある程度の信頼性が、その論理にはあるのではないかと考えるべきではないしょうか。
 そのようなことは、ブレーズ=パスカルエヌマエル=スエーデンボルグアドルフ=シュタイナーについても言えるようです。


西行・長明・兼好

 現実の社会が煩わしく、それを逃れるために出家をした時代があります。ここでは、西行(さいぎょう)と鴨長明(かものちょうめい、または「ながあきら」)と卜部兼好(うらべけんこう、正式にはうらべのかねよし、誤って「吉田兼好」という場合もある)の三人を考えてみましょう。

 西行は武士でしたが、二十歳を少し過ぎたときに出家をしました。
 「西行」は「西へ行く」という意味で、おそらく「極楽浄土へ行こう」という気持だったのでしょう。しかし、西行の心の友に「西住(さいじゅう)」という僧がいたと、私は何かで読んだことがあります。もしかしたら、単にその「西住」の名前をイミテーションしたのかもしれません。
 西行は、歌人として優れ、和歌を多く残しましたが、感情的な起伏が激しく、何となく行動が唐突な感じもするようです。空しさを感じて出家をしたのですけれど、実際には、死後の世界までを信じていたのかもしれません。当時の常識は、現代のものとは大いに異なっていたからです。出家をするときに縁側から蹴落としたりして邪険にした娘に対しても、後に尼にするなど細やかな愛情をそそいでいるようです。

 『日本書紀』に、
 <尾張に 直(ただ)に迎へる 一つ松 あはれ
 一つ松 人にありせば 衣(きぬ)着せましを 太刀佩(は)けましを>
というのがあって、身近にある松の木を擬人化しています。そして、もしもそうならば「着物を着せたり、太刀を佩かしたりするんだがなぁ」というのです。後になって良寛なども、そのような考え方をしたようですが、西行の場合にははっきりしています。

 なぜならば、
 <ここをまたわが住み憂くて浮かれなば松はひとりにならむとすらむ>
があるからです。
 何となく西行には人間くささが残っていて、それが作品にもはっきりと現れています。和歌は、『徒然草』のような理知的な記述ではないからです。
 次の
 <さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里>
はどうでしょうか。
 覚悟をして出家をした後でも、さびしさに堪えきれず相棒がいたらなぁと考えてしまいます。おそらく、それが実現不可能なことであると、自分自身でわかっているのではありますが。
 松に着物を着せても、太刀をはかしても、まったく仕方がないことですが、心の慰めにはなったことでしょう。うとましい社会から逃れて隠遁生活をしてみると、やはりそれはそれで心の懊悩がなくなるものでもないようです。


 長明は晩年になってから出家をしたようです。『方丈記』にも書いてあるように、自分自身の運がなかったというような感情で世を捨てました。ちょっと世間に対して拗(す)ねたような感じがないでもありませんが、『方丈記』や『発心集』の記述にはすばらしいものがあります。
 糸が張りつめたような感じの『方丈記』を書いたのは、六十歳前後と言われています。また、歌人としてもかなり活躍をしたようで、かなり作品が残っています。


 兼好は『徒然草』の内容からもわかるように、かなり機知に富んだ発想のできる人だったのでしょう。また、出家をしても俗世間の人たちとも、盛んに交わっていたようです。おそらく、第七十六段などは自分自身に対する戒めではないでしょうか。
 芥川龍之介は『侏儒の言葉』の中で、『徒然草』に対しては、「小学校の教科書」程度だというような何となく見下すような記述をしています。しかし、『徒然草』には人生の問題について深い洞察があって、奥行きの広い内容だと私は思っています。
 最後の三つの段のうち、第二百四十一段と二百四十二段は、とくに安心立命の問題には深い関係があるのではないでしょうか。
 当時としては、後醍醐天皇の生き方に、真っ向から反対をするような記述内容なので、とても驚かされます。

 なお、最後の段(八つになりし年、……)は後で誰かが付け加えたものではないでしょうか。いかにも天真爛漫な内容ですが、前からの続きとしては、何となく自慢げで唐突だからです。もしも、兼好が書いたものでしたら、それは最後まで読んでくれた読者へのサービス的精神の記述としか、私には考えられないのですが、いかがなものでしょうか。


 いずれにしても、この三人は安心立命を求めるために出家をしたと思われます。それぞれ何となく西行の直情的、長明の厭世的、兼好の利発的な面があるにせよ、遁世をしたことには変わりがないのですから。そして、いずれも和歌や随筆などの作品を残してくれたので、私たちは大いに事情をかいま見ることができるわけです。世の中の些事を捨てることによって、安心立命を確立するという考えがあったのでしょう。


全体を見通す必要性

 大きな森にいて、一本一本の木が見えないようなことがあっては困ります。
 人生の考え方には、いろいろな方法があります。時間をかけて、細部までをゆっくりと仕上げていくのも一つです。しかし、その方法では、時間がかかりすぎてしまうでしょう。とくに急いでいるときには、間にあいません。また、全体を見失ってしまう危険もあります。いつまでも出来上がらなかったり、焦点がぼけてしまったら何にもならないでしょう。そこで、このホームページでは、大枠を先に作ることにしました。

 そのようにして、とにかく低いけれども、見通しのよい頂きに登ろうとしていることは事実です。自分自身が努力をして、考えながら、あるいはつまづき、気付いたときは頂上にいるというような状態になるんです。そして、山頂から下界を見下ろせば、今まで進んできた道も一目瞭然です。もっと近道や、よい方法があったかも知れません。しかし、そのようなことは見晴らしのよい場所にいるからこそ、そのようなことが言えるのです。そして、さらに高い峰も見えてくるでしょう。

 屈原の「楚辞」に、
 <羹(あつもの)に懲りて鱠(なます)を吹く>
という言葉があります。
 それは、熱いスープをさまさずに食べ、口の中をやけどした人が、「冷たい肉の酢の物も、さまして食べようとする」という意味なのです。つまり、この詩は「世間の人は、ただ一度の失敗で気持ちを変えてしまう」と嘆いているのです。

 そこで、あなたがこのホームページを見てうんざりしたとならないような注意もしました。そのために、やさしいことから難しいことへと、また簡単なことから複雑なことへと進めています。飛躍をなるべく避けて、大切なことは何回も繰り返しました。また、前に出てきたことでも、その話題に必要なことは、臆面もなく反復をしました。その部分だけでも何とか辻褄(つじつま)にあうようにしたためです。つまり結果的に、あなたにわかっていただくためなんです。

 わたくしたちは、何事も最初はやさしいことから始めます。それが、技術をマスターするための確実な近道だからです。幼児の学習に、最初から外国語で書いてある膨大な百科辞典を与えても、あまり効果がないことは当然でしょう。これから健康問題、老化予防のテーマ、そして安心立命の追求などを考える人たちのために、このホームページを作ったのです。むろん、自分自身のことも含めています。

 しかし、一所懸命に考えて作りましたが、もしかしたら思い違いや間違いがあるかもしれません。あなたからご意見をいただき、いろいろと改訂をしていきたいと思います。そんな意味で、ここではパソコンやホームページを単に道具として考えました。あまり必要ではないことに、細かく触れないのはそのためです。それでも言いたいことが多く、かなりの分量になってしまいました。

 道具を使うためには、また小さい道具が必要になることがあります。また、ハードウエアを利用するために、ソフトウエアやアプリケーションという道具が必要です。したがって、かなりの用意をしないと道具は考えたように使えません。使いこなせないからです。
 携帯電話なども、優れた道具です。使い方によっては、人命にかかわるようなこともあるでしょう。しかし、多くの場合には何となく無意味とも考えられる使われ方がなされています。
 本来、ヒトは群れる傾向があります。一人でいると不安になるのです。そしてその不安を解消するために、互いに話をしたりします。そんなために、携帯電話は有りがたいものです。小魚が群れているのは、全体の生存を維持するのに、それが必要な行動かもしれません。

 とくに若い人たちは、近年になって本能的に何か不安を感じているようです。しかし、それ自体を自分自身で気付いていないところに、その不思議さがあるのでしょう。そして、不安だからじっとしていられないのです。また、黙ってもいられません。ちょうど、自転車が走っていないと倒れてしまうのと同じです。大きな目で見て逆に言うと、人類の心が満たされないから、現代まで生命が続いてきたともいえるのではないでしょうか。なぜならば過去に、集団自殺をしたのではないかと思われる文明さえあったからです。


宇宙に溶け込んだ状態

 宇宙に溶け込んだ状態で、あなたが生きることも必要ではないでしょうか。つまり、自己をあまり意識しないで生きるという態度です。そうすれば、気分的に和んで気持ちが楽になるからです。さらに、大宇宙を一つの虚空と考えてしまうと、人間一人一人の大きささえも感じられなくなってしまいます。

 (ここに、『名僧の死生観』(p215)を引用のこと)

 私たちは、一人一人は、「個人の人体」という単位で宇宙に溶け込んでいるのです。しかし、私たちは死んで焼かれた後は異なってきます。そのようになると、もはや人体という単位はありません。いったん骨壺に入って、そこではすでに分子の単位になっているのです。もはや、それが自分自身の分子というような感覚はなくなってしまうでしょう。そのように考えると、なんとなく心が落ちついてくるのではないでしょうか。
 分子になってしまえば、「呼吸する」とか「食べる」とか「排便する」とか、さらに「歯を磨く」「爪を切る」ような日々の動作、「愛を語る」「喧嘩をする」などという相手のある動作もすでに必要なくなってしまいます。
 当然のことですが、不思議なことでもあります。


哲学について

 考え方の基本がしっかりしていないと肝心のことが理解できません。とくに哲学的なことがらは、仏教やキリスト教などの宗教を考えるときも必要になるでしょう。そこで、指導をしてくれる人を探すために下記のようなフリーメールのサイトを作ったのです。



 当初、数週間はテストのためにディレクトリー公開欄を「公開しない」にしてあります。
 テストがOKであれば「公開」にしてメンバーを募集するのです。また、単に哲学サイトではなく「研究団体」にしたのは、新しい体系の哲学を確立しようという意気込みだからです。また、自分自身のモチベーションのために井上円了の哲学堂に行ってみました。暑い日でしたが、大いに励みになった一日でした。
 さらに、学生時代に入手した樫山欽四郎先生の『哲学叙説』を読み直してみたりもしました。そこで、いちおう哲学の基本について学んだことをまとめておきましょう。しかし、そうは言っても膨大な体系の中なら、何と何が必要なのかわかりません。
 そこで、いちおう独自の体系を作るものとして、

     私の哲学(サマリー)

というようなタイトルにしておきましょう。
 今後の他の宗教などと比較して遜色のない論理体系を作成して、「死後の状態」などの特殊なテーマを考える場合に、どうしても必要になる基本的なことがらを一通り整えておくためです。


死にいたる病

 キルケゴールの著作に『死に至る病』があります。

 その説明として、
 <耐えられないことは、自己自身から抜け出ることができないということなのである。>(p294下欄)
とありました。

 また、「死病」として
 <絶望は、自己におけるこの病は、死にいたる病なのである。絶望者は死病にかかっている。>
ともありました。

 私は、かなり以前のことですが、これを読んで愕然としました。なぜならば、ちょうどそのころ「どんなに頑張っても自分をやめたり、自分から出ることはできないのではないか?」と考えていたからです。そして、やけくそになったり、投げやりになったりもしました。また、物事に対して悲観的にもなりました。しばらくしてから、自分なりに「宇宙に溶け込むことによって、救われるのではないか」と思うようになって安心立命の境地に一歩近づいたのです。つまり、最終的には「己の考え方というか、価値観を変える」ことによって救われるのではないかと考えるようになったのです。

 キルケゴール(Kierkegaard 1813−1855 キェルケゴール)は、デンマークの宗教的思想家です。人生の最深の意味を「世界と神」「現実と理想」「信と知」などの絶対的対立の中に見いだしました。その著作には、「あれか、これか」「不安の概念」「死に至る病」などがあります。
 いまここで私は、改めて「自分から抜け出られない」ということを問題にしたいのです。キルケゴールのように精神的に高い境地の話ではありません。実際に私たちの身体を考えると、とどのつまりの極論をしてしまうと、それは単に「糞のつまった薄い革袋」に過ぎないのです。
 トポロジー的に考えてみても、インプットがあってアウトプットを出す一本の筒(パイプ)と何ら変わりありません。そして、その「皮の袋」が「病の器」でもあるのです。それは『死に至る病』どころか、すでに『死病』に取り憑かれているような状態なのです。

 身体自体で考えると、どうしても見たくない部分があるのでシビアになれません。そこで、自分の家や部屋を考えてみてください。一生の間、こつこつと物を貯めたり、汲々として金を貯めたりしても、最後にはすべてを捨て去る一生なのです。その「大きな入れ物」と私たちの「身体」とは、同じような愚かなことを繰り返すだけの単なる「器」になってしまっているのではないでしょうか。

 物や金を貯めるのは、それなりに理由がありましょう。しかし、個人がいくら知識を増やしても仕方のないことです。例えば、本を読んで単に知識を得るということは、箱にがらくたをギッシリと詰め込むのと同じで、やがて身動きが取れなくなって、窒息をして終わりになってしまうようないわば「死に至る病」なのです。貧しい時代の習慣で、「使わない物をため込むのがムダで愚かなこと」ということ自体を知らなかったために生じた死病なのです。
 いつまでも若々しくいるために、この辺で価値観の展開をしたいものです。


超整理学入門

 ここで言う超整理学とは、知的生活の方法と実践の試みです。自分自身を含めて、物の整理と有効利用を考えます。逆説的に「捨てることの大切さ」「捨てることの必要性」などをテーマとしています。なぜならば、「不要なものは持たない」−−これが「安心立命の一つの方法」とも考えられるからです。
 不要なものを持たないという思想、それはほう(まだれに龍)居士の考え方でもあり、フランチェスコの実践でもありました。そして、さらに「人間の身体」「老廃物」「新陳代謝」などについて、考えていきましょう。ここで、いま身の回りにある未処理事項を書き抜いてください。すると、おのずからそれらをするときの優先順位が決まってくるでしょう。
 そこで、

    私のシステム

にある「調整理学のすすめ」を参照してください。なお、「私の」と附してあるのは各自の場合で内容が異なってくると考えられるからです。どうぞ、あなた自身の超整理学入門を確立してください。


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私の「死後の世界」入門



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Kuroda Kouta (2003.05.03/2015.07.16)