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  三木アヤの宇宙花



■監修のことば

 宇宙花はコスモスを意味している。雑草にも似ている花である。
 ……
 今となっては、なつかしい思い出だけが残っている。
 ぜひ、……

三木 茂   


■はじめに

 三木先生の思い出は、つきない。
 下記は、私(黒田康太)が三木先生に捧げた作品である。

    宇宙花(うちゅうか)

 コスモスのごとく咲きたる賑わいも記憶の外に失われゆく


 なお、先生の作品からは親しみやすく、奥行きの深いものを抽出した。あまり難題な短歌は避けて、初心者のテキストとしても利用できる形にしたわけである。
 そんなわけで、必ずしも代表歌ばかりを採ったというわけではない。

■三木アヤ先生の経歴

1919年(大正8年)4月22日 香川県綾歌郡善通寺町で出生。
1924年(大正13年)5月 父は騎兵隊付陸軍獣医中尉。5歳で北海道旭川へ。小学校は3回転校。
1934年(昭和9年・15歳) 北原白秋主宰の「多磨」の創刊を知る。
1937年(昭和12年) 東京府立第六高等女学校卒業(現都立三田高校)
 同年9月 三木七郎と結婚。
1938年(昭和13年) 「多磨」に入会。
 今村寛氏に伴われ、当時下北沢の下宿「すみれ館」を宿にしていた宮柊二氏に教えを乞いに行った。
1940年(昭和15年) 長男(茂氏)誕生。
1944年(昭和19年) 長女(紀子氏)誕生。
1948年(昭和23年) 夫が戦地から帰還する。
1950年(昭和25年) 国学院大学入学。
1952年(昭和27年) 「多磨」が解散して、宮氏を中心とする「コスモス」創刊の発起人に加わる。
 翌年3月にコスモス創刊。
1954年(昭和29年) 国学院大学文学部卒業。院友会長賞受賞、高校教師資格試験合格。
1957年(昭和32年) 都立志村高等学校教諭から都立代々木高等学校教諭。
1965年(昭和40年)9月 歌集「地底の泉」出版 (第一歌集)。
1966年(昭和41年) コスモス賞受賞。
1967年(昭和42年) 東海銀行のカウンセラーとして名古屋に移る。
1977年(昭和52年) 「自己への道」刊行。大正大学カウンセリング研究所非常勤講師。
1981年(昭和56年) 「女性の心の謎」刊行。東京女子大学文理学部哲学科講師兼務(非常勤)。
1982年(昭和57年) 「白蝋花」歌集刊行(第二歌集本)。
1985年(昭和60年) 「宮柊二研究12、普遍としての宗教性」(コスモス60年9月号)書く。
1987年(昭和62年) 山王教育研究所講師。
1988年(昭和63年) 「宮柊二の思想」(コスモス62年12月臨時増刊号)によりコスモス第10回評論賞授賞。
1989年(平成元年) 「夢七夜」第三歌集刊行。
1995年(平成7年) 夫七郎氏死す。
1997年(平成9年) 「茜の座標」第四歌集刊行。
 その後、アルツハイマーを発症し、現在に至る。


「三木アヤの宇宙花」編集委員会



お元気だったころの三木アヤ先生と編集者

■第一歌集「地底の泉」




■第二歌集「白蝋花」




■第三歌集「夢七夜」




■第四歌集「茜の座標」




■第五歌集予定短歌(コスモス掲載分)

1990年 1月号
産卵の赤海亀にライトあてあからさまにす生命(いのち)の秘儀を
産みつぎて白き卵に砂をかけ亀おもむろに夜の海に入る
ピンポン球の様な殻破り生まれ出て砂の渚を目差す子亀ら
生まれたる浜辺に戻り卵産み亀天然を生きて死ぬなり
地吹雪の防禦柵立ち続く景蓼々ならむ庄内の冬は
訪へば女主人の留守の家ほととぎすいたく門庭に満つ
羽交し支へ合ひつつ飛ぶ鸛(こふ)を想ひ眠らな明日生きむため

1990年 2月号
墓地きめて十年来ぬ間に立ち並みし墓碑におどろく我が愚なり
たをたをとコスモス咲きてこの区画明るしといふ墓地に来て夫は
三日月に腰掛くるごと金星は宵(よ)空にありて輝きを増す
へんな世かへんでないのか分からねど霊見ゆるとふ話聞くかな
夜霧たつ窓の辺に寄り覗き見つ青木湖岸を包む真闇を
目もくれで葉書の歌を選り居ましき倦まず居ましき在りし日の師は
木犀の花の香去ると気づく路地瞬時茫々歩みながらに

1990年 3月号
多摩丘陵尽くるあたりか下柚木(しもゆずき)見渡せば寒靄紫に立つ
明日のことは明日にせむと身を伸ばす箱庭二セット荷解(ほど)き終へて
月光に指示標立つをたしかめて合宿棟の石段登る
夜気震ふ太鼓どんどん瞑想の若き人の輪踊る((ユング心理学講座合宿にて))
カーテンの隙に夜明を待つ雑木細き枯枝の漆黒ならず
ふはふはと生きて来しとは思はねど此頃何か胸の閊(つか)へる

1990年 4月号
南極は白(はく)茫々の冥からむ一月二十六日金環日食すとふ
氷山の白き大陸に沈まざる太陽ありて墓場に似たり
小さけど人間の脳に似るかたち胡桃割りつつ心(しん)澱みゆく
年賀状つひに書けざり正月の四日七十歳の首(かうべ)垂れゐつ
降る雪は祭りに似つれ埋もれしクリスマスローズの緑葉凍むな
カルフ女史亡きとふ知らせ裏打ちの黒き紙なる封筒をもて
星占信じねどわれの主星とふスバルが天頂に青む冬来ぬ

1990年 5月号
カーテンの白布ふくらみやはらかき日差透りく昼臥す部屋に
腰痛の夫がベッドを伝ひゆく春のあけぼのおぼつかなけれ
夢を採り歌のきれはし書きとむる枕辺のメモ鉛筆添へて
瞑想の地下なる国へ下るべく手続きとして先づ瞼閉づ
花雫(しずく)、指さき冷えて紫雲英摘む紫雲英田悲し記憶の中で
澱のごと煙まつはる大煙突の変な静けさ風なき空見ゆ

1990年 6月号
まだ疼く抜歯のあとよ風もなく夕焼もせず春の日昏れて
ゲラ拡げ赤鉛筆手にベッドなる英子夫人「あら」と面あげます
少しづつ子房が緑に太りゆくクリスマスローズ、ガラス瓶の花
玄米のお粥に混ぜぬ信濃なる弥生の山葵はなの白きを
身を捩り戦闘のさま夢中なるベンジャミンは米国の五歳((箱庭療法))の男(を)の子

1990年 7月号
来る人ら花の名を問ふ卓上の壷のカルミナ水泡(みなわ)玉花
味気なし馴染まざるもの今夜また留守番電話にものを言ひたり
目の前の壁に用事の紙片下げ自戒してゐてはやそを忘る
たちまちに葉桜となりし幹のもと夕闇匂ふ医院出づれば
葉桜の風待つ梢葉眠るらし何となけれど寄りて仰ぐも
太幹に保存樹の札標(しる)しある染井吉野の樹齢を知らず
もしさうならエーテル体の気となりし精霊の師の光にも遇はむ

1990年 8月号
紀の川は草木いろもて流れゆき溢るるばかりその水面見ゆ
あなさびし夏靄しづむ山の辺の畑の甘夏蜜柑(あまなつ)ただ黄に実る
ひとりを負ひひとり手を曳き往きし道四十五年前の伊都郡笠田
人ひとり歩まぬ露路は水無月の昼のおだしさ世の移ろへど
死は必定、されど息呑む北林良材告別式場とある
鉦叩き三度めぐりてまた三度棺めぐらす儀式(ならひ)終りぬ
九度山の駅よりのぞむ夕つ日の紀ノ川沿ひの町のさびしさ

1990年 9月号
奥湯河原の夏は夜の闇ふかくして蛍をたづね露の草踏む
水匂ふ岸の垂り葉にすがりつついきづる光る一つ蛍あはれ
酔狂の一夜のあとのほのかなる夜明けに遇ひぬ思ひ出とならむ
チベットの僧が描ける壁の画のマンダラ見れば呪の暗さもつ
三角と四角と円の重層のアラベスク宇宙、美とは異なる
マンダラは砂の絵具にて赤と黒緑黄白のいろの妖しさ

1990年 10月号
方形に点る旭川の街見おろしてまだ残照の空港に着く
たしかめたタラップ降る、私を十歳にもどすやうな夏の夕風
ホテルの鍵314号は一人部屋(シングル)かまづはベッドに腰を掛けたり
降り出せる夜の雨避けて友に従くちらつく赤き灯を踏みながら
旭川に歌友二人の名付けたる「霧(き)の花」は菓子「雪の雫」は酒
走馬燈は消え失せし生七十歳のわたしが旅の眠り待つ夜半

1990年 11月号
いつもいつも鳥のゐるうみ濤沸湖(チカンプトウ)なるほど遠き岸の青鷺
雪山のうさぎの罠に足とられ落ちし弟は七歳なりき
黒きまで熟るるあかねの小さき粒山桑の実に口唇染めつ
たぐり寄す憶ひせちなれ春光台に北鎮小学校をさがして立てば
空知川(ソラピチ)の記憶に橋はあらざりき千島薊のあかき花見る
北国の日筋きびしく澄む空の天都山に咲きてのこる浜茄子
流氷は白からぬもの天つ日の七いろの彩を閉ぢこめ凍る

1990年 12月号
よどみつつ秋の海原凪ぎて見ゆ親不知この崖の上波ひびくなし
漂石と呼び転石とあり、渚の石川原の石翡翠その深き青
土器一つ炎立(ほだち)のかたち縄文の人らの息吹かくつよくして
一途さも真面目さもにじむ墨跡の巻紙の文読めぬ字もある((御風邸、柊二の手紙?遺る))
笛を吹く吉祥天女像古りたるを見上げて応接間の椅子より立ちぬ
旅にして祭にあひぬ放生津八幡宮境内に舞ふ水干の巫女



1991年 1月号
山間に湧く霧白く消ゆく見て今日は晴れとぞ高知の友ら
洗面の窓に見放けつ朝まだき山の木梢にくわくこう啼くを
足摺の人とは今に知らざりき銅像のジョン万次郎吾れを見下す
つらつらに海覗きたり群泳のエンゼルフィッシュ蝶に似て舞ふ((竜串海中公園))
南国の岬なりけり足摺に立てば日のかげ澱む潮の見ゆ
手蝕りつつ椿とちがふ太幹のハマヒサカキの青と白の斑
誰かいふ魔除けの珊瑚うすべにの根付一つを手のひらにして

1991年 2月号
目覚めては一口の水飲みに立つ秋の厨の夜更けの暗さ
濾過器より汲む水道の水一口冷めたき水ぞ胃の腑に沁みて
目覚めてはコップの水を飲む夜のこんな孤りを猫が見てゐる
また何時かいつかとは未知の時のこと存る亡しなどは言問はぬなり
マイカーにモチーフ響くメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が涙
木枯の過ぎし朝空その涯がただ漆黒の闇とは見えず
庭の柿小粒なれども天然の甘さ保てる今日がありたり

1991年 3月号
8と3、4,1,5,6見まちがふ歳晩の日々に白内障(そこひ)すすむか
うろうろと庭に家鴨の鳴くこゑすこんな霜夜をいかにせむかな
死を知るやかぎりに吠えし飼犬コロあはれあはれ魂切る二声残す
聖夜なる月白光の円なれば惻々と思ふ「マッチ売りの少女」「フランダースの犬」
凩の行方は落ちて街空のひくきにのこる凄き酉は
あるままに生きむと止めし白髪染老ゆる髪毛に生気もどりく
一生は誰にも短いものならむ宇宙時間を計りて思ふ

1991年 4月号
湾岸の戦況を聞き今日終る手足のびのびといこへるは幸
米国もイラクも神を口にしぬ神とは真実何なのだらう
苦渋の思ひ胸に満ちきぬ神風は吹かず特攻隊の若きら死にき
よく保ったなア、夫が真顔をわれに向くたとへば残照差す如くして
笛を吹く風の童(わらべ)彫金像ひとつわが「冬の旅」今日より始まる
まだ三分咲きと仰げば梅一木咲くに連なり莟ほつほつ

1991年 5月号
思ひきり背伸びしきよとんと眼(まなこ)むくこれがオコジョか五匹並べり
オコジョとは森の動物(いきもの)、小妖精、何故かオコジョと吾を呼びし母
金曜から土曜の夜中つねのごと眠りて朝覚めずと記す
死んだらどうなるか分かっているから恐れません、分析者女史((フライ女史))の死の安らけさ
橡青き湖畔賑はふ土曜日のその還らざる骨董市よ
チューリッヒの陶器桜桃酒(キリユシユ)の瓶ひとつ机上に置けば人はまぼろし

1991年 6月号
便利帖、まんだらNO・1(ナンバーワン)などと空白残る古ノート出づ
うしろ首そこがつぼとふ手に圧せばああ安楽なり春の雨の夜
ばつさりと断ち切りたしと切に思ふ仕事に汚れゆくわれならなくに
革靴の好きな家鴨よ首据ゑて履くに噛みつき足まとひする
靄たてる夕光(ひ)片頬に受けてゐて七十二年目に迎ふ四月満開の花
萌立てるみどり葉の苗黒百合の軽き一鉢を手に揺らし持つ

1991年 7月号
ポンポン蒸気船、鳴く鶯の朗なる音戸の瀬戸の春のあけぼの
岬(さき)の道狭ばまるところ散り溜る花の紅(くれなゐ)踏まむあやふさ
幹囲九メートル余の巨木なり根尾谷の淡墨桜は山姥
山姥の化身かと見し満開の花樹(かじゆ)なれ人手の杭あまた添ふ
蛇に似て内視鏡器具たれさがるガラス棚に向かひ検査待つ身ぞ
肉の森・肉の小径はまことにて潜りゆく腸壁わが肉の渦((内視鏡検査))
朧夜の月を仰げばただ一度こぼれ落ちたる生命(いのち)かと思ふ

1991年 8月号
裾ながに衣桁にかかる栄の日の紫地うす白花の小袖一装((姫路文学館を訪ふ。初井しづ枝、椎名麟三、岸上大作縁あり))
仰臥しに鉛筆もちて死を知る日くだされし手紙思へば震ふ
このこゑは在りし日のまま口籠り舌たるき感じわが耳に入る
眠剤がなかなか効かぬと書くを読むマス一次づつ目を凝らし読む
鮮明なインクの遺書に宛名なき、ああブラックホール、ブラックホール
眠剤の誘ふ眠りを待ちながら首吊る岸上大作無残
在るときはこの世の縁忘れゐて忘れし縁をいまわが手繰る

1991年 9月号
眼底に脈うつ黒き血管影(えい)、見えて死の淵のぞく思ひす
便秘薬眠剤アリナミン拡大鏡どうしやうもなき机上見下す
まさびしき夢ならずして梅雨の鳩啼けばタスケテと呟き出づる
モノレールに俯瞰してゐて橋脚下の泊り船暗し揺する川面も
生きの日を生きながらへて首の皺目立つ母よとわが娘いふ
一匹の蝿頬にとめ息絶ゆるENDのシーン死は見えざりき

1991年 10月号
発音を正して蓑地さん言ひにけり河濯(かはつそ)明神、薬師如来さま
水音たつ池の水際に歩み寄る黒き鯉は石の暗きに潜む
岩の間に苔むす不動何を見し苦界の遊女、─わが身は知れず
麻耶夫人の袖から誕生せし仏陀由縁そのまま逆さの赤子像
掛かりたるこほろぎ(、、、、)橋は新(さら)なりき夏の深渓やや味気なし
昨日より十度気温の低き朝肩で息するか鴉鳴(あめい)のカラス
遅れ咲く合歓の花をあはれみて枝隠りせる淡きを仰ぐ

1991年 11月号
名にし負ふここが室戸か沖つ浪百穂寄せては岩にくだくる
ゆく船に守(も)る月海に没るを書くむかしむかしの紀貫之は
精進日持ちて船路をゆきし人土佐の室戸の海語るなし
浜木綿の結ぶ実いくつ日の匂ふ太根の砂にかわくを拾ふ
午後三時大海原の気を運び白髪乱す晩夏の風よ
荒岩の天頂(てつぺん)に一羽みじろがずとどまる鷲は宇宙知るらし
変つたね、その一言を後夜過ぎて揺るる寝台車の薄闇に思ふ

1991年 12月号
無機的に閉ぢし扉(と)の前段あれどこの暗き扉を押す人ありや
オキーフの「花」にまがへる大写し蓮の莟の咲かむところ((ジョージア・オキーフ 白いカナダの納屋))
土砂降りの雨にゴルフをあきらめて早寝せし夫秋の夜ながし
また一人ゴルフの友の欠けてゆく年齢(とし)を拾ひて呟く夫は
芋掘りて翌日産みしわが記憶娘は明日(あす)で四十七歳といふ
金と銀そろひの薔薇の指輪して血のつながりを不思議とはせず
腕時計のあとうす白きわが手首すこし細りて秋の更けゆく



1992年 1月号
時おきて軒下鳴れりこの夜明わが家は木枯の渚なるらし
新聞紙嘴(はし)に切り裂き鳥籠に長生きしてゐるインコのテトちゃん
贋物(にせもの)を承知で買ひしダンヒルの腕時計侘びしコチコチ刻む
モーツァルトの未完の遺作“鎮魂曲(レクイエム)”死者のためのミサは死者彼のため
凡人を克すか天才の楽聞けば透明な音感にわが遊ばるる
出遇ひたるパリの一日を夫語りその人死去の新聞もて来((”泥”の一人、深作光貞氏死す))
せんだんの木の葉輝く岬道横波三里良き日なりけり

1992年 2月号
看板に?とある字のもの憂さよ高雄に入りし街辻にして
椰子の葉を揉む風絶えず空に鳴り海の塩気に夜の明けてきつ
見返れば磯伝ひこし海ひらけ台地を背にす原子力発電所二双
人垣の夜の灯にちらと見たるもの三角頭を立てたる蝮
台湾に年齢重ねし歌の友范姜さん血圧計携ふも知る

1992年 3月号
心臓の手術は生きむためのことしか思へ逝きし経緯聞きゐつ
朝より寒の雨降り禅寺の宝祥寺尋(と)めし葬儀処くらし
足もとに縫ひぐるみの猫はべらせて死者のあなたの顔のおだしさ
奔放な女人の終(つい)を飾らむと深紅の蘭の花そのありつたけ
別れせむ今わけもなく口ずさむBitte(ビッテ) Campari(キャンパリ) Mit(ミットゥ) Soda(ソーダ)
「当(あたり)」とは質屋と知りてしかすがに質草とせし指輪思ひたる((台湾旅行十遺))

1992年 4月号
十脚の円座の椅子に夕あかね差しゐてドリーム・ワーク終れる
見し夢の衝撃消えて窓開く白皚々の富士を仰ぐ朝
茶畑は霜除けの藁置きながら起伏やさしき丘なだりなす
真すぐに登る白煙一基の塔、焼却炉なれど富士とつりあふ
富士のぞむ茶畑沿ひの一本みちタンポポ咲きて大地は春か
何思ひ居ませしならむ身を剋し激して黙すとも見ゆる写真(うつしゑ)
はす向きの憂ひの面輪、はづしたる眼鏡手にぎるこの時の師は

1992年 5月号
むらさきの靴はく脛を組み替へて目の前のひと今が女盛り
フイルムの空筒のなか何かといふベナレスに汲みしガンガーの水
からだ洗ひ死者を流してとどまらぬガンガーの代赭に濁る岸見ゆ
冬眠の亀の甲羅の乾きゐてしらしら寒き朝ひかり射す
痛む膝かばひて渡る十字路のおぼつかなさや、かつこう(、 、 、 、)、かつこう(、 、 、 、)
傷みつつ仰ぐ夜空よノヴァ・パピス船尾(とも)座とふ彼女の星はいづくぞ((新星発見者藤田久仁子さんを悼む))

1992年 6月号
百歳の長寿はよしえあの人もこの人も亡き日々さびしからむに
オレンジに靄立つ半月葉桜の花の枝残す闇より高し
路ゆけばフロントガラスの花の風流れ漂ひ遊びてやまず
声ひそめ夫言ひいでぬ葬式の寺は宗派別でもいいではないか
若き日は眠り満たせし花の雨今夜暴れつつ臥す耳にくる
わが帰りまちて門辺に佇つ母を花散る闇に求(と)めて悲しむ

1992年 7月号
ひと日照りひと日曇りてまた雨の天気図禍つこと示さねど
詠草の選にして知る慎ましくまた清潔な夫人の性を
駅裏の白棚沿ひの近道を出会ひて友に案内されゆく
駅の裏畑なるからに残照をひきて菜のいろ凍む寒さある
亡骸の声なき夜半を守りいまし背(せな)寒からむ田谷氏しのばゆ
揚げ湯葉(ゆば)の油浮かせてたぎる鍋つかのまの昼憂を呼びつ
黒百合の土より芽吹く鉢をさげ復(を)ち返るなき春の日を逝く

1992年 8月号
乱高下する予報ききおぼつかな庭の薔薇咲く今宵は氷夜((ドイツに 五月の氷夜といふ言葉あり))
枕辺に「夢と死」の本置きしまま何故かページを繰らずに眠る
未明には早き時間に耳打ちし迷ひ鴉のこゑはあやしも
痛い痛いといふは寝言か、どんな夢見てゐる夫か揺すれど覚めず
きつとくる地球自転の狂ふ日は世紀末われの妄想ならむ
大林寺鐘楼の鐘ひびくときあはれ芍薬の花びらふるふ
耳鳴のひどき雨の夜身のうちにこほろぎ(、、、、)鳴くとは思はぬものを

1992年 9月号
録音に耳を澄ませばみちのくの鴉がカアと啼くこゑの入る
中尊寺、空晴れたりやまほら行きほがらほがらに鴉とぶらし
夫君は師歌人柊二のこころ説き英子さん触れてならぬ世界守る
花の店、バケツの花束見て過ぎぬやはり野に置け蛍袋(ほたるぶくろ)は
体重に病む身語りて葛原さん、口惜しからむと家居を偲ぶ
太陽を呑むがに鋭き嘴(はし)開きアンティエ・エ・グメルスさんの天翔る鳥
背に乗せてわれを運べと鳥にいふ夜明け夢みた森と湖(うみ)まで

1992年 10月号
桑名まで十石船十里の港跡、住吉灯台は黒の木組なり
木因の墓の背後の墓じるしその太き幹黐(もち)は日を覆ふ
ひとつばの句碑を馬場跡に読みて過ぎ青き一葉(ひとつば)の生ふ山に入る
満月と雨後には夜の滔々の長良川に鵜匠は鵜を放たぬと
さびしさもつひの一夜ぞたどり来し奥の細道の旅は終わりぬ
舌下錠一粒を含み溶くるまで凝然たりき((ニトログリセリン錠を使うことありて))、いのち惜しみて
一昼夜心電計をつけて臥すとまればおはり(、、、、、、、)の健気な心臓(ポンプ)

1992年 11月号
狂ふごと鴉群れとぶ蒸し暑さ爛れて赤く沈む日の空
半日を怒りて過ぎつ名もいはでぺらぺら喋る電話を切れど
JR夜の中野駅に林美さん、女学生のごと青衣の手を差しのぶる
ジャスミン茶氷辺一個浮かべたるコップ片手にやすらぐわれは
耳の背に掌あてて聴かむとしああ耳遠くなりしに気づく
生きてゐてやらねばと思ふ夫なるらし夜は早寝し昼は昼寝す
玉葱に泣きし眼となる眼を拭ひしのびよる秋厨に知りたり

1992年 12月号
薄みどり親指ほどの繭ひとつ秋の朝のわがたからもの(、、、、、)
みどりなる山繭のから掌に置けばとび去りし蛾の穴残しをり
天蚕と名づくるはよし緑の体(たい)四回脱皮して蛾となるといふ
繭ごもるさなぎはその身どろどろに溶解し変容し蛾となるを知る
強靭な絹の細糸吐き続けいのち一つに蛾となるものか
森林浴せむと来たりし山の家夜はさまざまにもの思ひする
三日居てつひに思ひぬこの家に母を伴ふことなかりしを



1993年 1月号
傘かしげ仰ぐマンション高くしてここは祖父母の家・屋敷跡
十三階のマンションはダイヤパレス植物園・玄関までロードヒーティング持つ
植物園のエルムの喬(たか)木に群れて鳴く札幌のカラス夜明けのカラス
大理石(マーブル)の窓の光の差し及び悲哀(かなしみ)たたふ悲しみのマリア((国際染織美術館))
「あった、あった」バス窓越しの標柱の北鎮小学校墨書の太字
六十年あつといふ間ぞあつといふ間の小学三年生女の子のわれ
半地下の喫茶の窓に舞ひ落ちし落葉もわれらも「時の旅人」

1993年 2月号
薬にてか意志してなのか石神井公園ホームより落ちてと夜半の電話
十七歳の道明君の面影は四十七歳の死とかさならず
アヤ子をばさんどうしてゐるのと尋(き)いた時電話させればと友口籠る
山茶花の葉隠れの花白一ついたくし白し窓をあくれば
こがらしの荒風軒に渦巻きて鋸(のこ)引くやうなきしみを残す
われ知らずふつと眠れり気がつけばすきし車内に寒茜さす
明稱のかはりしさくら銀行を尋(と)めゆく何か世の中をかし

1993年 3月号
昨日今日病むにあらざれ病人の風邪こじらせてと入院の急((歳末関口さんより夜半のTEL))
差し及ぶ初秋のひかり胸に置きコスモスに触れて凜たり葛原さん((九月、見舞して))
いろは坂祈りの旅の日光の湧く井の生湯葉(なまゆば)咽喉(のど)とほりしや
寝覚めたるわが耳底に「かやの木」を唱ふ葛原さんは夢のつづきか
霜の夜の布団掛けよせまた思ふ生死無常を言ふはやすけど
一年の冊子その他(ほか)ゴミ焼きて鐘馗の日照り夫の面はや
ほら来たわ、ほらほらと娘(こ)の指差せば夫眩しげにガラス戸に寄る

1993年 4月号
絶筆となりし選評簡潔なり思ひに溺れず痛きにとどく
衰ふる同じ嘆きに「難渋し歩けぬ足」の歌作を採りしか
葛原さんのこゑああ聞こゆ一月九日日経歌壇の歌評読むうち
七七忌昨日すみしと声うるみ妻なる内の悔洩らします
冬眠の亀まだねむる廊下ぎは夕茜ながし曳くカーテンに
「駒形のどぜう」美味とふ大提灯二つ灯の入る暖簾くぐらむ
刻み葱どぢやうにはよく合ふものと箸もてくつくつ煮ゆるをつまむ

1993年 5月号
うつ伏せに倒るるわれと去る母の夢昏し胸に石抱くごと
夢に知る「臨死体験」意外意外“死”は宇宙(コスモス)の安らぎを持つ
「元型的イメージ」といひ言葉つぐ和蘭陀の人ボスナック先生
風音の渦巻くを聞きいつの間に寝入りしならむ熟寝なしたる
耳鳴りは内なる肉体(からだ)の音と聴き見てをり回転振子の時計
白き花小ぶりに咲きて庭の梅今年は結ぶ実の少なきか
両の手に余る太幹裂け目たちあはれ白梅老いてゆくらし

1993年 6月号
立ち止まり満開の花仰ぎみつ保存樹の掛札古びし桜
寂しかり今年の花を見ず逝きて葛原さんよまた森美禰よ
樹冠なる花は光りを抱きゐて老いゆくわれは幻に佇つ
岩山のデルフィ・ギリシャに咲きてゐし異国の桜太陽の樹といふ
ゆで卵ことこと煮ゆる昼の厨わびしく居たたまれず立ち歩くかな
家鴨飼ふは珍しきらし幼子を抱きて人の門の辺去らず
株増えし貝母の白き花終り紀子のチューリップ今朝咲(ひら)きたり

1993年 7月号
荒寥の河徒歩(かち)わたる人は誰、声あげて夢より甦めたりわれは
ズボンあげて河瀬に遊ぶコスモスの人屯(たむろ)横切り消えし葛原さん
街灯の暗き路角(ろかど)煮立ちどまりメモ用紙一枚を彼は破り捨つ
水銀光と賢治の詩(うた)ふ北の河それは冥界へ流れてゆくか
老ゆるとはこんなにも悲し徘徊の老婆が風呂敷包み負ひゆく
首筋に春は夕つ日つれなけれ警鐘の鳴る踏切にして
足のツボそこが痛いと身を伸べて揉まるる昼よ紀子の手なり

1993年 8月号
チベットの「死者の書」読めば夕雨の音聞こえきて亡き父母かなし
括られし四肢を横たふ緬羊の眼閉ぢたる表紙の写真
もしさうなら書誌反古のなかに髪乱し坐るを閻魔の鏡映すか
人生は苦のほかなしと言ひきりて若き屠先生車中に語る
講演の会場に居て笑へども心気頭頂より離脱する((竜門派気功伝人))といふ
春を待つ木々の冬芽は顔を持ちまるで首のばすやうなマルバアオダモ
杜甫草堂描く画帖を送り来ぬ言葉不自由になりし徳王さんよ

1993年 9月号(臨時増刊)
梅咲きて梅散るときに涙しつ中国残留孤児団帰れり
生きてゐて何をあがなふ風の中犬の眼がある鳥の眼がある
朧夜の月を仰げばただ一度こぼれ落ちたる生命かと思ふ

1993年 10月号
「やめます」とふ友の電話はまことにや胸内痼(しこ)りてコスモス手にす
つづまりは生別死別の時間(とき)のはて無限宇宙の砂塵なりとも
薄絹の紅紫色の半袖ブラウス手にすれば涙を誘ふ匂ひす
庭の梅今年は果肉薄しとぞ梅干の紫蘇をとりのけていふ
造花などで飾るは下種(げす)と否みたる真実志向に騙されこしか
書きとめしメモ用紙一枚見失ひ逃げた一首を口惜しむわれは
百?の花にあはむと木の本に仰ぐ橡(つるばみ)枝葉の暗さ

1993年 11月号
一歩づつ踏みしめ登る大雪山(だいせつ)はそこかしこ白きチングルマの花
来てみればサロベツ原野は茫々の道に車輌(くるま)なく鳥けもの見ず
あかあかと夕陽射すとき寥しからむワタスゲばかりの原野の広さ
真すぐに往くほかなしと見定むるオロロン街道まほらに続く
教壇を行つたり来たりチョーク手に啄木を話しユーカラ語ります((金田一京助先生))
壁にはる内耳の図解を見てをれば「お勉強ですか」A医師のこゑ
ゴム管の片端は先生が耳にして空気通すとへんな治療受く

1993年 12月号
また今日も雨かと見やる庭の隅石を覆ひて茗荷ばかりぞ
軒雫くトトトツーツーツートトト地球のSOS聞こえてくるも
樹の生命(いのち)知る太幹の瘤に触れ散歩路の大欅に挨拶をする
書きなづむ二旬三旬原稿の鉛筆書きをいかにかなさむ
老年は死に近けれど死とは別、この道理さあれ胸の寥しさ
赤き旗黄の旗が夜の海をゆく冒険の船よ、われの眠りを運べ((A Bencerer-schiff クレー画))



1994年 1月号
天窓にはりつくは蛾か仰臥して歯の治療待つ時のしづまり
口内に収まりしもの、総入歯うつして見よと鏡出されつ
そのうちに馴れるさと夫口つぐみわれは寝返り眠らむとゐつ
八十台の夫に抜く歯の残れるを喜びとせむ共に老いゆかむ
ひつそりと飯はむ夫の気配知る起きぬともよしとゴルフの朝なり
駅ビルの床に胡弓を弾き終へてリクエスト待つつかの間を見つ
七十年生きしと思へ胸に立つたとえばオーロラのやうな夕焼

1994年 2月号
長毛のまつ白々のペルシャ猫ペル何時よりか家族なりけり
悲しげな一声のあとうづくまり十二年の生閉ぢたるペルよ
頭なで背なか撫でして応へなき猫を哀しむ死にゆくを見つ
今生のどこか遠くを見るごとき水色の瞳の不思議なひかり
前生のおまへはペルシャの王妃かと気位高き女(め)の猫にいふ
もの忘れしてゐる感じ椅子一つわがものに眠るペル居らぬなり
線香は夜の庭木の闇にたちペル葬りし家族寄り合ふ

1994年 3月号
徹夜して今朝早だちし康史君、零下三十度のニューヨークはいかに
すれ違ひざま風に立つ会話、「この頃犬も気が立つてるの」
アーケード潜れど人気なき通り鳴門三日の学会に居り
渦潮の渦巻きながら青き潮一(ひと)呼吸ほどしづまるときあり
石一つ投げたる人のもの言はで潮(うしお)みてをり何を思ふや
掌をのべて小銭をせびる幼児を見かけぬ日本よき国なるか

1994年 4月号
蓬入り、黍入り、黒豆粟入りなど玄米の餅(もちひ)とりて足りをり
自然食に凝りはじめしは何時頃か天塩といふ一袋買ふ
地の塩とふ言葉聖書に読みたりきさあれ塩湯に身をば養ふ
このごろは発芽米とふものもある豊葦原瑞穂之国の如何になりゆく
冬日差す車内にうとうとしたるとき“玄米パン”は幻聴にして
路地を行く“玄米パンのホッカホカ”ねだりしは四歳頃なりにしか

1994年 5月号
解体屋が一日で毀せし母屋跡、瓦礫のなかに夕烏啼く
間違つてゐたかしら?思はず呟くに応へよ夫よ、闇(くら)き寒夜よ
生身(なまみ)削ぐ様なこととも言ひさして友口噤む電話なりけり
担任の卒業生徒の成績簿、紙袋より出づインク濃きまま
古手紙、書類その他もろもろを捨てよとダンボール箱わが前に積む
年々(としどし)の梅酒梅干たからなる老木の梅は移せば枯ると
雨水(うすい)過ぎて土の湿りに散る梅の花の一片白きを拾ふ

1994年 6月号
胃弱にて机(き)に向かひ居し後姿(うしろで)よノモンハン事件ありし夏の日
凝然の一瞬すぎて「いつですか」ドレミファガンジーその人死す((ドレミファガンジーは川島浩の渾名))
いいやつはみんな死んだと学徒兵の友らを語りき泣き笑ひつつ
正月の習慣(ならひ)に夜半を酔ひ帰るドレミファガンジーの肩細かりき
春の夜の闇の深さにひびきゆく「G線上のアリア」君聞き給へ
胸にたつ恐怖の消えて七十五歳死を思ふとき恋にかも似る
浮く花の一片光る白き辺に鯉の寄りゆく水面揺らさで

1994年 7月号
ここは何処? 夢に運ばれ居るに似て車窓につづく菜の花畠
鳥影も人影もなきまつ昼間しんしんと明し菜の花の黄は
中国は農家の富むと白壁の四角の家々日を浴びて建つ
上海站(えき)大看板のその下で右往左往の人らわけ往く
われに乞ひ執拗に後(あと)つきてくる少女否みて胸重しいま
越(ゑつ)の美女西施は無錫(しやく)の人といふガイドの話時空を結ぶ
岸見えぬ大湖湖上にたつ日靄、ここは育ちし日本と違ふ

1994年 8月号
十七歳、十八、一九と年齢(とし)を読み並ぶ隊員の顔写真仰ぐ((特攻隊基地知覧にて))
仔犬抱き集ふ隊員らの何とまあ、幼さ、白き前歯の笑顔
チチハイルオマエタチノソバニ、一次づつ仮名に面寄せ読み下したり
五十年永く短し昼餉とる傍の池には鯉泳ぐなり
半地下の三角兵舎の板床に陽光及ばず空の見えざる
日本は負けると前夜に言ひもしてさあれ往きたる人尊(たふと)まむ
永劫を知るとはいはね草の葉の露を知りたる身の陰を踏む

1994年 9月号
「健康」はこぶし(、、、)に握り自身(おのれ)より離さぬものと朴氏語るも
君の住居(すまひ)は軽井沢のやうですカッコウの啼くにソウルの朝を迎ふ
韓国語賑はふ夜の宴更けて石のやうなり微笑むわれは
山峡の風に泳ぎの音微か夕づく軒の魚型風鈴
瞬間のま(、)ありて返事のかへりくる、いま宇宙飛行中向井千秋さんの声

1994年 10月号
抱へたる本の重さよ支へかね足よろけゆく庭石踏みて((家族七人新築成りし敷地内の家に移らむとす。猛暑の日々なり))
拭つても拭つても額に噴き出でて流るる汗の眼に入るも
入れたまま置きつぱなしの納戸にはボロばかりといふ娘は遠慮せず
亡き母の写真と仏具を胸に抱き「さあ引越よ」とささやくわれは
生き残る家鴨一羽も家族にて縁の下に潜むを探し出だせり
家成るは喜びなれど返済金三十年はながき時間(とき)なり
陽が射せば閉ぢし小花の溢れ咲きコンボルブルス、微笑むあまたの瞳

1994年 11月号
南北に長く東南に窓開く壁白き二階建、わが終(つひ)の家
寒明けより春梅雨過ぎて炎熱に始めし生活実感添はぬ
紺深き綿布に「夢」の白字浮く掛軸開く真岡の友は
古き家こはし新しき家建つるそは自我変革、さうなら良いが
夜明け立つ梅の太幹に水を掛け手触りて般若心経を誦す
書き捨ての反故をとどめて頂きし半切の一首宝もの出づ
西方(さいはう)に黄のもの置けば金貯る、嘘か本当か、瓢箪型花器のいろ

1994年 12月号
西窓のカーテン染めて差す夕日暑けれわれが城となす部屋
クーラーに凌ぐ昼寝のまぼろしの向日葵畠(ひまはりばたけ)拡がつてゐる
うたた寝の夫の頬骨目にとめて不意にもの思ふ痩せしならぬか
花売りの秋の七草見過ごして発車ベル鳴る改札通る
「時は金」「一喜一憂なす勿れ」うちに叱咤のいそがしき日ぞ
「聖顔」はやさしき面輪その画紙を灯の下にしてルオーにぞ会ふ



1995年 1月号
新しき家になれた? 問ふ人にまあまあと答ふ、まあまあかわれ
球根も菜も萌ゆるものみな喰らひ、首、羽に埋めガー((青クビ アヒル))君眠る                    
犬よりも用心になるといひ捨てて過ぎゆきし人、垣に沿ひつつ
モロッコの不思議な夢((ドリーム)?(キャッチャー))は、鶏の羽、馬の毛の白き壁掛
「青春の夢と遊び」を賜ひたり河合隼雄先生に会ふ日々のなし
形式に短歌を作るかなしみを重ねかさねて平成六年の秋

1995年 2月号
手帳ひらきメモせしことを細々と拾ひものいふ夫は入院三日目
灯のもとに目瞑り居らむ手術の日待ちあぐねデタトコ勝負といへど
生命(いのち)ある地のよき水を夫に欲り湧井にかがむ清正の井ぞ
み冬だつ深(よ)更(ふけ)三時のしづまりにきまって目覚む何故ならむ
晩秋の夕映さびしと書き添へてハガキ投函せむとためらふ
信号の青になるまで佇めば槐の木下散りくる落葉
虫のこゑ小鳥の啼くも耳にせで我武者らに過ぎしわれと思はねど

1995年 3月号
来たわよと声を掛くれば「おお」といふベッドの夫は頭(づ)を動かさで
胃と腸を結ぶバイパスの手術して眠る夫癌など忘れ眠り給へ((旧臘十二月十九日、夫胃癌の手術受く))
点滴の器具持ち夫の歩むとき一足ごとに薬瓶揺るる
半地下の喫茶の卓に運ばれしジャスミン茶一碗に心奥(こころど)いこへ
レインボーブリッジ見ゆとふ九階の廊往き来して海のそを見ず
病児らが描きし壁画の空と海・浮く気球・泳ぐ魚・SOSの大文字

1995年 4月号
癌に効く薬ないのね、米国にも日本にもとジョンソンみどりさんの手紙
たて続けに読み漁りたる抗癌剤の本に副作用なきものは無し((夫、癌の手術をして帰宅))
エジプトでギリシャでと書く蜜蜂のプロポリス四千年前の知恵とふ((友人より教えられて))
蜜蜂が樹液と唾液でつくる巣のそれより盗りて薬用とすと
効くならば試さむものかとつおいつ眼放てば「鰯の頭」
足袋探しうろうろしてゐし母の死の朝の哀しさ不意に胸に来
登別カルルス薬用乳白の昼の湯船に安らひ給へ
大寒の夕凍みの空ひかり消え悲哀を呼びて紫のたつ

1995年 5月号
釘づけに坐り込みゐつ、映像の紅蓮の炎、大き舌のばす
“お母さん、ごめん”と握る手離ししと語るを聞けり無残なりけり
災害に遇はねどニケ月過ぎて知る日々の生活の変質感を
高架橋の橋たもとに義援金の少女ら立ちそに幾許(いくばく)か寄せて恥(やさ)しむ
デパートの地下より地上に出でむとし春まだ遠き風音を聴く
探しものばかりして居る乱雑なわたしを嘲笑(わら)ふ自身(わたし)に疲る

1995年 6月号
恐怖はいま異和なし澱む胸の内、サリン事件ああ、何といふこと
来年は旅せむと決め咲く桜あくがれながら吉野夢のうち
病みてより寡黙となりし夫思ひ眠らむとしてわれは寂しも
水平線まろき犬吠の大海原見に行かむとふ友と連れ立つ
駅はここ、白きアーチとべンチ置く期待外れのハイカラ犬吠
人気無き昼下りの道歩きつつ幟り彩立つ山寺望む
犬吠に来て犬吠の海を見ず曇りて寒き風を背中(せな)にす

1995年 7月号
ガバと起きうなだれ呆と居たるなり午前三時半鴉の啼くも
癌共存の夫の病む日の一日づつ積みて生きゆく切なし日々は
痩せ儀巣の夫の肉体(からだ)をわれは知れ手触れさすれば脛の細さよ
陸橋の向うに街の空昏れて国道二四六の青山通り
ここだった、タクシー降りて目にさがすバラとミモザの園芸店を
思ひ出に励まされをり宮先生椎名先生胸にし生きつ
ぶくぶくの怪物と呼び否まむかハルマゲドンとは何処の言葉ぞ

1995年 8月号
日の当る並木路仰ぎ歩むときニセアカシアは白花散らす
二三べん瞼こすりて寝返りて眠らむとすれ夜の雨音
夕焼の紫おびし空に立ち桐一樹立つ紫染めて
昨日良く今日はがくんと悪くなる夫寝返るを助けてわれは
耳の背後(うしろ)で誰かがもの言ふ 朦朧の内なる夫を揺り起こしたり
死に至る一日一日を踏むと知れ若く在りし日想へば泣かゆ
握る手を握り返してただに寝る夜明けの時間鴉啼きたり

1995年 9月号
耐へてゐる悲しみ重き身の疲れわーんわーんと頭芯(あたま)の鳴るも
窓外の深夜なる街崖なして渋谷は点る灯の五つ六つ((入院一週間、後半三日は徹夜なり))
表示灯点滅を上下に繰りかへす塔一つ立ち無機なる深夜
おのが身の切れざる痰にのどの鳴る夫の背叩き撫でて励ます
癌の腐濁すでに漂ふ呼気のなかアヤコお前を好きだよと夫
六十余年添ひたる夫の息の緒のわれを見つめし眼の光りああ

1995年 10月号
「新しく買つた」とメモの入れてある三月二日の筆箱残る(黒き筆箱)
癌の字のそのまま、腹部の瘤三つ手触れしをわが忘れざらめや
右肩のややに下がれる夫の背を呼びとめて帰りし家路なりけり(まぼろし)
さびしいな・・呟きとめし胸内の夫の思ひを今にし知るか
花茎の立ちたる鉢の浜木綿のその白き花咲きたり見ませ
拾ひたる高知の浜の浜木綿の実生の花のしべ細き花
机上なる写真の夫は笑みし瞳(め)に泣きべそかくなと我を見て居り

1995年 11月号
気がつけば渋谷ハチ公前の人混みに若き日のごと夫待ちて佇つ((孟暑の日々、ようやく四十九日を過ぐ))
よく行くよ。コーヒーが美味と夫いひし喫茶トップの階をし降る
背広の背並ぶカウンターにありし日の夫の背偲ぶモカの来るまで
パスポート申請用紙そのままに果たし得ざりし二人の旅行
病状を添え夫亡きを記したり三高の同窓会誌、寮歌のひびく
十六夜(いざよい)の渡るを仰ぎ涙する九月十一日ひとりの結婚記念日

1995年 12月号
五十八年一日一日の在りし日は過ぎて水泡と言ひ出でて悲し
金色の花満ち居れど木犀の一樹匂はず秋深みゆく
幼くて父失へるわが夫のその父の名を亡きあとに知る
この路地の砂利浮き立たせ夕陽差す九月二十九日、百ケ日がくる



1996年 1月号
照り翳る秋の斜光の無量光、夫の終(つい)なる墓碑を見て佇つ
去年の秋墓どうすると夫言ひき 夢思はざる「無常」とはかく
骨壷の重きを抱き墓土の暗きに降りぬ息子茂は
残したる夫の手帳にたしかめて頼まれ仕事の札幌に来ぬ
わが胸の夫のこゑにぞ答へして馴染まぬベッドにわれは眠るか

1996年 2月号
あの世とは、どんなところ? 写真(うつしえ)の夫にぞ向かひ今朝また問へる
頬つたふ涙流るるままにして泣けば睡りのわれに戻りく
電柱五本並べる家路昏るる日に幻なりと見たき夫の背
膝病みて耳また痛し吐息して立ち上がるとき叱る声ほし
いい方角に行けばいいことあるのよと電話にしきり友はも説ける
昇る日が夕陽に似たる象(かたち)にて漂ふ水面、隅田川を超ゆ

1996年 3月号
竹群の揺るる秀の上に青き星光るを見てか雨戸を閉めむ
口真似で幼きわれの唄ひゐしジンジロゲン三高の寮歌と知れる
改築の家に一年住まずして逝きし夫はも運なしといふ
年の差だけお前生きよと夫言ひぬ若き日はものを思はざりけり
歳末の地下食品街にとめたりし’ ’ ’うるめの連刺(つれざし)食す人はなき
晩秋の昼のおだしさ浜木綿の鉢の広葉の影置く障子

1996年 4月号
安曇野に秋の風立つこの夕べ「月と友達」アンドレ・ダーハン展巡る
少年は孤舟にひとり見仰げりにこにこ顔の黄の半月を
今日知れば勇払原野のハスカップ何時か摘みたし紫の実を
両腕に余る太さの大欅、お爺さんと呼びて散歩路もどる
僕たちが集まるからと電話きて夫の教へ子われの身を問ふ
空中線専攻の夫が残したる東京塔(タワー)、また名古屋の塔(タワー)よ

1996年 5月号
眠れずに居れば深夜を往く人の靴音紛れず大地を踏める
鬼やらひ昨夜(よべ)のことにて戸を繰れば庇たもとに蕾む白梅
白梅の咲(ひら)く一輪立ちかへる春を知れども夫の亡き春
線香のくゆる煙を目に追ひて「あなた」と呼べり答へあらねど
冬の日は寒く漂ふ光もて孤独を知れといふごとく射す
夫のこゑ時に聞こゆる思ひして己が身にいふ「しつかりせえよ」

1996年 6月号
年齢(とし)の差だけお前は生きよと言ひし夫、聞き捨てにして過ぎし若き日
浜田山駅の改札通りきてあまたの人ら家路を急ぐ
浜田山駅の改札過ぎてきておおと手あげし夫はまぼろし
三十年前に知りたるクレーの絵「忘れつぽい天使」─私の天使
戸を繰ればミモザの花は黄に満ちて咲き盛りをり、春巡り来ぬ
天国はどんなところと言ひもするわれに写真の夫はつねに笑む

1996年 7月号
戸をひけば雨戸に触れて揺るる花ミモザ純黄に光(て)る顕状花
人種超え国籍超えてオランダのボスナック先生わが夢を解く((夢分析の会に出席して))
小田原城の天守閣見ゆ花のいろいまだ発たざる森暗き上
昼も夜もうつつも夢もわけがたく一日一日をわれの生くるか
どの様に生きても一生は一生と若き日われに師は言ひましき
夫の亡き半年過ぎてただ一度も夢に来ぬ夫をわれは嘆きぬ

1996年 8月号
硝子窓(ど)のカーテンあけて昨日植ゑしマロニエの緑葉ゆらぐを眺む
さびしいなあ・・、呟き捨てし在りし日の夫のこゑそのままわが胸の内
半量の眠剤とキャンパリ少々を眠りを誘ふ手段となすか
往き帰る路地に幾度も見る夕日真西の位置の半円の赤
人生は賭といひたる若き日の夫が手帳に残す馬の名
赤子抱き留守なる夫を訪ね来しただ一度(ひとたび)の女(ひと)を謎とす

1996年 9月号
わが夫の墓参りすと三木研の研究生ら高尾に集ふ
「おお、来たか」ありし日の声われは聴く小塚君が般若心経唱ふと佇てば
わが知らぬ夫ののろけ(、  、  、)を披露する理工科出らしき理屈をつけて
卒業後四半世紀の時流れ三木研生らそれぞれ世の地位に居り
消え残る梅雨の夕焼あな悲し身の深淵を知るとならねど
立葵秀の花赤く咲き並みて帰る家路の昨年(きそ)と変らぬ

1996年 10月号
ねずみ、蛇 食べても生きむと腹決めしかの日より五十年の過ぎゆき速し
空襲のサイレン、つぶての焼夷弾三月十日の劫火の夜空
交叉するサーチライトが捉へたるB29悠々の一機仰げり
至近弾に揺るる地下壕の暗きなか柳行李に眠る子目守る
子を背負ひ列車より降りてゴミの火に粉乳温めしは何処なりしか
小鳥来ず地虫のなくもたたずしてもの忘れのやうな立秋の日ぞ

1996年 11月号
時刻(とき)の鐘遠打つに似て間合もち、晩夏未明のはしぶと鴉
白檀の香りに鎮む「夢待」の香ゆらぐとき(なか)夫を呼びつつ
血管の青く筋立つ両の手をこもごも仰ぐかく老いたりと
十五年前に遊びしロンドンのケンジントン公園も銀杏の秋か
恵比寿なる動く歩道に荷を置きて荷を忘れ呆と運ばれてをり
天窓の焼くる茜を仰ぎつつわれはいまもの( 、  、)眼を病む女

1996年 12月号
消灯の時間と電灯(あかり)消しゆきし人の廊去る足音を聞く
切口は3ミリ手術は十五分ほど簡単ですよと若き医去りぬ
シンシンと耳鳴りに似る頭(づ)鳴りして抱へてゆかねばならぬ生命(いのち)ぞ
眼底に出血少々あるといふ昨夜(よべ)寒気して眠りしわれの
上を見よ、下見よ、右上左下と若き眼科医遊ぶごと言ふ
風鳴りに似て底ごもる街の音、張り紙に似る夜空の月は



1996年1月号
照り翳る秋の斜光の無量光、夫の終(つい)なる墓碑を見て佇つ
去年の秋墓どうすると夫言ひき夢思はざる「無常」とはかく
骨壷の重きを抱き墓土の暗きに降りぬ息子茂は
残したる夫の手帳にたしかめて頼まれ仕事の札幌に来ぬ
わが胸の夫のこゑにぞ答へして馴染まぬベッドにわれは眠るか

1996年2月号
あの世とは、どんなところ?写真(うつしえ)の夫にぞ向かひ今朝また間へる
頬つたふ涙流るるままにして泣けぱ睡りのわれに戻りく
電柱五本並べる家路昏るる日に幻なりと見たき夫の背
膝病みて耳また痛し吐息して立ち上がるとき叱る声ほし
いい方角に行けばいいことあるのよと電話にしきり友はも説ける
昇る目が夕陽に似たる象(かたち)にて漂ふ水面、隅田川を超ゆ

1996年3月号
竹群の揺るる秀の上に青き星光るを見てか雨戸を閉めむ
口真似で幼きわれの唄ひゐしジンジロゲン三高の寮歌と知れる
改築の家に一年住まずして逝きし夫はも運なしといふ
年の差だけお前生きよと夫言ひぬ若き日はものを思はざりけり
歳末の地下食品街にとめたりしうるめの連刺(つれざし)食す人はなき
晩秋の昼のおだしさ浜木綿の鉢の広葉の影置く障子

1996年4月号
安曇野に秋の風立っこのタベ「月と友達」アンドレ・ダーハン展巡る
少年は孤舟にひとり見仰げりにこにこ顔の黄の半月を
今日知れぱ勇払原野のハスカップ何時か摘みたし紫の実を
両腕に余る太さの大欅、お爺さんと呼びて散歩路もどる
僕たちが集まるからと電話きて夫の教へ子われの身を問ふ
空中線専攻の夫が残したる東京塔(タワー)、また名古屋の塔(タワー)よ

1996年5月号
眠れずに居れば深夜を往く人の靴音紛れず大地を踏める
鬼やらひ昨夜(よべ)のことにて戸を繰れば庇たもとに蕾む白梅
白梅の咲(ひら)く一輸立ちかへる春を知れども夫の亡き春
線香のくゆる煙を目に追ひて「あなた」と呼べり答へあらねど
冬の日は寒く漂ふ光もて孤独を知れといふごとく射す
夫のこゑ時に聞こゆる思ひして己が身にいふ「しつかりせえよ」

1996年6月号
年齢(とし)の差だけお前は生きよと言ひし夫、聞き捨てにして過ぎし若き日
浜田山駅の改札通りきてあまたの人ら家路を急ぐ
浜田山駅の改札過ぎてきておおと手あげし夫はまぼろし
三十年前に知りたるクレーの絵「忘れつぽい天使」―私の天使
戸を繰ればミモザの花は黄に満ちて咲き盛りをり、春巡り来ぬ
天国はどんなところと言ひもするわれに写真の夫はつねに笑む

1996年7月号
戸をひけば雨戸に触れて揺るる花ミモザ純黄に光(て)る顕状花
人種超え国籍超えてオランダのボスナック先生わが夢を解く(夢分析の会に出席して)
小田原城の天守閣見ゆ花のいろいまだ発たざる森暗き上
昼も夜もうつつも夢もわけがたく一日一日をわれの生くるか
どの様に生きても一生は一生と若き日われに師は言ひましき
夫の亡き半年過ぎてただ一度も夢に来ぬ夫をわれは嘆きぬ

1996年8月号
硝子窓(ど)のカーテンあけて昨目植ゑしマロニエの緑葉ゆらぐを眺む
さびしいなあ・・、眩き捨てし在りし日の夫のこゑそのままわが胸の内
半量の眠剤とキャンパリ少々を眠りを誘ふ手段となすか
往き帰る路地に幾度も見る夕日真西の位置の半円の赤
人生は賭といひたる若き日の夫が手帳に残す馬の名
赤子抱き留守なる夫を訪ね来しただ一度(ひとたび)の女(ひと)を謎とす

1996年9月号
わが夫の墓参りすと三木研の研究生ら高尾に集ふ
「おお、来たか」ありし日の声われは聴く小塚君が般若心経唱ふと佇てば
わが知らぬ夫ののろけを披露する理工科出らしき理屈をつけて
卒業後四半世紀の時流れ三木研生らそれぞれ世の地位に居り
消え残る梅雨の夕焼あな悲し身の深淵を知るとならねど
立葵秀の花赤く咲き並みて帰る家路の昨年(きそ)と変らぬ

1996年10月号
ねずみ、蛇食べても生きむと腹決めしかの日より五十年の過ぎゆき速し
空襲のサイレン、つぶての焼夷弾三月十目の劫火の夜空
交叉するサーチライトが捉へたるB29悠々の一機仰げり
至近弾に揺るる地下壕の暗きなか柳行李に眠る子目守る
子を背負ひ列車より降りてゴミの火に粉乳温めしは何処なりしか
小鳥来ず地虫のなくもたたずしてもの忘れのやうな立秋の日ぞ

1996年11月号
時刻(とき)の鐘遠打つに似て間合もち、晩夏未明のはしぶと鴉
白檀の香りに鎮む「夢待」の香ゆらぐとき夫を呼びつつ
血管の青く筋立つ両の手をこもごも仰ぐかく老いたりと
十五年前に遊びしロンドンのケンジントン公園も銀杏の秋か
恵比寿なる動く歩道に荷を置きて荷を忘れ呆と運ばれてをり
天窓の焼くる茜を仰ぎつつわれはいまもの眼を病む女

1996年12月号
消灯の時間と電灯(あかり)消しゆきし人の廊去る足音を聞く
切口は3ミリ手術は十五分ほど簡単ですよと若き医去りぬ
シンシンと耳鳴りに似る頭(づ)鳴りして抱へてゆかねばならぬ生命(いのち)ぞ
眼底に出血少々あるといふ昨夜(よべ)寒気して眠りしわれの
上を見よ、下見よ、右上左下と若き眼科医遊ぶごと言ふ
風鳴りに似て底ごもる街の音、張り紙に似る夜空の月は


1997年 1月号
さざめきて友ら出でたる廊に佇ち何すとなけれ宵の月瞻る
乙川に映る月影白くして慰むならねまどかにまろし
八階の個室見まはし腰掛けて二十四日の更くる月瞻る
歌退(うたの)くと告げし二人を偲びをり白鳥さん一秋さん我も老いゆく
眼を病むはこころ病むゆゑさ思(も)へど還らぬ夫に時に執しぬ
真すぐな一本道を想へよと眠着(ねつ)けぬわれに言ひし夫はも

1997年 2月号
いま思へばただ一度のハワイ旅行「お前の嬉しげな顔」と夫はも
バケツ叩く音に鳴りだす若人のポップジャムとふも音楽なるか
よどみなく日本語喋るラモス・ルイ仕合せならむ良き笑ひ顔
目に眼薬、膝に痛み止めのパップ貼る肉体(からだ)の手入れ今朝は念なし
孫の飼ふ西洋なまずの源吉君、背黒腹白、尻尾(しつぽ)の赤し
漕ぎ出でし和船の浪に揺れながら帆を張るまでを見て眠りたり

1997年 3月号
見納めの赫き夕日と思はねど向かひ佇む歳晩の今日
よく持つたなど言ひもせし五十年過ぎてしまへば夢の短さ
戸を繰れば細葉ふさふさ手に触れてミモザの若木花の芽目立つ
瞼閉ぢ闇にたちくるものありや眠れ眠れとおのが身にいふ

1997年 4月号
煮かへしの金平牛蒡も昼の菜病み封じ箸もて味見するかな
「小さけど」とありし日夫の求めこし焼却炉庭に年を越したり
地中より蟻出でし日を記したる日記三十年前の良き春の日を
二度三度目覚めて夜中に水呑む侘びしさまぎらす水の効用か
コーヒーにそんなに砂糖を入れないで夫在りし日に否みきわれは

1997年 5月号
乗り越しのエレベーターに運ばれて降りし八階プラネタリウム
立春の太陽没りてたちまちに疑似天空にオリオン光る
椅子を背に顎上向けてこころ放る宇宙時間の孤独に入らむ
星空を仰ぎ帰れる夜の家路待つ夫居るを疑はざりき
名古屋、東京週の七日をふり分けて暮せしかの日わが事なるや
星の人藤田さん逝き夫も亡しひとり聞く己が土を踏む音
とりわけて寒の夜風の音さびしあと十年の生(いき)を問はねど

1997年 6月号
石の辺に茂るひとむら枯れずして冬越しの花の蕾見え初む
咲く花をガラス器に盛り株ごとを掘りて給へりクリスマスローズ((三十年前、佐藤達夫先生より戴きしもの))
「あの人が咲いたよと主人はいいますの」後夫妻共に今は在まさぬ
夢の花夜明けの花のその根には毒持つことも教へられたり
この世の縁袖摺りあふも他生の縁、苦き思ひを胸に沈めつ

1997年 7月号
桜咲く春の宵なれ足もとの暗さ踏みゆく青山通り
散る花の舞ふを仰ぎて佇ちどまる日本好きですとボスナック氏は
「夢の会」呼び名とぞして年一度ボスナック氏を囲む花の三日ぞ
不意に鳴る庭木戸の猫なるか鴉か知らぬガタンと一つ
「夢」一字染め抜く紫紺の布の額給びしK医師いかにいますや
西窓に及ぶ夕光ながくなりマロニエ青年の掌のごとひらく

1997年 8月号
一の門、二の門、三の門と潜りゆき杜甫草堂の屋に着きたり
七十七歳、糖尿病で死すとふは真(まこと)ならむか説きてあれども
見仰ぎてつくづくと胸に湧く思ひ宮先生とかさなる杜甫の面差し
われのたく香煙細くのぼりゆく白雲館((道教の寺))再び訪ふと思はざりしが
ダライラマ避暑に過ごすとふポタラ宮蜃気楼ならぬ白壁見上ぐ
バター灯火ゆらめく堂の内にして女人の坐像いたく色めく

1997年 9月号
死の予感すでにありしや春暁に墓どうするといひ出でし夫
常時持つカバンより貯金通帳とり出し己の金を渡すと夫は
歌舞伎座の出しものはもはや覚えなし夫の焦茶の背広の背のみ((高女卒業直前の見合))
起きなくていいよといひぬ四時起きのゴルフの朝は永遠なる過去ぞ
九十二、三まで大丈夫さうなど言ひたりき極楽トンボのわれや
待っててね・・呟き?の炎消す習慣(ならひ)を積みて二年過ぎつ

1997年 10月号
臥せるまま見入る硝子戸越しの庭、梅雨過ぎて緑葉(みどりば)伸びし浜木綿
そら耳に聞こえし夫の声なるや「まだ起きないのか」と日曜の朝
まる二年過ぐるは速し庭隅に夫の求めし焼却器古ぶ
隣接の息子の家屋見にゆきて安心したと言ひし夫はも
三回忌の家族(うから)連れだち来し墓に「来ましたよ」と言ひ墓石を拭ふ
打ち水の斜陽に細き虹なすを見給へ夫よ家族そろへる

1997年 11月号
わが家に接する石塀の下に生ひ咲く彼岸花悲しみ知れと
頭の背後(うしろ)で誰かものいふと言ひたりき深夜眠れず起きゐし夫か
玄関の段に気をつけてとわが言ひき生きて帰る日なかりし夫に
イギリスのBBCより放送せし若き夫の声、録音テープ残る
わが従兄弟ドレミファガンジーが言ひたりき「夫の仕事の価値を知らぬ」と

1997年 12月号
三木アヤを歌材とします先生の一首に出遇ひ泣き笑ひしつ
ベッドにぞ仰臥なします先生が素足(みあし)動かし答(いら)へたまへる



1998年 1月号
八王子に昏れゆく山も空も見て箱庭指導((箱庭療法))の一日を終る
鑑別所ただいかつきに出入(いでい)りの人影あらぬ戸口明るし
賭けごとの好きな亡き夫が確率の計算なせしノートかこれは
坂下の大き欅に何時よりか悲しみごとを告げにゆくわれは
自転車に並び走りし幾度ぞ安曇野の道、還らざる道

1998年 2月号
垣根にも庭木にも蔓からませて赤き花二輪薔薇(さうび)咲きたり
恋人を伴ひわれを訪へる幸福(しあはせ)の日の皆川さんの薔薇よ
一日の一月も一年も過ぎ去れば時間は水のごとくに見えね
生命(いのち)絶つ薬服して効果おそしと添書残す岸上君あはれ
留守居するわが辺に寄りてコテツ君ワンともグウとも吠えずに眠る

1998年 3月号
柴折戸のガタンと音せし夜明け方、それきり音せぬ闇(くらやみ)に臥す
耳ざとく眠れないのかとよく問へる夫のわが傍(へ)に居ると思はむ
わが家と並ぶ長男の新しき家見むと行きてみまかりし夫よ
三回忌にみな集まるといひくれし教へ子二十名が囲む夫の墓
手渡されし講演記録若き日の夫の口調のそのこゑひびく
松の木の小林を背に墓地ひらく八王子今日の明るき夕陽

1998年 4月号
まるまると三個実りし柚子の実を希望とし見る正月三日
見送りてあわてるなよ(、 、 、 、 、 、)が口癖の夫をば思ふ転びてよりは
浜木綿のみどり葉の鉢枕辺に置きて粉雪の夜半の燈を消す
この家路たどりてわれもなき夫も幾度仰ぎしか光る金星
陶芸の人の言葉の美しさ手ざはり(、、、)、古色、うつり(、、、)などとふ

1998年 5月号
坂下の橡の太木のところまで歩まむとすれ雪積もるなり
閉め忘れし雨戸を閉(さ)すと起き出でて仰ぐ三日月すさまじき鎌
家移りして失ひし庭の樹々わけても惜しむ大き梅の木
人生はあッといふ間に過ぐるものか、風邪に臥(ね)てうつらうつらのわれよ
八戸(はちのへ)のひとり暮らしのわが祖母が残せし一つ「苦しみを耐ふる法」

1998年 6月号
積む雪に足をとられて転びたるそれの如くに死はくるならむ(か)
カモシカが降りてくるのを見よといふ夜半のテレビ消して眠らな
道走る大き風音夜半なれば閉めし障子の紙ひびき立つ
寒くないか、夜具ひきよせて掛けくれしを想ひて(出)寂し、夫は亡き人

1998年 7月号
「パパイアよく喰ふな」夫は呆れて吾にいひき最後の旅行となりしハワイで
あと何年生き得るものか、死ぬときは一人と思ふことと異なる

1998年 8月号
呆として見上ぐるわれに「どうした?」といふ如くなり写真の夫
よく食ふな、呆れ顔して言ひし夫ハワイのパパイア、遠く過ぎし日(過ぎて遠き日)
もう一度行きたきハワイしかれども夫在りし日は戻らざるなり
父方の母方の従兄弟ともどもに亡くなりて人生の日暮((身内の死重なる))の早さ

1998年 9月号
宇奈月に二泊三日の旅といふ学生伴ふビデオの夫は
木棚に腕(かひな)あづけて黒四の滝望む夫の白きワイシャツ
降ち(り)やまぬ滝の飛沫に面向けて佇む夫の何思ひ居るや
映像は今に残れど人生の伴なるときの過ぎてしまへる

1998年 10月号
黒四のダム見学のビデオ一巻夫亡き三年のあとにし届く
たうたうと飛沫をあぐるダムの滝そを背に開衿シャツの夫の佇む
黒四のダム見学に教へ子を伴ひしとふ何時なりしかああ
向岸の滝のしぶきを眺めゐて夫の横顔呆たる孤独

1998年 10月 増刊号
年齢の差だけお前は生きよと言ひし夫、聞きすてにして過ぎし若き日
浜田山駅の改札過ぎてきておおと手あげし夫はまぼろし
戸を繰ればミモザの花は黄に満ちて咲き盛りをり、春巡り来ぬ

1998年 11月号
八十歳越えたる祖母を背に負ひてわが家に運びし夫も亡き人
六畳の一間を借りて一人居に暮しし祖母の残せる手帖
満州に出征なせしわが父に祖母は唐辛子入りの手袋作りぬ
朝戸くる傍(かたへ)にミモザ茂りたち花なきみどり茂りにしげる

1998年 12月号
植ゑてより三年経てど戸袋の傍(かたへ)の合歓のいまだ花見ぬ
土用過ぎて明けの鴉の声聞かずもの忘れしてゐる如きむなしさ
見上ぐれば飾る写真の笑まふ夫いまは「どうした」と問ふ声もなし
出でしなに荷物は二つと念を押す夫思ひつつ旅に出るなり
腕時計金銀二個を枕辺に、在りし日夫のせしごとく置く

補追分
地下鉄の階段口より深く差し真昼の光刀(たう)のごとしも



Kuroda Kouta (2006.02.13/2007.05.19)