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  よいか悪いか・本当か?(常識の非常識と価値観)


○はじめに
○洗顔時の洗眼
○トイレの前には手を洗う
○食事の前には手を洗う?
○靴を履くということ
○ガングロ娘
○骨太
○地球温暖化
○エンゲル係数
○踏切の話
○海の上に道がある
○酔っぱらい運転の話
○想像力を強化する
○刺青(いれずみ)の話
○金貨を口にくわえる
○生きているのではなく生かされている


○はじめに

 このページには、「よいか悪いか?」とか「本当か嘘か?」などと、私がちょっと疑問に感じたことをメモっておきます。つまり、世間には「常識となっていることで、非常識なこともある」ということです。むろん、学説の変化や個人差があるために一概には言えないことも多いでしょう。そんなことを簡単な理由を付けてメモをして、さらについでと言ったら何だけれど、価値観についても覚えを記述しておく。
 なぜならば、価値観などと言っても、それは時代とともに変わるからです。価値観の変遷を見ていくと、「常識の非常識」と言ったようなことが多く見受けられます。ここに、そんないくつかの例をあげましたけれども、あくまで私個人の考えであることをお断わりしておきましょう。つまり、このページは全体的に「試論としての私論」であるので、ご了承いただきたい。
 何かのご参考になるかもしれない。


○洗顔時の洗眼

 目は、ほどほどに洗う。
 目を保護している液が出ているので、それまで洗い流してしまわないほうがよい。


○トイレの前には手を洗う

 「トイレの後には手を洗え」という。とくに大便の場合は、そうかもしれない。かつては、ウオッシュレット(尻洗いトイレ)がなかったので、どうしても拭き紙をとおしてうんこが手に付くからである。むろん、それはもっとも。
 しかし、むしろ衛生的に考えるとトイレの前に手を洗うべきではないか。なぜならば、トイレでは大事な一物(男の場合)に触れたり、お知りの回りに手をやることがある。もしも、手に悪性の細菌などが付着していると、感染をしてしまうだろう。そんなために、トイレの前には手が清潔であることが必要なのである。女性の場合も、同じ。とくに、三つが近いためになおさらだと、私は思う。


○食事の前には手を洗う?

 食事の前には、手を洗うのが常識である。なぜならば、手に付いた汚物や最近が食物といっしょに口に入ってしまう危険があるから。しかし上に述べたように、トイレの前にも手を洗ったほうがよい。常識では、トイレの後で手を洗うことになっている。しかし、手に着いているバイ菌やウイルスなどを、自分自身の一物に付けないようにしたほうがよいから。そんなことは、時代や場所によって常識が大きく異なってくるだろう。

 例えば、ルイ王朝時代のようにナイフやフォークを使わないで手で直接に食べた時代には、スープなどに手を突っ込むので、必ず食後には手を洗わなければならなかったろう。そんなことが、「トイレの前後」と同じように、価値観の違いを生ずるのかもしれない。


○靴を履くということ

 電車に乗ったときは、ちょっと手持ち無沙汰。そこで、それとなく回りの人を観察。いまだかつて、靴を履いていない人を見たことがない。つまり、下駄や草履(ぞうり)、草鞋(わらじ)さらには裸足(はだし)である。しかし、考えてみると日本人が靴を履く習慣は現代になってから。下駄や草履・草鞋などの優れた履物があったが、いつの間にかなくなってしまった。もはや足袋(たび)などは、特殊な職業の人の占有物であろう。

 健康に関して考えると裸足がよい。しかし、地面の危険物やウイルスなどを考えると、そうもいかない。そこで、素足にサンダルが好ましいと思う。靴を履くこと自体が、身体に変調を起こすのではないか。ハイヒールなどは、ばかげていると思う。ベニスのチョゴマ(でなかったかもしれない)と同様に纏足(てんそく)の延長と考えてよいだろう。

 絵画などにある釈迦の弟子たちやイエスの弟子たちを見ると、裸足だったことが想像できる。そこまでいかなくても、日本人はギリシャ時代の人々のように素足にサンダルというのはどうであろうか。日本の気候と過去の風俗習慣を考えると。


○ガングロ娘

 健康に関しても、学説や考え方の変化が大きい。
 昔は、太陽に焼けて肌の黒いのが健康によいと考えた。夏休みが終わって、学校では黒くなっているのを大いに自慢したものだ。
 また、ガングロ娘などと言って、若い女性が専門の赤外線で皮膚を焼いているようだ。
 しかし、最近になって皮膚ガンなどの問題があるので、あまり直射日光に当たらないほうがよいと考えるようになった。そんなわけで、夏には日傘を用意する女性が増えたようだ。


○骨太

 カルシウムの取りすぎについても、問題が生じてきている。
 いったい、カルシウムとは何であろうか。金属であることはわかるが、私にはその実態がわからない。戦後、日本人も牛乳を摂るようになった。とくに、学校給食は敗戦後の脱脂粉乳から始まった。そして、戦前の10倍以上も牛乳を飲むようになったという。しかし、骨折をする子どもが戦前の10倍以上になったという。

 何となく、カルシウムが骨以外の部分に入って、発病することもあるらしい。例えば、細胞の中や血液の中に必要以上に含まれるとどうなるのであろう。少し前までは、カルシウムを摂りすぎても、身体には以上をきたさないと考えていたようだ。
 同様に、アスベストの危険性やサリドマイドの発ガン性なども、最初は問題にされなかった。


○地球温暖化

 最近は、何かというと地球温暖化の問題が喧(かまびす)しい。
 しかし、1970年代の半ばには、世界の多くの気象学者が
 「地球の気温が下降しているので、近い将来には氷河期になる」
と言った。
 そして、それは当時の多くの知識人も認めて、憂慮した問題だったのである。
 その信憑性は、過去100年(当時から)の地球の平均温度のグラフが示していた。確かに、いったん上昇した気温は、かなり激しく下がり始めていたようだ。

 その後、1980年半ばになって、NASAゴダード宇宙飛行センターの気象学者、ジェームズ=ハンセン博士が
 「人間が放出する二酸化炭素によって、近い将来には南極の氷が溶けて、世界の大都市が水没する。」
という警告を出した。
 それ以来、マスコミなどは付和雷同するかのごとく、
 「すぐに対策を考えないと、世界は大変なことになる。」
と言い始めた。

 1970年と1980年のいずれの場合も、まったく同じことを言っている部分がある。
 それは、
 「すぐに対策を考えないと、世界は大変なことになる。」
という大々的なデマゴーグもどきの意見である。


○エンゲル係数

 学校では、エンゲル係数が下がると生活が向上すると習った。そして、反対にエンゲル係数が高くなるほど、生活は苦しくなると言う。
 そのエンゲル係数が、いつごろからか生活の指標ではなくなってきたようだ。
 なぜならば、住宅ローンなどや医療費に追われてしまって、食料費が減っている。エンゲル係数は下がっても、生活がよくならないのである。つまり、歪(ひず)んだ社会になってきつつあるということか。


踏切の話

 地動説は宗教などと関係もあって、なかなか改められなかったようです。
 しかし、鉄道の踏切などもいま考えてみると、ずいぶんと勝手が違っていたようです。
 当初、開通時には踏切に歩行者があると遮断機を閉じて、車両を止めたそうです。つまり、遮断機は道路に付いていたのではなく、線路側に付いていたのです。


○海の上に道がある

 海の上に道があることは、珍しくもありません。橋がかかっているからです。
 例えば、江ノ島に行くときは車道と歩道のある立派な橋を渡ります。しかし、昔の写真を見ると潮が引いたときに歩いて渡っていた時代があったことがわかります。

 橋も何もないのに、海の上が「市道」になっているところがある。浦賀(西浦賀〜東浦賀)の市営渡し船の航路です。


○酔っぱらい運転の話

 また、私が学生時代のことです。
 高田馬場で三合ほど飲んで、ご機嫌になって青梅街道を走っていました。吉祥寺まで帰る途中で、一斉をやっていて荻窪警察の前で止められ、警官に注意をされました。
 「ずいぶん飲んでいるので、気をつけて帰ってください。」
 昭和35年(1960年)のことでした。


○想像力を強化する

 シャーロック=ホームズが日常的に麻薬を注射するので、ワトソンが注意をするという記述がありました。ホームズは、推理力が高まるというのです。
 しかし、最近の版ではここの記述が削除されたようです。読み返しても、見あたらないからです。


○刺青(いれずみ)の話

 最近はサウナなどで刺青やタトゥーなどをした人をボイコットするようです。入り口に、そのことがちゃんと書いて、貼ってあるからです。
 松方何とかという人が演じる「遠山の金さん」の桜吹雪は、その下にある肉体がでっぷりしているので、確かに格好よくはありません。しかし、かたせ梨乃が「女無宿人・半身のお紺」で演じるお紺(おこん)は、素敵ではないでしょうか。
 昔は、刺青なども裸を隠したりするアクセサリーの一種だったそうです。


○金貨を口にくわえる

 紙幣や硬貨はばい菌がついていて、不潔であるというのが現代の常識。
 しかし、金貨(小銭)を口にくわえて運んだ時代があった。それが、ギリシア時代のやりかただったらしい。
 デオプラトスの『人さまざま』(岩波文庫)という本に書いてあった。


○生きているのではなく生かされている

 私たちは、生きていると思う。まったく、そのとおりである。しかし、考えてみれば何となく「生きている」のではなく、むしろ「生かされている」のではないか。そんなふうに感じることがある。あなたは、いかがであろうか。


Kuroda Kouta (2007.04.30/2008.05.30)