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  ゲームの楽しみ


 ここでは、「ゲームの楽しみ」について、ちょっと説明。
 また、「ゲームの効果」についても触れてみたい。
 いちおう、私がここで選んだゲームは、
    ソリティア
    麻雀
    将棋
の三つです。
 いずれも、かなり本格的なもので、やっていても楽しく、また頭の体操になるでしょう。
 上の三つのゲームは、それぞれ異なったムードや環境を提供してくれます。

 もしかしたら、健康なときはゲームなどをしない人が、意外にも多いのかもしれません。
 身体に自信があるから、あちこちに出かけたり、スポーツをしたりするのです。しかし、老いてきて足が萎(な)えて歩けなくなってしまったり、外出が思うようにできなくなったりしたときにはどうなるのでしょうか。
 そんなときには、ゲームが身近なレクリエーションとなるに違いありません。

 レクリエーション(recreation)とは、そもそも日常の「仕事や勉学などの疲れ」を癒(いや)して、心身の活力を保つための楽しみを言います。したがって、それは個人ごとに内容がかなり異なっているでしょう。
 老人ホームなどに入所をしたら、大いに活用したいのがここにあげたゲームです。むろん若くて健康な人がこのゲームを行っても、「脳のトレーニング」になるので好ましいことです。

 また、老いてくると(言い換えれば高齢になると)どうしても思考が衰えてきます。つまり、考えることが面倒になってしまうのです。すると、いろいろな不都合が次々と生じてくるでしょう。度忘れ記憶違いなどから始まって、認知症(痴呆症と言うのでしょうか)やアルツハイマーなどになってしまうこともあるようです。
 そんなことが理由のために、「ある程度の負荷」を脳にかけなければなりません。
 また、高齢になるとイライラしやすくもなるようです。いきおい、ストレスが貯まって身体の具合が悪化するでしょう。ストレスは健康の敵だからです。そして、そのような「ストレスの発散」のためにも、ここにあげたゲームは効果的です。

 相手が人間であると、ひよっとしたはずみに煩わしいことが生じます。
 高齢者のセンターで、ゲームが原因で人間関係のトラブルがあったことも事実です。先日も怒って、台をひっくり返した人がいたようです。
 しかし、コンピュータでする場合には精神的に煩わしい問題はあまり生じません。
 また、「今日はしない!」などとも絶対に言いません。
 「いつでも喜んで」とまでは言わないまでも、とにかくゲームを始めると、いつまでも相手をしてくれます。考えてみれば、それは当然のことではありますが、何とも有りがたいことです。相手が人間ですと、そのようなことはないでしょう。

 ソリティアは、トランプ札で行う「一人占い」です。
 それは、いわゆる「今日の運勢」を軽く占ってみるような気持ちでできる「頭の準備体操」と考えてもよいでしょう。運がかなり支配するゲームですから、やるごとにカードの様子が異なっています。
 ここで取り上げたソリティアは、取り札がなく絵札もすっきりしていて、目が疲れないのでありがたい。
 しかし、難しくてなかなか完成できません。私は、一回やってダメなら「今日の運勢には気をつけよう!」と思ってやめてしまいます。最初のころに、上がれるまでやってみて、1時間以上もかかったことがあるんですが、……

 麻雀は、スイスイと牌(パイ)切ることによって、脳に刺激を与えるので何となく「頭の回転」を早くする練習になるのではないか。しかし、相手が三人いるわけですから、トップは3回に1回くらいの割合になるでしょう。でも、私は頑張って2回に1回はトップになります。
 それだけ、頭を使っているのかもしれません。
 打ち方の速さは、他の三家(さんちゃ)つまり下家(しもちゃ)・対面(といめん)・上家(かみちゃ)と同じテンポで捨て牌(パイ)をします。上がったり、ポン・チーうするとき以外は早く判断をして、スイスイと牌を捨てていくことが、「脳の活性化」と考えるからです。

 そんな麻雀の勝負ではあるが、他家(たちゃ)に上がられるよりも、安くても自分が上がったほうが、勝敗の結果がよいことを改めて知らされます。どんなに高く点張(てんぱ)っても、上がれなくてはダメなのです。他人に振り込んでしまうくらいなら、安くても上がったほうがよいでしょうい。しかし、その辺の見通しがつかないので、結果的に後悔をするのです。
 人生でも、あまり目的が大きければ完成しないことが多いようです。そのようなことと似ているゲームなのではないでしょうか。

 将棋は、よくよく「打つ手の思案」をしなければ勝てません。いい加減な進め方では、必ずといっていいほど、負けてしまうでしょう。自分自身の実力もありますが、私の場合は「初級」にしても3回に1回くらいしか勝てません。今のところは。
 しかも、最初の盤面でかなりの沈思黙考を余儀なくされます。ちょっと油断をすると、こてんこてんにやられてしまうからです。「初級」以上のときは、相手の打つ手には「容赦も情けもない」ようです。ギクリとするような手を瞬間に打ってくるので、慌てたり驚いてしまいます。

 そんなわけで私は、途中で投げ出したくなるときがあります。しかし、なるべく我慢をするようにしています。いったんしかかったゲームは、なるべく途中では「放棄しない」ようにするのです。人生や将棋には、「我慢が必要」なときもあるということを忘れないためです。
 また、「放棄をするぐらいなら、最初からしなければよい」じゃないかと、秘かに考えるからです。

 もっとも、妻が見に来たりすると「白旗」(しらはた)のアイコンでなく、右上の「×」(閉じる)ボタンを素早くクリック。でも、続いて「無題への変更を保存しますか?」に「いいえ」をしなければなりません。もっとも、そこも「×」しておいて、保存をしたものを後で削除をしてもいいんですが、……

 将棋について私は経験が少ないので、よくわかりません。
 このパソコンの将棋は、相手がものすごく強いので「駒を取らせない」ようにしなければなりません。なぜならば、どこへどう打てばよいのかという駒の活用法が相手側には瞬時にわかるからです。人間で言えば、有段者や名人級の知識です。

 そんなわけで細心の注意をすると、いきおい自分の持ち駒が増えていきます。相手が投了したときは、相手の駒はほとんど歩(ふ)だけ、それに反して私の持ち駒は、飛車・角行・金・銀・桂馬・香車(やり)がいっぱい。
 つまり、相手(コンピュータ)が負けるときは、すっかり丸腰になっています。

 そんなときに、私は極東軍事裁判のことを思い出します。兵隊を統括していた大将だった人も、丸腰になって法廷に引き出されます。屠所に引かれる牛のようにです。さらに、この期(ご)に及んで情けないことを言い出す人もいました。

 いずれにしても、この将棋ではいろいろなことを考えながら、スリルのある場面が経験できます。脳に大きな刺激が与えられるので、素晴らしい効果があるでしょう。
 また、マウスで駒を細かく操作するために、手や指を使うので効果的です。なぜならば、「手を使うことは老化予防にもなる」からです。

(注) カントは
    <手は、外部の脳である。>
と言ったそうです。
 日本珠算連名の広告に、「手は体の外に出た脳である−−カント−−」とありました。
 (1999年ころ調布の布田天神社入り口甲州街道のところにある珠算教室の掲示板で私が見たポスターです。)


 いずれのゲームの場合も、いつまでもしてはいけません。もっとも、時間の余っているようなときは、「終日ゲーム三昧」(ひねもすゲームざんまい)というのもよいでしょうが。

 私は、「人の弱みにつけこんだり」、「相手の隙(すき)を突く」ようなことは嫌いですから、日常の生活ではあまりしません。また、「いちゃもんを付ける」ことなどもないでしょう。むしろ、「諦めてしまう」ほうが人生において賢い方法なのではないかと考えるからです。
 しかし、対戦相手が人間ではないゲームの場合は、プログラムに組まれたとおりの「情け容赦もない」方法で迫ってきます。そこで、ある程度の「かけひき」が必要になってくるようです。つまり、「相手の裏をかく」手段や方法を考えなければならないでしょう。

 また、もともと積極的ではなく相手に「攻め込んで行く」のが嫌いですから、将棋のような場合は常に「後手」を選択します。そして、歩成り隊で攻めていくときも相手には近づきますが、なるべく自分のほうから駒を取らないようにしています。そして、私の場合は「勝負」を楽しむというよりか、「脳の活性化」ということが目的ですから、勝敗にはあまりこだわりません。

 また、相手が人間でないと何となく物足りないという人もいるでしょう。
 しかし、コンピュータが相手だといいこともあります。パソコンのゲームでは、相手が嫌みを言ったり、罵詈雑言(ばりぞうごん)をしないからです。つまり、相手の態度で不愉快な思いをする必要がありません。その分だけ、自分の力を冷静に知ることができます。
 そんな意味で、とてもクールな勝負で楽しむことができるでしょう。

 でも、どのゲームも最初に始めるときは、相手がコンピュータに組み込まれたプログラムとは言いますものの、私は「よろしく」と心の中で言います。とくに、将棋のときには「よろしくご指導ください」と、頭を下げる気持ちです。なぜならば、いろいろとやってみて教えられることがあるからです。駒の使い方だけではなく、そこから人生に対する考え方まで学ぶことが多いからです。

 そんなゲームの楽しみもあるのです。

Kuroda Kouta (2007.05.29/2007.07.12)