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 文章と本の作り方



この節に含まれる項目

  なぜ「文章と本の作り方」か?
  文章を作るということは、どういうことなのか?
  横書きの文章で言いたいことを!
  本の作り方
  大まかなことと細かなことをざっと知る


なぜ「文章と本の作り方」か?

 いまさら文章の作り方でもないでしょうが、ある程度の基準をもうけておく必要があります。なぜならば、そうしないと、「ホームページ」などがなかなか考えたようにはできません。しかしここで、まったくできないというのではありませんが、そうしないと効率よくはできないのです。
 その都度、その時の気分で言葉を並べていくと、どうしても全体がまとまりのない文になってしまうからです。そこで、ある程度の基準を、あらかじめ設定しておく必要が生じるのです。その設定が、いわゆる「ガイダンス」としての役目をします。

 そして、ホームページなどの文章を作成するときと同じことが、「本」を作る場合にも言えます。
 ホームページはパソコンの画面上に表示されますが、本は用紙に印刷されます。しかし、いずれも目的をもった文章の集まりであり、いわゆる著作物ということには変わりはありません。

 ふつう、ホームページを作ろうとすると、本を作るときよりも多くの配慮が必要になるでしょう。
 なぜならば、本では

(1) 動画(アニメ)などは、直接には入れられない
(2) 音声や音楽なども、利用しにくい
(3) 全体の検索などの機能がないので、索引にたよらざるをえない

などの問題があるからです。
 つまり、本のほうがホームページよりも閉じた空間であることがわかります。

 そんなために、ホームページの中で必要になる「文章の作り方」は「本の作り方」と共通するところがあるのです。そこで、ここでは単に「文章の作り方」としないで「文章と本の作り方」としました。
 文章をインプットするときは、あまり細かい形式的な配慮よりも、そこで言おうとしている内容に、まず注意を払う必要があるでしょう。その理由は、ホームページや本の内容だけに専念して、速やかに作成する必要があるからです。付帯的な細かいことに注意を向けると、肝腎な内容に関して配慮をする余裕がなくなってしまうことが多いからです。

 とくに作業をする期間が短いときに、効率よくホームページや本を仕上げるためには、どうしてもわかりやすい文章の基準設定をあらかじめ用意しておく必要があります。その度ごとにいちいち細かいことまでを調べていたのでは、時間がいくらあっても足りません。つまり、基本的なことは完全に理解をしておく必要が生じるゆえんです。

 そんなわけで、ある程度の「マニュアル」をここに自分自身のためにも作成してみました。そして、マニュアルの内容をある程度、事前にマスターしておくのです。


文章を作るということは、どういうことなのか?

 文章の必要性は『典論』の言葉から、よくわかります。
 また、宮柊二の言葉に「短歌は生きている証明」と言った内容のものがあります。
 そこで、私も「文章を作るということは、自分自身が生きている証明なのだ」と言いたいと思います。
 考えてみると、空海や親鸞の晩年などは、まさしく「生きている証明」の文章でもあったでしょう。とくに、親鸞は晩年になってから、ものに取り憑かれたようになって、記述にいそしんだといいます。そして、次々と大作を完成していきました。

 私の知人で大阪のTamaさんは、すでに70歳を超えています。しかし、ますますお元気で1日に5回以上もフリーメールのサイトに長文のエッセイを投稿をされていました。それが、生き甲斐になっておられるご様子なのですが、客観的に見ると自ずから「生きている証明」とも言える行動をなさっているのではないでしょうか。
 なぜならば、そのフリーメールは10人程度の小さいグループで、メンバーもそれぞれあまり知的空間の高くないような感じの人ばかりなのですが、Tamaさん自身は「自分自身の生きている証明」の場として、そこを選ばれたからです。
 ついでながら、Tama さんはその後、そのサイトを辞められて、もっと知的空間の高い別の「◆立(りつ)」というサイトに参加をなされました。

(注) Tama さんは、政治や宗教についても常に高い次元からの判断をなされます。とくに、世界の動きについては知識・造詣(ぞうけい)が深くあられ、いつも優れたエッセーを発表なさいます。私は、そのエッセーを拝見していつも有意義な知識を得ることができ、Tama さんの世界観を大いに勉強させていただいています。

 この世の中で、どこに自分を置くかということは、なかなか難しいことです。つまり、自分自身の居場所を決めることです。昔から、この世を「厭離穢土」(おんりえど)とか「娑婆」(しゃば)などと言います。それは、汚れた醜い社会という意味のことでしょうか。
 そんな中にも、考え方によっては人を教化していく世界があるのです。煩悩や苦しみに満ちあふれた人間社会に、すでに自分が入っているのですから仕方がないことでしょう。そのようなことは、法華経では泥沼から咲き出した白い蓮の例えで言われます。やはり、『正しい教えの白蓮』なのでしょうか?

 また、『論語』に

  <いくら人間社会がいやだからと言って、鳥や獣を相手にして暮らすわけにはいかない。この世の人と共にするより、ほかにしょうがないじゃないか。>

という孔子の言葉があります。つまり、孔子は隠者や隠遁者の態度をそれとなく非難しているのです。そして、世の愚かな人に対しても深い愛情を抱いた孔子の人間尊重を第一とする人道主義から、必然的に出た言葉ではないでしょうか。


横書きの文章で言いたいことを!

 例として、以下に『春の雲』という短編を載せてみましょう。
 『RIKOホームページ』の「安心立命とは?」にある「人はどこから来て、どこへ行くのか?」というテーマで、記述してあったものです。
 実際には縦書きの文章ですが、短編でも工夫をすると横書きにも馴染むことがわかります。そのようなことも確かめる意味で、ここに置いた次第です。しかし、作者の無知から何となく文学ではないような感じを受けないでもありません。そこで、かなりの注意をしなければならないことがわかります。また、いろいろと工夫が必要になるゆえんです。



  春 の 雲

遠くより来たりしもののかたちして雲流れゆく春の日の空


 ある春の日の昼下がりです。
 青い空に雲が流れ、遠い連山までかすかに続いています。山頂に残った雪がところどころ鋭く輝きます。山から村のほうへ細々とうねった道が、まるで生き物のように下りてきます。
 その道が、村へ入ろうとして大きく曲がったところに、小さなお地蔵さまがぽつんと立っていました。
 よく見ると、お地蔵さまの前に10歳ぐらいの女の子が、しゃがんでいます。目に涙をいっぱい浮かべ、小さい掌(たなごころ)を合わせ、何かを一心にお祈りをしているようです。
 お地蔵さまの石の皿には、蓬(よもぎ)の葉にのせた小さいお団子が、3つおそなえしてありました。
 ちょうどそのときです。
 がんじょうな体つきの鋭い目をしたお坊さまが、じっと前方を見すえて山のほうから足早に歩いてきました。そのお坊さまは、山上の寺で3年間きびしい修行を続け、今日が満願の日だったのです。


 修行は、とても苦しい日々でした。
 自分で自分に言い聞かせ、不自由な生活の中で心を清浄に保つ訓練をするのです。心が清浄になれば、何事にも迷いがなくなり、幸福になるのです。
 そのようにして、お坊さまは人生の多くの問題を解決しました。
 ただ未解決の1つの疑問を別にすれば、心は平らかで、怒りもなく、ぐちも言いません。まして、物を欲しがる気持ちなどまったくないのです。そして、いよいよ自分が世の中に奉仕できると思うと、心は充足感で満たされ、体には自ずと力がわいてくるのでした。
 お坊さまは見るみるうちに、お地蔵さまと女の子のところに近づきました。女の子は一心にお祈りをしていましたから、お坊さまが立ち止まったのに気がつきません。
 お坊さまは、女の子にやさしく声をかけました。
 「女(め)の童(わらわ)よ、どうしたのですか」
 女の子は、びっくりして振り返りました。
 目が涙であふれ、髪が肩のところで大きく波うち、むせび泣いています。
 それでも、すぐに気をとりなおした様子で、お坊さまに向かい深くおじぎをしてからいいました。
 「おかあさんが死んでしまったの」
 女の子の大きな目から、また大つぶの涙が落ちました。


 その子は、この村の外れで母と二人で細々と暮らしていました。母が病気になっても、貧しくてお医者さまにもかかれず、また葬式も満足にできなかったのです。お坊さまは、しばらく黙祷をささげました。
 そして夢心地になり、数年にわたる苦しい修行を昨日まで続けた山の生活を思い出し、思わず嘆息するとともに感慨無量でした。3年という歳月は、長いようでもあり、また一瞬のようでもあります。
 やがて、お坊さまは女の子にやさしく言いました。
 「かわいそうに、それでは私が亡くなったおかあさんに、お経をさし上げましょう」
 女の子は、黙ってうなづきます。
 「母のふところを寝床となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情けをいのちとなす。母、飢えにあるときも、含めるを吐きて子に食らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて子に被らす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず、……
 なむ死捨無、有悟理厨無、浮露愚羅無」
 このように、お坊さまは長いお経を力強くとなえ終え、女の子を振り返ってやさしく、
 「これでおかあさんも成仏しました。さあ、お家へお帰り」
といいました。


 だいぶ斜めになった陽が、お坊さまの背に注いでいます。
 路傍に生えた雑草の緑が目にすがすがしく、どこまでも続いています。女の子はすっかり元気になり、お坊さまに心からお礼を申しました。
 そして、明るい声でお坊さまに尋ねました。
 「お坊さま、これからどこへ行かれるのですか?」
 このときです。お坊さまの日焼けをしたたくましい顔に、暗いかげりが一瞬よぎりました。女の子は、それをとても不思議に思いました。お坊さまは放心したように、あどけない子の顔をじっと見つめたままです。
 夕日を正面に受けた女の子の瞳には、自分の姿がそれはそれは小さく写っています。じっと見続けていると、深く吸い込まれていくような気がします。
 山中で苦しい修行を続け、人生のあらゆる問題を思索し、試行錯誤を何回も繰り返し、自問自答を続けてきましたが、ただ「人間はどこから来て、どこへ行くのか」という大切なことを、まだ解決できなかったのです。
 夕日を背にしたお坊さまの顔は暗く、反対に女の子の顔は明るく照り映えています。やがてお坊さまは、ふと我にかえりました。そして苦しそうに、
 「さようなら」
といい、また山の方へ戻って行きました。太陽はもう山にかくれ、山際が赤く光っています。
 女の子は、元気そうに村のほうへ走っていきました。


本の作り方

 文章をまとめてホームページに発表をしたり、本などにすることができます。
 ここでは、ある程度まとまった内容がすでにあって、いわゆる「本」にする方法を考えてみましょう。
 出版をするときは、ふつう出版社から原稿を依頼される場合がほとんどです。むろん原稿は、すべてワードプロセッサで作成し、それをFDなどの媒体で納めることが原則です。添付する図表なども、やはり図形ソフトで作成して、そのまま電子写植に利用をするのが普通です。
 昔のように、原稿用紙に一字一字を書いていく方法は、もはやあまり行われません。

 出版社が引き受けてくれないときや、部数の少ない個人的な著作のときは、自費出版という方式があります。それは、ふつう費用をすべて作者が負担をする方式で、本の形をしていますが流通経路には乗りません。つまり、書店の店頭には並ばない場合が多いのです。そこで、著者自らが配布をしたり、贈呈をするわけです。いわゆる商品ではない作品ですから、芸術的に高いものが実現できるメリットもあります。

 簡易自費出版の見本として、
   黒田康太作 『自選歌集(一)』
   黒田康太作 『現代お伽草子(一)』

   黒田康太作 『テクノレディ物語(一)』
があります。
 すべてに(一)が付いているのは、続編が容易にできることを示しています。


 この三冊は、日本中でいちばんシンプルな部類の本だと思います。おそらく、あなたは「こんなものが本と言えるのか」とおっしゃることでしょう。しかし、自分がいいと思えばいいんです。いずれも、縦書きにプリントしたものをホッチキスで閉じ、ちょっと厚手の表紙に綴りこんだものです。
 多摩市立図書館にありますので、確かめたい人は借り受けてください。多摩市・稲城市・日野市などの人は、それぞれのカードで借りることができます。また、他の区市町村の人は、その地区の図書館を経由して借り受けができると思います。
 なお、自費出版ですから出版社はありません。

 私は、かつて出版社から依頼を受けて、20数冊の本を書いたことがあります。いずれも技術書で、プログラムの解説などもありました。しかし、なかなか売れなくて苦労をした思いが残っています。そんな中で1万冊以上が売れた本は、数冊しかありませんでした。
 実際には、依頼をされて作ったのですから、著者には金銭の負担はないのですが、売れないとどうしても精神的な負い目を出版社の人に感じるようになってしまいます。そして、販売部数は結構ひしひしと身体にもこたえるようです。

 文学でない技術書の場合、1万冊出たら上出来という声もあるので、落ち込まないようにしてください。そのような事情ですから、あなたが出版をする場合には、くれぐれも内容がヒットするように、あらかじめ大いに検討をしておいてください。
 かなり出た本(それでも数万冊)の例として、参考までに少し内容を改めて
   『インターネットの入門』
として、「青空ライブラリ」に載せておきました。
 それは、もともと文化系の大学やコンピュータ専門学校で用いる「データ通信」のテキストとして作ったものです。あなたが執筆をするときに何かのお役に立つかもしれません。

 とくに技術系の入門書の場合には、そのスタイルが参考になるのではないでしょうか?
 なお、この『インターネットの入門』は、「全国学校図書館協議会選定図書」になったものです。したがって、やさしい内容ですから理解もしやすいことでしょう。なぜならば、マンガや表があって図解箇所が多いからです。また、縦書きの本(このホームページでは、横書きになっていますが)の例として、先にあげた「回想創造法」の見本として『テクノレディ物語(一)』と「自己福音書」の見本として『現代お伽草子(一)』を載せておきました。

 いずれも「青空ライブラリ」から、簡単に見られるようになっています。
 それらは本ではありますが、12作品ずつ計24作品あって、かつて FM 放送局から連続朗読用として用いられたオムニバス用の短編小説なのです。文学系の場合には、何かの参考になるかと思います。なお、いずれのシリーズも12作品が6部ずつできる予定でした。つまり、あと60作品ずつ作成して120作品を上の24作品の他に作る予定でしたが、計画に変更があってやめてしまいました。そんなことも、ご了承のうえでお読みください。

 いずれにしても文章に書くことには、ちょっとした工夫とコツが必要でしょう。そのためには、あらかじめ細かい手法などを知っておくことが大切です。つまり、文章について大まかなことをざっと知っておくことです。そして、必要に応じて細かいことも応用できる知識をもっていればよいのです。
 そのためには、次の節を参照してください。かなり実務的なことがらが、多く記されているのではないかと思うからです。


大まかなことと細かなことをざっと知る

 何度も繰り返して言いますが、どうしても最小限の知識を整理しておかないと、作業効率が悪くなってしまいます。なぜならば、その時々で適当な処理をすると、一貫した手順を定めないときよりも、かなり多くの時間と労力をムダに費やしてしまうことが経験的にわかっているからです。
 そこで、まとまった文章を作るときは、

    やさしい文章技法1  やさしい文章技法2  やさしい文章技法3

などをあらかじめ参考にしてください。
 「やさしい文章技法1」では基本的なことがら、「やさしい文章技法2」では実際の作成方法など、そして「やさしい文章技法3」ではホームページビルダーやワードプロセッサを利用したインプットについてのアドバイスなどがまとめてあります。

 さらに、文章作成時には用字や用語の基準を決めておくと、何かと便利です。
 そのような用字・用語の基準例を見たい場合は、

    用字・用語の使い方

を参照してください。
 そんな背景のもとに「創作のヒントと執筆プラン」として、オムニバスなどの作成計画時のケーススタディを添付してみました。その構成を知りたいときは、

    創作ヒント

をご覧ください。
 そして、あなた自身の創作に利用していただくとよいでしょう。
 最初は私たちのグループで、オムニバス作品としてテレビドラマ用として計画をした内容ですが、その計画が中止されたので、現時点でプロットだけが残ったものだからです。ただし、作品自体が計画倒れになってしまったので、中途半端で文章に不完全な部分が含まれています。(2005.03.31現在)
 そんなことも、どうぞご了承ください。

Kuroda Kouta (2003.10.15/2011.02.02)