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この資料に関するコメント


 白骨の章



 夫(それ)人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)。まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりというふ事をきかず。
 一生すぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
 我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。
 すでに無常の風きたりぬれば、すなはち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりて、嘆き悲しめども更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて、夜半(よわ)の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふも中々愚かなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかく頼みまいらせて、念仏まうすべきなり。あなかしこあなかしこ。

御文章 白骨の章

Kuroda Kouta (2012.09.07/2007.02.13)