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 戯れ言3 2006年10月から2006年12月分


○何とか一年=入院と手術、そして回復
○吉野家の豚丼=エレアザルたちの場合
○脳の不思議=発達をしすぎた器官
○サンダーさんとニワトリたち=立場の違い?
○マイクロフトのアドバイス=衝撃の一日
○天地同人=三木アヤ先生の思い出
○ホームズとポアロ=推理小説の論理
○もうじき卒寿=ますますお元気!
○Y氏の隣人=心に潜む不気味さ
○狂四郎三人三様=フルート協奏曲
○核シェルターの話=テレビ三昧
○目がチクッ!=血液の問題か?
○ノロウィルス=すばやい感染に自己防衛を!
○肥満の解消法=3ヶ月で20キログラム
○遺伝子組換え=杞憂であったら?
○ステロイド剤=副作用の心配?
○『養生訓』のことば=大いに学ぶべきこと
○「審判」と「無用の罪」=不条理の不安
○ウェルテルとマルテ=なつかしい本
○スパイウェアにご注意!=被害を受けないために
○ラ・マランチャの男=ドン=キホーテ
○アンドレイ=ルブリョフ=動乱と沈黙・試練と復活
○テオレマ=不安と焦燥
○ステロイド剤の使用?=尿蛋白について
○血液の不思議=こころの在処
○老人と飴=甘いものが好きになる?
○老人の姿勢=若々しくあるために
○あなたは幸福ですか?=推理小説の勉強
○読書とテレビ=私の楽しみ
○小説を作る楽しみ=可能性へのチャレンジ
○自作自演=気に入らないときには
○驕れるもの久しからず=生・老・病・死
○老人は社会に不要か?=一つの境地
○尿蛋白と腎臓=傾向と対策
○キリのないこと=有限の身で無限を追う
○プレミア ムビー フメンチ?=大戸屋の定食
○長寿のための食生活医学=知って実践!
○腰の後ろが痛い!=もしかしたら?
○「面倒くさい!」「疲れた!」=老化の兆し?
○なぜ血圧が高いといけないか?=我流恐竜学説
○戦争責任=ニュースから私の思い出
○健康Q&A=素朴な疑問
○新たな心がけ=生まれ変わったつもり?


○何とか一年=入院と手術、そして回復


 何とか健康で楽しかった一年が過ぎた。
 ただ、9月に前立腺肥大症の手術のために10日ほど入院をした。しかし、その経過が非常によくて、現在はまったく快調である。考えてみれば、もっと早めに手術を受けていればよかったと思うほどである。

 ちょっと気難しいが、素晴らしい技術をもった先生に執刀をしていただいたことも幸福であった。手術中の痛みはまったくなく、その後入院している間、そして退院後も痛みなどはまったくない。
 尾籠な話で恐縮ではあるがオシッコをするたびに、勢いよくほとぼしり出る。手術前のことを考えると、つくづく私は幸福だと思う。

 その他、いろいろなことがあった一年である。
 旧約聖書の勉強をしたり、仏典をひもといたりもした。それらは、私たちの現在の常識では考えられない事実を自分なりに明白にすることを実現した。しかし、個人的なことであるから、それらを発表したり、その内容を固執するつもりはない。

 そうかと言って、とくに秘密にしておく内容でもないだろう。
 一人でも多くの人にわかっていただいて、世の中を正しく見ることが必要ではないか。ただ、頭の固い人たちには何を言ってもなかなか理解ができないようである。

 それでも、自分なりにいろいろと研究をしていると、まだまだ知りつくされていないことがらが、次々に明るみに出てくるので楽しい。
 明日からの新年度も、この続きであって欲しい。
 そして、親しくしてくださる人々は健康に細心の注意をして、なるべく死なないようにしていただきたいものだ。

 なぜならば、この一年には、非常に残念なことがあったから。
 それは、大岩先生が亡くなったこと。そして、田中さんが亡くなったことだ。お二人とも、非常に親しくしてくださって、いろいろと私はアドバイスやご厚意をいただいた。
 もはや、彼らと相談ができなくなってしまったことを今となっては、心残りに思う次第です。(2006/12/31)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  2006年を省みて

 rikさんには御付合い頂き、勉強になりました。rikさんは話題が広く、私の知らない分野の事が多く、改めて世の中の事は簡単ではないなー、と驚く事が多い一年でした。私も病気が完治しないので、体が弱くなり、少しの気候の寒暖の差で風邪を引く事が多くなりました。

 間もなく新年を迎えるのですが、来年の希望は少しでも長生きして、勉強が挫折する様な事にならないだけの健康を維持したい。rikさんの知友が帰天していった今年、淋しいだろうと推察する。離合集散は世の習いとは言え、無常ではある。

 「エノク」「仏陀の化身」など人の常識では考えられない、現象がある。然し宇宙を考えた時、やがて、太陽系も燃え尽きる時が来ると言う。又、宇宙其の物が、拡散しているのか? 何時か反転して収縮を始め、ビッグ バン寸前の初期の段階へ戻るのか、大きい謎である。
 だから、エノクや仏陀の再来も不思議ではないと私は考える。

 「我々は何処から来て、何処へ行くのか」世界遺産のナレーションではないが、私は面白いものだと考える。
 来るべき2007年も良い年であるよう祈り、お礼申し上げ、年末のご挨拶としたい。



○吉野家の豚丼=エレアザルたちの場合


 ここのところ、よく吉野家で豚丼を食べる。
 牛丼もあるが、時間限定で午前11時から午後3時となっている。したがって、午前9時頃はいつも豚丼。

 最初のころは豚丼を「とんどん」と言って注文をした。しかし、店員に聞き直されたりした。私の言う意味が、わからなかったからであろう。
 その理由は、私なりに次のように考えていたから。

 「牛」は音読みで「ギュウ」または「ゴ」、訓読みで「うし」である。
 いっぽう「丼」は音読みが「タン」または「トン」、訓読みが「どんぶり」である。
 したがって、牛丼は音読みで「ギュウトン」が濁点になまって「ギュウドン」になったのではないか。「丼」は、どうやら訓読みの略ではないらしい。

 ついでながら、牛頭・馬頭(ごず・めず)などの「牛」は「ゴ」、「馬」は「メ」と読む。仏教などの関係であろうか。私と妻がよく行く聖蹟桜ヶ丘駅の京王C館にあるカフェテラスに、「ごらい」さんという素敵な若い女性がいる。むずかしい姓だと思って、名札を見ると「牛来」となっていた。

 豚という字は音読みで「トン」、訓読みで「ぶた」である。
 したがって「豚丼」と書いてあれば、ふつう「トントン」と読むであろう。あるいは「トンドン」かもしれない。
 それを「ぶたどん」と読ませるのは、「訓読み+音読み」となる。つまり、俗に言う「重箱読み」の反対の場合、「湯桶読み」である。湯桶(ゆとう)をはじめ、消印(けしいん)とか野宿(のじゅく)などがそうだ。

 そんなことはどうでもいい。
 吉野家固有の商品と考えて、注文ができればよいのである。

 そんなことよりも、豚丼が食べられることは幸福なことである。
 日本では、穀物や野菜が主食で、長い間にわったて肉食は少なかったようです。むろん、鶏などをつぶして食べたりしたことはあるでしょうが、西洋人の食事のように肉を多く食べませんでした。

 その代わり海岸に近い地方の人は、魚をかなり食べたのです。長い歴史が、そのような遺伝子を構成するのですから、急激に食生活を変えると問題が生じるでしょう。

 そもそも日本では、天武天皇の時代(675年ごろ)に「牛・馬・犬・猿・鶏」の肉食が禁じられました。
 ここに豚が入っていないのは、なぜでしょうか。

 その辺のことについては、長くなりますので必要であれば『RKOホームページへようこそ!』の「健康のページ」をご覧ください。

 前置きが長くなっちゃったが、ここから本題。
 私は豚丼を食べるときには、いつも旧約聖書の『第四マカベア書』にあった記述を思い出します。それは、信仰上の理由で豚肉を食べてはいけなかったエレアザルたちのことです。

 アンティオコス王は、その信仰を捨てさせるために、彼らに豚肉を食べさせようとしました。もしも、王の前で食べなかったら、拷問にかけて殺すように家来に命じたのです。

 エレアザルは、最後まで豚肉を食べることをこばみ、釜ゆでにされて殉教をしたのです。
 続いて、七人の若者たちが拷問にかけられましたが、誰も最後まで豚肉を食べることをしませんでした。そのために、足と手を切られた者、体に油を塗って火あぶりにされて死んだ者、身体中の関節を外された者、すべて悲惨な状況のもとに、神を讃えながら息をひきとったんです。

 今までインプットをした10倍くらいのことを書きたいんですが、長くなっちゃいますので、この辺でやめましょう。
 信仰は、ものすごいもんだと思いませんか。(2006/12/30)


○脳の不思議=発達をしすぎた器官


 ヒトの脳は不可思議で、不気味でもある。
 私は、いつも考えると鳥肌が立つほどの戦慄を覚えてしまう。なぜならば、「脳が脳を考えている」からである。とくに、ヒトの脳は病的といってよいほどに発達をしたようである。

 また、例えば脳を手術するときのことである。
 頭のてっぺんにある重大な器官だから、麻酔を完全にしないと痛いだろうと思う。しかし、実際に脳を手術するときは麻酔を必要としないらしい。

 私の脳はすでにいかれているらしいが、まだ手術をしたことがないから経験はない。現時点で脳の手術は、そのまま麻酔なしにざっくりと切るらしい。どうして痛くないのであろうか。
 脳自身の痛さを感じる細胞部分が、脳自身にはないからだと言う。

 脳に関して、思いついたままにメモをしておこう。

(1) 脳とは、ミトコンドリアや大腸菌、赤血球・白血球のようないわゆる人体の内部にあって、単体として発達した器官ではないか。

 ミミズには消化器官らしいものがないという。それでも、栄養が取れるのは体内にいる寄生虫の共生関係によるためだといわれる。
 ヒトの場合も、同じであろう。もしも、胃など消化器官にいる大腸菌をすべて除いてしまうと、健康を損なうのではないだろうか。

 脳のもつ不気味さは、ヒトのすべてをコントロールしているといういわば宿主的な存在にある。

(2) 脳を持たない生物もいる。
 例えば、クラゲである。それでも、立派に繁栄をしたり生命を保持している。脳がないのであるから、いわゆる考えるということを他の機能で代行をするのではないだろうか。
 それで、立派に生きている。つまり、考えなくても生きていけるんだ。

(3) 脳がないとまではいわないが、その大きさが非常に小さいものでも高度なことをする動物がいる。それは、クモの一種である。
 針の先ほどの非常に小さな脳でも、獲物を捕るときに理論的な狡猾な動きをする。獲物を捕るときなどは、二次の連立方程式の解を瞬時に解いてしまっていると言ってもよいだろう。

(4) 必要がない器官であれば、むろん不要である。
 しかし、生存のためにはいわゆる考えるということが必要になるのであろう。脳以外で考えるということの代用ができないのであれば。

 食べる必要がなく、口のない動物もいる。蛾の仲間である。
 例えばヨナクニサンには、まったく口がない。成虫になって生殖をすると一生が終わって、やがて死んでしまうばかりであるからだ。しかし、やはり、脳はあるようだ。

 脳に関しては、まだまだ思いついたことがあるのだが、今回はこの辺でやめておこう。

 あなたは、「脳が人間に寄生をしている」などというようなバカバカしいことを考えたりしないでしょう。単に物理的に「脳」と言ってしまうと、誤解されるかもしれませんね。ですから、ここでは「意識というエネルギー」とでも言ったほうが、よいのかもしれません。(2006/12/29)


○サンダーさんとニワトリたち=立場の違い?


 まだ子供たちが小さかったころは、よくケンタッキーフライドチキンで食事をした。入り口に置いてあるカーネル=ハーランド=サンダーさんの実物大看板は、とくに子供たちの興味を惹いた。
 子供たちには、その白い服を着た恰幅のよいスタイルに、もしかしたら彼が偽善者かもしれないが、その笑顔が魅力的でもあったからであろう。

 私たちも、すでに老人になってしまったので、最近はフライドチキンをあまり食べない。それでも、妻が好きだったので一ヶ月に一回くらいは聖蹟桜ヶ丘交番横の店に行く。家では、肉や魚の料理をいっさいしないので、たまには鶏肉なども食べたくなるからだ。

 サンダーさんの笑顔を見るたびに、私は想像をすることがある。
 飼育されているニワトリのことと、旧約聖書などのことだ。

 いったい、何が言いたいかというと、ケンタッキーの飼育場にいるニワトリである。おそらく放し飼いではあるまい。狭い小屋に閉じ込められ、できるだけ太らせられて出荷されるわけである。肉をやわらかくするために、あまり運動などはさせないらしい。

 一説によると、ニワトリは歩く必要がないので、雛のときに両足を切られるということだ。気味の悪い話である。しかし、私は実際に見たわけでないから、真実は知らない。でも、ニワトリの飼育というよりも、工場の生産過程に近い状況ではないかとも考える。
 最近の野菜がそうなっているので、ニワトリもさもありなんである。

 飼われているニワトリの側から考えると、自分たちが何のために飼育されているかがわからないであろう。サンダーさんの笑顔の下にある経営という方針までは気付くまい。さらに、自分たちが間もなくフライドチキンになることなど、夢にも知らないではないか。

 なぜならば、彼らはサンダーさんとじっくり話したこともないし、ましてフライドチキンを食べたこともないだろう。そんなわけで、自分自身の未来についても知るべくもない。
 そんなことを考えて、妻と話しているうちに、ふと私たち人間の立場を考えてしまう。

 実際にサンダーさんのような人がいて、人間を飼育して飼い慣らそうと努力をした形跡が旧約聖書に記されているからだ。
 人間は足を切られてはいないが、すでに頭脳をコントロールされているようだ。そして、ニワトリどうしが隣の柵の中にいるものと張り合ったり、喧嘩をするようにムダなことを互いにしながら、日々を過ごしている。

 つまり、私たちがニワトリで、旧約で神と呼ばれた超人がサンダーさんにあたるようなことはないか。ニワトリの知らないことを超人は知っていて、飼育や訓練をした時期が、過去にあるのではないか。
 そんな疑惑が、旧約聖書を読んでいると湧いてくるのは、私だけの憶測であろうか。

 もしもそうなら、ニワトリにも怨念があるらしい。
 そんなことを敏感に感じたらしく、そのモチーフを見事に展開した人がいる。『14歳』という素晴らしい作品を作った楳図かずお氏である。昨年の秋にたまたま高尾の初沢でお目にかかったとき、そのことを聞いてみた。しかし、私の考えているFM(フィアフィル魔亜尊)のようなイメージとは、ちょっと異なっていたようだ。

 それでも、何だか恐ろしくなってきた。
 日々安穏と飼育されているよりは、不自由をしても野鳥であったほうがよいなぁ! 知らぬが仏であるからだ。
 あなたは、いかが? (2006/12/28)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  人の食用で供される動物達。

 改めて取りあげられると残酷な気がする、牛馬、豚、鶏、魚にしても海洋を自由に泳ぐ、鮪など釣り上げて、棍棒で叩き殺したり槍で突き殺す、如何に食べる為とは言え、嫌な事だ。



○マイクロフトのアドバイス=衝撃の一日


 きょうは、私にとって非常にインパクトがある一日であった。
 しかし、考え方や価値観は人によって異なるであろう。だから、誤解をされては困るので、テーマで書くのはやめて、何をしたかをここに時間を追って記述しておこう。

 私にとっては、ここ数年ぶりの大きな精神的イノベーションが得られたんだから。それを忘れないためにも。そんなわけで、今回はちょっと長くなるが、ご勘弁いただきたい。

(1) 妻が早くから出かけたので、朝食は一人で吉野家の豚丼を食べ、その後ミスタードーナッツで、カフェオーレ2杯とハニーチュロ・エンゼルクリーム・カスタードショコラの3つ。毎度おなじみのゴージャスなコースである。

(2) 帰りに、聖蹟桜ヶ丘駅前スクエアにある関戸図書館に寄る。
 予約をした「エノク書」が、まだ来ていない。多摩市図書館にはなく東京都立図書館から借用図書になるので、時間がかかるんだという。
 いつもそうであるが、ちょっと細かい調査をしようとすると、本が市の図書館にはない。旧約聖書にある本なので、そのくらいは置いておいて欲しい。

 なお、私が旧約聖書を調べている理由は、「創世記」にあった疑問から始まった。その巨人に関する記述から、エノクが神と呼ばれる超能力をもった存在によってUFOに乗せられて、宇宙のすみずみまでを見せられたのではないかと考えたからでもある。

 また、他の祖師たちと違って「死んだ」と書かれていないことも、私の疑問を深めた理由である。それは、『RKOホームページへようこそ!』の「青空ライブラリ古典」ちゅうところの旧約聖書の「創世記」を見ると、その第五章に

 <エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。>

のような記述があるからだ。
 ついでながら、エノクという人は二人(以上)いたらしい。後に出てくるほうのエノクである。

(3) 帰ってパソコンをしようとしたら、高校時代の同級生から電話があった。そこで、聖蹟桜ヶ丘VITAの7階でお目にかかり、コーヒーと昼食とをご一緒にした。そんなわけで、とても楽しい数時間であった。

(4) 彼の父親の墓碑銘・戒名から「無量」という言葉が、話題になった。
 10の68乗(塵劫記の一説には10の88乗)を「無量大数」と言う。また、小さいほうは10のマイナス23乗を浄(じょう)と言う。10のマイナス18乗が「刹那」であるから、いかに小さい数であるかがわかる。

 ふつう、接頭記号として用いるのはM(メガ)・μ(マイクロ)などのように、大小は

   10の18乗  E(exa エクサ)
   10のマイナス18乗  a(atto アト)

までである。
 しかし、英語の俗語として例えば、

   10の100乗を googol
   10の256乗を sextyllion
   10の8192乗を undecyllion

などとも言う。

 「無量」という言葉は、もともと仏教の言葉であったんじゃないか。
 嘘だと思ったら、「青空ライブラリ古典」ちゅうところの「法華経(ほけきょう)」を開いてみて、「無量」を検索してみてちょうだい。語の途中の語句も含めて250個以上もあるから。
 インプットするときに、バカにたくさん「無量」があるなぁと思ったことを思い出したんだ。

 しかしいったい、私が何を言いたいのであるか。
 それは、まだ仮説ではあるが、過去に私たちが今日(こんにち)考えているよりも、もっと大きなスケールで物を扱っていたということである。
 例えば、

 <アダムの身長は39メートル、イブは36メートル>

あったとしたら、どうであろうか。

 また、何万光年と隔たる宇宙の範囲で、活動をしたり論理を構築しなければならないとしたら、数字の桁数はどうなるであろうか。「スタートレック」ではないが、当然のことながら大きな単位が必要になる。

 東洋にも、同じような懸念がある。
 王嘉の『拾遺記』には、UFOに乗って星へ行く話が出ている。つまり、UFOという言葉を用いていないが、それを外宇宙から飛来した物体ではないかと言っているのだ。ただし、UFOではなく「槎」(さ)と書いてあった。
 張華の『博物誌』などにも、同じような記述があったと思う。

 人間の大きさについては、日本にも記録が残っている。
 江戸時代のことである。房総の貧しい藩の海岸に、女の下半身の死骸が流れ着いた。上半身は、鮫(サメ)や鱶(フカ)に食べられてしまったらしく、失われていたそうだ。しかし、その大きさである。足の長さが、3間(けん)ほどある。おそらく、全身で10メートルくらいあったんじゃないだろうか。

 幕府に報告をすると、検分に来た役人を応対するのに費用がかかる。そこで、海岸に穴を掘って、埋めてしまったという記録が残っているそうだ。

(5) 人間にはP・Q・Rというような三種のタイプがある。おそらく、遺伝子の関係であろう。その話をしようと思ったところで、バカバカしいと思ったか、飽きてしまったのであろう、帰ると言ったので同級生と別れた。

 ふつうの人は、自分自身が何型かわからない。
 しかし、P型であれば超能力をもっている。私の知っている範囲では、正木和三さんがQ型。したがって、ゴルフのハンディは最初から1桁。また、ピアノの演奏などは何ら練習をしなくても、公開の席ですらすらと弾いてしまう。

 最近は、海外で活躍する野球選手などにもQ型がいるようだ。それらの人は、うすうす自分がQ型だと気づいたんだろう。戦前では、とても考えられないこと。むろん戦前にも、そのような人はいた。しかし、自分自身で気づかないままに、ダメだったんだ。

 ベーブルースが来たときの日米対抗試合などを考えるとわかる。
 日本は、実業団や六大学から優れた人たちを選んでチームを編成した。それでも、アメリカと比べるとリトルリーグのような有様。日本人のスポーツ選手や音楽の演奏家たちの中に、自覚をした人が増えるにしたがって、国際的にも優れた人たちが輩出するようになったんだろう。

 私はP型の人を「FM」(フィアフィル魔亜尊)と呼んでいるのであるが、残念なことに、まだP型の人が誰であるかの確証はない。おおよその検討はつくのであるが、……

(6) 帰ってから、237チャンネルで「ホームズ」を見た。タイトルは「ヤング・シャーロック・ホームズ〜対決!モリアーティ教授」となっていた。
 学生時代に読んだ文庫本と違って、ホームズが若い。また、モリアーティも小太りで悪辣である。いつも見る番組のホームズではなくて、役者も若い別の人である。

 なお、きょう見た回でワトソンとの邂逅がある。そのワトソン役も、いつもと違った人が演じている。

 そんなことはどうでもいい。
 私は、その映画を見て慄然とした。実際には、私の考えていることが描かれていたからである。つまり、FMについてである。どうして、そんなに心の投影までもが映画になるのであろう。

 非常に控え目であるが、FMによって身障者にされてしまったマイクロフトの言葉が、大きな重みをもっていた。マイクロフトはホームズの兄である。なお、後期のホームズものではでっぷりとした人になっていたが、この映画では痩せた小柄な人であった。

 もしかしたら、原作者のコナンドイルご自身がFMであったのかもしれない。そんなことを考えると、恐ろしくなってしまった。

(7) 遺伝子のわずかな違いで、生物の能力は大きく異なるのであろう。遺伝子を操作すれば、世界の制覇なども簡単でしょう。実際に、それを実現すべきかどうかわからないが、遺伝子に関する特許は増えているようだ。つまり、FMなどの世界的財閥によってQ型とR型のヒトを支配する準備がなされていると考えるのは、私だけの杞憂であろうか。

(8) ここのところ科学や技術が進んでいるので、私のようなことを言うとバカバカしいと考える人が多い。だから、あまり言わないのである。しかし、今日はひしひしと本能的に恐ろしさを感じた。

(9) すでに、このプログに原稿としてできあがっているが、何となく気が進まないので、未発表のものがある。あしたにでも

 「サンダーさんとニワトリたち」

というようなテーマで、思い切って出そうと思う。

 常識では考えられないことのほうが、実際には多いんだということがわかるだろう。人間の常識や知識は、総括的にはずいぶんと危ういものである。先端技術などと比べると、未開の分野であるからだろうか。

 私は、「知識を次々と限りなく増やしたい」などとは思わない。それよりも、「正しく考える技術」を身につけたいと思うんだ。
 あなたは、いかがでしょうか。(2006/12/27)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  不可解

 考えれば、世の中の仕組み自体と何故、一惑星の地球のなかで人間がイガミアイ、生きねばならないか? 何処か、天国のような惑星へ移住して暮らせば、戦争もイガミアイもなくなら無いかのか。物理的に移住が無理なのか?
 他の惑星人が意図的に止めているのか?其れこそ、人間の遺伝子操作で惑星人が支配する宇宙なのか?

 PCを操作していて、従来、幾十年、幾億年を要した事が瞬間に出来る様に、何時かは、惑星人を支配下におく、新人類が生まれるだろう。


 このコメントに対する私(ruk)のコメント。

 
 Re: 不可解


 コメント、ありがとうございました。
 イガミアイは、もしかしたら漁夫の利を得ようとしている存在があるのでは?
 今世紀に入ってからの戦争などを考えると、何となく……



○天地同人=三木アヤ先生の思い出


 まだ、三木アヤ先生がご健康であったころのお話。
 先生は文学者・精神医学者であったけれど、また卦(け)のオーソリティでもあられた。卦は、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で有名な易で、歴史も古く算木に現れる形象で万事を占う。
 それは、乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)の八つに分かれ、その組み合わせによって人生に起こる吉凶などの出来事を判断するらしい。

 ある日、私の卦を見てやるとおっしゃって、やってみると「天地同人」というのが出た。その結果は、三木先生にとっても珍しい卦であったという。なぜならば、天地同人は非常によい卦で、めったに出ないらしい。……

 その天地同人の思い出は、三木先生が東海銀行の指導役・カウンセラーをなさっていたころのことである。その後、30年ほどずっと気がかりになっていたことでもある。

 つい昨年の話。
 そんなわけで、懐かしさが伴って聞きたいことがあり、久々に浜田山のお宅をお尋ねしてみたら、思わぬ大変なことになってしまっていた。
 ご子息が出てきて言うには、アルトハイマー症が進んでしまったそうだ。お目にかかったが、ただニコニコ笑っておられるだけで、話が通じない。

 実際には、私の顔に何となく見覚えがある程度で「どこの誰か」がおわかりにならないらしい。
 あれほどの駿才というか才媛が、このように変わってしまったということに、私は愕然とした。それでも、記憶のうちに面影を残していただいているので、何となくうれしかった。

 しかし、そのしばらく後。
 私が退院をした今年の初秋に、先生の息子さんが聖蹟桜ヶ丘のVITAまで見舞いに来てくれたときの話である。驚いたことに、先生の症状が進んでしまって、もはや記憶はなくなったということだ。

 そして、オシッコやウンコも垂れ流しになってしまったらしい。
 いったい人間の運命などというものは、どのようになっているのだろうか。(2006/12/26)


○ホームズとポアロ=推理小説の論理


 さっき、午前中の237番ミステリチャンネルで、続いてホームズとポワロの45分番組を見た。

 ホームズの内容は、父親同士が仲が悪いのにその息子と娘が恋をしているというもの。そして、息子の父親が殺され、息子に嫌疑がかかる。「ボスコム渓谷の惨劇」というタイトルで、実際には事業に大成功をした娘の父親が犯人であった。

 いっぽう、ポワロのほうの梗概はパイを製造する工場経営者が、あたかも自殺をしたかのように見せかけて殺害をされるというストーリ。「夢」というタイトルであったが、男性秘書と経営者の後妻が企んだことであった。しかし、その自殺の原因は、経営者の娘の機転とポワロの推理で発覚してしまう。

 内容については、それぞれ素晴らしい展開であると思う。
 私は学生時代からコナン=ドイルの「シャーロックホームズ」やアガサ=クリスティの「エルキュールポワロ」を愛読している。その後、社会に出てからも時間があると読んだものだ。

 しかし、数年前からはテレビやビデオでも見るようになった。そして、それらが本で読んだ印象と少しばかり異なることに気付いた。

 まず、ホームズが思ったよりも大柄で、ちょっと太り気味であること。今まで本で読んだときは、ものすごく痩せているという印象があったのだが。

 また、ポワロについては「脳細胞の話」が出てくるのは、本の印象どおりであるが、小柄というよりか、そのがっしりとした体型に驚いてしまった。
 さらに、映像ではデブであるばかりではなく、頭のてっぺんが禿げていることも妙に気にかかる。高橋葉介の「猫婦人」という作品には「私は、太っていて禿げている男は嫌い」というのがあって、つくづくなるほどと思ったことがあるからだ。

 ポワロを読んだときに、太っているという感じはあまりしなかった。
 むしろ、ニールドルフという探偵が太っていて、蘭などを好む繊細な性格をもっているのに印象深かったからだ。また、大きな図体のペリー・メイソンは弁護士だが探偵でもある。読んだイメージと違って、私はポアロが大柄であるということに気付いた。

 それでも、短編といいながら一日がかりで読むような内容を、わずか45分ほどの映像にまとめてくれているので、とてもありがたい。
 それぞれに時代背景なども考慮した映画で、ここのところ部屋に閉じこもりがちな私にとっては、すばらしい時間が過ごせるので多摩テレビ局のミステリチャンネル万歳である。(2006/12/25)


○もうじき卒寿=ますますお元気!


 久々に多摩市連光寺に住んでいる大倉先生にお目にかかり、聖蹟桜ヶ丘ガード下のミスタードーナツでお話を聞いた。もうじき卒寿(90歳)になられるのだが、ますますお元気である。

 その秘訣を聞いてみた。
 すると、「日々あまり細かいことに心配をしないんだ」とおっしゃる。私は、「天が落ちてくるようなことまで」心配をしているので、なるほどと納得した次第。私に比べて、やはり先生は若いころからの習慣が非常によかったのかもしれない。

 大倉先生は敬虔なクリシチャンで、教会ではすでに「長老格」である。また、大倉喜八郎の孫にあたる人で、幼少のころから厳格な教育を受けられていたらしい。そんなわけで、ご自身はいたってお元気であり、腰は少しかがんでしまったものの言動は若々しい。

 ちょっと『徒然草』の第百五十二段にある

 <西大寺(さいだいじ)靜然(じゃうねん)上人、腰かゞまり眉白く、誠に徳たけたる有樣にて、内裏へ參られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あな尊との氣色や」とて信仰の氣色ありければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候」と申されけり。>

を私は思い出した。

 しかし、ご自身はお元気でも、だいぶ以前から奥さんの具合が悪く、この度とうとう市から認知症に認定されたと言う。そんなわけで、心配であるから長く留守にはできないらしく、30分ほどで別れた。

 もっと長生きと健康の秘訣を聞いてみたいと思った。
 春になって、何とか連光寺まで散歩ができるようになったら、改めてお宅を訪ねてみよう。(2006/12/24)


○Y氏の隣人=心に潜む不気味さ


 吉田ひろゆき『Y氏の隣人』という本を読んでみた。
 集英社から出ているもので、その「満願人生」(第6巻)と「ドラ魔」(別巻)という手持ちの2冊である。

 幸福の伝道師ザビエールという不思議な人が出てくるのが多いが、そうでないものもある。いずれにしても、主人公が置かれている境遇から別の状態になるのであるが、一見その望みがかなったようではあるが、実は恐ろしい結果が待っている。

 心に潜む不気味さをもっている作品である。
 喪黒氏が出てくる藤子不二雄『黒ィせぇるすまん』(後に笑うセールスマンというタイトルに変更された)などと同じ心の戦慄を覚える内容と言ってよい。

 私はいつも、そのような作品を読むと主人公に感情移入をしてしまいます。そして、いろいろと考えさせられる。

 『徒然草』の第七十五段

 <つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。

 世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。惑(まど)ひの上に醉へり、醉(よい)の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。>

という記述を思い出すのです。
 あなたは、いかがでしょうか。(2006/12/23)


○狂四郎三人三様=フルート協奏曲


 とくにその映画を見ようとしたわけではないが、ここのところ『眠狂四郎』を10本ほど見た。どれも、45分ほどの長さであるが、なかなか素晴らしい内容であった。ストーリに、つい連れ込まれるからである。

 中でも、さっき見たのがよかった。
 桜子という女性が出てくるのである。その女は、連れ合いの刀の流派を広めようとして画策をする。しかし、ストーリをじっと見ているわけではない。たまたま、途中から見たのだから。

 なぜ見たかというと、チャネルを動かしていてBGMが素晴らしい効果を与えていたからである。その作品では、なぜかヴィヴァルディのフルート協奏曲『海の嵐』を用いていた。そして、内容にぴったりと合っている。ちょっと私は驚いた次第。

 また、よく見ると黒い羽織にある紋所が違う。狂四郎の眉も、いちだんと細い。撮影の時期が違うと、役者のメイクアップの方式や感じが異なってくるのだろうか。

 松平健の「暴れん坊将軍」、最初のころは若く熱意があったせいか、演技に力が入っていて、身体も精悍、顔もほっそりしている。しかし、最近のものはでっぷりと太っていて顔も下ぶくれ、パタリロほどではないが何とも不格好になった。演技も、ちょっとマンネリになってしまったようだ。

 そんなことを最初は考えたのであるが「暴れん坊将軍」とは異なって、狂四郎は「金田一京助探偵」と同じように何人かいることがわかった。
 うろ覚えではあるが、田村正和・片岡孝夫・市川雷蔵などのものがあるようだ。いずれも、ニヒルな感じが出していて素晴らしい。

 今日見たのは途中からであるから、誰かわからない。わからなくてもよいのであるが、もしかしたら市川雷蔵かもしれません。かなり古い撮影で、沢竜二という人が主題歌役であることが、最後のテロップでわかった。ほんとうは、最後にも出演者を出してくれると有難いと思うんだが。

 まぁ、見ているときとその後にも、別次元の楽しい時間を与えてくれるので、なかなかテレビ三昧もいいもんだ。(2006/12/22)


○核シェルターの話=テレビ三昧


 ここのところ出不精になって部屋にいることが多く、テレビ三昧(ざんまい)の日々に何となくなりがち。
 とくに番組の内容を調べて見るというわけではないが、たまたま先日二つの似た番組を見た。それは、

(1) 232チャンネル(AXN) ミステリーゾーン
(2) 233チャンネル(FOX) シンプソン

である。

 ミステリーゾーンは、原題がトワイライトゾーンとなっていてエミー賞を受賞したかなり古いモノクロのサスペンス映画。いっぽう、シンプソンはアニメマンガのような画像である。
 今は、そのメディアの方法を云々しているのではなく、テーマというか内容のことである。

 いずれも宇宙から大きな飛来物があるという警戒警報で、地下の核シェルターに逃げ込む。もしかしたら、UFOから巨大な核弾頭が飛んできたのかもしれない。人々は理性を失って、大混乱になるのである。

 ミステリーゾーンのほうは、人格者で有名な医者の誕生パーティーのときに、そのニュースがやってくる。そこで、それぞれは急いで家に帰る。医者は妻と子とともに、地下にある核シェルターに避難をする。

 そこへ先ほどまでパーティーをしていた人たちが戻ってくる。彼らの家にはシェルターがないからだ。しかし、医者は扉を開かない。暴徒化した数人は、長い柱で扉を打ち壊してシェルターになだれ込む。
 そんなときに、飛来物は大気圏で消滅をしたというニュース。避難命令が、解除される。残った全員は、お互いに本性がわかって味気なく、気まずい思いになってしまう。

 いっぽうシンプソンのほうは核シェルターに避難した人が、やってきた全員を受け入れる。そのために、室内が足の踏み場もないくらいの混雑になってしまう。しばらくして、入りきれなかった人が、いたたまれなくなって出ていく。そして、満員の部屋から次々と皆が出てしまう。
 そこに、やはり危険が去ったというニュースが入る。

 漠然とテレビを見ているのだが、何となく考えさせられてしまう。
 ミステリーゾーンの医者は、かねがね核シェルターが必要だと言っていたが、誰もそんなことは考えなかった。しかし、いったん事が起こると、全員が豹変をしてしまう。そんな場面が、愚かしいほど鮮やかに描かれている。

 私たちの現在の置かれた状態を考えれば、ほんとうは家を建てるときに核シェルターを作るくらいの配慮が、すでに必要なのではないだろうか。費用の問題を考えなければ、…… (2006/12/21)


○目がチクッ!=血液の問題か?


 何らかのはずみで、目がチクッとすることがありませんか。
 とくに、急に横を向いたときになることが多いみたい。

 人によって違うとは思うが、私の場合は「針で、軽く眼球を刺された」ような感じである。どうも、目と歯には自信がないので、心配なんだ。
 血圧や糖尿病、蛋白質の抽出などは何とか治したものの、どうしても目と歯は治らない。学生時代からの不摂生が、すでに再起不能な状態になっちゃったから。

 目は、度数が進んで5つもメガネを更新した。2年ごとに数ランク悪くなった。歯も、しかり。月に数回は、歯医者さんに行く。歯に巣くった歯周菌をわざわざ消毒するためである。

 長い間、糖尿病だったせいか、その合併症というか余病によって、悪化をしてしまったようだ。したがって、なかなか根治できない。おそらく、私が死んで身体を焼かれるまでの長い付き合いになるだろう。
 しかし、ここのところ糖尿病を薬なしで何とか根治したので、もしかしたら歯周病もなくなってしまうかもしれない。
 そんな望みがないわけでもないんだ。

 目のチクッにしても、1年に数回のことである。
 おそらく血液の中に異物があって、それが網膜にひっかかるのであろう。網膜は非常に細い血管でできているから、ちょっと大きなものがあったら、流れにくくなってしまうようだ。

 前に眼科医に行ったときは、検査をしたが原因がわからなかった。
 白内障や緑内障のような結果が出ないと、特定ができないらしい。今までは、チクッだけですんでしまったが失明をしたり、目ではなく脳の内部を詰まらせたらアウト。

 食べものや生活習慣に気をつけたいと思っている。
 皆さんもお大事に。(2006/12/20)

(注) tamaさんから、次のコメントをいただいた。

  目が昨日から変。

 血液の中に異物があって、それが網膜にひっかかるのであろう。網膜は非常に細い血管でできているから、ちょっと大きなものがあったら、流れにくくなってしまうようだ。

 今日は、原因不明で右目が充血し、眼球の下辺が痛い。風邪が良くなれば、今度は目か?
 今のところ、目医者には行かぬ。使わなければ、痛みが和らぐからだ。老化すると色んな故障が生じるものだ。考えてみると、同年齢でボケも多いが、元気にパソコンを操作できる私は番外編の人間なんだ。
 rikさんに及ばないが、何とかrikさんの言う事が解るから、未だ、大丈夫だろう。



○ノロウィルス=すばやい感染に自己防衛を!


 生の牡蠣(かき)が、その感染源になると前に書きました。ここのところ、かなり流行をしています。したがって、牡蠣などからの問題よりも、むしろ経口感染の傾向にあるようです。

 また、病院側ではノロウイルスに感染した患者の大便から二次感染をすると代弁をしています。院内感染の説明です。つまり、ウイルスが大便とともに排泄され、その便が手に移って、うつるんです。
 そんなわけで、十分な手洗いをするようにしてください。

 食べものを手でつまんだり、タバコを吸うときにも、口から体内に取り込んでしまう危険があります。そして、ノロウイルスはアルコールなどの消毒薬にも強いので、ウエットティシュなどではあまり効果がありません。

 したがって、その予防方法としては、石鹸を使って完全に手洗いをすることです。そして、手を洗った後には水でよく洗い流す必要があります。
 くれぐれもお気を付けて、お大事に。(2006/12/19)


○肥満の解消法=3ヶ月で20キログラム


 3ヶ月で20キログラムの減量をしたと言ったら、健康会の仲間たちに驚かられた。そんなことは、まず不可能であるという。しかし、実際に私が実現したことである。

 その方法を教えろとも言わられた。
 でも、個人差が大きいので一概には言えない。決して言い渋っているわけでもないし、また隠しているのでもない。まして、秘密などということは絶対にないんだ。

 しかし、何を利用するかは一般的な問題である。
 ふつう、私たちの健康会では三種の神器などと言っているが、

(1) 体重計
(2) 血圧計
(3) 尿試験紙

を利用する。

 体重計は、乗って測るヘルスメーターである。風呂屋にあるような大がかりなものでなくてよい。私は毎日、風呂に入るときかシャワーをするときに裸の状態で用いる。

 血圧計も簡単なものでよい。
 私は、大岩先生がプレゼントをしてくれたオムロンの測定器を用いている。操作がとても簡単であり、大型のものと同様に、最高血圧・最低血圧・脈拍数が表示される。

 尿試験紙は、尿糖、尿蛋白が測定できるタイプ。
 もっとも、尿糖だけの測定でもよいでしょう。尿蛋白は、採取した尿が泡立つのでわかるし、尿中の血液は色がわからないような微量な出血でも、その臭(にお)いでもってわかる。

 それらをどのようにして用い、肥満を解消するかについては、VITA7階でする健康会のミーティングのときにでも説明をします。私のした方法をここにくどくど書いても、個人差があって参考にならないでしょうから。

 あなたの場合、どうすればよいか。
 そのようなことは、常識で簡単にわかることです。
 以上、ご参考までに。(2006/12/17)


○遺伝子組換え=杞憂であったら?


 「杞憂」(きゆう)という言葉があります。
 必要のない心配をしたり、取り越し苦労をすることです。
 中国にあった杞(き)という国の人が、「もしも天が崩れて落ちてきたら、どうしようか?」と憂(うれ)えたという故事からできました。

 「BTコーン」というトウモロコシがあります。
 細菌の毒素をトウモロコシ自体の細胞がもつように遺伝子を操作して作られました。したがって、アワノメイガなどの害虫の幼虫が食べると、その虫はすぐに死んでしまいます。
 虫は死んでも、人間には問題がないのでしょうか。

 「フレーバーセーバー トマト」というトマトがあります。
 寒さに強くするために、何とヒラメ(平目=近海の砂底にすむカレイ目ヒラメ科の海水魚)の遺伝子を利用したそうです。
 つまり、トマトに種の違う遺伝子が組み込まれたことになります。
 そのようなことは、自然界では起こりえないことではないでしょうか。

 私の大好きなポテトの場合も、似たようなことがなされています。
 フライドポテトやポテトチップスが大好きですが、いつもレストランで食べるときに心配をしてしまいます。自然の摂理にかなっていない食べ物は、何となく危険があるように杞憂するからです。

 過去には「安全だ!」と言われたもので、実際には「危険であったもの」が多くありました。とくに、開発をされてから期間の経過が短いものについては、個人の判断で対処するしかありません。

 そんなわけで2年くらい前から、あまり食べないようにしてはいるのですが、…… (2006/12/15)

(注) tamaさんから、次のコメントがありました。

  怖い

 生命の原理が解らないのと同様、未だ未解決の問題が多いのではないか?
 駆虫をするのに、遺伝子を改変し、改変された虫を害虫が食べれば死ぬ、果たして良いのか?生態系そのものを破壊しているのではないか?
 虫だけではない、多収穫の野菜にしろ、大豆にしても遺伝子を改造している、食べた、一世代は無事であっても次世代に奇形児が生まれるかも?
 最近、(戦後)障害者が矢鱈多い、戦前の自然食品で育った時代は奇形、障害は少なかった様に思う。
 臨床試験も終わらぬ内に、飛びつくのは怖い。




○ステロイド剤=副作用の心配?


 先日の「『養生訓』のことば」に、tamaさんから下記のようなコメントをいただいた。

 <私の場合、4年足掛け5年、女性ホルモン剤(ゾラテックス)を注射しています、体調は好調と不調の差が激しい事が最近解りました、加えて放射線治療の晩期反応で4年目に下血症状が伴い、両方相い待ち、複雑な変化が現れます。

 最近、絶好調で一日に6キロくらい歩けたと思えば風邪をコジラセ、寝込みはしないが安静という極端な生活であり、矢張りステロイドの悪影響かもしれないと思います。

 癌を抑えるためには止むを得ないのでしょう。然し長寿を保てるのは、自惚れかもしれないが、遺伝子が良いのが支えているのでしょう。>


 私(rik)も尿蛋白が出たときに、ステロイド剤を使う心配があったので、内科や泌尿器科の医者には行きませんでした。その代わり、自分自身の責任で食事療法を行って、何とか治してしまいました。

 ステロイド剤の副作用としては、次のような心配があるからです。

1.軽い副作用

(1) 座瘡様発疹(吹き出物・おできができる)
(2) 多毛症(毛が濃くなる)
(3) 満月様顔貌(顔がまん丸になる)
(4) 食欲亢進・体重増加
(5) 月経異常
(6) 皮下出血・紫斑
(7) 多尿
(8) 多汗
(9) 不眠
(10) 白血球増多
(11) 脱毛
(12) 浮腫(むくみが出る)
(13) 低カリウム血症

2.重症な副作用

(1) 感染症の誘発・悪化
(2) 消化性潰瘍
(3) 過血糖・糖尿病
(4) 精神障害
(5) 骨粗鬆症・骨折
(6) 血圧の上昇
(7) 動脈硬化・心電図の異常表示
(8) 血栓症
(9) 副腎不全
(10) 白内障・緑内障
(11) 発育の抑制
(12) 無菌性骨壊死(えし=組織や細胞の一部が死んでしまう)
(13) 筋力の低下・筋萎縮

 中には、その言葉だけでも恐ろしいそうな感じのもの、また女性だけにあるものなどがあるようですね。
 お大事に。(2006/12/14)


○『養生訓』のことば=大いに学ぶべきこと


 貝原益軒の『養生訓』に、

 <老人(ろうじん)病(やまい)あらば、先ず食治(しょくち)すべし。食治、応ぜずして後、薬治(やくじ)を用すべし。>

とあります。

 薬は副作用があるので用いずに、なるべく食事療法によるのがよいということでしょうか。

 私は退院をしてからも、かなりの期間にわたって尿蛋白が出ました。しかし、ステロイド剤が恐かったので食事を工夫することによって、何とか治してしまったのです。
 つまり、ステロイド剤による副作用を心配したからです。

 また、

 <年老いては、やうやく事をはぶきて、すくなくすべし。事をこのみて、おほくすべからず>

という記述がありました。

 高齢になっていろいろなことに手を広げると、収拾がつかなくなってしまうからではないでしょうか。

 身体がムリのできない状態になってしまうと、若いころにしたようには多くのことができません。そこで、身近な簡単なことで日々楽しむのがよいでしょう。
 あなたは、いかがでしょうか。(2006/12/13)

(注) さくらさんとtamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  無題

 養生訓は、最近、読んだばかりでした。普通に考えれば、当たり前のような事なのに。
 最近は、健康に関する本が数え切れない程多く出版されている・・・。「健康」この言葉の響きは人を惹きつける力がありますね。いつまでも心身共に健康でいたいと思う今日この頃です。(笑)

 多摩地区新発見は、地区情報かと思って登録。内容は違ったけど、最近は、気になるMLになってきました〜!(さくら)


  ステロイド剤

 私の場合、4年足掛け5年、女性ホルモン剤(ゾラテックス)を注射しています。体調は、好調と不調の差が激しい事が最近解りました。加えて放射線治療の晩期反応で4年目に下血症状が伴い、両方相い待ち、複雑な変化が現れます。

 最近、絶好調で一日に6キロくらい歩けたと思えば風邪をコジラセ、寝込みはしないが安静という極端な生活であり、矢張りステロイドの悪影響かもしれないと思います。癌を抑えるためには止むを得ないのでしょう。然し長寿を保てるのは、自惚れかもしれないが、遺伝子が良いのが支えているのでしょう。(tama)



○「審判」と「無用の罪」=不条理の不安


 まだ若かったころに、カフカの『審判』を読んだ。
 そして、得たいのしれない不安に襲われたことを思い出す。
 カフカの小説には、不条理の不安があるようだ。短編小説の『杖』や『変身』にも、それが多く見られる。とくに『審判』は長編なので、読んでいていたたまれなくなることがある。
 それでも、最初に読んだのが学生時代だったから、先につられて一気に読んでしまったことを覚えている。

 先日、同名の映画を手持ちのビデオで見てみた。
 1963年に作られたフランス、イタリア、西ドイツ合作のもの。1時間55分の作品で、アルビーノの音楽を効果的に使っている。
 オーソン=ウェールズが出ている。ナレーションもそうで、字幕になっている。それでも、途中でやめてしまった。そこで、止(と)めたままの状態のカセットであるが、後はいつ見るであろうか。
 もしかしたら、死ぬまで見ないかもしれない。

 さっき、AXNチャンネルで「ミステリーゾーン」というのを見た。
 モノクロ映画でエミリー賞受賞、吹替えにはなっているが、かなり古いものである。その#24で、『無用の罪』というのであった。

 『審判』の時代設定と異なって、近未来のことである。
 一人の図書館員が無用の罪という判決を受けて、死刑の宣告をされる。そのときの裁判長というか総統のような男が後になって、その図書館員と同じような裁きを受けるという趣向である。
 何となく、カフカの論理と似ている不条理の不安を覚える内容であった。

 なお、「ミステリーゾーン」の原題は「トワイライトゾーン」になっていた。ミステリチャンネルからの放映でないのに、わざわざ「ミステリーゾーン」としたのはなぜだろうか。
 もしかしたら「トワイライト」という言葉が馴染んでいないためかもしれない。(2006/12/12)


○ウェルテルとマルテ=なつかしい本


 学生時代に読んだ本で、

   ゲーテ『若きウェルテルの悩み』
   リルケ『マルテの手記』

の2冊も、なかなか印象に深い。
 若かったせいもあろうか、感激をしたものだ。

 『若きウェルテルの悩み』は「親友の恋人ロッテに対するひたむきな愛をその破局まで綴ったもの」である。
 また、『マルテの手記』は「パリに来た青年詩人が孤独の中で不安と恐怖に襲われ、絶望して自分を失ってしまう」という内容。

 そんな思い出もあったので、最近になって読み直してみた。
 すると、感じ方が大きく違っている。
 どうしてだろうか。(2006/12/11)


○スパイウェアにご注意!=被害を受けないために


 ウイルスに感染する被害が増えていますが、ここのところもっと大きなダメージをもたらすスパイウェアも多いようです。
 スパイウェアとは、利用者が知らない間にパソコンに侵入して、その内部にある個人情報を第三者にこっそり送信するという犯罪を実現します。

 ふつう、ウイルスからパソコンを守るために、その対策ソフトをインストールします。しかし、それでは防ぎきれないスパイウェアの脅威が蔓延し始めてきました。
 なお、対策ソフトウエアの中でも既存のスパイウェア検出までしてくれるものもあります。

 コンピュータウイルスとは別に、このスパイウェアによる被害が急増しています。銀行や郵便局のパスワードが盗まれたために、不正送金が行われるいうスパイウェア被害も増えているようです。
 つまり、スパイウェアは本人にも気づかれずにシステムに侵入します。そして、大切な情報を盗み出すのです。

 スパイウェアは、パソコン上で動作する悪意のあるソフトウェアでが、それを単独でインストールする人は、まずいないでしょう。そうでなく、何かのソフトに隠されて含まれているのです。そして、そのソフトをインストールすると、秘かに動き出すわけです。

 したがって、得たいの知れないソフトをインストールするときや、悪意のあるホームページなどを訪問するときには、注意が必要でしょう。

 なお、私(rik)がお知らせするホームページやソフトやメールは、送信前にチェックをしています。また、送信時にアドレス帳をいっさい利用しません。アドレス帳からトラブルが発生している例が、かなり多いからです。

 ただし、どなたかがお知らせくださったURLで、そのまま添付するときにはチェックをしていない場合もあることをお知らせしておきます。
 お互いに注意をして、安全な日々を過ごしましょう。
 身体が健康であるように、パソコンも健全でありたいものです。(2006/12/10)


○ラ・マランチャの男=ドン=キホーテ


 この間、ムービープラス(220チャンネル)で「ラ・マランチャの男」というミュージカル映画を見た。1972年のイタリア映画である。
 「悲しい顔の騎士」という称号を授かったドン=キホーテ。そして、宿屋の娘をダルシネア姫として、俳優はソフィア・ローレンだろうか。

 実際には、かなり以前に読んだ岩波文庫の

  セルバンテス 永田寛定訳『ドン・キホーテ 正編(一)・(二)・(三)』
  セルバンテス 永田寛定訳『ドン・キホーテ 続編(一)・(二)・(三)』

全6冊の内容を思い出して、とても面白かった。

 田舎娘をダルシネア姫と勘違いをしたり、床屋の用いる縁のくびれた洗面器を「マンブリーの兜(かぶと)」と言ったり、なかなか発想が面白い。しかし、他人事ではないとつくづく思うのは私ばかりであろうか。
 映画では「悲しい顔の騎士」となっていたが、上記の本では「にがり顔の騎士」であったと思う。

 ミュージカルというのであろうか、歌劇のように歌の場面があるので味わいが深くなっている。

 最後のほうで、原作者のセルバンテスが劇中劇に出てきて、サンチョとともに宗教裁判にかけられるという設定もなかなかである。そこでは、もはや「悲しい顔の騎士」ではないからです。

 夢遊病とでもいうのでしょうか。もはや現実と夢幻の区別がなくなった世界が繰り広げられているので、不思議な気がする物語である。
 このようなことは、多かれ少なかれ高齢になると傾向が出てくるのではないだろうか。(2006/12/09)


○アンドレイ=ルブリョフ=動乱と沈黙・試練と復活


 アンドレイ=タルコフスキーが監督・脚本。1967年のソ連映画。モノクロであるが、最後のほうでカラーになっている。
 キャストは、
  アンドレイ=ルブリョフ……アナトーリー=ソロニーツィン
  キリール……イワン=ラピコフ
  ダニール……ニコライ=グリニコ
  フェオファン……ニコライ=セルゲエフ
  ボリースカ……ニコライ=ブルリャーエフ
  白痴の女……イルマ=フウシュ
  ほか

 アンドレイ=ルブリョフは天才画家と言われ、聖像画(イコン)を残したが生涯についての記録はあまり残っていない。

 異民族タタールの侵攻に脅やかされていた15世紀始めロシア。貴族は内乱をおこし、民衆は貧困に苦しんだ。この激動の時代にアンドレイ=ルブリョフの名作「三位一体」が描かれたのである。

 映画は、プロローグとエピローグを含む10のエピソードで構成されている。その展開のあらましは、次のとおり。

第一部

(1) 気球に乗るが、すぐに川に墜落してしまう。

(2) 1400年、モスクワのアンドロニコフ修道院で信仰と絵画の修行をした3人の僧、アンドレイとキリールとダニールは雨の田舎道を急いでいた。途中の雨宿りをした小屋で、旅芸人が権力を風刺して捕えられる。もしかしたら、僧の誰かが密告をしたのかもしれない。

(3) 1405年、キリールは名匠フェオファンがモスクワでの新しい仕事にアンドレイを招聘したので、嫉妬心から修道院を去った。

(4) いっぽう、モスクワでの仕事が始まってからアンドレイの苦悩は深まる。イエスに集まった人が、翌日に「イエスを磔(はりつけ)にしろ!」と叫ぶ故事が、雪の光景の中で描き出される。
 そこには、母親やマリア、そしてペテロなどもいる。

(5) 祝日
 夜に裸で踊る異端者の祭りを目のあたりにして、アンドレイの苦悩は深まるばかり。

(6) 最後の審判
 アンドレイが行き詰まって絵の完成が遅れる。その作業の遅れを怒って、兵隊に命じて画家の両眼をつぶしてしまう大公の残虐な行為。
 白痴の少女が、どこからともなく現れる。

第二部

(7) 襲来
 大公の弟である公爵の手引きで、タタールが攻めてくる。
 さらにタタールから白痴の少女を救おうとして、アンドレイは男を殺してしまい、絵筆を捨て無言の行を始める。

(8) 沈黙
 アンドレイと白痴の少女のおかしな関係。白痴の少女は、アンドレイを振り切ってタタールとともに去ってしまう。

(9) 1423年、教会のために鐘の鋳造をする。
 鐘作りの名匠は死んでいたが、その子ボリースカは父から鋳造の秘伝を教わったと偽って、鐘づくりに情熱をかける。その鐘が完成するのを見て、アンドレイは再び民衆への信頼と愛をとり戻す。
 途中、旅芸人が群衆の中にアンドレイを見つけてトラブルがある。

(10) アンドレイ=ルブリョフの作品がカラーで描き出される。
 最後に、冒頭にあった時雨(しぐ)れた湖畔にいる数頭の馬の情景を繰り返す。何を意味するのであろうか。(2006/12/08)


○テオレマ=不安と焦燥


 テオレマという映画を見た。
 ちょっとわかりにくい内容ではあるが、なかなか面白かった。
 原案・脚本・監督は、ピエル=パオロ=パゾリーニ。1968年のイタリア映画である。出演は、テレンス=スタンプ、シルヴァーナ=マンガノ、ラウラ=ベッティ、アンヌ=ヴィアなど。

 BGMに、モーツァルトの「レクイエム・ニ短調」(K.626)などを使っているので印象深い。そのあらすじをまとめておこう。

 ある日、工場経営者の家庭に「明日着く」という電報が来た。そして、翌日一人の若い美男子が姿を現わす。家族との共同生活が始まって、家族全員がその男に魅了される。

 やがて、また電報が着き、男は家族の前から立ち去ってしまう。
 なお、それら二回の電報配達の男の仕草も印象的である。
 その後、家族の人たちが奇妙な行動を始めるのだ。

 娘のオデッタは全身硬直をして、病院に担ぎ込まれる。
 長男のピエトロは抽象画に没頭し、奇妙な新作を目指す。
 女中のエミーリアは実家に戻って断食生活を始める。そして、空中に浮くことができるようになるが、最後はみずから土に埋まってしまう。

 いっぽう美貌の妻ルチアは、ふしだらになって男あさりをする。
 主人パオロは閉鎖した工場を従業員に与え、駅の中で全裸になる。そして、サブテーマに用いられている砂漠に来て、咆哮をするのであった。

 なぜ、そのような家族の一連の行動があるのかは、私(rik)には理由がわからない。前後の続きも、わかりにくい。何となく得体の知れない不気味さと、心理的な曖昧さをもっているストーリである。
 平安に対する破壊の衝動が、ささいなことにあるということであろうか。
 なお、テオレマは「定理」という意味らしい。つまり、すでに証明されている性と本能との強い結びつきに関する命題をここでは言っているようですね。そうではないでしょうか。(2006/12/01)

(注) tamaさんから、下記2つのコメントをいただいた。

  1941年12月8日(昭和16年)

 玉三郎です、今日は、65年前、小学生の私は授業中でした。
 校門の前の文具屋さんから流れるラジオ放送が、ケタタマシク、「大本営発表、我が陸海空軍は南太平洋において・・・・」と太平洋戦争が始まりました。僅か4年でお手上げになった戦争でしたが、昨夜の山本五十六海軍次官が立案した「真珠湾攻撃」をNHKで見ましたが、彼は米国において、駐在武官の経験から米国の国力がわが国の10倍ある事実を知り、日米戦争には反対でした。

 開戦前、「若し戦えば東京を3度、焼かれる程の手痛い目に会うだろう、」と予言していて事実、東京所か全国の都市が焼かれる、大惨事の後、敗戦になりました。それだけの反対論者が、事もあろうに、真珠湾攻撃の作戦を立てたのか? 

 矢張り、周囲と国論が開戦を支持し、山本さんに言わせれば「日米戦争はわが国の大凶事なり」と知りつつも、突入しました、私などは翌年、中学へ進学しましたが、1年間だけ勉強出来て、後4年間は町工場へ勤労学徒として、旋盤工で終わりました。
 それも昭和20年6月には大阪は大空襲を受け、工場は焼かれ、命カラガラ、逃げ出した経験があります。
 其れまでは親父が家業、建築業で家産をなし、呑気に暮らしていましたが、以来、地獄でした。
 幸いと言うべきか、長寿に恵まれ、癌にはなりましたが、病気も押さえ込み、こうして、過去を回想するほどに元気に暮らしています。

 当時の小学生同窓会も10年程前から参加していますが300名いた、同学年のメンバーも同窓会へ参加出来るのも、16名、住所判明者、60名くらいですが、大勢の同期も亡くなりました、激烈な時代を経験しただけに止むを得ないものがあります。


  不安

 私は見ていないから、解らないが、現代は急速に科学文明が爬行的に発達し過ぎて、宗教や人文哲学では解決できない事が多く出現した結果、人間の思考能力が破綻しているのではないか?
 此処、2千年の人類生存規範を喪失した、詰まり、キリストや釈迦や孔子、孟子の道徳的規範では生活規律が保守出来なくなった、言わばエイリアン的な人間に改造されたのではないか、でないと幼児殺しや残酷な苛めから自殺へ追い込まれる現象は起こらないと私は思う。

 私のような老人は皇道史観で教育され大幅に自由など制約された生活を強いられてきたので、現代人には理解出来ない人生規範がある、所謂、善悪の限界、倫理が身に染み付いている。だから、幼児や乳児殺し、尊属殺人など理解出来ない。
 これからも新人類のする事に驚く事が多いだろう。



○ステロイド剤の使用?=尿蛋白について


 3ヶ月ほどで体重を20キログラム減らし、血圧を正常にするとともに尿糖もなくした。つまり、血糖値を正常にしたのである。
 そして、入院を10日ほどして手術を受けた。

 術後の経過は、ありがたいことに順調である。ちょっと、体調が何となく優れないだけで、とくに困ったことはない。それも、間もなく回復するであろう。古くから言われる「手術後の肥立ち」の問題であろう。
 まだ、退院をしてから3ヶ月も経たないのであるから。

 しかし、術後の変化か以前からそういう傾向があったかがわからない心配も、あることはある。
 それは、尿蛋白が出ることがあるからです。
 尿糖は、食後10分でも出なくなったが、ときどき尿蛋白が出る。大量ではなく30mg/dl程度で「少し検出」というランクであるから、あまり問題ではないかもしれない。

 なぜならば、食生活を注意すると「検出限界以下」になるからである。
 よほど内科の医者に行って、診察を受けようかと思うのであるが、恐ろしいのでまだである。なぜならば、尿蛋白の治療にはステロイド剤を投与されるであろうから。

 そして、そのステロイド剤は治療の効果以外にも副作用があるのではないかという懸念がある。
 食事療法だけで、血圧と非インスリン型糖尿病とが簡単に治ったのであるから、尿蛋白も薬物でなく食事と生活習慣によって治してしまいたい。
 できることならば、……
 どうしたものだろうか。(2006/11/27)


○血液の不思議=こころの在処


 「こころは心臓にある」と考えた時代があったようだ。
 近代になって、こころの在処(ありか)は脳であるという。脳によって考えるからであろう。

 しかし、私は「こころが血液の中」にあるのではないかと、秘かに思うことがある。聖書などを読んでいると、何となくそう思われる。もしかしたら、間違っているのかもしれないが。


 ウイリアム=ハービーは「心臓が血液を循環させている」と発表をした医学者である。そして、従来の人体についての間違った考え方を指摘して、異端者とされた。

 それまでは、大医学者ガレモスの理論が、まかり通っていたのである。
 ガレモスは「血液は手足に流れ、そこで消滅」していると考えていた。これに対し、ハービーは疑問を抱いて真っ向から反証をしたのである。


 血液は、血管の中をスムーズに流れていなければならない。
 栄養素を全身に送るためにである。脳にいく血管が詰まったりすると、もはや致命的である。脳梗塞などになってしまうと、脳が機能しなくなってしまうからだ。(2006/11/25)


○老人と飴=甘いものが好きになる?


 老いてくると、年代が逆に幼児に向かっていくという意見もある。
 つまり、何となく子供っぽくなってしまうのだ。

 市の福祉会館にある高齢者ルームに行くと、飴の入った菓子器が置いてあって、誰でも気軽に取って食べられるようになっている。誰がそれを置いたかは知らない。もしかしたら、メーカーからの寄贈かもしれない。

 見ていると、ほとんどの人が数個の飴を持っていく。無料であるし、また味のよいものであるから人気がある。
 老いてくると、甘いものが欲しくなるようだ。
 なぜならば、血糖値が下がってきたりして、生理的に欲するのであるらしい。しかし、そうかと言って飴ばかりを舐(な)めていて、よいのだろうか。(2006/11/21)


○老人の姿勢=若々しくあるために


 老いてくると、どうしても前屈(まえかが)みになってしまう。
 いくつになっても背筋を伸ばして、しゃきっとしていたいものである。

 前屈みになることによって、歩くときに足もあまり上げなくなる。いきおい、物に躓(つまず)いてころびやすくもなる。そして、いったん転ぶと怪我や骨折などをしてしまう。

 骨折をするとそれが原因で、ますます調子が悪くなってしまう。
 歩くことは、日常の基本的な動作である。
 そのようなことも考えて、姿勢については日々注意をする必要があろう。

 若い人の場合も、同じでしょう。
 あなたの場合は、いかかですか。(2006/11/20)

(注) この記事に対して、まさこさんとtamaさんからコメントをいただいた。

  自転車散歩
 私は仕事柄 運動不足になりがちです。晴れた日なら、朝6時から自転車で20分ほど自転車で走ります。ゆるやかな坂のある道を選んでいます。帰宅してからは、テレビ体操。雨なら、室内ウォーカーで15分歩きます。
 ここ数年、そのおかげか風邪はひいていません。(まさこ


  歩く

 暫く歩くのを止めていたが、10日ほど前から毎日、昼前に1時間程、歩いている。
 私の住まいは、標高差50メートルほどの台上に住宅街がある所だ。周辺4−5キロほどの道を選び、歩くのだが往復、登坂と下り坂になる。
 3−4ヶ月やめていた散歩を再開したときは可也、キツイ感じだったが、直ぐ馴れた。

 胸を張るのだが生来、猫背で視線が俯き加減になりやすい。然し、4−5キロの行程になると体操を交えて歩いているから、最初はスタスタと早足だが、終いには歩速も疲れて上り坂などは亀よりのろくなる、歩くのを止めると、急激に体調が狂う。(tama)



○あなたは幸福ですか?=推理小説の勉強


 いま、推理小説の勉強をしている。
 テレビの237チャンネルで、いつもアガサ=クリスティの『ポアロ』や『ミス・マープル』を見ているからだ。とても面白いので、自分でもそのようなものを作ってみようと考えた。

 そこで、学生時代に読んだ本を取り出して、研究のために再読を始めた。
 まず、和訳になった「アクロイド殺人事件」である。原文で読みたいところだが、私にはニュアンスまでを読み取るだけの力がないからである。

 「アクロイド殺人事件」は非常によくできた作品と思う。
 思いついたことをいくつかメモしておこう。

(1) ポワロに

 「予防は治療に勝る」

などと言わせているのも面白い。
 また、ジャップ警部がビデで顔を洗ったり、その利用方法をミス・レモンに聞いたりする。ポワロは「あれは壊れているのです」などと言って、話が進まないようにカバーをするわけだが、……

 小説の設定時代当時に、すでにウオッシュレットがあったかどうかはわからないが、イギリスは下水道などとともに進んでいたのでしょう。
 また、わざわざ日本を意味する「ジャップ」という名前を刑事につけた理由も私にはわからない。何らかの意味があるのであろうか。

(2) メインテーマはご多分に漏れず、遺産の相続である。

(3) 犯人に書物全体を語らせるという斬新な手法。

(4)まったく最初に読んだ人でも、早くて131ページ、遅くても346ページ以降で犯人がわかるのではないか。
 ただし、ページ数は中村能三訳『アクロイド殺人事件』(新潮文庫)

 アガサ=クリスティの作品については、私が青年であったころの感激がいくつかあって、それらが甦ってきてなつかしく、また楽しい。しかし、読み直してみると、全体のことを言うのに対して、ちょっと長ったらしいような気もする。

 エラリィ=クイーンの「Xの悲劇」シリーズなどと同じで、ちょっと読むのが大変である。先日「最後の悲劇」を読もうとしたが、途中で億劫になって投げ出した。むしろ、横溝正史や江戸川乱歩の作品のほうが、心理や環境がわかって、私には面白い。

 なぜならば、動機などの論理がやはり日本的であるからでしょう。
 例えば、金田一京助シリーズの「八つ墓村」や「真珠郎」のようなべらぼうな内容のものでも、何となくわかるから。また、怪人二十面相の法外な論理にも、うなづける。
(若い時代に読んだのではあるが、最近になってテレビで「八つ墓村」(渥美清とショーケンのもの)、「真珠郎」(小野寺昭と真野響子のもの)を見て新たな感激を受けた。)

 前に読んだのではあるが、それでも思い出せないことがある。

 例えば、

 <あなたは幸福ですか? もしも幸福でなかったら私に相談をしなさい。>

と新聞広告を出した人の名前である。
 パピプペポを音(おん)に含んだ人ではなかったか。

 また、部屋の隅っこにいて肘掛け椅子に座ったままで事件を解決する

  『隅の老人』

という短編シリーズが、アガサ=クリスティの作品ではなかったかということ。
 なぜならば、さっき調べた私の『アガサ=クリスティ短編集』に載っていないからです。

 もしも、知っている人がいたら、教えてください。
 アガサ=クリスティは、

 <人生の最良の歳は六十歳から七十歳までの間です。>

と言ったそうだ。
 すると、私も今が人生の最良の年代ということになる。
 皆さんは、いかがですか。(2006/11/19)

(注) この記事に対して、まさこさんからコメントをいただいた。

 お早うございます。私の朝は、メールチェックから始まります。
 『隅の老人』の作者パロネス・オルツィで、山田辰夫・山本俊子訳 ハヤカワミステリー文庫があります。なお、パロネス・オルツィは『紅はこべ』で有名です。
 アガサ=クリスティは、娘が学生時代良く読んでいたのを思い出しました。
まさこ)



○読書とテレビ=私の楽しみ


 手術のために入院をし、その後退院をしてから、あまり外出をしなくなった。そして、退院をしてからデジタルテレビに切り替え、その直後から、ずいぶんテレビを見るようになった。
 ヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネル、そして洋画などの面白い番組を気軽に毎日見ることができるからだ。

 それに、外出が少なくなり部屋にいることが多くなってから、今までより読書ができるようにもなった。以前からもう一度ぜひ読もうと考えていた本を取り出して、ゆっくりと読み直すことができる。

 読書は、読んでいる途中に調べることなどもできる。つまり、簡単に途中下車をして何かができるメリットがある。しかしテレビの場合は、せいぜい言葉のメモをする程度で、途中で止められない。

 また、読書をしていると橘曙覧(たちばなのあけみ)の

 <たのしみは そぞろ読みゆく書の中に われとひとしき人を見る時>

というのを思い出す。
 考え方や気持ちが、ほぼ私とひとしかった大岩さんや三橋さんが亡くなってしまったころからは、とくに……
 
 本の場合は、読みながらいろいろなことに心が馳せる。
 そのようなことは、放送の場合はムリである。次々と先に進んでしまうからだ。むろん、ビデオなどでは途中で止められるであろうが、それでも読書のようにはなかなかできない。

 ついでながら、やがてジュークボックスのように映画や時代劇のタイトルをインプットして、それを手軽に見ることができるようなシステムに変わるのではないか。
 つまり、両方向通信が可能になっているので、ビデオのレンタルショップのような仕組みで利用できる放送が、間もなく現れるだろう。(2006/11/13)


○小説を作る楽しみ=可能性へのチャレンジ


 病み上がりのためか、あまり外出をしなくなった。
 その代わり、テレビを見る。
 デジタル化をしてからチャンネル数が増え、したがって興味深い番組も多くなった。例えば、237番の「ミステリチャンネル」である。

 そこの「トワイライトゾーン」というのは、なかなか面白い。
 オムニバス形式で、いろいろな作品が出る。すでにある作品や前に読んだ梗概のもの、そして二番煎じなどもあるが、それでも興味深い。

 また、『ポワロ』や『ミス・マープル』なども前に読んだ推理小説ではあるが、内容を忘れてしまったり、映像化が斬新なので引きつけられる。『ポワロ』の劇中劇の芝居や映画、そして最後の関係者全員を集めておこなう謎解きは私の興味を引く。

 『ミス・マープル』の声の吹き替えをした山岡久乃という人は、なかなか素晴らしい。言葉が、老婦人の会話や独り言として、まったく不自然を感じないほど、ぴったしであるから。

 立場が逆になる話が、「トワイライトゾーン」にあった。
 ありふれた内容ではあるが、それでも見ていて戦慄を覚えた。
 学生時代に読んだ倉田百三の『出家とその弟子』にあった内容と、そっくりであり、そのときの興奮のことを思い出したのである。

 また、既視感については『スタフ王の野蛮な狩り』という、かなり昔のソ連映画を思い出した。そして、その映画のビデオを見直してみた。
 なぜならば、若い女館主の祖先とスタフ王の肖像を描いた本を見るという場面が、なぜか私には何であったかが思い出せなかったからである。

 「ミステリチャンネル」では、書物の解説もやっている。
 ニューヨークの地下街で起こる小さい戦争についての話から、私は「老若戦争」という短編を思いついた。

 その他、120本ほどのオムニバス短編の素材というか梗概がメモの形で貯まって、そのままになっている。
 心の準備と時間ができたら、取りかかってみるか。(2006/11/12)


○自作自演=気に入らないときには


 退院をしてから、テレビを見るようになった。
 また、本もかなり読む。
 前には、そんなことはなかった。ここ20年来(らい)のことである。

 しかし例えば、コナン=ドイルの『シャーロックホームズの冒険』やアガサ=クリスティの作品を見たり、読んだりしても、ちょっと複雑でわかりにくかったり、また大いに気に入らない部分がある。
 そこで、そんなときは自分自身用に作り直してしまう。

 そのときに、どこまでの改造作業になるかはいちがいに言えず、まちまちではあるが、……
 でも、その作業がなかなか面白い。
 再構築の楽しみとでもいうのだろうか。

 やはり、人生の最後に近くなってくると、個性に特徴が出てきて自分に合わないものが、次第に多くなってくるようである。
 それは、食べものの場合にも似ている。
 胃腸が弱くなったので、若いころそうであったように、何でもおいしく食べられるということがなくなって、外食をする店も次第に限られてきた。

 人間の好みは、まちまちである。
 また、健康に関しても個人差がかなりあるようだ。
 企画化をした現代は、考えてみれば何となく窮屈です。
 そんなことに気づいたことはありませんか? (2006/11/10)

(注) この記事に対して、tamaさんからコメントをいただいた。

 企画化した現代

 牛丼の吉野家・東京の大戸屋・Mrドーナツ・ケンタッキーフライドチキン、夫々に定番があり、例えば、大戸屋のザル蕎麦とチキンカツ丼、など軍隊の定食のような感じですね。

27年間、自衛隊で生活した関係で、栄養士が献立を作り、100人、200人の調理を見ていて昔、大阪梅田、阪急百貨店の「50銭ランチ」を思い出した、中皿に飯、大皿に牛のミンチボール、野菜、ポテトサラダの突合せ、今でも、ミンチボールが美味かった事、あれは、子供で下流以下の生活をしていたから、肉などにメッタにありつけなかったからか、現在、年老いて、殆どの食を体験したから、今更、あれを、之が食いたい、なんて思わぬが、もう、何年になるか、バブルの最中に「吉兆」の折り弁当を食った事があった、豪勢な品数だった、金満家は、このような美食に明け暮れしているから、心臓病・脳梗塞・高血圧・などでコロリと死ぬのだなと思った。
 季節は柿やミカンが美味しい時だ、まだ、美味いと感じている内は当分、死にそうにない。




○驕れるもの久しからず=生・老・病・死


 <祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。驕(おご)れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し。>

 有名な『平家物語』の冒頭である。
 私は、いつも考える。

 若かったころは、何となく老人が疎ましかった。若いという奢りがあったからかもしれない。
 そして、老いてくると病気の人が疎ましい。健康であるという奢りがあったからだろう。
 さらに、病気で入院をしても、まだ重病の人に対して「私は軽いんだ」というような奢りがある。
 他人と比較をする人の愚かさは、一生なおらないらしい。

 なぜ、自分自身を冷静になって鋭く見つめられないのか。
 自分自身が「生・老・病・死」をまっしぐらに、しかもかなり最後のほうを駆け抜けているのがわからないのか。

 『荘子』に、こんな話があった。
 小さい虫がいる。
 その虫を見ていたら、背後でカマキリが狙っているのがわかった。しかし、やがてそのカマキリを鳥が食べようとしている。すべて自分は、それらを見てはいるのだが、……
 そうは言っても、自分自身を含めてまでは見ていない。

 「生・老・病・死」ではなく、「生・老・死」でありたいものだ。
 何となく思いついたままに。しかし、何が言いたいか、わかってもらえないかもしれないが。(2006/11/06)

(注) この記事には、tamaさんからコメントをいただいた。

  確かに死は近くへ・・・。

 若さに任せた、時代は驕る訳でもなかったが、随分無茶をした、女と遊び呆け、さてお腹に子供が出来たと動転して、逃れる術もなく、追い詰められた時期もあった。
 これなどは、確実に驕っていたのだ、どちらに罪があるにせよ、双方、有頂天になり、過ぎ去った今、悔いる事ばかりだ、双方何時の間にか、別れ、散ったが、其の咎めが老いの身の上に病気や災厄を齎すのか、流行の女占い師に言わせると「霊障」があり、・・・とか言うが、それにしても、あの頃は元気溢れていたね。




○老人は社会に不要か?=一つの境地


 <為せばなる為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり>

とよく言われる。
 最初、私は上杉鷹山(うえすぎ ようざん)と思っていたが、どうやら熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)の言葉らしい。

 そんなことは、どうでもいい。私は、精神論などは嫌いである。
 明治天皇の御製に、

 <かたしとて思ひたゆまば なにごとも なることあらじ人のよの中>

というのがあった。これは、道元(実際は懐奘の『正法眼蔵随聞記』)の

 <切に思ふこと必ず遂ぐるなり。>

とともに、私も心から信奉をする言葉である。
 御製には「述懐」(じゅつかい)というタイトルが付いていた。

 では、私が何を言いたいのか。
 ここでは、「老人が社会に不要ではない」ということを、ここのところ大変革をした最近の生活から、新たに発見をしてわかった範囲で、断片的に言おうとしているんだ。

 私は、今まではテレビも見なかったし、未だに新聞も取っていない。
 永年そうであったが、4年ほど前にパソコンを始めるとき、ケーブルテレビ局と常時接続の契約をした。そのとき、20年ぶりくらいにテレビも付けた。妻が、あまりにもかわいそうでもあったからだ。

 そんなために、私もときどきテレビを見るようになった。しかし、新聞はいまだに取っていないから、見る機会があまりない。

 そのテレビであるが、一ヶ月ほど前に新しいのにした。ディジタル化をするというので、シャープの亀山という岩下志麻か吉永小百合が着物姿でパンフレットの表紙に出ている機種にした。
 妻が、どちらもファンだったからである。

 大画面で、とても見やすい。
 しかし、操作がなかなか難しいのである。まず、3つある放送の種別を選択してから、選局をしなければならない。そこで妻に教えるために、まず私がやってみた。

 すると、ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルなどがあった。
 見ていると、なかなか面白い。それに、洋画や時代劇などもたくさんある。
 そんなわけで、私もテレビを20年ぶりに見るようになったのだ。

 だらだらとここまでインプットしたが、ぼつぼつ本論である。
 最近見た映画。
 「シャーロックホームズ」「ポアロ」「モンク」などがあるが、とくに今回の話題は下記。
 「ジェシカおばさん」
 「ミス マープル」

 「ジェシカおばさん」には「ダウリング神父」がタッパー保安官役で出てくるので、ちょっとまごついてしまった。しかし、すばらしい出来のシリーズである。
 「ミス マープル」は、やはりアガサ=クリスティの原作でBBC製作の本格的な連続映画である。
 おまけに「隅の老人」である。しかし、これはテレビで見たのではなく、30年以上も前に読んだ小説の記憶。

 つまり、これらの作品ではいわゆる老人が活躍するのである。
 ジェシカおばさんは、まだ老人でないというかもしれない。しかし、ミス マープルはすでにかなりの老人である。さらに、「隅の老人」については、そのタイトル自体でわかるでしょう。
 椅子に座っているだけで、外出はできないのである。

 ミス マープルの推理は、素晴らしい。「書斎の死体」では「弁護士になればよかった」と警部に言わせるほどであるから。「隅の老人」も素晴らしい。よいよいになりかかった身体でも、推理が鋭くて座ったままで犯人を当ててしまうからだ。
 もっとも上の3つの主人公は、いずれも創作上の人物である。

 そこで、もっと身近に感じられる「老人が社会に不要」でないことを言っている作品が欲しいところである。インドか中国の話で、老いた父親を隠していたストーリがある。国が他国によって危機に瀕したときに、息子が父親から聞いて、王様に意見を具申して助かるという内容だった。もしかしたら、『ジャータカ』だったかもしれない。

 また、「おばあちゃんの知恵袋」などというタイトルの本がある。しかし、私が考えているイメージの内容とは違っているようだ。断片的な知識ではなく、価値観をわかってもらえるようなことを考えているからです。

 そこで、さらに何が言いたいか、である。
 あいにく、私が求めているような内容にぴったりした物語がない。とどのつまり、自作をするしかないようだ。すでにある本もテレビも不満であれば、自分自身で作らねばならない。
 それは、自分自身が生きた証明のために、自分用の物語を作るという人生における雄大な計画である。
 そこで、以下のような手順で作成をすることにした。

(1) 30年以上前に見た映画で、どうしても忘れられない作品があった。しかし、題名や主演者がわからず、その梗概だけが脳裏に焼き付いていた。どうしても思い出せないので、ビデオショップを十数件尋ねて、やっとその題名がわかった。

 それは、フランス映画『かくも長き不在』であった。
 そして、ついでに岡田英二が主演をしたフランス映画『ヒロシマ、私の恋人』(日本で上映をされたときは『二十四時間の情事』になっていた)も、借りて見たのである。
 マルグリット=デュラスの名前を知ったのは、そのときである。
 ビデオを見て、私もそんな内容の作品を作りたいと思った。

(2) いっぽう、20年間ほど『フィネガンの追悼会』という作品を探した。フーガ(遁走曲)ではないが、その最後が最初につながっているという。3年前に柳瀬氏らの訳で、ようやく実物に出会った。
 その雄大で奇怪な文章に驚いてしまったが、川の流れをテーマにした構成を私も考えていたし、循環形式には大いに関心があったんだ。

(3) いっぽう、自作に用いるために旧約聖書の『モーセ五書』と新約聖書の福音書・使徒行伝、つまり『ルカによる文書』の研究をした。
 また、他の資料を自在に利用できるようにするために、図書目録なども整備をしている。

 聖書などの資料を自分自身のテキストに用いるために、わざわざインプットをして『RKOホームページへようこそ!』の「青空ライブラリ古典」に、また図書目録は「参考文献など」にまとめたとおりである。

(4) さらに、文章作成のツールとして用いるためにWordの研究なども改めてしてみた。

(5) たまたま知人からいただいた本に、マルグリット=デュラス 清水徹訳『ラマン』(愛人)があった。ラマンは「L'AMANT」と書く。
 読んでみると、なかなか素敵な文章である。
 そこで、そんな文章を私も学んでみようと思った次第。

(6) この退院後の病み上がりの不調を何とか回復したら、計画を始める予定である。もっとも、今までの不調が原因で外出ができないために、テレビや読書に親しんだ結果なのではあるが。
 そして頭の呆けていない「老人でも社会に必要」な場合もあるというようなことを言いたいために、……

 さて、どうなることになるでしょう。
 関心のある人は、協力をしてください。(2006/11/04)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  多分、不必要だと次世代の人は・・・。

 楢山節考などで昔から、老人は邪魔なんだ、近くは小泉総理が中曽根、宮沢さんに政治家の引退を迫った、様に、煙たいのだ、現在のように、核家族時代は老人は望むと、望まざるに関わらず、孤独死に追い込まれる時代だ。
 だから、昔と違い、社会道徳は退廃、荒廃しだした。凶悪犯罪も激増している、背景にある経済事情もあるが、封建社会のように、貧乏人同士助け合う事もなくなり、ましてや、手数の掛かる老人など余計に邪魔になる。
 国も社会も余裕がなくなってきた、文明は異常な程、発展して暮らしは便利になっているが、それだけの経済的実力もない、貧乏人は相手にされず、人情が消えた。
 さて、之から、どうなるんだろう。




○尿蛋白と腎臓=傾向と対策


 次のようなコメントを玉木さんからいただいた。


 <私が自衛官で採用試験で尿検査に立会い、屡々(しばしば)、尿検で蛋白の下りる受験者に会いました。
 合格させるのに、水で薄めて合格させようとしましたが、水の比重が「1」で直ぐバレました。

 尿に蛋白が混ざるのは、腎臓が悪いのか、血液中に蛋白が消化されずに混ざるのであるから、腎臓ではなく、膵臓が悪いのかも?どうも医学的知識がないので解らないが、正常な身体では無い。

 本来、蛋白質は消化されてアミノ酸になり筋肉などを作るものであろう、老化で泌尿器がやられた上、濾過すべき腎臓までが、故障するとは難儀だ。

 其れが、蛋白も下りずに治癒したのは、食養生が良かったのか、未だ、老化しているが自力再生能力が健在だったのか?
 どちらにしろ、有難い現象だ。 tama 2006/10/27(Fri)16:41:33>


 私にとっては、非常に貴重な意見です。
 知らない間に尿蛋白が出るようになってしまった人は、かなりいるようですね。なぜならば、腎臓は痛みなどがないままに症状がどんどん進行してしまうからです。

 また、病院に通っていて検査をする前の日だけ食事に注意するというような間違ったことをしている患者もいます。そんなことをすると、せっかくの検査も無意味になってしまうからです。

 お陰様で私の場合は、何とか素人療法で解決ができました。
 つまり、今後この病気を完治してしまうことも、あるいはますます悪化させることもできる両方の体験をしたからです。したがって、ある程度のムリが続いたときには、直ちに改めることもできるでしょう。

 蛋白質の他にも、赤血球の死んだカケラが混じっていることがあります。そのようなときには、とくに注意が必要です。赤血球については簡単には測定できませんが、尿の色や臭(にお)い、泡立ちなどでわかるようになりました。

 いずれにしても蛋白が少しでも出始めたら、早めに治してしまうほうがよさそうです。私は考えがあって病院には行かずに、自分自身で治してしまいました。しかし、病気を自分で診察したり、病名を自分で決めるのは非常に危険です。

 そのような場合、精密検査や入院が必要になることが多いので、できたら内科や泌尿器科のある総合病院に行くのがよいでしょう。腎臓は、いったん悪くなってしまうと、人生が終わりに近づいてしまいます。したがって、入院をするなどかなりの時間をかけても、できるうちに完治させておくほうがよいのです。

 また、いったん損なわれた糸球体などは絶対と言ってよいほど回復はできないでしょう。そんなときにも、それ以上に悪化しないようにすべきではないでしょうか。
 どうぞ、皆さまもお大事に。(2006/10/28)


○キリのないこと=有限の身で無限を追う


 『荘子』に、「有限の身で、無限のことを追い求める。危ない限りだ。」というようなくだりがある。
 まったくその通りで、つくづく反省をすることが多い。
 それをやっているうちは、そのことには気付かないのも確かだ。いったい、何のために何をしているかを見失ってしまう。

 実際に、人生には目的があるのだろうか。
 何事にも意味づける人間の考えは、本当に正しいのだろうか。
 もしかしたら、すべてが脳のもたらした幻影なのかもしれない。

 ドン・キホーテのように、実際にはないものを意識してそれに向かっていく。愚かというよりか、滑稽である。しかし、本人にとっては命がけ。それが、端(はた)からみるとなおさらおかしい。

 それでは、自分自身の生き方をしたらいいじゃないか。
 『方丈記』の鴨長明のように、世を拗(す)ねた生き方でもよい。自分自身が達観者になってしまうも、一つの方法である。

 メールを毎日出す。
 まったく意味のないくだらない内容である。
 先輩は、「そんなことはやめちゃえ」とのたまわく。しかし、私にとっては意味があるのだ。つまり、つまらない記事でも、自分自身が「生きている証明」なのである。

 キリがあってもなくても、毎日は過ぎていく。
 そんな中で、ドン・キホーテをやっている自分自身に何となく愛想が尽きることもあるが、…… (2006/10/26)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  尿蛋白と腎臓

 私が自衛官で採用試験で尿検査に立会い、屡々、尿検で蛋白の下りる受験者に会いました。
 合格させるのに、水で薄めて合格させようとしましたが、水の比重が「1」で直ぐバレました。
 尿に蛋白が混ざるのは、腎臓が悪いのか、血液中に蛋白が消化されずに混ざるのであるから、腎臓ではなく、膵臓が悪いのかも?どうも医学的知識がないので解らないが、正常な身体では無い。
 本来、蛋白質は消化されてアミノ酸になり筋肉などを作るものであろう、老化で泌尿器がやられ、た上、濾過すべき腎臓までが、故障するとは難儀だ。
 其れが、蛋白も下りずに治癒したのは、食養生が良かったのか、未だ、老化しているが自力再生能力が健在だったのか?
 どちらにしろ、有難い現象だ。


  意味など無い。

 宇宙が生成されて無数の惑星が生まれ、自然派生的に地球環境を備えた惑星が、何個か?あるそうだ、という事は人間とは違う、生命体が、現代科学では到達出来そうもない、惑星に生息していて、人間と同じような、「空」であるとか、生きる事に「疑念」を持っているかは?興味深い話だ。 人間より高度な知識や科学を開発して、生命の根源や宇宙の構成を解明していて、地球の人類より遥かに高度な文明を持っていて、宇宙と同様の生命を維持しつつ、来るべき、宇宙の終焉に備えて、新しい、宇宙の構成を考えているかもしれない?自然に派生した、地球での生命体であって、生きる意義とか、「空」なんて問題は生まれた時から無い。
だから、今程度の人類の文化では「人間は何処から来て、何処へ行くのか?」の疑問は当分、持ち続けるだろう。



○プレミア ムビー フメンチ?=大戸屋の定食


 昨日の夕方、妻と大戸屋に行って夕飯を食べた。
 肉は原則として、家では食べないからだ。

 入り口にあった写真のメニューを見て注文をしたら、タイトルのような小さい紙片が膳に乗っていた。名刺よりも、ちょっと大きいサイズの薄い紙である。それを、持ち帰って今よく見ると小さい世界地図が書いてあって、

 <プレミアム ビーフ メンチカツ定食
760円 税込798円 1,044Kcal

ご注文ごとに一つずつ生パン粉を付けて揚げるので衣はサクサク、お肉はジューシー。メンチカツに使用しているビーフやポークは、成長ホルモン剤を一切使わず、とうもろこし等の穀物で飼育をしています。安全で安心なオーストリア産プレミアムビーフと米国産ポークに甘みたっぷりの国産玉ねぎを合わせた大戸屋自慢の一品です。>

とある。
 そして、それはとてもおいしかった。
 一行目にあった大きなゴシック文字の片仮名の切れ目が、眼の悪い私にはタイトルのように読めたので、最初は何のことかわからなかった。

 ここのところ、手術をうけて退院をしてからシマホッケ(魚)・鶏カツ・ヒレカツ・メンチカツなどを食べるようになった。なぜならば、そのようにすると手術をした傷口が、何となく早く治るんじゃないかと考えたからである。

 だから、「安全で安心なオーストリア産プレミアムビーフと米国産ポーク」と書かれた文の「安全で安心な」が「オーストリア産プレミアムビーフ」だけを形容していて、「米国産ポーク」には関係がないなどと言うような懸念など、細かいことは言わない。

 また、肉・魚以外のときは週に数回、ダンキンドーナツで軽い食事をすることがある。
 ドーナツを4つとアメリカンコーヒーである。それも、甘くてとても美味しい。今まで自宅でやっていた玄米におかず三品という食事に比べると、何ともデラックスで幸福だ。

 家のご飯はおかずと言っても、ふつうはゴマ(金ゴマが多い)・コウナゴ(シラス干しのこともある)を玄米にかけて、果物(無農薬のもの)または生野菜を一つである。何となく宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に似ていて、お恥ずかしい次第。

 糖尿病(腎臓病)の治療のために、砂糖を多く含んだ食べものを摂るようになって1ヶ月になる。コーヒーも今までのブラックとは違って、砂糖を入れる。また、チェルシーという飴を1日に5つくらい舐(な)める。

 そんなわけで、ちょっと心配であるので、肉や魚も食べるようになった。お陰様で、とても体調がよい。しかし、以前ほどではない。まだ、そのための通院はしていなくて、すべて自分自身の責任でやっていることだから、…… (2006/10/22)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  動物性蛋白

 国鉄民営化で中曽根内閣に協力した土光さんは家では、目刺を丸かじりで食事をしていたが招宴では大きいビーフステーキをバリバリ、食べていたそうだ。
 前立腺癌である私は、脂肪分の高い、肉類など食べるな、と周囲は言うが、セミナーなどで医師は食事は、何でも自由に食べなさい、と言う。
 菜食主義も身体には良いのだろうが、人間も動物だから、高齢でも肉は食べないといけない。
 ただし、血液病や高血圧は駄目だろう。



○長寿のための食生活医学=知って実践!


 20年くらい前に行われた講演会のカセットテープをもっている。
 久々に聞いてみたが、とても有意義であり、斬新でもあった。なぜならば、今ちょうど私がしようとしていたことのヒントが、そこに多く含まれているからである。

 内容は、次のとおりで古いとは考えられない。その原則は、今でも正しいのではないか。

(A面)

・ 肥満が寿命を縮めるということは、どういうことか

・ 痩せるためのコツは、どんな風に

・ 運動不足は老化を促すというのは本当か

・ 動脈硬化は心臓病を招きやすい

・ 運動と食事の取り方はバランスよく

・ コレステロールを増やす食物は何か

(B面)

・ 長寿を決めるのは、栄養と運動

・ 外国の長寿者と日本の長寿者の比較

・ 米食偏重の害、ストレスの害

・ 遺伝は長寿を左右している

・ 薬にどこまで頼るべきか

・ 民間療法は行き過ぎの連続

 講師は、

鈴木慎次郎先生(慶応大学医学部卒。労働科学研究所から現在国立栄養研究所栄養生理学部長。筑波大学教授)

 そして、聞き手は

菊池一久氏(医事評論家。(財)保険同人事業団理事・事務局長)

である。

 とてもわかりやすい内容で、大いに参考になる。
 まったく、私の必要なことすべてを言い尽くした感じである。
 とくに、「痩せるためのコツ」と「薬にどこまで頼るべきか」という箇所は、私にとって大きなアドバイスになった。

 他にも、

・ 糖尿病の食事療法(60分テープ4巻)

・ 高血圧の予防対策(60分テープ2巻)

・ ガンにならないライフスタイル(60分テープ1巻)

・ 自律神経失調症の謎(60分テープ6巻)

などのカセットテープがあって、毎晩横になってから何度も何度も繰り返して聞くことにしている。聞く度に新たな教訓が得られて、何ともありがたい。

 よくは覚えていないが、20年くらい前にこの病気になることを考えて、そんな資料を用意していたとしか考えられない。いくら将来の用心としても、内容がぴったしなので我ながら用心がよかったと驚いてしまう。(2006/10/21)


○腰の後ろが痛い!=もしかしたら?


 腎盂腎炎(じんうじんえん)、腎結石、尿管結石などの病気の場合があるでしょう。
 また、とくに病気ではない原因として、慣れない動作や不自然な動作をしたり、過労などがあるかもしれません。
 いずれにしても、内科や泌尿器科などの専門医に診断をしてもらう必要がありそうです。

 しかし、まず腎臓を疑う必要があります。
 なぜならば、腎臓は老化の激しい器官だからです。
 腎臓のネフロンは、加齢とともにどんどんとつぶれていきます。年齢による機能低下は30歳代から始まって、50歳代になると正常な機能の90パーセント前後、さらに70歳代になると70パーセントぐらいになってしまうと言います。

 つまり、還暦を過ぎたころから若いときの3分の2くらいの能力になってしまうんです。
 高齢者が、夜間にトイレ回数が増えるのは、腎臓が尿を濃縮する機能が低下してしまったためなのです。

 一例として、尿蛋白が出て腰が痛むときの場合をあげておきましょう。
 排尿のときに、痛みを伴うこともあります。
 しかし、しばらくすると治ってしまいました。
 そんなときに測定をすると、尿蛋白が出て、血圧も高くなっているようです。
 血圧は、かつて大岩先生がくださった簡易血圧計で測り、尿蛋白は市販の試験紙で測ります。しかし、尿に泡が多いときには、蛋白が漏れだしているときが何となく多いようです。

 そのようなときは、もしかしたら腎盂腎炎が考えられます。
 私の場合は、そうでした。
 慢性腎盂腎炎は、とくに大きな症状がありません。それでも、高血圧・微熱・腹部から腰にかけての鈍痛などの症状として出てきます。
 腎盂腎炎を放置しておくと、腎臓全体に炎症が進んで腎不全になってしまいます。そしてもしかしたら、透析が必要になってしまう場合もあるでしょう。

 高血圧気味のときは、とくに注意が必要です。
 なぜならば、腎臓病と高血圧とは密接な関係があるからです。腎臓の機能が衰えると血圧はあがり、それが腎臓に負担をかけて、さらに腎臓病を悪化させるという悪循環をするからです。

 つまりそのような場合は、高血圧は腎臓病の原因でもあり、結果でもあるのです。
 早めに専門医の診察を受けるのがよいかもしれません。
 お大事に。(2006/10/18)


○「面倒くさい!」「疲れた!」=老化の兆し?


 「面倒くさい!」とか「疲れた!」を連発するようになると、老化の兆(きざ)しであるかもしれない。なぜならば、そのようなことを言う人も多いからです。

 実際に何回か経験をしたことであるが、人生のある時期には

・ 何事をするのも面倒くさくなってしまう。

・ 何となく疲れてしまって、いやになる。

というような現象があらわれるようだ。

 そんなことではダメだと思いながら、そのような状態になってしまうのはなぜだろうか。とくに、病み上がりのときのように、体力が衰えているときには、そのような傾向にあるようです。

 皆さんには、心当たりがありませんか。(2006/10/17)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  老化

 高齢になって病気などすると、てき面に体力が落ち余病を誘う。体力・気力と言うが、正に面倒だ。
 疲れた、と言う事で前へ進まなくなる。其れと風邪気に悩まされる。疲れが回復し難くなり、呼吸器が先ず一番にヤラレル。
 高齢者の死亡原因に肺炎や呼吸器不全が可也、多い。他の内臓が強力であっても、肺炎でイチコロだ。
 先ず、病気に掛からぬ事だが、70代、80代と加齢と共に、余程、規則正しい、食事に配慮した、生活を心がけねば、簡単に罹病する。



○なぜ血圧が高いといけないか?=我流恐竜学説


 なぜ血圧が高いといけないか?
 私なりの考えですから、もしかしたら間違っているかもしれません。
 キリンの血圧は300ミリくらいである。首が長く、心臓から脳までが遠いからだろう。ウマの場合は、やはり同じ理屈で180から200くらい。

 つまり、心臓から脳までの落差をカバーする圧力があればよい。
 そんな理屈で、ヒトの血圧も背丈から考えて、120ミリくらいが最低でも必要である。あまり少なくなって、最高血圧が100以下や90以下であったら、ふつう立ちくらみをしてしまう。

 また、ヒトの場合は生命保険の統計から、心臓病などで死ぬ人の血圧がわかっている。そして、そのようなことも考えて、高血圧の定義がなされている。死ににくい数字が、高血圧ではない場合である。そして、その数字を超えると、死亡率がぐんと高くなる。

 そこで、とっぴではあるが私の考え。
 大昔に恐竜がいたという。……ザウルスなどといって、おそろしく首の長いタイプである。その恐竜は、滅びてしまってもはやいない。
 もしかしたら、ネッシー湖などにまだいるのかもしれないが、ふつう見ることはできない。また、『少年王者』に出てくる恐竜のように、奥地に隠れているのかもしれない。

 それは、ともかく恐竜たちも首が非常に長いので、血圧の問題に不都合を感じるようになったのではないか。
 そして、そこで首を短くした種に変化をしていった。さらに、ついでに小型化をしてヒトと同じくらいの大きさになった。驚くことに、その進化は外面をヒトと同じようにしたのである。

 そんなわけで、近代になるとヒトの中に恐竜が混じっているのである。
 しかし、それが誰であるかがわからない。
 世の中で起こる大がかりで凶悪な事件は、ほとんどずる賢い恐竜が仕掛けて、愚かなヒトたちがそれに付和雷同する。近代の戦争なども、冷静になって考えてみると、その一件であろう。

 だから、孫子や荀子、クラウゼビッツの理論や石原完爾の世界最終戦争論などは、残念ながら当てはまらない。なぜならば、その戦略はヒトが考えたことではないからだ。

 皆さんの回りに恐竜が堂々と存在するのに、それがわからないのです。
 私は、見分け方を知っていますが、皆さんはどう思いますか。(2006/10/07)


○戦争責任=ニュースから私の思い出


 次のような記事があった。

 <岸氏の責任認める 首相「太平洋戦争開戦判断間違い」 衆院予算委  2006/10/05 23:28

 衆院予算委員会は五日午後、安倍晋三首相ら全閣僚が出席した基本的質疑を続行した。首相は、祖父の岸信介元首相が東条英機内閣の閣僚として太平洋戦争開戦の詔書に署名したことについて「政治は結果責任だから、その時の判断は間違っていたのではないかと思う」と述べ、岸氏ら当時の日本の指導者の戦争責任を認めた。

 首相は東条内閣の判断について「開戦の結果、敗戦し、多くの日本人が命を失い、家族を失った。結果としてアジアの人たちに大きなつめ跡を残した」と説明。当時の指導者について「私の祖父も含め大きな責任があった」との認識を示した。

 首相は二日の衆院本会議で、A級戦犯として極東軍事裁判(東京裁判)で裁かれた国家指導者の責任を「具体的に断定することは適当でない」と言及を避けていた。

 さらに首相は五日の衆院予算委で、従軍慰安婦問題の軍関与を認め、おわびと反省を述べた一九九三年の河野洋平官房長官談話について「私を含め政府として受け継いでいる」と述べ、個人としても認める考えを表明。「私の内閣で変更するものではない」と強調した。

 植民地支配と侵略を明記した九五年の村山富市首相談話についても「私の内閣でも生きている。私も首相であり(継承は)当然だ」と述べた。

 いずれも民主党の菅直人代表代行への答弁。>


 答弁として述べたのは、ちょっと残念であるが、それでも黙っているよりはよいかもしれない。

 岸信介さんは首相の祖父に当たるそうであるが、私の幼いころにの記憶として素晴らしい人だと思う。まだ、商工省の長官であった時代に、私の母がそこに勤めていた関係で、結婚をするときに仲人をしてもらった。

 そんなわけで、幼い私を連れてお宅にもよく遊びに行ったことがある。
 その後、私は大きくなってから岸さんの出っ歯のようなデフォルメをしたマンガ風の似顔絵を新聞などで見たが、実物は気品があってそんなふうには、子どもごころにも見えなかったと思う。

 母の商工省時代の話によると、とてもきれる人(すぐに頭がおかしくなってしまうという意味でなく、回転が早くて賢いという意味)だと言う。
 記事のような立場にいて、記事のような判断をしたことを私のようなあまり関係のない者でも、何となく残念に思う。

 前に、皆さんにメールで差し上げたように、開戦中の内閣の数が、アメリカやイギリスに比べて日本の場合は非常に多かったことなども考えると、運の悪かった人ともいえるのではないだろうか。

 なお、上記記事の引用は北海道新聞からさせていただいた。(2006/10/06)

(注) tamaさんから、次のようなコメントをいただいた。

  敗ける戦争とは夢想だに・・・。

 東条さんにしろ、岸さんにしても、当時は世界最強の軍隊を持ち、戦争で負けるとは思わず、正義、不正義に関わらず、行け行け、ドンドンで戦い、敗色濃厚な戦局になっても神風が吹き、負けるなどとは思わず、原爆喰らい、各都市を焼き討ちされ、天皇から手を挙げたのが、敗戦の実情で当時の国民全部にも責任があるが、その様に指導した、天皇、重臣達の責任は重い、A級戦犯であろうが、なかろうが、昭和の指導者は余程、世間知らずで阿呆が多かったのも国の不運でした。


 それに対して、私(rik)は次のようなコメントをした。

  勝てっこないのに。

 阿呆が多かった国の不運も、今考えると宜なるかなです。
 しかし、最初に山本五十六のように冷静な意見を言った人もいたのです。
 むしろ、国民全部の愚かなうわついた無知が、大きな原因だったのでしょう。

 そして現在も、限りない相手である病魔に対して、同じ伝を繰り返しているのではないでしょうか。
 国民総懺悔の日が近いとも知らないで、……




○健康Q&A=素朴な疑問


 健康に関して素朴な疑問を集めてみました。
 これは、実際にそのような問題をもっている人からの質問に、私なりに答えたものです。答えたと言っても、すべてが満足をした内容ではありません。

 単に、考え方の基本や常識を述べたに止まっています。
 私は医療関係者ではありませんから、治療についてはまったく知識がありません。しかし、自分自身が行っている日ごろの予防という観点から大いにアドバイスができると考えたのです。
 それでも、中にはコンニャク問答のような意味不明のものもあるでしょう。

 なお、質問をした人の文章は著作権の問題があるので、大幅に変更をしました。中には、単に骨子だけを残しているものもあるはずです。
 そんなことを承知していただき、ご参考にしてください。

 項目は、次のように分類をしてあります。

   健康Q&Aとは?
   健康や飲食物全般に関する疑問
   化学薬品や食品添加物に関する疑問
   味付けや調理に関する疑問
   食事作法・食事一般に関する疑問
   身体全体や心に関する疑問
   目や歯(口腔)に関する疑問
   鼻や耳に関する疑問
   呼吸に関する疑問
   皮膚や爪・毛に関する疑問
   内臓に関する疑問
   下半身・セックスに関する疑問
   手や足に関する疑問
   ウンコやオシッコに関する疑問
   衣服や住まいに関する疑問
   運動や遊びに関する疑問
   健康診断や薬に関する疑問
   入浴やシャワーに関する疑問
   眠りに関する疑問
   死に関する疑問
   人物や文献・資料に関する疑問
   その他、環境や予防に関する疑問

 参考にするときは、『RKOホームページへようこそ!』の「おわり」にある「健康Q&A」です。
 ご意見などがありましたら、どうぞメールをしてください。(2006/10/05)


○新たな心がけ=生まれ変わったつもり?


 10月になった。
 あれほどひどかった身体も、何とか治ってしまったらしい。
 入院をして前立腺を削ったわけであるが、それ以外の糖尿病と高血圧は自分の判断・処置で完全に治ってしまった。

 総合病院に入院をして、わかったことがたくさんある。
 私が入った病棟には、ガン患者が非常に多かった。
 二人部屋であったが、お隣のベッドの人は腎臓ガンの末期であった。したがって、私と同じ日に大きな手術をしたのであるが、術後は夜間にも1時間ごとに看護師が見回りに来た。

 私のところは、日に2回であったが、お隣は日に24回である。
 それは、他の病院から紹介があったこともあるだろうが、ガン自体で死ぬのではなく肺炎を併発するとアウトなので、注意をしているみたいだった。

 隣の部屋の人もキンタマのガンであったが、手術後はかなり注意をされていたようである。
 私のように、前立腺を削って「はい、おしまい」と言ったような入院患者は、むしろ少ないようだ。

 手術後、数日でカテーテルがすべて取れたので、内科の病棟に探検をした。もしかしたら、大岩先生が内科か脳外科に入院をしておられるのではないかと考えたからだ。

 そして、ナースステーションの前のたまり場で、患者たちの話を何となく聞いていると、糖尿病の人がものすごく多い。ただ、糖尿病というのではなく、その合併症である。

 ガンも糖尿病も、あまり痛みを感じないようだ。つまり、なっても気がつかないままに、末期症状になってしまう。
 とくに、ガンは手遅れになると問題である。それまでになかった痛みが、死ぬ前の数週間は激しく続くからである。

 糖尿病にしても甘く考えて重傷になると、失明をしたり、人工透析になる。また、足の壊疽のために膝下の切断をした人もいるという。

 まったく、ガンも糖尿病もおっかない病気である。
 また、いずれも費用が高額にかかるので、かかると国家的に大きな損失をすることも事実らしい。
 つまり、どちらの病気も国や回りに迷惑をかけるのである。

 しかし、ガンにしても糖尿病にしても、「ならなきゃならない」という病気ではない。ちょっと注意をすれば、発病をしなかったり、治ってしまうことも事実であろう。

 例えば、ガンの場合は化学薬品を体内に入れないようにしたり、糖尿病の場合は食事療法と運動療法で避けることができる。それらは、日常のちょっとした注意である。

 これからは、健康に留意をして体調不良にならないようにしようと思う。
 皆さんも、お大事に。(2006/10/01)


Kuroda Kouta (2006.10.01/2007.09.12)