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 戯れ言2 2006年07月から2006年09月分


○新しい価値観=今までのは間違っているんじゃないか?
○パソコンの人間ドック=ウイルススキャン
○糖尿病など何のその!=昔の大食い
○臼井と薄井、多摩と多磨=玉野黒田
○骨粗鬆症!=永年の勘違い
○和歌における死生観=死後をどう考えたか?
○なぜ食い改めなければならないか?=恐るべき計画
○食い改めよ!=今からでも遅くない
○エミとの決別=卵と牛乳の忌諱
○アロリンのお陰=何とか回復・カムバック
○サイレント・キラー=糖尿病にご用心!
○ただ白骨のみぞ残れり=蓮如の御文章
○人間五十年夢幻の如く=織田信長の『敦盛』
○もじゃもじゃピーター=ほっておくとどうなるか?
○なるべくしてなる?=わかっちゃいるがやめられない!
○味気ない生活=慣れてもともと
○ガンにならないためのライフスタイル=今後のテーマ
○大スリム化(2).=生き残ったQ&A
○大スリム化(1)=ホームページの縮小
○薬と自癒=理工式健康法
○私が知った親友たち=糖尿病と歯周病
○地図を見る楽しみ=サテライトの素晴らしさ
○ダラダラ化マンネリメール=生きている証明
○ペットボトルvs水道水=いずれがよいか?
○野獣のように=ホメオスタシス回復法
○太っていること=デブのハンディ?
○標準体重と肥満度=本当にできるかなぁ?
○玉木さんのメールで大発見!=牛乳の話
○散歩コースと運動場所=ミニ散歩と階段運動
○クレオパトラの夢=拾った楽しみ
○ひたひたとおろおろ=ウロバックの観察
○さびしい・一人ぽっち=二冊の本に心当たりはありませんか?
○スリム化?=減れば減るもの
○高橋不動産・ナルヘソ=ロマンチスト
○ハイパーリンク=帯に短し たすきに長し
○スパムメール=その傾向と対策
○身体の異変が勃発=合併症に注意!
○病の器でも、くさらないぞ!
○ダブルパンチ=糖と蛋白
○オシッコの話=前立腺肥大症の参考
○あなたが中高年の男性ならば?
○くちゃくちゃ
○サリエリとフンメル
○在家勧行集
○梵鐘
○ツイアビ・イエス・ソクラテス
○チリも積もればスレッショルド
○芸術工房
○似て非なるもの
○運転免許証の更新
○カキクケコは嫌い
○熟れたオリーブの実
○陶淵明
○飲料水について
○病気は病気を呼ぶらしい?
○生死(しょうじ)の問題?
○ガーベージコレクション
○カイライカシンコウチュウ?
○歎異抄
○面倒くさい、億劫だの世代
○正論・両論・反対論
○はめまらとむしむだ
○慣れの不思議?
○ホームページは何で作ったらよいのか?
○自炊と外食、飲み水などについて
○歯周病と糖尿病は同じ穴の狢か?
○身体の内部がブヨブヨになって入院?
○度忘れ・失念・パラノイア
○マンネリの意味?
○人生と死後


○新しい価値観=今までのは間違っているんじゃないか?


 すばらしい時代である。
 科学技術や医療が進んで、快適な生活が実現できる。
 そんな中で、考え方については何かの問題があるようだ。つまり、価値観が間違っているために幸福になれないのである。
 私が日々健康で幸福そうに見えるためであろいうか、よく理由を聞かれる。しかし、私の考えをくどくど言っても、わかってもらえないだろう。

 こんな本があった。その「もくじ」には

・ 石の箱、石の割れ目、石の島、そしてその中に何があるかについて
(ヨーロッパの近代的都会のことを言っています。)

・ 丸い金属と重たい紙について
(むろん、貨幣と紙幣のことです。)

・ パパラギにはひまがない
(あわただしく活動するのが習慣になっている愚について。)

・ まやかしの暮らしのある場所について・束になった紙について
(家畜が飼われているのと同じ? 新聞の愚かさについて。)

・ 考えるという重い病気
(考えなくてもよいことをくどくどと考える愚かさ。)

・ パパラギは私たちを彼らと同じ闇の中に引きずりこもうとする
(自分自身に自身がないので、他の賛同者を作ろうとする愚。)

などと並んでいる。
 なお、かっこの中は意味がわかりやすいように、私が補った部分である。

 私は、それらを読むたびに考えさせられる。
 「石の箱、……」「……ひまがない」「考える……」「……同じ闇……」については、朗読のカセットテープももっている。
 だから、眠る前に聞いたりもする。

 何回読んでも、何回聞いても、つくづくと自分自身や現代社会を考えさせられてしまう。そして、そんな中で私一人だけでも新しい幸福で健康な価値観を作ろうと思う。

 あなたは、どう思いますか。
 もしも、この本をまだ読んでいなければ、ぜひ読んでみてください。
 おそらく、残りの人生が私と同様に、素晴らしく豊かで楽しく、健康なものになるでしょう。(2006/09/30)


○パソコンの人間ドック=ウイルススキャン


 私は、毎週の金曜日にウイルススキャンをする。
 3年以上も使っている富士通のノート(FMV-BIBLO NB16C)と1年前くらいに買ったDELL(DIMENSION 8400)のデスクトップの2台があって、午後8時になったら同時にオートスタート。

 ノートとデスクの作業の一例(2006.08.11実行)は、次のとおりだった。

              ノート(富士通)      デスク(DELL)

終了時間(作業時間) 9時15分(1時間15分) 8時25分(25分)

スキャンファイル数   296,992          69,691

ウイルス検出       0              0

スパイウエア等検出   測定不能         0

 考えてみれば、ずいぶん無駄な時間を使っていることになるわけだ。
 私一人ならまだしも、ユーザすべてが行うとしたら日本国経済の損失は計り知れないだろう。
 そんなために、ここのところノートのほうは使っていない。
 面倒なことが大嫌いの私にとって、しなくてよいことはなるべくしないでおきたいからだ。

 人間ドックは、身体の不調を調べたり、潜んでいる病気を発見するのであるが、ちょっとウイルススキャンとも似ているのでないか。人間やパソコンなど、国の資源が効率よく働くためには、早急に律法も整備をしなければならないと思うのだが。
 いかがなものであろうか。(2006/09/29)


○糖尿病など何のその!=昔の大食い


 今は昔、三条中納言という人がいた。
 非常に賢い人で、深い知識をもった貴公子であった。しかし、まだ現代のように健康に関する知識がなかったので、何が問題なのかわからないままに、残念なことに桁外れのデブであったそうな。

 しかし、何とも不格好なので名医を呼んで、相談をした。
 その名医は、言った。
 「栄養の取りすぎでいらっしゃいます。」

 中納言は、
 「何を食べたらいいのか?」
と聞いた。
 すると、
 「水漬けにして、味を薄くして食べてください。
と言う。

 中納言は、
 「そうしているんだがなぁ」
と言って、
 「これから食事をするんだが、見ていてくれ。」
と名医に頼んだ。

 そして、食事である。
 名医が見ていると、瓜の塩漬けが十本ほど、そして鮎の酢でしめたものが三十匹あまり。それを大きな椀に盛った飯といっしょにものすごい速さで食べる。飯のお代わりも四、五回した。

 そして、またたく間に全部を平らげたのである。
 さらに、次のおかずを命じている。

 名医は呆れかえって、ほうほうのていで逃げ出した。
 水漬けは低カロリーであるが、その分量が尋常ではない。とても、治療など自分ではできないと思ったわけである。


 以上は、『今昔物語集』巻第二十八「三条中納言水飯を食ふこと」を私なりに現代語にしてみた。当時は、知識階級にもデブがたくさんいたのである。
 もっとも、近代になっても吉田茂やヒッチコックのような賢いデブもいるので、いちがいにデブが愚かだとも言えないのではないか。(2006/09/28)


○臼井と薄井、多摩と多磨=玉野黒田


 「臼井」という苗字と「薄井」という苗字がある。
 また、「多摩」と「多磨」がある。
 私の住んでいるのは「多摩市」であるが、府中の自動車運転試験場があるのは「多磨町」である。その向かいにある「多磨墓地」も、同じ地番であろう。
 また、北原白秋が主催をして宮柊二さんや三木アヤ先生が参加をした短歌の同人も「多磨」であった。

 入院をした病院に「みの」さんという看護師がいた。
 最初、どんな字を書くのだろうと考えた。おそらく「美濃」か「三野」ではないかと思った。しかし、後で「簑」という字を書くということがわかった。
 難しい文字で漢字で書いても、ふつうでは読めないでしょう。
 「簑笠(みのかさ)」の「みの」であるし、蓑虫(みのむし)の「みの」でもある。もしかしたら、健康のテレビ番組をやっている人の苗字も、この「簑」かもしれない。

 簑も笠もいまでは着ないし、虫もミノムシと片仮名で書くので読めないのがふつうであろう。私は芭蕉の句集に、たまたまこの字があったので覚えていた。「初しぐれに、猿が簑を欲しがっている」というのである。

 そんなわけで、読みにくい文字には、ぜひふりがなを振って欲しいところである。もしも、小さいルビにするのが面倒であったら
  振仮名(ふりがな)
のようにカッコに入れていただいてもよいだろう。

 多摩市の市長に、臼井千秋という人がいた。
 汚職をしてやめた理工学部の私の先輩の富沢さんの後でなった人で、女の名前のようではあるが男性である。その人の顔かたちが私と似ていたので、私は3回ほど間違えられたことがある。
 また、多摩市のマンホールに「うすい」と書いてあるのがある。それは「雨水」のことであろう。

 鴫谷亮一(しぎや りょういち)さんの「脳卒中予防対策のすべて」という講演を聴いていたら、つい「血管の欠陥」という言葉を使ってしまったらしい。しかし、すぐにわかりやすく補足をしていた。
 動脈瘤やくも膜出血の説明の中である。

 また「糖尿病の食事療法」のときは、講演者の名前を控えなかった。
 そこで、糖尿病センター所長の「平田ゆきまさ」先生や栄養科長の「うす井あき子」先生の名前をどう書くのかは忘れてしまった。
 しかたないので、あとで上のように見出しを付けたのではあるが、何となく不細工である。

 電話をもらったときに、ちょっとまごつくこともある。
 臼井清という人と薄井健蔵という知り合いがいるからだ。そして、互いに声がそっくりなのである。

 私は、電話をかけるときに「黒田です」とは言わない。
 たいがいは、「多摩の黒田です」とか「健康会の黒田です」などと言う。
 しかし、町田にすんでおられる玉野さんにかけるときは違う。
 玉野さんはソニーに定年までいて、国鉄の技研に電子回路の指導に行ったり、学校の時間講師をしていた。そして、π(パイ)の値を1万桁言える人の知り合いで、ご本人も500桁くらいは覚えているそうだ。

 そんな話題から、蒲田の電子工学院で親しくなった人だ。
 その人に電話をするときに、私は「聖蹟桜ヶ丘の黒田です」という。
 いつものでんですると「多摩の黒田です」が何となく、「玉野黒田です」と聞こえるからである。(2006/09/27)


○骨粗鬆症!=永年の勘違い


 今日の4時半に、VITA7階に三田さんが来た。

 三田さんは、ここのところ骨粗鬆らしいと言う。医者に行って相談をしたが、具体的には何をどうしていいかわからないそうだ。また、症状がよくなったというわけでないらしい。

 私は、治療などについてはまったくわからない。ただ、その予防策については、いままでの学習からほぼ完全にわかっているのではないか。

 彼女は毎日のように牛乳を飲んでいたから、大丈夫と思ったと言う。
 確かに、牛乳にはカルシウムが含まれているだろう。しかし、それを私たちの体が消化して、体内に吸収できるということとは違うと思う。

 例えば、鉄が不足したとしよう。
 そんなときにパチンコの玉を5個ほど飲んで、鉄を補給したと考えるだろうか。おそらく、そんなバカな人はいないし、そのまま便になって出てしまうに違いない。

 カルシウムは、元素表から考えると金属である。
 したがって、鉄と同じような理屈になるであろう。
 鉄の場合は、鉄鍋で料理をして微少な量が溶け出し、それをスープとして飲んではじめて吸収ができるのである。パチンコの玉のままでは、まったく無意味であろう。

 鉄は、日本人の腸が消化をしやすい。しかし、カルシウムの場合はどうであろうか。そんなことを話したのではあるが、私は医者でないので学問的なことはわからない。ただ、自分自身が行っている方法を言っているまでである。

 牛乳については、前にメールをしたので説明を省略する。
 また、カルシウムを補給しやすい食品を見本として三田さんに渡しておいた。薬ではなく、あくまで自然の産物である。また、ふつうスーパーで売っている物とは異なって、塩素で漂白をしていないものである。

 来週は、総合病院で一緒だった鈴木さんの母上が来るという。
 ガンについての相談である。
 これも、私が前立腺を削除したところ、まったくガンがいなかったらしいので、食生活をどうしているかということから始まった話題である。

 ガンの恐ろしさについては、私もかねがねわかっていた。
 そして、今度の入院で癌患者を多く目(ま)の当たりに見て、つくづく恐怖を感じた。考えてみると、私のような前立腺肥大症だけの患者のほうが、むしろ少ないからである。

 そんなわけで、ガンの研究を改めてしようとしていたところであるから、聞いてくれると大いに有難い。ノアの箱船ではないが、不注意だとほとんどの人がガンになって助からないというような統計上の数字になっている。

 癌研で順番を待っていると、命が助からないというような繁盛ぶりである。また、癌の手術ができない病院もあるという。そんなところから、次々と患者が回ってくる。同室の隣のベッドのい氏も末期の腎臓ガンであった。隣室の鈴木さんの息子さんは、キンタマの片方が小玉スイカくらいの大きさになったところであった。

 癌という字は、品物が山ほどあるという意味であろうか。
 現在は、食品に化学薬品を混入して用いる量も、人類の歴史上になかったほどである。そんなわけで、結果は好ましくなく、おそらく助かる人は少ないかも知れない。

 その助かる方法を私は学び始めたところなのである。(2006/09/26)


○和歌における死生観=死後をどう考えたか?


 ここに和歌を引用して、古い時代に死後のことをどう考えたか、私(rik)なりに想像をしてみよう。

・ あはれあはれ この世はよしやさもあらばあれ 来む世もかくや苦しかるべき−−西行法師『山家集』
(「ああ、この世はままよ」だ。どんなに苦しもうと、それは仕方ない。しかし、来世でも苦しまなければならないのだろうか?)

・ あらざらむ この世のほかの思ひ出に今ひとたびのあふこともがな−−和泉式部『後拾遺集』
(私は(重病なので)もはや生きていられないでしょう。だから、あの世での思い出のために、もう一度あなたに会いたいのです。)

・ 鵜飼ひはいとほしや 万劫年経(ふ)る亀殺し また鵜の頸(くび)を結(ゆ)ひ現世はかくてもありぬべし 後生わが身をいかにせむ−−歌謡『梁塵秘抄』
(鵜飼いの自分は不憫だ。餌にするために万年も生きる亀を殺し、鵜の首を縛って鮎を捕らせる。現世でこんな殺生をしていると、後生で地獄に落ちるんじゃないか?)

・ なにせうぞ くすんで一期は夢よ ただ狂へ−−歌謡『閑吟集』
(なんだなんだ。生真面目に。人生なんて、夢幻(ゆめまぼろし)だよ。ただ狂ったように生きればよいじゃないか。)

・ 仏は常にいませども うつつならぬぞ あはれなる人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ−−歌謡『梁塵秘抄』
(仏は常にいるんだけれども、目の当たりに拝せないので憐れだ。しかし、ぐっすり眠っている明け方に、夢の中にいらっしゃる。)

・ 世の中に さらぬ別れのなくもがな千代もと祈る人の子のため−−『伊勢物語』
(現実の世に避けられない別れである死がないといいんだがなぁ。千年も長生きをしてほしいと祈っている人の子のために、……)

・ 世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる−−よみ人知らず『古今集』
(現世は、いったい何が常住不変であるのだろうか。飛鳥川では、昨日は淵であったところが、今日は浅瀬になっているじゃないか。)


 上の和歌に対して、私はいろいろと言いたいことがあるが、いずれまた別の機会にしよう。(2006/09/26)


○なぜ食い改めなければならないか?=恐るべき計画


 タイトルのような疑問をもつ人が、もしかしたらいるかもしれない。
 しかし、現実を理解すると当然のこととわかる。
 おそらく、私がたまたま知り得たような『旧約聖書』や『ギルガメッシュ』に書かれているような恐ろしい秘密までを知っている人は、あまり多くはいないであろう。

 したがって、そのような人類支配の野望などのことを考えなくても、うわべだけを観察してみよう。
 私は、ここ数日間ほど入院をした。そして、起こっている現実を知ったのである。

・ 外来患者で、どの科も門前市をなすほどである。
 すでに朝の8時頃から患者が集まって、自分の順番を待っている。

・ 手術を待っている人が、何と多いことか。
 患者の中には手術が必要であって、それを待っている人も多い。

・ 救急病院であったので、ひっきりなしに救急車がくる。
 中には、すでに死んでいて応急処置をされることなく、放置されたものもあるようだ。

・ 入院をしてみてわかったこと。
 ガンの患者が意外に多い。私は前立腺肥大症であったが、前立腺ガンや腎臓ガン、肺ガンの患者もかなりいた。

 隣のベッドの人は腎臓ガンで、他の病院から回されてきた。
 隣室の若い人は、キンタマの片一方が小玉スイカのように大きくなって、早く処置をしないといけないので、癌研からの紹介で来たそうだ。その母上から聞いた話。

 その他、入院している人の半分ぐらいは悪性腫瘍。
 でも、ここにその症状などは書いても仕方がない。

 それよりも、それらの人と話してみて、わかったことがある。
 それは、食べ物の選択がよくなかったということだ。(2006/09/24)


○食い改めよ!=今からでも遅くない


 『ルカによる福音書』第十三章に【悔い改めないと滅びる】というテーマで、次のような文章がある。

 <01 ちょうどそのとき、ピラトがガリラヤ人たちの血を彼らの生け贄に混ぜたという報告を誰かがした。
02 イエスは、答えた「あなたたちは、彼らがこのような災難に遭ったからといって、これらのガリラヤ人たちが、他のすべてのガリラヤ人たちよりも罪人だったと思うのか?
03 あなたたちに告げるが、そうではない。むしろ、あなたたちも悔い改めなければ、皆が同じように滅びるだろう。
04 あるいは、シロアムの塔が倒れて押し殺されたあの十八人は、エルサレムに住むすべての人たちよりも違反の多い者だったと思うのか?

05 あなたたちに告げるが、そうではない。むしろ、あなたたちも悔い改めなければ、みな同じように滅びるだろう」>

 上の文章で最初に付いている数字は、整理用の節番号である。
 私は、次のように言いたい。

 「01 ちょうどそのとき、三田さんが化学調味料の粉を彼らのオードブルに混ぜたという報告を誰かがした。
02 私は、答えた「あなたたちは、彼らがこのような災難に遭ったからといって、これらの病人たちが、他のすべての多摩市民たちよりも不注意だったと思うのか?
03 あなたたちに告げるが、そうではない。むしろ、あなたたちも食い改めなければ、皆が同じように滅びるだろう。
04 あるいは、救急車で運ばれて入院したあの三人は、多摩市に住むすべての人たちよりも食べ物の悪い者だったと思うのか?

05 あなたたちに告げるが、そうではない。むしろ、あなたたちも食い改めなければ、みな同じように滅びるだろう。」

 私は、何回でも言う。
 第十七章にある【つまずきと石臼の忠告】のように、

 「04 彼が一日に七回、間違った物を食べ、七回戻って来て『食い改めます』と言ったとしたら、彼を許すでしょう。」

 なぜならば、下記にあるような元来神が作ったものでないものを食べ続けているからです。
 もう一度言う。今からでも遅くない。食い改めよ! (2006/09/21)


○エミとの決別=卵と牛乳の忌諱


 当面、糖尿で、とうとう逃避。いくつか品目があるが、例えば卵と牛乳。
 重度の糖尿にかかって、いろいろと考え方が変わったからだ。

 昔から卵には、コレステロールが多いという。
 そして、一日に2個以上食べないほうがよいとも言う。実際に「糖尿病の食事療法」という講演では、「一日に一個以内」と強く言っていた。

 牛乳についても、いろいろな疑問がある。
 真弓定夫先生のホームページを見ると、なかなか説得力のあることが書いてあった。かねがね私(rik)が考えていることと同じであり、理路整然としていてなるほどと思った。

 牛乳についても「糖尿病の食事療法」という講演で、「一日に200ccまで」と念を押すように言っている。あまりたくさん摂ると、おそらく身体に悪い結果が生じるのかもしれない。

 そこで、私と妻は「卵と牛乳」をやめることにした。
 当分の間、テストケースの新しいメニューとして

・ 卵の代わりに、豆腐・納豆(いずれも遺伝子組み換えでない大豆使用)

・ 牛乳の代わりに、プレーンヨーグルト(甘みや香りの付けてないもの)

とすることにした。

 ただ、上記はあくまで個人的なことであって、誰もがそうすればよいなどとは決して言ってはいない。
 例えば、お釈迦様は断食をしても悟りを開かなかったという。そして、スジャータだったろうか、女の子の差し出す牛乳の加工品を飲んで、元気を回復されたと記録に残っている。

 そして、『涅槃経』には

 <牛が乳を出すように、乳より酪(らく)を出し、酪より生蘇(せいそ)を出し、生蘇より熟蘇(じゅくそ)を出し、熟蘇より醍醐(だいご)を出す。この醍醐は、最上である。>

と書かれている。

 乳から醍醐に至る行程が書かれているが、いわゆる牛乳からカマンベールを作るようなものであろう。乳製品が製造の過程で次第に凝縮されて、最後においしいチーズになる。
 「醍醐味」という言葉は、これによるのだろう。

 そのようなことを考えると、必ずしも牛乳をそのまま飲むような習慣は外国にもなかったのかもしれない。第一、母乳に比べると牛乳は糖質が1.5倍、たんぱく質やカルシウムなどのミネラルは1/3。これでは、小牛の成長にはいいだろうが、そのままでは人間の赤ちゃんには都合が悪い。

 そんなことを考えると、どうも牛乳を飲むのは不自然のような気もするが、いかがなものであろうか。

 私は、闘病のために当然のことではあっても、「卵と牛乳が、身体に悪い」などと堂々と意見を言うことには自信や勇気がない。日本の医学会には、まだ言ってはいけないことがたくさんあるようだ。

 非常に清純な作品を多く残した外村繁(とのむらしげる)が、ガンで死んでいく奥さんのことを書いた私小説『夢幻泡影』(むげんほうえい)がある。このタイトルは、むろん金剛般若経によるものではあるが、外村は滝井孝作の『夢幻抱擁』にヒントを得たと言っている。

 その中に、こんな記述がある。

 <しかし、妻はやはり昏々と眠ってゐた。留守中に小野医師の来診があった由を長男が告げた。
 「父さんが外出などしては、いけませんて」
 「へえ、そんなに悪いのかな」
 「さうらしいです。いつ、どんなことが起こるかも知れないさうです」
 「さうか」
 「明日、滋養物を口から注入されるさうです。卵と牛乳を用意しておくやうに、言はれました」
 「卵と牛乳とね。味など判らんだらうね」
 「そんなもの、判りませんよ」
 「さうか」
 私は妻の枕元に腕を組んで、座り込んでしまった。いかにも腕を拱(こまぬ)く、とはこのことと思はれた。>

 なお、外村自身もガンが悪化して58歳で亡くなった。
 私(rik)の大好きな作家であるが、……

 ちょっと古い話だが、1928年(昭和3年)発行、1939年(昭和14年)再版の石塚左玄の本に、最初は彼の食養指導にしたがわなかった青年に対して、後日談の記述がある。
 その青年は、後で左玄の指導にしたがって回復をしたのだが、

 <牛乳玉子粥製大病青年、児玉勝助は今日もう古稀になって、国民保険の為に身を賭している。>

というような内容であった。

 左玄が、「赤飯を食べなさい」と言ったのに対して、勝助は「牛乳と卵」で作った粥ばかりを食べていたからである。そんなものを食べていれば、決して「健康を回復することができない」と左玄は言いたかったのだろう。

 ここで国民保険というのは、「国民の健康」という意味であって、健康保険のことではない。
 なお、この本の再版のなされた年は、私(rik)の生まれた年である。

 話を戻して、玉木さんのメールにもあったが、牛乳について発言をされている真弓定夫先生は、ずいぶんと勇気のある人だと思う。医者の立場で意見を言っているのだから、なおさらである。

 私は、かなり以前に化学薬品症候群について大手のサイトで発言をして、数週間の出入り差し止めになったことがある。そのときは、やっぱり日本の産業界にとっても、公然と言われては困ることがあるんだなぁとつくづく思った次第。

 そして、立正大師のように、私にも度胸があればよいとも考えた。本当は、信じていることがあれば、たとえ殺されても言うべきであろう。しかし、信仰に近い信念などをもたない私は、脅かされるとすぐに黙ってしまう。

 また、医者でも薬剤師でもない桜沢如一が、健康について一つの理念を打ち出したように私も努力をしてみたが、残念ではあるがムリであった。さらに、及川裸観のように冬でも薄着をして歩いてみたが、多くの人に笑われてやめてしまった。
 まったく、我ながら情けない次第である。

 だから、「卵と牛乳」などという目立つタイトルにすることは、ちょっとおっかなくてできないのである。自分でタイトルの内容を忘れないために、こそこそと仮に「エミ」としたのである。
 「エッグ(egg)」と「ミルク(milk)」のムネモニックである。(2006/09/11)


○アロリンのお陰=何とか回復・カムバック


 臼井さんが「アロリン」という名前を付けてくれた。
 アロエとリンゴの生ジュースである。
 私は、これを常用することによって、何とか重度の糖尿病から回復をしたみたい。そして、日々の生活が以前のようにカムバックできるかも?

 アロエベラは、タキイと坂田とで買ったものを2年以上もかけて養生をして、化学薬品を取り除いた。たいがいのものは観賞用として売られていて、化学肥料が多量に用いられているからだ。そのまますぐ食べてしまうと、アトピーなどの複雑な症状を起こす。

 キダチアロエは、知人からいただいたものであるが、やはり長期間の養生をした。アロエベラよりもちょっと苦さが強いようだが、それはそれでなかなかおいしい。小さい葉のときは、アロエベラとキダチアロエを少しずつ混ぜて用いてもよい。

 アロエの成分は、もしかしたら体内に蓄積している毒物を取り除いてくれるのかもしれない。便秘などにもならないし、そうかと言ってお腹がくだったこともない。いわゆる快腸なのである。

 大きくなった葉(というか枝かな)を次々と取っていくと、やがてなくなってしまいます。しかし、次々と新株が育つので不足をしたことはない。まったく、費用のかからない素晴らしい健康法である。

 なお、リンゴのほうはとくに低農薬で作った青森や長野などの生産者と契約して、年間を通じて仕入れている。だから、リンゴだけを食べるときも、洗っただけでそのまま皮をむかないでも、何とか大丈夫。
 とてもみずみずしくて、おいしい。
 皆さんも、ぜひアロエやリンゴを活用してください。(2006/09/10)


○サイレント・キラー=糖尿病にご用心!


 「サイレント・キラー」という言葉をご存じですか?
 相手に気づかれないように黙って忍び寄り、一気に目的を達成する殺し屋のことです。おそらく、イメージとしては黒い衣服を着ているのでしょう。カフカの『審判』に出てくるように、二人コンビになっているのかもしれません。

 糖尿病は、恐ろしい病気でもある。
 なぜならば、自覚症状がなく進行するからです。放置しておくと、他の重大な病気も併発して、どんどん悪化していく。そして、取り返しのつかないことになってしまう。

 一気に、合併症の心筋梗塞などで殺されることもある。
 しかし、じわじわと苦しめられることも多い。
 例えば、その非常に多いパターンは、失明をしてしまうことである。またその前後に、同時に人工透析になるのも時間の問題であろう。さらに、おまけとして壊疽から、足の切断などということにもなってしまう。

 でも、早めに気が付けばキラーから逃れられて、治るようでもある。
 私は、糖尿病の食事療法をやってみた。
 そして、何とか治って失明の危機もまぬがれたようだ。

 ここに、その発見方法と対策を記しておきましょう。

(1) 定期的に尿の検査をする。

 薬局に尿糖試験紙というのがある。
 さらに、尿糖と尿蛋白とが調べられるものもあるので、ついでに蛋白も見ておくのがよいでしょう。なぜならば、糖尿病の最初は尿糖が出るが、進んでくると蛋白が出てくるようになる。

 私の場合、体重を大幅に減らすとともに、清涼飲料水などの甘い飲み物をやめたら、しばらくして尿糖は出なくなった。しかし、蛋白質が次第に少しずつ出るようになった。

 そのようになると、最初の食事療法と異なって蛋白質を避け、むしろ糖分を摂るように注意をしなければならない。まったく、逆の食事になってしまうので配慮が必要である。
 糖を避け蛋白をとり続けると、ますます悪化をしてしまう。

 なお、実際には尿の中の糖ではなく、血液中の糖を調べる必要がある。しかし、自分で血液を調べるのは面倒であるから、近くの医院に「かかりつけ医」のような形で、定期的に通うとよいでしょう。

(2) 身体が疲れやすいときは、生活に注意をする。
 食べても食べても、何となく身体が重いなどというときには要注意。おそらく代謝がうまくいっていないからでしょう。
 また、身体が標準体重以上であるときは、何としてでも減らさなければなりません。体重が多いままだと、血圧なども高くなってしまうからです。

(3) 甘い物と塩からい物は食べない。
 むろん塩は摂取しないようにする。とくに塩分は高血圧にも関係があると言います。佃煮、塩辛、漬け物などにも配慮が必要です。

 いっぽう、糖分もとくに摂る必要がありません。また、飲み物も砂糖が入っている清涼飲料水などはやめたほうがよいでしょう。なぜならば、長い間飲み続けると、少しずつ摂取をしてしまうからです。

(4) 化学薬品を食べないようにする。
 体内に入った化学薬品などは原因不明の複雑化を身体にもたらして、まったく快復を望めなくしてしまうからです。

 以上は、私の場合のパターンですが一般的なことでもあるようです。むろん個人差があるので、一概には言えませんが、皆さんも気をつけてください。
 お大事に。(2006/09/09)


○ただ白骨のみぞ残れり=蓮如の御文章


 <夫(それ)人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)。まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりというふ事をきかず。
 一生すぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
 我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。
 すでに無常の風きたりぬれば、すなはち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりて、嘆き悲しめども更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて、夜半(よわ)の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふも中々愚かなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかく頼みまいらせて、念仏まうすべきなり。あなかしこあなかしこ。>

 蓮如の御文章である。
 一部の文字を漢字にしたり、句読点を増やしたり、現代語に変えさせていただいた。
 私は、この文章を葬式などで聞くと、人が次々と死んでいくことに無常を感じる。とくに、死者が若かった場合には格段である。

 父が仙台の大学に行って、新年の初講義前日に森重旅館に泊まり、そこで脳卒中で倒れて死んだ。満61歳であった。そして学校葬になったときも、この御文章が読まれた。そのときの僧は、「六親眷属あつまりて」ではなく「六親眷属あつまって」と読んだのを覚えている。

 そんな些細なことを記憶している反面、学長の顔や式場になった大きな公園に隣接した寺の光景などは忘れてしまった。ただ、とても寒かったことも、よく覚えている。

 蓮如は真宗中興の祖とも言われ、諡号(いごう)は慧灯大師。(2006/09/08)


○人間五十年夢幻の如く=織田信長の『敦盛』


 <思へば、この世は常の住み家にあらず。
 草葉に置く白露、水に宿る月より、なほあやし。
 きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
 南楼の月を弄(もてあそ)ぶ輩も、月に先つて有為の雲にかくれり。
 人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
 一度生を享(う)け、滅せぬもののあるべきか。>

 読みやすくするために句読点などを補いましたが、織田信長が好んで舞ったと伝えられる『敦盛』です。能じゃなかったと思いますが「出典は何か」また「きんこく」の意味も、私はわからないのです。

 「謹告」なら「つつしんでお知らせする」という意味だし、「金穀」ならば「金銭と穀物」という意味である。しかし、ひらがなで書いてあるので何を意味するのだろう。もしかしたら、写し間違えたのかもしれない。

 しかし、その原典は『平家物語』にある次のようなストーリ。
 これは、何回も読んでいますので大丈夫でしょう。

 熊谷次郎直実と平家の若武者・敦盛との一騎打ちがテーマ。直実は、相手の兜(かぶと)を取ると自分の子くらいの年齢であったのに気づき、助けようとしたが敦盛は散ることを望んだ。

 「夢幻泡影」(むげん ほうよう)という言葉がある。金剛般若経に出ている言葉である。人生というものは、夢のようでもあり、幻のようでもある。さらに、泡のようにはかないもので、影のようにとらえどころのないものだという意味。
 つまり、「如夢幻泡影如露亦如電」(にょむげんほうよう にょろやくにょでん)の一部を取った言葉であろう。

 私小説家である外村繁(とのむら しげる)の作品にも似たようなのがある。親鸞の研究者であったが、『夢幻泡影』という作品だ。
 確か、奥さんが亡くなったときの一部始終を連ねたものだったと思う。
 そこには、奥さんが綿入れ仕立ててくれた布団のことが、切々と記述されていて、読んでいて自分自身がそこに置かれたような気がした。

 外村の小説には、親鸞を始め仏教、さらにはキリスト教の教えが含まれている。だから、読者の心の琴線に触れるのであろう。(2006/09/07)

(注) tamaさんから、上の記事に対して、次のようなコメントをいただいた。

 夢幻

 振り返れば、この世に生を受け、何とはなしに時が過ぎ、我に帰ると愕然とする。
 俺は何処から来て何処へ帰るのか、と言う、何処かで聞いたような、セリフが頭の中を過ぎる。先日も、葬祭場で義母の亡骸を焼却、骨となった姿を見て、彼女が辿った過去が脳裏を去来、何と人間は果敢ないものと漠然と思う。
 さて自分は?間もなく義母の後を追うのだろうが、どうやら、簡単には冥土へは行けない様子だ。癌を押さえ込みながら下血を繰り返しながらも、入院するほど、弱ってもいない、働くのは無理だろうが、動ける、車椅子も不要、階段も手すりに縋る必要も無い。
 多少の物忘れは頻発するが、暫時、思い出す事ができる。
 物食いは旺盛だ、抑えるのに苦労する、考えるまでもなく、何も有益な事は出来ないが、生きている。季節は急激に秋めいてきた。
 今年も、どうやら、生き延びる事が出来そうだ。



○もじゃもじゃピーター=ほっておくとどうなるか?


 「もじゃもじゃピーター」という本がある。
 ものぐさのピーターは、爪も切らないし、髪も伸ばしたまま。
 やがて、爪は伸び放題、髪は地面に付くほどの長さ、大変なことになる。

 この本は、海軍で有名だった「いとうようじ」さんがドイツに行ったときに見つけて、帰国後翻訳をした。いま、私は「いとうようじ」さんの漢字綴りを正確には覚えていない。
 「伊藤」か「伊東」だったかも、「ようじ」というお名前も忘れてしまった。

 ご子息には会ったことがあるが、ご本人には面識がないからだ。
 でも、海軍の技術将校であられた高橋勘次郎さんが、よく話題にしていたのを覚えている。戦後、いちはやく電子メーカーを設立して、成功をされたからである。

 千葉御宿の「月の砂漠」博物館のある近くに「いとうようじ」さんの記念館があって、そこにその本が置いてあった。なかなか説得力のある内容で、小学校のテキストとしてもよいだろう。
 大岩先生の東北大時代の同級生であるご子息に、かつて案内をしていただいた。

 それはともかく、ほっておくと伸びるものは何とかしなければならない。手入れというか、メンテナンスが必要になるゆえんである。
 
 例えば、

(1) 爪が伸びる。

(2) 髪の毛が長くなる。

(3) 前立腺が大きくなる。

のような場合である。

 (1)は、自分で切ればよい。簡単だからである。

 (2)は、ちょっと自分自身ではできない。そこで、床屋さんに行って、散髪をしてもらう。むろん、費用がかかる。

 (3)は、もはや自分自身ではいかんともしがたい。
 したがって、専門の病院で手慣れた医師に手術をしてもらうしかない。内視鏡を見ながら、身体の一部を削るなどということは、素人にできることでないからだ。(2006/09/06)


○なるべくしてなる?=わかっちゃいるがやめられない!


 意志の弱い私には、なかなかできなかったことがある。

・ 化学薬品症候群から逃れること
 下記を守れなかった。

http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/am/kayaku.html

・ 甘い食べ物・辛い食べ物を避けること
 吉祥寺おざさの最中や仙川かつやのカツ丼を食べることが多かった。
 いずれも多量の塩または醤油プラス砂糖が入って、よい味になっている。

・ 外食で肉を食べる
 マクドナルドのビックマック、ケンタッキーのフライドチキン、吉祥寺いせやの焼き鳥・レバ刺しなど、……

・ 清涼飲料水や栄養ドリンクを常用する。
 清涼飲料水や栄養ドリンクには砂糖が入っている。それを毎日飲んで、少しずつ摂取していたのだ。

・ 食パンや菓子パンを食べた。
 塩が多量に含まれているのに気付かなかった。

・ 牛乳を飲んだり、卵を食べていた。
 なお、牛乳と卵については、9月11日(月)に理由を言うつもりである。

・ 酒を大量に飲んだ。
 吉祥寺のいせやで焼酎を飲んだり、シェーキーズでピッチャヤーを飲んだ。家では、ほとんど毎日ビールを水代わりにしていた。

 その他いろいろあるが、あまりみっともいい生活ではなかったようだ。聞いていただくのも恥ずかしいことが、ずいぶんたくさんあるのです。
 今となって、大いに反省をしている。(2006/09/05)


○味気ない生活=慣れてもともと


 言葉どおり、味気ない生活である。
 何とかホメオスタシス、つまり自然治癒力とでもいうか、自力で糖尿病と高血圧からカムバックできた。この二つの病の回復については、まったく医者にかからなかった。
 つまり、自分なりに試みたわけである。

 それどころか、前立腺肥大症の手術があるので、何とかそれまでに治したいという一心であった。とくに検査をしていないので、先生はその辺の事情を知らないはずである。採血をしたりして、血糖値を測るのは手術の直前であるからだ。

 そんなわけで、いろいろと勉強をして得た知識ですべてを行った。そして、血圧もOKになったし、尿糖も出なくなった。やれやれである。何とか問題なく手術をしてもらえるのではないだろうか。
 まかり間違えば、手術の前に内科に入院させられて、まず糖尿病を治療するなどということになるかもしれないのだ。そんなことを恐れていた。

 そういう背景のもとであったから、生活は大いに変わった。
 そして、味気ない生活になったのである。

・ 清涼飲料水などはいっさい飲まない。
 つまり、糖分の含まれているものはやめてしまった。おいしくても、砂糖を少しずつ摂取をするからである。

・ 料理には、塩と砂糖を使わない。
 ただし、「海の精」という塩を歯磨きのときに使う。また、風呂に入るときには、1合ほどの塩を湯に入れる。

・ 運動はとくにしないが、立ち居振る舞いをこまめに多くする。
 ふとんの上げ下げ、部屋の掃除、その他ちょっとしたことでも面倒くさがらずにする。

・ ……(まだ、いろいろとあるが個人的なことも多いので、省略をします。)

 以上のようなことに努めているが、それがふつうだと思えばよいのである。ことば通り味気ない生活になってしまったが、それに慣れてしまえば、もともとなのであろう。
 私は、あきらめがよいのかもしれない。(2006/09/04)


○ガンにならないためのライフスタイル=今後のテーマ


 ちょっと古いが、1988年9月26日に新宿の紀伊国屋ホールで行った講演のカセットテープをもっている。講師は、国立がんセンターの総長であった杉村隆さんである。

 私は、その後そのテープを100回くらい聴いた。
 実は、ガンはある時期を過ぎてしまうと治ることがなく、山を駆け下りるように悪化するとか、最後になって死ぬ前には激しい痛みがあるなどということを聞いて、恐ろしくなってしまうんだ。

 私の好きな作家に、非常に清純な作品を多く残した外村繁(とのむらしげる)がいる。私小説であるが、『夢幻泡影』(むげんほうよう)というのがある。金剛般若経から取ったことばであるが、外村は滝井孝作の『夢幻抱擁』からヒントを得たという。

 奥さんが、ガンで死ぬ経過を切々と書いている。非常に苦しんだあげく、あっけなく死んでしまう。読んでいて、やりきれない気持になる。
 外村自身も、その後ガンで亡くなっている。
 少し古い作品であるが、やはり実際のガンに対する闘病生活を垣間見て、私は恐ろしくなってしまう。 

 そして、いつもガンにはなりたくないと、つくづく思う。
 また、日本耐がん協会の「ガンにならない7箇条」については、すべて実践をしようと、いつも心がけてはいるのだが、……
 そんなわけで、かなり前から注意をしている。

 人間の身体には数十兆個の細胞があるという。この数は、地球上のすべての国民の人口が数十億であることを考えると、非常に大きな数である。
 小指の先ほどの大きさであっても、10億個くらいの細胞があるという。
 何とも、すごいもんではないか。

 そして、それらが卵子という一つの細胞から倍、倍と増えてできたことを考えると、まさに摩訶不思議である。人間の身体は自然の中で、非常に高度な複雑きわまる仕組みになっていることに気づく。
 人間の身体自体が、一つの自然界におけるハーモニーではないだろうか。

 そんなわけで、糖尿病、高血圧を何とか解決したので、さらに歯周病、目の問題などを済ましたら、ガンについても改めて勉強をしようと考えている。
 なぜならば、「ガンにならない7箇条」などの他にも、生活習慣で見直さなければならない問題があるような気がするからである。

 例えば下記の「化学薬品症候群」なども、そうではないだろうか。(2006/09/03)


○大スリム化(2).=生き残ったQ&A


 多摩健康会が始まったころにVITAビルの8階会議室で行った毎週のミーティングの質疑応答や、インターネット上の大手のサイトで答えたQ&Aである。よほど、すべてを削除しようと考えたが、やはり残してしまった。

 ただし、画像は一切なく文字だけにした。したがって、各ファイルの大きさはさほででもない。

 現時点で、『RKOホームページへようこそ!』の「おわり」にある

  健康Q&AパソコンQ&A雑学(ぞうがく)辞典

である。

 くだらない内容ではあるが、私にとっては思い出もある。
 質問をした人との些細な意気投合が、今ごろになって何故か、ふっと思い出されるからです。

 しかし、内容的には自信があまりない。中には、そのときの雰囲気でふざけた記述もあるだろう。言葉をピンポンなどのように、単に互いにやりとりをしたこともあった。
 また、いわゆるコンニャク問答と言われても仕方のないようなものまである始末。

 そんなわけで、もしも間違いがあったら指摘をしていただきたいのです。
 よろしく。<(_ _)>(ぺこり)(2006/09/02)


○大スリム化(1)=ホームページの縮小


 5ギガバイトあったホームページのエリアを、何とか工夫することによって、1ギガバイトの契約に変更をした。やっと、全体のスリム化が完成をしたからです。

 あまり見てもらえないホームページであったが、とにかく大きくしても意味がないと反省をして、できるかぎり規模を縮小した。その結果、5分の1の大きさになったわけである。

 まったく、『方丈記』でながあきらの言うとおりである。
 がうな(ヤドカリ)やみさご(浜にいる鳥)のように、自分自身の力に合ったことをしていればよいのである。今までは、ちょっと力みすぎて身のほど知らずのことをしようとしていたようだ。

 もしもご関心があれば、『方丈記』には下記の「総トップページ」にある「青空ライブラリ」から入ってください。そして、「がうな」で検索をすると出てきます。(なお検索は、「Ctrl」+「F」です。)

 そんなわけで、大スリム化を実現して下記のホームページにすべてが入りました。まったく、我ながらやりくりがうまくできたと思います。
 むろん、一つのホームページでは入りきれず、全体で7つのホームページに分散をして、互いにハイパーリンクをしています。

 その「総トップページ」は、『RKOホームページへようこそ!』です。

 考えてみると、やぼったいデザインで満艦飾なのです。
 あたかも、しこめがくどくどお化粧をしたような感じなので、我ながら嫌悪を感じることさえあるんです。そして、なぜか私は下記の「おてもやん」のことを思い出します。

http://www1.ttv.ne.jp/~riko/technolady/k01_utukusii.html


 もっとも、すでにいっぱいで追加がしにくい状態ですので、この無料ブログのほうに書き足すことにしています。ホームページが、すべて有料でまだ月に1万円ほどの利用料を払っているのですから、それに比ぶれば無料ブログはとても有難いものです。

 本当はメールのフォーラムを含めて、すべてをやめてしまいたいところですが、妻や知人が「やっぱり投げ出したんだ」と言うのが目に見えているから、やめるにやめられません。

 あまり意味のないことを人生の終着点近くでやっている自分をいとおしく感じることもあります。(2006/09/01)


○薬と自癒=理工式健康法


 自癒(じゆ)という言葉があるかどうか知りませんが、ホメオスタシスの力で回復することを意味します。つまり、自分のもっている力で自分の身体を治癒することです。

 私は、薬は短期的に用いるべきであって、長い期間でわずらった病気には好ましくないと考えます。なぜならば、長期間用いると効能が弱くなってしまったり、副作用などがあるからです。

 また、死ぬまで一生飲み続けなければならないという薬にも、何となく抵抗を感じます。水や食べ物は、むろん生きるために必要でしょう。しかし、インド蛇木のような血圧降下剤を別として、ほとんどの薬が化学物質なのではないでしょうか。

 化学物質の恐ろしさについては、薬といえども私がかねがね

http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/am/kayaku.html

に言い続けているような心配があるからです。

 したがって、糖尿病や高血圧などのように長期間でかかった病気に対しては、やはり期間をかけて食事療法や運動療法などで治すのが、いちばんよいのではないでしょうか。

 そのように考えて私は、とくに病院に通わず薬を用いないで、糖尿病と高血圧を治しました。個人差はあるでしょうが、私の場合は問題の病気について、いろいろと勉強することによって何とか回復できました。

 病気という相手を知れば、次に自分自身のことを考えながら対峙します。よく勉強をしさえすれば、「百戦危うからず」でしょう。
 そのときに、自分が絶対に快癒するのだというような自己暗示も必要です。

 すべてが自分のことです。
 自分自身でしなければ誰もしてくれません。

 <自分で自分のためにやらなければ、誰があなたのためにやってくれるか?>
 有名なラビであったヒレルの言葉です。(2006/08/31)


○私が知った親友たち=糖尿病と歯周病


 彼らが仲のよいお友達どうしとは、つい最近まで気付かなかった。
 前に本で読んだことがあるが、実際に身にしみて感じないと理解ができないことが多い。最近になって、つくづくと思い知らされた。
 まったくうかつであったことを反省している。

 それは、糖尿病と歯周病が「お友達の関係であり、互いに無二の親友」のような形で、私たちの人体に巣くうということだ。糖尿病の親友には、他にも網膜症、腎症、神経障害、さらには高血圧や高脂血症、そして肥満などがあって、複雑な交友関係をもっているらしい。

 しかし、特に歯周病とは仲がよいみたい。
 何となく、歯周病は親友というよりは、糖尿病の子分のような格好だと思う。
 歯周病のある人は糖尿病であることが多いし、また糖尿病の人は歯周病にかかっている場合が多いからだ。そして、糖尿病を治すと歯周病も治ってしまうことが多いという。

 いずれにしても、どちらを先にするかが問題である。
 思い切って親分である糖尿病のほうを先に退治してしまうのが、よいのかもしれない。
 私は、どちらの病気にもずいぶんと長い間、知らず識らずにお世話になってしまった。
 この辺で、何とかしてお別れをしたい。(2006/08/30)


○地図を見る楽しみ=サテライトの素晴らしさ


 ここのところ、外出が思うようにできない。
 前立腺肥大症のために、遠くに行けないからである。

 そこで、ゆっくりと部屋で地図を見る楽しみができた。
 2時間くらいは、あれこれと地図を見ていても飽きない。
 実際の地図帳ではなく、パソコンにある地図帳である。

 私はGoogleのものをいつも利用している。なぜならば、世界中の地域が見られるからである。例えば、ヨーロッパの国々なども、かなり詳しい地図になっているので有難い。

 おそらく、サテライト(航空写真の鳥瞰図)を含めると民間に開放されているものの最大クラスではないかと思う。

 これを見ていると、なかなか楽しい。
 表示される地図も、かなり新しく更新されたものである。
 さらに、サテライトを見る楽しみは大きい。そのメリットの一例をあげると、自分で歩かなくてもよいことである。

 例えば、川を遡上して水源地まで行くことを考えてみると、居ながらにしてできるので便利である。

 あるいは、私の部屋の回りのサテライトの詳細な地図である。図の中央に、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅が見える。北のほうに多摩川。そして、家の周辺の散歩地域をたどっていくと面白い。

 Googleの地図には、いろいろな楽しみ方がある。
 あなたも、やってみるとよいでしょう。(2006/08/29)


○ダラダラ化マンネリメール=生きている証明


 日々あまり内容のないダラダラしたマンネリのメールを出すのは何故か?

 意味がないと言う人がいるが、それでも本人にとっては大切なこと。つまり、それが生きているという自他ともへの証明なのである。「他」と言っても、最初からの親しい人は数人しかいない。

 もうすでに十人ちかく死んでしまい、五人ほどがアルトハイマ・植物人間・寝たきりになっちゃっているからだ。若かったころは、人が死ぬということ自体、別な次元のような気がしたが、老いてくるとごく自然なことになる。

 そんなわけで生きている証明をするのは、むしろ「自」のためかもしれない。まったくつまらない断片でも後で分類・整理をして、自分自身の生きた記録としてまとめるつもりだからである。

 生きているうちは生きていること、もしも死んでしまったら死んでしまったことをしたいと思うからです。

 旧約聖書に『伝道の書』というのがある。『コヘレットの書』とも呼ばれるが、それは

  空の空……

という言葉から始まって、まったく異色の章である。
 何回か、旧約聖書から外されそうになったのが、何とか現在でも生き残っているわけだ。あたかも、ソロモンが書いたような述懐でもあるので、残されたのであろう。

 同じことの繰り返しが、人生というか、この世の習いとばかりくどくどと説得をする。ヘミングウエイは、このテーマをもとにして『日はまた昇る』という小説を書いている。

 それは、一人の女性がスペインを舞台にして、闘牛場その他で問題を起こすという他愛のない内容ではあるが、かつてもそのようなことがあったということを相棒の男の目から見たものである。

 私のよく行く青空掲示板には「継続は力なり」と書いてあった。まったくそのとおりだと思う。たとえ同じことの継続でも、それはそれなりに大きな意味があろう。

 同じことを繰り返すのは、愚かなことであろうか。
 百曼荼羅(ひゃくまんだら)などは、その最たるものか。
 呼吸・脈拍・食事・睡眠なども、そうであろう。

 また、大きな目で見ると人類の歴史さえも、何となく同じことの繰り返しのような気もする。
 あなたは、どう考えますか。(2006/08/28)


○ペットボトルvs水道水=いずれがよいか?


 私は、水道水をハーレーという濾過器を通して飲んでいる。
 多摩市の水道水は、昔からの地下水である。団地部や新興住宅地域は、江戸川や相模川から引いた水を用いているらしいが、旧関戸区域は未だに地下水を汲んでいる。

 だから、夏は冷たくて冬は暖かい。
 水の味も、かなりよいようだ。
 そんなわけで、ほぼ完全に有害物が除けるハーレーを使うことによって、直接に飲む水のほかに、煮物などにも利用している。有機化合物やトリハロメタンの心配がないからだ。

 飲み水には、その水で作った氷塊を入れて飲む。
 だから、とてもおいしい。

 以前は、手軽だということでペットボトルの清涼飲料水を用いた。しかし、後でわかったことであるが、砂糖を少しずつ摂ってしまうという問題がある。
 その少しずつ摂取するということは、身体に大問題があることがわかった。
 つまり、やがて糖尿病になってしまうだろう。

 緑茶やウーロン茶のような砂糖の入っていないものならば、あるいはよいかもしれない。それでも、おそらく防腐剤などが含まれているだろう。
 食品や飲料水に入っている化学薬品などにも、注意が必要だからである。

 そんなわけで、私は化学薬品を避けるとともに、いわゆる生水を飲むことにしている。
 皆さんは、どのようにしていますか。(2006/08/27)


○野獣のように=ホメオスタシス回復法


 だいぶ前に「病気になったり怪我をした野獣が、静かなところでじっと動かずに、ただ回復を待つ」ということを本で読んだことがある。それは、どうやら本当らしい。

 私も、そんな方法を学んで自分自身の身体を治している。
 今のところは、血圧を下げることと尿糖をなくすことに成功した。

 血圧は、体重を減らすことによって簡単に実現をした。もっとも、その体重を減らすことは、そんなに簡単ではなかったが、……
 とにかく、上が200付近、そして下も100から110くらいだったのが、

                   2006/ 8/21 12:54
   最高血圧 114  最低血圧 81  脈拍数 73
            [mmHg]         [bpm]

となっていた。

 あまり簡単に下がったので、びっくりした。
 何回やっても、それより少し高い値になるだけである。
 体重も75kgを割ったので、さらにムリのない程度に減らしていこう。

 尿糖のほうは、ちょっと手強かった。
 何回測定をしても糖尿がなかなか出なくならないので諦めていたが、数日ぶりで計ってみた。すると、驚いたことにまったく糖が出ていない状態である。蛋白も、ほとんど出ていない。

 用心深い私は、昼食を摂って10分後にも測ってみた。
 すると、ふつう食後に必ずといってよいくらい出るという尿糖が、やはりまったく出ていないのである。ちょっと不思議であったが、昼食の量が少なかったためかもしれない。
 いずれにしても、やれやれである。

 つい5日ほど前には、500mg/dlもあった尿糖が、検出限界以下(25mg/dl未満)になっている。感慨無量であり、人間の身体のホメオスタシスの素晴らしさに、つくづく感心をした。

 今後は、なるべく出ないように注意をしていけばよい。出ても、慌てることはないのだ。

 そんなわけで、腎臓がまったくダメにはなっていなかったことに、ひとまずほっとしたのである。もしも腎臓が悪くて透析に入ると、年間で1500万円くらいの費用がかかるという。3割負担としても、実際には500万円を超える出費になるので、困るなぁと思っていた矢先。

 さらにこれで、何とか失明の危機も逃れられたのかもしれない。
 人工透析のことを考えると、めしいてしまうことは「一難去ってまた一難」の状態であったから、油断ができない。
 くれぐれも、注意を怠らないようにしよう。
 自分自身のすることが、すべて自分自身に戻ってくるわけだから、……

 そんな中でわかったことは、注意や養生をしていると、ある日突然に治ってしまうらしいということ。
 今後は、血圧が高くなったり、尿糖が出ないように、食生活や生活習慣に留意をすればよいのである。
 とてもうれしくなってしまった。(2006/08/25)


○太っていること=デブのハンディ?


 考えてみると、太っていることはいいことでない。
 スポーツをするにしても、太っているとハンディがあって不利である。太っていて有利なのは、相撲と水泳くらいであろう。

 また、高齢になるとデブのハンディによるリスクは増大する。
 肥満者の死因を調べると、ほとんどすべて太っていない人よりも多い。肥満者のほうが死ににくいのは、結核くらいしかない。それと、病気ではないが自殺が少ないという。

 そんなわけで、高齢になっても肥満であるのは、いいことではない。
 なぜならば、常に重い物を持ち歩いているのと同じことになるからである。筋肉や内臓が衰えていく時期に、脂肪だけが身体に蓄積されるのだから、負担が大きくなって体調が崩れていくのは当然だろう。

 そこで、少なくとも標準体重になることに努力をするべきだ。
 太っているかどうかの指標は、前回の「標準体重と肥満度」を参考にしてほしい。(2006/08/24)


○標準体重と肥満度=本当にできるかなぁ?


 身体の状態を定量的に判断するときに、標準体重と肥満度を用いる。
 日々の活動で身体が消費するカロリーと、食事で摂取するカロリーとを比べて、食べたカロリーのほうが多いと余るので、体脂肪になってしまう。そして、それが体重を増すことになる。

 そこで、いったい身体がどうなっているかの目処(めど)が必要になる。

 その式と私の場合の数字は、

  標準体重(kg)=身長(m)×身長(m)×22
           =1.64×1.64×22≒60(kg)

  肥満度(%)=(体重(kg)−標準体重(kg))/標準体重(kg)×100
          =(75−60)/60×100≒25(%)

である。
 そして、肥満度が20%以上であると「太りすぎ(肥満)」である。
 ±10%以内で標準であるから、私はさらに10kgくらい体重を減らさなければならないことになる。
 なんとか頑張って、実現をしたいものだ。(2006/08/23)


○玉木さんのメールで大発見!=牛乳の話


 この間、ちょっと体調もよく、お天気もよかったので、闘病生活の中で散歩をがんばってみた。
 部屋から出て、まず観蔵院に参拝をして大栗川の橋を渡り、いろは坂をてくてく登る。そして、途中の見晴台に寄らずに一気通貫をして、頂上のお宮で休憩、そのまま下山をして帰宅。

 非常に喉が渇いたので、帰ってすぐに冷たい牛乳をコップ一杯、つまり200ccほど飲んだ。とてもおいしかったし、腹の調子もまったく悪くならない。

 しかし、しばらくすると尿に血液がにじみ出しているではないか。
 私のように腎臓が悪く、体外にウロバックを付けているから気付くことであって、見えなかったら膀胱の中で混じってしまい、尿の色が多少濃くなるだけであろう。

 また、個人差があったりして、私の場合が例外であるかもしれない。
 しかし、前に玉木さんが言っておられたことを、現実に垣間見たような気がして、恐ろしくなったことも事実です。

 なお、この記事を書くにあたって、以前いただいた玉木さんのメールの内容を思い出して参考にしました。下記(1)(3)にそれを示し、さらに(2)(4)に私の返信を添えておきましょう。


(1) 2006年5月04日、「乳製品、牛乳は駄目だ。」というタイトルの玉木さんのメール。

 <一昨日の30度という気温から昨日の寒い雨、気候の変化に体はついていってるでしょうか? 真弓定夫先生という(近くで開業している)有名な小児科医が数十年も推奨している事を、「なるほど!」と納得したのでお知らせします。

 ★第一に牛乳やヨーグルト、チーズなどの乳製品は絶対に食べてはいけない。癌や生活習慣病(成人病)が戦後急激に増加したのも、現代の青少年の犯罪も主に牛乳のせいだと。

 乳製品のガラクトースが眼を濁らすので白内障の原因となる。だから有名な眼科医で儲け主義のためにメディアでは牛乳を推奨していて、自分の家族、子や孫には絶対に乳製品を取らしていないという医者がいるらしい。
 詳しい続きはまたメールします。
 えいこ
**********************************************************************************
 之は、私の娘のメールです、私が、若い頃からトンカツなどが好きで、牛乳・乳製品・など可なり、食べてきました。だから、欧米並みの脂肪分の多い、食生活だったのが、原因で前立腺がんに罹病したと思います。

 食生活については、rikoさんのHPやプログに記載されてあり、参照されたが良いと思います、欧米でも肉から魚へと変換しつつあるようです、私の知人が肉食すると、闘争的になり、喧嘩早くなると言ってましたが、そういえば、佛教徒は肉食や酒を飲む事を禁じていました、ベジタリアン(菜食主義者)だと言う事は、何となく解る気がします。

 話は変わりますが、或る中国人が語ってました、先進国の人間は今迄、随分、食べたい放題で暮らしてきて、今、我々に腹一杯、食べるな、公害を出すな、と偉そうに言うが、・・・・と肉食品が、特に牛肉の消費量が高いそうです。

 文化、文明が欧米並みに追いつくのは良いが、結果、短所は・・・と思いますが、人間思い詰めると、要らざる事を言うなと叱られそうで、・・・・。>


(2) 上記に対する私(rik)の返信。

 「メール、ありがとうございました。
 牛乳については、私も不思議なことが20くらいあります。
 その一つ。

 戦後、脱脂粉乳から始まる学校給食で、戦前の10倍も多くの牛乳を子供たちが取るようになりました。反対に、子供の骨折が10倍近く増えたという事実です。

 戦前では、骨折などをしないような場合でも、ポキポキと簡単に折れてしまうようになったということです。そのようなことを前に健康会で発表をしたら、皆にバカにされました。

 言ってはいけないことが、健康に対してはおよそ300くらいあるということが、その後つくづくとわかった次第です。
rik」


(3) 2006年5月20日、「参考」というタイトルの玉木さんのメール。

 <牛乳の話の続き、

 戦前は牛乳など飲んでいる人はほとんど無しで、農耕民族のながれで、穀物と野菜を中心とした食生活、食品添加物も電磁波も無い中で育ってきたので今の高齢者は健康で長生きだと。戦後の人間のほうが短命。親が子供の葬式を出している。

 電磁波といえば、身の回りで一番強力なのはドライヤーそれから携帯とパソコン。だから美容師は短命の人が多いらしい。携帯も体にいつも身につけていると癌などの元。男性の精子が減っているのも携帯をポケットに入れている人が増えたから。

 牛乳について、そもそも日本人が牛乳、乳製品を多く取るようになったのは戦後のアメリカの陰謀。経済的陰謀。カルシウムが取れて体に良いと事実に反した事を頭に叩き込まれたので皆が飲むようになったが、カルシウムは牛乳からは摂取できない。他の栄養素も海草類や野菜や穀物、豆類から十分に採れる。

 カルシウムの血中濃度が急激に増えて、体内が調節するために体内のカルシウムを外に排出してしまう。現代に骨粗しょう症が増えたが以前はほぼ無かった。現にノルウェーでは日本人の5倍の骨粗しょう症発生率。又、乳脂肪がパックされる過程で酸化している。酸化物質は寿命を縮める要因で癌の元でもある。

 アメリカの陰謀といえば小麦粉も同じ。戦後に余剰分を日本に売りつけるために学校給食のパン食開始。キッチンカーというパンを売り込むための車を保健所や農村にまで配備してご飯よりパンのほうがいかに良いかを吹聴。その小麦粉には輸出途中に虫が付かないように多量の農薬散布。

 動物の体の箇所で一番働く所にまず奇形が現れやすい。例えば魚は泳ぐのに重要な箇所の尾びれの奇形など、そこで、人間の一番使う場所、頭の中にこれら牛乳、小麦粉の農薬、輸入果物の農薬、添加物などの影響を受けて、現代の少年犯罪も起きているという理論。

 前にも書いたけど、乳製品はガラクトースが白内障の原因らしいのでやめたほうがいいみたい。(続)>


(4) 上記に対する私(rik)の返信。

 「メール、ありがとうございました。
 まったく、その通りだと思います。

 最初のころに、日本に来た宣教師と幕府方との奇妙なやりとりが残っています。外人は、牛を飼育して牛乳を飲み、またとさつして肉を食いたいと申請をします。
 しかし、幕府方の役人は理解ができないのです。

 牛乳は仔牛の飲むもの。牛肉は食べるものではないと説明をします。日本では牛や馬を農耕用の役務や運搬に使いましたが、食べることはしなかったからです。

 そんなわけで、最初のころは外国人も、せいぜい山羊の乳を飲んでいた程度、明治維新まではそんな状態だったのでしょう。その後、福沢諭吉や渋沢栄一など、あまり日本の将来を考えなかった軽率な人の発言で、社会が変わったようです。

 現在となっては、それぞれの人の身体の状態と考え方で選択したらよいのではないでしょうか。それぞれの責任で、……
 rik」(2006/08/21)


○散歩コースと運動場所=ミニ散歩と階段運動


 かつては、へっちゃらで一日に20キロメートルくらい歩いたもんだ。
 それが、今回の闘病生活で歩けなくなってしまった。
 そこで、新しいコースと運動方法を考えた。

 その散歩コースとは、

 部屋 → エレベータで12階から1階へ → 観蔵院(参拝と境内一週) → 大栗川 → (いろは坂を登って多摩の奥山 → 途中見晴台で休憩をして、頂上のお宮で参拝) → 同じ道を部屋まで戻る

というコースである。
 ちょっと体調がしんどいと考えたら、途中のカッコの部分を省略してしまう。つまり、参拝や境内一週をやめたり、いろは坂を登るのを中止して桜ホテルのところの橋から戻るのだ。

 運動も、以前のように激しいものや水泳はできなくなった。
 そこで、階段を上がることにした。
 私の住んでいる建物は、ちょっと大変だが地上から部屋のある12階まで上がる。さらに、30階近くまで上がってもよいのだが、そんなには体力が続かないだろう。

 下りは、必ずエレベータに乗る。なぜならば、膝を痛める危険があるからだ。どうしても加齢とともに、腰や膝が弱くなって痛めやすい。そこで、注意をしなければならない。階段は降りるときに体重が膝にかかって、非常に危険であるからだ。

 エレベータの横の階段ルームは、かなり広く空気も清浄である。
 埃(ほこり)などは少なく、換気もしっかりしている。でも、何となく私の住んでいる超高層の建物では孤独感があるので、隣のビルや駅付近のビルですることのほうが多い。

 つまり、VITAの地下2階の駐車場のところから6階のダイソーのところまで一気通貫で利用したり、アートマンや京王デパートの階段を上る。いずれも、換気がよく人もあまり利用していない。
 エスカレータやエレベータがあるからだろう。

 上りだけを利用するので、手摺りはとくに必要がない。
 それらの範囲だと、雨の日でも傘なし3分で行けるのでありがたい。
 また、私の住んでいる建物以外には階段のそばにトイレがあって、何かと便利である。

 このように散歩のコースや運動の方法も、体調や加齢とともに大きく変わってしまった。しかし、活動範囲が非常に小さくなっても、それなりの楽しみがたくさんある。
 皆さんは、どのようにしていますか。(2006/08/18)


○クレオパトラの夢=拾った楽しみ


 娘が独立をするときに、捨ててくれと言って残したカセットテープが100本くらいあった。その中で半分ぐらいは捨てたが、残りの半分は捨てなかった。何となく、聞いてみたい曲であったからだ。

 その後、一本ずつ聞いていって、気に入らないのは捨てた。そんなことで、それでも20本ぐらいは残ったのである。
 その中の『クレオパトラの夢』。

 ケニー=ドリュー=トリオの演奏で、下記の曲が入っていた。

(A面)
1.月の砂漠
2.時さえ忘れて
3.ライト・オン
4.クレオパトラの夢

(B面)
5.これからの人生
6.ライト・ポッサ
7.不思議な国のアリス
8.イメージ・賛歌

 なお、テープはダビングをしたものではなく、メーカーの作った試聴用見本品である。したがって、音質がはなはだよろしい。そんなわけで、私は最近になってもときどき聞いている。

 『月の砂漠』を聞くと、千葉県の御宿にある記念館を思い出す。
 大岩先生が元気であったころ、御宿市長だった同級生を訪ねるというので一緒をした。大岩先生と外房を旅行して、勝浦のホテルに泊まった帰りのことである。

 たまたまその人は、かつて私が勤務をしていた日本電子に勤めていたということであったが、時期がずれていたので会ったことはなかった。そしてその人の父親は、有名な『もじゃもじゃピーター』という本を翻訳した人で、その資料なども展示してあった。

 それはそうと、『月の砂漠』だけではないが、全体的に素晴らしい演奏である。アレンジがよいし、アドリブなどを巧みにフィチャーしていて、何とも小気味がよい。
 リズムやメロディーなどは異質であるが、古典の変奏曲や独奏楽器が歌う協奏曲のカデンツァを思い出させる技法である。また、まだ若いころ妻とよく行った宝塚のメロディーにも何となく似ている。

 学生時代に夢中になったゲッツイの『碧空』などのことも思い出した。そして、むしろアルフレッド=ハウゼの演奏に似た技法が、用いられていることも発見をしたのである。
 上記のテープには隣接著作権があるので、直接に聞いていただくわけにはいかない。

 もしも、『碧空(あおぞら)』でよかったら、

http://www1.ttv.ne.jp/~riko/aozora/hekikuu.mid

をどうぞ!

 さらに、私はB面の最初にある『これからの人生』を聞いて感じた。終わろうとして、なかなか終わらない。ちょっと、ラベルの『ボレロ』の感じにも似ていると思った。

 ご存じの人は、どのように思いますか。(2006/08/17)


○ひたひたとおろおろ=ウロバックの観察


 尿は、きれいか?
 私は、ウロバックという人工膀胱を付けている。なぜそんな不細工なことをしているかというと理由がある。つまり、尿道の一部に異常ができてしまって、カテーテルという管を入れておかないと、詰まってしまうからだ。

 尿が作られるのは我慢できないらしい。誰でも水分を飲むと、ふつう直ちに尿が膀胱に漏れ出す。オシッコをしたいときの我慢は、膀胱に溜まったものを我慢するので、作られること自体は制御できないのである。

 したがって、体外に出たカテーテル部分とそれにつないだウロバックを見ていると、ちょっと水を飲むと間もなくバックの入り口で水が滴り落ちる。それを見ていると、ふつうは清々しくなるほどの美しさである。色もほとんどないし、雫(しずく)が光ってひたひたと落ちているからだ。

 あたかも山奥の源流で、したたり落ちる水のようである。
 かつてテレビで多摩川の源流をさかのぼっていく番組があった。どんどん川に沿って登っていくと、最後はしたたり落ちる雫になっていた。私は自分自身の尿を2時間ほど見ていて、そのことを思い出したのである。

 したがって、健康な状態のときの尿は清潔であろう。
 しかし、である。
 もしも、体調が崩れると尿の中には赤血球の死骸や蛋白の破片が含まれるようだ。また、糸球体が異常になった人の尿には、ときどきおろおろとごみ状のものが溶け出している。

 そんなことはふつう、体内であるから観察はできない。
 私のように特殊な事情にあるときに限って、何時間でも観察ができるので興味深い。最初のころは、赤色の血液の断片などがあったが、自分自身で注意をして養生をすることによって、見た目ではあるが尿はずいぶんときれいになった。

 しかし、試験紙で測定すると尿糖と尿蛋白とが出ている。蛋白はさほどでもないが、糖は重症である。
 結論を言おう。
 糸球体が正常である人。健康な人。糖や蛋白が出ていない人。
 そのような人の尿は、おそらく飲めるほど清潔であろう。

 それに反して、健康でない人の尿は一般には清潔であっても、ときには老廃物が多く含まれていて不潔なときがあるようだ。
 そんなわけで、いま尿がどのようにして作られるかなども勉強中である。今回の合併症のお陰で、部屋から出られない状態になってしまったが、自分自身つまりミクロコスモスの研究ができるので、興味深いことが多く飽きない。(2006/08/16)


○さびしい・一人ぽっち=二冊の本に心当たりはありませんか?


 最近になって、どうも度忘れがしたり、記憶が薄れていくようだ。
 でも、反対に何となくちょっとしたことを思い出したり、甦ってくる些細な記憶もあることはある。

 そんな記憶に、二冊の本がある。
 完全にストーリを覚えているわけではないが、それでも内容になつかしさを感じて、もう一度読んでみたい。しかし、図書館で調べて借り出し、じっくり読むほどの時間がないし、またその気力もない。

 そこで、知っている人がいたら教えて欲しい。
 つまり、どなたかが昔あった「リーダースダイジェスト」のようなことをやってもらえまいか。

 二冊の本というのは、

   北杜夫 『さびしい王様』
   寺山修司 『一人ぽっちのあなたに』

である。

 うろ覚えなので、もしかしたら作者や書名に間違いがあるかもしれない。

 『さびしい』のほうは読んでいて、何となく自分自身がそういう立場に置かれたような気がしたことを覚えている。コケティッシュというか、すってんてんの丸裸にされて、いとも哀れなのである。
 つい、感情移入されてしまうような内容だった。

 『一人ぽっち』のほうは、詩や短歌などのいろいろな作品が入っていた。
 その中で、確か「煙草の味」という短編だったと思う。
 画家が、モデルの摩耶夫人という人を好きになってしまうという話。その絵が、学校の美術室にあった。しかし、その後に画家と夫人は海で心中をして、絵は放火された火事で焼けてしまう。

 主人公は卒業をして、その摩耶夫人に会う。
 何回も、会うのだ。
 しかし、会うたびに彼女は若くなっていく。最後は、主人公がこの国を離れるときの汽船の甲板デッキで、幼稚園くらいの子供になっているというファンタジックな内容だったと思う。

 私は、その光景を想像することによって『小石』という作品の甲板風景にパクッタのを覚えている。
 それはともかく、私は『さびしい』も『一人ぽっち』も、なぜ今ごろになって記憶に強烈に甦ってくるのかがわからない。
 それは、あたかも犯罪者がかつての現場にあった些細な風景を思い出すのと似ているのだろうか。

 もっと新しいことでも、似たようなことがある。
 ビデオである。
 そのビデオはアメリカ映画と、ヨーロッパのどこかの国の映画だったと思う。しかし、国の名前なども忘れてしまった。

 一つは、子供のころ親が召使いをしていて大邸宅に使われていた。やがて、自分は大人になって大女優になったのである。誰かの自伝実話だったと思う。そして、その大邸宅を買い取るというストーリ。
 むろん、買い取ることがメインテーマではない。
 しかし、映画のタイトルも作者も忘れてしまった。

 もう一つの映画は、「いつか見た絵」というのだった。
 内容も脈絡がしっかりしなくなってしまったのだが、記憶に鮮やかな部分があった。主人公の女の子の仕草であるが、忘れられない。
 もしかしたらタイトルは「絵」でなく「風景」か「場所」だったかもしれない。

 記憶が乱れていくということは、記憶が失われていくことだろうか。(2006/08/15)


○スリム化?=減れば減るもの


 いまホームページの整理や修正をしている。
 あまり発展をしなかったホームページや読んでもらえないブログなどを廃止しようとしている。1年前の大きさを100とすると、ようやくその25パーセントを廃止した。つまり、75パーセントになったわけだ。全体の半分のその半分を減らしたので、だいぶすっきりとした。

 不要と思われるものや訪問客の少なかったものは、どんどんと削除をしてしまった。そして、全体の大きさが以前の約4分の3くらいになったところです。今後さらに努力をして、5分の1くらいの大きさに縮小をする計画である。

 自分自身で用いる必要な記録は、ハードディスクの中にWordで作成をしたり、ホームページビルダーで疑似ホームページにしておく。そのために公開する必要がなくなるので、プロバイダにお世話になる必要もなくなる。

 つまり、アップロードの手数と費用とが不要になってしまうのだ。
 もともと、日記などは見てもらう必要もあるまい。また、わざわざホームページに記録をしなくても、尋ねられたときに個別に答えればそれでよい。考えてみれば、犬の遠吠えと同じことではないか。

 現在、私は病気療養中である。
 やはり1年前くらいから体重が減ってきた。そして、この8月で25パーセントほど体重が減ってしまった。つまり、目方が4分の3になってしまったのだ。ずいぶんと軽くなって、ふらふらするときもある。

 そうすることによって、糖尿病や高血圧が完治するらしい。
 そんなわけで、いままではホームページと同じ割合で体重が減った。
 今後は、どうなっていくのだろうか。(2006/08/13)


○高橋不動産・ナルヘソ=ロマンチスト


 この間、都内で「高橋不動産」という看板を見た。
 私は、とっさのことでそれが「高幡不動尊」と読めたのである。勘違いをしたわけであるが、そのようなことは誰にでもあることではないか。

 しかし、私は自分で言うのもおかしいが、ロマンチストである。
 そんなわけで心の中では、不動産やが一変して不動尊に、つまり「仏様」へ変わってしまうだけではない。

 例えば、あなたは

   ナルヘソ

と書いてあると、何と読むだろうか?

 私は、思わず「メルヘン」と読んでしまう。それほど、語彙に関してこだわりがあるのだ。つまり、詩的発想やイメージの広がりが大きいのである。そんなわけで、日々が楽しくてしかたがない。

 「発想の転換」という言葉があるが、考えてみるとなかなか勉強になる。負け惜しみやイソップの「サワーグレープス」ではないが、病気になっても、いろいろな発見があって面白い。

 さて、今後はどんなことを見つけるか。(2006/08/12)


○ハイパーリンク=帯に短し たすきに長し


 メインのケーブルテレビ局プロバイダで借りているホームページがいっぱいになってしまったので、楽天やヤフーからホームページ用のエリアを借りた。そして、それも足りなくなったので、今年になって別のところから4バンクほど利用契約をした。

 次々とやってみたが、なかなか思うようにいかない。
 非常に費用の高くつくホームページになったり、反対に経費のかからないところには面倒な制限があるようだ。例えば、ホームページを構成する一つのファイルの容量に制約があったり、下りのダウンロード時にべらぼうな時間がかかる。

 たかだか合計で100メガバイト、約900ファイルほどのホームページをホストからローカル側に一括ダウンロードするのに、なぜだろうか約10時間くらいもかかってしまう。そんな作業は最初に一回はするが、二度としなくなってしまうんだ。面倒だからである。

 しかし、上(のぼ)りのほうは、どうしてもしないといけない。その上りも格安なプロバイダでは、何となくもたもたしている。おまけに、何かのひょうしにFFFTPが引っかかって動かないときもある。それはFFFTPの問題ではなく、サーバー側の故障らしい。しばらくすると、正常に接続ができるようになるからだ。

 ほんとうは、すべて一つのプロバイダのまとまったエリアに作りたいところである。そのようにすると、すっきりするだろう。しかし、もう最大の契約容量になっているので、別バンクを別口で追加するしかないらしい。でもそうすると、いきおい他のところの10倍くらいの費用になってしまう。

 そんなために、最初は何とか5ギガバイトを用意したホームページではあるが、今回の身体のダウンなどのことを考えて、縮小をすることにした。自信がなくなったので、5分の1くらいの大きさになったのである。それでも、全体でまだ1ギガバイトくらいはある。

 皆さんは、1ギガバイトくらいの大きさのホームページは、どのようにして作成しているのでしょうか?
 また、自分自身のホームページ間のハイパーリンクについては、どのようにしていますか? (2006/08/11)


○スパムメール=その傾向と対策


 ここのところ、スパムメールが非常に多い。
 一日に、1000通近くも来ることがあった。
 いかがわしい内容のものがほとんどであるが、送信者も件名も英文のものがある。おそらく、海外から来るのであろう。中には、文字化けのような何を意味するかわからないものも見受ける。

 とにかく、煩わしくて仕方ない。
 同じ内容が数通来るので、ドメインに登録をしたメールアドレス経由で来るのではないかとも疑った。ドメインにすると氏名や住所などを公開するので、どんな相手かがわかってしまう。

 最初のころは、相手のメールアドレスを指定して受信拒否のリストに載せた。しかし、そのリストがどんどん大きくなったせいか、メール自体の受信や表示に時間がかかるようになってしまった。
 もたもたして、なかなか一覧リストの表示をしないのだ。

 そこで、まずドメインのメールアドレスを使えないようにしてみた。2つもあるドメインを解約して閉鎖したのである。すると、驚いたことにスパムメールは激減してしまった。1日に100通もないのである。
 考えていたことが適中したので、一件落着だ。

 現在は、プロバイダのメールアドレスを使っている。
 そして、これでもダメだったら他のメールアドレスを確保しようとまで思っていたので、ひとまず安心をした。

 必要と思われる情報やメールは、なかなか来ない。その反対に、必要でないものばかりくるのに、ほとほと困っていた。そんなために、ひとまずやれやれという気持である。

 皆さんは、どのようにしていますか? (2006/08/10)


○身体の異変が勃発=合併症に注意!


 更年期という言葉があるが、とくに女性が閉経した後の数年を言うらしい。しかし、ここでは男性の場合で考えてみよう。
 男性は、ずぼらで不注意な性格の人が多いので、とくに注意をしなければならないからだ。また、自分自身の身体について、総合的に考える智恵がなく、個別に事象をとらえる傾向も少なからずある。そしてそれが、問題をますます大きくする。

 つまり、全体的に問題をとらえようとしないのである。
 私の場合で、例をあげてみよう。

 還暦を過ぎて、だいぶたってから何とも身体の具合が悪い。
 歯周病(歯槽膿漏)になったり、目がどんどん悪くなる。そこで、歯科医に定期的に通ったり、眼科で検眼をして眼鏡を作り直す。また、血圧が上がってしまって、ふらふらするようなときもある。

 これらに個別に対処して、あわてふためく。
 ちょっと考えればわかりそうなことであるが、なかなかわからなかった。私の場合は、すべてが糖尿病の合併症(余病)であったらしい。
 そして、その糖尿病であることに対しても、まったく不注意な話であったが、なかなか気付かなかった。

 つまり、

(1) 歯と口腔内に問題が起こる。
 もたもたしていると、総入れ歯になっちゃう。

(2) 目が次第に悪くなる。
 まだ眼鏡の交換ならよいが、やがて白内障・緑内障、さらには失明などの危険性がひそんでいる。

(3) 前立腺肥大症になっちゃった。
 この現象が出たのは、いたしかたないだろう。しかし、糖尿病が原因であるとは考えずに、個別にとらえていたのである。

 (1)(2)(3)については、昔から「はめまら」というではないか。
 そんなことさえ、うかつにも思い出せなかったのである。

(4) この他にも、いろいろあるが個人的な問題で、あなたと異なっているかもしれない。また、何ともミットもないことなので、ここでは省略をする。
 何が言いたいかというと、常日ごろ不注意でいるとやがて大変なことになるということです。

 さらに進んで、人工透析になってしまったり、失明などをするがいやだったら、そんなことの対策を早めにしなければならない。
 「一病息災」という言葉は、「無病息災」のもじりではあるが、なかなか事実を告げているので、宜(むべ)なるかなである。
 お大事に。お互いに。(2006/08/09)


○病の器でも、くさらないぞ!


 加齢とともに、身体の調子はどんどん悪くなってしまうようだ。
 でも、そんなことは当然で、気持ちまでくさってしまってはいけない。

 ある程度は、ちょっと考えればわかることで、知らず識らずに「すっぱいぶどう」にはなりたくない。気持ちだけは、どんな状況でも冷静でありたいものだ。「自己防禦のからくり」とも言うらしいが、サワーグレープの例を一つだけあげてみよう。

 男性の場合である。
 「あなた、オシッコの出の勢いが悪くなったり、一回の出の量がだいぶ少なくなりましたねぇ?」
 「いいえ、……」
 ふつう、そんなふうに答える。

 自分では、高齢になると筋肉も弱くなり、また膀胱の容量も小さくなるなどと間違って考えているので、それが当然なことと思っている。

 だから、還暦を過ぎた男性は、それを誰にでもある当然のことと自分なりに錯覚をしているので、漫然とした気持ではあるが憤然と答える。そして、そんなときに冷静になって、オールド=パーのことを思い出したりする人は少ないようだ。

 しかし、泌尿器科の正しい解説を見ると「高齢になって、仮に80歳を越えても、健康な人のオシッコは若い人と同じように弧を描いて出て、それなりの量があるし、だらだらと続いて出ることはない」と言う。

 つまり、何となく自分自身で自分自身の状況を仕方のないこととして、当然であるなどと勝手に考えているのだ。健康でさえあれば、加齢とともにオシッコが近くなったりはしないというのが、医学的な正解というか常識である。

 そんな状況だから、加齢とともにいろいろな問題が増えるばかり。
 実際には、些細なことでも考えることによって、自分自身が問題だらけの存在になってしまう。今までの社会が、いわゆる老人対策などというような問題を意識していなかったので、ますます問題が表面化をしたり、悪化をしていくのではないかと心配をする。

 そんな状況で、つい還暦を過ぎたころから体調が何となく悪く、気持ちがくさってしまう。

 話は変わるが、ペットボトルなどの飲み物である。
 中には、開栓後コップに入れておくとカビの生えるものもある。しかし、いつまで経っても変化もなく、さわやかな種類のものも見受けられる。
 それは、「どうぞ、いつでもお飲みください」と言っているようだ。

 しかし、実際はどうであろう。
 ふつう、たいがいのものは空中の細菌によって変化をするだろう。パスツールだったっけ、閉じたフレスコの実験がある。
 空気に接していても変化が見られないのは、そのための薬品が入っていることになる。そして、その防腐剤は人体に有害ではないだろうか。

 そのような意味でも「くさらないこと」ということが、健康や安全に対する一つの目安にもなるのではないか。
 ちょっと意味のわかりにくい意見になっちゃったが、…… (2006/08/08)


○ダブルパンチ=糖と蛋白


 数ヶ月前から、身体の具合がおかしい。
 妙に疲れてしまうんだ。

 そこで、もしかしたらと考えて尿の検査を自分でした。
 すると、何と糖と蛋白とが出ているではないか。まったく、驚いてしまった。自分自身では健康だと思っていたのだが、日々のちょっとした不注意が、やがて必ず身体に影響するということをダブルパンチで知らされた。

 蛋白の量はさほどでもないが、糖のほうはものすごい値になっている。
 すでに500mg/dlくらいであるから、かなりの重傷である。数ヶ月前までは、体調が何でもなかったのが、急におかしくなった。そして、それらが原因になって、前立腺肥大症などの症状が表面化したのではないだろうか。

 糖尿病は「サイレント・キラー」などと言われて、自覚症状がないままに進むということを初めて体験した。そして、知らないうちに合併症を起こして、廃人にさせられるのではないかということも理解できた。考えてみれば、まったく恐ろしい病気である。

 かつて、医療講演会で聞いたり、医学書で読んだとおりである。
 そのときは、ちょっと脅かしのような感じを受けただけであったのが、今回は本当にその通りであると、自分自身で大いに納得をしたのである。

 何とかしなければならない。
 現在私は前立腺肥大症の手術待ちであるので、できたらその間に治してしまおう。
 なぜならば、泌尿器科の先生は「あなたの症状はいちばん軽いほうであるから、手術の順番はかなり先になるでしょう。」などと呑気なことを言っているからである。

 私自身としては、いくつかの病状が併発しているので、まかり間違えば失明にでもなりかねないと心配する。しかし、病院では重度の糖尿病であることをまだ知らないので、自分で何とかしなければならない。
 つまり、前立腺肥大症は糖尿病の合併症の一つであったらしい。

 最初に考えたことと、事情は逆なのである。
 そこで、まず何とかして自分で糖尿病を治すことにした。
 その一部始終は、「糖尿病からの脱出記」として、手術が終わって退院をしたら、別にまとめる計画である。ここでは、私が勘違いをしていた理由を記述しておくので、ご参考にしていただきたい。

(1) 糖尿病になっていないなどと思っていた理由。

・長い間、ずっと穀物・野菜食をしてきた。
 自宅では肉や魚の調理をしないし、食べたことがなかった。

・ 健康には、かなりの留意をしたつもりである。とくに食べ物に関しては、配慮を怠らなかった。

・台所には、塩・砂糖・バター・マヨネーズ・トマトケチャップなどが置いてない。また、天ぷら油などもない。天ぷらはしないからだ。

・とくに塩分の摂取には注意をした。塩分がかなり入っているものは、なるべく食べないようにした。例えば、市販の食パンなどである。
 また、たまに佃煮などをいただくことがあったが、もったいないと思いながら、そのまま捨ててしまった。自分が身体によくないと考える物を他人に差し上げるのは、やはりよくないと考えたからだ。

・化学的洗剤は食器洗いにも、洗濯や風呂にも用いなかった。
 シャンプーやリンスなども市販のものは使わずに、自然丸というメーカーの石鹸を利用している。

・炎天下で、一日に20キロメートルくらい歩いてもへっちゃらだった。日々健康で、いわゆる病気など20年間に一度もしなかった。

(2) 糖尿病になった理由。

・食べる量が、かなり多かったみたい。
 シェーキーズのピザ食べ放題やピッチャーのがぶ飲み。

・外食時にハンバーグなどの脂肪を取りすぎた。
 また、ポテトなども揚げたものを大食いした。

・清涼飲料水などの砂糖を含まれているものを常用した。

・いつの間にか、水を飲む量が増えていた。喉が渇くためであろうか。したがって、オシッコの量も増えていたのに気付かなかった。
 健康な人が1日に1.5リットルとすると、その5倍程度のオシッコをしていたのである。当然、水分はもっと飲んでいのだろう。それを習慣としてしまって、つい見逃してしまったのだ。

 その他、いろいろと思い当たるふしがある。(2006/08/07)


○オシッコの話=前立腺肥大症の参考


 前立腺肥大症のことを考えて、知っていたほうがよいオシッコの簡単な話をしよう。

・オシッコは血液に含まれる不純物が、腎臓で濾過されてできる。

・腎臓は左右に2個あって、血管は腎臓の内部で細かく枝分かれする。そして、その先端は肉眼では見えないくらいの細い毛細血管になっていて、糸球体(しきゅうたい)と呼ばれる濾過装置がある。

・つまり、糸球体は血液中に混じっている終末代謝産物や不要水分などを濾過する。これが、尿になる。
 なお、この糸球体は一人の人間に200万個もあるという。

・蛋白や糖が尿に出るときは、腎臓か尿路に障害があると考えられる。
 つまり、オシッコをちゃんと作れるかどうかは、腎臓の働きにかかっているのだ。腎臓の調子が悪くなると、尿素などが血液中に増えてきて危険な状態になるので注意が必要。

・オシッコがしたいというのが、脳の働きによる場合もある。
 脳は心理作用に左右されやすく、興奮をしたり、強いストレスにかかると排尿中枢が刺激される。その結果、膀胱に尿がたまっていなくても、オシッコがしたくなる。

 例えば、試験の直前にトイレに行きたくなったり、バス旅行で次はいつトイレに行けるかなどを心配すると尿意をもよおす。そのようなときは、水を飲んでいるか飲んでいないかにはあまり関係がない。

・できたての尿は、きれいである。
 しかし、尿には蛋白質の破片、尿素、尿酸などが溶けているので、空中では細菌が繁殖しやすい。尿素はアンモニアや硫化水素に変わって、おなじみの臭(くさ)い臭(にお)いになる。

・尿の色は、身体の状態によって変化をする。
 ふつう、淡黄色または黄褐色である。尿量が多ければ色は薄く、朝一番の尿は凝縮しているので濃い。

 まだまだあるが、取りあえずこの辺で…… (2006/08/06)


○あなたが中高年の男性ならば?


 ここのところ、私は前立腺の関係で、何かと身体の調子が悪かった。
 そこで、基本的なことを調べてみた。そして、その内容をわかりやすくするために、いくつかをQ&Aの形でまとめて記述しておこう。

(前立腺肥大症問答)

Q 1日に10回以上もオシッコをする。つまり、すぐにトイレに行きたくなるようになった。

A 頻尿の状態です。
・ 健康な男性の1日の尿量は、1500ml前後。
・ 膀胱の容量は、約200ml。
・ 夜間はホルモンの関係で、ふつう排尿はしないようになっている。

Q 最近になって、夜間に数回オシッコがしたくなって目覚める。寝不足気味になってしまった。

A 夜間の頻尿は、前立腺肥大症の症状の一つ。
 しかし、前立腺ガンの場合も同様な症状がある。
 前立腺肥大症と前立腺ガンは、いずれにしても泌尿器科で早めに治療をしなければならない。

Q オシッコが毎回だらだらと時間がかかるようになった。

A 健康な人のオシッコは約15秒。
 前立腺肥大症の人は40秒くらい。
 この時間がかかる現象を遷延(せんえん)性排尿という。

Q オシッコをしても、尿が出きれないような感じがする。

A 排尿の時間が長びいたり、途中で排尿がとまったりしたら、泌尿器科で診察を受ける必要がありそうです。

Q オシッコの中に血が混じっている。

A 前立腺肥大症では、血尿はそれほど多い症状でない。むしろ、腎臓ガンや膀胱ガン、尿路の悪性腫瘍などが疑われる。
 いずれも、泌尿器科で精密検査をしなければなりません。

 お大事に。お互いに。(2006/08/05)


○くちゃくちゃ


 ここのところ体調が悪く、部屋に引きこもりがちである。
 そんなわけで、音楽を聞く楽しみがある。

 ベートーベンのピアノソナタやフンメルのピアノ協奏曲、そしてスカルラッティやチマローザの曲などは、すべてCDで聞く。だから、手軽で問題はない。
 しかし、前の時代のカセットテープのものもある。
 むろん音楽もあるが、医療講座の講演テープなども多い。

 めったにはないが聞いていて、何かのはずみでテープが中でくちゃくちゃになっていることがある。聞いているときは、音でわかるのですぐに止める。
 しかし、聞きながら寝ちゃって、起きたときに気づくこともある。

 そんなときは、最悪である。
 なぜならば、かなりの長さでテープが出ちゃっているからだ。くちゃくちゃになっているだけならいいが、折り目まで付いて固くなっている部分がある。
 さらにひどいときは、取り出せないほどに中でテープが巻き出されて、いっぱいになっている。

 しかたないので、鉛筆をカセットの軸に入れて、少しずつ慎重に巻き戻していく。そして、面倒なその作業をしながらも、そのときにいろいろなことを考えてしまう。
 いまのこの状況が、何となく自分自身の身体の健康状態にも似ているということなどを……

 ふつうテレコは、自動的に正しく巻き進めていくのだが、古くなってくると何かのはずみで、正常どおりの動きができなくなるようだ。引っかかったり、ピンチローラなどが汚れてくっつくためであろう。もしかしたら、説明書に書いてあったピンチローラやキャプスタンのメンテナンスが悪かったのかもしれない。

 なぜならば、面倒なのでアルコールによる駆動関係の清掃などは、いっさいしていないからだ。
 あたかも細胞の遺伝子に組み込まれた情報に、エラーがあって以後は異常な状態になっていくようなことまでを考えながら、何とか再利用できるように巻き戻していく。

 中には、切れてしまったり、修理不能なものもあることはある。
 そんなときは寿命だと思って、諦めるのではあるが、……
 いま私は健康会の参考資料として「私の糖尿病からの脱出」という詳細な記録を作成しようと思っている。
 さて、どうなることやら。(2006/08/04)


○サリエリとフンメル


 最近になって外出が何となく不自由になったため、部屋にいて音楽や朗読などをよく聞く。なかでも、アントニオ=サリエリのピアノ協奏曲はここのところ、おなじみである。何番かはわからないが、

  ピアノ協奏曲 変ロ長調
  ピアノ協奏曲 ハ長調

の2曲である。

 いずれも、均整がとれた美しい曲である。
 こけおどかしのところがなく、まじめな作曲態度で終始して作られたようで、私にとっては聞いていて楽しく、とても好感がもてる。
 映画になった「アマデウス」にあるような理不尽なことは、私はあまり信じていない。

 それなりに、サリエリは優れた作曲家であり、素晴らしい作品を残していると思う。なぜ、モーツアルトの陰になっちゃったかというと、それは作曲をした作品数がずっと少ないからではないか。

 歴史に名を残すためには、一般的に多くの作品を作る必要があるらしい。むろん、少数派もあるだろうが非常に少ないようだ。
 そんな意味で、ピカソなどは末代まで名が残るであろう。

 それはともかく、サリエリのモーツアルトに対するのと同様なパターンが、フンメルのベートーベンに対しても言えるようだ。
 なぜかフンメルの素晴らしさは、あまり知られていない。
 そう思いませんか?

 エッケルマンだったろうか、ゲーテとの対話にベートーベンよりもフンメルを高く評価していたことが書かれていた。それを読んで、かつて私(rik)も、まったくゲーテの言うことが正しいと思ったことを覚えている。

 私は、「古今のピアノ協奏曲の中で、いちばん優れていると思うのは何か?」と聞かれたら、ためらわず即座に

  フンメルのピアノ協奏曲2番 イ短調 作品85

と答えるであろう。

 フンメルの2番の中に、ベートーベンのヴァイオリン協奏曲にあるメロディとほとんど同じ旋律で歌うところがあるが、おそらくそこはベートーベンのほうがフンメルの刺激をうけたものと思う。

 また、フンメルのピアノ協奏曲でオーケストラがピアノのバックで歌うところなども、実にすばらしい。堂々としているが、細かい配慮まであって、聞いていて飽きない。
 それは、サリエリの場合も同じである。

 サリエリも、フンメルも、ピアノについては、ベートーベン以上に熟知をしていたのではないか。とくにカデンツァの部分には、二人とも聞いていて思わずはっとするような美しさを残している。

 なお、サリエリのピアノ協奏曲はいずれも

  アルド=チッコリーニが弾いたもの
  クラウディオ=シモーネ指揮、イ・ソリスティ・ヴェネティ

フンメルのピアノ協奏曲は、

  ハウオン=チャングが弾いたもの
  トーマス・パル指揮、ブタペスト管弦楽団

で、私は聞いている。(2006/08/03)


○在家勧行集


 「寺院兼用 真宗改訂 在家勧行集 全」という本をもっている。京都の西洞院(にしのとういん)にある永田文昌堂が昭和41年(1966年)に発行をした橙色のハンドブックだ。

 私の家は、浄土真宗である。そこで、何かと必要と思って買ったことを今でも覚えている。
 また、別に「浄土真宗 本願寺派 門信徒勧行」というカセットテープも、用意してある。そのテープの内容は、

(A面)
  阿弥陀経
  念仏
  添引和讃 十方微塵世界の……
  回向 願以此功徳
  御文章 白骨章

(B面)
  正信偈
  念仏
  和讃六首 弥陀成仏のこのかたは……
  回向 願以此功徳

とある。
 とても堂々とした読経で、何度聞いても飽きない。
 このテープは、意味もわかりやすいので何回も利用した。最近になっても、よく聞くのである。

 いっぽう、本のほうは目次も索引もないから、どこに何が書いてあるのかがわからない。二つ折り袋綴じの和本だが、ページ数も振ってない。仕方ないので、最初から順番通りに索引を作成すると、

(1) 礼讃文(三帰依文)

(2) 経文(正信偈) 帰命元量寿如来……

(3) 頂礼文(導師独吟)

(4) 皇太子聖徳奉讃(奉讃早引)

(5) 現世利益讃

(6) 帖外(じょうがい)九首和讃

(7) 意訳勤行の勤め方

(8) 正信偈((2)とは異なって漢字交じりひらがな文になっている。)

(9) 十二礼

(10) 讃仏偈(さんだんのうた)

(11) 重誓偈(ちかいのうた)

(12) 御文章

(13) 十二礼文

(14) 文類偈(もんるいげ)

(15) 帰三宝偈(十四行偈)

(16) 重誓偈(三誓偈)

(17) 讃仏偈(さんぶつげ)(嘆仏偈) (10とは異なる)

(18) 仏説阿弥陀経

(19) (念仏)
 なまんだーぶー ……
 願以此功徳(がんにしくどく)……

(20) 領解文(りょうげもん)

(21) 本山年中行事(抄出)

(22) 食事のことば

(23) 太子七高僧 並 歴代宗主御忌日

のようになる。

 でも、テープを利用するときには、本の該当箇所を見ながら聞くと、わかりやすい。視力と聴力が、ともに働くためであろうか。
 A面は本の(18)から始まり、それに白骨章が付いている。そして、B面は本の最初から始まっていると思えばよい。

 仏説阿弥陀経や御文章にある白骨章は、いつ聞いてもいいですね。とくに、蓮如の白骨章は心に深くしみわたるようです。
 そう思いませんか?(2006/08/02)


○梵鐘


 時の鐘ではないが、この部屋から毎日3回鐘が鳴るのが聞こえる。近くの観蔵院という寺の梵鐘である。とくに正午に鳴るのは、ラジオのニュースを聞くためのサインになって助かる。
 この寺には、私たちも除夜の鐘として毎年撞きに行っている。

 聖蹟桜ヶ丘に引っ越して来る前は、町田の小山田にある大泉寺に除夜の鐘を撞きに行ったものだ。いずれにしても除夜の鐘を撞くと、何となく気分が洗われたような清々しい気持ちになる。

 ふつう、鐘を勝手に撞くことはできない寺が多い。
 しかし、いつでも撞ける鐘もある。

 例えば、鎌倉の龍口寺である。海の見える高台に鐘楼があって、いつでも撞けるようになっている。私は、上の仏舎利塔を参拝してから、必ずその鐘を撞いて帰る。非常によい響きのする鐘である。

 私は、梵鐘を聞くのが好きだ。
 そこで、全国のいくつかの鐘の音をカセットテープに録音して、夜に聞いたりしている。
 私がもっている梵鐘の音とその特徴は、

(1) 東大寺大仏鐘(奈良太郎と呼ばれる)(奈良・奈良時代)
 重々しい響きで、これが鐘であると言った感じの音を出す。

(2) 尾上神社(尾上の鐘)(加古川・朝鮮渡りの鐘)
 高音で明るく、伸びやかな音を出す。伝説では朝鮮から流れついて、海岸に打ち上げられたと言う。

(3) 金峯山寺(旧世尊寺鐘・吉野三郎と呼ばれる)(吉野山・平安時代)
 ちょっとゆらいだ感じの音がするが、なかなか魅力のある響き。

(4) 笠置寺(解脱鐘)(京都笠置・鎌倉時代)
 明るい伸びやかな感じのする音ではないでしょうか。

(5) 建長寺梵鐘(鎌倉・鎌倉時代)
 由緒ある寺の鐘ではあるが、よどんだ響きで伸びも短い感じがする。

(6) 円覚寺梵鐘(鎌倉・鎌倉時代)
 重々しく堂々とした響きがする。

(7) 称名寺梵鐘(横浜金沢・鎌倉時代)
 軽やかで伸び伸びとした音がする。

(8) 霊山寺宝城坊(日向薬師)梵鐘(神奈川伊勢原・南北朝時代)
 ちょっと澄んだ落ち着きのある音。

(9) 円城寺(三井寺)梵鐘(大津・室町時代)
 低音だがあまり重くない響きがする。

(10) 方広寺梵鐘(京都東山・室町時代)
 なぜかつぶれて、ひしいだような音に聞こえる。

(11) 知恩院梵鐘(京都東山・江戸時代)
 重い鐘なので、何人かがかけ声をかけながら撞いている。

(12) 浅草寺時の鐘(東京浅草・江戸時代)
 何となく庶民の悲喜こもごもが交じったような響きに聞こえる。

である。

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、……」などと『平家物語』にあるが、鐘の音は何とも魅力のあるものですね。
 好きな人は、おられるでしょうか。
 聞こえ方については、私とは異なった感じを受けるでしょうか。(2006/08/01)


○ツイアビ・イエス・ソクラテス


 「パパラギ」という本がある。素晴らしい本だ。
 私は、その朗読版のカセットをもっているが、何回聞いても飽きない。夜に寝付きが悪いときなど、さわやかな気持ちにしてくれる。

 サモアだったろうか。初めて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集である。ヨーロッパへ旅行をして、実際に見聞をしたり、感じたことを島民に報告する物語の形をとっている。いちおう、エーリッヒ=ショイルマンというドイツ人の翻訳ということになっている。

 内容は、「考えるという重い病気」などがあって、まったく新しい見地で意見が述べられているので、素晴らしい観点だと思う。つまり、われわれが慣れてしまった日常のことを別な角度から見ているのだ。そして、その見方が鋭いので感心をしてしまう。

 さて、「パパラギ」の意味は?
 そして、次に大きな疑問。

(1) この本は、実際にツイアビが演説をしたのであろうか。ツイアビという人はいなかったのではなかろうか。また、いたとしても実際の行動とは異なっているのではないか。
 つまり、すべてがショイルマンの創作ではないだろうか。

 むかし、「日本人とユダヤ人」という本があった。久しく著者が問題になったが、その本は山本七平という人がイザヤ=ベンダサンという名前で書いていたことが後でわかった。つまり、べンダサンは最初からいなかったのである。

 そんなわけで「パパラギ」についてご存じの方は、ご教示下さい。
 ついでに、もう二つ。

(2) ソクラテスは実際にプラトンの書いたような人物であったのであろうか。ソクラテスを書いた本は、プラトン以外にもあることはあるが、何となく文章が生き生きとしていない。
 そこで、実在のソクラテスをプラトンが理想化をして記述したのではないかというような下種の勘繰(げすのかんぐり)・揣摩憶測(しまおくそく)がどうしても生じてしまう。

(3) 新約聖書に書いてあるようなイエスは存在したか。
 他の書類にはイエスの記述がないとも言うが、ヨセフスの書いたローマの公式記録には、洗礼者ヨハネとヤコブだったかヨセフだったかの抵抗活動とが記述されていて、その間にイエスの記録があることはある。
 それも「義の教師」というわずかな記述で、何となく後で追加をされたふしもあるようだ。

 実際には、どうであったのだろうか。
 ご存じの方は、教えてください。(2006/07/31)


○チリも積もればスレッショルド


 皆さん、お元気ですか。

 「シュレッショルド」という言葉があります。ふつうは何でもないことが、ある程度の限界を超すと、悪い結果が出るようなときに使う言葉です。
 それはともかく、ここのところ急激に病状が悪化をする人が増えているようです。私もそうでしたが潜伏期とでもいうのでしょうか、だいぶ後になってから表面化する病気が多いからです。

 アスベストのガン化のように、30年も遅れてから表面化をするような場合もあるので、細心の注意が必要になってくるわけです。

 商品名で、ホモゲンホルツと言ったでしょうか?
 アスベストを固めて作った天井に張り付ける建材などが、流行をした時代がありました。むろん、電気鋸などでカットをしたときに粉塵が多量に発生をしました。しかし、工事をする人は当時少しも将来の危険などを感じないで、そのまま吸い込んでしまったようです。

 あるヨーロッパの国で、安物のビスケットを買うと20パーセントくらいの分量で土が入っていると言います。

 日本でも「カルシウム補給」などとうたって、肉骨粉をクッキーやおつまみの中に入れた企業が絶対にないとはいえないようです。なぜならば、利益のためには健康や安全性などを考えないで、少々の危険でも平気で犯すのが現代の経営だからです。

 コラーゲン入りなどとうたったラーメン屋もありますし、いっぽうでは人骨ラーメンなどがあったりして、何とも不気味な話です。
 一般に不要物の処理として、コストがいちばんかからないのは人間が食べてしまうことなのです。そして、その次が家畜の餌にすることのようです。

 前に読んだ怪奇短編小説アンソロジーだったと思うけれど、どうしても題名が思い出せません。もしも知っている人がいたら、教えて欲しい。
 それは、美しい田舎の別荘で恋人同士の女が行方不明になるというストーリ。そして、ご主人は悲嘆にくれたのだが、その後は毎日薪割り(まきわり)をするというのであった。

 お互いに食べるものの安全には、注意をしましょう。(2006/07/30)


○芸術工房


 私はエンジニアとして半生を過ごしてきました。
 そして、40歳代に病に冒されて仕事をギブアップしたのです。
 そのころから、余暇にいろいろなことをやってみました。

(1) 文学を作ること
(2) 美術作品らしきものの製作
(3) 音楽を作ること、つまり作曲

などです。
 そして、次のようなことに気付いたのです。

(1) 高齢になって楽しみが少なくなったときにやってみる。
 やってみれば、思ったよりも簡単にできる。

(2) 自分自身が生きている証明として利用する。
 何となく製作をしていると、時間が充実したように感じる。

など、やりながら活用法を考えました。
 決してプロ級の作品を作ろうというわけではありません。
 そのような考えとは別個に、多くの人々に楽しみが意外に身近にあることを知っていただくために、見本として『青空の入門・創作ページへようこそ!』を作ったのです。(2006/07/29)


○似て非なるもの


 前回の健康会で「前立腺肥大症」と「前立腺ガン」との違いについて話題になった。女性会員Fuさんからの質問であったので、なぜそんなことを知りたいのかを聞いてみた。
 すると、彼女の行っている教会の神父さんが、いま前立腺で入院をしているという。

 そこで、私もにわか勉強をして、何とか答えるのではあるが、……
 もっとも、勉強などと言っても、病院の受付にあった武田薬品工業の無料のパンフレットによるもので、わずか12ページの小型冊子であり、それを参考にしたゆえに、この説明もいたって簡単なものである。
 でも、知らないよりはずっとよいのではないか。

 前立腺は男性だけにある器官で、前に立っているから「前立腺」という。(のであろう。これは、パンフレットに書いてあるのではなく、私の考えです。)
 その前立腺がいかれちゃうと、「オシッコが出にくい」「トイレが近くなる」「オシッコの量が減っちゃう」などの結果があらわれます。

 そして、その症状の原因として

(1) 前立腺肥大症
(2) 前立腺ガン

が考えられます。

 上にある(1)と(2)は症状が非常に似ていますが、まったく異なった病気なのです。しかし、併発をすることもあるので注意が必要です。もしも、ダブル状態になると、身体はけちょんけちょんになってしまうでしょう。
 おそらく、私の場合がそのようです。

 私は、(1)の前立腺肥大症にかかっているのは事実です。なぜならば、医師がその手術の必要性を言うからです。そんなわけで、入院の申し込みをしました。
 そして、手術の前後に(2)の前立腺ガンの有無もわかるでしょう。
 さらに、糖尿病・高血圧による失明の可能性などが、次々と明らかになるのは早晩の問題です。

 前立腺ガンは、かつては医師が肛門から指を入れて固くなっている箇所を直接に確認をしたそうです。しかし、現在はPSA検査で簡単に調べることができるそうです。

 PSA検査はPSA(前立腺特異抗原)の性質を利用したもので、簡単で精度の高い検査法と言われます。この検査でガンの可能性があると判断された場合は、二次検査として超音波検査と直腸診を行うそうです。
 そのようにして、前立腺ガンの結果がわかるのです。

 いずれにしても、これらの症状は高齢の男性に多いことでも似ています。しかし、最近では50歳代前後から症状が出てくるようになって、それが若年化をしているとも言います。

 (1)(2)ともにならないためには、日常の食生活や生活習慣に関する注意が必要のようです。私は、かつて食生活や生活習慣をなおざりにしたために、最近になって病気に見舞われたんじゃないかと反省をしています。

 いくら信仰があつくても、前立腺やガンには事情が通じなくて、あまり効果がないようです。
 その証拠に、フランチェスコはその末期に全身がガンに犯されていました。もっとも、アシジのフランチェスコ自身ではなく、ポルノ俳優ミッキー=ロークのことです。そして、後に整形で顔の形まで変わってしまったローク自身のことではなく、ガルバリーノ監督が作った映画の主役でのことです。(2006/07/28)


○運転免許証の更新


 はがきで「運転免許証の更新時期が近づきましたので、お知らせします。」という案内が来た。今年からは、誕生日過ぎの1ヶ月間もOKになったようだ。つまり、書き換え期間が2ヶ月間に改められたので、ゆっくりしても大丈夫である。

 しかし、私の場合は個人的に心配があるから、久しぶりに空が晴れたので思い立って行ってみた。もしかしたら、来月は歩けなくなっているという心配があったのだ。また、府中病院で10日ほどの入院を申し込んでいるが、それが数ヶ月に延びる心配もあり、動けるうちにやっちゃおうと考えたのである。

 もっとも、もしかしたら運転免許証などは不要になっているかとも懸念をしなかったわけではない。身分証明書にも使えなくなっているかもしれない状況も考えてみたのではあるが、……。

 2006年7月26日(水)多磨霊園前からバスに乗って、朝早く府中運転免許試験場に出かけた。そして、目の検査などをして、それでも疲れ果てながら、新しい免許証を手にしたのは、10時少し過ぎであった。
 改めて、交付された免許証を見ると、
  昭和34年 大型
  昭和35年 大自二
とある。

 自動二輪を受験した覚えはないが、大型のときは大変だった。
 まだ、大型の実施試験免除などがないころだったので、トヨタの5トン車でコースを走ったのである。真夏であったが、試験管の印象をよくしようと思って学生服を着ていったので、とても暑かったことを覚えている。
 それでも二回目で、何とか合格をして大型に乗れるようになった。

 そう言えば、かつて自動二輪などに乗ったころのことなども、今になってみれば、なつかしく思い出す。
 そのころの大きなオートバイには、たいていバックギアが付いていた。あまり早くは走れなかったが、時速20キロぐらいまでは後進でも大丈夫だったような気がする。

 大型の免許証は、その後の学校での夏期休暇に三菱ふそうのチリ行きのバスのテストなどのアルバイトをした。覆面バスであったが、下はシャーシのままであり、箱根新道がなく旧道を上り下りするときは、だいぶ真下に渓谷があって、恐かったことを覚えている。

 12メートルくらいの長さで、しかも左ハンドル、床のないバスであるから前輪より前にある運転席の下は崖から出てしまって何もない。当時はガードレールのような柵ではなく、縁石だけだったので、何とか前を出すことによって通れたのではないか。

 その後、昭和40年を過ぎてから、私は陸王やハーレー=ダビッドソンなどの大型二輪、そして国内用をはるかに越える大型バスや大型左ハンドルには乗ったことがない。

 高砂市で工場通勤には、スーパーカブという50CCのバイクであったし、乗用車も税金の関係で小さいクラスをずっと用いたからだ。つまり、大型免許も自動二輪も、今日まで必要がなくなってしまったわけ。

 今日の講習は、時間的にはジャスト30分であった。
 しかし、その講師がすばらしい人であった。市ノ瀬さんという女性であるが、ひとりひとりに対してていねいに「ご苦労様」と言っていた。

 2号館の2階に上がるとその人が案内をしていたので、最初は事務の人かと思ったが、実際は講師自身だった。
 何となく、このようなところにも「常不敬菩薩のような感じの人がいるものだなぁ」という印象がしないでもなかった。

 その理由は、……
 (「5年後に、またここでお目にかかりましょう!」と言ったことと、その風貌などから、私だけが受けた感じかもしれない。)(2006/07/27)


○カキクケコは嫌い


 私は、賭(かけ)・競争・籤(くじ)・喧嘩・口論などが嫌いだ。
 何となく後で考えると、無意味で無駄だったような気がすることが多い。

 若いころは、競争なども当然のことと考えたが、老いてくるとまったくバカバカしい話だと思う。数の少ない物を多くの者が得ようとするための混乱にすぎないのではないか。そして、分配の法則や数の少ない物を増やす方法などを考えたほうが抜本的な解決になると思う。

 それを近年になって力で解決をするようになったのだろう。個人の間でも、国家間の問題でも同じである。まったく、野蛮なことではないか。まだ、人間が未完成であるというような気がしてならない。

 しかし、そうは言っても、この時点で自分自身が生存競争に敗北をしたのではないかとも、つくづく感じる。ものを欲しがらないということは、かなり生とは遠い考え方だから。
 おそらく、死の準備をする時期に来ているのかもしれない。

 人間は、日々することがなくなったら籤や賭に熱中をするのかもしれない。ジュール=ヴェルヌだったっけ『三万年後』という本に、そんなことが書いてあったような気がする。することがなくて、ひねもす互いに賭を飽きずにしているのである。

 そもそも、生まれるときに数多くの精子が競争をすることなどは、いったいどのように考えたらよいのだろうか。つまり、「生存競争」という現象である。おそらく、それらは○○○が作った狡猾な一つの活性化のための幻影なのかもしれない。

 うすうす万象の真実を垣間見たような気もするが、…… (2006/07/26)


○熟れたオリーブの実


 マルクス=アウレリウスの「死」に関する言葉です。

 <よく熟れたオリーブの実が、自分を育ててくれた大地に感謝をして、再びそこへ落ちていくようなものだ>

 『自省録』に出ている文章です。

 マルクス=アウレリウスはギリシアの皇帝でしたが、椅子も暖まらないほどに遠征に続く遠征でした。地方に反乱が多かった時代でしたから。
 しかし、宮殿に戻ったときには、ふしだらな奥さんと誰の子かもわからない息子たちをこよなく愛したそうです。

 私(黒田康太)は、マルクス=アウレリウスを主人公にして劇でも書いたら、シェークスピアの『コリオレーナス』よりも、もっとスケールの大きなあらずじで、もっと人間の機微を捕らえた素晴らしい物語になるんじゃないかと思っています。

 時間があったら、やってみたいことでもあります。(2006/07/24)


○陶淵明


 陶淵明の『帰園田居五首』の其四に、

  人生以幻化
  終当帰空無

とある。
 おそらく、その意味は

  人生は幻化に似て、終(つい)には当(まさ)に空無(くうむ)に帰すべし

ということであろう。
 また、『雑詩十二首』の其四には、

  丈夫志四海
  我願不知老

とある。
 その意味は、

  丈夫(じょうふ)は四海に志す、我は願う 老いを知らず

となる。
 私(rik)は淵明が考えた「空」と「無」の具体的な内容を知りたいと思う。誰か知っている人がいたら、ご教示願いたい。
 また、「老いを知らず」という心境についても、非常に興味がある。(2006/07/23)


○飲料水について


 身体にとって、水が大切なことはわかります。
 血液の機能を分担したり、体組織を構成したりするからです。

 そんな大切な水ですが、あまり注意を払わない人もいます。
 私も無頓着でしたが、最近になって注意をするようになりました。

 ふつう、水道水を「ハーレー」という浄水器で濾過をして飲み水に使ったり、料理に用います。しかし、最近になって飲み水としてペットボトルに詰まったものを買うようになりました。

 何となく安全そうで、健康にも優れているように思えたからです。
 私が利用しているものに書いてある説明を一例としてあげてみましょう。

<サプリメントウオーターAMINO SUPLI+9 KIRIN
人間がつくれない9種類の必須アミノ酸がいちどに摂れる・アミノサプリナイン
人間のカラダ=11+9 人間のカラダは、20種類のアミノ酸でできています。そのうち11種類が体内で作ることができる非必須アミノ酸、9種類は体内で作ることができない必須アミノ酸です。
いちどに摂れる+9 9種まとめて摂れるから、体内で効率よく働きます。しかもWHO(世界保健機構)などが設定する必須アミノ酸の最高バランス「アミノ酸スコア100」という基準に基づいて独自に配合!
現代人が手軽に摂取して、基礎から健康な身体を作るサプリメントウオーターです。
名称 清涼飲料水  原材料名 砂糖、塩化Na、香料、クエン酸、クエン酸Na、スレオニン、フェニルアラニン、リジン、ロイシン、バリン、ヒスチジン、イソロイシン、メチオニン、トリプトファン>

 このインプットは、なかなか大変なので、少しずつインプットして10種類くらいはするつもりですが、ここではそれ以前の問題です。

 それは、その製品にあるメリットばかりを記述していて、デメリットや危険性について、まったく記述がないことです。
 例えば、「常用を長期間行うと、糖分の摂取過多になりますので注意をしてください」などのようなコメントです。なぜならば、原材料名の最初に砂糖とあるのも心配だからです。

 それを食べ物の例で言えば、「玄米が健康によい」などと軽率にいうような場合と似ているでしょう。確かに、その通りなのですが危険な例外があります。それは、白米用に生産をした米を玄米に精米をしたときです。
 そして、テレビなどでブームになったときに出荷される玄米が、ほとんどそのような製品であるという事実です。

 そのような製品を食べると、健康によいどころかアトピーや身体のかぶれなどの症状を起こすからです。さらにひどいのは、原因不明の嘔吐などを起こす場合があるようです。
 水の場合は、いったいどうなんでしょう。(2006/07/22)


○病気は病気を呼ぶらしい?


 最近になって、バカに身体がしんどい。
 以前のハツラツサが、なくなってしまった。
 何をするのも面倒くさく、一気に老人になってしまったみたいだ。

 入退院を繰り返したのだから、当然かもしれない。
 そして、まだ検査をしていないから、自分自身でも何が何だかわからない。来週になって「造影検査」というのをするので、万一の事故のときの覚え書きのようなものを書かされた。だからそのかなり大きな結果で、すべてがわかるのかもしれない。

 でも、考えてみた。
 ここのところ、食生活と飲み物との変化である。とくに、飲み物はすべてが市販の「ポカリスエット」や「ダカラ」などの清涼飲料水やアミノ酸飲料・そしてウーロン茶などである。いずれも、甘みは少ないので糖尿については安心をしていたのだが、……

 「ハーレー」で濾過した水で氷塊をつくり、そこに「ハーレー」で濾過した水を入れて飲まなくなってしまった。ここのところ暑かったりするので、氷を水枕に使ってしまって、ちょっと足りなかったことにもよる。
 そして、いずれの清涼飲料水もほのかに甘くて飲みやすく、とてもおいしいので身体(体液)にもよい効果があるのではないかと考えたからだ。

 でも、心配になったので今までは月に一回だった「尿・蛋白試験紙」「新ウリエースBT」というので、久しぶりに確かめてみた。
 すると、驚いたことに「蛋白」はべっちょなかったものの、「糖」がものずごい。つまり、「蛋白」が(1)(ほとんど検出されず)であったのに、「糖」はすでに(5)(多めに検出)で(4)(少し検出)を過ぎてしまっていた。

 しかたないので、清涼飲料水と比べてあまりおいしいとは言えない「生水」にまた戻してみたた。
 そして、一日して「ウリ」さんではかってみたら、……(2006/07/20)


○生死(しょうじ)の問題?


 生死(しょうじ)の問題です。
 つまり、私の場合は「生」と「死」を区別しないで、「生死(しょうじ)」という一つの概念の中で考えているのです。

 ちょっと変わった考え方ですから、ここに基本的な概念を一つずつ箇条書きにして、簡単にまとめておきましょう。

(1) 皮膚に囲まれた一連のつながりを「生(しょう)」と考えます。

 つまり、「◎」の大小二つの「○」の間の空間を「生」といいます。実際的には、その空間は平面でなく立体になっています。浮き輪やドーナッツを考えていただくと、わかりやすいでしょう。
 浮き輪では「空気の入っている部分」、ドーナッツでは「食べる部分」です。

 そして「◎」の「内側の円のさらに内側の空洞の部分」と「外側の円のさらに外側の部分」とが「死」なのです。浮き輪では、空気が入っていない部分、つまり外のふつうの空気中の部分、そしてドーナッツでは食べられない部分なのです。

(2) そのように「生」と「死」をとらえると、さらに外側にあるそれらを含む全体の部分が「無」となるのです。しかし、その「無」の中には他の「生死」が存在しますので、必ずしも「無」が広がっているというわけではありません。

 つまり、この中で「生」と「死」だけを含む部分を「無」と考えます。そして、他の生死の存在までを考えられるときに、そこを「空」と言います。
 ただし、「空」に入りこんだ「無」のかけらを「捨(すて)」と呼んで、それは致命傷になることがあるので、除くように注意をするほうがよいでしょう。

(3) そのように考えると「生」から「死」へのつながりは、ちょうど私たちの身体の構造に似ています。当然のことかもしれませんが、……
 例えば、皮膚や爪、そして髪の毛などを考えてください。
 爪は骨ではなく、皮膚から発達したものです。伸びた爪を切っても痛くはありませんが、深爪をすると痛みを感じたり、化膿をします。つまり、先端がすでに死んでいるのに対して、むろん根本(ねもと)の部分の爪の組織は、生きているのです。

 サウナなどで垢すりをするのも同じことです。見ていると驚くくらいの垢が落ちてきます。そんなに「死」となった皮膚の細胞を身体の表面に付けていたのかと不思議に思います。考えてみれば、兆以上もある細胞の死骸ですから、当然のことかもしれません。
 すなわち、そのように考えると、爪や皮膚や髪の途中にも「生」と「死」の境があることになります。

 さらに細かいことは、長くなってしまうので次回にしたり、さらにホームページにでもまとめてみましょう。

 例えば皮膚についての問題でも、この回で言い足りなかった

  棘(とげ)が刺さった場合
  ハンセン氏病などの場合
  皮膚に物が付着した場合
  (事故で付着をしたり、金粉ショーのような人為的な場合)

などの例で、生死との関係を明らかにしていきましょう。(2006/07/19)


○ガーベージコレクション


 Garbage Cllectionと書きます。
 ガーベージが「ゴミ」「廃棄物」などのことで、コレクションは「収集」「寄付金」などのことです。したがって、単に「ゴミ集め」というような意味でしょう。
 ガーベージは、日常的にGarbage truckを「清掃車」の意味に使っているように、いわゆる「ゴミ」のことなんです。

 それなのに、プログラムの世界では「ゴミ集め」とは言わずに「ガーベージコレクション」と言っていた時代がありました。おそらく、「ゴミ集め」と訳すと軽々しくなってしまうからでしょう。

 その意味は、ファイル内容の追加や削除を行っているうちに、ディスク上に分散をしてしまった小さいクラスタを集めて、効率よくアクセスができるようにする作業のことでした。そしてその作業を「ゴミ集め」とは言わずに、おごそかに「ガーベージコレクション」と言ったのです。

 そんなことを考えると、Windowsで「ゴミ箱」と言ったのは、ずいぶん進歩をしたものです。

 私は、この「ゴミ箱」のほかにデスクトップ上に「仮ゴミ箱」というのを作っています。後で、もしかしたら必要になるかもしれないファイルを残しておく安全のためです。コントロールパネルで「ハードディスクの容量を増やす」ときに、うっかりと失ってしまわないためです。


 話は変わりますが、皆さんはティッシュの空き箱をどうしていますか。
 私は、ゴミ箱に使っています。ちゃんと入り口にビニールの覆いもついていて、ゴミが外に出にくくなっているから便利です。

 上の面に「ゴミ箱」などとマジックインキで書いておくことも、なかなか効果的でしょう。「Nacre Garbage」または「NG」などと書いておくこともあります。
 「ナクレ」は、私が以前勤めていた製紙会社の商標だからです。(2006/07/18)


○カイライカシンコウチュウ?


 楳図かずおの「まことちゃん」シリーズに、次のようなのがあった。
 沢田家の食卓である。
 まず、ミカちゃんが発言。「すでに宇宙人が地球に入り込んでいるらしい!」

 すると元太郎おじいさん、ふとったたつおばあさん、ご主人、母親の貴代子さん、そしてまことちゃんも椅子からのけぞらんほどに驚く。
 そして、「見分ける方法はないのか?」と質問が出る。

 なお、名前はうろ覚えなので間違っているかもしれない。
 また、一家のご主人の名前を忘れてしまった。幼稚園で担任の花子先生やあんず先生、そして近所に住んでいる顔に三谷さんと書いてあるおじいさんなどの名前は覚えているのだが、……

 本論の質問に戻ろう。
 ミカちゃんが言う。「宇宙人は、グワシができないらしい」
 グワシとは、手の指をある離し方によって開くのであるが、まことちゃんだけがまだできない。そこで、隠れて練習をするのである。その練習があまりにも真剣であったので、顔がすでに宇宙人のように変化をしてしまった。

 ……というのであるが私は最近になって、ちょっと疑問に思ったことがある。それは、国の要人たちがすでにマインドコントロールをされてしまったのではないか、ということ。

 例えば、人格の欠落化は日銀の総裁クラスまで進んで、さらに次は学界に入ろうとしているようだ。国民や本人さえも気づかないうちに、次々とマインドコントロールをされて、国の方向が何となくおかしくなってしまったのではないだろうか。

 マインドコントロールは、実に巧みに行われているらしい。
 したがって、本人たちは気づかない。ちょっと養鶏場のニワトリたちに似ている。そして、カーネル=サンダース氏の考えていることなど、それこそ馬耳東風である。

 また、そんなことを続けていると楳図かずおの「14歳」に誕生するチキン=ジョージ博士や高橋葉介の「ミルク」に出てくる弟の怪獣のようなものが近い将来に生まれるのではないかとも、……

 そんなことが心配になってきた今日この頃である。
 それは、私だけの杞憂であったら、いいんだが。(2006/07/17)


○歎異抄


 年配者が集まると、つい暗い話になっちゃう。
 つまり、やがて死ぬのでそれまでに「安心立命を確立しておく必要がある」というのである。それが、どうして暗いのかというと、誰もが「死」をわかっていないからだ。また、たいがいの人は「生」そのものも、自分がそうでありながら理解というか、認識をしていないことが多い。

 『論語』にある「孔子が子貢に素っ気なく答えた」のが、宜なるかなである。

 いちばんわかりやすいのは、『歎異抄』だと私は思う。
 弟子が師のことを書いた本で、唯円が親鸞のことを書いている。おそらく、この本はゲーテとエックハルト、そして道元と懐奘などの関係に勝るかもしれないほどの優れた記述であろう。

 いま私は、その抜粋の現代語訳を作っている。
 「青空ライブラリ」に載せるためである。
 すでに、全文はだいぶ以前に「青空ライブラリ」に載せた。しかし、ちょっとわかりにくいという人がいた。そこで、最初の10章というか10段というか、唯円が親鸞の言葉を記した部分を現代文にしてみようと思う。

 実に素晴らしい文章である。そこでは、まったく親鸞の姿が彷彿としてくるからだ。つまり、親鸞自身が書いた文章などよりも、生き生きとしていてリアルである。いままでの訳が、ちょっとためらっているようなところも、新しい解釈を試みたい。

 そして、早く仕上げたいと考えている。
 しかし、ここのところ体調がよくないので、あまり進んでいない。
 自分自身の往生までには完成をしたいものと考えてはいるのだが、どうしても焦っちゃう。
 …… (2006/07/16)


○面倒くさい、億劫だの世代


 どうやら今回の病気の結果、私も「面倒くさい」「億劫だ」の世代に入ってしまったようである。つまり、一気に老人になってしまったのだ。
 どうしたら、以前のように「面倒くさくない」態度で、何にでも「億劫ではなく」チャレンジできるようになるのだろうか。

 もう、戻れないのじゃないか。
 何となく非可逆変化のようで、ちょっと心配である。(2006/07/15)


○正論・両論・反対論


 「青空論壇」というホームページを作ってみた。
 そしてそこに、このメールなどもまとめて保管をしておこう。
 なぜならば、自分では有意義な内容と考えても、サークルの中ではほとんど見てもらえない。そこで、仕方ないので後で自分自身で何回も見直してみるつもりである。
 場合によっては書き加えてみたり、削除をしたりする。そんなことによって、いつまでも呆けないのではないか。

 それはともかく、「正論」というのは何となくおこがましい。
 その分野の知識もなく、政治などの研究もしていないので、本当に正論が言えるかどうかも自信がない。

 それでは、鵺的(ぬえてき)な「両論」ではどうだろうか。
 ギリシアの本で、両論という不思議な内容のものがあった。それは、意見のいずれも擁護をするために、何が言いたいのかの主旨をわからなくしているからだ。

 例えば、こんなのがある。

 ギリシアでは女の子が裸で道を歩くのは、恥ずかしいことと考える。しかし、スパルタではそれは平気で問題にならない。そして、ふだんからそのことが行われている。

 ある国では、父や母が死ぬと料理をして食べる。思い出を少しでも、自分の身体の中に残しておきたいからだ。しかし、ギリシアではそのようなことを野蛮なこととして忌み嫌う。

 読んでいると驚くようなことが書いてある。
 なぜならば、現代の常識とは異なっているからだ。
 例えば、スパルタでは「泥棒」することを国家が若い人たちに奨励をしたようだ。おそらく軍事演習の一環としてだろう。

 「反対論」ばかりを述べている人や本もある。
 何となく、「不満分子の輩」と言われそうだ。すべて反対をするのであれば、それなりの立場が必要であろう。

 世の中は不思議なことでいっぱいである。常識の及ばないことも多い。
 しかし、原則的には

  「寝て覚めて、食べて働き、疲れ果て、やがて死ぬのは、誰でも同じ」

なのかもしれない。と私は短歌を作って、つくづく思う。(2006/07/14)


○はめまらとむしむだ


 老化予防の一環として、「はめまら」と「むしむだ」には、とくに心がけなければならない。

 つまり、まず「歯」と「目」と「まら」に注意をしなければならないんだ。
 具体的に言うと、「歯」は「虫歯」や「歯周病」である。高齢者になってくると、歯の数も次第に減ってしまいがちである。
 「目」は、ふつう悪くなるばかりである。そして、白内障や緑内障にもなりやすい。糖尿病を患っていると、失明の恐れもあるだろう。
 「まら」は、オチンチンのこと。そして、男性は老いてくると、ほとんど前立腺がいかれてしまう。

 いっぽう、老人になると何を言っても、回りから無視されることが多くなる。適当に扱われる他、ひどいときは存在そのものがムダのように言われる。「父母恩重経」などにあるとおりで、まったく情けない。

 また、横井也有が53歳のときに書いた俳文『鶉衣(うずらごろも)』の後編にあたる「嘆老辞」に、次のような記述があった。その記述とは、かなりショックなもので
 <耳もとおくなり、眼はかすみ、四肢のふしぶしは痛むようになってしまいました。老人と話をして、まどろかしく感じたり、また老人をうとましく思ったのは、つい先日のような気がする>
とあります。
 つまり、自分自身が老いたことを改めて認識をしたというのです。

 そんな記述を読むと、実は「私も以前は老人を見て、鈍いのでうとましく思った」が、もはや自分がそうなっているので驚いてしまう。まったく横井也有の書いているとおりです。
 若いころの奢(おご)りは、いつの間にか少しずつ失われていくようです。

 さらに、「方丈記」、「徒然草」、そして旧約の「伝道の書」などの記述には、愕然としてしまう。そして、まったく当を得ているのが残念でもある。
 したがって、自分で自分自身の空間を築くしか、救いはないであろう。(2006/07/13)


○慣れの不思議?


 慣れというものは、不思議なものである。
 また、固定概念を作ってしまうので、恐ろしくもある。この慣れが、私たちに致命的なことをもたらしてアウトにするようです。

 私たちは言うまでもなく、皮膚で閉じた空間で存在する。それが保てなくなると「生」ではなく「死」に近づいていく。つまり、生きているということは皮膚で閉じた空間が正常に機能をしているということ。

 もっとも、閉じた空間といっても、それは単なる塊(かたまり)ではなく、トポロジー的に一つの筒をなしていなければならない。そのようなことが、私の生命論なのです。

 話を戻して、慣れについて恐ろしい錯覚がある。
 それを正しいといったん信じたら、その通りを続けて破滅をしてしまうことさえもあるからだ。

 健康や幸福についての神話は、誰がいつ作ったかわからないが、実にたくさんあって惑わされてしまう。なぜならば、その神話を実行してもいっこうに結果が表れないからだ。
 もしも、それが事実ならば今ごろは日本中に健康な人が満ちあふれていたはずであろう。しかし、実際には病人が増えているという。

 慣れてしまって私たちが考えないことの例を一つ挙げてみよう。

 私たちの存在である。存在そのものは云々しないとしても、その状態なのである。つまり、私たちは太陽の周囲を回っている地球という衛星の上にいる。そして、その衛星は時速3万キロメートル以上の速さで回転をしている現実をどう考えるか。

 当然のことながら、私たちはその風圧や遠心力に気づいていない。
 新幹線の屋根の上にしがみついていたとしても、たかだか時速300キロメートルではないか。それに比べて、時速3万キロメートルという数字でも、静かに座禅を組んでいる状態になれるのはなぜか。

 それは、単に永年の慣れなのである。
 時速3万キロメートルのことを言っても仕方がない。慣れが「生死(しょうじ)」を狂わしていることを発見したので、それを改めて言いたいのである。
 詳細に関しては、別にページを改めましょう。(2006/07/11)


○ホームページは何で作ったらよいのか?


 ホームページを始めてから3年が過ぎた。
 全体で5ギガバイトの空間であるが、まだまだ余裕はあるようだ。もしかしたら、私の現状ではそんなにたくさんの情報をまとめきれないであろう。先輩が言うには、「すでに、とても一人じゃムリな大きさである」そうだ。

 「健康」「老化予防」から始まって、「安心立命」と進んできた。
 さらに、「多摩地区の話題」そして「文学」「美術」「音楽」などテーマごとに書き連ねてきた。私の生涯を考えると、ぼつぼつそのまとめと再整理の時期に入ったのかもしれない。

 何となく昔のライフスタイルを思い出す。
 戦前は子どもが6人などと多かったものだ。親は大変であったが、育てる楽しみは大きかったに違いない。そして、子どもの中から大臣や大将が出ることを本当に楽しみに期待をしたようである。

 しかし、中には作るだけ作って面倒をあまり見ない親もあったようだ。それでも、子どもは力強く育っていった。そんな時代であったのである。

 話をホームページに戻そう。
 実は、ツールがなくて私にはできなくなってしまったのである。ツールがないというか、調査不足なのであろう。例えば、一太郎などは私の考えていることがほぼ可能なのではないか。

 ホームページの作成に詳しい人は教えて欲しい。

(1) HTMLでは、20個ほどのブロックに分けて5ギガバイトを書こうとすると、ちょっとしんどいだろう。

(2) ホームページビルダーは便利なようでも、まったくの機能不足である。ホームページ作成ツールなどとうたっているが、肝心の折りたたみ機能さえも付いていない。
 レベルという単にランク付けしたものを見るだけの操作はできるが、まったく役に立たないと言ってよい。
 少なくともドキュメントプロセッサとして使えなかったら、ちょっとした文章の構成などはできないのではないか。

(3) Wordは、折りたたみやドキュメントプロセッサとしては機能をいちおう持っている。しかし、である。Officeとの関連であろうか、そのファイルが膨大になってしまう。フィルターを通しても、使い物にならない。
 バックアップ用のファイルだろうか、意味のわからない不要なファイルも作ってくれる。また、図形などはファイルごとにすべてセーブするので重複をして、ファイル容量が大きくなってしまいバカみたいである。
 いずれにしても、大きなホームページにはWordは使えない。

(4) その他のホームページ作成ツールはどうであろうか。
 私は、おそらく一太郎ならばほぼ満足ができると思う。しかし、すでに老いてしまって情熱をもって調べることができない。つまり、一太郎には大きな可能性を信じるのではあるが、今さら始めるのが恐ろしい。

 なお、メーラーについても機能の不足しているおまけについていたものよりは「手裏剣」のほうがよいだろう。それも同様に、慣れるまでが面倒なのでいまだに使っていない。
 費用は、まったく安くて問題はないのであるが、……

 そんなわけで、道具がないので先に進めない状態になってしまった。
 若ければ、一連の必要なツールを自分で作るのではあるが。(2006/07/10)


○自炊と外食、飲み水などについて


 かつては食べ物や水について、きわめて厳密であった。なぜならば、健康に影響があると考えたからです。しかし、ここのところ自分が病んでしまうと、そのような配慮がなぜか億劫になってしまった。

 そして、厳密な配慮をしてもあまり大きな効果はないんじゃないかとも一方では考えるようになったのだ。つまり、面倒になったので考え方も甘くなったみたい。

 そこで、自分でいちいち玄米食など作るのをやめて、手軽な外食をするようになった。また、肉食を忌諱することもなおざりになった。つまり、ベジタリアンを放棄したのである。

 実に今までは、細心の注意をしたものである。
 その手数や時間もバカにならないほどであった。わかってみると、食事に対して労力をかなり費やしていた。第一、食事をするということ自体がかなりの重労働である。そんなことも、今回の出来事でわかった。

 そう考えてみれば同じ建物(同じ番地の傘なしで行けるところ)に、ずいぶんと食堂がある。利用をしないほうが、もったいない。例えば、

(1) ビルディ(軽洋食のレストラン・日替わりランチは飽きない)
(2) ラ・クレア(スパゲッティやアイスクリームなどもおいしい)
(3) マクドナルド(桜ヶ丘に2軒あるが、ソフトアイスのある店)
(4) 中華料理店(名前は忘れてしまったが味付けがさっぱりしてる)
(5) クレープの店(美しくておいしいクレープとコーヒーが飲める)
(6) 風(ふう)(健康食志向の料理、富士山の見えるくつろぎの場)
(7) スターバック コーヒー(地上階フランス式の屋外テーブルあり)

などである。
 それぞれ食事やコーヒーが飲める。そして、それなりにおいしいのである。とくに、ビルディではプラチナ・カードなるものを作ってくれた。「熟年層のお客様5%OFF」である。同伴をした若い人も適用をしてくれるというので、何ともありがたいことではないか。

 私は午前10時半ごろ、または午後3時ごろに行く。すると、ほとんどガラガラで客がいない。したがって、とても落ち着いた雰囲気のなかで、落ち着いた食事ができる。

 また、飲み物も無農薬で安全に育てられたコーヒー豆や紅茶などを仕入れて自分で湧かしていた。しかし、それも面倒になって各種のドリンクを2リットル入りペットボトルで買うようになった。

 1日に10リットルほどを消費するので、大型のボトル5本である。とても重いので、キャリングカーを牽いていく。途中にエレベータはあるが、階段がないので楽である。

 飲料水は種類が多いので、何を買うか迷うときもある。
 例えば、コーラーのボトルには「愛されて120年」などと書いてあるし、黄色い液体のボトルには「レモン210個分のビタミンC」などとある。いずれも本当かどうかわからないが、何となく信頼ができるような感じもする。それから、ポカリスエットのような飲料である。

 ポカリスエットは数年前に大岩先生と旅行をしたときに、いつも先生が携行しておられたので、その存在を知るようになった。

 飲料水については、いま私なりにまとめているので、後日その結果を発表する計画です。なぜならば、中には開封後に室内の常温で数日間も放置しても、カビ一つ生えない種類のものもあるから。
 おそらく、多量の防腐剤を混入してあるのだろう。
 現時点では、面倒なので開封をして24時間以内にそのまま飲んでいる。それが、実際に1週間後にも腐らない液体かもしれないが、…… (2006/07/08)


○歯周病と糖尿病は同じ穴の狢か?


 糖尿菌というのがあるかどうか知らないが、一部の貧しい地域を別にして、現代社会を崩壊していく恐ろしい現象である。むろん私も、その中に入っているので、近い将来が心配でならない。

 いっぽう歯周菌は愚かな菌で、身体全体から比べると非常に小さいが、自分の至近距離、つまり内部を食い尽くすことによって、生きながらえている。身近にあるすべての歯をダメにすれば、自分自身が生きられないことはわかっているはずであるが、それでも自分の滅ぶこともわからずに、幻影でもって意味のない総攻撃をかける。

 しかし、自分が滅ぶ前に何とか生き残るためには、糖尿の人の血液に入り込むことを考えるらしい。おそらく、そんなことをしても相手がすでに汚れているので、共倒れであろう。
 その状態は、エイズや肝炎の数倍も重度な大病人の出来上がりとも言ってよい状態ではないか。

 私は歯周病であるし、糖尿病の気(け)も大いにあるので心配だ。

 歯周病と糖尿病には、互いに意外な関係があるので注意が必要です。
 歯周病は、単に口の中だけではなく糖尿病や動脈硬化などの生活習慣病とも関係をしているからです。

 糖尿病になると歯周病になりやすいということは事実であるが、逆に歯周病が糖尿病を引き起こす原因にもなる。なぜならば、歯周病が進むと歯と歯茎の間に「歯周ポケット」という隙間ができて、その部分が炎症を起こし、歯周病菌や毒素が体内の血液中に流れ込んでしまうからです。そして、それらが抗原となって白血球を活性化して、次々と肝臓や脂肪組織から炎症成分を分泌します。
 考えてみれば、それはとても恐ろしいことですね。

 炎症成分の一つであるTNF-αは血糖値を下げるインスリンの効きを次第に悪くしてしまい、糖尿病を引き起こす原因となるのでしょう。さらに、炎症成分インターロイキン-6(IL-6)は、肝臓からさらに別の炎症成分CRPを分泌させるので、心筋梗塞のリスクをますます高めてしまうでしょう。

 つまり結論として、歯周病を治療すれば、糖尿病を改善したり、心筋梗塞のリスクを低減することができるのです。
 したがって、すでに歯がぐらついていたり、口臭や歯茎の腫れがあって、しかも糖尿病を患っている人は、すぐにでも歯周病の治療を始める必要があるのです。
 そんな場合は、よろしく願います。(2006/07/06)


○身体の内部がブヨブヨになって入院?


 お恥ずかしい話であるが、「生まれて初めての救急車」を経験した。
 そして、「もしかしたら、この世からサヨナラかもしれない」とも救急車で運ばれているときに考えたのである。

 いまだに医師からの原因説明がないので、自分なりに考えると「身体の内部がブヨブヨになる原因不明の病気」で緊急入院をしたらしい。もしかしたら、シキュウの先端に血液が回らなくなっていたのかもしれない。

 臓器に血液が回らなくなる原因不明の病気が増えているようである。それは、虚血という恐ろしい症状。おそらく、近年の急激な食生活の変化によるためであろう。さらに、自己家畜化というようなことに原因があるのではないか。いずれにしても、現時点では理由がよくわからないのである。

 さいわいに人生のグッドバイをしなかったので、ここに「通管と閉管=オシッコの場合」というようなテーマで、簡単に私なりの考えをまとめておこう。
 しかし、これはまったく私が個人的に考えた医学。
 もしかしたら、間違っているかもしれません。専門の人がいたら、間違いを指摘していただきたいと思う。
 つまり、私が意味する通管(つうかん)と閉管(へいかん)についてである。

 通管は、入り口があって出口のある管。そして、閉管はいずれか一方の管である。例えば、口から肛門までは、非常に長いが一連の通管である。しかし、オシッコの管や盲腸自体や毛穴などは閉管。

 そして、閉管の病気は通管のそれよりも治りにくいので、平素からならないように注意をしなければならない。なぜならば、通管はそこ自体がいわゆる身体の外部と言ってもよいが、閉管は身体の内部に作られた外部であるから閉じていて治りにくいのかもしれない。

 アトピーなども、皮膚や毛穴に関係をする閉管系の病気であろう。
 しかし、ここで取り上げるのはオシッコの管である。専門的には、尿管という部分らしい。
 さらに、女性はさておいて、男性の場合で考える。その上、精液のことなどは話が複雑になるので、ここではことさらに触れない。

 オチンチンの先の穴から管をずっと入っていくと、やがて行き止まりになってしまう。それ以上、先がないらしい。つまり、閉じたパイプなのである。見たわけではなく、想像であるから間違っているかもしれない。

 その行き止まりの部分には、シキュウがある。
 シキュウは「糸球」と書いて、むろん女性にも付いている器官である。そのシキュウは、非常に細い精密な器官で、別系統でありながら、血管と尿管の先とが絡み合っているらしい。

 体内側のパイプには血液。閉じたほうの尿管には尿が流れる。そして、互いに結合はしていないものの血管中の不要物を尿管側に洩れ伝えるという神がかり的な微妙な働きをするという。もしも、その機能がいかれると血液を尿の中に抽出してしまうのである。

 したがって、永年アルコールや刺激物などを摂っていると、両方で機能をするというシキュウ全体がダメになってしまうらしい。私の場合は、シキュウが完全にブヨブヨになって、すでにダメになっていたそうだ。
 そのようなことを医師に告げられて、大いにショックを受けた。

 さらに、そのシキュウの作用自体は、自分自身の身体でもコントロールできない。常に排出の濾過作用が行われているからである。カテーテルを通して、数時間見ているとその様子がよくわかる。誰でも四六時中、オシッコを生成して、それが膀胱に垂れ流しなのである。
 見ていると米粒の10分の1くらいの大きさの赤い血液が流れ出ることがある。おそらく、濾過の機能がおかしくなっているのだろう。

 そのような常時の抽出コントロールができなくても、実際には膀胱に貯まった尿を我慢することで、生活に支障をなくしている。したがって、膀胱に尿を貯蔵できる大きさで、ふつうトイレに行く回数が決まる。
 しかし、その膀胱も加齢とともにダランとしたボテボテの張りのない何となく袋状のものになってしまい、オシッコを貯める機能が衰えてダメになってくる。その結果、トイレに近くなるのである。

 この「通管と閉管の理論」については、私の「生死(しょうじ)に関する考え方」の基本をなすものである。したがって、改めて別なところでも述べるであろう。ドーナッツやミミズのような簡単な管から、複雑になっていった過程の変化とともに、生と死に関する問題が出てきたことを言わなければならないからである。

 いずれにしても、歳をとると通管よりも閉管のほうに問題が生じやすくなるようだ。通管に支障をきたして死ぬ人は、ごちそうを食べた人や贅沢をした人に多いようである。しかし、いっぽう誰もが加齢とともに閉管が原因で死ぬようになるからである。

 そんなことも考えると、歳はとりたくないものである。(2006/07/05)


○度忘れ・失念・パラノイア


 「度忘れ」というのがある。名前などを言おうとしたときに、どうしても思い出せない。非常に困ったことで、実は私もここのところよくあることだ。

 「失念」も、似たようなことかもしれない。

 「パラノイア」に至っては、すでに病気の一つであろう。
 ふつう、パラノイア(paranoia)は理路整然とした体系をもった妄想をいだく精神病の人を言う。偏執症(へんしゅうしょう)などとも言われ、分裂病のような人格の支離滅裂がないので、なかなかわかりにくいことがある。

 偏執(へんしゅう)とは偏った考えにとらわれることで、他人の意見を受け付けなくなるモノマニアやパラノイアがある。かつて、博学のキムタカ(木村鷹太郎)のような学者もなっているので、恐ろしい症状である。高齢になったら、各自で注意をする必要があろう。

 いずれにしても、高齢化社会ではやがて深刻な問題になるようだ。
 「最高裁判所」のほかに、「最高齢裁判所」などが新たに必要になるかもしれない。年少者の「少年裁判所」や「少年鑑別所」などはすでにあるので、高齢者のそれも早晩その必要性が検討されると思う。

 なぜならば、

(1) あなたに貸した100万円を返して欲しい。
(2) オレはイエスの生まれ変わりだ。

などと言い出すものが、非常に増えてくるからである。

 金銭についても思いついたサギなどではなく、心からそう信じ込んでいるところで、問題の解決は非常に難しくなる。人格についても、本人が言い出すくらい真実と考えるところに、社会に対する影響は大きく、その引き起こす問題もあろう。

 ほんとうに、これは笑い事ではなく、恐ろしいことである。
 20歳代の医師が、大学教授だった人や元会社経営者に「1足す1は、いくつですか?」と聞いているアルトハイマ検査を見ていると、老人が考え込んでしまったり、「わからない」と答えることが多い。

 そんな様子を見ていると、いたたまれなくなるのは私だけであろうか。(2006/07/04)


○マンネリの意味?


 久しぶりに、パソコンの先輩に会った。
 3年くらい前に、何もわからなかった初心者の私にいろいろと親切なアドバイスをしてくださった人だ。

 何となくWindowsもわかって、とても感謝をしていると言ったら「マンネリになっていないか?」と言われた。ちょっと切り口が鋭かったので閉口をしたが、正直に「そのとおりです」と答えた。

 JavaやFlashなどを一通りマスターしたので、それらを利用して健康などの広報をしようと考えたところで、あまり関心をもたれていないということがわかって、つい面倒になって計画をやめてしまったからだ。

 それでも、メールだけは3年間1日も休まずに出したんだと言ったら、それは残っているかという。見てみたいそうだ。でも、最初のころのものは削除しちゃったが、後のほうのは何とかまとめてある。

 また、ホームページの他にも思ったように文学や美術、そして音楽の同人なども集まらなかったと正直に告白したら、「そんなもんだよ」と慰めてくれた。そして、「自分が納得をすれば、それでよい」という意見を賜った。
 そこで、私もそんなもんかなぁと思ったのである。(2006/07/02)


○人生と死後


 「人生」とは何かと問われたら「人生とは人が生きることである」と答え、「死後」とは何かと問われたら「死後とは死んだあとのことである」と答えたら、「同義反復(トゥトロジー)もはなはだしい」とお叱りを受けるであろう。

 しかし、そんなものではなかろうか。
 近代になって科学が発達をしたために、あまりにも「知る」ということが重要視されるようになった。つまり、情報をもっていたり、知識を有することが大切と考えるようになったのである。

 確かに、金儲けをするときには大いにそれらは重要であろう。また、学校の成績や会社の評価などは、知識を有する場合に有利に働く。

 しかし、「知る」ということよりも「考える」ことが大切であり、さらに「考える」ことよりも「感じる」ことが重要ではないか。最近になってわかったことであるが、そのアプローチを逆にすると真理を知ることが簡単にできるようである。

 しかし、その場合には証明できないことがつらいところである。
 「健康」「老化予防」から始めて、「安心立命」に入ったが、「死」などの問題を私なりの方法で、何となく垣間見た感じがする。
 そこで、エバリエーションをかねて、今後も皆さんに考えていただこう。

 私なりに、ふと思い出した中間の行程の「考える」ということについて考えられた言葉を参考までに下に2つ示しておこう。

■人間は、自然の中で最も弱い1本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。だから、われわれのあらゆる尊敬は、考えることにある。(パスカル)

■つねに行為の動機だけを重んじて、その結果をあまり考えるな。報酬への期待を行動の原因とする人々の一人となるな。(ベートーベン) (2006.07.01)


Kuroda Kouta (2006.07.01/2007.09.12)