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 配信メモ(2) 2004年09月から2004年12月分


○MIDIの「テンペスト」(2004.12.31)
○「バレー入門」(2004.12.27)
○ブッダと釈迦 (2004.12.24)
○能力の限界?(2004.12.22)
○作るために作る?(2004.12.20)
○出版計画?(2004.12.17)
○極秘情報(サイバーテロに対する)と安全対策(2004.12.15)
○大掃除?(2004.12.13)
○物言えば?(2004.12.10)
○人の子?(2004.12.08)
○二本目の鼻か、はたまた五本目の足か?(2004.12.06)
○IDの不思議、なぜでしょうか?(2004.12.03)
○病はコウコウに入(い)って、情けは他人(ひと)のためでない?(2004.12.01)
○道具に使われ、振り回される?(2004.11.29)
○七つ道具?(7/7)(2004.11.28)
○七つ道具?(6/7)(2004.11.27)
○七つ道具?(5/7)(2004.11.26)
○七つ道具?(4/7)(2004.11.25)
○七つ道具?(3/7)(2004.11.24)
○七つ道具?(2/7)(2004.11.23)
○七つ道具?(1/7)(2004.11.22)
○ハンミョウって知っている?(2004.11.19)
○「結構でございます?」(2004.11.17)
○食生活の見直しをしませんか?(2004.11.15)
○何が何だか?(2004.11.12)
○はめまらorめはまら?(2004.11.10)
○愚かな過ち?(2004.11.08)
○年賀状の画像撮影(2004.11.05)
○デジカメについて教えてください(2004.11.03)
○動物園の楽しみ(2004.11.01)
○「冬のソナタ」の研究(6/6)(2004.10.30)
○「冬のソナタ」の研究(5/6)(2004.10.29)
○「冬のソナタ」の研究(4/6)(2004.10.28)
○「冬のソナタ」の研究(3/6)(2004.10.27)
○「冬のソナタ」の研究(2/6)(2004.10.26)
○「冬のソナタ」の研究(1/6)(2004.10.25)
○カワセミとハチドリ(2004.10.22)
○生水を飲まないと……(2004.10.20)
○戦車道路(2004.10.18)
○イアラ?(2004.10.15)
○ナラダッタとアッサジ(2004.10.13)
○『少年王者』の信吾とすいこ(2004.10.11)
○タカ目タカ科?(2004.10.08)
○犀と貘(2004.10.06)
○ムサシノキスゲ(2004.10.04)
○ジオシティーズのエリア不足?(2004.10.01)
○ノートンの延長キー(2004.09.29)
○Windows XP Service Pack 2(2004.09.27)
○摩訶不思議?(2004.09.24)
○高楼の宴(2004.09.22)
○色即是空?(2004.09.20)
○森と林はあって木がない、なぜ?(2004.09.17)
○ブーゲンベリア(2004.09.15)
○はけと湧水の探索(2004.09.13)
○立正大師の『御書全書』(2004.09.10)
○読売ランド包絡線の一周(2004.09.08)
○黒沢監督『夢』の中のトンネル?(2004.09.06)
○絵探し?(2004.09.03)
○ピアノソナタ(2004.09.01)


○MIDIの「テンペスト」


 おおつごもりである。
 ことしはパソコンのことで、ずいぶんと悩まされた年だった。つまり、すでに呆けかかって、めんどくさがりやになった私の脳を気の毒なほどに酷使したわけである。
 12月に入ってからも、いろいろな問題が発生した。

 ムービーを作成するためのCGを導入して研究をし始めた矢先に、BGMについてのトラブルが出てきたのだ。
 いままでに作成したライブラリが、かなり大きなためにムービーも膨大な容量になってしまう。そのために、実用的なシステムがどうしても構築できない。圧縮をすると音が割れてしまう。

 拡張子「.wma」のWindows Media オーディオファイルがキロから数メガの大きさ、そしてWave サウンドがメガ単位になってしまう。だから、前々から容量の小さいM IDIにしたいと考えていた。
 そこで、思い切ってプロ用のM IDIシーケンサーをインストールしてみた。
 これがまた、11月に購入して始めたCGソフトにも増して、なかなかわかりにくいのである。

 前に「冬のソナタに出てくる『テンペスト』はどんな曲か?」と言われたときに、ちょっと不親切な回答をした。言葉で説明をしたからだ。
 そこで、練習がてらに3楽章の冒頭の数小節をインプットしてみた。ここ をクリックしてください。
 聞いていただくとおわかりのように、音質はあまりよくないかもしれない。また、微妙な感情も出しにくいようだ。しかし、ファイルの大きさが非常に小さくなるので、その点で大いにこのソフトは期待できるだろう。

 お正月が空けたら本格的にM IDIの勉強をしようと思っている。
 道具の使い方をあれこれと調べるのは、なんとなくうんざりである。それでも、いっぽうでは脳をいつまでもリフレッシュしておくためにはよいことかもしれない。
 どうぞ皆さま、よいお年をお迎えください。
(2004.12.31)

○「バレー入門」


 図書館で、サリア・マーラの「はじめてのバレエレッスン」という本を借りた。
 それを見た妻は、怪訝な顔をした。私のところでは、お互いに読み物や考え方には、あまり触れないようにしているのだが。しかし、表紙にある素敵な若い子のポーズをちらっと見ると、何となく不思議に思うらしい。そのことは、顔なじみの図書館の貸し出し係も、ちょっと顔に表れていた。

 最近、ロリコンがかった卑猥な高齢者が増えてきたというので、もしかしたら私を疑ったのかも知れない。
 しかし、私は真剣なのである。
 つまり、下記のような「GIF動画カット(素材)」のポーズをいくつか作っておく必要が生じたからだ。



 ヴェネチア共和国の末期を描いたアントニオ・ヴィヴァルディとジェコモ・カサノヴァの物語を作るために、……
 まだうまくいかないが、「パ・ド・ブーレ」のいちばん簡単な練習ということで「足の動きはシャープでスタッカートですが、腕の動きはぎくしゃくせず、流れるようでなければいけません」とあるのでどうも思うようにはできない。
 どなたか、アドバイスいただけませんでしょうか? (2004.12.29)


○年末の計算は合っているでしょうか?


 いま仮に一年を一生と考えると、私は現在、クリスマスくらいかな?
 すると何となく、後が短いみたい!
 しかし、まだまだ元気があるので、意外にももっと先の来年の春ぐらいまで長生きをするのかもしれない。また、逆にお正月を迎えられないくらい残りが少ないのかもしれません。
 どうも、何となく先のことはわからない。

 そんなら、一年を人類の誕生から今までと考えると……
 釈迦や孔子が活躍したのが11月のおわりになります。そして、キリストの生まれたのが12月7日。
 そのようにして時はゆるやかに流れ、コロンブスが12月25日にアメリカ大陸を発見したことになるんです。
 それならば、あなたの生まれたのは、そしてパソコンの誕生は?
 詳細は、『RIKOホームページ』にある「インターネット入門」をご覧いただき、「まず、通信の歴史を見てみよう!」を参考にしてください。(2004.12.27)


○ブッダと釈迦


[I] 私は、あまり複雑なことは嫌いである。また、面倒なことも大嫌い。

 そこで、本はなるべく読まないようにしている。
 『スッタニパータ』『サンユッタニカーヤ』『ダンマパダ』などの仏教経典はともかく、大乗仏教などは正直言って、内容をあまり信用していないことも一つの理由。
 ちょっと、それは「大乗非仏説」に近い。

 また、聖書についても自作した『クーの福音書』以外の分厚い聖書の内容も、単に文学として鑑賞するだけである。むろん『ナウハマディ』や『死海文書』などは研究をしているが、バチカンで千年以上もかけて、ぐでぐでと改訂をした内容については、現在のままの形をあまり信頼できないのが、私にとって事実だ。
 キリスト教については、せいぜい時代を下って、ポルノ俳優ミッキー・ロークがやった「フランチェスコ」やその前の「ブラザーサン、シスタームーン」などが、私にとっては信憑性がある事実と考えている。そして、整形をしたロークの現在を心配している一人でもある。

 仏教についても、道元『正法眼蔵』さらには天台大師(中国)『摩訶止観』について調べたが、どうもピンとこない。アナクロニズムというか、現代離れをしすぎているのだ。
 しかし、最近の仏教図書についてでも、大いに感激をしたものがあることはある。
 それは、高橋信次『人間・釈迦』と手塚治虫『ブッダ』の二冊だ。そして、驚いたことは『ブッダ』のアッサジとナラダッタのことをいつか冗談に引用したときに、玉木さんが原文をそっくり引用してメールしてくださったことだ。もしかしたら、『ブッダ』第5巻を身近に所有しておられたのではないか。
 そうではないでしょうか?

[II] ご先祖様

 私は、あまり自分の氏素性を気にしていない。つまり、「どこの馬の骨」でもよいのだ。仮に聖徳太子の直系の子孫であっても、はたまた石川五右衛門の家系であっても、いっこうにかまわない。それは、自分自身の宇宙観であるから、埃(ほこり)でも塵(ちり)でもいい。
 そんなところだけは、何となく聖書にも似ていて、自分自身が微少な塵、つまり土(つち)から作られていると思っているのだ。そして、最近になって「安心立命」の理論がまとまってくるにしたがって、ますますその感が強くなってきた。つまり「宇宙に融け込む」という考え方からくる。

 しかし、まだ若くて二十歳代のころのこと、兵庫県加古川市の南、高砂港にある製紙会社に勤めていたときに、よく本籍のある龍野市(本竜野)に遊びに行った。そして、何気なく祖先を調べてみる気になって、市役所の戸籍係を訪ねてみた。すると驚くような人が、直系の祖先であるということだ。
 私の名前は「康太」、父は「久太」、……いく代か前に同じ名前の「久兵衛」が何人か続く……そして、……驚く人の名前を戸籍係の人が言ったのである。
 なお、「久兵衛」は「きゅうべえ」でなく「きゅうのひょうえ」と読んだらしい。そして、「久」の字は、久しく日本国で発展をするようにと初代が賜ったことだ。私は「権兵衛(ごんべえ)が種(たね)蒔(ま)きゃカラスがほじくる」の類とばかり思っていたので、青天の霹靂であった。

[III] それよりも、当面の創作シアターである。

 例えば、次の二つのテーマ

・ 「病は口から……」

 (1) 高級料亭のようなところで、豪華な膳で恰幅のいい男が飲んでいる
 (2) 即席カップなどで栄養の偏った食事をしながら、勉強をしている若い男
 (3) 実は親子であって、後日諍(いさか)い、つまり激しい言い争いをする
 (4) 子どもが血のついた包丁をもって呆然。親は倒れている

 つまり、互いに食べ物が悪かったために精神状態までおかしくなって、罵詈雑言の禍が口から出て、その結果…… というような「諺の新解釈」である

・ 「もう寝ている」

 (1) 与太郎がアパートでごろ寝をしている
 (2) 管理人が来て、説教を始める。「若い者は働け。するといいことがある」
 (3) いくつかの質疑応答が続いて、与太郎「さらにいいことは何か?」
 (4) 大家「金があれば、日々寝てくらせる」 与太郎「金がなくても、私はすでに寝てくらしている!」

などのナンセンスを具体的にどう表現すればよいか?
 なかなか難しい問題である。
 どなたか、アドバイスくださいませんか。(2004.12.24)


○能力の限界?


 今年も、もうじき終わろうとしている。
 パソコンも私も、ずいぶんと頑張ったものと思う。
 パソコンについて言うと、何が何だかわからないままに始めて、何となく事情がわかってきた。
 最初からインストールしてあった私にはとても使いこなせない多くのソフトは、すべて削除をしてしまった。
 大好きだったソリティアなどはできなくなったものの、だいぶ軽くなったのも事実。
 また、「理解をすることが大変なツール」や「道具のために多くの知識が必要になるソフト」は、とくに必要ではないものは削除した。
 いっそパソコンをやめてしまいたいところではあるが、やめるにやめられない事情がある。(2004.12.22)


○作るために作る?


 今晩のご馳走はライスカレーにしようというときである。
 材料を用意するのであるが、こだわるとなかなか問題である。
 例えば、ふつうタマネギやニンジンを買ってくる。そして、ニワトリの肉なども用意するだろう。
 でも、気に入った素材がないときは、自分で用意をしなければならない。そこで、場合によっては畑を耕したり、ニワトリを飼ったりもするだろう。そんなことが、たかがホームページを作る作業の中にも、多くあるのだ。
 こだわりすぎだろうか? (2004.12.20)


○出版計画?


 いま、私が大いに勉強をして「シーラカンスの正しい飼育法」とか「アンモナイトの美味しい食べ方」という本を書いたとしたら、それらは売れるでしょうか?
 おそらくそんな読者は、非常に少ないでしょう。
 よほど特殊な人でないと、必要がないからです。それでも、まだシーラカンスを飼っているところは、世界に数ヶ所はあることでしょう。
 しかし、いっぽうではアンモナイトは絶滅をしてしまったために、調理をしようとしてもその素材がないのです。したがって、「アンモナイトの美味しい食べ方」という本は、もはや誰にも役には立ちません。

 それでは、「健康になるためには?」という本は、いったいどうでしょうか?
 こんどは、反対にすでに本や情報が多すぎるのです。氾濫をしているために、どれがよいのかがわかりません。そこで、やはり内容を理解できる人しか、買ってはくれないのです。(2004.12.17)


○極秘情報(サイバーテロに対する)と安全対策


 昨日、パソコンの先輩に呼ばれて会いに行った。
 すると彼が言うには「日本はサイバーテロに狙われていて、ここのところウイルスがかまびすしいのはそのためだ」という。そして、「お前は、どんな対策をしているか?」という。

 しかし、私は前から工夫をしていて、少なくとも他人にはあまり迷惑をかけていないと思う。
 なぜならば、メーラー(Outlook Express)のアドレス帳は、下の画面のように常に空にしてあるからだ。



 それでは不便ではないかと言われるが、そんなことは決してありません。
 その代わりに、下記のような「アドレスメモ」を作っておけばよいからです。



 最初の部分なので、ホームページのURLが表示されているが、少し後に皆さんのメールアドレスがずらずら〜っと記入してある。そして、このWordの文書はパソコン作業中、常に最小化にしてあって、必要なときには開いて利用できるからです。

 メモ帳と異なってWordでは、URLはそのままハイパーリンクができて便利です。さらに、いっぽうメールアドレスは簡単にコピペ(Copy & Paste)ができるので、手数がかかりません。
 また、一部のURLなどは簡単に呼び出せるように単語登録をしておく方法もあるでしょう。
 なお、Wordの左フレームを利用すると文書内ジャンプが簡単にできて、すばやい移動が可能です。
 サイバーテロには困ったことだ。
 大問題にならぬように、各自で注意をする必要がありそうです。(2004.12.15)


○大掃除?


 最近、何となくパソコンが重くなった。
 使っているうちに一時的なファイルが増えて、ハードディスクの内容が不整列になったり、ウイルスのテーブルが大きくなったりしたためであろう。そこで、次の作業をした。

(1) 手作業による不要ファイルの削除
(2) ソフトによる不要ファイルの削除
(3) デフラグ

 まず、手作業によって今まで作成をしたファイルのうち、不要なものを削除します。さらに、デジカメのムービーなどの大きなライブラリはDドライブに移してしまう。
 次に、フリーソフト「窓の手」の「ファイル掃除機」で、CドライブとDドライブのテンポラリファイルを除く。さらに、コントロールパネルの「パフォーマンスとメンテナンス」にある「ハードディスクの空き容量を増やす」と「ハードディスクを整理してプログラムの実行を速くする」を続けて行った。
 これだけでも、ずいぶんとパソコンが軽くなった。
 年末の大掃除に先立って、パソコンの大掃除をしたらいかが?
 とても、すっきりとして軽快になります。(2004.12.13)


○物言えば?


 前に、どなたかが意見を言ってくださったことである。
 言葉で説明をすると、次第に長くなってしまうという話題だった。これも前回「人の子?」に続いて、最近の私の失敗談である。
 あるQ&Aサイト(NABER知識plus)です。
 質問が、「健康とは何でしょうか?」という簡単なものであった。そこで、私はうれしくなって

 「健康について30年ほど研究をしてきたものですが、私もいまだに健康が何であるかがわかりません。
 しかし、ヒトのホメオスタシスが正常にはたらいて、自分自身が健康にさえ気付かないときの状態ではないかとも思います。
 そのような状態、つまり自分自身が健康になる方法をいろいろと考えてきました。
 そして、下記にまとめてみましたので必要でしたら参考にしてください。
 理論ではなく、むしろ実際的なことですが、……
 よろしく。
 参考資料: http://www1.ttv.ne.jp/~riko/


とやってしまった。
 すると、事務局から「質問内容追加案内メール」が来て、そこには
 「※質問者は期間内に回答を選択しなければなりません。 質問を放置した場合、20ポント減点となります。
と警告のような記述ある。

 この「※質問者」を「※回答者」と勘違いをして、20ポイント失いたくないために、次の追加をしてしまたのである。後で考えて、「回答者」は何もしなくてもよいのではないかとも、思ったのであるが、……
 そして、長々とやっている自分自身を馬鹿じゃないかとも考えながら?

 「●それでは、少しばかり追加して具体的なことを述べてみましょう。

 健康を「病気でない状態」と言ったり、WHOの定義を述べたりしても、実際には仕方のないことです。なぜならば、その「健康の状態」に自分がなるために知識を得ようとしているからでしょう。また、人それぞれによって個人差があっていわゆる健康とは異なる状態なので、いちがいには定義としては、なかなか言い切れないのです。

 だから、今までの通念で国や医療機関が種々の努力をしてきても、多くの人が病んでしまって、いま国民総病人のような状態になってしまっているのです。そのことは統計を見るまでもなく、最近の救急車の出動回数や病院のベッド状態を考えてもおわかりでしょう。

 そして、その状態は高年齢者ばかりでなく、若い世代にも、急速に増えているのが現実です。
 つまり、日々何となく肉体的にも精神的にも満足でない状態を訴える人が、急速に増えてきていることが大きな問題なのです。

 そもそもあなたの質問は、「幸福とは何ですか?」というような疑問と似ているでしょう。
 メーテルリンクではないが、何とか身近にある方法で日々の健康を求めていこうとしたら、やはり細かい見直しにあるんじゃないでしょうか?
 一言で言える内容でも、実践にはかなり多くの日々が必要ですから、私は『RIKOホームページ』に骨子をまとめてみたのです。そのホームページを初めとして、健康を実践するために次々と準備をして、5つのホームページ全部で1000メガバイト、つまり1ギガバイトにもなるのです。
 それらは、すべて「健康」を認識していただくために、私がパソコンを初めて1年半ほどかけて作ったものです。
 「健康」を言うために、これだけの準備が必要なのかと考えて、正直なところちょっとうんざりとしたのも事実です。

 「玄米は健康によい」とか「水泳をすると健康によい」というような何となく間違った常識が多く、またそれを安易に実践する人が多いので、つい病んでしまうのでしょう。確かにそのとおりなことはあるのですが、それは非常に少なくて、反対に逆なことが多いからです。
 テレビで「玄米は健康によい」と誰かが言ったら、白米にして出荷するものを精米の行程で玄米にしたりすると、胚芽に農薬が残っている場合が多く、アレルギーなどの原因になってしまいます。
 玄米は、初めから低農薬やカルガモなどを利用して収穫をした米でないとダメなのです。

 また、多くのスポーツクラブのように水を塩素で殺菌して長期間にわたって循環する方法で、昔のように新鮮な水でないプールで泳いでいると、逆に皮膚病になってしまったり、爪白癬(足の親指の水虫が多い)になったりします。

 そのような理屈は、仮に「妊産婦は何を食べても大丈夫」などと無責任なことを言うのと似ているでしょう。なぜならば、本当に妊産婦は少々の毒物を食べたり、アルコールを飲んでも大丈夫だからです。どうしてかと言うと、お腹の赤ちゃんが解毒作用をするからです。
 そんなわけで、生まれてくる赤ちゃんは大変なことになることが多いのです。
 つまり、赤ちゃんが生まれながらに身体に欠陥をもってしまうことが多く、そのようなことが経験的にわかっているから、妊娠をしたお母さんは、日々の食べ物や生活習慣に注意をしなければならないのです。

 健康に関する「常識の非常識」や「間違った神話」のようなことに配慮をしないと、現代では健康にはなれません。
 少なくとも100年前の農薬を使わなかった時代の玄米は、確かに健康によい主食であったし、50年前の水を入れ替えたり川の清流をそのまま利用した屋外プールで、さんさんと日光が当たるところで泳いだりするのは健康的だったと思います。

 室内プールの水面上に漂っている埃が多いので、しかもそれを口から吸わなければならないので、私は10年前にスポーツクラブをやめました。すると、気管が悪かったのも、いつの間にかすっかり治ってしまったのです。
 とにかく不注意に「健康」を考えていると次々と病んでいくことがわかったので、多くの人にわかっていただきたいと考えて下記にまとめた次第です。

 人を「頭」「手」「足」または「目」「鼻」「耳」「口」、さらに「皮膚」「内臓」などと分けて考える前に、全体的に日々コンフォタブルに過ごすためにも、実際にはどうしたらよいかが問題なのです。
 そのようなことを多くの人が認識をすると、健康に満ちあふれた社会になって、医療費が国の財政や社会を圧迫することなども、少なくなることでしょう。(2004.12.10)


○人の子?


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 老化予防の一貫として、あちこちの「Q&Aサイト」にときどき訪れる。そしてそこでは、かなり怪しげな回答をする。Yahoo!における300回目のベストアンサーが、やはりそうであって何とも後ろめたい。

 その質問は、
 「ルネ・マグリットの『人の子』という絵は、なぜ人間の顔がかくれてるのだと思いますか?」
というのである。

 それに対して、私は迂闊にも
 「『人の子』とは福音書で、よくイエスが言う言葉です。つまり、『神の子』と相対するものです。
 旧約聖書にあるニムロデが矢を放って神を試みたときから、言葉が乱れたり、まともに神を見られない存在になったのでしょう。だから、顔が隠れているのです。」
とやってしまった。

 しかし、後で考えるとイエスはご自分のことを「人の子」と言っておられる。だから、キリスト教で言う「三位一体」、つまり「父でも子でも聖霊でも、神なんだ」とする教理を思い出して、後悔をしているのです。
 私はすべて記名で回答をするが、この質問者は無記名なので訂正のしようがない。
 しようがないから、ほっかむりをして私は何もしない。
 止揚(アウフヘーベン)である。(2004.12.08)


○二本目の鼻か、はたまた五本目の足か?


 鼻を一本、二本と数えるのは、よほど「自惚れの強い人」や「天狗」・「ピノキオ」を除いたら、象ぐらいであろう。貘(ばく)も鼻が伸びかかっているが、まださほどではない。貘の鼻が伸びきるのには、あと一万年くらいはかかるようだ。
 鼻が発達をして鼻で歩いたり、鼻で飛翔をする「ハナアルキ」(鼻行類)という奇妙な動物がいるとのことであるが、かなりうさんくさい話しだ。でも、日高さんという有名な動物学者が監修者として、学術書もどきの内容なので、いちがいにバカにしたものではなかろう。

 それはともかく、これは私が多摩動物公園で見た実際の映像である。
 この写真を、とくとご覧になっていただきたい。



 右向きの三角をクリックすると、チラチラと股間(こかん)に見えるものである。
 その長さから二本目の鼻か、はたまた五本目の足か? (2004.12.06)


○IDの不思議、なぜでしょうか?


 ホームページを作り始めてから、1年半になります。
 だんだんと内容が大きくなって、すでに1000メガバイト、つまり1ギガバイトになってしまいました。そこで、さらに拡張をするために、Yahooを利用しようと考えたのです。しかし、そのためには2つ目のIDを取らなければなりません。
 現在のが「rikwhi」(リックフィー)ですから、当然のことながら「riknum」(リックヌム)なのですが、なぜかそのIDは誰かがすでに使用済みでした。仕方がないので、「riknny」(リックニー)にしたのですが、不思議でなりません。
 誰が何のために、「riknum」などという響きの悪いIDを作ったのでしょうか?

 私は神経質ではなく、むしろ鈍感なほうです。また、被害妄想癖などはなく、むしろお天気でお節介な性格なのですが、それでも疑わざるをえません。
 つまり、私が「whi」の次に「num」を取ろうとすることを知っていて、誰かが先回りをしたのではないかということを……。
 考えすぎでしょうか? (2004.12.03)


○病はコウコウに入(い)って、情けは他人(ひと)のためでない?


 フランスのように「言葉を大切にする国」は別として、ふつう言葉は使っているうちに風化をして、その意味が違ってくることがある。中には、まったく反対の意味になってしまうものさえあるようだ。

 きょうから師走である。臘月(ろうげつ)というのであろうか?
 何となく忙(せわ)しない。忙(いそが)しくないのでは、ないのである。(ついでながら、この「臘月」の「臘」は、三木アヤ先生の第二歌集『白蝋花』の「蝋」の古い字体とよく似ている。偏が違うだけである。しかし、「臘」は「獣を狩って神々や祖先を祭る」ことであり、「蝋」は「ろうそくのろう」のことで、「蝋花」は「ろうそくの火を花にたとえていう」ことである。

 宮柊二(みやしゅうじ)先生の自選歌集の最後に、

 <蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ>

というのがある。

 また「白蝋病」というのは、私が40年くらい前に加古川にある製紙工場の安全管理者になるときに、確か習ったレイノルズ氏病のことであり、また「白蝋」は「精製をしたろう」のことだ。皮膚が、そんな感じになってしまうからだ。
 しかし、私は「白蝋花」については残念ながら知らない。何の花であろうか。
 コスモスを「宇宙花」といった類(たぐい)だろうか。あるいは、伝教大師(最澄)の「一隅を照らす」ろうそくを譬えたものであろうか。三木先生がお元気なときに、聞いておけばよかったと思う。
 ご存知の方は教えてください。)

 きのう福祉センターで、年賀状のことが話題になった。ある人が、

 「先日喪中はがきをもらった。そして、その方には年賀状を送らないほうがよいのか? 仮に送ってしまった場合失礼に当たるだろうか?」

というのである。
 たまたまそこに私も居合わせたので、意見を求められた。そこで、

 「元来は、送ってもいいのです。それが、間違った常識と習慣で送らなくもなったのです。なぜならば、喪中のはがきは『その家が汚れているので、今年は年賀状を出しません』という意味の連絡だからです。
 したがって、外部からそこへ賀状を出すのは、いっこうにかまわないのです。
 しかし相手をおもんばかって、あまり目出度いという内容のものは、差し控えたほうがよいでしょう。
 また、むしろ出さない方がいいかもしれません。なぜか、最近はそうする人が増えてきたからです。
 送ってしまった場合は、相手がどう考えるかの問題でしょう。
 仮に送っても、失礼にはなりません。」

と、お茶を濁しておいた。(2004.12.01)


○道具に使われ、振り回される?


 いままで考えてきたことを多くの人に伝えたい。
 なぜならば、このまま行くと国の結末が見えてきたからだ。

 わかっている範囲であっても、注意と警告とを誰かがしなければならない時代になった。ソクラテスが国を憂いてした発言や日蓮の「立正安国論」ほどは立派でないが、いちおう健康に関する「間違った習慣」や「非常識」だけは何とか是正して、改めていただかなければならない。
 そうしないと社会がどんどん病んでいって、かつて考えられなかったような問題が矢継ぎ早に起こってしまうからです。

 そこで、どういうメディアを使ったらよいかが問題になる。従来のように長々と文章で綴るのは、もはや意味がなく、あまり効果的ではないだろう。
 また、街頭で口角に泡を飛ばしてしゃべったところで、誰も聞かないし、相手にもされないだろう。
 そんなわけで、私が以前から考えている方法として、動画(ムービー、アニメなど)と音声(音楽や声)とを用いて表現をすることにした。具体的には、40年ほど前に私が考えた「RIKO劇場」という名前で、何とか実現をしたいのである。

 その内容は、スイフトの「ガリバー旅行記」(とくに「馬の国」)、アンドローズ・ピアスの「冷笑家辞典」(後の「悪魔の辞典」)、芥川龍之介の「侏儒の言葉」、そして夏目漱石の「吾輩は猫である」などの系列に属するものと言ってよいであろう。
 しかし、私は社会批判をすることが目的ではなく、健康に関する「常識の非常識」や「歪(ゆが)められた情報」を何とか正すことがねらいなのです。

 そんな考えで、その準備としてソフトウエアやアプリケーション、そしてツールなどを調べたのですが、その面倒なこと、そして複雑・怪奇で使いずらいことなどに、つくづくと困惑をしました。
 元来、道具(ツール)とは身近に使うためのものであるのですが、……。(2004.11.29)


○七つ道具?(7/7)


 富士通のノートパソコンを1年半前に買いました。
 コンピュータを持つのは10数年ぶりで、そのときは何となくなつかしく、うれしかったです。そして、調べてみるとそのノートパソコンには、ぐちゃぐちゃと大げさに各種のソフトウエアが「おまけ」としてプレインストールされていました。
 しかし、それらを調べても音楽を演奏するソフトはありませんでした。着メロのためのソフトらしきものはあるようでしたが、作曲には機能がちょっと無理のようです。

 そこで、小学生用のキューブミュージックというのを買ったのです。
 確かシングルライセンスで1万円以下だったと思います。しかし、それでもずいぶんとお世話になりました。ほとんどの作曲に利用をしたからです。
 そんなわけで、簡単な曲の効果を調べるのでしたら、結構いけると思います。
 もっとも、ピアノ曲などは自筆で五線紙に楽譜を書き、妻に弾いてもらって確かめたりもしました。そして、それを録音してCDに拡張子「.wma」タイプとして保存してから使っているものもあります。

 実際の音楽については、『青空の入門・創作ページへようこそ!』の「青空の創作ページ」にある「青空ライブラリ(音楽系同人)」で確かめてください。
 そこにある最初のほうの楽譜は、すべてキューブミュージックで作成し、鳴っている音もキューブミュージックで鳴らしたものを拡張子「.wav」で保存し、HTMLで貼り付けたものです。

 ホームページを始めてから、いろいろなソフトウエアにお世話になっている。そのうちの7つ、

(1) ホームページビルダー
(2) Word
(3) メモ帳
(4) Flash
(5) ウェブビデオ スタジオ
(6) ペイント
(7) キューブミュージック

について、感謝の気持ちなどを7回に分けて綴ってきました。
 この他にも、多大のお世話になっている

(8) ブラウザ(Internet Explorer)
(9) メーラー(Outlook Express)
(10) ウィルス対策プログラム(Norton Internet Security)

などがありますが、それらについては改めて別な機会にまとめたいと思います。(2004.11.28)


○七つ道具?(6/7)


 ペイントは、初期のころ「ペイントブラシ」と言いました。ずっと Windows に付いていたものです。
 しかし、次々と機能が充実をして使いよくなっています。とくに、最近になってファイルの拡張子が多く使えることになったので便利です。なぜならば、ファイル交換用ツールとしても利用できるからです。
 小回りの利く軽いソフトですから、ちょっとした小物を作るのにも便利です。
 感じとして言えば、「絵のメモ帳」のような手軽な操作環境を実現してくれます。

 下の丸い図形を見てください。
 練習として描いたものです。



 上のような図は、ふつうグラデーションなどでお茶を濁してしまうところです。
 ところがこれは、実際には練習といいますものの私がていねいに描いて仕上げた作品なのです。1ドットというのでしょうか、ピクセルごとに点をこまめに落として作ったので、かなり時間がかかりました。
 しかし、最初に一回だけ作ってしまえば、後は何回でも使えます。そんな意味で、パソコンを買った月に作った月なのです。

 また、私は画面の記録にペイントを利用しています。つまり、ちょっと覚えとして残しておきたいような画面があったときに、ペイントに取り込んでからデスクトップに「名前を付けて保存」をします。
 むろん、そのときに保存場所がはっきりしているものは、そこに保存をします。しかし、一時的なものは忘れないためにデスクトップに置くのです。その画面を「百舌の生け贄」にさせたくないためです。
 下に、一例を示しておきましょう。



 なお、上の画面はある「Q&Aのサイト」に私が回答をしたときのものです。
 「冬のソナタ」に対する質問に、自分なりに答えてみました。すると、驚くことにその回答が「ベストアンサー」になったのです。
 さらに、「感謝の言葉」として「ゲスト配信メモ」、つまり このページを見てくれたとコメントがあるではないですか、…… そんなわけで、発言は注意をして行わなければならないとも改めて思った次第です。
 なぜならば、「よくあそこまで書ける」というのは「驚嘆」ではなく「侮蔑」に近い響きのある感じがしないでもないからです。
 ついでながら、私が何で「Q&Aのサイト」に回答などをするかというと、実は自分自身のための「老化予防」のためなのです。
 それは、とてもよい脳のリフレッシュになりますので、皆さんもなさってはいかかですか? (2004.11.27)


○七つ道具?(5/7)


 ウェブビデオ スタジオは、ホームページビルダーに「おまけ」として付いていたソフトです。
 しかし、独立して使用をする設計になっているので、一つのアプリケーションとも言えるでしょう。やってみると、これだけでも充分にすばらしいソフトウエアであることがわかります。
 下記の画面は、私の家から20分ほどのところにある滝です。写していたら、たまたま鷹(鷲かもしれない)が舞い降りてきました。上のほうに飛んでいるのがおわかりでしょうか?

 すでに、画面が最後までいって止まっていたら、右向きの三角をクリックしてください。そうすると、最初からプレイバックするでしょう。



 このウェブビデオ スタジオでは、拡張子が「.avi」としてムービーを作成することができます。
 したがって、Windows 付属のWindows Media Player で問題なく読めるのです。また、音声をBGMとして伴うことも簡単に実現できます。(他に Quick Time などの形式を含め、3つのアウトプットができるらしい)

 そんなわけで、いま計画中の「RIKO創作劇場」のツールとして、Flash と使い分けて利用することを考えています。いろいろと調べて、その機能を完全に使いこなしたいと思うからです。
 ウェブビデオ スタジオの初期画面は下のようになっていて、そこに自分自身の創作を次々と載せていけばいいのです。



 「滝」のデジカメムービーが「ビデオA」に貼り付けられているのがおわかりでしょう。そして、まだ他の効果に何もないということもわかると思います。つまり、カウントダウンやタイトル、そしていろいろな光景、それとともにナレーションや音楽などを貼り付けることができます。そして、最後に「The End」やスタッフなどを簡単に出せるのです。
 そんなわけで、拡張性のあるなかなか使い勝手のよいソフトウエアのようです。(2004.11.26)


○七つ道具?(4/7)


 Flashは、かなり大きなソフトウエアです。130メガバイトもあるからです。
 いろいろと調べた結果、大きくはあるが非常に単純なシステムだとわかりました。その利用方法を大きく分けると、一つは作図をしていくときの効果的な技法と、他の一つはデジカメなどで撮った画像の処理と言えるでしょう。
 まず、図形に対する効果の設定例です。



 上の図で、驚くべきことは最初の形(猿のつもり)と最後の形(鶏のつもり)とを与えると途中の形すべてを自動的に作成してくれることです。
 したがって、この手法はいろいろな図案に応用ができて手数を省くことができるでしょう。

 また、下の図形はデジカメで撮影をしたものをそのまま Flash に読み込んだものです。
 実際には、ムービーのように加工をするのですが、ここでは面倒なので何もしていません。
 つまり、最初にカウントダウンを入れた後にタイトルを入れ、実際のストーリが次々とあって、最後にエンディングがあるような一連のストーリが構築できるわけです。



 Flash が優れたツールであることは事実でしょう。
 しかし、私は130メガバイトもある Flash の仕様を完全に理解をして使いこなすことはできません。自分にはあまり能力や記憶力がないということと、また面倒なのが大嫌いということが、その原因なのかもしれません。さらに言うと、若ければともかく、老いてしまったので残り少ない人生の時間をムダにすることを避けたいのです。

 例えば、Flash では難しい言葉が次々と出てくるんです。
 「ステージ」「レイヤー」「フレーム」などはまだよいのだが、「トゥイーン」「インスタンス」「ビヘイビア」「トランジッション」などになると、手控えをいちいち見なければ何のことかわからない。まして「プロパティインスペクタ」とか「アンチェイリアス テキスト プレビューモード」などと組み合わせで言われると、わかったようでわからない。
 それを「アンチェイリアスのテキストをプレビューするモード」なのだと思っても、何となくピンとこない。つまり、言葉がわからないのである。

 「始めに言葉あり」(『ヨハネの福音書』)ではないが、言葉は「意志を伝達するために非常に重要な役目」を果たしています。そしてまた「始めに難解な言葉を覚える」のは、すでに老人になった私にはとてもムリなことでもあろう。Flash 自体は、そんなに難しいものでないことはよくわかりました。そのことがはっきりとわかったものの、Flash でどうも先に進まない理由は、その辺にあるんじゃないでしょうか?

(おまけ)


(1) びっくり箱(バケツにマウスを当てて、クリックしてください!)

(2) 「いっぱいあってな」のルドルフ(早く岐阜に帰りたいよん!)

(3) 「ダンスは済んだ」にならないダンス(ドレスが着たいわよ?)


 いま、このソフトがもっている可能性についていろいろと考えているところです。(2004.11.25)


○七つ道具?(3/7)


 私は、メモ帳で「文章を編集」することは、めったにありません。
 また、メモ帳は「読む必要」の少ない場合に用います。
 つまり、単なる保管場所として用いたり、無駄なコードを省くためのフィルターとして大いに活用をしているのです。
 そもそも、英字の仕様に合わせたものを日本語のゴシック文字を入れるのが無理なんです。行間を空けたり、一行の文字数を減らさないかぎり、目が悪くなってしまうのは必然です。
 下記のメモ帳は、行の長さを短くしたものの、何とも読みにくくありませんか?



 しかし、安心をしてください。実際に目を通すときは次のような画面になっているからです。
 つまり、行間を空けて、さらに1行の幅を狭くします。
 もっとも、これでも読みにくいのは事実でしょう。しかし、立正大師(日蓮)のお書きになってものだから、少しくらい詰まって読みにくくても、内容の密度が濃くてありがたいと考え、私はいつもそう自分に言い聞かせて、ぐっと我慢をするんです。



 メモ帳のもつ根本的な欠点を英字と日本語の文字の大きさを考えることによって、上手に使ってください。そうしないと、次第に目が悪くなっちゃうからです。
 アメリカやヨーロッパの方法が、日本においてもよいとは必ずしも言えないのです。



 メールの場合も同様なことが言えますが、もはやメールはHTML形式で送るのが常識になっています。
 したがって、Outlook Express などの初期設定も HTML 形式になっているのです。
 しかし、チャップリンが「映画はモノクロでないと芸術性が表現できない」と言ったように、「メールはテキスト形式でないと通信できない」という『RIKOホームページ』の「青空ライブラリ」にある「インターネット入門」を理解していない人が、まだ多くいるのです。(2004.11.24)


○七つ道具?(2/7)


 Word はお馴染みであるから、とくに言うことはないでしょう。
 しかし、最初のころは「漢字変換の不都合」や「日本語の語彙の少なさ」に困惑をしました。
 いっそ一太郎に変えてしまおうと考えたが、整合性などを考えて思いとどまった次第です。そして、フロントエンドプロセッサだけをATOKにして、何とか使い勝手を向上しました。変換辞書をメモリに置くことによって、Word も何とか自分なりに実用することが可能になったわけです。



 タスクバーに「ATOKフロントエンドプロセッサ」があることがおわかりでしょう。
 なお、私のタスクバーは左側に縦にしてあります。画面の縦方向を1行でも多く使いたいためです。
 また、上記は Word の画面ではなく、この原稿を書いているホームページビルダーの画面で、ATOKパレットをトレイから出して『正法眼蔵』に出てくるほう居士の「ほう」という字を調べたところです。しかし、残念ながら現在使われている文字セットには、その字がありませんでした。

 Wordをホームページビルダーに使わなくなってから、文書作成のほかにOutlook Expressのアドレス帳やホームページのお気に入りなどの代わりとして、私は下記のように使っています。



 つまり、アンダーラインの入ったところをクリックすると、そのホームページが出てくるのです。(しかし、上の画面は図形を貼り付けてあるので、その部分をクリックしてもむろんダメです。)
 この画面の下のほうには、続いて皆さんのメールアドレスなどがあります。また、左の見だし部分の文字をクリックすることで、必要な場所にすばやく移動ができます。
 現在は「自分関係」にありますが、例えば「問い合わせ先」をクリックすると、プロバイダやメーカーの情報がずらずら〜っと並んでいるのです。それが、かなり大きいということは Word 画面のスクロール部分にあるスライドバーの大きさからおわかりになるでしょう。

 また、いつも私はパソコンを始めるときに白紙の Word を開いておいて、そのままタスクバーに最小化しておきます。そして、ホームページビルダーやメールを作成しているときに、そこで単語登録が必要になった場合には、それを元の大きさにしてそこで単語登録をするのです。
 なぜならば、ホームページビルダー上では「ATOK(一太郎)の単語登録」がうまくいかないからです。また、メールの送信原稿上でも単語登録の具合が悪いようです。そのようにすると、少なくともパソコンを閉じるまでに単語登録を行った言葉の記録が、一覧として残るので非常に便利です。
 いずれにしても、この Word は画面上タスクバーに最小化して置いてあり、必要なときにいつでも使えるようになっているのです。

 そんな次第で、以前には大活躍をした Word でしたが、しばらくはあまり使っていませんでした。なぜならば、ホームページ作成に利用できなかったからです。
 しかし、ホームページビルダーのバージョン9の「HTML クリーンアップ」機能と併用をすることで、私のもたもたしているインプット作業を劇的に増やすことができるかもしれません。
 今後、少しばかり研究をしてみる必要がありそうです。(2004.11.23)


○七つ道具?(1/7)


 ホームページを始めてから、いろいろなソフトウエアにお世話になっています。とても便利なものがあったり、また使いにくいものがあったりもする。この辺で、お付き合いの概要をまとめて、反省をしておきたい。ちょっっと宣伝もどきのようになってしまうが、次の7つです。

(1) ホームページビルダー
(2) Word
(3) メモ帳
(4) Flash
(5) ウェブビデオ スタジオ
(6) ペイント
(7) キューブミュージック

 むろん、この他に

(8) ブラウザ(Internet Explorer)
(9) メーラー(Outlook Express)
(10) ウィルス対策プログラム(Norton Internet Security)

などにも、ずいぶんとお世話になっている。

 しかし、今回は上の7つに限って自分なりの使い方についてまとめてみましょう。
 第1回目は、ホームページビルダーである。
 いままで私は、バージョン7を使っていた。昨年の3月に購入した富士通のパソコンにライト版がプレインストールされていたからだ。その直後、フル仕様版にしたが、今回バージョン9になったのでアップグレードした。その結果、非常に便利な機能が追加されていることがわかった。
 まず、起動して自己サイトを指定すると、下のような全体のツリー構造図が出てくる。



 このツリー図は、作業中のページからいつでも簡単に参照できる(メニューバーの「ウィンドウ」で見ることもできる)ので、大きなホームページでは強力なツールとなり得るでしょう。そして、下のほうにある「リンクされていないHTMLファイル」というのは仕掛かり中のページであったり、Javaなどの部分を示しているのでとてもわかりやすい。
 つまり、全体を見ながらホームページが作れるようになったのです。

 他にバージョン7から9になって便利になったことをあげておきましょう。(バージョン8については、経験がないので知りません)

フォトギャラリーが簡単にできるようになった……デジカメ写真の追加・削除などが簡単にできるので、このホームページにも取り入れていきたい。

縦書き文字部分が簡単にできる……縦書き文字は画像として挿入されるので、短歌などをカットと共に取り入れたい。

パスワード付きリンクができる



 いままでは、上のように小さいウィンドウを開いてHTMLソースを見られないように(つまり、暗証番号を隠すために)工夫をしていた。その作業は、HTML の記述も伴うので何となく面倒であったが、どうやらそんな手数は不要になったようだ。
 マニュアルを見ると、デザインはちょっと異なるが、上の画面と同じものが載っていた。

アンケートテストビデオ教材が簡単にできる……実によくできている。HTMLやJavaで組むことを思えば、雲泥の相違がある。対話式のテストは別の目的にもじゅうぶん使えるでしょう。(しかし、なぜか後で正しく動作しないことがわかった。)

日記帳の作成……読まれて具合の悪いページには、パスワード付きリンクにするとよいでしょう。

Webカメラがオンラインで接続できる……常時オンラインで観察をする必要のある場合に、かなり実用的に利用ができると思います。

HTMLクリーンアップ……これは、私にとって Word でホームページを作成するシステムを復活できるかもしれない大きな朗報である。Wordの「Webページとして保存」の「フィルタ後」があまり効果がなかったので、とうとう Word を諦めてしまったからである。
 そんなわけで、取り敢えず確かめたのが下記の「ユダの福音書」です。



 もとの Word 文書は、http://www1.ttv.ne.jp/~riko/ にそのままの形(つまりホームページビルダーで作成したシステムの中に Word で作ったページを混ぜている)で使っていて、その原形を失うのが恐かったので名前を2行目のように変えてやってみました。
 すると、案の定 Word の特性はすべて失われて、Internet Explorer タイプの文章になりました。
 48キロバイトから38キロバイトになるのはいいのですけれど、文書の書式まで変わってしまうので、再編集が必要になります。でも、ふつうは1メガバイト程度の大きな文書ですから、工夫をすることによって何とか期待ができそうです。少し時間をかけて確かめてみましょう。

 いろいろな機能のレベルアップがあるのだが、それらは単独で使えるもののほかに、他のソフトと補完して初めて有用なものがあるので、そのようなことを見逃さないために少しばかり勉強をしてみたいと思う。
 いまここに偉そうな意見を書いているが、実は昨日バージョン9が届いたばかりなので、まだ詳細はわからないのです。
 皆さんも、わかったことがあったらお知らせください。(2004.11.22)


○ハンミョウって知っている?


 やはり、多摩動物公園の昆虫園のことである。虹色のハンミョウが数匹ガラスケースにいた。私が小学生のころは、道にたくさんいて歩く先を案内するように前へ前へと行った。最近になってハンミョウを見たことはない。もっとも、そのころは鋪装がしていなかった。

 もう一つ、おまけの情報。
 チーターという動物が、いちばん早く走ることができると言います。
 しかし、オーストラリアにいるハンミョウのほうが、さらに早く走ることができるそうです。(2004.11.19)


○「結構でございます?」


 「参ります」や「お目にかかれます」も何となくわかりにくい。
 昨日も多摩動物公園へ行った。いつも電車に乗るときにアナウンスが「多摩動物公園行きの電車が参ります。……」と言う。「電車が来ます」ではいけないのか? また、そのほうがいいんじゃないか?

 終点の駅に看板がある。「ライオンLion 食肉目ネコ科 分布:アフリカ」とあって、その下に「ライオンバスに乗れば間近でお目にかかれます。」と書いてある。どちらが「お目にかかる」のであろうか? 「見ることができます」ではいけないのか?

 どっちにでも取れる言葉がある。「結構でございます」は引き受けるときにも、断るときにも使う。また「ないものはない」と言えば「何でもある」ことにも「何もない」ことにもなるようだ。
 あいまいな言葉は使わないほうが無難だと思った。(2004.11.17)


○食生活の見直しをしませんか?


 この週末に市のサークルの人が、久々に尋ねてきた。私のことをバカにしていた人の一人である。
 市のサークルの人が、ここのところバタバタと10人近く倒れたということだ。
 倒れて死んだ人の中に、私と言い争いをしていた人がいたということを知らせに来たようだ。

 よく覚えているが、その人は「コンビニ弁当の鮭の切り身が減塩であるから、安全だ」と言っていた。それを私が

 「そうじゃない。逆に危険なのです」

と注意をした人で、つい先日脳梗塞で亡くなったそうだ。
 そんなわけで、どうして「その人が死ぬ」ということを私が知っていたのかを聞きたいということらしい。
 そこで、1時間ほど説明をさせられた。そして、市の健康グループで講演をして欲しいと頼まれた。
 しかし、私は話しをしたり物を書いたり、面倒なことが大嫌いなので断ってしまった。(2004.11.15)


○何が何だか?


 ある人から「君がやっていることは、何が何だかわからない」という意見を聞いた。パソコンについて、やっている作業が、である。
 私はWindowsを始めて、1年半になる。そして、その前は20年近くパソコンとご無沙汰をしていた。さらに、その前に会社でやっていたときは、まだ MS-DOS の初期の時代で CP/M などもあった。したがって、いまだに浦島太郎やリップ・ヴァン・ウインクルに似た状態で、自分自身でも正直言って何が何だかわからない。

 ただ、仲間に勧められるままに何となく中途半端なものではあるが、ホームページが4つになってしまった。現在、トータルで 700メガバイトではあるが、やはり 2000 メガバイト、2ギガバイトというのでしょうか、そのくらいが必要なようです。
 始めは自宅サーバーを考えていたのですが、最近になって簡単にプロバイダが大容量、かつ安価に契約できるようになったので 300 メガバイト単位で次々と利用をしてきました。

 また、フリーメールのサイトも 6つの管理人にさせられてしまった。何でも引き受けるおっちょこちょいの性格が、自分の力に不相応なことをさせるようだ。(2004.11.12)


○はめまらorめはまら?


 昔から、「はめまら」と言うようです。もしかしたら、「めはまら」かもしれません。
 ふつう、目は歯よりも上にあるからです。いずれにせよどちらの場合でも、男は「歯」と「目」と「魔羅」がダメになりやすいというような意味なんです。
 「歯」と「目」については、玉木さん他の人々がよく言われますので、私は「魔羅」について皆さんに(とくに男性の高齢者の方に)お伺いしたいんです。

 ギリシア時代の彫刻を見ると、楳図かずお氏が言う「ミスターブラウン」の箇所が、成人のノーマルな形ではどうなっていたかが、何となくわかるような気がします。また、日本のような水の豊富な国の中で、私のような鈍感な人間でも感じるゆえに、『旧約聖書』で「神との契約」となっていることも、やはり何となく納得できるんです。

 それはともかく、若い頃にあれほどビンビンしていた私の魔羅も、還暦を過ぎたころより次第に勢いがなくなり、かつ小さくなっていくようです。小さくなるのはかまわないんですが、そのために回りの皮が余ってくるせいでしょうか、いわゆる包茎のような状態になっていくんです。
 最近では、ともするとすっぽりかぶちゃっていることさえあるんです。

 私は、スーパー銭湯やサウナによくいくんですが、いつもチラチラと人様のものを観察しています。もちろん、かぶっちゃっている高齢な方々もかなり多いようです。しかし、よく観察をすると小さいながらも立派に剥(む)けてキトー君が覗いている人が何人かいます。おそらく包茎の手術をしたのでしょう。
 そこで、私もしたいと思うのですが誰か経験をした人や詳細を知っている人はいないでしょうか?
 私は「痛い」のと「おっかない」のが大嫌いです。
 そんなわけで、よろしく…… (2004.11.10)


○愚かな過ち?


 久々に唐木田の高齢者福祉センターに行った。とても賑わっていて、次のような話題があった。


●「老人になると、サプリメントが身体によい」
●「水泳は、身体を丈夫にして健康によい」
●「玄米は、健康食である」


 そんな話しを熱心にしているのを聞きながら、私は「何を馬鹿なことをほざいているのか」と思ったが、黙っていた。
 サプリメントについては、胃腸がダメになっちゃうことなどのデータが、まだ私にはないので何も言えない。
 しかし、水泳が一般的に健康を害すことに気付いて、10年前に私はスポーツクラブをやめてしまった。
 また、玄米については山形県の庄内平野にある「土づくり減農薬米」の生産者の人々に、説明を聞きに行ったことがある。私と妻が食べる玄米の安全性を確かめるためである。
 それも、かれこれ20年前のことである。

 しかし、センターでは「病は口から入り、禍(わざわい)は口から出る」と考えて、意見を聞かれたけれど、私は何も言わないで帰った。無責任なことを言って、他人まで不幸にしてしまう人がいることにはちょっと憤りを感じた。
 そんな非常識なことを得々と(したり顔で)話している人がいて不愉快なので、当分はそこに行くまい。
 国民がほとんど病んでしまうのは、やはり正しい知識が普及してないからじゃないかと、秘かに思った次第だ。(2004.11.08)


○年賀状の画像撮影


 きのうは、臼井さんが「今度の年賀状に鳥の写真を撮りにいこう!」と言ったので、デジカメのセミプロ級であられる大岩さんにご同行を願って、井の頭自然文化園に行った。
 そこでは、放し飼いに近い状態の「烏骨鶏(うこっけい)」がいて、それを何枚か撮った。
 その動物園には、象の「花子さん」がまだ健在であられたので、私はとてもうれしく、また安心をした。インドのガンジー元首相、そして無抵抗主義を唱えたガンジー翁にも思いを馳せた。
 さらに、熱帯温室には「カンムリバト」がいた。
 私は、「青空ライブラリ」にある「自己福音書」の「カンムリバト」を思い出して、感慨無量だった。
 私にも若いころがあって、そのころは吉祥寺にいたからだ。(2004.11.05)


○デジカメについて教えてください


 多摩動物公園の昆虫園にはハチドリがいる。
 ハチドリのホバリング(羽ばたき)が、どうしても捉えられない。速さがすでに、デジカメのコマ送りではムリなのか?
 また、蜘蛛の巣が張っているような場合、その中央にいるジョロウグモに焦点を合わすには、どうすればよいか?
 私のデジカメの説明書は、何となく非常に頭の悪い人が作ったものか、はたまた非常に賢い人がその性能の限界や問題点を隠蔽するために作ったものか、何ともわかりにくい。しかたないので、自分自身でやってみて自分用の説明書を作ろうとしている。

 そんなわけで、私のデジカメでは、すでにふつうの写真は撮れなくなってしまった。
 分解能は少し落ちるが、すべてムービーなのだ。静止画が必要なときは、その中から一枚を切り出す。
 むろん、モードを変えればいいのかもしれないが、その方法を覚えられない。説明書には、くどくどとわかりにくい説明が書いてあるのだが、私にはとても理解できなかった。
 そして、めんどうなので、それをやめてしまった。(2004.11.03)


○動物園の楽しみ


 ここのところ、多摩動物公園へ週に2回は行っている。
 年間のフリーパスをもっているので、毎回ごとに入場料を払う必要はない。
 コアラは、何となくもそもそとしていて、あまり好きでない。そういえば、私はどこの動物園でもナマケモノを見たことがない。どこにいるのであろうか?

 多摩動物公園へ行く楽しみは、パンダに逢えることだ。
 とくに康康(かんかん)は、私にはなつかしい思い出がある。
 自分の名前と同じ文字だからだ。でも、私の名前は康康から文字を取ったわけではない。生まれたのが、康徳元年だから「康太」にしたという。
 康康のお陰で、このホームページの「自己福音書」に「パンダのぬいぐるみ」を作ることができた。(2004.11.01)


○「冬のソナタ」の研究(6/6)


 そこで、まだ「冬のソナタ」方式では情報の伝達が不確実なようなので、むしろ「サザエさん」、古くは「フクちゃん」、または「冒険ダン吉」、それに山川惣治の「少年王者」(「少年ケニア」も同じ)、そして最近の「笑うセールスマン」など数え上げるとキリないが、それらのメディア方法による論述にするんです。
 そして、そのような形式でかつてのソクラテス、日蓮、宮武外骨などが行ったように、世間に警告をします。
 それらはスイフトのように、強烈な社会批判をすると同時に、ビゴーのようなユーモラスも交えて、世の中を覚醒するためなのです。
 だから「ガリバー旅行記」のヤフーでなく、むしろフィーヌムの立場なんです。

 そのためのツールとして「Flash」を考えたり、その構成法として「冬のソナタ」を研究したりしているわけです。内容の展開としては、この「冬のソナタ」などを参考にすると、フィットの仕方などが簡単に掌握できると考えたからです。そして、「Flash」とデジカメの「ムービーモード」を利用することによって、短時間で完成をすることがわかりました。

 そんな意味で、使いやすいツールでないといけないのです。なぜならば、効率の悪いツールですと残りの人生、つまり余生が残っているうちには完成できないからです。
 なお、RIKO劇場の最初のシリーズは『呆辞苑』(ほうじえん)にしようと考えているのですが、もしかしたらこの名前がすでに世間にあるかもしれません。そのような場合は、別の名称にします。

 タイトルの違和感が最後まで残りました。もしかしたら原題が「ソナタ」ではなく「ソネト」ではないかとも思います。「ソネト」は、セルバンテス「ドン・キホーテ」などにも出てくる14行定型叙情詩です。詩形は定められた行で脚韻を踏むのすが、ヨーロッパ以外でもインドや中国に似た形式があります。また「詩」と書いて「うた」と読ましたり、「エレジー」を「悲歌」と言ったりするのはすのは、日本だけでしょうか。

 世間には物事に非常に感激をする人と、鈍感で何事もあまり面白くないという人がいるようです。この物語が、世間に何を訴えたのであろうか。また、見た人の人生に何を残したのであろうか。しかし、いっぽうではただ見ていて、美しく情熱が一時的に燃えればよいと考える人もいるようです。私はスエーデン映画「短くも美しく燃え」というのを思い出しました。さらに考えると、何も残らないのが本来の芸術かもしれません。それで、純粋な音だけよりも映像を伴ったほうが効果的であるということが改めてわかった。そんな次第で、メロドラマか芸術かというような捉え方をする人がいるのかもしれない。

 しかし、この作品に対して感動をするというような若々しい気持ちを、いつまでももちたいものである。老人になると物事に対して麻痺してしまい、感動をしなくなるのであろうか。それが老化か呆けかわからないが、とにかくいつまでもみずみずしい気持ちをもつために、このような物語を見るのもよかろう。
 ここに「冬のソナタ」という言葉から受けた私の最初のイメージを書き残しておこう。それは、ベートーヴェンの ピアノ ソナタ 第29番 変ロ長調(作品106)の『ハンマークラヴィール』の第3楽章アダージョ・ソステヌート(嬰ヘ短調 8分の6拍子)である。終楽章なのにソナタ形式で作られており、約16分もある大曲だ。それはいつ聞いても、何とも大きさと深さを感じさせられます。そして、聞くものの魂までを高揚するのではないでしょうか。
 私は、そんなふうに物語の内容を最初に想像したのです。

 話しは変わりますが、はたして何人の「冬のソナタ」視聴者が、いわゆる「目の大切さ」と「目のありがたさ」を考えたことでしょうか。私は第20話を見ていて、めしいてしまう悲しさを実感として、自分自身が深く感じました。
 6回にわたって長々と「冬のソナタ」に関係をする話をしました。研究などというものではないのです。何となれば、ストーリさえも満足にとらえていないので、研究できるはずがなく、専門以外のことに嘴(くちばし)を入れる危うさと愚かさが、そこにあるのがわかった次第です。

 面倒くさがらずに目を通してくださったことに感謝をします。
 また、資料を配慮してくださった三木さん、長谷川さん、そして高い次元からこの件に関してご指導をしてくださった大岩さん、高守さん、田中さんにはお礼を言います。
 ありがとうございました。(2004.10.30)


○「冬のソナタ」の研究(5/6)


 ストーリに関しては、最終回しか見ていないので何も言えない。
 それで、何が研究か? そう言われるのではないかと、ビクビクものである。無責任と言えば無責任、愚かと言えば愚かなのである。つまり、あまり全巻を見たいとは思わない。ストーリもムリのない進め方であるし、ちょっと陳腐であるからだ。
 でも、借りた巻だけは見ないといけない。そこで、妻に頼んで見てもらった。そして、妻の感想を自分のものとしてパクったのである。

 妻は勤務先のホテルなどで、しばしば話題になっているためであろうか。意外に素直に見ていたようだ。私は、どうしても今月中にまとめなければいけない『摩訶止観』を読みながら、チラチラと妻の見ている画面を見るには見たが、……
 そして、何回か美しい音楽のときは仕事をやめてテレビを覗いた。
 しかし、それでも計画をしている「リックフィーヌムのヤフー劇場」にとっては、大いに参考になった。それが完成をしたら、あなたにもそのことがわかっていただけると思う。

 ここでは、そんな意味で使われた音楽について、自分の考え方を述べてみた。そして、その梗概についても妻からの又聞きで大いに勉強をさせてもらい、自分の作品にあるべき姿を考える研究をした。
 つまり、劇の進め方とピアノ音楽のあらましがわかったので、劇の台本を書くとともにピアノ曲を自分で作曲してしまおうというわけだ。
 そして、それにもとずいて撮影をしてから、BGMとして乗せる計画である。
 それをついでに、ちょっとここに述べさせてください。

 いちおうステージは、何とか整ったのである。(ステージとはFlashの作画のためのメイン画面をいいますが、ここではその意味ではありません) だから、Yahoo!のプロバイダで300メガバイトの契約をすることにした。また、ホームページのドメインとしては親しみやすいように「rikwhi.com」を取得した。
 つまり、「rikwhiのRIKO劇場」はかつての「http://rikwhi.com」でつながる。
 そして、インターネットやホームページに関する基本的な事項は、楽天のほうのホームページにダイレクトリンクをするようにして、便宜を計るようにした。いまのところ、私の能力がないので、何となくもたもたとしてあまり進んでいないのであるが、……

 つまり、どうやら人生の先が少なくなってきたので、若いころに考えていたことを次々とするので、時間が大幅に足りないのである。読みたい本や行きたい場所が、あまりにも多すぎる。そんな意味で、「冬のソナタ」全巻を見る時間が私にはない。
 そのような次第で、ここのところ『荘子』にある「有限の身で、無限の知識に望むのは危うい」というくだりを身にしみて感じている。つまり「あれもしたい」「これも知りたい」と考えるとキリがないのです。そんな意味で『方丈記』に『天台摩訶止観』から引用したコメントがありました。

 また、現代は文章でくどくどと書いても、昔の宮武外骨の時代とは違って、誰も読まんのです。なぜならば、若いフレッシュな世代がすでにオーディオヴィジュアル時代になったからです。そして、文章は何となくフィーリングでも感じうる内容のものでないとダメなのです。とくに、テキスト形式で書かれている長いメール、つまりこのメールのようなものは、あまり目を通してもらえません。うんざりするし、下らない手段だからです。

 さらに玉木さんや私は、すでに老いているのでに、とくに若い人はこのような文章で論述をすると「老人の戯言(たわごと)、繰り言」として相手にしてくれません。そればかりか、「くどくど書くなら、早く死ね!」というような意見をくださる人もいるのが現実です。
 今日は、これで終わりにしませう。(2004.10.29)


○「冬のソナタ」の研究(4/6)


 最終回「冬の終わり」では感動をします。かつて自分が設計をした家に入って、海の見えるフロアで再会をする場面です。そこを探し当てて行ってみると、すでにめしいた主人公が帰ってきて「どなたですか、……、どなたですか?」と言い、しばらく無音の静寂が続くなかで、海の波音だけがかすかにします。
 そしてしばらくしてピアノが鳴り始めるのである。これは、とても大きな効果があると私も思った。間の取り方、音の出し方、それが東洋人固有の感覚にフィットしているようだ。

 また、モノクロ風な画面で思い出すシーンは、すばらしいものである。例えば、音だけの効果で思い出すチャイコフスキーの「ピアノ三重奏曲 イ短調」などの効果とも同様なのであろう。「偉大なる芸術家の生涯」といわれているので、ご存知な人が多いでしょう。
 その終楽章で、私は不覚にも涙を流したことさえもある。学生時代のころの名曲茶房での思い出だ。
 しかし、この「冬のソナタ」では最終回が親切すぎるようでもある。おそらく視聴者の対象をかなり低いレベルの人を想定したためであろう。わかりすぎてしまって、余韻がないのである。つまり、高度な芸術ではなく親しみやすいドラマに仕上がっている。それは、それでいいじゃないか。

 私は、つくづくと考える。
 人生も残り少なくなってきたので、本来ならば身の回りを整理して、心静かに死を迎えようとする時期である。そんなときに何で「冬のソナタ」の研究なのであるか? しかし、そうじゃない。
 すべて、何事も複雑すぎるのだ。簡単な方式で誰もの胸を打つような物語ができたら、素晴らしいことである。私は物語ではないが、次のようなことを考えているのです。

 『リック・フィーヌムのRIKO劇場』というのを作って、社会に警告をしたい。何を警告するかというと、内容は「政治」でも「宗教」でもなく、また「人生観」でもない。ただ、「食生活」と「生活習慣」に関する間違った考えについて、覚醒をしていただきたいのである。
 なぜならば、ここのところ病気で倒れる人が非常に増えているからです。そして、それも不注意が原因なのである。ちょっと注意をすれば、そのようなことは避けられるのであるが、それを誰もしていないのである。していないのではない。知らないのである。

 確か『荀子』にあったと思うが「子どもがよちよち歩いて、井戸に落ちそうになった」ときに、「あなたはどうするか」という問題である。誰でも慌てて走り寄って、その子どもを抱き留めるであろう。
 しかし、子どもは次の日にも同じことをするのである。止(と)められたから、その先に何か素晴らしいことがあると考えるようだ。そこで、「井戸が危険である」ということを教えなければならない。
 健康を損ねて次々と病気になったり、死んでしまったりする人は子どもではない。立派な分別のある高齢者がほとんどである。そこで、工夫が必要になるのである。『妙法蓮華経』にある「長者火宅の教え」ではないが、方便も必要なのだ。

 私は、アンブロース・ピアス『冷笑家辞典(後に「悪魔の辞典」となった)』や芥川龍之介『侏儒の言葉』、そしてスイフトの『ガリバー旅行記』などの内容を範(のり)としたい。さらには、相原こうじの「こーじ苑」をもじって『呆辞苑』(ほうじえん)とタイトルを付ける計画である。
 幾分の警告と揶揄をもって、人間の愚かさを笑い飛ばすのである。(2004.10.28)


○「冬のソナタ」の研究(3/6)


 私は韓国に行ったことがないので、その国の気候のことは知らない。
 さらに北の元満州国の新京(いまのちゃんちゅん=長春)にいたことはあるが、まだ幼少のときであったので気候のことなどあまり覚えていない。ただ、冬になるとオンドルがあって、暖かかったことしか記憶にないのだ。
 いずれにしても、ピアノの出す音つまり音色の可能性をじゅうぶんに考えて、作られているようだ。しかし見たところでは、用いられている曲がソナタ形式の曲というようなものではなく、いずれも短いバラード風の曲である。

 「テンペスト」三楽章でも、出だしのわずか一部分なのである。
 ピアノ以外にも効果を考えて、弦の鳴るところや歌声のところもあるが、いずれもピアノの伴奏に乗せた美しい旋律になっている。例えば、第20話で主人公が「愛は許すものじゃないよ」(むろん吹き替えた言葉)と言ってから鳴り始めるピアノは、なかなか効果的である。
 やはり、元の映像でも同様にその曲が鳴っていたのであると信じたい。

 ストーリに関して私にはどうこう言う資格はないであろうが、それでも少しばかり言及をしておかなければならない。
 人には、誰でも自分自身の世界がある。他人にはわかりにくい独自な空間があるからだ。しかし、この物語は非常にわかりやすく、入りやすい世界を構築している。そして、それらを余韻を残しながら進めていくので、理解しやすい形で人の心に入っていく。だから、むかしあった『君の名は』などと同じ効果を及ぼすのではないだろうか。

 その『君の名は』は、まだテレビのなかったラジオ放送劇の時代であったが、夕方のその時刻になると風呂屋ががら空きになったほど人気があった。戦後で、まだ一般の家庭に風呂がない貧しかった時代のことである。それほど、人の心をとらえた放送が日本にもかつていくつかあったのだ。
 この「冬のソナタ」は「どこかで見たような人たち」そして「どこかで聞いたような旋律」などが効果的に物語に入り込ませて使われている。したがって、何となくなつかしく感じて、人の心に入っていくのではないか? いわゆる「心のルーツ」なのであろう。

 ちょうど、夏目漱石の「こころ」が「非常に少ない登場人物」で「非常に多い文章量」を用いて表現をしているようなことを逆に「冬のソナタ」では、「かなり多くの人物」を次々と登場させて変化をもたせながら、いっぽうでは「少ない言葉」で効果的に綴っている。いきおい複雑な物語の展開はできないであろうが、それなりに対象が絞られてくる。そして、この作品にはその対象が感激をしたり、ファンになったりする魅力をもっているようだ。
 いずれにしても、久々に清々しい真面目でクラシカルなストーリを体験した。

 考えてみると音(ピアノ)が鳴っているときには、あらすじのクライマックスが多い。むろん、それは逆であってクライマックスの効果を考えるために、そこでピアノを鳴らすようにしているのである。
 また、間をもたすためのBGM、さらには物語の中で真実が明かされたときに音楽がバックで鳴るようになっているという非常に効果を考えた構図のようだ。(2004.10.27)


○「冬のソナタ」の研究(2/6)


 まず、第20話「冬の終わり」を見た。
 そして、この一連の物語に「なぜ『冬のソナタ』というタイトルが付けられているか」という疑問をもった。前のほうで主人公かまたは他の人がピアノを弾くのであろうか。また、音楽に関係する部分が多く出てくるのであろうか。
 登場人物の母親がピアニストという設定ではあるが、そのような場面がメインモチーフとして出てくるのであろうか? つまり、ピアノを演奏する場面を物語に効果的に用いて、重要なストーリの展開を構成しているかである。
 しかしながら、ピアノの前に座って何となく弾いているような場面はあるものの、あまりそれがストーリ自体には関係をしないようだ。

 それよりも第17話のホテルの場で、鳴るピアノ曲が印象的だ。また、19話では同じ曲を母親が弾いていることになっている。その曲は、ベートーベンの作品31第2の「ピアノソナタ17番ニ短調」である。いわゆる「テンペスト」(嵐)という曲だ。シェイクスピアの「テンペスト」をモチーフとして作ったといわれる曲である。
 そして、その速い追い込むような8分の3拍子(びょうし)の第3楽章アレグレットがパーペタムモビレ(無窮動)として突然鳴り出すのである。思わず、気持ちが引き締められるような感じがする部分である。

 母親が弾くときも、指の部分が映し出されない。おそらく、名演奏家が弾いたものだろう。その曲だけが、物語すべての中で光っているからだ。そして、それはウイルヘルム・ケンプのように音楽として弾くのではなく、ウイルヘルム・バックハウスのように「ただ、そこに音があって、その音を次々と鳴らす」という高次元から音楽を構成する方式の弾き方である。だから、その部分だけが「冬のソナタ」とは違った作品と感じるような効果になっているのだろう。

 これは私の「ピアノ小品集」の解説(あとがき)にもあるように、さすがに効果的だと思った。
しかし、この曲つまり「テンペスト」以外は、いわゆるバラード風の曲が多く、何となく気分を誘っているが、とくにいうほどの音ではないようだ。

 全体を見ずして、まったく無責任な発言だが、そんなことを次々と考えた。
 もしかしたら、ムードで「ソナタ」という言葉をタイトルに用いたのであろうか。また楽典でいう「ソナタ形式」のいわば「輪廻転生(?)のようなストーリ」としての効果的な展開を試みたのかもしれない。韓国語では、ソナタを何と言うのだろうか。日本語では「奏鳴曲」という。もしかしたら、そのような効果を考えたいわれがあるのかもしれない。
 「……ソナタ」という言葉から思い出すのは、ベートーベンの『クロイッチェルソナタ』を織り込んだトルストイの小説、また「冬の……」からは、ゲーテか誰かの詩に曲を付けたシューベルトの『冬の旅』である。

 さらに、私はなぜかここでヴィヴァルディの『海の嵐』も思い出した。難破をして、行き倒れてしまった彼自身の哀れな顛末を最初に考えたからだ。
 「冬の」というのも、何か印象的である。「冬のソナタ」というテーマのほかに、最終話のタイトルが「冬の終わり」となっている。冬が終わって春がくる。冬の雪どけがなくなって、暖かい希望の春がくるのである。ふつうは、そんなふうに何か冷たいものが氷解していく意味合いの言葉である。しかし、作品を見る限りでは、そのような感じではしない。私だけであろうか?

 確かに主人公への誤解のあった思いが、時間とともに薄らいでいったことは事実であろう。しかし、どうもそんなことではないようだ。「冬」というモチーフが、いったい韓国では何を暗示しているのか。日本と比べて緯度がかなり高いから、だいぶ気候は寒く、温度は低いのかもしれない。そんな背景を「冬」の中に、閉じ込めてあるのではないかと思った。(2004.10.26)


○「冬のソナタ」の研究(1/6)


 三木さんから「冬のソナタ」のビデオテープ数巻とその説明資料を拝借した。
 私がいま考えている「rikwhi(リックフィーヌム)のヤフー劇場」をFlashで作成し、実現をするための研究である。なぜならば、物語の内容は素晴らしいものではあるが、その表現やBGM(バックグラウンドミュージック)については、あまり自信がないからです。初めてのことでもあるし、仕方がないことであろう。

 「冬のソナタ」は資料によると、次のようなタイトルの20話からできている。

(1) 出会い
(2) はかない恋
(3) 運命の人
(4) スキー場の仕事
(5) 罠
(6) 忘却
(7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) については、省略 
(14) 二度目の事故
(15) 過去への旅路
(16) 父の影
(17) 障害
(18) 運命のいたずら
(19) 父と子
(20) 冬の終わり

 むろん、原語で見たり聞いたりしたわけでなく、日本語版の吹き替えであるから、原題と違ったニュアンスやタイトルもあろう。しかし、そのことについてはここでは触れない。ただ、それぞれの回のタイトルが、物語の進捗を暗示していることがわかって、なかなか興味深い。そのようなことも、大いに学ぶべきことと思った。
 また、ストーリ自体も意表を突いたというような内容のものでもない。どこにでもある陳腐といってさえよいような展開である。それが、なぜ人気番組になるのであろうか。NHKであるので狡獪な仕掛け人もいないとは思うのであるが、どうであろう。

 私の義姉は敬虔なクリシチャンで、生活も質素で真面目な人です。しかし、驚いたことには「冬のソナタ」は毎回必ず見るといいます。そして、いつも大満足をするのだということです。どこにそのような魅力があるのかが、私にはわかりませんでした。
 しかし、三木さんから借りたビデオを見ていると、何となくその魅力がわかってきました。それは韓国という国柄ではなく、人間のもっている基本的な心の動きを忠実にとらえた物語だからでしょう。

 そして、多くの文学作品に言えることなのですが、この「冬のソナタ」では感覚的に視聴者に伝えるための工夫が多くなされていることに気付きました。そんなために、気分によって行動をする年配者、とくに女性にファンが多い作品になったのでしょう。(2004.10.25)


○カワセミとハチドリ


 ホームページのトップページにユニークなものと思い、ここのところ「ハチドリが羽ばたくムービー」をデジカメで撮ろうとしている。
 最初は、カワセミを考えたのであるが、何となく穏やかでないのでやめた。なぜならば、カワセミが小魚を捕らえる光景は一種の猟(かり)であるから、見ていると気持ちが荒立つ。
 むろん、ハチドリが花から蜜を集めるのも同じであろうが、何となくこちらのほうが穏やかだ。

 それに、カワセミの光景は縦に長くなってしまい、かなり大きなスペースが必要でもある。また、カワセミがかなり陳腐化したデザインにしかならないこともわかった。
 ハチドリを考えるまでは、ヤマセミにしたらよいかとも考えた。さらに、ワライカワセミなどはどうかとも。
 しかし、いずれにしても様にならないだろう。とくにワライカワセミは、である。
 また、宮沢賢治『やまなし』にあるクラムポンの話しなどを思い出すと残忍でもある。

 私はフルコースの洋食よりも、どちらかというと日本料理のほうが好きだ。ナイフやフォークが何となく武器を連想させたり、食べるときに使う順序が決まっていたり、そのうえ悪いことに肉が次々と出てくるからだ。
 それに比べて、日本料理は箸で植物を静かに食べられるので穏やかだ。だから、活き作りのようなゲテモノや刺身、寿司などは食べないことにしている。だいたい動物や魚の死骸を食べなくなって、20年以上になる。肉を家で食べたことはないし、魚も煮干しと小女子(こうなご)ぐらいであろう。

 閑話休題して、ハチドリに戻ろう。
 私が考えているのは、アメツバメ目のチャムネエメラルドハチドリである。非常に小さく、瑠璃色で輝きが美しい。いつも1メートルほど目の前で見るが、すぐに次の花にすばやく移るので、なかなかカメラに捉えにくい。
 しかし、今年の夏はギンヤンマをデジカメに納めるコツや技術を自分なりに苦労して取得した。今度はハチドリのムービーを可能にすることくらいは、何となくできると思う。
 デジカメに納めたら、Flashで加工をして配信をしたいと思っている。(2004.10.22)


○生水を飲まないと……


 これは、あくまでも私の考えた仮説です。
 最近になって生水を飲まなくなったために、細胞や血液が機能しにくくなっているのではないでしょうか?
 そのために、循環器系の障害、例えば脳梗塞や心筋梗塞がどんどん増えているようです。むろん、ガンにも同じことが言えそうですが、ここでは言いません。

 ヒトの遺伝子にまだ経験がないために、その処理方法が組み込まれていない食べ物や飲み物を多く摂ることは非常に危険です。しかし、そのようなことが現代の生活であり、その結果が顕著になってきています。
 次々と倒れる親しい人たち、ひっきりなしに走っている救急車、申し込んでもなかなか入れない高齢者養護センター、問題は山積みです。

 水に限って言うと、ペットボトルの湧水などは一度高温で煮沸したいわゆる死んだ水だから、むろん生水ではありません。滅菌をしてあるので、病原菌に対しては安全でしょうが、体に対してはどうでしょうか。
 話しは変わりますが、例えばライオンに毎日焼き肉を与えて、いっさい生肉を与えなかったらどうなるのでしょうか?(2004.10.20)


○戦車道路


 いつも市の高齢者専用の送迎バスで町田市との境にある唐木田の福祉センターへ行く。
 そして、そこから多摩美術大学までを歩く。さらにそこからは、多摩美の送迎バスで八王子まで出て、京王線で聖蹟桜ヶ丘まで帰るわけだ。
 唐木田からは尾根幹線を西に3キロメートルほど向かい、そこから戦車道路を約4キロメートル歩くと多摩美大だ。多摩美には知人がいるので、ときどき芸術について教えてもらう。

 戦車道路とは、かつて相模原の工場でできた陸軍の戦車を試運転するために作った専用道路である。いまも、その当時の面影が残っていて、何ともタイムスリップしたようだ。
 先日行った子どもの国にも、旧陸軍の弾薬庫が残っていたことを思い出し、それらを用いて何か創作ができるような気がした。(2004.10.18)


○イアラ?


 楳図かずおの「イアラ」シリーズを読み直してみた。
 復活のアイディアをFlash劇場で利用したいからだ。先日、彼岸の墓参りに行ったら、楳図かずおがブラブラしていた。高尾の初沢にある黄色い小さな彼の別荘の前のことだ。(2004.10.15)


○ナラダッタとアッサジ


 改めて、久しぶりに手塚治虫の「ブッダ」を読んでみた。
 理由は、ナラダッタとアッサジに会いたくなったからだ。この二人は、非常に変わった人生を送った仏伝にはない人物であるが、私は大好きなのである。(2004.10.13)


○『少年王者』の信吾とすいこ


 Flashを使うに当たって、人物のイメージが欲しかった。
 そこで、いままでに読んだ書物の中でいちばん印象のある顔かたちを真似することにした。
 すると、女性はすいこに、男性は牧村信吾になった。(2004.10.11)


○タカ目タカ科?


 多摩動物公園の猛禽舎にオオワシがいた。
 銘板には「タカ目タカ科。極東から北海道に越冬にくる」と書いてあった。ワシなのにタカ科である。
 そこで、オオタカとの違いを動物相談所の人に聞いた。すると、門項目科属種の改変で、オオワシとオオタカが同じ科になったという。また、オオタカは動物園に来て、小動物を襲うというので、いわゆるカラスと同類の害鳥だという。
 多摩川の崖にいるオオタカはカメラマンの羨望の的なのに、……。(2004.10.08)


○犀と貘


 ここのところ、多摩動物公園によく行く。月に10回以上は通っている。動物の観察と散歩ができるので、とてもよいところだ。私は、犀(さい)と貘(ばく)を見るのが好きだ。

 犀は哺乳類、草食性で陸上にいる動物では象に次いで大きく、皮膚は厚くて鼻先に角をもっている。
 貘は、やはりウマ目の哺乳類、でも体形はずんぐりとしいる。鼻と上唇がつながっていて、何だか象の祖先みたい。

 しかし、なぜかこの動物園にいる犀の角は根本から切られている。私はお経(「スッタニパータ」)にある「犀の角」の一節をいつも思い出す。「貪らず、詐(いつわ)らず、飢えず、他人の邪魔をしないで、自分の濁りと迷いを捨て、世間に愛着を持たず、ただ犀の角のように独りで進め」

 私が行くと、貘はよく寝ていることがある。中国では、麒麟と同じように貘を想像上の動物と考えて「人の悪夢を食べる」という。だから、眠っている貘を見ると、自分自身はいまどんな夢を食べているのかと不思議に思う。
貘の体は熊に、鼻は象に、目は犀に、脚は虎に、尾は牛に似るというが、それでは四不像以上である。(2004.10.06)


○ムサシノキスゲ


 多磨墓地に隣接している浅間山に登った。
 ムサシノキスゲの群生地ということであるが、季節がずれていたので咲いていなかった。いつごろに花が見られるのだろうか? ニッコウキスゲと同種の植物という。

 浅間山のところから、人見街道が始まっている。しかし、もしかしたら終点で江戸の人たちがここに参拝に来るための街道であったのかもしれない。(2004.10.04)


○ジオシティーズのエリア不足?


 現在のホームページがいっぱいになってしまい、Yahoo!ジオシティーズの申し込みをした。ホームページの一部を移すためである。
 そして、アップロードしている途中で、やはりそこも一杯になってしまった。そこで仕方なく、有料のジオプラスにしようと考えたのだが、まずEバンクの意味がわからない。
 わずか月々500円程度の支払いだが、どうしたらよいのだろうか? 指定された銀行へ行って5000円ほど預金し、取りあえず口座を開設しておいて通帳を受け取った。
 しかし、その後がどうしてよいかわからない。

 だいぶ前に、古川栄一さんの依頼で「経営ハンドブック」の数章を担当した。
 そしてそこに、「西暦2000年以後は、財布を持つ必要がまったくなくなるだろう。……」と書いてしまった。その理由として、「技術が進んで、すべての支払いが共通化するので、小口支払いカードを各自が持つことによって、現金を持ち歩く必要がなくなる。……」というような内容だった。
 しかし、いまだに業界の都合で統一ができていない。JRと私鉄各社とのパスネットなども共用できれば、ずいぶんと便利なのに、……。

 そのことを私が予測をして、その本の原稿を書いたのは、1973年のことであった。30年も昔のことである。(2004.10.01)


○ノートンの延長キー


 先日、ノートンのサービス期間が切れる1ヶ月前になったので、画面にメッセージが現れた。継続の手続きをしろとのことだ。そこでそれをしようとしたが、なかなか面倒な手続きである。
 説明を読んでも、最初はなかなかわからなかった。いったい何をどうすればよいのかが理解できない。
 もっと簡単にして、YesかNoで次々と答えていくような方式にはならないのか?

 しばらく考えて、何とか意味がわかったたので、仕方なくそのとおりにした。
 まず、支払いをローソンに置いてある端末からしたのである。わずか数千円の支払いをして、その受領証をいったん受け取り、そこに書いてある「延長キー」なる文字列をパソコンからインプットして、ようやく期間延長が実現できたみたいです。

 何とも面倒な手続きで、近くの大型家電店に行って新しいバージョンの製品を買って、インストールをしたほうが結果的には手数もかからず、費用も安かったようです。
 世間や人生には無駄なことが多く、そうかと言ってそれをしないと、もっと無駄なことが人生や世間に広がってしまうのは困ったことです。(2004.09.29)


○Windows XP Service Pack 2


 SP2は、「Windowsのファイアウオールをすり抜けるウイルス」や「Nortonをすり抜けるウイルス」を何とかガードできますが、それでもガードし切れないウイルスもあって、破壊されてしまうこともあったようです。
 したがって、早晩マイクロソフトからSP2の改定版が出ると考えていました。
 そんなわけで、改定版が出てからでも遅くは無いと考えて、面倒ぐさがりやの私はSP2のインストールを今まで控えていました。

 それがいよいよできたのでしょう。
 9月29日(水)より Windows XP SP2 が自動更新になるといいます。

 この SP2は、マイクロソフト社より提供されたWindows XPの修正プログラムとウイルスなどのインターネットを通した悪意のある攻撃からパソコンを保護するためのセキュリティに関する機能が今までよりも大幅に強化されているそうです。
 しかし、SP2の適用をすると、パソコンの機種やアプリケーションによっては、動作に影響が出たり、事前に最新ドライバをインストールする必要があるということです。

 なかなか面倒で、わかりにくいものですね。
 仕方なく、今週中にやってみますか? (2004.09.27)


○摩訶不思議?


 非常に奇妙なことであるが、仙人のような老人が尋ねてきて「何かすることがあるんじゃないか?」と、私に尋ねる夢を見た。

 先も長くない(少なくとも、今までの人生よりはずっと短いでしょう)ので、この辺で何とかマスターをしておきたいことがある。学生時代から、すでに考えていたことだ。
 その「天台摩訶止観」に取り組んでみた。『摩訶止観』はあまりにもでかいので、最初は弟子の淨弁が書いたという『天台小止観』から始めることにした。
 なぜか、前に道元『正法眼蔵』とその懐奘『正法眼蔵随聞記』を読んだときのことを思い出した。(2004.09.24)


○高楼の宴


 生田緑地の桝形山に登った。
 城跡であるが、今は三層の近代的な展望台があるだけだ。それでも、つまりは三層作りの櫓(やぐら)なのである。エレベータまで付いている。昔は、その高さで、宴などが行われたようだ。そこからの見晴らしは、なかなかである。案内板にはっきりと書かれている富士山は、あいにく霞んでいて見えなかった。

 生田青少年科学館にも寄った。140万年前の地層や日本にいたゾウの化石があった。とても勉強になった。その隣にプラネタリウムがあったが、入らなかった。なぜか、……(ビロ〜っちゃって恐縮だが、歳のせいか冷えると、すぐにオシッコがしたくなっちゃうんだ。)(2004.09.22)


○色即是空?


 すべてのものは因縁(いんねん)によって仮に存在をしているだけで、その実質は空であると言います。本当でしょうか? そのことは『般若心経』にもあので、仏教の話なんでしょうか?

 『いろは歌』は、有名です。
 「いろはにほへと、ちりぬるおわか、よたれそつねな、らむういのおく、やまけふこえて、あさきゆめみし、えひもせす。」
 七字ずつ読んで、最後のところは今様(いまよう)風にします。すると、作者が抗議した「咎なくて死す」という無念のメッセージが隠されていると言います。本当でしょうか? (2004.09.20)


○森と林はあって木がない、なぜ?


 「木で鼻を括(くく)る」とは、「そっけない態度で応じる」とか「返事もしない」ということです。
 また「木に竹を接(つ)ぐ」という言葉もあります。「不自然でちぐはぐしていること」のたとえです。そして、「物事の筋道の通っていない」ときにも用いるようです。
 「木に縁(より)て魚(うお)を求む」とは「方法を誤ると目的が達成できない」ということです。ときには「見当違いな望みを抱くこと」も言います。
 「木を見て森を見ず」とは「細かいことばかりに注意が行って、全体を見失ってしまう」ことを言うのでしょう。
 「林」や「森」についても、いろいろな譬えがあると思います。

 ここで問題。
 「森」や「林」という姓はあるが、「木」という姓がないのは、なぜでしょうか?
 森林太郎(「しんりんたろう」でなく「もりりんたろう」=森鴎外、林羅山、林芙美子などがありますが、「木」を知りません。あったら教えてください。木々高太郎という作家がいますが、この人は「林」という姓を「木木」とペンネームしたそうです。でも、一字ではありません。(2004.09.17)


○ブーゲンベリア


 10年以上前のことである。
 前の諏訪ハイツに住んでいたころ、ゴミ置き場に植木鉢ごと捨ててあった。葉も花もなく、すでに枯れているようでもあった。しかし、蔓がしっかりしていたので、妻の反対を押し切って私は拾って帰った。何だか生命のあるままに、燃されてしまうのが哀れな気がしたからだ。

 それから2年ほどしたころだ。葉は青々として見事になったが、苞(ほう)がまったく色づかない。そこで、妻が言った。
  「花の咲かないブーゲンベリアなんて、雑草と同じですね。拾ってきたけれど、やはり捨ててしまいましょうか?」

 私は、「些細なことには逆らわない」習性があり、「人一倍がまん強い」性格である。そこで妻にそう言われても、引き続き水をやって世話をした。すると、その秋に真っ赤になった苞を付けた。たった一つだけである。

 おそらく、ブーゲンは「ここで咲かなければ捨てられてしまう」と思ったのであろう。そんなことがあって、次の年からは年2回花を付けるようになったのである。そして、花の数も多くなって賑やかになった。そして、今度も最初の苞が色づいた。すでに、花の色は本来の薄いピンクに戻っている。



 私は、捨てなくてよかったと思っている。(2004.09.15)


○はけと湧水の探索


 久しぶりに、はけと湧水の探索をしてみた。
 JRの武蔵小金井で下車、市役所と小金井西ノ台教会に寄って、滄浪泉園(そうろうせんえん)と貫井神社に遊び、京王線の府中まで歩いた。

 滄浪泉園とは犬養毅の命名で「手足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を清める水の湧き出る泉のある庭」という意味とのことである。門標には、犬養毅の筆による文字が今も残っている。

 貫井神社は雨乞いをすると必ず雨が降ったという鎮守で、境内には清水が湧いている。かつてプールがあって、高校生のころ何回か泳ぎに行ったことがある。湧水を利用していたので、とても冷たかったことを覚えている。また、ときにはゲンゴロウなどもいた。

 そこから南下して、東八道路を横切り、東京農工大学農学部の東側を通って府中にたどり着いた。
約6キロメートル歩いたことになる。(2004.09.13)


○立正大師の『御書全書』


 ここのところ「無の研究」をしているので、いろいろな文献を調べる。
 つまり、簡単に言うと「ヒトの脳が病的にまで異常な発達をしたので、思考の方式が元来の動物とはまったく異なってしまい、自己家畜化を伴いながら破滅に向かっている」と言うことだ。
 それはちょうど、『パパラギ』でツイアビが言う「考えるという重い病気」の状態ではないのだろうか。

 それにしても、引用がちょっと強引であったろうか?
 「三宮の乞食」という章に、日蓮の『御書全書』の内容を使わしてもらった。もしも関係のある人で、不都合だというご意見があったら、聞かせていただきたい。

 私が引用をしたのは、このホームページの左フレームにある「無の研究」の『三ノ宮の乞食』の中です。
 なお、この習作は芥川龍之介『六の宮の姫君』の様式を真似をしたものです。しかし、まだ全体が未完成のものである。(2004.09.10)


○読売ランド包絡線の一周


 かつては、子どもたちとよく行った遊園地だ。子どもが独立してからは、ときどき妻と二人で来て、乗り物で悲鳴を上げたり、大騒ぎをする。しかし、今日は一人だ。思い切って入場をしないで、かねて考えていた外側の包絡線沿いに一回りしてみた。

 京王よみうりランド駅で下車、明覚寺、威光寺の弁天洞窟、日本山妙法寺の仏舎利塔などを拝観、ジャイアンツ寮と日本テレビ生田スタジオの間を通ってフルーツパーク、寿福寺を経て、小沢城址から浅間山に登り、せみしぐれの中を薬師堂まで下った。さらに、延命山長松寺に参拝して、南部線の稲田堤駅から電車で帰る。

 弁天洞窟では、大蛇が弁財天に化したものらしい。そのいわれが、洞窟の壁に彫ってあった。
 妙法寺は、日蓮に関係が深い由緒のある寺で、本堂もパコダ風である。そして、仏舎利塔はなかなか見事である。
 また、かつての城主小沢氏は頼朝の重臣で、当時は関八州に睨みを利かしていたという。
 寿福寺は落ち着いた雰囲気であり、鎌倉建長寺の末寺と案内板に書いてあった。

 とにかく多くを参拝をしたので、もしかしたらごりやくがあるかもしれない。
 つくつく法師の蝉しぐれを聞いて、実朝の

   <吹く風は涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり>


を思い出した。鎌倉の源氏山と似た感じの地形があったからだ。
 楽しかったので、つい8キロメートルも歩いてしまった。
 ちょっと、疲れたかな? (2004.09.08)


○黒沢監督『夢』の中のトンネル?


 久しぶりに横浜市青葉区にある「こどもの国」へ行った。子どもが小学生のころに行って以来だ。広々として牧場や池などがあり、とても楽しかった。そこはかつて、陸軍の弾薬倉庫であったということだ。外周道路のトンネルを抜けたところで、どこかで見た景色だと思った。よく考えてみると、黒澤明監督の『夢』に出てきた兵士たちが行軍をしていたトンネルのようだ。
 もしかしたら、ここで撮影をしたのかもしれない。

 『夢』の楽隊が行進する水車のある場所は、安曇野の大王わさびの辺りで撮影したということを前に大岩先生から聞いたことある。

 さらに想像がふくらんで、吉田戦車の『いじめてくん』がかつて「こどもの国」の弾薬庫に保管してあったのではないかと思ったりもした。(2004.09.06)


○絵探し?


 「学生のころ(昭和30年代)に、見た絵を探しています。タイトルも忘れてしまい、しかも有名な画家の作品ではないように思います。
 中央、ちょっと右に女性が正面を向いて描かれていて、左に教会があって、さらに左には修道僧のような人の行列がありました。女性や絵全体は、かなり象徴化されていて、女性の右の目がハートのような形をしていたことを覚えています。
 どこかの個人的な新人の展覧会で見た絵ですが、なぜか今でも印象に残っているのです。もしも、そんな絵をご存知の人がおられたら、回答をしてください。」

という内容の質問をあるサイトにしてみた。30万人の会員がいて、1日に3000人ぐらいの人が利用すると言われているからだ。

 しかし、1週間しても求めている回答はなかった。
 もしかしたら、皆さんの中にはおられませんか?
 よろしく。(2004.09.03)


○ピアノソナタ


 ベートーヴェンの ピアノ ソナタ 第29番 変ロ長調(作品106)の『ハンマークラヴィール』というのを久しぶりに聞いてみた。その第3楽章 アダージョ・ソステヌート(嬰ヘ短調 8分の6拍子)はソナタ形式で、約16分もある大曲です。いつ聞いても、何とも大きさと深さを感じさせられます。
 そして、聞くものの魂までを高揚するのではないでしょうか。
 私は、そんなふうにいつも思うのです。(2004.09.01)



Kuroda Kouta (2004.08.20/2007.09.08)