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  廃線(別府鉄道)


 たまたまテレビを見ていたら、ヒストリーチャンネル(255ch)で「鉄路の昭和史(5)」というのをやっていた。
 そして、かつての別府鉄道がちらっと写った。そこで、手元にあったデジカメでテレビ画面を写した。
 しかし、ちょっと心配なこともある。
 実際に自分が実物を写したものであれば、問題はなかろう。下記の3枚はいずれも誰かが編集をして記録映画にしたもののコピーである。厳密に言えば、著作権の侵害であろう。でも、現在となっては撮影に行くわけにはいかない。もはや、その鉄道はないからである。
 そんなわけで、あつかましくもパクリをここに載せておこう。




 上は、なつかしい別府鉄道のマーク。クロスをしたスコップを示している。
 デジカメのフラッシュを消す方法を知らないので、いつもその辺が光ってしまうのです。「土」の次には、何という字であるかわかりますか? おそらく「山」でしょう。山陽本線の「土山」駅だからです。

 下図は、在りし日の蒸気機関車の勇姿。
 私は、兵庫県高砂市にいたときに何回も見に行ったものだ。また、よく乗った。とくに用もないのに、長男にせがまれて。
 もともとは工場の物資輸送用だったのかもしれないが、たいがいは貨客両用の編成になったいた。蒸気機関車の次に客車があって、その後に貨車が何台か連なっていた。

 その高砂市の製紙工場に赴任をしたときは、加古川から高砂港に行く軽便鉄道のような気動車に乗ったことも覚えている。そして、その鉄道も今はなくなってしまった。
 姫路から飾磨(しかま)を経由する山陽電鉄は、梅田まで乗り入れて今も健在。

 聞くところによると、京王電鉄の車両は山陽電鉄の車両と同じ規格らしい。もしかしたら、軌条幅も同じで狭軌1067mmではなく、1372mmかもしれない。京王電鉄が新宿の角筈(つのはず)で都内は路面電車になろうとしたように、山陽電鉄も三ノ宮のところで路面を走っていた時代があった。
 私が、また高砂市にいたころである。




 最後に、下図のようにテロップが出た。
 昭和59年(1984年)は、ロッキード事件で田中角栄元首相が有罪になった年の翌年である。




 テレビ画面を見ているときには気づかないが、文字がかなり大きいのに驚いた。いわゆる字幕という文字の大きさである。

Kuroda Kouta (2007.06.15/2007.10.21)