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  大栗川


○はじめに
○大栗川に添って
○明神橋
○元大栗川


○はじめに

 聖蹟桜ヶ丘駅の周辺の部分については、「身近にある川」にも記述があります。


○大栗川に添って

 ここでは「沿って」としないで、「添って」としました。私の個人的な思い入れがあるからです。
 それはともかく、梅雨で散歩に出かけられない日が、ここのところ何日か続いた。
 足にできたメラノーム(悪性黒色腫)という皮膚ガンも何とか治(おさ)まり、やれやれである。そこで、きょうは久々に空が晴れ渡ったので、少しばかり歩いてみることにした。
 緑の美しい季節に「鬼のいない間に洗濯」ではないが、運動不足の解消である。なぜならば、何とかして衰えていく身体の進行を、少しでもくいとどめなければならない。また、めしいてしまったり、足なえになってしまわないうちに、いろいろなところに行ってみたいからだ。

 むろん、スポーツクラブに通ったり、階段の上下運動などもよいだろう。
 しかし、個人差があるのだろうか、私はスポーツクラブに10年ほど通って身体が不調になったことがある。水泳は身体に非常に悪いし、ジムのマシンなどは飽きてしまう。そんなわけで、私にとっては歩くことがいちばんの運動なのである。

 何となく行き当たりばったりではあるが、いちおうコースは次のとおり。
 聖蹟桜ヶ丘駅からバスで京王堀之内まで。そこから大栗川に沿って宝蔵橋まで戻ってくる。そして、野猿街道・川崎街道を経て聖蹟桜ヶ丘まで歩く。ざっと、6キロメートルくらいだろうか。歩いたところは、帰ってからGoogleの地図で見るのだが、地図上で距離をどのようにして求めるのかがわからない。
 前の富士通のノートパソコンに入っていた地図では、プロットをした点をつないだ線の距離が求められたのだが、……

 下図は、京王堀之内駅である。
 できた当時から、駅前の設計は美しい色の石でできていて変わった造形をしていた。駅がある場所から北に急な坂になっている。そんなためであろうか、前にケーブルカーのような乗り物があった。しかし、きょう見たらすでにエスカレータになっていた。




 そこを少し東南に行くと、大栗川である。
 その途中に、象の標識のある建物があった。また、以前その向かいにあった読売スタジオはなくなって、マンションになっていた。




 大栗川の新道橋に出た。新しくできた道にかかった橋だから、その名前になったのだろう。野猿街道との交差点には「新道橋南」という標識が出ていたようだ。
 そこから、上流を眺めたのが下の写真である。
 かつて健脚だったころには、上流に向かって水源地まで行ったことが数回。八王子市の鑓水(やりみず)というところに、その水源の一つがあった。(健脚のときは、住んでいるところからここまで今日(きょう)とは逆に歩き、さらに上流に向かったのです。)




 今日(きょう)は、この新道橋から下流に向かって、右岸を歩いてみようとしている。
 下図では、新道橋をひらがなで「しんどうばし」と書いてあるのが見にくいかもしれない。
 ここから、橋は「番場橋」「洗馬川橋」(せばがわばし)「東中野橋」……「新堂橋」「宝蔵橋」と大小20近くあった。しかし、それを記しても仕方ない。ただ、口で言うと「新道橋」も「新堂橋」も同じになっちゃうので間違わないようにしたい。
 また、「洗馬川橋」というのは昔そこで馬を洗ったのであろう。この地区(現在の帝京大学)の辺りに馬の飼育場があったということだ。幕府の馬場だった時期もあるらしい。しかし、もっと古い時代の『万葉集』(巻二十(四四一七) 宇遅部黒女の歌)にも

  赤駒(あかごま)を 山野に放し捕(と)り不得(かに)て 多摩の横山 歩(かし)ゆか遺(や)らむ

と歌われている。
 ご関心があれば、『歴代秀歌』を参照してください。




 少し行くと右手に番場公園がある。
 私は、そこでトイレに行く。この日は下のようにトイレといつも休憩をする東屋(あずまや)のほかにホームレスの人がいた。私は、彼らのそばに行かない。なぜならば前に近づいたときに、彼らは私の風袋(ふうたい)から仲間だと思って話しかけてくるのだ。
 この公園の森(奥のほうに見える木々が右手(南)に続いていて、いつも鶯(うぐいす)が鳴いている。




 ちょうど季節だったので、紫陽花(あじさい)が満開。ふつう、湿(しめ)って陰(かげ)ったところの好きな花のように思うのだが、下図のように日当たりがよい場所にも咲くのだということがわかった。




 多くの川が、大栗川に合流する。まず、小さい暗渠(あんきょ)。




 次に、少し大きい暗渠。手前が住宅のために、小川が暗渠になってしまった。




 下の写真は、いちおう川が合流している。ただ、川沿いの道のところだけに橋がかかっている。そして、おわかりのように合流をする川は、やはり住宅の合間を縫って流れている。




 コサギ・ダイサギ・アオサギ・カワセミなどは見かけるが、めずらしくカイツブリがいた。
 下図は、望遠でないデジカメで撮ったので、ちょっとわかりにくいかもしれない。アヒルやカモと比べると、十分の一くらいの大きさ。二匹いるのがおわかりでしょう。




 カワウも見かけた。おそれく、上野の不忍池から飛来するのだと思う。




 川沿いには農家の温室がある。
 中を覗(のぞ)いてみたら、小さい芽がぎっしり。でも、それが何なのかはわからなかった。場所がらを考えると、このような農地もやがてなくなってしまうでしょう。




 下図のような古い家もあった。




 小さいながらも、調整池がある。ふつうは、下図のように遊び場となっている。
 なお、大栗川に乞田川が合流するところに大きな調整池が干上がった沼のような形であった。しかし、やはりそこは整地をして大きなマンションが建ってしまった。
 調整池がないと、大雨のときに水害が生じる。
 石神井川は上流で排水や雨水を流し込むいっぽう。調整池がまったくない。そこで、ちょっと大雨が降ると、荻窪あたりで氾濫をしてしまう。
 野川には、府中の運転試験場の辺りに大きな調整池があった。




 モノレールの線路が大栗川をまたいでいる。そこに、「大塚・帝京大」という駅がある。
 いつも私は、その道路を越すときに駅の構内を通る。




 上の写真で、モノレールの前に写っているのは、線路の向こうにあるビルの屋上の看板。「野猿」と書いてあって、ホテルの名前。それでは、下の「大栗川」と書いてある看板の上にある「18歳未満立入り禁止?」は何だろうか?




 モノレールを過ぎると、宮田公園がある。その入り口。
 中は木々で鬱蒼(うっそう)としている。




 そして、下図は入り口を入った右手にある銅像。作者の名前などがないので、何となく奥ゆかしい。裏に回ったが、それらしい記述はなかった。




 の畑が多いようである。
 昔、養蚕(ようさん)をしていた名残(なごり)だろうか。また、「大栗川」というのだから、大きな栗があったのかもしれない。もっとも、「栗」ではなく上流に豪族の「庫裏」があったのだと言う人もいるようだ。
 私は、栗の花の香りをかぐと何となく精液の臭(にお)いを思い出す。

  若き日の匂(にお)い放ちて栗の木は花咲きており白く光りて(中和田の大栗川沿い小道で)

 なお、中和田は地名で、「なかわだ」と読みます。かっこの中のようなコメントを入れておくと、忘れたときに内容を思い出せます。
 それはそれとして、いったい何が言いたいのじゃ。下手くそで、みっともない作品ではないか。しかし、芸術における価値観は個々によって異なる。したがって、自分が「生きている証明」と考えれば、たとえみっともなくてもよいと割り切るべきだろう。
 そもそも、こんなところに短歌などを入れるべきではない。なぜならば、恥のかき捨てになりかねない。しかし、「老化予防」のウエイトが重くなってしまったので、こんなことになったのかもしれない。その理由は、タイトルの「青空の創作」にあるように、……。




 宝蔵橋まで、何とか戻った。足も、まったく痛くなっていない。
 下図に見える「フラミンゴ」は、ビデオのレンタル店である。私は、そこで名画のビデオを何回も借りたことがある。つまり、私の部屋から歩いて10分くらいのところ。




 上の橋は、南から北のほうを見たところ。
 下の図は、この橋の同じ場所から野猿街道を通して下流を見たところで、私の住んでいる超高層の建物が中央に小さく見える。




 ここから、野猿街道を少し北上。そして、京王電鉄の手前でクロスをした川崎街道を西に向かう。すると、聖蹟桜ヶ丘。途中に小野神社の参道がある。いつも、そこに参拝をするのであるが、きょうは疲れちゃったので寄らない。




 そして、VITAが見えたら帰宅したようなもの。なぜならば、VITAと私の住んでいる建物は同じ番地だから。
 VITAにはビルティやマクドナルドなどの食堂もある。また、100円ショップのダイソーやJTB(交通公社)などもあって便利。むろん、病院もいくつか入っているし、ペットショップまである。
 下の写真の丸い部分で知人と会うことが多い。また、その奥にある平べったいところがカウンターになっていて、コーヒーを飲んだりする。
 そして、その後ろにあるてっぺんにヘリコプター発着所のついている建物に住んでいます。





○明神橋

 宝蔵橋の少し下流。私は「くるまぼり緑道」を抜けて、大栗川沿いの散歩をするときに、よく通る橋です。くるまぼり緑道については、「聖蹟桜ヶ丘駅周辺」の「○くるまぼり緑道付近」をご覧ください。





○元大栗川

 下の写真の場所は、河川改修を行う前の大栗川流域だと思います。
 並木公園から宝蔵橋に下って、右岸にありました。




Kuroda Kouta (2007.06.15/2007.12.15)