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  すでにない新川と残った入間川(武者小路実篤記念館含む)



○はじめに
○何のために、こんなことをするのか?
○入間川(明神橋より上流)
○入間川(明神橋より下流)
○大悲山明照院と糟嶺神社
○武者小路記念館
○中仙川とその遊歩道
○新川


○はじめに


 だいぶ以前のことだが、大岩さんに
 「入間川という面白い川を知っているか?」
と聞かれたことがある。
 そのとき私は、入間川についての知識はほとんどなかった。
 入間町という地番があって、そこを流れている川くらいにしか考えなかったからである。
 それでも、武者小路実篤記念館のところを流れている川が入間川ではないかということは、何となく知っていた。しかし、「入間川がなぜ面白いのか」は聞き逃してしまった。そして、もはや知るよしもない。
 そんなこともあったので、その辺の事情を知るために探索をしてみよう。


○何のために、こんなことをするのか?


 川などが、どこをどう流れていてもいいじゃないか。
 それも、現時点のことならともかく、昔のことなど知ったとしても何の意味があるか。
 しかし、日々何か自分なりに面白いことをしてみたい。
 そうかと言って、すでに年金生活者なので、あまり費用はかけられない。そこで、このようなことをし始めた次第。やってみると、記憶力を保持したり、体力を衰えさせないために、金がかからないので好ましい。
 ささやかな発見があって楽しいし、それとなく想像がフレッシュで豊かになる。
 他人が見て、意味のないことであっても、自分には大いに必要なことがあるみたい。

 まだ学生時代に、何かの怪奇小説アンソロジーか、短編傑作集で読んだ物語。
 ある女性が、行方不明になった。
 元フィアンセに疑いがかかる。しかし、証拠がない。そこで、刑事が見張りをする。
 その執筆家の青年は、家にこもって原稿を書いているらしい。
 日課としては、お昼頃に庭に出て、大量の薪割りをする。見張りの刑事は、その無意味な労働の理由がわからなかった。

 やがて、いくつかの証拠が上がって、家宅捜査をすることになった。
 しかし、女性の姿はどこにも見あたらない。懸命な捜査の結果、屋根裏から一人分の骨が見つかる。
 取り調べで、係官は尋問した。
 「なぜ、君は毎日薪を割っていたのか?」
 すると、青年は
 「そうしないと、腹が減らないのです。腹が減らないと、食欲がわかないのです。」
と答えたという。


○入間川(明神橋より上流)


 京王線は、つつじヶ丘駅と仙川駅の間で小さい川を渡る。そのことは、かなり以前から知っていた。
 そして、新宿に向かって右(南)にある住宅街の中に、武者小路実篤記念館がある。何回か行ったので、そのことも知っていた。



 上の写真は、調布市若葉町三丁目の明神橋から上流を見たところ。
 もはや、川と言えるかどうか。
 この「○入間川(明神橋より上流)」は、入間川を下流から上流に向かって歩いてみた。しかし途中、名称が「中仙川」になっていたりして、当時の本流・支流の関係などが、もはや私にはつまびらかでない。




 上の写真は、武者小路実篤記念館のところで、つづら折れに曲がっている部分。もはや、本来の川の流れではなく、住宅事情のためである。大水が出たときの被害などは、あまり考慮していないようだ。
 そこから住宅街を通って、しばらく上流に向かうと京王線が走っている。
 その下のところから、下流を見たところが次の写真。




 同じ場所から上流方向を見ると、京王線の下を川はトンネルでくぐっている。
 上の写真は、右側が東、つまり新宿方向。左側が西、八王子方面である。電車は、つつじヶ丘駅に入ろうとしている各駅停車。




 京王線をくぐって、線路の北側に出て、入間川の上流方向、つまり北に向かって写した。
 電車を利用していると、つつじヶ丘駅を出て、すぐに左側に車窓から見える光景である。



 京王線の下から少し北へ行くと、甲州街道。そこで、実際に入間川は終わっている。
 下の写真は、右が南、向こうが東である。左側は甲州街道で、橋の上流は暗渠になっているらしく、もはや川はない。



 上の写真の、向かって右(南)、つまり下流を眺めたところ。
 標識には、「いるまがわ 上流端」とある。「端」とは、もはや川の形がないという意味だろうか。



 なお、二つ前の写真には、欄干(らんかん)の左側には「入間橋」、右側には「いりまばし」と書いてあった。
 もしかしたら、古くは「いりまがわ」と言ったのかもしれない。
 この続きは、「○中仙川とその遊歩道」を参考にしていただきたい。


○入間川(明神橋より下流)


 明神橋から、下流方向を見たところ。川と言っても、もはや用水路・排水溝と同じ。
 水は、ほとんど流れていない。溝が大きいのは、大雨が降ったときに多量の排水をするために備えているのであろう。
 さすが、何級河川とは書いていない。
 最後にイチョウのマークがあるので、都が管理をしている河川らしい。小さい川なので、国土交通省(以前の建設省)管轄ではない。




 下の写真は、高台の大悲山明照院から眺めた入間川。
 先方が、河口方向である。つまり、水はこちらから向こうに流れている。
 なお、道路脇の松の木は倒れかかっているので、頑丈な支えがしてあった。ひとまず安心。




 下は、入間川の最後の部分。向こう(北)から流れてきた水は、手前の堤防をくぐって野川に注ぐ。



 野川の対岸に行って、入間川が注いでいる河口を写す。
 この写真を撮った場所の地番は、もはや調布市ではなく「狛江(こまえ)市東野川三丁目」である。対岸までは、「調布市入間町二丁目」。



 上の写真のちょっと下流にコサギがいた。20メートルほど下流である。おそらく、合流地点であるから、小魚がいるのであろう。




 河口まで行ってしまうと、同じ道を戻るのがきつい。
 ここのところ、体力が衰えてきたのかもしれない。そこで、最寄りのバス停「狛江ハイタウン」(かわせみ館前のバス折り返し場)からミニバスに乗って、つつじヶ丘駅まで戻った。


○大悲山明照院と糟嶺神社


 入間川のそばに、大きな寺と大きな神社がある。
 右の青い手すりの下に川が流れていて、寺に入るために橋になっている。石垣がどでかいので、何となく厳かである。




 境内には、ストゥーパがあった。後ろの仏さまと比べると、大きさがわかるでしょう。




 下のような二つの掲示がしてあり、大いに考えさせられた。




 下の建物は、観音堂であろうか。入間観音堂というのが、Googleの地図に載っていた。




 さすが本堂は、立派である。堂宇の中でも堂々としていると言ったら、言葉のどうどうめぐりだろうか。




 水子地蔵もあった。
 かなり大きなものであるが、最近の傾向だろうか。安くできあがる型を用いるプレス方式で作ったことが明らかにわかる。新しいうちは、何となくプラモデルのような感じがしないでもない。




 大悲山明照院の南隣に、糟嶺(かすみね)神社がある。
 本殿までは、だいぶ階段を上がらなければいけない。何となくきつそうだったので、きょうは登って参拝をするのをやめた。



 上の写真は、北側の入り口。下は、南側の入り口。



 故事来歴は、下記を参照してください。




○武者小路記念館


 何回か行ったことがある。
 武者小路実篤は三鷹市の牟礼(現在の井の頭四丁目)に住んでいた時期がある。『牟礼随筆』などという作品があった。そしてそのころは、井の頭公園の池畔をよく散歩していた。



 中に入ってみたのではあるが、残念ながら撮影禁止である。
 そこで、書を一つ写した。

    根氣 根氣 何事も根氣    実篤□□

 「根気」ではなく「根氣」となっていて、最後の□のところには赤い落款(らっかん)が二つ押してあった。


○中仙川とその遊歩道


 甲州街道を超えたところ、つまり中原一丁目8からは川がない。
 しかし、川のあった面影が残っている。それが、下の写真。




 そこをしばらく北に行くと、つまり元あったであろう入間川をさかのぼっていくと、下のような写真の場所があった。おそらく、左側から来た川が合流をした地点であろう。
 そして私には、もはやどちらの川が入間川だったのかわからない。




 大きい方の道を行くと、やがて通行止めになっていた。
 下の標識にある「大雨のときに開放」とは、どういうことなのだろうか。




 そこで、脇の道を回ってしばらく行くと、下のようなところに出た。



 そこには、「中仙川遊歩道」と書いてある。もはや、入間川ではない。場所は、三鷹市中原四丁目4。
 おそらく、中仙川という川が流れていたのであろう。




 ヒガンバナが咲いていた。もはや、彼岸は過ぎていて枯れ始めている。
 しかし、白いのはよく見るのであるが、黄色い花を始めて見た。私は、今までに見たことがない。




 さらに、遊歩道をしばらく行くと中仙川遊歩道が終わって、川が再開していた。
 場所の地番は、三鷹市中原四丁目17。



 金網越しに見たのが、下の写真。もはや、川とは言えないかもしれない。



 それでも、川は次第に細くなっていく。




 そして、中央高速の横を流れるのは、おそらく大水のあったときくらいだろう。
 晴れた日が続くときには、水がなくもはや単なる溝。




 さらに、中央高速を越えると、川があったらしき面影。
 下の写真から、かつては道の右(東)を流れていたらしい。



 その道を、どんどん北西に進んでいくと、かねて思ったとおり三鷹市野が谷(のがや)に出た。
 かつて、沢があったところを公団が住宅用地に開発をして、分譲宅地にしたところである。




○新川


 この川は、すでにない。
 しかし、当時の面影を偲(しの)んでみよう。


Kuroda Kouta (2007.10.01/2007.10.04)