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  国分寺・国分尼寺


○はじめに
○府中病院
○武蔵台緑地
○黒鐘公園
○旧鎌倉街道の一部
○武蔵野線の壁画
○国分尼寺
○国分寺
○万葉植物園
○文化財保存館
○お鷹の道・真姿の池
○RION


○はじめに

 このページは、国分寺国分尼寺(こくぶんにじ)などについての記述です。
 しかし、その他にも府中病院黒鐘公園万葉植物園お鷹の道真姿の池RIONなどについてのデジカメ写真や説明などが、脈絡もない形でごじゃごじゃと含まれています。それらは今日(2007年5月31日、木曜日)の半日に、すべて私が行ったところなのです。

 また、なぜこのような変な内容のページが、美術エクジビションなどという区分のところに紛れ込んでいるかという疑問については、大きな文字のタイトル「青空の創作ページ」のアンダーライン部分「青空の創作ページいわれ」をクリックしてください。
 そして、「青空の入門・創作について」をお読みいただくと、おわかりになるでしょう。

 私は、よく知人から植物の名前を聞かれることがあります。
 おそらく、その人は自分が知らないから聞くのでしょう。しかし、私が「知らない」と言うと、「やはり君も知らなかったのか」と言わんばかりです。正直に言うと、実際に私が「本当に知らない」のではなく、「かつて知っていたが、失念をした」ことが多いのです。
 でも、私が言い訳をして、嘘をついていると疑う人は、ここ をご覧ください。ざっと思っただけで、当時はそのくらい草花を知っていたのです。

 かつて、多摩パルテノンの先の厚生年金会館の前で、ユリノキについて尋ねられました。そのときは、大岩さんがいっしょでしたから、彼に答えてくれました。大岩さんは植物や動物について、分類学上の大家だったからです。
 しかし先日、私は高幡不動尊の境内で「ムラサキシキブ」の名前を尋ねられたのです。
 たまたま紫色の小さい花を付けていたので、何とか思い出した次第。最近、度忘れや失念が多く、思い出すためには、記憶のリプリントが必要になってきたようです。
 そこで、小石川植物園・神代植物園・東京薬科大学などへも行ってみました。

 また、職業をもたない「サンデー毎日」の日々では、脳が次第にぼけてくるようです。
 絶えず軽い刺激を与えないと、脳は軟化をしたり、アルツハイマーになったりするかもしれません。そのためには、自分で見たことや考えたことをメモしておくのがよいでしょう。つまり、若々しくあるためにも適当な作業を費用のかからない方法で、何とか自分自身で作る必要があるのです。

 そんなこともあって、今日は万葉植物園を尋ねたのです。
 その万葉植物園は、武蔵国分寺の跡にあって、何回か行ったことがありました。いつもは、往復ともに歩いて行ったんですが、最近はとても自信がありません。そこで、交通機関をフル活用します。


○府中病院

 まず、聖蹟桜ヶ丘から府中までは京王線を利用、そこからバスで府中病院まで行きました。
 通院をしているときは、聖蹟桜ヶ丘から分倍河原で武蔵野線に乗り換え、西国分寺駅からミニバスで病院まで行ったのです。なぜそのようにしたかというと、当時はオシッコが近かったからです。そして、帰りは病院から府中までバス、京王線で聖蹟桜ヶ丘まで戻るのです。
 いつも通った行路を反対に移動をすると、初めてのような気がして興味深いものがあります。




 上の写真は、入院をしていた病院の廊下を外から見たところです。
 そこは、休憩所にもなっていてカフェオレなどの自動販売機を利用をしました。ガラスに貼ってある紙には、「ここで携帯電話をしてよい」と書いてありました。右の縦型の蛍光灯が付いている壁の内側は、広いトイレになっています。
 そこにあるベンチに座って休んでいると、窓の外を人が通ります。病院関係者でないような人もいるので、不思議に思いました。そこで、今日その道を行ってみると、下の写真のように柵が切ってあります。
 何と、下のように自由に出入りができるようになっていたのです。




 そこを東へ、つまり上の写真の左のほうへ行ってみました。その周辺の位置関係の地図は、ここ をクリックして見てください。
 私は、帰ってから地図を見るのが楽しみです。
 「航空写真のモード」にすると、自分の歩いたところを鳥瞰図で再現できるので、それも記憶にリプリントできるからです。

 地図は、画面を「最大化」して見ます。また、左にあるコメントの領域は境界にある小さい三角形をクリックするとなくなります。つまり、広く見れるのです。さらに、左のほうにあるスライドで倍率を変えるとわかりやすいでしょう。
 表示をされている範囲外を見るには、マウスの左ボタンでドラッグをしてください。




 上の写真は、柵の外から府中病院の入院病棟を写しました。
 私が入院をした部屋のあたりが写っています。右側の建物は病棟の新館で、手術室がありました。各階ごとに屋内は通路でつながっています。ちょっと高低差がありますが、車が通れるように緩い坂になっていました。私も手術に行くときは、車の付いた担架に寝かされて、そこを運ばれたのです。
 行くときには、横になっていてもその傾斜までが感じられました。


○武蔵台緑地

 府中病院の南側一帯は、「武蔵台緑地」。そして、その東側には「黒鐘公園」があります。
 下は、武蔵台緑地の南端にある塔です。




 そして、南端の道沿いに牛の像。




 牛の像の右には、「拝島道」の記念碑。下にアップして、文字が読めるようにしました。




 そこから南に少し行くと、東八道路。ただし、現在(2008年1月)は「西原町一丁目」までしか工事が完了していません。そこで、南に折れて鎌倉街道を歩いて関戸・町田方面に向かいます。以前は関戸まで歩きましたが、最近は「西原町南ヤマダデンキ前」くらいからバスに乗ってしまいます。
 ちょうど、東芝のエレベータ・テストタワーを東に見るあたりです。つまり、府中病院からその辺りまで歩くと、何となく疲れてしまうのです。





○黒鐘公園

 林の中を通って行くと、黒鐘(くろがね)公園です。
 小さな池があって、「あぶないので池に入らないでください 国分寺市」と書いた立て札がありました。でも、下の写真から、その文字が読めたら素晴らしい視力と卓越した判断力の持ち主でしょう。
 私は、現場のでっかい文字を見て知っているのです。そして、下の原画を縮小するときにも確かめました。




 しかし、それはそうと、池の裏に回って驚きました。
 その立て札の裏に、何と書いてあったかおわかりになりますか。
 最近は、頭のおかしな人が多くなって、変なメッセージをあちこちに書き残すようです。食べものによって、すでに脳が犯された人が増えたためです。かねがね私が心配をしていた 化学薬品症候群 が、現実に具体化して事件がぼつぼつ起こり始めているからでしょう。
 このような問題を「利便性と経済性」のために、社会がほっかむりして放置しておくと、後で取り返しが付かなくなってしまうでしょう。
 何とかしなければいけません。




○旧鎌倉街道の一部

 少し行くと、下の写真のように鎌倉街道の一部が残っていました。
 書いてある文字は、「この道路は国指定の史跡地内にあり、旧鎌倉街道として保存するため車両の通行止めを実施しています。国分寺市教育委員会」。
 行ってみると、木々がこんもりと茂って小さい木漏れ日(こもれび)が斑点のように輝いていました。




 少し入ってみると、その木漏れ日の道。





○武蔵野線の壁画

 そのような旧鎌倉街道があると思えば、その東側には武蔵野線が走っています。
 線路は高架になっていて、ちょうど貨物列車がすれ違っているところでした。都心をバイパスするためでしょうか、貨物列車の多い路線です。そして、そのほとんどがコンテナやタンカー。
 いったん事故が起きたら、大災害を引き起こす可能性がありそうな路線です。




 その高架下の壁には、絵が描いてありました。下の二枚は、国分寺の想定図でしょう。電気機関車の大きさと比べると、かなり大きな絵だということがおわかりでしょう。



 上は「武蔵国分寺復元絵図」、下は「夕焼けの武蔵国分寺」です。
 むろん、上下ともに実際に見て描いた絵ではなく、想像図だと思います。もしかしたら、当時のスケッチが残っていて、それを参考にしたものかもしれませんが、……

 「国分寺」などと言っても、当時は単に「寺」であったというわけではなく、政治の場所でもあったはずです。
 つまり、宗教や政治を切り離しては考えられない時代だったからです。
 それは、ちょうどローマ帝国がキリスト教国になったときに「政治的理由か宗教上問題か、そのいずれで国を改宗をしたのか?」などとコンスタンティヌス一世に聞いても、意味がなさないのと同じでしょう。




 その他にも、美しい絵がありました。私は、とても感激をしたので何枚かをデジカメで写しました。
 それをここに付け加えるべきかもしれません。しかし、著作権の問題などが発生する恐れもあるでしょう。そんなわけで、トラブルのあった場合を考えて、いちおう 別ページ にしておきます。


○国分尼寺

 下の図は、国分尼寺(こくぶんにじ)の礎石です。国分尼寺も、かなり大きなものであったことが偲(しの)ばれます。




 発掘をされた実物の礎石。




 その説明文。




 下の写真は、その入り口らしきところです。この石には、「国分寺市立歴史公園 武蔵国分尼寺跡」と書いてあります。そして、国分寺の本部から、かなり離れたところに国分尼寺があったことになります。右(東)にある武蔵野線のガードをくぐって5分くらい歩いたところが国分寺です。
 むろん、当時は武蔵野線が走っていなかったのではないでしょうか。




 国分寺と国分尼寺の二本の史跡の石柱が並んで立っている。国分寺のほうは古いが、国分尼寺のほうは最近になって経てたみたい。





○国分寺

 国分寺の石柱である。




 現在の非常に小さい国分寺の山門。




 その説明文。




 現在でも、発掘調査中の場所がありました。
 調布市内や多摩市内の発掘作業を見たことがありますが、かなり大変な作業のようです。




 「国指定史跡 武蔵国分寺跡」の説明板です。ちょっと文字が小さいでしょうか。




 昔は厖大な堂宇(どうう)を誇った国分寺も、現在ではほとんど面影がなく、下のような緑の公園のようになっています。
 寺ですから、その墓の一部も残っていました。しかし、墓石はすべて現代のもののようでした。




 下の写真は、残った建物です。残ったといっても、当時のものではないでしょう。何回も建て替えられたその最後のもののようです。
 門柱の表札には、右側に「武蔵国」、左側に「国分寺」と彫ってあります。むろん、どちらの「国」も「國」となっています。




 下は、文化財保存館にあった当時の国分寺全体の推定復元模型です。




 そして、上の復元模型の説明が下図。光っちゃって、ちょっと読みにくくてごめん。





○万葉植物園

 国分寺境内(と言っても跡地)には、万葉植物園があります。その詳細については、下図の説明をご覧ください。




 万葉植物には、すべて下のように札が付けてあります。今日と違った名前で和歌(短歌・長歌・旋頭歌などの総称)に詠み込まれているものもあって、なかなか興味深いものです。




 水生の植物も多くあります。左から二つ目の「はちす」とは「蓮」(はす)のことです。




 「ムラサキシキブ」について、詳細を知りたいと思っていました。おそらく、この「むらさき」がそうではないでしょうか。ちょっと小さい文字ですが、
 <むらさき
 和名=むらさき むらさき科
 笠の女郎の大伴の宿禰家持に贈れる歌
 託馬野に生ふる紫草衣に染め
    いまだ着ずして色に出にけり
      (巻三の三九五)
と書いてあります。





 いっぽうでは「わすれぐさ」というのが、ひっそりとありました。





○文化財保存館

 万葉植物園の中に小さい小屋があって、そこが国分寺市文化財保存館。




 観音菩薩の立像。ただし、実物ではなく写真による展示。右は、その説明。

  


 往時の国分寺が発掘から明らかになっている。かなり広い範囲であることがわかる。





○お鷹の道・真姿の池

 万葉植物園を出ると、「お鷹の道」ちゅうのがあります。
 「鷹」は、「三鷹」などのように「鷹狩り」に由緒があるようです。下らないことのようですが、鷹狩りは一種のスポーツで、体力を維持するために行う現代のゴルフのような上流階級道楽であったのかもしれません。




 それはともかく、その道に沿った湧水(ゆうすい)の小川に、10センチメートルくらいの小魚がたくさんいました。写真でおわかりでしょうか。この場所は、川に面した家の洗い場になっているのでしょう。食器や鍋釜を洗うときに、食べものがたくさん流されるからです。
 また、木製ではありませんが、洗濯板(せんたくいた)などを今日見るのには驚きでした。魚が集まったり、たわしなども置いてあるところを見ると、今でも実際に使われているのではないでしょうか。




 下の写真のように流れの左右は民家になっているのです。そして、小川と道が生活の一部になっているような場所でした。それでも、この小川には川蜷(カワニナ)がまだいて、蛍が自生するそうです。蛍は、植物ではないから自生と言わないのかもしれなせんが、……




 下の小屋は、流量を測定する観測機器です。環境に配慮したデザインになっているのでしょう。しかし、何となく厳(おごそ)かな感じがしませんか。




 下図は、「真姿の池」(ますがたのいけ)についての説明板です。
 書いてあるように日本の「名水百選」に選ばれているそうです。私は飲んで確かめようとも考えたのですが、やはりやめました。鯉がいたりして、ヘルペスの恐れもあるからです。




 下図の右突き当たりが国分寺崖線(がいせん)から水が湧き出ているところです。鳥居があって、祠(ほこら)が建てられており、神聖な場所になっているようです。




 下図は、真姿の池。やはり、ここにも鳥居があって小さな祠が建っています。上の写真の鳥居から左側(西の方向)を見たところです。橋の下が池になっていて、その池の中にも祠があるのです。





○RION

 真姿の池を上がると、小金井街道。そしてRIONがあります。でも、なぜここにRIONの写真などがあるか。
 昔、と言っても50年以上前、私はこの工場を見学したことがあります。当時は、木造の汚い工場でした。そのころから補聴器などを作っていました。戦後に軍需製品がなくなって、民需を志したからです。




 国分寺駅まで歩き、そこから府中までバス、そして京王線で聖蹟桜ヶ丘駅まで。
 国分寺バス停の前に、殿ケ谷庭園(とのがやていえん)があります。国分寺崖線を利用した庭園で入園したかったのですが、ちょっと疲れちゃったのでやめました。
 バスに乗って少し行くと、東元町です。そこにかつて親しかった丸山篤さんが住んでいるのですが、20年前に彼を怒らせてしまいました。原因は、彼がイメウエイだったか何かの代理店を始めて、私に孫(販売店)になれと言ってきたのです。しかし、私はネズミ講やそういうシステムが大嫌いなので、にべもなく断ってしまいました。そしてその後、何も言ってこなくなってしまったのです。

 ついでながら、電車もバスも、PASMOが使えて便利でした。聖蹟桜ヶ丘の周辺と違って、すでにバスもOKになっているからです。
 以上、何ともまとまりのないページですが、私にとっては楽しい半日でした。


Kuroda Kouta (2007.05.31/2008.01.31)