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  チベット『死者の書』



はじめに
チベットという国
チベット『死者の書』のあらまし
帰依の対象
曼荼羅に描かれた世界
チベットの葬儀
存在本来の姿の中有(チョエニ バルドゥ)における寂静尊
 ・一日目 ・二日目 ・三日目 ・四日目 ・五日目 ・六日目 ・七日目
 ・八日目 ・九日目 ・十日目 ・十一日目 ・十二日目 ・十三日目 ・十四日目


はじめに

 チベット『死者の書』(バルドゥ トェ ドル)について、そのあらましを知っておこう。もしかしたら、自分の肉体がアウトになったとき、つまりいわゆる死んだときに役に立つかもしれない。いわゆる死後七週(四十九日間)つまり中有(ちゅうう バルドゥ)のガイダンスである。
 なお、人生?には
  生有(しょうう)……誕生のとき。
  本有(ほんう)……誕生からいわゆる死まで。(一生)
  死有(しう)……いわゆる死の一刹那。
  中有(ちゅうう)……死から次の誕生まで。中陰、中薀(ちゅううん)ともいう。
の四つの期間があるという。

 チベット『死者の書』には、
  死の瞬間の中有(チカエ バルドゥ)
  存在本来の姿の中有(チョエニ バルドゥ)
  再生へ向かう迷いの状態の中有(シバ バルドゥ)
そして、
  付属の祈願文書
について、書かれている。

 よくある恐ろしい話で、埋葬された人が墓の中で生き返ってしまったという事実。生き返ったが、そのまま死んでしまったケースは、本人以外にわからないままであろう。何とかして、棺を破って出てきたケースも記録にはある。つまり、非常に珍しい不幸な話として語られる。
 しかし、チベットでは死後三日半に、ほとんどの死者は生き返るらしい。
 なお、存在本来の姿の中有(チョエニ バルドゥ)について具体的に言うならば、死者がいわゆる死後三日半から十四日間に経験をするバルドゥ。この期間では、死者が自己の存在の本質に直面するという。

 これらの内容は、古くから言われていることなので、あながち空想の世界ではないのかもしれません。今後も、いろいろと調べていきたいと思います。


チベットという国

 チベット(Tibet)は、現在の中国南西部の自治区で、ヒマラヤ山脈北にある崑崙(こんろん)山脈の南側の高原地帯。かつては「西蔵」とも言った。その主都は、ラサ。羊・ヤギ・ヤクなどの牧畜が行われている。唐の時代に最初の統一王国が成立して、吐蕃(とばん)と言った。

 チベット仏教が中心で、17世紀半からダライ=ラマによる統治がなされた。18世紀には清の支配下に置かれ、第二次大戦まで中国の保護国だった。


チベット『死者の書』のあらまし

 チベットでは臨終を向かえた人の枕元で、ラマ僧が『死者の書』を読むのがふつう。その際に、死者がこの世に執着しないために、親族は参加しない。『死者の書』には、死者が死後に出会う状況パターンとそれに対する応答方法がいろいろ書いてある。

 死者は最初に恐ろしいほどのに出会う。そして、それに勇気を持って飛び込めば、成仏できる。もしも、それができないと七日後にまた別の光に出会う。そして、再び試される。このようなことが七日毎に、四十九日まで続くという。光へ溶け込めなかったら、死者は地獄・畜生・人間などの六つの世界に生きるもののいずれかの胎に入る。かつての祖先たちも現在輪廻しているらしい。


帰依の対象

 帰依の対象としては、次の三柱とラマ(師僧)。
  ダルマ カーヤ(法身 ほっしん)……無量光(アミターバ=阿弥陀仏)
  サムボーガ カーヤ(報身 ほうじん)……寂静尊と憤怒尊をそれぞれ取り巻く神たち。
  ニルマーナ カーヤ(化身 けしん)……パドマサムバヴァ(蓮華生)


曼荼羅に描かれた世界

 チベットに古くからあったボン教に、 八世紀ごろ仏教が流入した。そして、その結果それらは「チベット『死者の書』」を作り出した。その内容のあらましは、死者が49日の間バルドゥ(生の中間的な状態)に留まり、そこで死者は輝く光を体験するという。

 「寂静尊の曼荼羅」(シ ハ キルコル)や「憤怒尊の曼荼羅」(ト ハ キルコル)に描かれている曼荼羅(まんだら・マンダラ)を見ると、どのような神々が死後に現われるかがわかる。
 「寂静尊の曼荼羅」(シ ハ キルコル)には、中央に紺青色の法身普賢、その下に白色の毘盧遮那(びるしゃな)、そして四方に各仏や菩薩などがおられる。全体で四十二寂静尊らしいが、私の見た曼荼羅には十六柱が配置されている。いずれも柔和な容貌をされている。
 「憤怒尊の曼荼羅」(ト ハ キルコル)は、死後二週間目に現われる憤怒の姿の神々が描かれている。中央には赤色で三面の恐ろしい大吉祥ヘールカ尊。回りに五十八尊が取り巻く。

 つまり、死者は最初の一週間で平和の神々(寂静尊)と会い、次の一週間では怒り狂った神々(憤怒尊)と出会うらしい。そこでは、閻魔大王の前に引き出されたり、場合によっては地獄に投げ込まれたりする。
 そして死者は、それぞれのカルマによって、六つの世界のいずれかに再誕生するという。


チベットの葬儀

 チベットでは、死体は単なる魂の抜け殻として扱われる。親族たちが付き添うこともなく、死体運搬人によって原野に運ばれる。そこで、死体は切断され、禿鷹の餌となる。この葬法を鳥葬(チャトル)という。死体を残さないのは、死者が自分の死体に執着するのを断ち切るためらしい。チベットでは、墓穴を掘るのが困難であったり、燃料の薪(まき)が少ないので、死体を火葬しにくいからである。

 死者に対して、ポワの行がなされる。死後には九つの門があり、そのいずれかの門から魂が出る。その出る門によって、次に輪廻する六つの世界が決まる。臨終の時にラマ僧が行う「死者のポワ」に助けられながら、阿弥陀の浄土に飛び立たせる。


存在本来の姿の中有(チョエニ バルドゥ)における寂静尊

・一日目

 まず言葉がある。
 <ああ、よい人よ。あなたは、三日半も失神していた。目覚めると、自分に何が起こったのだろうかという思いが生じるであろう。あなたは、中有の状態にあるのだと知りなさい。>

 そしてそのとき、仏の世界から毘盧遮那(ヴァイローチャナ)と虚空界自在母(アーカーシャダートゥヴィーシュヴァリー)とが一体となった姿で現われる。強烈な光で、直視できないほどだ。だから、恐れをいだいて逃げ出そうとする。やわらかい光もあるが、そちらへ行ってはならない。なぜならば、その薄明かりは解脱を妨げる邪魔者であるからだ。

 そこで、次のように祈りなさい。
 <どうか、私を正しく完全な仏の境地に連れて行ってください。>

・二日目

 一日目に逃げ出してしまったら、二日目には金剛薩埵(こんごうさった ヴァジュラサットヴァ)と(ごう カルマン)とが来る。そして、次のような言葉がある。
 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。二日目には、白色の光が現われる。>

・三日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。三日目には、地大(地の元素)である黄色の光が現われる。>

・四日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。四日目には、火大(火の元素)である赤色の光が現われる。>

・五日目

 ここまでで解脱できないものは少ないでしょう。しかし、まだ導きは行われる。死者の名を呼んで、次の言葉がある。
 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。五日目には、風大(風の元素)である緑色の光が現われる。>

・六日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。あなたには五仏の導きがなされた。しかし、今日に至るまで解脱できなかった。
 ああ、よい人よ。四大(四つの元素)の浄化をする四色の光が現われる。>

・七日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。七日目には、あなたの悪い習慣を浄化させる斑(まだら)な光が現われる。>
 ここで、寂静尊が現われるのは、お終(しま)い。


・八日目

 ここからは、憤怒尊である。
 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。今までは寂静尊が現われたが、あなたは覚(さと)ることができなかった。そして、ここにまだ彷徨(さまよ)っている。八日目には、憤怒尊たちが現われる。>

・九日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。九日目には、紺色で三つの頭をもち、六本の手、四本の足をもつ憤怒尊。>

・十日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。十日目には、暗金色の三つの頭をもち、六本の手、四本の足をもつ憤怒尊。>

・十一日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。暗赤色の三つの頭をもち、六本の手、四本の足をもつ憤怒尊。>

・十二日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。暗緑色の三つの頭をもち、六本の手、四本の足をもつ憤怒尊。>

・十三日目

 <ああ、よい人よ。心を惑わされないで聞きなさい。あなた自身の脳の中から八女神が現われる。恐れてはいけません。>

・十四日目

 <ああ、よい人よ。この重大な時期に、師僧(ラマ)の教えを思い出さなければならない。
 ああ、よい人よ。寂静尊はの世界から現われ、憤怒尊は明かりの世界から現われたことを覚りなさい。このように、あなた自身の脳の中から神群が現われ、何であれすべてあなた自身の意識からくるものと知れば、神々の身体と一体となり、仏となることができるのです。>


Kuroda Kouta (2008.09.12/2011.01.24)