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  エジプト『死者の書』



はじめに
「死者の書」の歴史
「アニのパピルス」発見の経緯(いきさつ)
全体のあらまし
オシリスの裁判
ヒエログリフで書かれた呪文
バーとアク
埋葬日の呪文
開口儀式の呪文
日の下に現われ出るための呪文
不死鳥に変身するための呪文
自分の心臓を反抗させないための呪文
神の怒りを除くための呪文
渡し舟を得るための呪文
最後の呪文(死者の守護女神ハトホルへの呪文)


はじめに

 ふつう「死者の書」(The Book of the Dead)というと、古代エジプトで死者に副葬された宗教文書を言う。それは、神への賛歌、冥福・復活のための教えを呪文の形でパピルスなどに書き記されたものだった。旧約聖書などの内容も、この「死者の書」の影響があるという。

 例えば、十戒で。「一つの神しか信じてはいけない」という内容は、まだ「死者の書」にはないが、他の「……してはいけない」という否定の条項は、そのほとんどが「死者の書」の否定告白と似ている。なお、エジプトはモーセの国であった。

 他にも、有名なチベット『死者の書』などがある。
 いずれにしても、古くから言われていることなので、あながち空想の世界ではないのかもしれません。今後、いろいろと調べていきたいと思います。


「死者の書」の歴史

 エジプト人は、来世を信じていた。だから、葬式には「死者の書」を読経(どきょう)して、埋葬のときに遺体のそばにその巻物を置いた。そうすることによって、死後も墓の中で安全に守られると考えたのである。しかし、最初から「死者の書」という完成した書物や冊子などがあったわけではなく、別々に発掘され、それらを解読した200ほどの呪文を集めて、後に整理をしたものが、「死者の書」という形になったらしい。

 歴史的に見ると、紀元前2400年ごろピラミッドの内部の壁に刻まれた最初の「死者の書」つまり「ピラミッド テキスト」が現れた。むろん、埋葬された王のためのものである。それが、紀元前2100年ごろになって棺に描かれるようになり、「コフィン テキスト」(棺柩文)と呼ばれる。
 ここまでは、王や高価な棺を用意することができる裕福なものの「死者の書」であった。

 それが後になって、パピルスにその死者が必要と思われる呪文を書いて、ミイラの副葬品として用いるようになった。やがて、パピルスばかりではなくミイラの包帯、調度品などにも描かれて、一般人にも広がっていった。
 広まったのは紀元前1580年ごろ、セケンエンラー二世のころからである。

 ついでながら、古代エジプトの始まりと終わりを歴史として確認しておこう。
 紀元前3000年ころに、上エジプトのナルメルがエジプト全土を統一した。そのころに、すでにヒエログリフという文字体系が整っていた。その3000年後、紀元30年にクレオパトラ七世がエジプトの復興に失敗して自殺をした。
 以後古代エジプトは、ローマの属州となった。


「アニのパピルス」発見の経緯(いきさつ)

 「アニのパピルス」という完全な形に近い「死者の書」が現存するのは、大英博物館の職員だったバッジによるところが大きい。バッジはエジプト学者であり、エジプト関係の本を140冊も書き残している。しかし、彼の行ったことには賛否両論があって、意見が分かれているようだ。

 まず、「アニのパピルス」。
 アニは、当時のエジプトの書記であった。死後に楽園に行きたいと考え、半年分くらいの給料を支払って「死者の書」を注文をした。一年くらい後に、全長24メートルもの巻物が完成。アニの死因はわからないが、埋葬は立派であったらしい。そして、その巻物が保存状態のよい形で発掘時に残っていたのである。

 それが発見されたときに、バッジは危険をおかして入手した。
 エジプト当局側に捕らえられたり、釈放後に保管庫から盗み出したり、大変な苦労をした。結局、全体を入手できたので、素晴らしいことであった。それまでは、墓荒らしによる盗品の売買がふつうで、いくつかの断片にして売却し、前後関係がわかりにくくなってしまったからである。

 そんなわけで、今までに二万五千以上も発見されている「使者の書」ではあるが、現在のところ189章分が確認されている。つまり、死者が生前にもっていた希望や必要度、さらには予算に応じて、全体の中からピックアップして、それぞれの「死者の書」を作成依頼をしたのである。


全体のあらまし

 死者が必要とする200ほどの呪文の中から、いくつかをこのページにメモしておこう。
 最初に言ったように「死者の書」は一冊の完成をした本の形態ではなく、その死者に必要と思われる内容の文を抽出してパピルスなどに書いたわけで、発掘された個々の呪文を後に集大成したものが、いわゆる『死者の書』と言われるようになった。

 もともと「死者の書」は葬祭文書であって、最初は「日の下に現われ出るための書」と言われた。つまり、死者が日の下に現われ出るためのマニュアルなのである。古代エジプト人は、「死がすべての終わり」だとは考えなかったからだ。死は、「危険を伴う旅の始まり」と考えたのである。そして、行き着くところが「永遠の楽園」なのである。そんなために、死後も身体を残しておく必要がある。ミイラは、そのための用意。

 しかし、古代エジプト人は身体の中で「は重要な器官ではない」と考えた。そして、心臓こそが「魂が宿る」大切な場所と考えたのである。したがって、死体から脳を取り出してしまい、心臓は残しておいてミイラにしている。


オシリスの裁判

 死者は、あの世に行ってオシリスの裁判をうけなければならない。
 オシリス(Osiris)は、古代エジプトで冥界の王と考えられた神である。出自は、大地の神ゲブと天の神ヌートの子で、女神イシスと結婚。後に、弟セトに殺される。しかし、イシスの秘術で復活して冥府の神となったという。

 その裁判は、ちょっと閻魔大王の裁きにも似ているが、いかがなものであろうか。


ヒエログリフで書かれた呪文

 いわゆるヒエログリフと呼ばれる古代エジプトの表記は、紀元前3000年くらいに文字体系が確立していたようだ。縦書きに書かれて、右から左に進む。日本語と同じ表記法である。ふつう、挿絵のような形で図が上部または下部に入っている。まれには、文中に図がある。
 下の図は、大英博物館にある「アニの書」の冒頭にある呪文。かなり大きな挿絵があって、その下には縦に文章がある。各行の二行目以下は、カットしてある。




 ふつう、下のようなデザインのものが多い。ルーブル博物館にある「死者の書」である。




 しかし、ヒエログリフ自体も象形文字で、一種の視覚的な絵文字といえる。下記はケレトネチェル(墓地)という文字を表わしている。

 むろん、私(rik)にはヒエログリフを読むことはできない。そこで、学者の訳したものをそのまま写すのではなく、ここでは200ほどあるセンテンスの中から、とくに必要と思われる呪文の構造や意味を記すにとどめておこう。


バーとアク

 エジプトには、バーアクという概念がある。わかりにくい概念であるが、バーは(たましい)、アクは聖霊ということになる。
 死者の魂つまりバーは、肉体を離れて自由に飛びまわれるらしい。変幻自在な死者の魂が、日中には墓を出て、水や空気を得るための呪文が用意されていた。


埋葬日の呪文

 神々の書記トトが死者に向かって、魔法の呪文を唱える。そして、死者がこの呪文を知っていたら、使者のバーはオシリスから認めてもらって、イアルの野で幸せに暮らせるという。


開口儀式の呪文

 死者は、冥界の門をくぐるときや裁判で返答をしなければならない。したがって、「口がきけるようにしてください」という呪文が必要になる。


日の下に現われ出るための呪文

 ミイラは、包帯で巻かれていたために自由はなかった。しかし、バー(魂)は活動ができて、どこへでも行けると考えた。そこで、故人の顔に身体が鳥というイメージを考えた。つまり、鳥の姿でバーは描かれたのである。


不死鳥に変身するための呪文

 鳥の姿になったバーが、さらに永遠に滅びないように願った。そして、不死鳥に変身する呪文を唱えたのである。


自分の心臓を反抗させないための呪文

 当時は脳の機能がわかっていなかったらしい。そして、人間の感情や思考の根源は心臓にあると考えていた。その中枢器官が心臓が、自分に不利な証言をしないように願った。そこで、次のような呪文が唱えられたという。

 私の母から賜わった心臓よ。生前は私のものだった心臓よ。オシリス神の前で、私の考えに反する証言をしませんように。

 つまり、心臓が自分の意思に反して告げ口をしないように祈ったのである。


神の怒りを除くための呪文

 死者は、裁判で「自分は真実を語っている」という評価が必要であった。そこで、供物を捧げたり、祈ったのである。


渡し舟を得るための呪文

 死者が楽園「イアルの野」に到着するためには、「あの世に流れる川」を渡らなければならない。そこで、渡し舟を得る呪文が必要だった。
 三途(さんず)の川を渡るのと似た概念ではあるが、川の大きさや舟の大きさは、かなり大きなものだったらしい。


最後の呪文(死者の守護女神ハトホルへの呪文)

 「死者の書」の最後に置かれることが多かった呪文。
 ハトホルは、死者の国の守護女神。


Kuroda Kouta (2008.09.12/2011.01.24)