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  神社仏閣シリーズ


 なぜ、神社や仏閣に行くのか?
 とくに、宗教に入っているわけでもないし、何れかの信仰に厚いからでもない。
 そもそも、なぜ神社や寺院が、こんなにたくさんあるのだろうか。明治時代以後、そして戦中にも統合令などがあったにもかかわらず、……。キリスト教なども同様に、かつていくつかが合併させられた。そして、一時は大手の日本キリスト教団が残ったと聞いている。

 現在では、すっかり意味が薄れてしまっただろうが、神社や仏閣はもともと「魔」から逃れる場所であったらしい。また、それらに対抗・対峙する場所でもあったと思う。つまり、かつて民衆が必要とした場所なのである。現在では、その意味がもはや薄れてしまった。しかし、「駆け込み寺」や「尼寺」があったことから、今でも想像がつく。

 「魔」に対峙するところという意味では、キリスト教の教会なども、同じ意味があったろう。
 教会や修道院で、「悪魔祓い」の儀式などを盛んに行ったからである。ヨーロッパでは、教会がもっとも安全で、救われるところと考えられていた時代があったと思う。

 日本の神社は、古くから神道で神々をまつり礼拝するところをいう。いわゆる社(やしろ)のことである。そこは、神々が鎮座ましますところだ。したがって、今でも神の御名が境内の立て札などに記されている。御一柱(おひとはしら)でなく、連名になっているところもかなり多い。(参考までに、「多摩市の神社」の「○私たちの初詣」に示しておきました。)
 いっぽう仏閣は、寺の建物のこと。建物そのものは、「堂宇」などとも言う。つまり、仏閣は寺院のことであるが、そこには高僧などがいて「魔」を遠ざけていたらしい。

 そんなわけで、「神社」と「仏閣」は私にとって、一つのパワースポットでもある。
 ふつう、人々は気づかないままに、その前を通り過ぎてしまう。しかし、そこで心を静かにすると「気」がよみがえってくることがあるから不思議。


 「浩然の気」を養うという。それは、『孟子』にある言葉。
 意味は、「細かいことにこだわらないで、人間のもつ本来の気持を取り戻す」というようなことであろう。そして、そのためには、山林や神社仏閣に行くとよいかもしれない。昔の神社仏閣は、さながら山林の様相を呈していたところが多かったに違いない。

 そんな理由でも、私は神社仏閣によく行く。
 このことに関しては、後日まとめて書き足すつもりである。


Kuroda Kouta (2007.10.15/2008.01.27)