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  観音・観音経・観音信仰についての研究



はじめに
観世音菩薩と観自在菩薩
観音菩薩と経典
観音像の大きさ
観音グループの柱数
六観音・七観音
六観音・七観音のイメージ
十一観音
十一観音のイメージ
観音のあらまし
 観音の性別
 観音の住所
道元と観音
観音のご詠歌
文学の中の観音
 『枕草子』
 『方丈記』
 『徒然草』
特殊な観音
 埴輪観音(観音埴輪)
モデル観音
 楊貴妃観音
 檀林観音(だんりんかんのん)
変わった観音
 円空
 木喰(もくじき)
 マリア観音
 夢違観音
 遥拝観音(ようはい かんのん)
 特攻観音
 交通安全観音
 ペット観音
原始信仰から民間信仰へ
観音の分類
観音に関する経典
 『法華経』(『妙法蓮華経』)(巻第八)観世音菩薩普門品第二十五(いわゆる観音経)
 『無量寿経』
 『観無量寿経』
 『金剛経』
 『般若心経』
 『(延命)十句観音経』
観音信仰と観音伝説
観音に関する言葉
三十三観音の研究
魚籃観音の研究


はじめに

 観音と観音経と観音信仰に関して、自分なりの考えをこのページにまとめてみましょう。しかし、このページにあるのは、研究とは言いながらも、単に私が思いついたメモです。したがって、ご覧になっても、あまり参考にはならないと思います。
 また、このページはタイトルのみで、記述はすべて他ページのものもあります。その部分は、このページからジャンプして見るようになっています。
 いずれにしても、書きかけなので考え方が一貫していない見苦しい内容です。そんなことをご理解ください。(2010年6月1日現在)


観世音菩薩と観自在菩薩

 サンスクリット語で、「アヴァロキテーシュバラ」と言い、「アヴァロキタ」(観る)と「イーシュバラ」(自在)の合成語。つまり、「観察をすることが自在にできる」という意味。それを漢字にするときに、もはや中国において訳者によって異なった。『法華経』では「観世音菩薩」、『般若心経』では「観自在菩薩」となっている。さらに、「光世音」という表記もあるらしい。したがって、すべて同じ対象である観音と考えてよい。

 観世音は、衆生(しゅじょう)が救いを求めるのを聞くと、すべての苦しみを救済する菩薩である。「観自在」とは、一切の観察ができるように、衆生の救済も自由自在にできるという意味。

 玄奘三蔵は、
 「南インドの外れに香木の多いマラヤ山があって、さらにその東にポータラカ山が聳えている。その山頂に宮殿があって、観世音がいらっしゃる。その山に登るのは命がけであるが、登らなくても一心に祈願をすれば姿を変えて現われ、望みを遂げてくださることがある。」
と書き残している。
 ポータラカは、ふつう補陀洛迦と音訳されるが、アラリヤの花である。甘い香りがあるので、英語ではインディアン・ジャスミンという。この植物が生えているので、ポータラカ山という。


観音菩薩と経典

 代表的なものを、次にメモしておこいう。

(1) 『法華経』の「観世音菩薩普門品」。ふつう、単に『観音経』という。
(2) 『般若心経』
(3) 『十句観音経』。臨済宗では、「延命十句観音経」という。
(4) 『無量寿経』
(5) 『観無量寿経』
(6) 『華厳経』の「入法界品」。

 これらの経典に関しては、後の必要な箇所に内容とともに示すでしょう。


観音像の大きさ

 このページでは、観音像の素材や大きさにはこだわらなかった。近年になって、鉄筋コンクリート製の大きな像が可能になったが、かつてはそうでなかったと思う。例えば、大船の観音さまは全身像を計画したが、地盤が無理ということで半身像になったという。
 木造のものでも、長谷寺(ちょうこくじ)の麻布大観音は高さ9メートル90センチで、約10メートルの立像である。


観音グループの柱数

 六観音・七観音・三十三観音のように、数柱の観音さまがグループになることがあります。
 また、深大寺の八観音のような変則八観音などもあるようです。深大寺の八観音の場合は、六畜観音(りくちくかんのん)・そば守観音・姫観音・福徳観音・千手観音・鳥獣観音・十二支観音・延命観音の八柱で構成されます。おそらく、そば守観音は全国でも他に例がなく、この一柱だけでしょう。(2010年10月現在)


六観音・七観音

 観音さまは救う相手によって、さまざまなお姿に変わります。それを変化といいますが、その基本的なグループを三十三観音の前に理解しておきましょう。
 真言系では、聖観音・十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音を六観音と言い、肥後仏師定慶(じょうけい)が残しています。
 天台系では、聖観音・十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・不空羂索観音を六観音とします。そして、この六観音は六道輪廻(ろくどうりんね)の思想に基づいて、六種の観音がその六道に迷う衆生をそれぞれ救うと言います。つまり、地獄道は聖観音、餓鬼道は千手観音、畜生道は馬頭観音、修羅道は十一面観音、人道は准胝観音または不空羂索観音、そして天道は如意輪観音が対応するのです。
 なお、准胝観音と不空羂索観音を含めて七観音ということもあります。

 聖観音菩薩……正観音と言うこともある。この観音菩薩像のプロトタイプは、出家をする前の釈尊であると言われている。そういえば、瓔珞(ようらく)をはじめ美しく着飾ったお姿やプロポーションはインドの青年王子を彷彿とさせる。そして、あらゆる観音像の基本が聖観音である。
 むろん、釈尊お一人のイメージだけではない。後世になって「上宮王等身観世音菩薩像」(通称「救世観音」)と言われる長身(約180センチメートル)の像は、聖徳太子のお姿を模している。そして、いわゆる観音像と呼ばれる日本で最初のものが、その法隆寺の夢殿に安置されている「救世観音」(くせかんのん)。

 十一面観音菩薩……あらゆる方向を向いて、衆生を見守るために十一面もあるという。頭上に十一または十もの小さな頭(面)を付けているお姿は、ちょっと不気味でもある。(私には)
 十一面観音には、次のような10の功徳があるといわれる。
 
(1) 健康である。
(2) あらゆる仏に忘れられない。
(3) 衣食・財物に不自由しない。
(4) 敵に打ち勝つ。
(5) 慈悲心を起こす。
(6) 毒虫に刺されたり、熱病にならない。
(7) 刀杖の難を避ける。
(8) 火難に遭わない。
(9) 水難に遭わない。
(10) 殺されたり、災禍などで死ぬことがない。

 何となく、衆生から「現世ではご利益」、「死後には安楽」を求められるのが、この観音ではないだろうか。

 千手観音菩薩……観音菩薩が、「あらゆる機会を逃さずに衆生を救うため、千本の慈悲の手と千個の智慧の目が欲しい」と願って実現したという。さらに、「衆生すべてが救われない間は、自分は仏にならない」とも誓った。何ともすごい施無畏者である。(と私は思う)
 しかし、実際に千本の手を表現するのは困難なので、唐招提寺金堂像などわずかな例外を除いて、ふつう四十二本で済ます場合が多い。

 馬頭観音菩薩……その憤怒のお顔によって、さまざまな魔を打ち砕く。魔とは、「仏法に背くもの」「衆生に仇をなすもの」。額に三つ目の眼をもっているタイプが多い。サンスクリットで「ハヤグリーバ」、つまり「馬の頭をもつもの」。しかし、牛頭馬頭の馬頭(めず)ようにではない。頭上に馬のデザインのあるものがふつう。魔性を滅することが、「馬が水を飲みつくし、草を食い尽くす」こととたとえている。

 如意輪観音菩薩……サンスクリットで「チンターマニ・チャクラ」と言い、あらゆる願いをかなえて、苦難を救ってくださる。「チンターマニ」は、「あらゆる願いをかなえる不思議な珠(たま)」のこと。「チャクラ」は、もとは戦車の車輪を言った。
 いろいろなお姿があるが、六臂(ろっぴ=六つのひじを備えていること)のものが多い。

 准胝観音菩薩……准胝(じゅんてい)とは、サンスクリット「チュンディー」の音訳。「清浄」を意味する。観音ではなく、仏母とする場合もある。子供を授ける観音として、女性の守り本尊とされる。「准胝」を「准提」と書く場合もある。「胝」の音が「チ」であるから、そのほうがよいかもしれない。
 ついでながら、読みは「たこ」である。つまり、繰り返し圧力を受けて、皮膚が角質化すること。ペンだこや座りだこ。例えば、「耳に胝(たこ)ができるほど聞いた」などと言う。

 不空羂索観音菩薩……不空羂索(ふくうけんじゃく)神呪(しんじゅ)を説くから、この名がある。それでは、どうもわかりにくい。サンスクリット語で、「アモガパーシャ」。アモガ(不空)の意味は、「(この菩薩を信じるものの)願いは空しからず」。パーシャ(羂索)は、「自らの羂索(投げ縄)で、逃すことなく救う」。手が数本あっても、その左の一手に羂索をもっている場合が多い。


六観音・七観音のイメージ

 なお、六観音の実際のイメージは、多摩市の「観音寺六観音」をご覧ください。
 あるいは、「五島美術館の六観音」が参考になるかもしれません。


十一観音

 JR五日市線武蔵引田駅の近くにある観音寺に十一観音があった。どういう基準で十一柱がピックアップされたか私にはわからないが、下のような観音さまである。

 持蓮観音
 一如観音
 蛤蜊観音(こうりかんのん=蛤は「はまぐり」、蜊は「あさり」)
 多羅尊観音
 瑠璃観音
 岩戸観音
 水月観音
 施薬観音
 円光観音
 持経観音
 龍頭観音


十一観音のイメージ

 なお、お姿の実際のイメージは、「観音寺十一観音」をご覧ください。


観音のあらまし

 観音さまのあらましについて、思いつくままに書いてみよう。


 観音の性別

 梵語では、「アヴァロキティシュバラ」。これは、男性単数名詞である。
 釈迦は、観音も含めて「善男子」と呼びかけることが多い。
 釈尊や聖徳太子がモデルとなった原始観音像は、むろん男性であろう。しかし、衆生(しゅじょう=仏語で生命のあるものすべて)を救うために、求めに応じて男性にも女性にも代われる超人間的な存在が観音菩薩である。したがって、性別を問うべきものではなく、体型も中性的に作ることが多い。
 しかし、仏教の背景には男性優位の考え方があって、男性的に作られ、髭が付けられたりしている。いっぽう、西インドで生まれた観音の起源は、イラン系の女神アナーヒターにあって、「水と豊穣」を示す持ち物である水瓶を持っている。そのようなことから、「慈母観音」や「マリア観音」が出てきたのであろう。


 観音の住所

 いろいろと考えられるが、おおむね下の通り。
(1) 西方極楽浄土。浄土経典では、阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩とともにいる。
(2) 南海の補陀洛山。『華厳経』入法界品には、善財童子が道を求めて補陀洛山(ポータラカ)に観音を訪ねる。
(3) ヒマラヤの東の山。
(4) 各自の心の中。

(4)については、弘法大師が『般若心経秘鍵』に、
 「夫れ仏法、遥かにあらず、心中にして即ち近し、真如、外にあらず身をすてて何くにか求めん。」
と書いておられる。
 なお、「鍵」について弘法大師は『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)のように、錠前のほうと鍵のほうをちゃんと区別しておられた。
 似たようなことで、日蓮は「天国や地獄」について、地の底や南方にあるのではなく、人間の心の中にあると喝破していた。


道元と観音

 「妙法蓮華経」の「妙法」とは「諸法実相」のこと。つまり、宇宙に存在する全てのものの「ありのままのすがた」である。この当たりまえのことを道元禅師は「眼横鼻直」と言っている。そして、この世に存在するすべてのものの森羅万象のありのままのすがたが妙法であり、如来のすがただと言うのである。

道元禅師の短歌
  峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と

 道元禅師は、「観音菩薩はいのちそのものである」と説いた。なぜならば、衆生(しゅじょう)の求めに応じて、安心立命(あんじんりゅうみょう)の境地を私たちに与えるからである。つまり、「生きる力そのもの」を観音菩薩と考えたのである。


観音のご詠歌

 近くにある観音に関するご詠歌(御詠歌)を示しておきましょう。
 多摩市の観音寺です。「しんにょかい かすみがせきの かんぜおん じげんさんじて すくいもらさず」。
 (掲載ページは、多摩市の寺院(多摩十三仏霊場の詳細を含む)




 稲城市の円照寺。「ちちははの めぐみもふかき かんぜおん まどかにてらす のりのつきかげ」。
 (掲載ページは、南多摩駅周辺




 稲城市の妙見寺。「ふるさとに そのなもたかき くわんぜおん ちかいはよもに ひびくまつかぜ」。
 なお、「くわんぜおん」は「かんぜおん」の古い表記です。「わ」を小さくかく場合もあります。
 (掲載ページは、稲城駅周辺




文学の中の観音

 文学の中の観音について、参考までに考え方を調べてみよう。


 『枕草子』

(一九五段)
 「:經は
 法華經はさらなり。千手經。普賢十願。隨求經。尊勝陀羅尼。阿彌陀の大呪。千手陀羅尼。」
(一九六段)
 「佛は
 如意輪は、人の心をおぼしわづらひて、頬杖を突きておはする、世に知らずあはれにはづかし。千手、すべて六觀音。不動尊。藥師佛。釋迦。彌勒。普賢。地藏。文珠。」
とある。


 『方丈記』



 『徒然草』



特殊な観音

 七観音(八観音)や三十三観音に含まれない観音さまがいます。例えば、「埴輪観音」「マリア観音」「特攻観音」などの特殊な観音さまです。


 埴輪観音(観音埴輪)

 古い時代にも、いわゆる観音信仰があったらしい。仏教が伝来したのが538年だから、それ以前の日本には、むろん観音というイメージはなかったかもしれない。しかし、後の観音信仰と似た心情で像を祀ったのではないかと、私には思われる。

 埴輪観音と名づけられた土偶がある。その面持ちを見ると、何となく観音ではないかと私は見まごう。額のところにある小さい像のようなものも、後の考え方をすでに表しているのではないか。瓔珞(ようらく)などはないが、首の回りにある飾りがその原型のような感じもする。もっとも、この像からは腕輪のことなどはわからないが、おそらく首周りと同じ程度に飾っていたのであろう。
 なお、瓔珞とは珠玉を連ねた首飾りや腕輪のこと。インドの装身具であったが、仏教ではそれを仏像を荘厳(しょうごん)するための飾り具になった。

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モデル観音

 三十三観音のお名前とは別に、実在の人物をイメージして作られた観音です。

 楊貴妃観音

 楊貴妃が死んで、その面影を偲ぶために皇帝が作らせた実物大の像です。実物を拝見したことはなく、写真で見ると美しい人だったことがわかります。




 檀林観音(だんりんかんのん)

 檀林皇后(だんりんこうごう=橘嘉智子(たちばなのかちこ))をモデルとしたそうで、異常に手が長いのですが、美しいお姿に注意が向いて、私はあまり気になりません。

橘嘉智子がモデルか、観音像?

親鸞と橘嘉智子、死にいさぎよし。


変わった観音

 ちょっと変わった観音があります。円空と木喰(もくじき)は、ご自分の信仰・修行のために仏像を彫られました。また、マリア観音は仏教以外の信仰のために造られたものです。これらは、三十三観音のお名前とは別に考えたほうがよいでしょう。

 円空

 円空(1632~1695)は、全国を廻って生涯に十二万柱の仏像を残したという。その中に千手観音などの観音像があるが、人々に請われるままに仏像を彫った。「造仏聖」(ぞうぶつひじり)と呼ばれたが、仏を彫ることが修行であった。

 木喰(もくじき)

 木喰(もくじき)も全国を回って、五百柱が確認されている。「立木観音」は満面の笑みを浮かべて、見るものに観音の慈悲を感じさせます。

 マリア観音

 慈母観音のデザインを利用して、観音に幼児のキリストを抱かせた像があります。
 江戸時代は、幕府が厳しいキリスト教弾圧をしました。そこで、隠れキリシタンは祈りをマリア観音にしました。ピエタの像などとも形が似ているので、それぞれが思い描いて礼拝をしたのでしょう。中には、ご自身の乳房をあらわにした像もあります。
 例えば、世田谷山観音寺のマリア観音です。(掲載ページは、三軒茶屋駅周辺

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 夢違観音

 悪い夢を見ないようにしてくださる観音さま。(掲載ページは、三軒茶屋駅周辺 観音寺(夢違観音など)

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 遥拝観音(ようはい かんのん)

 「こんにゃくえんま」とも言われる源覚寺にある「南洋諸島物故者慰霊塔」。実際にはサイパンにあるのだが、行けない人のために遥拝所を作ったという。都営地下鉄春日駅の近く。もしかしたら、観音像でないかもしれない。




 特攻観音

 世田谷山観音寺の特攻観音。厨子に並んで入っておられる二柱のうち、下にお出ましだった右側の一柱。

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 交通安全観音

 三軒茶屋の日輪山西澄寺には、「交通観音」がまします。駐車場にあった小学生くらいの大きさの観音像で、下には「祈交通安全観世音菩薩」。(掲載ページは、三軒茶屋駅周辺

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 ペット観音

 新板橋にある東光寺境内のいちばん隅(左・手前)にペット観音がありました。子どもくらいの大きさです。

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原始信仰から民間信仰へ

 国分寺の万葉植物園の中に小さい小屋があって、そこが国分寺市文化財保存館。そこに、観音菩薩の立像。ただし、実物ではなく写真による展示。右は、その説明。仏教が伝来したのは538年だから、かなり初期のものと言える。

  


観音の分類

 観世音菩薩、観自在菩薩などと言われる観音ですが、その分類体型はふつう次のように考えます。

 三十三観音
 七観音・八観音
 魚籃観音


観音に関する経典

 『法華経』(『妙法蓮華経』)(巻第八)観世音菩薩普門品第二十五(いわゆる観音経)



 『無量寿経』

 『無量寿経』『観無量寿経』は、浄土経典という。


 『観無量寿経』



 『金剛経』



 『般若心経』



 『(延命)十句観音経』



観音信仰と観音伝説

 観音伝説=超能力者(人間以外の生命体)
 サ(王偏に差)に乗って飛び去った男
 うつろ舟の蛮女
 かぐや姫(異星人)
 浦島太郎(時間の次元)
 リップ=ヴァン=ウインクル
 孫悟空と観音
  新しい遺伝子の創造
  (境まさあきの出ていたテレビドラマのげんがく三蔵は女だった。)

 ほだらく信仰
 たらい舟
 うつろ舟


観音に関する言葉

 観音開き……大事なものをしまったり、重要人物などの出入り。高級車の扉などで観音開きのものもある。過去にトヨペットクラウンがそうだった時代がある。


三十三観音の研究



魚籃観音の研究



Kuroda Kouta (2010.05.22/2014.03.30)