総トップページにジャンプ

  観音経・延命十句観音経



はじめに
観音経
観音経のあらすじ
鳩摩羅什の『法華経』該当部分原文
観世音菩薩普門品第二十五
「観世音菩薩普門品第二十五」の意訳
延命十句観音経
「延命十句観音経」の意訳


はじめに

 観音経と延命十句観音経について、自分なりに調べてみました。
 しかし、原典や意訳については間違いがあるかもしれません。とくに意訳については、私のわかる範囲で自分なりに記述をしたからです。また、変な位置に整理用の番号(数字)があるのは、最初にあまり理解をしないまま、付けてしまったからです。
 なお、『法華経』に関しては
  坂本幸男・岩本裕訳注 法華経 上・中・下 岩波文庫
を参考にしました。
 また、延命十句観音経については高守益次郎師のお話を参考にしました。


観音経

 ふつう、次の観音さまを三十三観音と言うようです。
 つまり、『法華経』の巻第八にある「観世音菩薩普門品第二十五)」によっている。ふつう略して「観音経」という。なお巻第八には、他に「陀羅尼品第二十六」「妙荘厳王本事品第二十七」「普賢菩薩勧発品第二十八」が含まれている。
 「観音経」では、民衆の救済のために姿を変えて出現する三十三身が書かれている。したがって、それにちなんで三十三観音を考えたらしい。ここで、三十三という数は「宗教的な数」である。
 ちなみに、古代インドの神話『リグ・ヴェーダ』に、「天界」「空界」「地界」に各十一神を置き、全体で三十三神としている。それが、仏教の教義に引き継がれて、須弥山に三十三天があり、そこに帝釈天を初めとして三十三神が住むと考えた。おそらく、三十三観音もそのような数観念の影響があるのであろう。


観音経のあらすじ

 『観音経』は、無尽意菩薩が釈尊に質問をする場面から始まる。その問いは、
 「観世音菩薩は、なぜ観世音と呼ばれるのでしょうか?」。
 それに対して、釈尊は次のようにお答えになった。
 「もしも無数の人々が苦悩して、観世音菩薩の名を唱えると、すぐにその声を観じて救い出してくださる。それが、観世音という名の由来だ」。

 大火につつまれても、菩薩の力によって、火も身を焼くことはできない。大水に流されても、観世音菩薩の名を唱えれば、浅瀬にたどり着く。大海で暴風に遭っても、誰か一人が観世音菩薩の名を称えれば逃れることができる。無実の罪で捕らえられても、鎖は解かれる。盗賊に襲われても、逃げられる。淫欲にかられたり、怒りが生じても、心が鎮まる。などなど。

 このような一連の功徳が説かれた後に、無尽意菩薩はさらに問うた。
 「観世音菩薩は、この世でどのようにして、その救いの手立てをしているのですか?」
 釈尊は、応える。
 「観世音菩薩は救いを求める人に対して、いろいろな姿で現われる。」

 それが三十三観音のもととなった。ただし、観音経に説かれているのはインドの王者や神などの名前である。つまり、

 仏・辟志仏(縁覚)・声聞・梵天王・帝釈天・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天・小王・長者・居士・宰官・婆羅門・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・女の長者・女の居士・女の宰官・女の婆羅門・童男・童女・天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩呼洛伽(莫呼洛伽・摩羅睺迦:まごらが)・執金剛神(しゅこんごうしん)

 そのような釈尊の言葉を聞いて、無尽意菩薩は自分の瓔珞(首飾り:ようらく)を外して観音菩薩に捧げたのだが、菩薩は受け取らずに釈尊に渡した。


鳩摩羅什の『法華経』該当部分原文

 鳩摩羅什(344~413 くまらじゅう)は、中国六朝(りくちょう)時代の仏典翻訳家。中央アジア亀(きじ)国の僧で、父はインド人、母は亀国王の妹だった。長安に迎えられ、経の翻訳に従事した。
 その「観世音菩薩普門品第二十五)」すべてとその意訳を下記に写してみましょう。
 なお、(2501)などとあるのは、単なる箇所の覚えです。

観世音菩薩普門品第二十五

(2501)
尓時無尽意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌向仏。而作是言。世尊。観世音菩薩。以何因縁。名観世音。仏告無尽意菩薩。善男子。若有無量。百千万億衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。一心称名。観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱。若有持是。観世音菩薩名者。設入大火。火不能焼。由是菩薩。威神力故。若為大水所漂。

(2502)
称其名号。即得浅処。若有百千万億衆生。為求金。銀。瑠璃。**。碼碯。珊瑚。琥珀。真珠等宝。入於大海。仮使黒風。吹其船舫。飄堕羅刹鬼国。其中若有。乃至一人。称観世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱。羅刹之難。以是因縁。名観世音若復有人。臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壊。而得解脱。若三千大千国土。満中夜叉羅刹。欲来悩人。聞其称観世音菩薩名者。是諸悪鬼。尚不能以。悪眼視之。況復加害設復有人。若有罪。若無罪。*械枷鎖。検繋其身。称観世音菩薩名者。皆悉断壊。即得解脱。

(2503)
若三千大千国土。満中怨賊。有一商主。将諸商人。*持重宝。経過険路。其中一人。作是唱言。諸善男子。勿得恐怖。汝等応当。一心称観世音菩薩名号。是菩薩。能以無畏。施於衆生。汝等若称名者。於此怨賊。当得解脱。衆商人聞。倶発声言。南無観世音菩薩。称其名故。即得解脱。無尽意。観世音菩薩摩訶薩。威神之力。巍巍如是若有衆生。多於淫欲。常念恭敬。観世音菩薩。便得離欲。若多瞋恚。

(2504)
常念恭敬。観世音菩薩。便得離瞋。若多愚痴。常念恭敬。観世音菩薩。便得離痴。無尽意。観世音菩薩。有如是等。大威神力。多所饒益。是故衆生。常応心念若有女人。設欲求男。礼拝供養。観世音菩薩。便生福徳。智慧之男。設欲求女。便生端正。有相之女。宿植徳本。衆人愛敬。無尽意。観世音菩薩。有如是力。若有衆生。恭敬礼拝。観世音菩薩。福不唐捐。是故衆生。皆応受持。観世音菩薩名号。無尽意。若有人受持。六十二億。恒河沙菩薩名字。復尽形供養。飲食衣服。臥具医薬。於汝意云何。是善男子。善女人。功徳多不。無尽意言。

(2505)
甚多。世尊。仏言。若復有人。受持観世音菩薩名号。乃至一時。礼拝供養。是二人福。正等無異。於百千万億劫。不可窮尽。無尽意。

(2506)
受持観世音菩薩名号。得如是。無量無辺。福徳之利無尽意菩薩。白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此。娑婆世界。云何而為。衆生説法。方便之力。其事云何。仏告無尽意菩薩。善男子。若有国土衆生。応以仏身。得度者。観世音菩薩。即現仏身。而為説法。応以辟支仏身。得度者。即現辟支仏身。而為説法。応以声聞身。得度者。即現声聞身。而為説法。応以梵王身。得度者。即現梵王身。而為説法。

(2507)
応以帝釈身。得度者。即現帝釈身。而為説法。応以自在天身。得度者。即現自在天身。而為説法。応以大自在天身。得度者。即現大自在天身。而為説法。応以天大将軍身。得度者。即現天大将軍身。而為説法。応以毘沙門身。得度者。即現毘沙門身。而為説法。応以小王身。得度者。即現小王身。而為説法。応以長者身。得度者。即現長者身。而為説法。応以居士身。得度者。即現居士身。而為説法。応以宰官身。得度者。即現宰官身。而為説法。応以婆羅門身。得度者。即現婆羅門身。而為説法。応以比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。

(2508)
得度者。即現比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷身。而為説法。応以長者。居士。宰官。婆羅門婦女身。得度者。即現婦女身。而為説法。応以童男。童女身。得度者。即現童男。童女身。而為説法。応以天龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩*羅伽。人非人等身。得度者。即皆現之。而為説法。応以執金剛神。得度者。即現執金剛神。而為説法。無尽意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。遊諸国土。度脱衆生。是故汝等。応当一心。供養観世音菩薩。是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。

(2509)
皆号之為。施無畏者。無尽意菩薩。白仏言。世尊。我今当供養。観世音菩薩。即解頚。衆宝珠瓔珞。価直百千両金。而以与之。作是言。仁者。受此法施。珍宝瓔珞。時観世音菩薩。不肯受之。無尽意。復白観世音菩薩言。仁者愍我等故。受此瓔珞。尓時仏告。観世音菩薩。当愍此。無尽意菩薩。及四衆。天龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩*羅伽。人非人等故。受是瓔珞。即時観世音菩薩。愍諸四衆。

(2510)
及於天。龍。人非人等。受其瓔珞。分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔。無尽意。観世音菩薩。有如是自在神力。遊於娑婆世界。尓時無尽意菩薩。以偈問曰
 世尊妙相具 我今重問彼
 仏子何因縁 名為観世音
 具足妙相尊 偈答無尽意
 汝聴観音行 善応諸方所
 弘誓深如海 歴劫不思議
 侍多千億仏 発大清浄願
 我為汝略説 聞名及見身
 心念不空過 能滅諸有苦

(2511)
 仮使興害意 推落大火坑
 念彼観音力 火坑変成池
 或漂流巨海 龍魚諸鬼難
 念彼観音力 波浪不能没
 或在須弥峰 為人所推堕
 念彼観音力 如日虚空住
 或被悪人逐 堕落金剛山
 念彼観音力 不能損一毛
 或値怨賊繞 各執刀加害
 念彼観音力 咸即起慈心
 或遭王難苦 臨刑欲寿終
 念彼観音力 刀尋段段壊
 或囚禁枷鎖 手足被*械
 念彼観音力 釈然得解脱
 呪詛諸毒薬 所欲害身者
 念彼観音力 還著於本人

(2512)
 或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等
 念彼観音力 時悉不敢害
 若悪獣囲繞 利牙爪可怖
 念彼観音力 疾走無辺方
 *蛇及蝮蠍 気毒煙火燃
 念彼観音力 尋声自回去
 雲雷鼓掣電 降雹*大雨
 念彼観音力 応時得消散
 衆生被困厄 無量苦逼身
 観音妙智力 能救世間苦
 具足神通力 広修智方便
 十方諸国土 無刹不現身
 種種諸悪趣 地獄鬼畜生
 生老病死苦 以漸悉令滅
 真観清浄観 広大智慧観

(2513)
 悲観及慈観 常願常瞻仰
 無垢清浄光 慧日破諸闇
 能伏災風火 普明照世間
 悲体戒雷震 慈意妙大雲
 *甘露法雨 滅除煩悩焔
 諍訟経官処 怖畏軍陣中
 念彼観音力 衆怨悉退散
 妙音観世音 梵音海潮音
 勝彼世間音 是故須常念
 念念勿生疑 観世音浄聖
 於苦悩死厄 能為作依怙
 具一切功徳 慈眼視衆生
 福聚海無量 是故応頂礼

(2514)
尓時持地菩薩。即従座起。前白仏言。世尊。若有衆生。聞是観世音菩薩品。自在之業。普門示現。神通力者。当知是人。功徳不少。

(2515)
仏説是普門品時。衆中八万四千衆生。皆発無等等。阿耨多羅三藐三菩提心。


「観世音菩薩普門品第二十五」の意訳

(2501)
その時、無尽意菩薩(むじんにぼさつ)が座から立ち上がって、衣の右の肩の方を外し、右の肩を出した(尊敬を示す仕草)。合掌して、お釈迦さまに尋ねる。
「世尊。観世音菩薩は、どういう因縁で観世音という名前が付けられたのでしょうか。」
お釈迦さまは、無尽意菩薩に告げた。
「よい子よ。数え切れないほど多くいる人々が、もろもろの苦しい目にあっている。この観世音菩薩を聞き知って、一心にその名を称えれば、観世音菩薩はすぐに聞き取って、苦悩から逃れさせてくださる。もし、この観世音菩薩の名を称えれば、大火の中に飛び込んでも、火はその人を焼くことはできない。この菩薩の持つ力のおかげなのだ。もし、洪水に押し流されても、

(2502)
観世音菩薩の名を称えれば、浅瀬に着くことができるでしょう。
たくさんの人々が、金・銀・瑠璃(るり:青色の宝石)・シャコ(美しい貝)・珊瑚(さんご)・琥珀(こはく)・真珠などの宝物を求めるために大海に行ったとする。真っ暗になって強風が吹き、船が流されて羅刹(らせつ)鬼国(人を食べる悪鬼の住んでいる国)へ漂着しても、人々の中の一人でも観世音菩薩の名を称えたら、誰も羅刹の危機から逃れることができるだろう。だから、「世の音をよく観ずる」と言う名が付けられている。
刀で切られたり、棒で打たれたりして怪我をしそうになった場合、観世音菩薩の名を称えたら、無難に済むだろう。世界中にいっぱいいる夜叉(やしゃ)・羅刹などが人を悩まそうとして来ても、その人が観世音菩薩の名を称えるのを聞くと、夜叉も羅刹も向かってくることはできない。
罪があったり、または無実の罪で手かせ・首かせを付けられ、鎖でつながれていても、その人が観世音菩薩の名を称えれば、ことごとくバラバラに壊れて自由の身となるでしょう。

(2503)
全国中に山賊がいる国があるとする。一人の商人が、他の商人を大勢連れて、宝物を買い込み帰る途中で、山賊に襲われやすい危険な場所にさしかかったとする。その中の一人が、
「恐れることはない。皆さんが一心になって、観世音菩薩の名を称えてみなさい。観世音菩薩は人の怖いものを無くしてくださるから、お名前を称えたら、山賊に襲われる心配も無くなる。」
と言って、全員が一心に『南無観世音菩薩』と称えたとする。すると、一同は難を逃れることができる。
「無尽意よ。観世音菩薩の力はこんなに偉大なものなのだ。」
性欲のために悩んでいる人があっても、観世音菩薩を敬うように心がけていれば、ひとりでにその欲が離れて、悩むことがなくなるだろう。

(2504)
怒りを覚え、愚痴っている人は観世音菩薩を敬うように心がければよろしい。愚かしい考えにとらわれている人は、観世音菩薩を敬いなさい。無尽意よ。観世音菩薩は力があり、人々に多くの利益を与える。だから観世音菩薩を思わねばなりません。
もしも、男の子の欲しい婦人が、一心に観世音菩薩を拝んで供養すれば、智慧のある男の子供が産まれるでしょう。
女の子が欲しいのなら、前世で正しい行いをしたので、誰からも愛される器量のよい女の子供が産まれるでしょう。
無尽意よ。観世音菩薩にはこれほど力がある。誰もが観世音菩薩を敬って拝めば、その御利益は必ずある。誰もが観世音菩薩の名前を忘れないようにしなければならない。無尽意よ。
もし、ある人がカンジス河の砂の数の六十二億倍の菩薩の名前を覚え、一生の間そのすべての菩薩に飲食物や衣服や寝具から医薬品までをいちいち差し上げたとすると、どう思うか。こうした人の受ける功徳は多いか少ないか。」

(2505)
「非常に多いと存じます。」
そこで、お釈迦さまは言った。
「そのとおり。ところが、無尽意よ。ここに別の人があって、観世音菩薩の名前だけをしっかりと心に刻みつけていて、ほんのしばしの間でも拝んでお供え物を差し上げた。すると、その受ける功徳はまったく同じで、異なる所はない。その功徳の大きさを言葉で述べようと思ったら、幾百幾千幾万億という時代をかけたって言い切れるものではない。無尽意よ。

(2506)
観世音菩薩の名前を心に刻みつけていれば、このような限りない福徳をご利益として受けることであろう。」
無尽意菩薩はこれを聞き、重ねてお釈迦さまにお尋ねした。
「世尊。観世音菩薩は人々に法を説く為に、どのようにこの世の中に現われて、どのような教え方をするのです。」
お釈迦さまは、無尽意菩薩の問いに対して答えた。
「どこかの国の人たちが仏教えられて救われる場合には、観世音菩薩はすぐに仏の姿になって教える。縁覚という聖者が救うのにふさわしい場合には、縁覚の姿になって教える。声聞が教えて救うのがふさわしい場合には、声聞の姿になって教える。梵王(ぼんのう)となって救うのがふさわしい場合には、梵王の姿で現われて教える。

(2507)
帝釈天となって救うのがふさわしい場合には、帝釈天の姿で現われて教える。自在天となって救うのがふさわしい場合には、自在天の姿で現われて教える。大自在天となって救うのがふさわしい場合には、大自在天の姿で現われて教える。天大将軍となって救うのがふさわしい場合には、天大将軍の姿で現われて教える。毘沙門天となって救うのがふさわしい場合には、毘沙門天の姿で現われて教える。
普通の王の姿で救うのがふさわしい相手には、普通の王の姿で現われて教う。富豪の姿をとって救うのがふさわしい相手には、富豪の姿で現われて教う。在家のまま修行する人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、在家のまま修行する人の姿で現われて教える。役人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、役人の姿で現われて教える。家柄のよい人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、家柄のよい人の姿で現われて教える。

(2508)
坊さん・尼さん・男子の在家信者・女子の在家信者の姿がふさわしい相手には、各々それに応じた姿を現わして教える。富豪や在家修行者や役人や家柄のよい人の妻や娘の姿となって救うのがふさわしい相手には、各々それに応じた姿を現わして教える。男の子供や女の子供の姿をとって救うのがふさわしい相手には、その姿で現われて教える。
天人でも、竜神でも、鬼神の夜叉(やしゃ)でも、乾闥婆(けんだつば)でも、阿修羅(あしゅら)でも、迦楼羅(かるら)でも、緊那羅(きんなら)でも、摩*羅伽(まごらか)でも、その他いろいろな形をした生き物にでも、それぞれ相手を救うのに一番ふさわしい姿になって教える。
執金剛神(しゅうこんごうじん)の姿となって救うのがふさわしい相手には、執金剛神の姿を現わして教える。
無尽意よ。観世音菩薩は、こういうことが出来るので、さまざまの姿になり、どのような場所にも自由自在に現われて、人々を悟りへを導いて行く。だから皆は、一心になってこの観世音菩薩を大切にしなければならない
「この観世音菩薩は、おそろしい災難や困難におちいった場合にも、人の心が動揺せず落ち着くようにしてくれる存在だから、この世の中では皆が観世音菩薩を無畏(落ち着き)を施してくださる者という意味で施無畏者(せむいしゃ)という名前でも呼んでいる。」

(2509)
感激した無尽意菩薩は、仏さまに申し上げた。
「世尊。私は今ここで観世音菩薩にこれを供養する。」
そう言って首に懸けていた金銀やもろもろの宝石をつらねた、その値打ちは金の何万両分とも知れない高価な首飾りをはずし、観世音菩薩の前に差し出し、
「これをあなたにお供えしますから、お納め下さい。」
と申し上げました。
観世音菩薩は、どうしてもそれを受け取ろうとはしない。そこで無尽意菩薩は重ねて、
「どうぞお願いですから、われわれをかわいそうだと思って、この首飾りをお受けくださいませんか。」
と押し問答になった。
お釈迦さまが中へ入って、観世音菩薩に告げた。
「無尽意菩薩の志しでもあり、出家・在家の修行者たち、天人や竜神や夜叉や乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩*羅伽、その他の心をくみ取って、その首飾りをお受けなさい。」
それをうかがった観世音菩薩は、すべての人たち・

(2510)
天人・竜神・人間以外の生き物たちの心をくみ、その首飾りを受け取った。それを二つに分け、一方はお釈迦さまに、あとの一方は多宝仏塔に奉げた。
「無尽意よ。観世音菩薩は今言ったように自由自在な力を具えていて、その力で今この世に来ているのです。」  無尽意菩薩は以下の歌で質問を繰り返した。
 美しい姿のお釈迦さま。私は重ねてお尋ねいたします。
 あの菩薩はどうして、観世音と名づけられているのですか。
 美しい姿のお釈迦さまは、歌の形で無尽意菩薩に答えた。
 観世音菩薩の働きは、いつ・どこへでも行って人々を救うこと。
 救済の願いは海のように深く、考えてもわからないほど。
 無数の仏たちに仕えて、大きく清浄な願いを立てた。
 私は、あなたにそのあらましを説明しよう。名を聞き、その身を見て、
 心にしっかりと刻んで忘れないならば、あらゆる苦しみは無くなるだろう。

(2511)
 悪意のある者が、燃えさかる大きな火の穴に突き落としても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、火の穴はたちまち池に変わる。
 大海原を漂流して、竜や怪魚や鬼などの怪物が襲って来ても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、荒波に呑まれて海中に沈むことはない。
 須弥山の頂きから、誰かに突き落とされても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、空の太陽のように空中に浮かぶ。
 悪人どもに追われて、金剛山の頂きから転落しても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、一本の髪の毛さえ傷つかない。
 怨みを抱いた敵の集団が、刀を手にして殺そうとしても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、彼らは慈悲の心を起こす。
 権力者の圧政にあって、刑場で死刑に処せられようとしても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、振り上げられた刀はバラバラに折れる。
 囚人となって枷(かせ)や鎖につながれ、手足の自由を奪われても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、拘束具はたちまち壊れて自由になる。
 誰かの呪いや毒草・毒薬によって、危害を加えられようとしても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、被害はそれを企てた加害者本人に戻る。

(2512)
 羅刹という食人鬼や毒竜・さまざまな鬼に囲まれても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、それらは危害を加えなくなる。
 猛獣に取り囲まれて、鋭い牙や爪で脅かされても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、それらは何処かへ逃げ去ってゆく。
 マムシ・毒蛇・サソリの吐く毒気が、火焔のように迫ってきても、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、その声を聞くやいなやそれらは退散する。
 天がとどろき、稲妻が光り、雹が降り、大雨が降り注いでも、
 観世音菩薩の救いを念ずれば、それらは跡形なく消え去る。
 困難や災厄にみまわれ、さまざまな苦しみにさいなまれる時、
 観世音菩薩の勝れた智恵の力は、人々を苦しみから救い出してくれる。
 神通力をもって、広大な智恵とさまざまな手段に長けた観世音菩薩は、
 あらゆる国のいたる所に姿を現わし、その姿を見ることができる。
 様々な悪い世界を巡り、地獄界・餓鬼界・畜生界に陥った苦しみ、
 生まれ・老い・病・死ぬという苦しみを、しだいに消滅させてくれる。
 真実を見抜く眼と汚れなき清浄な眼で観て、広大な智慧を持つ眼で観、

(2513)
 悲しみと慈しみで観るという、観世音菩薩を仰ぎ見なければなりません。
 観世音菩薩の放つ汚れなき光は、智慧の輝きで無知の闇を消し去る。
 よく災いの風や火を鎮め、この世を明らかに照らし出しす。
 戒めは雷が鳴り響くようで、慈しみの心は大きな雲のように人々を覆う。
 恵み深い智慧の雨を降らせて、人々の煩悩の炎を消し去る。
 争いに巻き込まれて法廷に立ち、戦場で死の危険にさらされても、
 観世音菩薩の救いを心に念ずれば、あらゆる敵はみな退散するだろう。
 観世音菩薩の妙なる美しさを持つ音、清浄な潮騒のように心にしみる音。
 あらゆるこの世の苦しみや悲しみの音声を制する音であり。
 だから、常に観世音菩薩を疑わずに念ずるべきなのである。
 苦しみと死と災いに満ちたこの世の中で、救いの真実の拠り所。
 あらゆる功徳を具え、すべての人間を慈悲の眼をもって眺めている。
 その福徳は大海のように無量であり、つつしんで礼拝すべきなのです。

(2514)
 この説法をうかがって感動した持地菩薩は、座から立ち上がってお釈迦さまの前に進み出て、つつしんで申し上げました。
「お釈迦さま、どうような人でも、この観世音菩薩の自由自在な救済の働きと、相手に応じてさまざまに姿を変え、あらゆる所に出現される神通力を聞き知った人は、大きな功徳を得ることでございましょう。」

(2515)
 こうしてお釈迦さまが、あらゆる方向に顔を向けてあまねく眼を配っている観世音菩薩の教えを説き終えられますと、大衆の中の八万四千人もの人々が、くらべるものもなく尊い『完全なる悟り』を得たいという願いを起こし、正しい道を志すようになったのでありました。


延命十句観音経

わずか十句四十二文字の短い経典ですが、白隠禅師も推奨しました。

 観世音  南無仏
 与仏有因  与仏有縁
 仏法僧縁  常楽我浄
 朝念観世音  暮念観世音
 念念従心起  念念不離心

(唱え方)
 かんぜおん  なーむーぶつ
 よーぶつうーいん よーぶつうーえん
 ぶっぽうそうえん  じょうらくがーじょう
 ちょうねんかんぜーおん  ぼーねんかんぜーおん
 ねんねんじゅうしんきー  ねんねんふーりーしん


「延命十句観音経」の意訳

 観世音菩薩さま。私は仏さまに帰依します。
私達は仏さまと同じ因があり、仏さまと縁があります。(本当にありがたいことです。)
仏・法・僧のご縁によって、色あせることのない幸せで浄らかな悟りの世界に安住させて頂くことができます。(ありがとうございます。)
(仏さまと同じ智慧と大慈大悲の心で、救済活動をされていらっしゃる)
観世音菩薩さまを感謝の心で朝に念じ、夕にも念じます。
一念一念、観世音菩薩さまを心より念じ、一念一念大慈大悲の御心と離れません。


   

Kuroda Kouta (2010.05.03/2014.03.30)