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 本郷通りの散策


○はじめに
○南谷寺
○吉祥寺
○六義園
○旧古川庭園
○飛鳥山公園


○はじめに

 かつて大岩先生が、リンボーの『本郷界隈』という本をくれた。
 しかし、その当時は何となく心が慌(あわ)ただしかったので、とうとう読まずじまいである。でもその後、大岩先生が亡くなってから、いつも言っておられたことが懐かしく思い出された。そして、その界隈を散歩するようになった。
 私のコースは、たいがい次のとおりである。

 「聖蹟桜ヶ丘」から京王線が直通している都営新宿線(地下鉄)の「市ヶ谷」で乗り換え、東京メトロの「本駒込」下車。そして、そこから北に向かって歩きます。そのいつも私がやっているコース。

(1) 南谷寺……目赤・目青・目黄・目白・目黒の五色不動筆頭、目赤不動尊がある。
(2) 吉祥寺……二宮尊徳の墓・川上眉山の墓など、そして八百屋お七と吉三の墓まである古刹。
(3) 六義園……落ち着いた雰囲気の庭園で、春には桜がきれい。
(4) 旧古川庭園……秋には洋式花壇のバラが美しく咲く。
(5) 飛鳥山公園……三つある中の「紙の博物館」によく入る。

 ちょっと元気なときは、さらに足を伸ばして小石川植物園にも寄ります。
 帰りは、たいがい王子駅から都電で「早稲田」まで出ます。そして、バス車庫(前に都電の車庫があったところ)からバスで「新宿」。そこから、京王線特急で聖蹟桜ヶ丘まで戻ります。




 また、辺りは地名変更をしたところが多いらしく、「旧町名案内」がありました。
 下のものは、「旧駒込片町」です。





○南谷寺

 東京メトロ本駒込駅前には、目赤・目青・目黄・目白・目黒の五色不動の筆頭、目赤不動尊がある。南谷寺については、五色不動尊廻り を参照してください。


○吉祥寺

 実に堂々とした本殿のある古刹(こさつ)。地図で見て、吉祥寺の境内(けいだい)が六義園ほどではないが、古川庭園と同じくらいの広さがあることによって、かなり大きな寺であったことがおわかりでしょう。

      


 その縁起(えんぎ)については、右の看板を見てください。でも、字がちっちゃくて見にくいでしょう。そんなときは、図をクリックして大きくします。実はそれでも、まだ私には見にくいのですが、……




 吉祥寺には、だいぶ大きな大仏像(何だか同義反復みたいな言い方ですんません)と白い観音さまがある。

  


 二宮尊徳の墓・川上眉山の墓、そして八百屋お七と吉三の墓まである。ただ、八百屋お七は放火をした罪人(つみびと)であったので、墓を建てることをはばかって比翼塚としたのかもしれない。

      


 また、共同墓地のようなところがあって、たまたま僧侶が定時読経(どきょう)をしていた。




 寺の隅のほうには、六地蔵があった。よくある数体の地蔵様とは異なって、お顔がそれぞれにメランコリックな特徴があるので、私には印象的である。





○六義園

 元禄15年(1702年)に川越藩主柳沢吉保が自ら設計製作。古今和歌集の序文にある「六義(りくぎ)」と命名。明治時代になって、三菱の創始者岩崎弥太郎の別邸となり、その後(1938年)東京都に寄付された。
 落ち着いた雰囲気の庭園で、春には桜がきれい。
 入口に近いところに、三枚目の椅子があった。そこに腰掛けていると、なぜか多くの人が私に挨拶をした。その理由が、いまだにわからない。

    



○旧古川庭園

 大正6年(1917年)に古川虎之助が経営して、和・洋形式を巧みに取り入れた。建物や洋風庭園は、イギリスの建築家ジョサイア=コンドルの設計。
 秋には洋式花壇のバラが美しく咲く。

      



○飛鳥山公園

 公園内に三つある博物館だが、私は「紙の博物館」によく入る。
 なぜならば、私が初めて就職をしたときの会社で、その進入社員教育の一環として、見学に連れてこられたからです。当時は、王子駅の北口にありました。




 「紙の博物館」にある楮(こうぞ)と三椏(みつまた)の鉢植え。楮や三椏は、紙の原料になります。三椏は、枝が二つではなく三つに分かれていることがわかります。

  


 飛鳥山の歴史について記されている。松健の「暴れん坊将軍」という時代劇ドラマで主役になっている徳川吉宗のことが書かれているようだ。小さくて見にくく、光っているので読みにくい。それでも、クリックをして大きくすると、読めるかも。




 偉大な実業家である渋沢栄一の胸像ですが、何だか俗物(ぞくぶつ)の感じを受けるのは私だけであろうか。




Kuroda Kouta (2007.03.23/2016.07.12)