総トップページにジャンプ

 聖蹟桜ヶ丘駅周辺



はじめに
聖蹟桜ヶ丘駅 場所
関戸橋
京王線鉄橋
大河原公園と大川
交通公園付近
鎌倉街道
大栗橋・新大栗橋
病院
健康センター
いろは坂通り・いろは坂・天守台
「耳をすませば」撮影現場
桜ヶ丘山の上住宅街
ケーブルカーのある家
くるまぼり緑道付近
清水堀緑地
倉沢川緑地付近
総合体育館
ろくせぶ公園
川崎街道
向ノ岡大橋
旧川崎街道・御幸橋
野猿街道
清水渓緑地
大谷戸公園
桜ヶ丘公園・聖蹟記念館
満蒙開拓団記念碑
連光寺公園
米軍レクリエーションセンター
ゆうひの丘
神南せせらぎ通り周辺
いまだにある湧水と水田と果樹園
廃屋


はじめに

 このページが大きくなりましたので、神社や寺院は
    多摩市の神社
    多摩市の寺院(多摩十三仏霊場)
に分散しました。
 また、この周辺の河川関係は
    身近にある川
さらに、駅と駅隣接のデパートは、
    聖蹟桜ヶ丘駅デパート
 そして、駅付近の食堂については
    rikの外食
をご覧ください。

 最初からあった「聖蹟桜ヶ丘駅・永山駅周辺」も大きくなって操作性に問題が生じたため、二つのページ、つまり「聖蹟桜ヶ丘駅周辺」と「永山駅周辺」に分割をしました。(2007年12月15日)
 最初、「聖蹟桜ヶ丘駅・永山駅周辺」と「多摩センター駅周辺」は多摩市全域一ページでカバーするために設定をしました。かなり以前には、多摩市の地域が神奈川県だった時代もありましたが、かつてこの地域にもいろいろな問題があったようです。例えば、戦争。




 私は、聖蹟桜ヶ丘駅から5分のところに住んでいます。駅に近くて、とても便利。そんなわけで、この建物には感謝。なお、住所にある「関戸」という名前のいわれは、下を参照してください。




 また、地理的な考察には下記をどうぞ。パルテノン多摩にある展示室のものをデジカメでパクリました。




聖蹟桜ヶ丘駅 場所

 聖蹟桜ヶ丘駅は、デパートと一体になっていて、デパートの下にバスターミナルがあります。


関戸橋

 鎌倉街道は多摩川を越えて、北の府中市に入ります。その橋が、関戸橋。古い橋にパラレルに新しい橋を作り、双方の車線にしました。そんなわけで、歩道部分は古い橋にはなく、新しい橋の片方西側部分にあるだけです。下の写真は、多摩市側から北を見たところ。古いほうの橋です。




 同じ場所から、もう少し下流の対岸を見たところ。




京王線鉄橋

 関戸橋から少し上流に行って、京王線の鉄橋。堤防の標識には、「多摩川 右岸 海から 35K」とあります。手前が聖蹟桜ヶ丘駅。




 多摩川の右岸から見た京王線の鉄橋。




大河原公園と大川

 大川という小さい川に沿って、大河原公園があります。標識の後ろに見えるのは、警察犬の訓練所。正しくは、「警視庁刑事部多摩鑑識センター」。




 川を左手に見て、小さい公園になっています。右が北です。




 鎌倉街道をくぐって、下流から大河原公園を見たところ。




 よくこの木のベンチで休みます。川は向う(東)に流れている。




 川幅を広くしたところもある。左側(南)に、多摩中学。川は手前(東)に流れている。少し下ると、大栗川に合流。




交通公園付近

 大栗川が多摩川に注ぎ込むところに、交通公園があります。踏切りを模した道路もあって、子どもたちの学習の場です。




 かなり先で、右手の大栗川と左手の多摩川が合流します。イチョウの下に見えるのは、多摩市立交通公園管理事務所。右手遠方に見える煙突は、稲城の下水道処理場。正式には、「南多摩水再生センター」。




 交通公園の手前(西側)には、かつてプールや牧場がありました。現在は、プールの後には野球場。牧場は、O-157が問題になったころに閉鎖。下は、テトラポリスを作っている工事現場。




 プールの後にできた見事なトイレ。




 バードウオッチ小屋。




 大栗川が多摩川に合流する場所。右(南)側が大栗川。左(北)側が多摩川。先方(東)へ行っても、橋がないので右岸・左岸ともに渡れない。




鎌倉街道

 関戸橋を南に少し行くと、大河原歩道橋があります。その下を鎌倉街道。そして、さらに下を大川が流れています。大河原歩道橋から、北方向。関戸橋があって、その先にNECの建物が見えます。かつて右側にあった桜サンリバーは、マンションに建て替えられてしまいました。




 大河原歩道橋から、南を見たところ。つまり、町田方面です。右側手前には、警察犬の基地兼訓練場があります。歩道橋からは、目隠しがあって見えません。




大栗橋・新大栗橋

 かつての鎌倉街道が大栗川にかかっていた橋が大栗橋、そして現在の鎌倉街道が新大栗橋の上を通る。しかし、大栗橋も補強をされて下のようになっている。写真の前方が南で、多摩市役所方面。大栗川は、右から左に流れている。




 新大栗橋は交通量が多く、主要幹線になっている。下の写真は、その西側の歩道部分から西方向を見たところ。つまり、大栗川の上流を見ている。実際には、この写真を撮った歩道の後ろに、四車線ほどの広い部分と東側の歩道がある。




病院

 駅のすぐそば、と言ってもデパートの外れに京王電鉄の診療所があります。おそらく、一般の患者は受け付けていないと思います。プレハブのような建物で、大企業の病院としては簡単です。でも、春は桜が満開。




 駅から東へ数キロ。川崎街道の向ヶ丘大橋が大栗川にかかっている角にあります。
 聖蹟桜ヶ丘駅前に越してきたころは、木造の古い建物でした。しかし、見る見るうちに素晴らしい建物の病院になりました。緑の字で「桜ヶ丘記念病院」と書いてあります。いったい、何の記念なのでしょうか。左の端ある標識に、青い文字で書いてある文字は「大栗川」。




 セピア色に変色してしまいましたが、取り壊されてしまった木造の古い建物の写真がありました。




 その木造建物の説明文。厳かな寝殿造りのような建物の意味が、なるほどとわかった次第。




健康センター

 多摩市の健康センター。高齢者の集会所や風呂などもあって、くつろげる場所です。




 健康センターの敷地内にある記念碑。




 健康センター玄関の前にある像を前から見たところ。おわかりでしょうか。「陽光」というタイトルが台に刻んであります。後ろに見えるノッポビルには、私の住んでいる部屋があります。




 川崎街道側から健康センターへの入口。




 この入口の右側に、九頭竜の記念碑が建っています。九頭竜神社とも関係がありそうなのですが、いちおうこのページに置いておきましょう。しかし、こんなところに変なものを作った経緯(いきさつ)が私にはわかりません。今後の社会構造から考えると、公衆トイレでも作ったほうが好ましい場所だからです。もっとも、健康センターのトイレがいつでも使えるようにしたら、記念碑もよいでしょう。
 他にも、瓜生公園の一里塚、小野の渡しなども計画をした人の今後の社会変化に対する真剣な計画性が疑われます。快適な多摩市にするために、年間の清掃費用も見込んで予算をたてるくらいのことはしてくれてもよいでしょう。




いろは坂通り・いろは坂・天守台

 聖蹟桜ヶ丘駅から南に向かう道が、「いろは坂通り」。
 大栗川の霞ヶ関橋から、聖蹟桜ヶ丘駅方面を振り返って見たところ。正面遠くに見えている屋上の青いマークは、「ザ・スクエアー」。そして、右上に見えている屋上にヘリポートのあるノッポビルは、私が住んでいる建物。




 観蔵院の左隣というか、前にあるのが「小関兄弟自動車整備工場」。

 アメリカにある「ワーナーブラザース」などのように、日本でも「兄弟」と付く会社があります。しかし、そのような命名はとても珍しいようです。私が知っているのは、「近江兄弟社」くらいなももです。皆さんは、いかがですか。





 その隣がホテルです。私が関戸に越してきてから、1年ほど経って桃色のネオンを付けました。何となく連れ込みホテルのような感じもしますが、私は客が出入りをしているのを見たことがありません。おそらく、車で入るのでしょう。




 ホテルの壁画。とても上品なデザインではありませんか。




 聖蹟桜ヶ丘駅から桜ヶ丘山の上住宅までの道は、いろは坂通りと言われます。そして、霞ヶ関橋から南の上り坂は、つづら折れになっていて「いろは坂」と呼ばれます。その途中には、小さな公園があります。




 公園から聖蹟桜ヶ丘駅方面(北)を見下したところ。真ん中にある建物に、私は住んでいます。
 下は、いろは坂の最も急なカーブ。




 いろは坂を上がったところに、天守台跡(関戸城跡)の標識がありました。




 その標識の説明。




 いろは坂に登る左手に霞ヶ関保全地区が広がっています。その北端から見上げると。




 そこにあった看板。柱があって、一字が見えません。しかしそこには、「区」という字があったと思います。つまり、「霞ヶ関緑地保全地区」なのです。




「耳をすませば」撮影現場

 私は見ていないのだが、アニメ映画「耳をすませば」の撮影現場として、この辺りが使われたらしい。




桜ヶ丘山の上住宅街

 多摩市は、もともと地下水を水道に利用していたが、多摩ニュータウンができるときに江戸川から取水をするようになった。大量の飲料水が足りなかったからである。しかし、現在でも旧市街地、例えば関戸地区などは地下水のまま。その浄水場が、でんと山の上にある。




 なお、上の浄水場のタンクが何となく顔に見えると言ったら、モノマニア(偏執狂)といわれるだろうか。偏執狂は「へんしゅうきょう」と読むのであるが、「へんしつきょう」と読んでもいいらしい。モノマニア(monomania)やモノマニアック(monomaniac)は、「一つのことに異常な執着をもち、常軌を逸した行動をする人」のことを言う。つまり、すでに気違いや気狂いの類。しかし、私はそんなんでない。と、自分では思うとります。つまり、かなり凝り性であるかもしれないが、面倒なことは大嫌い。


 話は変わるが、だいぶ前に山の上の住宅街でケーブルカー付きの家を見たような気がする。西洋の映画にあるような高度差があって長いものではないが、それでも道から玄関までかなり上る。しかし、その記憶が定かではない。そこで、探してみたがどこかわからない。あるいは、不要になって取り外してしまったのだろう。
 桜ヶ丘二丁目のバス停の付近に、下のような車椅子用のリフトのある家があった。




 ふつう、桜ヶ丘山の上住宅街には通称「いろは坂」を登ります。
 しかし、霞ヶ関橋を渡ったところから、延命寺のほうへ左斜めに上がる道もある。この道は先が下っていて、霞ヶ関橋のところに出ます。桜の季節には、とても美しい道です。




ケーブルカーのある家

 桜ヶ丘一丁目の住宅街には、ケーブルカーのある家が二軒ありました。他にリフトのある家が、桜ヶ丘二丁目バスストップのそばにありました。それらは歩いていて何気なく見つけたので、もしかしたら他にもっとあるかもしれません。




 いわゆる人の乗るボックスです。どうやら二人乗りのようです。




 頂上は、家の二階部分になっているのでしょうか。アメリカの映画などで見る富豪の家にあるものよりも、ずっと小型で路線も短いようです。




 このケーブルカーは、階段と共用になっている小型のものです。また、リフト部分のレールは片方にしかありません。ご主人と話したのですが、このような設備を設計するところが少なかったので、ご自分で図面を引いたそうです。




 道に接したところを入って、右に進みます。




 すると、乗り場があるんです。乗らない人、つまり家族の一人を除いた足の悪くない人は、そのまま階段を上がるそうです。




くるまぼり緑道付近

 多摩市関戸と東寺方に流れていた川を埋め立てて作られた緑道です。もはや、かつての水田などはなく宅地がぎっしり。それでも、小川があったところは個人の土地ではないから分譲地にならず残っているのです。




 川の流域と大きな場所が、広場になったところもあります。すでに、相続税などの物納で市が所有していた土地だったかもしれません。真ん中に見える建物に、私は住んでいます。




 広場に続いて、木々を植えた部分もあります。赤と青のすべり台の後ろには、それなりの水飲み場とトイレがあります。




 上流側にどんどん行くと、緑道はなくなって川というか下のような状態になっています。




 いっぽう、くるまぼり緑道の下流側は暗渠です。それでも、川が灌漑の都合で二股に別れていた箇所は、そのまま残っています。右の塀の中は、観蔵院。




 さらに下流側にある関戸四丁目の記念碑。私も、関戸四丁目に住んでいます。




清水堀緑地

 くるまぼり緑道の川ではないかもしれないが、暗渠になっていない部分。もはや、川というよりか大水が出たときの排水路開口部。そんために、流れてくる大きなゴミなどを取り除くようになっている。 なお、ここの「清水堀緑地」は「清水渓緑地」とは別な流域であるので間違わんでください。





 上の写真の手前は、やはり前方と同じく暗渠。そして、大栗川に注ぎ込むらしい。そこには、「清水掘緑地」という標識があるので、もしかしたら清水川というのかもしれない。




 大栗川に接して、堤内に古茂川ポンプ場があります。古茂川という川は、もはやないようであるが、川崎街道から吉野家裏口の前を通って聖蹟桜ヶ丘駅方面への道路に、小さい古茂川公園というのがあるので、暗渠にしたか埋め立てて道にしたのかもしれない。ポンプ場は、大栗川が増水したときに水門を閉じて低地の浸水を防いだり、ポンプアップをするのでしょう。大栗川の少し下流に調整池として蒲の茂った沼沢地があったが、数年前に大きなマンションが建ってしまった。




倉沢川緑地付近

 多摩市和田の老人ホーム和光園と東電学園の間にある緑道です。狭い道ですが、歩くと木漏れ日があったりして、落ち着いた感じがします。




 大きな石で作った牛の置物がありました。




 その近くに兎。これがあったので、上の写真が牛だとわかった。




 新興住宅のそばを歩いているのだが、それでも木々がいっぱい。そんなところもある。




 北側の斜面の上には、東電学園。




 老人ホームがあって、その団欒(だんらん)室があった。




 病院が付いている老人ホームなので、もしかしたら安心ができるかもしれない。




総合体育館

 多摩市和田に「多摩市立総合体育館」がある。多摩東公園にある武道館・陸上競技場などとともに、素晴らしい設備である。私は、いずれも利用したことがないが、若い人たちには理想的な環境であろう。




ろくせぶ公園

 聖蹟桜ヶ丘駅から川崎街道を東に300メートルくらい行ったところに「ろくせぶ公園」がある。




 その説明板。




 「ろくせぶ」は、「六畝歩」で面積の単位。約600平方メートルで、田圃(だんぼ)一枚くらいだろうか。つまり、この公園の広さを言っているみたい。そこには、下の写真のようなユニークな置物がある。何とか小僧と言うらしいが、忘れてしまった。上の説明板には、単に「上向き童子」とある。
 同じようなデザインのものが、府中の蓮記念の小さな公園にもあった。けやき通りの郵便局を過ぎて、ちょっと西に入ったところ。




 その小僧が見上げているものは、……。ちょっと両方のモチーフに違和感があるのは、私だけであろうか。




 もう一度、大きくして何とか小僧の表情をよく見てみよう。




 その後、2007年12月23日(日曜日)、たまたま聖蹟桜ヶ丘駅7階の京王ギャラリーに行ったら、上記の展示・即売会があった。そこには、
    〜神の子童子たち〜
  薮内佐斗司(やぶうちさとし) 作品展
 「万事上向き。福招き」薮内先生が作る様々な「神の子童子」たちは古仏像の修復の経験に基づく確かな技術を駆使し、日本人古来の美意識を表現いたします。1953年生まれ。1978年東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。……」
とあった。
 そして、「雲坂童子」ブロンズと「楽観坊」銅版画のはがき。そのようなことから、上の説明板にある「上向き童子」と「お天道さん」と「うさぎ」「かえる」が同じ作者の作品であることがわかった。また、府中にある蓮の童子も、会場のパンフレットから薮内佐斗司氏の作品とわかった。


川崎街道

 聖蹟桜ヶ丘駅の西口を出て、左(南)に50メートルほど行くと、交番があります。下の写真です。後ろに見えるのが、聖蹟桜ヶ丘駅です。右の自転車が置いてある上の部分に、駅名が書いてあるのですが、おわかりでしょうか。




 とくにいま、この交番を問題としているのではありません。しかし、私はその前を通るときに、いつも何となく上の部分が「顔に似ている」ような気がするのですが、気のせいでしょうか。別に、後ろめたいことがあるわけではありませんが、……。
 ついでながら、下記は鎌倉街道の関戸橋南にあるマンションです。やはり、私には何となくドアの部分が「つり上がった目」のような感じを受けるのです。いかがなものでしょうか?




 話を戻して、交番の前には「希望」という銅像。




 交番と反対側のU道路に歯の形をした鉢があった。セブンイレブンの隣ぐらいである。




 聖蹟桜ヶ丘駅から、東のほうへちょっと足を伸ばすと、素晴らしい公園があります。
 きょうは、久々に行ってみようと思い、川崎街道を東に向かいました。つまり、川崎方面に向かって歩いて行くのです。すると、右側の建物の前に、見事な「鶴の置物」がありました。




 そして、鶴の置物の隣にヨーロッパ調のお店。VITAにあるスターバックというコーヒー店などもそうだが、こんな感じの店が増えてきた。




 そのマンションのフロントには、奇妙な像。南方の未開の種族の守護神ではないか?




 大きな自動車販売店があります。




 さらに、しばらく行くと鎌倉街道と交差をします。下の写真で、100メートルくらい先の信号(赤になっているのが、わかる人は目が抜群にいいかも?)のところが鎌倉街道。右(南)が町田方面。左(北)が府中方面です。標識からも、おわかりでしょう?



 なお、この交差点の手前で聖蹟桜ヶ丘駅から道の両側に続いていたマロニエの並木道は終わりです。マロニエは「ベニバナトチノキ」とも言って、春に素晴らしい花が咲きます。下の写真は、そのマロニエの花です。




 下のベニバナトチノキの説明をご覧ください。




向ノ岡大橋

 向ノ岡大橋です。10年くらい前にできました。それまでは、そこに橋はなく少し南にある行幸橋(みゆきばし)を回っていかなければなりませんでした。今でも路線バスは、そのように走っています。
 この橋の下は、沼沢地(しょうたくち)で葦(よし)が生えていました。大水が出たときの調整池にもなっていたようです。しかし、いつのまにか10棟もある大きなマンションになってしまって、跡形もありません。私は、大好きなところでしたので、ちょっと残念に思いました。




 下は、向ノ岡大橋を新大栗橋から見たところ。




 この地区には、すでに沼沢地などあまりないようです。
 尾根幹線を相模原に向かって行くと、「沼」というバス停があります。昔、大きな沼があったようですが、やはり今は住宅地になっています。また、鎌倉街道沿いの瓜生緑地となっているところにも、整地される前には大きな沼がありました。

 ついでに、ロシア映画『スタフ王の野蛮な狩(かり)』というのがあります。そこには「ヤリヌイの沼沢地」というのあって、若い学者が伝説や民話を調査に行くのです。そして、旧習のはびこった地域の館(やかた)の女主人にまつわる秘密を調べていくというストーリでした。


 向ノ岡大橋の下は、公園になっています。




 下の写真は、旧川崎街道が左折しているのに対し、真っ直ぐに沼沢地をまたいで、聖蹟桜ヶ丘駅方面に進みます。つまり、左折すると対鴎荘の前を通って御幸橋、そして右折してふたたび戻るのでした。切り通しにして新しく道路を作ったために、古くある道路は高い位置に残ってしまったために、ご覧のような橋になっています。先ほど述べた路線バスは、ここを左折するのです。




旧川崎街道・御幸橋

 向ノ岡大橋ができる前は、ちょっと遠回りをしなければなりませんでした。だいぶ南にある御幸橋を渡ったからです。この写真は西を見たところ。少し行くと鎌倉街道。




 バイパスができる前の旧川崎街道。春日神社の歩道橋から写す。左の大木のあるところが、春日神社。つまり、川崎方面(東)を見ている。




野猿街道

 野猿街道と川崎街道が、交差をする場所。野猿街道は、右(南)・野猿峠方面から、左(北)・国立インター方面へ。川崎街道は、向こう(東)・川崎方面から、手前(西)・高幡不動尊方面へ。少し行った左側(北)に聖蹟桜ヶ丘駅。




清水渓緑地

 短い川ですが、大谷戸川が流れています。昔の面影を残す小さな公園になっています。




 この階段を下りたところの下に見える小屋。




 その公園の中で、川の対岸は削られて下のように渓谷の景観を残しています。「等々力の渓谷」と同じように、渓谷というほどのものではないかもしれませんが、……



 しかし、現在は水がまったくなく、干上がっています。水があるときは、向こうの亭(ちん)、つまり四阿(あずまや)のところで暗渠になって、先ほどの公園まで流れています。



 でも、両岸に宅地が増えたために、河床は道路に使っています。低い位置なので不便、そこでご覧のようなステップをあちこちにしつらえています。




 しばらく行くと、川は暗渠になったらしく、わからなくなりました。
 途中、春日神社がありました。気温が高いのと、その神社の位置が高いので、何となく登るのが億劫になってやめてしまいました。ふと、宇宙から帰還した飛行士が数段のステップさえエレベータで上り下りするのを思い出しました。宇宙空間に行かなくても、ちょっと身体に異変があると、重力の抵抗が大きく感じるようになるのでしょう。
 「山車堂」は、もしかしたら「だしどう」と読むのかもしれません。




大谷戸公園

 馬引沢北公園ともいうのだろうか。市の地図には、そうあった。もしかしたら、古い地名なのかもしれない。この地図には、大谷戸公園(多摩市)となっている。
 大谷戸公園と連光寺公園と桜ヶ丘公園は、どこが管理をしているかが異なっても、実際は地続きである。下の地図を見ていただければ、おわかりになるだろう。私は、その管轄をあまり気にしていないのではあるが、当事者はそうでないらしい。下の地図のタイトルの最初の二文字「都立」を見ていただきたい。図の文字に対して、大きすぎるのではないか。何となく、セクショナリズムが現れているみたい。それはともかく、ここでは記述の便宜上それぞれの公園に分けて、レポートをしましょう。




 先ほどの大谷戸川の上流に当たります。公園の北端にあって、ここで池尻になっています。そして、清水渓緑地までは暗渠(あんきょ)です。私は、今までにこの池にコサギなどが飛来しているのを、何回か見たことがあります。




 下図は、広場です。ご覧のように誰もいません。日時計を見たら、12時前を指していました。そこで、近くの時計塔を見たら、11時50分です。日時計と言っても、かなり正確なものですね。
 私は、すでに20年以上も腕時計を持ったことがありません。したがって、「腹時計」ではありませんが、自分自身のいわゆる「ベルグソン時間」によって、一日をコントロールしています。そのほうが、健康にもよいし、安心立命できるように思えるからです。




 キャンプ場というか、そのための練習場があります。しかし、きょうは誰も利用する人がいないようです。




桜ヶ丘公園・聖蹟記念館

 都立の公園です。しかし、私にとっては都で管理していても、市で管理していてもかまわない。今のところ、どちらもある程度の管理が行き届いているみたい。頂上の野原であるが、やはり誰もいない。




 この道は、「どんぐりの道」と言って、右(東)がなだらかな坂の大きな広場になっている。しかし、きょうは暑いためか誰もいなかった。




 この公園一帯でバードウオッチングできる鳥。




 桜ヶ丘公園の上にも橋がある。聖ヶ丘橋である。実に巧みに地形を利用しているかがわかる。




 その上から見ると。公園の南の端から、北を見たところ。




 聖蹟記念館。内部には、明治天皇の記念資料などが展示されている。




 その説明。




 また、下のような聖蹟記念館の説明が、パルテノン多摩の展示室にあった。




 下の写真は、五賢堂である。五人の賢者を奉ってあるという。その五人とは、誰だかおわかりでしょうか? 私は、中野の井上哲学堂にある五賢堂と、同じ人たちだと思うのですが、……




 かなり大きな石に、明治天皇の「御製」と昭憲皇太后の「御歌」が記されている。




 その御製と御歌の説明板。




 「記念館前」バス停で降りて、聖蹟記念館に向かう道の左側に石碑。「明治天皇御野立所 海軍大将 末次信正 謹書」と書いてあります。私は、末次さんのご子息とクラスが一緒だったことがあります。西荻窪に住んでおられ、確か末次信二さんだったと思います。




 明治天皇の石碑。聖蹟記念館の裏にありました。




 旧川崎街道の春日神社西側のわずかな土地に立てられています。桜ヶ丘公園の中ではありません。




 記念館口から、西を臨む。ほぼ中央に、てっぺんだけが見えている建物は、私が住んでいるノッポ(超高層)ビル。おわかりになるでしょうか? おわかりにならなくても、かまいません。




 上のアングルで見た山々です。きょうは、ちょっと遠方が霞んでいたので、はっきりは見えませんでした。




満蒙開拓団記念碑

 戦前に「満蒙開拓団」としてご苦労をなさり、亡くなった人たちの記念碑です。




 私は、満州で生まれましたが早く本国に戻ったので、「抑留者」や「引き揚げ者」にはならず、幸福でした。でも、ここを通るたびに奉られている方々に対して、礼拝をするために「拓魂」と書かれている碑の前に額ずく(ぬかずく)と、思わず身が引き締まる思いがします。




 「拓魂」の文字をはっきりと読めるように、もっと大きくしてみましょう。上の写真とは、別な日に撮ったものですが。




 なお、下のようなコメント文がありました。




連光寺公園

 なかなか落ち着いた雰囲気の市立公園。都立公園と隣接している。連光寺にあるから、「連光寺公園」というらしい。しかし、多摩市には、もはや現在は「連光寺」という寺がない。かつてあったのかもしれないが、私は知らない。そういうことは、よくあることだ。例えば、吉祥寺にも「吉祥寺」という寺がないようだ。
 聖蹟桜ヶ丘駅から連光寺回りの永山駅行きバスで、東部団地入口で下りて、少し戻れば公園の入口がある。なお、左側(東)は米軍レクリエーションセンター。




 晩秋に行けば、落ち葉がいっぱい。




 歩道も、なかなか落ち着いた雰囲気。




 この斜面を降りたら、都立桜ヶ丘公園。




米軍レクリエーションセンター

 川崎街道に面した稲城市立病院の隣に入り口がある米軍の施設が、多摩市側からも入れます。
 元の日本陸軍施設を米軍が接収をして、今日に至っているのです。




 いちおう、下のような看板が出ています。看板の隣に石灯籠が置いてあるのが、何となく偽善めいているのではないでしょうか。




 入り口には、下のような警告が出ていました。内部には、軍用犬がいるので部外者は入らないほうがよいでしょう。この看板が、以前はどうであったか存じません。しかし、調布の関東村の周囲にあった看板にはやはり上に英語、そして下に日本語で、
  「この柵の内部に入った場合、射殺する」
と書いてあったのを覚えています。私が、まだ中学生のころです。




 この土地の前進、つまり敗戦になる前には下に説明があるような軍事施設でした。なお、現在も面影を留めている戦車道路については別のページで示しましょう。




ゆうひの丘

 見晴らしがよい。かつて、明治天皇が行幸をしたところか。


神南せせらぎ通り周辺

 おそらく、かつては農業用水だったのでしょう。ここから、先(下流・聖蹟桜ヶ丘駅方面)は暗渠(あんきょ)になっています。




 小野神社に向かって、せせらぎは住宅街を通って民家の前を流れます。




 かつて、多摩川の渡しがあったところ。祈念碑が建っています。




 上の写真の前にある説明版(真ん中)です。一ノ宮渡しに関する情報よりも、むしろ小野神社について書かれています。




 下の標識に、「神奈川県庁」と書かれているのがおわかりでしょうか。ただし、「県」と「庁」は古い字体です。




 上の標識の由来。かつて、多摩市が神奈川県であったことがわかります。




 上の「鳥居戸」にある二本の大きな欅(けやき)。いまだに健在です。




 上の写真の欅の向こうに、チラッと見える家。近くで見ると下の写真。屋根に山がある。富士山にしたら、どうだろうか。もしかしたら、すでに富士山かも? 家の主人は、5枚前の「一ノ宮渡し」の右端に写っている人らしい。今度、思い切って聞いてみよう。




 この山のある家の前の家は、改造をして「船形の家」になった。土地が鋭角の三角になっているので、必然的にこのようなデザインになったのでしょう。




 前から見ると、よりいっそう船の形をしていることがわかります。




いまだにある湧水と水田と果樹園

 多摩市にもいまだに湧水があります。下の写真は、東電学園下の小道に湧き出している湧水。




 また、わずかですが水田も残っています。下の写真は、一ノ宮一丁目の京王線の北側。夏には水が満々としていたのだが、現在はない。もはや、回りのほとんどが宅地開発されてしまったので、やがてこの水田もなくなるだろう。(2007年11月12日現在)




 多摩市和田にある果樹園。東を望んだところ。遠くにある背の高い建物に、私は住んでいる部屋があります。したがって、私のところからもここが見えるのですが、小さくなってしまうので望遠鏡を使わないとはっきりせんのです。




廃屋

 聖蹟桜ヶ丘駅周辺にも廃屋があります。川崎街道沿いの数件が、廃屋のまま。建築計画中なのでしょうか。




Kuroda Kouta (2007.08.20/2011.12.23)