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  中河原駅周辺



はじめに
中河原駅 場所
西向庚申塔
法音寺
府中おともだち幼稚園
おそろいの家と消防団
お寺のない墓
府中わかば幼稚園
八幡神社
南町交番付近
大国と養魚場
正光院
小野神社
用水路
間嶋神社
御嶽神社
鳥二羽
京王線の西側沿い
多摩川左岸
馬の銅像
多摩川に沿って
堤防を上流へ向かって(関戸橋まで)
かつての線路跡
中河原公園
関戸橋北詰バス停
おまけ(NECの工場)


はじめに

 中河原駅は、聖蹟桜ヶ丘駅から京王線上りで一駅。下り一駅の百草園とともに、よく行く。たいがい、往き片道は電車。帰りは聖蹟桜ヶ丘駅まで歩く。かつては、往復とも歩いた。しかし、最近になって何となく疲れちゃうので、片道は電車を利用することが多い。


中河原駅 場所

 中河原駅は、高架になっている。手前の大きな通りは、鎌倉街道。駅の下をくぐると、多摩・町田方面。逆に戻ると甲州街道。さらに、行くと府中病院のほうに続く。




 反対側。つまり、駅の東前から。右に見える歩道橋の下に鎌倉街道。




 さらに、上の位置から北へバックして、駅を遠景で見る。この左側(東)に「西向庚申塔」。




 南から見た中河原駅。鎌倉街道の上をすべてホームに使っている。




 意外に小さい入り口もある。しかし、中は広々。




 中河原駅上りホームから、下り電車を写す。




 中河原駅から上り・府中方向に少し行った踏切から。坂の上に駅がある感じ。向こうにしばらく走ると、多摩川を越えて聖蹟桜ヶ丘駅。特急や準特急、そして急行や快速、つまり各駅停車でない電車はすべて停まらずに、通過をする。




 ついでながら、同じ場所から反対方向を写す。つまり、府中方面。かなり大きなカーブであることが、改めてわかる。




西向庚申塔

 ご覧のように、駅前のLIFEデパートに隣接して建っている。




 その由来。




 額。




 西向庚申塔のご本体。




法音寺

 駅のすぐ北、鎌倉街道沿いに神秀山法音寺。この入り口は鎌倉街道の新道ができるまえから、旧道側(東)にあったらしい。隣に、幼稚園を経営しているみたい。




 本堂の額。




 本堂は開いていて、女の人が右に座っている。そして、次々と出てくる白装束の人に挨拶をしている。何となくおっかないので、その白装束の人たちやお坊さまの写真を撮らなかった。




 しかし、そのグループはあわただしくバスに乗っていた。そして、そのバスの前面に「多摩八十八ヶ所巡り」と書いてあることがわかった。通りは、鎌倉街道(新道)。向こうには、大きな医療機関がある。




 バスに乗ってしまったので、もはや安心。そこで、パチリ。それぞれに棒をもっていて、ちょっといかめしいいでたちだった。




府中おともだち幼稚園

 法音寺の近くに、「府中おともだち幼稚園」がある。榎本正明氏が園長をして、経営をなさっている。




おそろいの家と消防団

 中河原駅から北東に歩いて5分ほどのところに、おそろいの家が建った。地番は、「府中市住吉町一丁目8」である。手前にあった古い建物も取り壊されて、大きな空き地になっている。駐車場になっていないところを見ると、おそらく家が建つのであろう。




 いままで農家や畑であったところが、次々と密集した宅地になる。そんなことも見込んでかどうかわからないが、消防団の建物が増えている。シャッターには、「府中市消防団第15分団 火の用心」と書いてある。同じく、「府中市美好町一丁目24」である。右にある旗は消防に関係がなく、地元のサッカーのPRである。




お寺のない墓

 この地域には、お寺のない墓がいくつかある。つまり、あちこちの寺院や石材店が分散して管理をしているようだ。昔は墓らしい場所であったが、今では民家の中に取り残されてしまった感じ。住吉町一丁目65の辺り。




 上の写真で、左手前にある墓。「空家之墓」とは、いったいどういうことなのだろうか。




 墓の中央には、お地蔵さま。




 「南洋」という文字がある。裏に回って見ると、「故海軍上等水兵……メレホン島に於て戦死ス」とあった。




 この人には、「航海」という文字が含まれている。やはり、海軍の人であった。




府中わかば幼稚園

 裏(北側)の入り口。




 表(南側)の入り口。




八幡神社

 かつて、砂利運搬鉄道の集配所らしい。そんな面影が残っている。左にある碑には、「大東亜戦争戦没者」十六人の名が刻まれている。




 本殿。東向きに建っている。




 本殿の左側にある不動堂。




 不動堂の額。




 神社の境内にあった「語らい」。




 「語らい」の右手。向こうに府中わかば幼稚園が見える。




南町交番付近

 交番の手前から、南を写す。先方は、都営住宅。右手前は、トイレ。




 警視庁府中警察署南町交番。




 交番の通りむかえにある公園。右から二本目の柱に、「南町交番前公園」。




 交番の二軒左隣にある看板。




 さらに駅方面に行くと、府中市中河原郵便局。




大国と養魚場

 かつて、大国という料亭があった。しかし、今は「エステート大国」と「中銀府中大国マンション」になってしまった。




 何回も前を自動車で通ったが、てっきり料亭の生簀(いけす)と思っていた。その養魚場は、今でも健在。(2008年5月現在) しかし、やがて取り壊されるのではないか。




 中央に見える看板をズームアップで撮ると。養魚場であるが、ホームページで活魚の販売をしているらしい。「一尾からOK」と書いてある。




 水の循環が、大きなポイントらしい。




 下のようなポンプが使われていた。昔も、似たり寄ったりだったと思う。




正光院

 鎌倉街道を北に歩いて、中央高速を超えたところ。西側。右の石柱には、「小野学校発祥之地」。左には、「真言宗豊山派正光院」。




 本堂。




 本堂の右側(西)に、慈眼閣。




 慈眼閣の額。




 慈眼閣の内陣。




 慈眼閣の柱にあるご詠歌。




 境内には、仏さま。




 そして、観音さま。




小野神社

 中央高速沿いに少し西へ歩いて、南にくぐると小野神社。左の石柱には、「延喜式内郷社 小野神社 多摩郡八座内」とある。(「喜」という字は、下に点が四つある古い字。朱熹の「熹」である) 多摩市にも小野神社があるが、もしかしたら関係があるのかもしれない。




 小さいながらも本殿。




 額は縦書きの大判。黒門の千社札も見える。




 奥の院。




 境内には、倉庫。




 中を覗くと、神輿(みこし)と大太鼓。




用水路

 つい最近までは水田だったから、水路が発達しています。府中市住吉町三丁目67の辺りです。民家の間を清らかな水が流れています。




 もはや田でなく、畑になってしまいました。そして、宅地になるのは時間の問題でしょう。そんな水路にもアメリカザリガニがいました。そこで、ズームアップで撮ってみたのです。




 じっと見ていると、はさみを上げて威嚇してきました。しかし、しばらくすると安心をしたようです。私は、「蟷螂の斧」(とうろうのおの)という言葉を思い出したのです。「アメリカザリガニの鋏」でも、同じことでしょう。しかし、格言ができるころには、アメリカザリガニがカマキリほど中国では知られていなかったのかもしれません。




 四谷町一丁目29の辺りまで、まだ水路が残っています。しかも、パラレルで二つも。おそらく、その先にそれぞれ別の人の田があったのでしょう。




間嶋神社

 「間嶋」は「まじま」でなく、どうやら「あいじま」と読むらしい。




 本殿。




 本殿を覗くと。




 奥に小さな祠(ほこら)があった。




 石橋供養塔もある。




 間嶋に関する説明文。




御嶽神社

 中河原駅のすぐ近くです。境内には、住吉会館もあります。




 本殿。




 ちょっと読みにくいですが、由緒が書いてあります。




 境内には、「中河原」の説明文も。




鳥二羽

 西友からセブンイレブンへ抜ける道の喫茶アンセルモの隣に鳥がいました。むろん、短い綱でつながれています。いずれも猛禽類ですから、ちょっと怖い感じ。




 フクロウかコノハズクの一種でしょうか。昼間は、目がよく見えないようです。




京王線の西側沿い

 京王線の西側には、あまり行ったことがありません。電車から見て、知っているのです。「東京地図研究社」というのも、見慣れた建物。私は、グーグルをはじめとして地図には興味がありますから、そこで実際に何をしているかを聞こうかなと考えました。しかし、気後れがして訪問しませんでした。




 東京地図研究社の先に行くと、多摩川の手前に公園。




 そして、多摩川に出ます。電車の下が低いので、その部分を掘って道を下げてあります。




 堤防へ出ると、川の向こうは多摩市の聖蹟桜ヶ丘。左のノッポビルは、私の部屋のある建物。多摩川の左岸から南を写しました。




多摩川左岸

 ふつう、京王線の鉄橋から関戸橋まで多摩川の左岸を歩き、そこから関戸橋を渡って、右岸を聖蹟桜ヶ丘駅まで帰ります。まず、堤防の左(北側)にキューピー。




 残念なことに、私の大好きなマークが柱の影。そこで、望遠モードでもう一枚。




 次に、左に緑のある公園。中には、小さいながら池もある。




 そして、立正の府中教会。




 右の看板に何やら書いてあるので、これも望遠でパチリ。




 「是政・昭島コース」という立て札があった。これは、接写で。△のあるところにいる。




 そして、NEC中河原技術センター。堤防からは大きくて入らないので、関戸橋の中央から撮った。欄干が写っているのは、そのため。




 ついでにそこから、つまり関戸橋の中央から多摩川の上流。京王線が走っている。




 多摩川の下流。正面に見える煙突は、稲城のゴミ焼却場。




 橋を渡りきって反対側(対岸=右岸)の堤防から見ると。左から、キューピー・公園・立正・NECと並んでいるのがおわかりでしょう。




 さらにおまけとして、下の写真は上の眺めのさらに下流部分。ただし、かなり以前の写真。いちばん左側に、ほんのちょっとチラリと関戸橋。その橋の横(東)が、ボーリング場とモランボン食堂だった。そのビルは、すでに建て替えられた。その隣から都営住宅。そして、民間のマンション。下の写真は、2005年ころ多摩川の右岸から関戸橋下流を見たところ。
 ついでながら眼と想像力の検査。この画面のほぼ中央の流域にある草の向こうに、ダイサギが一羽いるのがおわかりでしょうか。




馬の銅像

 ここで、馬の写真。どうやら、銅像らしい。都営住宅(府中南町アパート)の中にあった。柵の外は、民間の住宅街。なお、右にある小さい青いカバンは、私のものです。




 何とも見事なので、アングルを変えて、もう一枚。




多摩川に沿って

 多摩川に沿って、かつての路線跡を歩いてみましょう。「郷土の森」の西端あたりから、「かつての線路跡」のあたりまでです。府中市南町東部公会堂。西向きに建っています。左側が、かつての線路跡。現在は、遊歩道。




 西に向かって、左側にケナフの畑があります。




 かつては、砂利採掘の操車場が近く、複線であったのでしょう。道も、そうなっています。




 府中市心身障害者福祉センターです。「きずな」という名称が付いています。




 「きずな」の前を左(南)に曲がって、多摩川に向かいましょう。工場が二つあります。最初(北側)がオリエンタル建設。もはや、ここでは稼動していないみたい。




 次が、興建産業。ここは、活動をしているみたい。




 多摩川のちょっと手前を西に行く遊歩道。ここも、かつての路線跡らしい。やはり、複線だったみたい。その面影が、何となく残っている。考えてみると砂利採集事業は、かなり大きな産業であったらしい。多摩川で、砂利の採取が全面的に禁止になる以前では。




 長い椅子があったが、誰も座らないみたい。




 カバの石像も、草に埋もれてしまった。むしろ、自然の風景に近いようだ。




堤防を上流へ向かって(関戸橋まで)

 カバのところから多摩川の左岸堤防に出てしまって、上流に向かって歩くことが多い。その堤防からの風景をいくつか。ちょっと後ろ(下流・東)に、読売新聞。おそらく印刷工場なのであろう。




 郵便局を右に見て、さらに行くと都営アパート。なお、郵便局の眺めは、「かつての線路跡」に示しておきましょう。




 橋を渡るのであるが交差点が何となく危ないので、私はいったん橋をくぐる。つまり、左の道。




 すると、橋の下。左は古いほうで、町田方面の二車線。右は新しい橋で府中方面の二車線。そして歩道は、右側(上流側)の橋の下から見て右(西)に一本だけ。なお、この橋の下には、ホームレスの人の小屋がある。




 橋をくぐって、右の階段を上がる。




 やがて上流側の端の袂(たもと)に出る。歩いてきたほうを振り返ると。つまり、橋の下流側には歩道がないので上の道を来ると、この交差点を「コの字形」に三回も渡らなければならない。左右が鎌倉街道で、道幅も広く大型車が多いので、歩いて渡るのが何となくおっかない。




かつての線路跡

 かつて砂利採取の運搬用に用いていた線路は、廃線になって取り外され現在は遊歩道。それでも、昔の面影が残っている。左側に都営「府中南町アパート」が建っているが、この木々に右側(南)の通路は、線路だったと思う。




 廃線道の左側に、郵便局の「東京多摩局」。郵便物や貨物の大きな中継局で、反対側(北)の多摩川沿いに車両の出入り口がある。




 その「東京多摩局」を多摩川の左岸堤防から見た威容。建物は集配中継所だから、右(東)のほうに広がっている。赤いマークが、何ともでっかく素晴らしい。




 府中市立住吉小学校。門を固く閉じ、ガードマンまで配置。学校における犯罪が、かなり増えたためであろう。




 入れないので、外から撮った。したがって、タイトルがわからない。




中河原公園

 関戸橋の北側に、中河原公園。




 中は、意外に広々としている。うろ覚えではあるが、かつて砂利の採集が行われていて、この場所に貨物列車の終点があったのではないか。私が、まだ小学生だったころには、小さなヤードになっていたような気がする。




 かわいいブロンズの像があった。




関戸橋北詰バス停

 中河原公園を出たところに、聖蹟桜ヶ丘駅行きのバスストップ。しかし、私はかつて一度も利用したことがない。また、今後も利用することがないであろう。なぜならば、……




 裏に回って時間表を見ると、一日にたった一本。しかも、土曜日は運休。まったく、運行本数の少ない路線である。




おまけ(NECの工場)

 分倍河原駅を鎌倉街道に沿って、北に2キロメートルくらい行ったところにNECの大きな工場。下の写真は、その入り口。また、多摩川の畔(ほとり)には、NEC中河原技術センターがある。




Kuroda Kouta (2007.12.07/2016.02.11)