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  百草園駅周辺



はじめに
百草園駅 場所
東邦歯科医療専門学校
多摩ドライビングスクール
川崎街道の三つの食堂
日野わかくさ幼稚園
真照寺
大宮神社
大宮神社の瓦十二支

七生丘陵散策路東コース
京王百草園
百草神社
百草観音
五百歳の欅
御林山公園
神明神社
線路の北側を聖蹟桜ヶ丘駅まで戻るコース
川きらり十二支
十二支


はじめに

 聖蹟桜ヶ丘駅から北野・八王子方面に向かって、各駅停車の一つ目、百草園駅を降りる。そして、川崎街道を越えて坂を南に上ったところに、百草園という小さな庭園。それでも梅林があって、梅の季節には駅に特急を停めたりして、かなり賑わう。ただ、そこまでの行き方にはいろいろある。
 以前は、往復ともに歩いた。一駅間は、何のことはなかったのである。しかし、最近になって少なくとも片道は、電車やバスを利用する。何となく体力が衰えて、長い距離を歩くと膝が痛くなったり、疲れてしまうからである。


百草園駅 場所

 駅は地下になっているので、その入り口階段があるだけ。すぐ北に「Fuji」というスーパーがあって、その前にバス停がある。




 上の写真で右端に見えるのが、バス停。なお、左端には外から入るトイレがある。




 バス停で待っていると、横の立木にメジロがいた。(2010年2月5日、金曜日)




東邦歯科医療専門学校

 百草園駅のすぐ西、川崎街道に面して東邦歯科医療専門学校。




多摩ドライビングスクール

 百草園駅の北側には、多摩ドライビングスクール。




川崎街道の三つの食堂

 川崎街道を歩いていくときのこと。野猿街道とクロスして、しばらく行くと右側(北)に下のような小屋。明らかに牛のデザインだが、いったい何を意味するもので、何に使うのであろうか。




 さらに川崎街道を西に進むと赤と黒と黄色のユニークな三つの食堂がある。いつも「入りたい」という誘惑を感じるのであるが、手術をしてからは変わったものを食べると体調を崩す心配があるので、散策の途中で外食ができなくなってしまった。
 それはともかく、まず赤いイタリア風のお店。私は、ここを通るといつも

    趣味の植物(木や花など)

にある「カカオノキ」を思い出す。
 単に色が似ているだけのものを連想してしまうのは、食いいじがきたないのであろうか。




 この店も、魅力的。しかし、入ったことはない。中華そばが、今どき290円とは驚き。




 すし屋のようであるが、黄色とはどうも。ライスカレー屋なら、ともかく。




日野わかくさ幼稚園

 川崎街道沿いに、日野わかくさ幼稚園。もしかしたら、経営は真照寺でしょうか。




真照寺

 聖蹟桜ヶ丘駅から百草園駅に向かって、川崎街道を歩いていくと左側に真照寺がある。
 行った日には、山門の前に幼稚園のバスがぴったり止まっていて、写真が取れない。
 それで、まず縁起を見ていただこう。




 これも、垣根の上から撮ったので、アングルに全部入れられなかった。さらに、バックすると石垣から落ちてしまう。まず、最初のタイトルは「清谷山真照寺縁起」と少し大きめな文字であった。そして、最後の「設立し」の後は

  <地域の幼児教育の一翼を荷っている。
  なお、墓所には源義経の重臣四天王の一人
  佐藤忠信の墓もある。
                      合掌>

とあった。
 しばらくして、「七福神の恵比寿」について調べるために行ったとき(2008年1月24日、木曜日)には、すでに上記の縁起は下記のものに立て替えられていた。




 また、バスも置いてなかったので上の縁起にある山門を示しておこう。




 山門を入って、左側に観音さま。




 左側からお姿を撮すと。




 「七福神の恵比寿」については、ここをクリックしてください。。
 それでは、本堂。




 本堂の山号ではなく寺号の札。額に入っていないで、大きな木に直接彫ってある。文字の色が、何となく素敵ではないか。




 内部を覗くと、椅子が並べてある。私は、幼いころにお寺で正座をして、足が痺(しび)れた記憶が何回となくある。




 本堂の横にある玄関。左側が本堂で、右側が住宅になっている。右側の壁には、呼び鈴が付いている。また、左にある掲示には、「七福神を参拝する人には、その朱印を渡す」というようなことが書かれていた。




 観音堂。額の下、左にある札には
  <きよらなる みずにだいじの かげすみて みのつみとがを あらふおちかわ>
とひらがなで書いてあった。




 おそらく、「みのつみとが」は「身の罪・咎」であろう。また、「あらふおちかわ」は付近を流れていた落川の水で洗うことを意味しているのではないか。「落川」という地番は、今でも残っている。




 境内には、聖徳太子の碑がいくつかあった。下は、その一つ。




 裏山のほうから、水が流れてきている。




 その裏山に大きな墓地ができるという。しかし、この真照寺の墓地ではないらしい。




大宮神社

 川崎街道を西に進み、百草園駅の手前左に入ったところに大宮神社があります。




 初めて上ったのですが、上の鳥居のところから40段、ちょっと平地が続いて24段、すると中の門があって、十二支の瓦がありました。そして、さらに35段、合計99段を上がると本殿。




 途中にあった中の門の十二支瓦。三枚だけを示しておきましょう。
 すべての十二支については、「瓦十二支」をご覧ください。




 最初の40段プラス24段です。写真は、降りるときに上から下に向かって階段を写しました。




 中の門から頂上まで。35段。




大宮神社の瓦十二支



七生丘陵散策路東コース

 大宮神社の横から、七生丘陵散策路東コースが始まります。




 入ってすぐに急な階段。たまたまおばあさんが上っていました。上がりきったところに、民家があるからです。




 続いて林道。




京王百草園

 七生丘陵散策路東コースの階段と林道を行くと、京王電機が経営している百草園。
 2007年12月5日(水曜日)のお昼ごろは、なぜか入れない。休業日だったのかもしれません。




 そこで、裏口に回ってみた。かつては、裏口から入れたから。




 数年前と異なって、しっかりした塀が作られていて、やはり閉門。
 しかたがないので、中を覗いてパチリ。「取らぬ狸」や「サワーグレープス」ではないが、中にはとくに見るものがなかったと思う。少なくとも、前回に来たときは。




 下の坂は、百草園の入口を左(南)に向かった道。この道をえっちらこっちらと歩いて、少々息切れて上ってきたことが今までは多かった。変哲もない道ではあるが、私にとっては「いつか来た道」なのである。




 2008年2月14日(木曜日)、梅の季節になったので行ってみた。むろん、入り口は開いている。




 百草園内部の地図。




 百草園の故事来歴。




 百草園の野鳥。




 裏門も開いていて神社を参拝した後で、ふたたび入れる。




 中に入ったところから、庭を写す。




 中央にある母屋(おもや)。




 日野方面(北方向)の眺め。




 若山牧水の歌碑。




 牧水に関する説明。




百草神社

 百草園の南に百草神社がある。道から眺めた本殿。




 その階段を上がって振り返ってみると、かなりの急坂であることがわかる。




 本堂の前にあるシイノキ。




 そのシイノキについての説明。




 そして、本殿。




 本殿の額。




 本殿の裏にあるいわゆる「奥の院」。




 別殿に阿弥陀如来が鎮座まします。しかし、見れないので建物を示す。




 上の写真の右側にある説明文。




百草観音

 百草園の前の通りを南に下っていくと、下のような標識があった。
 「武相九番百草観音札所」とあって、右に「初井山」、左に「松連寺」。しかし、無人の社(やしろ)であるようだ。どうやって、お札をもらうのであろうか。
 「武相」は「むそう」と読むのだろうか、あるいは「ぶそう」であろうか。おそらく、「武蔵」と「相州」の地域ということではないか。




 上の図の坂を上ると、小さい本堂。




 その説明。




 そこで、本堂の中を覗くいてみたが、本当にましますのか。
 左端の剥落したお像は、上の文からその観音様ではないようだ。ご本尊は、この堂の中の堂に入っておられる様子。しかし、その前には一枚の写真が置かれていて、見えない。その写真は、この堂の内部を写したもののようではあるが、いったいその意味は、何のこったい。




五百歳の欅

 宝蔵橋から日野団地へ抜ける小道に大きな欅(ケヤキ)の木があった。日野市百草671であるが、現在は多摩市のミニバスが走っている。




 そして、その前に立っている札には、……。




御林山公園

 「おはやしやまこうえん」と読みます。ちょっとわかりにくい場所。帝京大学の北に接している「おふろの王様」からさらに北250メートルくらいの位置。地番で言うと、「日野市百草1042」。なお、百草という名称は多摩市にもあるので、間違わないようにしてください。




 左にある立て札には、下のような説明。




 階段を上がってみると、とくに何もなかった。




神明神社

 百草園駅の東北に少し行ったところ、線路際に小さな神明神社があります。多摩ドライビングスクールを過ぎたところです。




 本殿の額は、周囲に龍の彫刻が施された見事なものです。参拝の祝詞も貼ってあって親切。




 本殿と言っても一つしかありませんが、その右側の木です。何となく、顔に見えます。むろん、個人差がありますから、ある人には見えても別の人には見えないことがあります。かつて、人面鯉というのがありました。鯉を前面から見ると、何となく顔に見えるのです。怨念でも宿っていて、平家蟹などの類でしょうか。




 外側の道から見えるところに、由来の石碑がありました。




線路の北側を聖蹟桜ヶ丘駅まで戻るコース

 神明神社のところを通って、線路の北側を歩くのもよいコースです。
 途中で、野猿街道を越えて、真明寺のあたりで日野市から多摩市に入ります。
 野猿街道の東側にあった子・丑・寅。




 その説明。「川きらり輝き 今ときめきの多摩地域の さらなる発展と共に……」というような格調の高い文章で始まっています。「川きらり輝き」という表現は、なかなか斬新だと思います。私は。
 なお、各十二支の像は「川きらり十二支」にあります。




 野猿街道を越えても、子持ちの祠(ほこら)がありました。まだ、近所に新築の家屋があるものの、昔の水田があった面影を残しています。また、田の用水だった小川が残って流れています。

 


 次第に、アパートが多くなります。特急の停まる聖蹟桜ヶ丘駅から、歩いて10分ほどのところだからでしょう。地番は、「多摩市一ノ宮一丁目」。一例として示した下の写真には、「清和コーポB」と書いてあります。おそらく、「A」や「C」もあるのでしょう。そして、さらに多くあるかもしれません。




Kuroda Kouta (2007.12.05/2011.09.25)