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  狭間駅周辺



はじめに
狭間駅 場所
コロポックルと模型の家
十二社
興福寺
駅前の東西通り
町田街道
北野街道
明神橋
御霊神社
浄泉寺
つつみの池公園
竹残った
寶泉禅寺
新開橋
たくさんのたぬき


はじめに

 狭間(はざま)は、「迫間」とか単に「間」とも書いて「物と物との間にある隙間(すきま)」のこと。したがって、「谷」や「谷間」。また、「生死の狭間」などのように、場所でなく時間も言う。
 ついでながら、愛知県豊明市に、「桶狭間」(おけはざま)という地名がある。そこで起こった「桶狭間の戦い」は永禄3年(1560年)に、桶狭間に陣取った今川義元を織田信長が奇襲した戦いで、信長の天下統一の基礎となった。


狭間駅 場所

 南側にしか改札口がありません。しかし、駅前は開けています。




コロポックルと模型の家

 狭間駅には北口がないので、めじろ台駅方面から十二社と興福寺に行ってみた。初回のときに、行けなかったからである。坂の途中には、「ころぽっくる」という建物があった。入り口の表札には、「東京都認定短期入所施設」。私は、「po」でなく「bo」と記憶していて、確かアイヌの神さま。宇野浩二の作品に『蕗の下の神さま』では、コロボックンクルとなっている。
 なお、後ろに見える小山の上に十二社がある。




 坂を少し下ると「森のお店」。看板から考えると、おそらく同じNPO法人の経営だろう。




 すこし行って、十二社のほうに左折すると、メルヘンチックなお宅があった。東浅川町の千葉さんのお宅である。お留守だったから、無断でパチリ。




 この素晴らしいお城を見てください。私は、その精巧さに驚いてしまった。




十二社

 山の上にあるので、登るのが一苦労。




 八月の初めの暑い日だったので、この階段にはがっくり。そこで、回り道をした。




 本殿




 そのいわれ




 境内に祀られている稲荷大明神




興福寺

 右の石柱には、曹洞宗聚林山興福寺




 本堂と手前左の山門




 本堂の額。




 山門の額。




 上の部分に、仏足がうっすらと見える。




 池の回りに、稲荷大明神など。




 七地蔵




駅前の東西通り

 駅から南に歩くと、すぐにイトーヨーカドーのある大きな通りに突き当たります。北野街道の一本北の道路です。そこを右(西)に歩くと、左側(南側)に大きな民家。




 その隣(西)には、「狭間東公園」。




 そして、JANOMEの工場。




 駅前の東西通りの反対側、つまり北側にも大きな建物。まず、洋服の青山。「世界No.1」とは書いてあるが、権限のない店長を管理職として酷使して残業なしの扱いにしたため、訴訟を起こされて支払いを命じられたようだ。




 スリーボンドという建物。メーカーらしいが、垂れ幕に「祝 北京オリンピック470級セーリング競技日本代表 松永鉄也・上野太郎」とある。セーリングとは、何をするのだろうか。




 スバル。工場でなく何となくオフィスみたい。




 フォルクスワーゲン。そして、この通りを突き当たって南北に町田街道。左(南)へ行けば町田。右(北)は、国道20号(甲州街道)。




町田街道

 町田街道を南に向かうと、左側(東)にサトウ製薬。向こうに見えるのは、「公社八王子狭間住宅」。




 工場内にある社(やしろ)。




 館町交差点。ここから北野街道が東に向かって始まる。なお、写真が傾いているように見えるが、実際にかなり急な坂になっている。




北野街道

 北野街道の西側起点から、東に向かってみましょう。町田街道との角に、何となく教会風の建物。




 北野街道から北を見たところ。向こうのマンションのさらに北が、狭間駅の見当。お百姓は、農地を南北にもっていることが多いので、このように残っているところもある。




 北野街道に面して教会があるが、入り口は非常に狭い。狭き門で、自動車が一台やっと。




 中に入ると、駐車スペースもあった。




 駅の付近は道などが整備されて高層が建っているが、北野街道付近はまだまだ。




 ずっと東に行って、寶泉寺別院の向かい側(南)にあった大木。やがて、間もなく切られてしまうであろう。




明神橋

 湯殿川に古い小さい橋がかかっています。間もなく、しっかりした大きな橋になるでしょう。




 明神橋の少し上流。小さな滝になっています。




 滝のところで大きく曲がっています。そこは、すでに工事済み。魚が溯上できるようになっています。




 明神橋から見た下流の工事状況。だいぶ出来上がっています。




御霊神社

 八王子市館町1271に御霊神社があります。北野街道と湯殿川の南です。




 鳥居に掲げられている石の額。




 本殿。




 本殿の額。




 御霊神社の由緒。




 境内にあった力石。大210kg(56x) 中130kg(32x) 小70kg(18.5x)。おそらく、「x」のところは、「貫」という文字が入るのでしょう。




 中の板に、「御神木舎」とある。そして、「樹齢200年余である。社務所西部に当たる場所に生育していたために伐採、記念として祀る。(2002年3月)」。




 そのご神木のアップ。




 神楽殿。




 神輿殿。「神輿」は、「みこし」と読む。




浄泉寺

 釈尊山浄泉寺。由緒のある寺のようです。右側は、民家。




 門から登って、右側(西)に寺。




 本堂。藤棚が美しい季節です。(2008年4月30日、水曜日)




 本堂の額。右から左に、「釈尊山」。




 格子の隙間から内陣を覗くと。




 浄泉寺の歴史。




 近代的な造りの観音堂。




 墓地に立つ観音さま。蓮の台(うてな)のすぐ前に遠方の金色の塔が見えます。高尾駅南にあるみころも霊園の慰霊塔です。




つつみの池公園

 浄泉寺の裏(東)の道を越えたところに、「つつみの池公園」があります。かつて池だったところが、現在は調整池になっていました。したがって、水はほとんどありません。なお、先方に見える建物は翔陽高校です。




 その下流側(北東)。運動広場になりました。川はすでに暗渠になっています。




 東側の森を抜ける「木漏れ日」の道がありました。次回のときには、行って見たいと思います。




竹残った

 北野街道からイトーヨーカドーのほうへ上がる坂道の左側。竹の切り株が、密集して残っている。上のほうから開発・分譲をしてきたので、整地をする間がなかったのだろうか。また、竹は根が深いので除くための莫大な費用を省いたのかもしれない。




寶泉禅寺

 入り口には、左側に民家があったりして、何となく狭くなっています。また、後方(北)の高台には、マンションが建ったりして景観が悪くなってしまいました。




 それでも、本堂は落ち着いた佇(たたず)まい。




 本堂の額。「薬王山」でしょうか。




 内陣を覗くと。




 近代的な釈迦堂もありました。




 本堂の裏には池があって、墓地のほうへ上がっていけます。




新開橋

 湯殿川の新開橋。上流は、まだ工事が始まったばかり。右岸(左側)は、未着手の部分。




 下流は、いちおう工事完了。




たくさんのたぬき

 新開橋のそばにある有限会社斉藤工務店さん。狸(たぬき)の置物がいっぱい。湯殿川の左岸を歩いていたら、見られている感じ。よく見ると。




 そこで、ぐるっと回ってみると、いっぱいのたぬき。




 階段にまで。千歳烏山にも常福寺という狸がいっぱいのところがあったが、ここほどではない。




Kuroda Kouta (2008.04.30/2010.04.04)