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  新句(十九音) 作品集19(2009年1月分)



生きている証明の他(た)に、老化予防も。


この「新句」(十九音)は、いわゆる「生きている証明」なのです。
日々、自分が生存しているということの証明を「十九音」でしようと考えました。しかし、同時に「老化予防」の一環としても、大いに利用できるでしょう。

なぜならば、文章を作るということは、それなりに脳の活性化につながるからです。他愛のない幼稚な表現ですが、それでも語数が制約されるということは短詩形としての約束で、考慮をしなければなりません。

しかし、いわゆる文学作品ではないので、あまり芸術性に留意をする必要がないのです。気楽に作れるということが、この新句(十九音)の大きな特徴でしょう。俳句や短歌のような古くからの伝統がありませんので、それぞれが思い思いに作風を確立していくことができるのではないでしょうか。
よろしくお願いします。


寝る時間、少ないときに脳は冴えない。


脳は、ものすごくエネルギーを消費する器官らしい。その疲労を回復させるのは睡眠。したがって、寝不足であると機能にダメージを受ける。まったく、不思議な器官である。

『アラビアンナイト』のシンドバードの冒険に、恐ろしい海坊主というのが出てくる。それは老人の形をしていて、人間の肩の上に乗ってしまい、その人の一生を支配しようとする。

脳は生まれながらに、その人を死ぬまで支配する。むろん脳自体も、成長をしていく。もしかしたら、人間の脳は人間に寄生したエイリアンかもしれない。
脳をもたない水母(くらげ)などは、脳には支配されないで長閑(のどか)な一生を送るのではないか。


電車から、ちらっと見える異次元の木々?


京王線の聖蹟桜ヶ丘駅から上り電車、多摩川鉄橋を渡る前に左側の窓から「龍神の木」が見える。とくに冬場は、幹に藁(わら)が巻いてあるので、独特な風貌になって印象的。

また、下り電車に乗ると百草園駅の手前の右側にある神社に「人面瘤」のある樹があって、ちらっと見える。

いずれの木も、私(rik)には「異次元の木」という印象を与える。
龍神の木はカイコウズであるが、藁を巻くと何となく手足があって、恐ろしい怪人のような感じになる。その姿は、「木の変容」でご覧いただけます。
また、人面樹も同じ「木の変容」の「人面瘤(じんめんこぶ)のケヤキ」にありますので、お確かめください。


やほてんのさんはいおえてゆうすいをいく。


会津八一(あいづ やいち 1881〜1956)は、ひらがなばかりで短歌を読んだ。美術史学者であり、歌人で書家だった人。新潟県の生まれで、号は秋艸道人(しゅうそうどうじん)など。早大の教授でもあった。

しかし、センスのない私(rik)がその真似をすると、落語ではないが古今集の「ちはやぶる神世もきかず竜田川から紅に水くくるとは」になってしまう。

すなわち。
「やほてん」は野暮天じゃないよ。谷保天つまり谷保天満宮。「さんはい」は、むろん参拝。「ゆうすい」は湧水から注ぎ出た小川。
その水の流れに添って田園の中を下っていくと、日電府中工場のところに出る。なかなか趣きのあるパストラル風のコースである。


「テンペスト」ケンプで聴けり、鍵盤うさぎ。


鍵盤うさぎのピアノ練習プログ」というのがある。
そこには、ウイルヘルム=ケンプの弾いたベートーヴェンのピアノソナタ第17番「テンペスト」の動画があった。久々に聴いて、とてもなつかしい。私(rik)が学生時代、と言ってもすでに50年以上も昔、同級生の上方仁さんがSP盤のベートーヴェン ピアノソナタ全集をもっていて、よく大宮前のお宅で聴いた。
他にも、ケンプの「作品14の2」(月光)や「熱情」などを覚えている。

分厚い全集のケースには、ケンプの端正な顔があったのを思い出す。しかし、私は実際のケンプを見たことがない。それでも鍵盤うさぎさんの動画で、時を隔てて何となくなつかしい思いがしたのである。

後に「作品14の2」は、その思い出を『嬰ハ短調の曲』に仕上げた。


知っている? 京王線の単線区間。


あなたは、京王線の単線区間をご存知でしょうか?
高尾線の高尾駅から高尾山口駅間、そして動物公園線の高幡不動駅から多摩動物公園駅、そのいずれもの一駅区間が単線です。

動物公園線は、いつも利用しています。多摩動物公園はむろんですが、高幡不動駅が最寄の日野市立高幡図書館に行くときも、多摩動物公園駅で下車するときがあるほどです。そして、程久保川に沿って歩くのです。
聖蹟桜ヶ丘駅から高幡不動駅が120円、そして高幡不動駅から多摩動物公園駅が120円、しかし聖蹟桜ヶ丘駅から多摩動物公園駅まで行くと、何と130円。それに、高幡不動駅で乗り換えなしに行く直通電車も何本かあります。

それはともかく、川に沿い下って歩くのは、何とも気持ちのいいものですね。


原因が、よくわからない不思議な病気。


ここのところ、どうも体調がよくない、気分が優れないなどという人が周囲に増えてきた。高齢者福祉センターなどへ行くと、そのような話題が多い。

実は、私(rik)も身体のホメオスタシスが失調してしまうことがよくある。もしかしたら、血液の中に多量のパラサイトが入ったのかもしれない。
日和見菌や腸内細菌などは、ふつう何ら問題を起こさないが、中には増えてしまって身体をアウトにしてしまう菌もいるようだ。

保健所で検査をして、エイズや肝炎は大丈夫だったが、クラミジアや緑膿菌・溶連菌などが発見された。おそらく、検査対象になっていないクリプトコッカスや歯周菌なども、私の血液中にいるのかもしれない。
パラサイトが血液中に増えてしまうと、次第に身体が衰えて、やがて死を招くという。何とかしなければならない。


一匹の蝿(ハエ)にも、菌が一万以上。


小さな一匹の蝿にも、一万以上もの細菌(パラサイト)が寄生しているという。驚くことは、その蝿が平気で飛び回ったりしていることだ。

私たちの人体の中はどうであろうか? とくに、細胞や血管の中に寄生するパラサイトには問題があるようだ。私(rik)の場合で言えば、クラミジア・トキソプラズマ・クリプトコッカス・緑膿菌・歯周菌、その他などなど。
例えば、クラミジア(Chlamydia)は微生物であるが、ウイルスとリケッチアの両方に似た性質をもっている。宿主に寄生し、インターフェロンの産生を阻害する。さらにそこには、トラコーマやオウム病の病原体などが含まれていて、尿道炎・副睾丸炎・前立腺炎などを起こす。
アメリカでは、トキソプラズマに6000万人が感染しているらしい。

そんなことを考えると、人間(脳)はすでに乗っ取られているのではないか? と、私は思うのだが、……。


「人体の不思議展」見て、驚くばかり。


川崎駅前のルフロン四階のミュージアムで、「人体の不思議展」を見た。
ふつう見えない身体の中が、実物を加工した標本で見られるようにしてある。まさしく、身体を未知なるミクロコスモスとして捕らえて、わかりやすく展示をしていた。驚くばかりである。

ただ、欲を言えば前身を巡る血管の標本である。四肢の動脈の先端にある毛細血管のところで、ぶち切れていた。実際には、その先にあるグロミュー(静動脈吻合枝)の部分と、再び心臓に戻る静脈の構造を知りたかったのだが、果たせなかった。

また、脳が身体全体を支配している脊髄・神経系なども標本にはなかった。身体全体の小宇宙としてのつながりではなく、個としての器官の理解にとどまっているようにも思う。そんなわけで、ちょっと私(rik)は残念であった。


ベランダに洗濯物を干すことやめた。


自動乾燥機の付いているタイプの洗濯機を新調して、物干し竿に衣類を干すことをやめた。なぜならば、ベランダに来るハトの糞にいるクリプトコッカスを恐れたからである。

クリプトコッカスは、粉塵になって舞い、それが人体に入る。やがて、血液の中に入って脳を侵すという。子供たちに、かなりの被害が出ている。おそらく、その菌は人体内でも高いところに向かう性質があるのだろう。

ハト対策には、CDのキラキラ面を吊るしてみたが効果がない。アスベストやダイオキシン、環境ホルモンなどは生き物ではないが、クリプトコッカス、クラミジア、緑膿菌などは生物であるから、滅菌をしなければならない。だから、思い切って消毒もできる熱風乾燥機が付いている洗濯機に、とうとう交換したわけである。


銀杏(ぎんなん)を炊き込んだ飯(いい)、なつかしき味。


妻が掃除をしている会社の秘書さんから、銀杏を2カップほどいただいた。お母上が送ってくださったそうだ。そこで、大匙(おおさじ)3杯ほどを二合の飯に炊き込む。すると、とてもおいしい。さらに、なつかしい味がする。

まだ、私(rik)が小学生に上がる前、母が作ってくれたことを思い出す。鎌倉の扇が谷に住んでいたころのことだ。鶴岡八幡宮の境内で、拾ったことも覚えている。そこには、別当公暁の大銀杏(オオイチョウ)もあった。

飯は、「めし」と読んでもよいが「いい」のほうがいいと思う。『万葉集』の巻二挽歌(一四一)にある有間皇子の短歌
<家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る>が「いい」と読んでいるからである。
秘書さん、そしてお母上は、いつもお元気に健康であらせられますように。


自分には関係のないこと、無関心!


テレビのニュースなどを見ていると、「よくもまあ」と言った内容のことが多い。それがニュースたるゆえんかもしれないが、驚いてしまう。
いったい、ニュースになるソースが何もない日など、ないのだろうか。
例えば、「今日はお伝えすることがないので、自然の映像と楽しい音楽などをどうぞ!」などということがない。
新聞なども同じで、毎号すべて紙面を埋め尽くしている。

つまり、現代は情報過多の時代になっているらしい。
そんなわけで、一人ひとりが情報の選択をしないと、情報に押し流されてしまうだろう。あまり自分には関係のないことに対して、無関心をよそおうことなども、ときには必要になってくるのではないか。

知ってもしかたのないことなどに次々と興味をもつのは、意味のないことかもしれない。そんなことを私(rik)は大いに反省した。


タブララサ、したくもありて老いは進みぬ。


まったく困ったことである。どうも、体力が弱くなってしまったみたい。
タブララサ(tabula rasa)はラテン語で、「何も書いていない書き板」の意味。それをロックが、認識論で「生まれながらの人間の心は、白紙のようになっている」と言った。

ロック(John Locke 1632〜1704)はイギリスの哲学者であり、政治思想家。『人間悟性論』は、近代認識論の基礎となった。政治思想としては人民主権を説いて、名誉革命を代弁した。
その結果、アメリカ独立やフランス革命に影響を与えたといわれる。

脳は白紙の状態に、次々と書き込んでいくのだろう。「教育」などという知識をはじめとして、無秩序にとめどもなく情報が入って、やがて老いてくる。
私(rik)は、もう一度クリアをして、白紙の状態に戻りたい。


高齢になると、よくある尿のトラブル!


どうしても加齢とともに、オシッコのトラブルが生じるようだ。男女で、国内に800万人以上もいるという。
まず、トイレが近くなる。つまり、急にオシッコがしたくなって、我慢ができない。そして、お漏らしなどをしてしまう。また、笑ったときやお腹(なか)に力を入れたときに、漏れてしまったりする。
日々の生活には、何とも困ったことだ。

最近になって「過活動膀胱」という症状が命名された。もしかしたら、病名かもしれない。急に尿意をもよおしたり、トイレが近くなったりする。とくに、夜間に数回もオシッコをする。さらに、尿漏れをおこしてしまう。

その原因は、脳と膀胱との間の神経トラブルから来るらしい。女性の場合には、加齢だけでなく出産から骨盤底筋が弱くなったために起こるともいう。
一度、泌尿器科を尋ねる必要があるかもしれない。


高齢になると、よくある膝(ひざ)の損傷!


高齢になると、多くの人が膝に問題を生じてしまうようだ。
最初は、立ち上がるときや歩き始めに、膝が少し痛む程度。それが次第に、歩くと痛くなってしまう。正座や階段の昇り降りが困難になる。さらに進むと、足がO脚(おおきゃく)に変形したり、自力で歩行できなくなり、車椅子に頼らなくてはならなくなる。

原因は、関節軟骨の老化によるものらしい。また、外傷や肥満、遺伝性のこともある。太った人は、体重を減らすと楽になることが多い。

「変形性膝関節症」という病名のことが多いが、大腿骨と脛骨の間に問題が起こる。半月板や滑膜がなくなって、骨棘(こつきょく)ができてしまうらしい。
歩くときに負荷を減らす努力をするとともに、太らないようにしたり、膝を冷やさないようにして、自分の膝を大事に長持ちさせる配慮が必要。


「あけおめことよろ」、いったい何の言葉か?


このお正月には、とくにする必要なことがなかった。
そこで、プログの勉強をするために、ランダムに1000ほどを見た。すると、「あけおめことよろ」というタイトルのが何と50くらいあった。
誰か有名人が言った言葉をことごとく真似したのではないか。つまり、「あけまして、おめでとうございます。ことしも、よろしく。」の省略形らしい。

言葉は、文法などへのこだわりもなく、はやってしまうみたい。
「ミスタードーナッツ」を「ミスド」というのはよいにしても、単に「携帯」などという略語は、命名に軽率のそしりを免れない。また、文語体の「ちなみに」などという言葉が会話で頻繁に出てくるのも、何となく無教養の感じを否めない。

フランスのようにアカデミーが認めた言葉以外は、正しい言葉ではないとする習慣にしたほうがよいのかもしれない。


わたくしの凧は見る間に、見えなくなりぬ。


三十年以上も前に、自作をした飛行機凧(ひこうきだこ)。
今も多摩川の河川敷で、風のちょっと強い日に揚げてみる。目の健康にも、よいらしい。するすると上がって、500メートルくらい糸を繰り出したところで、ふっとかき消えて、見えなくなる。澄んだ青空でも、せいぜい700メートル。

糸は、やはりそのころに買ったオリンピック社製の釣り用リール式糸巻きに、細いナイロン製釣り糸を約1000メートルほど付けてある。飛行機凧は、立体凧の一種であって揚力が小さいので、細い糸でも大丈夫。50メートルごとに糸の色が変わり、繰り出した長さがわかるようになっている。

100メートルくらいでは、ほとんど真上に来る。しかし、さらに上がると45度くらいに糸が下がってくる。私(rik)は、ちょっと強い風のときに、青空の中に凧がフッとかき消える瞬間、いつも感動をする。


意外にも、コーヒー・緑茶が血圧上げる。


個人差があるので、一概には言えないかもしれない。しかし、私(rik)と妻の場合、コーヒーや緑茶を飲むと血圧が上がる。血圧は、毎日というよりも時々刻々変っている。ちょっと値段が高かったが十年ほど前に、腕を通すタイプの病院や健康会館などに置いてある血圧計を購入して、自宅でも日に数回は計る。そして、いろいろなことがわかった。

その中の一つ。
コーヒーは、かつてはインスタントでない無農薬のものを自分で沸かしたが、最近はスターバックで飲む。3分で行けるし、とてもおいしいからだ。
緑茶は、色素の入っていない農林大臣賞を受賞した薮田三郎さんの作った足柄茶で、100グラム1000円のものである。

コーヒーも緑茶も香りが高くておいしいが、他の健康問題にはベターであろう茶が、私たちの場合は血圧を上げてしまうので、控えめにしている。


キリキリと頭が痛いときには注意!


最近になって、何故かキリキリと頭が痛むときがある。だから、何となく心配。私(rik)は、まだ人事不省になったことがないが、多くの人が倒れている。
とくに、後頭部が引っ張られるような痛さを感じた多くの知人が、くも膜出血で倒れた。そして、その後あっけなく亡くなっている。

頭には、脳がある。
この脳が私(rik)には、なかなかの曲者(くせもの)のような気がしてならない。人間の身体には、多くの血管がある。むろん、脳の内部には細い毛細血管があるだろう。そこが詰まってしまうのではないか。

血管が詰まるのは、梗塞という。脳が詰まれば、脳梗塞。心臓が詰まれば、心筋梗塞である。いずれも、身体にダメージが大きいので、要注意!


既視感を覚える場所に、しばし佇(たたず)む。


道を歩いていて、ふと既視感を覚えることがある。
既視感は、フランス語でデジャビュ。実際は、自分が以前に一度も経験したことのないことを、いつかどこかですでに経験したことであるかのように感じられることを言う。

もしかしたら、遺伝子の中に組み込まれている情報が、そのような感覚を脳にもたらすのかもしれない。私も道を歩いているときに、しばしばそんな懐かしさを伴う感覚におそわれることがある。

自分が実際に行ったことがなくても、母親が過去に体験していたなどということがあるそうだ。『徒然草』にも、既視感の記述がある。
また、「いつか見た絵」「いつか聞いた音楽(旋律)」などという感覚が生じることも多い。


いたずらに、ただ詰めるばかりが能じゃない!


ホームページでも、実際の自分自身の記憶でも、興味にまかせて次々と追加していく。その結果、どんどん大きくなっていくが、何となく雑然とした体系になって、ガラクタ趣味のようになっちゃう。

また、どこに何があるかもわかりにくくなってくる。
ホームページのほうは、最初ホームページ ビルダーの内部にサイトを構成して、そこで検索をしていた。しかし、1ギガバイトくらいになると数分かかって、実用的ではない。そこで、グーグルのドメイン検索を利用する。

グーグルは、かつて自分自身で作った索引用キーワードなどを必要とせず、つまりテキストの全検索をする手数などがなくなって、素晴らしい効果である。マップなどを含めてグーグルさん、ありがとう!
そんなわけで未完成の状態でも、自分自身の記憶もホームページに含めてしまうんだ。


毎年のごとくに思う、年賀の不思議。


ここのところ、私は毎年のように除夜の鐘を撞いて、年賀に行く。しかしそうかと言って、とくに信心があるというわけではない。
除夜の鐘は、近くの観蔵院。ここの鐘は、音色がよい。十二時半ごろから撞けるし、枡酒と甘酒の振るまいがある。また、鐘を撞く数も百八でなくてよい。参拝者全員が撞ける。かがり火も焚いているので、あまり寒くない。ちゃんとトイレもある。

初詣は、やはり近くにある小野神社。御祭神は、天之下春命・瀬織津比塔m大神・伊弉諾尊・素盞嗚尊・大己貴大神・瓊々杵尊・彦火火出見尊・倉稲魂命など数柱の記述がある。しかし、参拝者は私と妻、そして数人しかいない。ここ数年であるが、毎年のごとく参拝者は少ない。

歴史があり、菊のご紋もいただいていて、延喜式内の格式がある大きな神社なのに、賑わいをなさないのが不思議でもある。


愚かなることも、知らずに追求をする。


何かをしていて、ふと気付くことがある。いったい何のために、このようなことをしているのか。そして、「すでに寝ている」という話を思い出す。それは、かつて聞いた落語の枕(まくら)にあった。

与太郎が、長屋でごろごろとして寝ている。そこへ、大家(おおや)がやってきて注意をする。「いい若い者が、そんなことをしていてはダメ。働きなさい!」
与太郎は、言う。「働くと、どうなるんですか?」
大家 「働くと、お金が入る。」
与太郎 「お金が入ると、どうなるんですか?」
大家 「お金が入ると、働かなくてもよい。寝て過ごせるんだ。」
与太郎 「すでに寝ている!」

こんな話は、よくあることだ。サン=テグジュペリ・内藤洗訳『星の王子さま』の中にもあったと思う。


物忘れ、多くなったら食べもの注意!


物忘れや度忘れが多くなったら、日々の食べものにも注意をしてください。
食べもの自体というか、それに添加された化学薬品です。また、調味料などの中に含まれている化学薬品も気をつけなければなりません。

現代人は、かつてないほど多量の化学薬品を食べているからです。個々の薬品については、安全性のテストなどをラットで行っているようですが、多くの化学薬品を摂取すると、互いに作用をして脳にダメージを与えるのではないでしょうか。

有吉佐和子『複合汚染』のようなことが、体内で起こっていても決して不思議ではないからです。それは今までになかった現象なので、なかなか解決できません。さらに、化学薬品症候群を参考にしてください。


人生の先輩たちが、次々と逝く。


ここのところ、いろいろと学んだ人生の先輩、つまり私より年上の方々が次々と亡くなっている。とくに秋から冬期には多い。
今度お目にかかったときに教えてもらおうなどと考えていた矢先に、突然に訃報に接したりする。

なかには、本人から「昨日死んだ」などと電話をいただいて、何のことかわからなかった人がいる。しかし、すぐに彼のご長男が電話をしているということに気付く。あまりにも声が似ているので、最初は不思議に思ったりする。

ご家族の方に、彼が生前にもっておられた「健康」に関する手記やメモをいただきたいとお願いしたら、すでに処分をしてしまったなどということもある。
死んでしまったら、お互いにすべてが終わりなのだろうか。


体温を保持することが難しくなる。


入院・手術、そして通院を繰り返しているうちに、身体のホメオスタシスが狂ってしまったのだろうか。いろいろと不都合なことが生じがち。その一つに冬場の体温保持がある。

かつては、真冬でも薄着。寒いと感じることは、あまりなかった。しかし、最近はどうであろう。18℃くらいの部屋にいても、すぐに身体全体が寒くなってくる。したがって、20℃を下ると暖房のお世話。あまり厚着をすると、身体が凝ってしまうからだ。

ヒポクラテスは、「秋口から冬場に向かって脂肪分を摂れ」と書き残している。したがって、私(rik)は鶏(とり)や魚ではなく、油肉が適当に付いている吉野家の豚丼を食べる。しかし、そんなことをしても、体温が保持できないのは、なぜだろうか。やはり加齢が、問題なのか。


糖尿は三年かかり、血圧五年。


ここのところ、何となく体調がよくない。もしかしたら入院をしたときに、多量なパラサイトが体内に入ってしまったためかもしれない。身体のホメオスタシスが、すぐに失調しやすくなってしまった。

しかし、糖尿病と高血圧は何となく治ってしまったみたい。
上記の入院・手術とは別に、自己治療の努力をしてみた。つまり、ともに食事療法である。長い間に陥った糖尿病や高血圧などは、薬で治すのではなく、やはり長期間かけて食事で直すべきと考えたからだ。

足掛け五年かけて、何とか糖尿も出なくなったようだし、血圧も高血圧寸前の価まで戻ったみたい。どんな食べものがよいか、そしてどんな水がよいかも、何となくわかった。つまり、食べものはなるべく自然なもの、水は汚染されていない地下水を多量に飲むのがよいらしい。


何一つ不自由はなし? 貧しきながら。


情報が氾濫し、何でも満たされるような社会の中にあって、いちおう私は物質的には何とか満たされていると思う。なぜならば、欲を言えばキリがないということを知っているからである。

「知足」つまり「足るを知る」という言葉は、老子などの東洋の賢者ばかりか、ローマ皇帝マルクス=アウレリウスも言っている。私も、まったくその通りだと思う。
そんなことを追いかけていたら、人生は空しい結果に終わるであろう。

しかし、自分自身の健康についていえば不自由どころか、不満足だらけ。
一度「人間ドック」にでも入って、精密検査をする必要がありそう。
また、現実の「身体の問題」と「心の問題」の間には、かなりのギャップがあるのは、なぜだろうか。
何とかしなければならない。


身の回り、整理・整頓、実現しよう!


いつになっても、なかなか片付かない。いったい、どうしてだろうか。
少なくとも自分自身の身の回りは、何としてでもすっきりとしておきたい。

持ち物でも、もはや使わないものが多すぎる。おそらく、死ぬまで利用することはない品物、そして死んでも不必要なガラクタ。そんなものは、早めに整理をしてしまおう。

また、自分自身がグーグルの検索を利用するために、公開をしているホームページ、そしてブログ。考えてみれば、恥と無知の大公開だ。読み直してみるのも気が進まないほどの内容である。これも、何とかしなければならない。
とにかく「無」までいかないまでも、何とかして身の回りをすっきりとしたい今日この頃である。


争いをなるべく避ける日々のなりわい。


「生業」(なりわい)とも書くように、生きていくうえには利害関係が対立して、どうしても争いが生じてしまうらしい。また、宗教や政治などでも、考えが異なると争いが生じる。

そんなことを考えると、人間同士は困った問題をかかえているようだ。
イスラエルとパレスチナなども、古くからの関係を引きずっているのではないか。旧約聖書に出てくる、サムソンとデリラの時代から、すでに問題はあったようだ。つまり、サムソンはユダヤ人、デリラはペリシテ人であった。そして、ペリシテ人は現在のパレスチナ。三千年以上も互いにトラブルを継続してきたので、なかなか解決をしない。

私(rik)は最近になって、あまり人と付き合わないようにしている。本当は山にこもって、自給自足の生活をしたいところだが、そうもいかない。さらに、自分自身の中でも争いが生じない工夫を始めた。


目立つより隠れたほうが、ベターと思う。


多くの人が、「有名になりたい」「目立ちたい」と考える。さらにまた、「金持ちになりたい」などとも考えるようだ。しかし、それは脳のもたらす幻影で、虚栄心というものであろう。例えば、芥川龍之介の『杜子春』や宮沢賢治の『どんぐりと山猫』などを読んでも、何となく気持ちがわかる。

実際に有名になったり、金持ちになったことのない私(rik)が言っても、誰からも信頼されないだろう。しかし、ちょっと考えたら金持ちや有名人の煩わしさはわかる。

そこで、自分なりに『黒い革袋』なる小品にまとめてみた。そのことを忘れないように、自分に言い聞かせるためである。つまり、「自己福音書」。


Kuroda Kouta (2009.01.31/2009.01.31)