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  私の死生観


○死の準備
○死とは?


○死の準備

 どの道、生まれ来て避けられないのは死である。
 寿命には人夫々に、長短があるが、押しなべて一様に死ぬるのは間違いなく、人が覚悟しなければならない。私の場合、70歳までは非常に頑健で健康、そのものでした。
 72歳になり、前立腺癌に罹病した。其れまでは、風邪くらいの病気で、事実、医者から癌だと宣告された時は「ああ、之で俺の人生もお終い」かと感じた。然し、処置さえ早ければ、癌の中でも軽い癌だと知った。
 68歳で一切の仕事から解放され、気の緩みなのか? 其れまでの人生の疲れが、急に病気を呼び込んだのではないかと思った。

 定年を迎えた、一時期、信仰にも3年程熱中した事もある、余人とは逆に病気になり止めて仕舞った。
 キリスト教原理主義的な教派で、着いていけないのも止めた理由の一つでもある。考えれば生きているが何時、死が訪れるかも解からない。心の奥底で準備が作動したのかも、然し自分の神仏への考え方は? 立ち往生して、低迷している。

 むしろ、無心論者ではないか、無論、魂魄と言う様に、生物全体には、五感以外に第六感がり、良く勘の良い、見通しの優れた超能力的な人がいる、様に、摩訶不思議な現象に遭遇する、然し、之を神仏の働きとは考えたくない。

 テーマは準備の項目だから話を逸らせる訳ではないが、私は準備など考えた事がない。死の幻影には怯えているが、何時かは、やって来るだろう。「死」、誠に興味深い。


○死とは?


 rikさんは夜の眠りでもあると表現されたが、般若心経で説く「空」の世界が有るとすれば、時間がない空間へ魂が移転する、其れが心経の説く所なのか? 重病の病人が、魂だけが、三次元のこの世間から離脱して、己自身の伏せる姿、然も、死に直面している姿を眺めている話しを聞いた事があるが、死に切れないで、時間のない空間(宇宙の何処かに有る)へ移転できずに彷徨っているのであろう。

 「死」をその様に定義付けれるか? 私は解からない。
 確かに、植物であろうが、この世の森羅万象、全てには人間と意志の伝達が可能なのは、研究により、解明されている。

 そうして、生ある全てのものは世代交代を成しつつ、(死というプロセスを経過して)三次元の世界で存続し続けるのである、死後、魂魄は多次元の世界へ生まれ変わるのか? 誰も経験していないので、単なる想像として言うのであるが、広大な宇宙では星が死に、星が生まれる事を常時、繰り返している。

 人間の死も、同様なのではないか。宇宙には、暗黒物質が充満しているそうである。其れは、元素が構成していて人間も死を契機に元素に還元され、新星誕生に一役、買うのではないか?
 永遠に循環を繰り返し、死とは再生の1プロセスであろう。


(2007.10.26/2007.10.26)