祠(ほこら)2

 


 昔むかし、あるところに小さな祠(ほこら)があったそうな。
 その祠の扉は、いまだかつて誰の手によっても開(あ)けられたことがなかった。決して開けてはならぬという昔からの言い伝えがあったからじゃ。そのせいで、祠のなかに何が祀(まつ)られているのか知る者とてなかったが、それはさておき、村人(むらびと)たちはこの祠をおろそかにはしなかった。
 いつも祠を綺麗にし、花の時期など四季折々の節目には、祠の前に村人たちが集まっては、楽しい時を過ごしたりしたものじゃ。

 ある日のこと、村人のなかの一人の男が野良仕事に行く気がなくなり、一日ぐらいは休みたいと思うた。さりとて一家の亭主が自分だけが抜けるわけにもいかず、そこで腰が痛いと嘘をついた。
 ゆっくり休みな。みなでやるからと言うて男一人を残して家族全員が野良仕事へ出かけていったのじゃ。
 男はその日のんびりと寝て過ごした。なんとも気持のいい一日じゃった。
 次の日の朝、男はもう一度、前の日の気持のよさを味わいとうなった。
 「やっぱ、きょうも腰の工合(ぐあい)が悪うて……」
 あらぬかたに目をやりながら、ボソボソと語る男の言葉を、家族全員が疑うこともなく快く受入れてくれた。
 二日目の休みは、前日にもまして快適じゃった。家族には悪いと思うたが、日がな寝て暮らす心地よさは何物にも代えがたかった。
 三日目の朝、もはや抜きがたい怠(おこた)りの心が男の胸深く巣喰っておった。
 「悪いな。やっぱり腰が駄目じゃ」
 上眼(うわめ)づかいに家族の顔を窺いながら男がそう言ったとき、本当に男の腰が痛(いと)うなった。痛う痛うて、それは身じろぎひとつできぬ痛さじゃった。もうどうしようもなかった。
 男のために腰の痛みをとる薬草を貼ってやったあと、だいじにしろやと家族が口をそろえて言い、野良仕事に全員が出かけて行った。
 四日目、五日目、六日目。男は起きあがれなかった。
 働き手の亭主が何日も休んでいて、その仕事を肩代わりする家族一人一人の顔に、ようやく疲労の色が浮き出てきていたが、誰ひとり愚痴をこぼすことなく、腰痛の男をあたたかく見守り、介護してやるのだった。

 (申し訳ないことをした)
 男は家族に対して、限りない慙愧(ざんき)の念が湧(わ)いてくるのを覚えた。一日も早くこの腰痛を癒(なお)したい、そう思ったが、あせればあせるほど痛みはますばかりじゃった。嘘を重ねたために神さまの罰(ばち)が当たったのだと、激しい後悔の念に襲われた。
 七日目も起きあがれなかった。
 家族が出はらったあと、男は痛む腰に手を当てながら、必死の思いで寝床から這い出た。腰を曲げたまま這いずるようにして縁側から庭先へと出た。そしてうんうん唸りながら、やっとの思いで村はずれの祠の前まで行ったんじゃな。
 「神さん、赦(ゆる)してくだされ。わしの汚い心をお赦しくだされや」
 地面に伏したまま懸命に祈った。もう二度と嘘はつきませんと、必死で誓ったんじゃな。
 どれほどの時間、そうしていたのじゃろう。そうすると、どうじゃ。涼しい風がそよそよと吹いてきた。祠をおおう大木が広げる枝葉を通して吹いてくる風が、男の身体を通りぬけていくとともに、男の身体がふわっと軽うなったんじゃ。
 男はためしに立ち上がってみた。なんと、腰の痛みはまるで嘘のように消えておるではないか。
 「ありがとうございます。神様」
 男は大声を張りあげて感謝の言葉を述べ、何度も何度も祠に向かってお辞儀を繰り返した。それから、
 「これから、みなのところへ参ります。休んだ分も働きます」
 そう言って、飛び跳ねるようにして野良仕事に励んでいる家族のもとへと走って行ったんじゃ。

 それからというものは、男は二度と嘘をつくことはなかった。野良でも耕作にせっせと励み、日々働く喜びのなかに家族との暮らしを楽しんだそうな。
 男はまた、折をみては祠へと通った。祠の前の広場は、毎日のように子供たちの遊びの場になっておった。
 子供たちは風が吹けば風といっしょに舞い、花が咲けば花と戯れ、雨が降れば雨とともに、陽が照れば日差しのなかで遊んだ。子供たちの心は、いつも楽しさのなかにあった。
 だが子供たちばかりではなく、祠を訪れる大人たちの間でも、不思議なことが起きるようになっていた。日ごろ仲が悪く喧嘩している者同士が、祠の前では必ず仲直りして帰っていくのじゃった。祠の前では、ただの一度も諍(いさか)いが起こることがなかった。誰もがやさしい心を持てたのじゃな。

 時が流れた−−。
 世の中が開けていった。やがてこの村にも、さまざまな人や物が他所(よそ)から入りこんでくるようになった。そのせいで、村人の心も外へと対象が移っていき、村はずれの祠への関心もだんだんと薄れていったのじゃ。
 祠の扉を開(あ)けてはならぬという昔からの言い伝えも、しだいには村人たちの心のなかから消えていってしもうた。
 そして、とうとう扉が開けられる日がやってきた。祠のことを忘れてしまっていた村人たちも、この日ばかりは好奇心の擒(とりこ)になってやってきた。祠のなかにどんなものが祀られているか、関心をそそられたからじゃ。
 扉が開かれた。固唾(かたず)を呑んでいた村人の目に映ったのは、小さな石ころひとつじゃった。祠の床の上に、その小石はちんまりと坐(すわ)っておった。
 かすかな呟きと落胆の声が、村人たちの口からもれた。が、石は村人たちの反応にも黙ってちんまりと坐ったままじゃった。(H09.01.22)

(2005.10.12/2006.03.26)