春 の 雲


遠くより来たりしもののかたちして雲流れゆく春の日の空

 ある春の日の昼下がりです。
 青い空に雲が流れ、遠い連山までかすかに続いています。山頂に残った雪がところどころ鋭く輝きます。山から村のほうへ細々とうねった道が、まるで生き物のように下りてきます。
 その道が、村へ入ろうとして大きく曲がったところに、小さなお地蔵さまがぽつんと立っていました。
 よく見ると、お地蔵さまの前に10歳ぐらいの女の子が、しゃがんでいます。目に涙をいっぱい浮かべ、小さい掌(たなごころ)を合わせ、何かを一心にお祈りをしているようです。
 お地蔵さまの石の皿には、蓬(よもぎ)の葉にのせた小さいお団子が、3つおそなえしてありました。
 ちょうどそのときです。
 がんじょうな体つきの鋭い目をしたお坊さまが、じっと前方を見すえて山のほうから足早に歩いてきました。そのお坊さまは、山上の寺で3年間きびしい修行を続け、今日が満願の日だったのです。

 修行は、とても苦しい日々でした。
 自分で自分に言い聞かせ、不自由な生活の中で心を清浄に保つ訓練をするのです。心が清浄になれば、何事にも迷いがなくなり、幸福になるのです。
 そのようにして、お坊さまは人生の多くの問題を解決しました。
 ただ未解決の1つの疑問を別にすれば、心は平らかで、怒りもなく、ぐちも言いません。まして、物を欲しがる気持ちなどまったくないのです。そして、いよいよ自分が世の中に奉仕できると思うと、心は充足感で満たされ、体には自ずと力がわいてくるのでした。
 お坊さまは見るみるうちに、お地蔵さまと女の子のところに近づきました。女の子は一心にお祈りをしていましたから、お坊さまが立ち止まったのに気がつきません。
 お坊さまは、女の子にやさしく声をかけました。
 「女(め)の童(わらわ)よ、どうしたのですか」
 女の子は、びっくりして振り返りました。
 目が涙であふれ、髪が肩のところで大きく波うち、むせび泣いています。
 それでも、すぐに気をとりなおした様子で、お坊さまに向かい深くおじぎをしてからいいました。
 「おかあさんが死んでしまったの」
 女の子の大きな目から、また大つぶの涙が落ちました。

 その子は、この村の外れで母と二人で細々と暮らしていました。母が病気になっても、貧しくてお医者さまにもかかれず、また葬式も満足にできなかったのです。お坊さまは、しばらく黙祷をささげました。
 そして夢心地になり、数年にわたる苦しい修行を昨日まで続けた山の生活を思い出し、思わず嘆息するとともに感慨無量でした。3年という歳月は、長いようでもあり、また一瞬のようでもあります。
 やがて、お坊さまは女の子にやさしく言いました。
 「かわいそうに、それでは私が亡くなったおかあさんに、お経をさし上げましょう」
 女の子は、黙ってうなづきます。
 「母のふところを寝床となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情けをいのちとなす。母、飢えにあるときも、含めるを吐きて子に食らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて子に被らす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず、……
 なむ死捨無、有悟理厨無、浮露愚羅無」
 このように、お坊さまは長いお経を力強くとなえ終え、女の子を振り返ってやさしく、
 「これでおかあさんも成仏しました。さあ、お家へお帰り」
といいました。

 だいぶ斜めになった陽が、お坊さまの背に注いでいます。
 路傍に生えた雑草の緑が目にすがすがしく、どこまでも続いています。女の子はすっかり元気になり、お坊さまに心からお礼を申しました。
 そして、明るい声でお坊さまに尋ねました。
 「お坊さま、これからどこへ行かれるのですか?」
 このときです。お坊さまの日焼けをしたたくましい顔に、暗いかげりが一瞬よぎりました。女の子は、それをとても不思議に思いました。お坊さまは放心したように、あどけない子の顔をじっと見つめたままです。
 夕日を正面に受けた女の子の瞳には、自分の姿がそれはそれは小さく写っています。じっと見続けていると、深く吸い込まれていくような気がします。
 山中で苦しい修行を続け、人生のあらゆる問題を思索し、試行錯誤を何回も繰り返し、自問自答を続けてきましたが、ただ「人間はどこから来て、どこへ行くのか」という大切なことを、まだ解決できなかったのです。
 夕日を背にしたお坊さまの顔は暗く、反対に女の子の顔は明るく照り映えています。やがてお坊さまは、ふと我にかえりました。そして苦しそうに、
 「さようなら」
といい、また山の方へ戻って行きました。太陽はもう山にかくれ、山際が赤く光っています。
 女の子は、元気そうに村のほうへ走っていきました。

Kuroda Kouta (2003.10.15/2006.08.06)