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  新句(十九音) 作品集26(2009年8月分)



久々に歩いてみたり、せせらぎ緑道。


七月の末日、久々に長池のせせらぎ緑道を歩いてみた。五キロ弱のコースである。尾根幹線の歩道もせせらぎ緑道も、ほとんど誰も歩いてない。静かな散策ができる一時間少しの逍遥。家に帰ってからわかったことであるが、疲れは少しあったものの、以前のような膝の痛みはまったくない。

コースは、次のとおり。
聖蹟桜ヶ丘駅から、無料送迎バスで多摩市総合福祉センター。そこから尾根幹線の歩道を小田急車輌基地上の唐木田大橋を渡り、長池公園までゆるやかな上り坂。まず左手に大妻女子大。三菱銀行計算センター。そして、右手にヤマダ電機。長池公園出入口4から右手(北)に入る。長池里山クラブ炭焼き小屋。長池見附橋。せせらぎ緑道。日枝神社。京王堀之内駅。

駅前の三和スーパーでしばらく休息。そして、バスで聖蹟桜ヶ丘駅まで帰る。楽しい半日であった。


人生のおおかた終えて、後は死ぬだけ。


若かった時代は、とっくに過ぎて古希になる。つまり、人生のおおかたが過ぎてしまった。後に残った大事といえば、自分自身が死ぬことであろう。考えてみれば、今までの時間が「あっと言う間」に過ぎ去ってしまったみたい。

しかし、まだ死んだ経験がないので、死んだ後のことはわからない。だから、何となく心配のことがある。例えば、死後の生のこと。脳がすべてを感知するから、その脳が焼かれてしまったら、もはや考えることもできないし、判断をすることもできないという。それが、現代科学の常識であろう。

そうは言っても、何となく割り切れない感じがする。昔から言うように、魂という概念か、知覚や念だけが死後も残るという心配である。そして、よくいうように「死んでも死に切れない」などという葛藤の状態を恐れる。いったい、「こころ」とは何であろうか。


キリのないこと、ことごとく、ほどほどにする。


人生の持ち時間が、だいぶ少なくなってしまった。そこで、キリのないことをいつまでもダラダラしているわけにはいかない。なるべく、自分自身でも納得のいく内容にしておきたいからである。

しかし、何がキリがあってキリがないかの選択も大事。サラリーマン時代には、キリがあってもなくても、馬車馬(ばしゃうま)のごとく働いた。そして、あまり疲れも知らなかった。かなり疲れたときでも、翌日になると元に戻るのが常だった。

しかし、老いてくると疲れが取れない。ダラダラとキリのないことをしていると、気分までおかしくなる。例えば、テレビなどを三時間以上も見ていると、肩が凝ってくる。また、頭がギンギンしてきて、気分が優れない。そんなことから、あまり熱中してもいけないことがわかってきた。


老いてから、疲れがすぐに身体(からだ)に生ず。


若いころは、元気溌剌(げんきはつらつ)。いわゆる、「疲れ知らず」だった。それが、還暦を過ぎたころから事情が違ってきたようだ。何かをすると、すぐに疲れちゃうのだ。そして、続けるのが億劫(おっくう)というか、面倒になって投げ出す。

それでも、しばらくすると疲れがとれる。そこで、また始める。しかし、やはりすぐに疲れちゃう。そんな現実だから、困ったことだ。

何となく、古くなったバッテリーみたい。充電をすると、また使えるようになる。しかし、すぐにダメになる。しょっちゅう充電をしないと、役に立たない。そんなことがよくある。だから結局、バッテリー自体を新品に変えることになる。何となく、人間についてもいえることではないか。


何をするのも面倒な体調嘆く。


何をするのも面倒なときがある。体調が優れなく、何となく病気がちのとき。そんなときは、物憂くて身体がしんどい。つい、グチりがち。

しかし、もしかしたら体調の問題でないかもしれない。もっと本質的な原因、例えば加齢による自然現象などが考えられる。なぜならば、若いころにはなかった気分だからである。

いずれにしても、「面倒くさい!」とか「億劫だ!」などと言ったりするようになると要注意。言うだけでなく、感じたり考えてもダメ。老化という現象は、少しずつではあるが非可逆的に進んでいくらしい。いちばんいいのは、そんなことを考えないことではないか。面倒なときがあっても、グチったり体調を嘆いたりしなければよいのだろうか。


幾重にも折り重なって、さざ波進む。


私は、川の流れを見るのが好きだ。よく多摩川の岸辺に座って、流れを眺めている。『方丈記』の冒頭「行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも もと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とゞ)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。」などを考えながら。

ちょうど階段状になっている場所の上手が淀みになっていて、そこを過ぎると流れが速くなり、さざ波ができる。それを見ていると、いつまでも飽きない。

アオサギは警戒心が強いためか、あまり近くには来ない。しかし、コサギは流れの向こう側くらいまで近づいてくることがある。コイもいるが、水がきれいになってアユやハヤなども復活してきたのであろう。


突然にやってくるのが身体の不調。


若いときはともかく、高齢になると身体の不調がいつくるかわからない。と言うよりも、むしろ不調の状態のほうが多いのではないか。体力の衰えなどの軽い不調や歯周病による入れ歯くらいならよいが、脳梗塞・心筋梗塞・認知症・アルツハイマー病・ガンなどの心配もある。

それらは、助かっても今後の人生が一変してしまう。自分では何もできなくなって、看病や介護をする人が必要だからである。そして、家族の介護をする人まで含めて、今までの生活の変更を余儀なくされる。

それらの病気は、私自身の今までの生活を考えると、いつなっても不思議ではない症状である。しかし、今後は大いに注意をして、脳梗塞・心筋梗塞・認知症・アルツハイマー病・ガンにはなりたくないと思う。また、妻にもなってほしくない。


要注意!蛋白質と炭水化物。


三大栄養素とは、蛋白質と炭水化物と脂質。糖尿病の場合は、それらの食べものに注意が必要である。

蛋白質(プロテイン)は、 肉類、魚介類、卵類、大豆製品、乳製品に多く、筋肉や臓器の構成成分であり、酵素、抗体、ホルモンの原料になる。欠乏すると、体力や免疫力が低下。血管が細くなり、脳卒中の危険がある。子供には成長障害が起こる。過剰摂取すると、過剰分が尿に排泄され、腎臓に負担がかかって腎機能障害を起こすこともあるので注意。

炭水化物は、糖質・食物繊維の総称で、砂糖、穀類、そして砂糖と穀類を原料とする菓子などに多く含まれる。エネルギー源になり、中性脂肪に変えられて体内に貯められ、身体の構成成分となる。炭水化物が欠乏すると、思考力が低下したり、痩せる。過剰摂取すると、摂りすぎた分を身体に蓄蔵して肥満や糖尿病の原因になる。


糖尿は、蛋白質の多い食事を!


糖尿病になると、なかなか治らない。すでに失明をしたり、足が腐り始めたらダメだろうが、慢性的に尿糖が出る時期であれば、食事療法で治るかもしれない。

そもそも膵臓から分泌するインシュリンが足りないので、血糖値がいつまでも高いままにある。したがって、炭水化物・糖質などのインシュリンを必要とする食べものを控えて、蛋白質のようにほとんどインシュリンを必要としないものをメインに食べる。すると、血糖値は上がらないから、尿糖も出ないでしょう。

そんな食べものとして、次のようなものがよいだろう。白州干し・牛肉・鶏ささみ・うなぎ・煮干・卵など。ただし、それらは血糖値をあげる炭水化物であるご飯・パン・うどん・ラーメンなどと一緒に食べてはいけない。


カイコウズ、新株が出て紅い花咲く。


聖蹟桜ヶ丘あいおい証券の植え込みにあるカイコウズ。きょう前を通ったら、新株が出ていた。そして、鮮やかな紅い花が咲いている。本株の花が散ったばかりで季節が変ったわけでないから、狂い咲きではない。

カイコウズ(海紅豆)には二種類があって、
(1) アメリカデイゴ。マメ科の常緑高木で、デイゴ(梯姑)の一種。ブラジル原産だが、江戸末期に渡来したという。六〜八月頃、枝先の長い花序に深紅色の花が咲く。
(2) ナンバンアカアズキ。マメ科の高木。インド・マレー半島・中国南部が原産。種子は堅くて光沢があり、装飾品にする。

そのどちらかを私は知らないが、おそらく会社の取引先の関係ではないか。とくに、その木が大切にされていることから、何となくわかる。


アロエベラ、食べて血液、改善をする。


アロエベラは、キダチアロエほどは苦(にが)くない。したがって、生で食べても大丈夫。私は健康のため、習慣的に食べることにしている。刺身のようにして、三片から五片くらいがよい。あまり多く食べると、腹が下るらしい。薬味として用いたり、酒のおつまみとしてもよいでしょう。

むろん皮もむかない。棘(とげ)もそのまま。よく噛んで食べれば、盲腸炎になったりすることはない。ミキサーでリンゴなどと一緒にして、ジュースにするのもおいしく食べる一つの方法だ。アロリンジュースなどと命名した。そのようにアロエを常用すると、血液が浄化されてサラサラになるらしい。

買ったばかりのアロエの鉢は、化学肥料で育ったものだから、すぐ食べてはいけない。とくに観賞用と書いてあるものには注意。化学薬品の入っていない土で、一年間くらい育ててから食用にしなければならない。


糖尿と高血圧と歯周病、ダメ!


私は、「糖尿病」「高血圧症」「歯周病」を高齢者三大病と呼んで、恐れている。だから、それらにならないように注意をしている。

糖尿病は、食事療法と運動療法で何とか治る。膵臓から出るインシュリンが少なくなってしまった場合は、注意が必要。保健所などで指導している方法では実行がきついばかりか、リバウンドをすることが多い。私は、食べものの栄養素に注意をして、何とか治した。大食いをしてもよいし、酒は蒸留酒であれば肝臓が悪くならない程度までなら、いくら飲んでも大丈夫。

高血圧症は血管抵抗を減らし、血液と血管をリフレッシュする。とくに、末梢血管にあるグルミュー(せいどうみゃくふんごうし)の機能を回復させることが先決。その他、アロエなどを食べて血液をリフレッシュ。しかし私は、まだ歯周病の予防方法がわからない。そこで、一月に一回以上は歯科医に行って診てもらっている。


食べ物がすべてでもあり、医食同源。


医食同源という言葉がある。古くから中国にある考え方で、病気を治療することと日常の食事をすることが、そもそも同じというのである。つまり、ともに健康を保つために欠くことができないから、その源が同じだという考え。

日本でも、かつて石塚左玄や桜沢如一などは同じことを言っている。そして、それなりの効果をもたらした。しかし、現在は医学が進歩をしすぎたために、食べ物のほうがおろそかになってしまったようだ。石塚左玄は、当時はそれなりの流行はしたが奇異の目で見られていたようだし、桜沢如一は日本国内の医学界からも無視されていたようだ。しかし、ヨーロッパで賛同者が増え、パリの名誉市民になっている。

私は、短期的になった病気はともかく、高血圧症や糖尿病などは薬ではなく、ある程度の期間をかけて、食べ物で治すのが原則だと思う。


アメリカで、アルツハイマー五百万人。


アルツハイマー病は、初老期に発症する認知症の一種。脳全体の細胞が変性して萎縮する。そのために、脳機能全般の障害が起こる。物忘れや日時・場所感の欠落などの症状があって、進行が速いのが特徴。アメリカで多くの人がすでに罹患。日本でも、急速に増えているらしい。

アルミニウムが脳に及ぼす影響などという学者もいる。したがって、私は君子ではないが危うきを避ける。例えば、缶ジュースや缶ビールなどを飲まないようにしている。プルトップの切り口などから体内に入るのではないか。

なったことがないのでわからないが、本人としては頭の中でたえず音がして、いらいらするらしい。また、方向感覚が失われることによって、暗闇の中に一人で置かれたような不安で孤独な感覚がするという。つまり、本人は精神的に不快の連続した状態に置かれるわけである。それは、何ともやりきれない状態のようであるから、私はできればアルツハイマー病にはなりたくない。


個人差があるので結果は、かなり異なる。


何事でもそうであるが、同じことをしても結果が異なってくる場合が多い。とくに健康については、千差万別である。なぜならば、身体の状態がそれぞれ異なっているからであろう。

したがって、薬などの広告には「個人の場合」というように効果に関して断り書きがなされている。そのコメントの中には、薬効どころか症状を悪化させたりする場合も含まれている。期待が裏切られて、がっかりする場合が多いこともうなずける。

個人差はどの程度まであるのだろうか。また、自分自身はふつうの場合とどのくらい異なっているのか。そんなことを知っていないと、新しい薬や食べものを利用するときに危険がある。やはり、自分の身体に少しずつ慣れ親しんだものが、とりあえず安全ということか。


はっきりと見えなくなった爪の三日月。


若いころは、手の爪には三日月があった。しかし、このごろになって親指以外は消えてしまったり、かろうじてかすかに見えたり、色が薄くなってしまった。

三日月がなくても、健康な人もいるから必ずしも言えないが、おそらくカルシウムの定着が悪くなったのかもしれない。腰の骨や膝が痛くなるのも、もしかしたらそのためかもしれない。

そんなわけで、カルシウムの補給が必要。グルコサミンやコンドロイチン、そしてコラーゲンなども同時に補給する必要があるかもしれない。なぜならば、それらは高齢者には加齢とともに不足しがちになるから。サプリメントで摂取するのも一つの方法だが、食べ物から得るほうが安全で確実。白州干しなどをわかめと酢の物にして摂る。また、私と妻はシェーキーズに行って、ピザ食べ放題なども利用している。


はからいを捨てて、自(みずか)ら心やすらか。


あまり物事を考えすぎると、かえってうまくいかない。また、思い通りにはならないことに、どうしても葛藤を生じる。そんなわけで、はからいを捨ててしまうほうが、何となくうまくいくことが多い。

うまくいっても、うまくいかなくても、努力をすればいいのである。私の場合は、試合に出るわけではないから、結果にこだわる必要はまったくない。ダメならダメ。それで、現在はいいのだ。

若いころは、何としてでも成功しなければならないなどと考えた。会社を経営しているときは、ボーナスなどが払えないと、大変なことになると心配をした。しかし、現在は年金生活者なので立場は気楽。はからいを捨ててしまって、自分自身の心がやすらかになるほうがいい。すばらしい身分であると思う。


この国の政治の仕組み、何となくダメ。


仕方なく、妻に「この国の政治の仕組みは、何となくダメみたい」と話した。次のような経緯(いきさつ)があったからだ。

今年の一月に、妻が年金の追加を申請した。年間で十二万円ほどの増額である。しかし、いまだに振り込み額が増えていない。そこで、問い合わせに行くので、付き添いをして欲しいという。

八月十四日(金)午後、八王子社会保険事務所に行った。盆だというのに、超満員。三十名ほどがすでに来ていて、三時間も待たされた。ようやく順番が来て、愛想の良い係員と面談。そして、手続きの関係で一年くらいはかかると弁解された。すでに計算が済んでいるのに、いったい何のためだろう。妻にそう問われたので、「この国の政治の仕組みは、何となくダメみたい」と話した次第。


YouTubeで、私の知的空間作る。


YouTubeは、全世界的なシステムで「Broadcast Yourself」を歌い文句にしている。簡単に動画を発表できて、お互いに見ることができる。むろん、私の動画はあまり見られていない。いちばん多いのでも、約八ヶ月で2300回。

むしろ、自分自身の覚えやメモ・記録の整理などに利用するのがよいだろう。つまり、見てもらうというか読者を自分自身に設定するのだ。そのようにすると、思い切って独特な知的空間を構築できる。

そして、そこをベースとして次元を次第に高めていく。むろん、誰もが見れるので意見や批判もあろう。しかし、そのようなことはあまり気にしないで、自分自身の知的空間を構築していくのも面白いではないか。


何気なく思い出したり、亡き父母のこと。


仏説父母恩重経』をご存知だろうか? 短い経典であるが、そこに書かれていることは、親子間の基本的なことである。そして、そこには現代社会にあって、もう一度 考え直してみなければいけないのではないかと思われるほど、切実な問題が含まれている。とくに、子をもった親にしてみればです。

この教典が、「実際に釈尊によって説かれたものかどうか」などという学問的なことについて、私はあまり詳しく知りません。ただ経典の一字一句を、少しずつ味わってみると、胸が熱くなるのです。

父母を思う気持ちは、『方丈記』にもしみじみと語られていました。私も、夜の静かなときに何気なく『父母恩重経』の記述を思い出して、すでに亡き父母のことをなつかしく思うのである。


ヴィヴァルディ、多くの曲が復活をした!


まだ私が学生であったころは、ヴィヴァルディの曲はわずか二曲。それもヴァイオリンの教則本の中に紛れ込んで残ったイ短調とト短調(今となっては、同じ調性の曲が他にもある)のピアノ伴奏版の協奏曲。

そして、再発見されたヴァイオリン協奏曲「四季」をイムジチが演奏した盤で聴いたときは、現代風な響きがあるので驚いたことを覚えている。まったく鮮やかで素晴らしい曲、そして好きになってしまった。

その後、次々と楽譜が発見されて、演奏がなされた。宮沢賢治のトランクと、似た状況だったのかもしれない。そんな復活を間近に見たので、ヴィヴァルディの曲には大いに関心がある。私がヴィヴァルディの曲をYouTubeの再生リストで集めているのは、そんな意味もある。ファゴット(バズーン)協奏曲やチェロ協奏曲、そして宗教音楽の中にも大好きになった曲が多い。


楽しみは、シルバーパスを工夫するとき。


私にも、とうとうシルバーパスが支給された。年間1000円で東京都内のバス・都電・そして都営地下鉄などが無料で乗れる。つまり、バス代や電車賃がかからない。

そこで、今まではいちばん嫌いだったバスの乗り継ぎなども工夫をするようになった。また、腕時計をしなかったが時計付きメモ計算機をもつことにした。そして、ケニヒベルクの橋ではないが、なるべく同じ路線には乗らないように、ぐるっと回るよう乗り継ぐのである。すると、なかなか面白い。そこで何となく経路を工夫して、ボケないし老化予防として効果的。

案内書には「積極的な社会参加を支援」と書いてあったが、寝たきりや認知症にならないのは、社会に迷惑をかけないということで、参加以上であろう。すばらしい特典であるから、大いに利用したいとも思う。


恥と悔いばかりが多い私(わたくし)の過去。


考えてみれば、今までに何と多くの恥をかいたことか。自分が無知であったり、軽率であったために、そのような結果になった。そして、それらのことに対して悔いる。つまり、後悔や自責の念にさいなまれるのだ。

もはや、過去の若気の至りなどというものではなく、スピノザの言ったような後悔をする不幸や無能は、自分自身の能力不足だったことがよくわかる。その能力不足は、やはり勉強が足りなかったことが原因であろう。

しかし、ここでそのことをグチっても仕方ない。すでに済んでしまったことだから、それ自体は何ともしがたい。そこで、先行きは短いが、これからのことを考えよう。しかし、十年前にも同じことを考えたのだが、その後もやはり恥と悔いが多く残ってしまったことを思い出す。もしかしたら一生の間、なおらない愚かな癖かもしれない。困ったことである。


簡単な方法がよい、老いたる日々は。


老いてくると、複雑なことが難しくなる。なぜならば、注意力や気力が散漫になるからだ。中には、そのようなことにならない人もいるが、多くは若いころの能力が落ちてしまう。そして、当然なことと諦めてしまいがち。

しかし、方法を簡素化して、何とか確実に処理することを考えることが必要。そのようにすると、簡単な方法でも何ら遜色のない結果を得られる。人生の知恵が含まれている方法は、すっきりしていて間違いないことが多い。

つまり、結論として言うと、仕事の量を増やすのではなく、仕事の質を高めるのである。質を高めるのは、方法論などを理解する。そのようなことは人生の経験が多いほど、実現可能であろう。老いたる日々などと言って、高齢者はひがむ必要はない。自分自身の経験と直感によって、かなりよい仕事ができるということを認識・自覚しておくべきではないか。


次々とすることがあるうちは幸せ。


高齢になると、何をするにも億劫になりがち。そして面倒くさいとか、億劫というような考えが出てきたら要注意。なぜならば、そのような状態が続くと、何もすることがなくなってしまう。いきおい身の回りも無関心・不注意になって、だらしなく不潔になる。

そんなことにならないためには日々注意をして、細かいことに対して慣れておくことが必要。思いついたらすぐにする。後でしようなどと考えないで、時間が許せば直ちに行う。

ちょうど、私たちの心臓や肺がたえず動いているように、身体も動かしていたほうがよい。夜に休むとき以外は、身体をこまめに動かして、たえず何かをするほうがよいだろう。なぜならば、必要に迫られて何かをしていると、常に脳を活性化できるからである。


キレる子とムカつく子たち、何が原因?


最近は、学校でもキレる子やムカつく子が増えているという。私には何が原因かという学問的な事の真偽はわからないが、自分なりに想像はできる。

それは、おそらく化学薬品が多量に体内に入って、脳のコントロールを阻害しているためでしょう。アルミニウムなども、摂取しすぎると脳の思考を乱すのではないでしょうか。

つまり、自分の感情を抑制することができずに、衝動的に行動をしてしまうのである。麻薬を常用している場合や酒を多量に飲んだ場合に似ている現象であり、自分がわからなくなった状態である。そんなために、そうならないように日常の注意が必要になってくる。なるべく化学薬品を摂取しないようにして、化学薬品症候群にならないようにする。つまり、飲み物や食べ物に注意をすると避けられるのではないか。


カンタンかカネタタキ鳴き、秋は来にけり。


カンタンかカネタタキかはわからないが、テラスに置いてあるキダチアロエの茂みで、カンカンと小さな声で鳴いている。このマンションに越してきて十年目、初めてのことである。しかし、まだ実物を見ていないのでカンタンかカネタタキかは、今のところわからない。

カンタンは、スズムシに似た昆虫。触角が長く、後羽をたたむと前羽の下から尾のように出る。秋に美しい音で鳴く。フランチェスコが会話をしたという逸話で有名である。

カネタタキは、コオロギの一種で、体長約一センチくらい。雄は短い前翅をもち、雌は翅をもたない。夏から秋にかけて、雄は鉦(かね)をたたくような声で鳴く。鉦は、鐘とは異なって下に伏せて置き、撞木(しゅもく)で打ち鳴らす金属性の仏具。台にかけて打ち鳴らす古代の楽器である鉦鼓(しょうこ)も。


頭蓋骨、不思議な形、スターチャイルド。


水晶の頭蓋骨も不思議であるが、スターチャイルドは実物の頭蓋骨なので、何とも不気味・不可解である。

水晶頭蓋骨は、古代マヤで作られた人間の頭蓋骨模型で、十数個が発見されている。それらは、大きな一つの水晶から作られており、下顎骨部分が取外し可能。しかし、道具による加工痕がなく、水晶の石目を無視して彫られているので、どのようにして作ったのか現代科学では加工技術が謎である。

スターチャイルドは、メキシコチワワ州で発見された頭蓋骨。その形から人骨というよりか、それこそエイリアンのものだといえるだろう。そのようなものが現実にあるということは、もしかしたら人間と構造の異なった顔をもつ動物が実際に過去にいたことになるのではないか。


恐ろしい糖尿病を早めに治す。


糖尿病がおっかないのは、その初期には無症状で、気付かないことである。早期発見をして、何とか早めに治したい。その予備軍を含めると、日本中で2000万人もいるらしい。

合併症になったらアウト。太い血管の障害として、脳梗塞や心筋梗塞の危険が生じる。細い血管に対しては、失明・腎不全による透析・神経障害などがあり、いずれも人生をダメにしてしまう。

必ずしも「尿に糖が出ているから糖尿病」でもないし、「尿に糖が出ていないから糖尿病でない」わけでない。正確には、血液中の血糖値が基準値よりも高くなった状態。やはり、血液で測定する必要がある。喉が渇いて水をガブガブ飲む・オシッコの回数が多い・体重の減少などがあったら、病院に行って血糖値を図る必要があるでしょう。


老いにつれ我がままになる気持ち、諌める。


高齢になると、何となく我がままになるみたい。何か物事をするときに面倒くさく思ったり、煩わしくもなる。あれもいや、これもいやなどという気持ちが起こりやすい。

趣味や食べ物などの好みも、少しずつ変わってくるようだ。つまり、全体的に性格が我がままになってくるのではないか。そして、若いころに当然したような我慢ができなくなる。

そこで自分自身で、そのような気持ちを諌(いさ)めなければならない。なぜならば、注意をしてくれる人が、身の回りにあまりいないからである。「叱られる幸せ」という高幡不動尊の官長が書かれた本があったが、最近では叱ってくれる人が少なくなった。そんなわけで、自分で自分を叱る必要が生じる。


何という目的もなく日々バスに乗る。


特別の用があり、バスに乗ってどこかへ行くのではない。ただ、何となく乗るのである。シルバーパスを持ってから、そんな日々が続く。雨でも降らないかぎり、バスに乗る。そして、あちこちに行くのである。

シルバーパスは無料で都内のバスに乗れる。素晴らしいシステムであって、私の行動範囲を広げてくれる。いきおい、用もないのに晴れた日は出かけることになる。

かつて読んだ怪奇小説のアンソロジーに、あった話を思い出す。その男は恋人と山の別荘に来る。やがて、恋人が行方不明になったので、探偵が張り込んで男を見張る。男はどこへも行かず、半日がかりで薪を割っている。探偵は、男が何をしているのだろうかと考えた。後で捕らえられて、男は言った。「ただ運動をして、自分を空腹にするのが目的でした」。


Kuroda Kouta (2009.09.01/2009.09.01)