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  新句(十九音) 作品集25(2009年7月分)



新句とは、日々の記憶の断片であり。


新句(十九音)などという大げさな名を付けてみたものの、簡単に言うと「日々の記憶の断片」であって、自分自身が「生きていたという証明」。もっとも、その時点では「生きているという証明」なのである。

日々、ともすると単調になりがちな高齢期。古希を過ぎるころから、度忘れや物忘れが多くなる。もしかしたら、認知症やアルツハイマー病になりかかっているのかもしれない。そんなことも考えて、簡単な記録のような形で思いついたことを記しておく。他愛のないことであるが後になってみると、それなりに自分自身が「生きていた証明」になるのである。

新句(十九音)は、短歌でもないし俳句でもない。短歌よりも短いし、俳句よりも二文字多い。何となく言い切った俳句などと異なって、作りやすいというメリットがある。あなたも、やってみてはいかが?


宇宙人いるかいないか、まだわからない。


私(rik)には、宇宙人やエイリアンがいるかいないかが、まだわからないのです。もしかしたら、時空の相違によっては、気付かないだけかもしれません。

物語ですが、フランスの作家・哲学者ヴォルテール(1694-1778)は、『ミクロメガス』の中に次のように書いています。
<太陽系以外の人間として、シリウス宇宙人が地球に来た。彼らは、身長が30キロメートルもあって、持参の顕微鏡でも地球人をなかなか発見できなかった。つまり、彼らにとって地球人は、バクテリア以下の存在。>

シリウス宇宙人は生命の痕跡をなかなか発見できず、やがて海上の船に気付く。そこで、船が知的生命体なのかどうかを調べるためつまみ上げ、爪の上に置いて拡大レンズで調べる。そして、ようやく地球人の船員たちはミクロメガスと対等に話ができるという次第。


面白くないことばかり、記憶の中(うち)に。


なぜか楽しかったことは忘れてしまって、面白くないことばかりが思い出される。苦しかったことや恥ずかしかったこと、失敗、悔しさ、そんな記憶の断片がよみがえってきて悩まされることが多い。いったい、なぜだろうか。

そもそも自分自身の才能や英知がなかったことが原因かもしれない。つまり、何一つ満足にできなかったことも事実。仕事が順調であったこともあるが、大病に罹(かか)りアウトになってしまった。そして後に、入院・退院・通院などを繰り返すうちに、何一つ満足にできなくなってしまった。

ありがたいことに、すでに年金生活者なので、働かなくても細々と食っていける。そして日々の生活も、あまり人と会わなくなってしまった。付き合いが面倒だということと、恥をこれ以上晒(さら)したくないという入り混じった気持ちがあるからかもしれない。


寝るときも姿勢を正す必要があり。


起きているときはむろんのこと、寝るときも正しい姿勢でなければならない。私のところは、フローリングであるから床は固くて平ら。そこに薄い敷布団。掛け布団は真冬でも毛布二枚。何となく西式健康法に似ているが、そうすると背骨が矯正できる。

そして、普通は上向きで眠る。右を下にすることもあるが、原則は上向き。なぜならば、下向きで寝ると呼吸が不都合になることが多いから。野生の動物であれば、腹を上にして眠るなどということは、「どうぞ、私を召し上がってください」ということになるであろう。牛や馬などの家畜でも頭の構造から、その鼻の位置を考えたら腹を下にしても大丈夫。しかし、人間は鼻が顔の中央にあるので、下向きに眠ると酸欠になる危険がある。赤ちゃんのうつ伏せ寝などは、多くの死亡事故を招いている。

意外に眠るときの姿勢は、健康にも関係するようだ。


いったんは作ってみたり、百舌の速贄(はやにえ)。


「百舌(もず)の速贄(はやにえ)」という言葉がある。モズという鳥が虫やカエルなどを捕らえて、木の小枝などに突き刺しておくこと。後で、食べるつもりらしい。百舌の生贄(いけにえ)とも言う。しかし、どこに刺したかを忘れてしまって、そのままになっていることが多い。

そんなことが、私たちの日常にもしばしばあるようだ。何かを始めたものの、先に進まないために中途半端のまま最初の形で残っている。つまり、計画性がなかった創作や事業など。

健康・老化予防・安心立命を確立しようと考えて、ホームページやプログを始めてみたものの、今時点で考えると百舌の速贄である。どこに何を書いたかも忘れてしまったことが多い。後で完成をしようなどと考えたこと自体も忘れている。偉そうに、百舌のことなど言えたものではない。


自分から、諦めるのは愚かなりけり。


短歌や俳句から生じたのであろう、「けりをつける」という言葉がある。「何々けり」とやって、そこで終わりにすること。つまり、ものごとの最後をいうことだ。いさぎがよいが、そのような考え方は禁物だと思う。

「終わり」だとか「ダメだ」などと考えたら自己暗示が働いて、それが事実になってしまうことが多い。したがって、常に明るく希望をもって先を考えなければならない。

人間の身体は微妙にできていて、明るく考えたり、笑いが多い人には病状も回復に向かって、次第に健康を取り戻すという。逆に悲観的に考えると、ホメオスタシスが正常に働かなくなってしまうらしい。そんなわけで、何事も諦めずに希望をもって、日々過ごすのがよいと私(rik)は思う。


これ以上、恥をかきたくないと思いつ。


若かったころのことを思い出すと、恥の連続であった。何も知らないままに、チャレンジをしたのだが、いま考えるといわゆる「若気の至り」。思わず大きな声を出して叫びたくなるような衝動が避けられない事件も多い。

そこで、還暦のころからムリをして恥をかくことのないように注意をすることにした。いちばんいいのは、あまり人と付き合わないことだ。どうしても必要な場合を除いて、対人関係を避けるというのも効果的である。

何となく現代の隠遁といった生活になってしまった。同窓会の通知や音楽界など招待が来ても行くこともなくなった。つまり、晴れやかな場所には行かない。そんな生活がふつうになったが、考えてみれば何とも落ち着いた日々が過ごせることがわかった。


運命のままに生きよう! 幸も不幸も。


ここのところ、何となく身体の不調が続く。病院に通ったりしたが、なかなか治らない。治そうとがんばっても、ますます具合が悪くなってしまう。いったい、どうしたことであろうか。

しかし、不思議なことに日々忙しかったりして、その不調ということを忘れてしまうことがある。そしてその間は、あまり現実の不調が気にならない。もっと他に、複雑な問題が生じているからであろう。

そんなために、何となくわかったことがある。それは、「いつポックリいってもよいような覚悟と整理をしておいて、何事も現実として受け入れ、成り行きのままに生きていく」ということ。つまり、幸とか不幸といっても、それを素直に受け入れれば、何とかなるんじゃないかと思うようになったのである。


願わくはコロリ往生、きさらぎのころ。


きさらぎは、「如月」「更衣」「衣更着」などと書いて、陰暦2月のこと。つまり、まだ寒い日々があったりするが、それでも温かくなり初めということで、衣替えなどをする季節です。

私は、さほど冬の寒さにはこたえないが、汗かきなので夏の暑さには閉口する。また、その前の梅雨の湿気にはうんざり。そんなわけで、死ぬのなら如月のころが望ましいと思う。

そして、できたらコロリ往生。寝たっきりになったり、よいよいの状態、あるいはアルツハイマー病などでなく、死ぬ前まで意識がしっかりとしていて、あっけなくコロリと死にたい。如月のころならば、団地の賃貸住宅の一室で仮に孤独死をして発見されなくても、数日は腐らないであろう。そんな意味である。


YouTube、知識の宝庫、知的空間。


YouTubeを始めてから半年にならないが、その間にいろいろなことがわかった。まず、ものすごい数の動画があること。内容は玉石混交ではあるが、私にとって貴重な内容のものが数多く含まれている。

例えば、クラシック音楽。著名な演奏家の名演奏があったり、子どもが弾いたピアノ練習曲があったり。ふつう、最長でも一本が10分程度であるから、数本にまたがる演奏がある。そのようなときは、再生リストとして自動的に連続して聞けるようにセットしておく。その作業は最初に一回しておくと、後は何回でも聞ける。

私の好きなヴィヴァルディの曲やラモーの曲などは、次々と再生リストにして楽しむことができた。また、基本的には健康と老化予防と安心立命に関する動画を集めてみた。それらの一覧を見ると、まさしく知識の宝庫から紡ぎだした一つの知的空間である。


病むことは不可避でもあり、現代社会。


現代社会といっても人類の歴史から考えると、ごく最近のわずかな期間。二足歩行になって前足が手になり、脳の発達をうながしたらしい。しかし、後足であった脚には大きな負担がかかって、いろいろと不都合が生じる。例えば、腰痛・膝痛などである。

また、原始時代から考えると、炭水化物や糖質が食料になったのも、つい最近のこと。狩猟時代には、米やメリケン粉製品などは食べなかった。それに、砂糖。今でこそ安価であるが、祖母の時代には鍵をかけて保管をしたりした貴重品。

食べものが大変化をしたので、人体には異常をきたす。農薬や防腐剤などの使用によって、体内に化学薬品が蓄積する。外食などは、何を食べさせられているかわからない。体内の複合汚染などに、注意をする必要がある。


改めて、「糖尿病の治療法」知る。


糖尿病になると、食事療法と運動療法が必要だという。食事はかなりのカロリー制限、そして運動は日々の歩行など。しかし、それを守っても治らないという人もいる。また、それらが厳しくて達成できない人も多いらしい。

そこで、インシュリンがあまり働く必要がない食事にすることを考えたほうが結果的に速いかもしれない。つまり、炭水化物や糖質の食事をなるべく避けることである。炭水化物を食べると、ふつうインシュリンがドカッと出る。炭水化物といえば、主食の米・パン・うどんなどである。インシュリンを必要としないために、その主食を食べないというのは、なかなかきついかもしれない。

しかし、逆にインシュリンを大量に必要としなければ、血糖値もあがらないでしょう。主食の分をおかずでまかなうので、すぐに空腹を感じる。また、費用もかかることになる。しかし、確かめてみる価値はありそう。私はその方法を、個人的にノーカーボ法(nocarbohydrate)と呼ぶ。


晩年は健康であり、こころ安らか!


古希を過ぎてみると、残りが少ないことに気付く。そこで、晩年は何とか健康で、こころが安らかでありたいと思う。

知人で寝たきりになったり、アルツハイマー病になっちゃった人がいる。見ていると、何ともやりきれない気持ちになる。そこで、何とかして死ぬ日まで意識がしっかりとして、かつこころが安らかでありたいと思う。

つまり、俗に言うコロリ往生がしたい。寝込んだり、植物人間にはなりたくないのだ。それではさて、そのためには何をすればよいのだろうか。健康については、大いに勉強をした。空気・水・食べ物に関する注意をして、生活習慣にも気をつける。それらについても、今までの常識とは大きく異なることがある。それらは自分自身の責任で決断をして、行わなければならない。幸い、今のところ順調にいっているからよいが、……


当面の問題をまず解決しよう!


いろいろとしたいことがある。しかし、体力がないので大きなことはできないだろう。また、体調が優れないのでムリもできない。そんなことで、身近な身の回りの問題を解決する必要がある。また、病気の場合はそれを治すのが先決。そして、今までの知識の総動員をして、解決に当たる。

ここで、常識という曲者(くせもの)を一掃する必要がある。例えば、私が病気になったのは、間違った情報からである。個人差もあるだろうが、いろいろなパターンを考えなければならない。

糖尿病なども、インシュリンの分泌が悪くなってしまうと、なかなか治らない。そこで、新しい方法として自分自身の責任でノーカーボ法(nocarbohydrate)やラップリン法(rapurine)を確かめてみることにした。


知らないということ自体、罪でもあるか?


今まで無知であったために、大きな失敗をしたり、病気にかかってしまった。もっと勉強をして、早くから注意をしていたら、こんなことにはならなかったと後悔をする。スピノザではないが、自分が二重に不幸であり、無能であったからである。

仏教の教えでは、「知らない」ということ自体を「罪」と考えるらしい。考えてみると、「知らなかった」では済まされないことが多いからでしょう。そんな意味で、一生が終わるまで知識を整理・確立していかなければならない。

話は違うが、日本人の平均寿命は世界一だという。しかし、いわゆる健康で高齢期を迎える人は少ない。ボケてしまったり、アルツハイマー病になる人も多い。健康寿命というか、身体の不調は少々あっても、脳の機能だけは死の直前までしっかりと保ちたい。そして、最後まで正しい判断をしたいと思う。


歩いてはダメ、人体の構造ゆえに。


健康は、食事と生活習慣によるという。そして、生活習慣は歩くことの必要性を説く。もっともなことである。

しかし、人類の過去を考えてみると、現代は特殊な時代でもあろう。そもそも直立をして歩くようになったのは、生命の歴史を考えると、だいぶ後のことである。つまり、人類は四足歩行から二本足で立ったことにより、脳の発達が可能になったという。

その時点で、本来は梁(はり)として身体を支えていた背骨が、90度もずれて柱として用いられることになる。まったく不安定な状態が日常の姿となった。そんなことを考えると、過去の後ろ足、つまり両脚に負担がかかるのは当然。したがって、高齢になると腰や膝に支障をきたす。あまり歩いては、かえって関節などが磨耗してしまうからである。


オシッコを飲む療法は効くか、効かぬか?


オシッコを飲むという不思議な療法が、昔から世界中にあるようだ。尿療法、尿飲療法、飲尿療法などというようだか、私は「ラップリン療法」と言う。個人差があるので、一概に効果については言えないが、楊貴妃やクレオパトラも行っていたと、かつて何かで読んだことがある。

なぜラップリンなのかというと、私のは飲むのではなく小さじに一杯くらい舐めるのである。ガブガブ飲まなくても、それでじゅうぶんと考えるから。つまり、尿の成分を口腔の中にある器官を経由して、脳に判断させる。そして、フィードバックをしてホメオスタシスを実現する。

尿に効果があるということは、生まれる前は母の胎内で自分自身の尿の中にいたこと、尿から作る薬があって原料の尿を輸入していることからわかる。また中尾先生の書いたものや政木博士の講演などから、信じるに足るものと私は思う。


きりのないこと、ほどほどにすべき人生。


現代社会では、「飽くことのない欲求」があらゆる場所で行われている。それが、経済の発展というものであろうか。科学や技術の発達は、目を瞠(みは)るばかり。それらも、商品となって次第に生活に入ってくる。

ありがたい時代ではあるが、いっぽうでは犯罪や事件が増えている。また、大きな企業なども利益優先のためか、常識では考えられないようなことを次々と行う。

そんな経済・社会の中で、個人的に「心の充足を図りたい」と考えたら、いったいどうすればよいのだろう。おそらく、「吾唯足るを知る」つまり「知足」になるかもしれない。古くから、老子が『老子』、マルクス=アウレリウスが『自省録』に書き残しているように。


健康でいられることが不思議なくらい!


何とかして、糖尿病から逃れることができた。保健所で指導している内容とは、かなり異なったことを自分自身の責任で行ったからでしょう。考えてみれば、現代社会において健康でいられること自体、不思議なくらい。同じ年恰好の知人を見ると、夫婦そろって問題のない人は少ない。

私も妻も、血圧は上が140以下、下が90以下で正常である。しかし、コーヒーなどを多量に飲むと、上が140を超えてしまうこともある。尿糖や尿蛋白は、出なくなった。もっとも、炭水化物や糖質を取ると出てくるが、ふつうは50以下(±)か検出限界以下(-)である。

大げさに人類の歴史や現代社会の状態を考えると、健康を維持できることは、まったくありがたいことである。空気や水、そして食べ物など悪い環境の中で、何とか医療の世話にならないのは、幸福なことかもしれない。


いつまでもボケないために「回想創造法」。


高齢になるとボケてしまったり、アルツハイマー病になる人が多い。しかし、常に脳に適度な刺激を与えるなどして、老いてもなお矍鑠(かくしゃく)とした人もいる。いつまでも元気であるためには、「回想創造法」を利用するとよい。

かつては高齢者のホームなどでは、過去のことを語ることを忌諱した。老人の繰言(くりごと)などと考えたからである。しかし、現在では過去の話題をヘルパーがサポートしてひもとくようになってきた。それが、医学的にも効果があるとわかったからである。

「回想創造法」は、自分自身の記憶をベースとして創造をする方法であり、脳の活性化に効果的である。実際の内容についてはYouTubeで「回想創造法」として検索して、ご覧になってください。


安らかに過ごすためには「自己福音書」。


高齢になったら、日々安らかに過ごしたいと思う。生を終えるときまで、こころが落ち着かないのでは、安心立命などできないかもしれない。

福音書とは、新約聖書にある三つの共観福音書とヨハネのものと。そもそも福音とは「幸福の音信(いんしん)」。しかし、当初はパウロの手紙のような手紙様式だったものが、何回もの校訂で一連の物語のような形式になったのだと、私は思う。

それはともかく、自分自身の考えや安心のために、自分が納得する範囲で、自分用の福音書を作っておくことが、生前の安心の一つでもあろう。つまり、こころの整理をしておくのである。実際の「自己福音書」の見本については、YouTubeで「自己福音書」と検索、そのいくつかをご覧になってください。


簡単に糖尿病から逃れる方法。


私は数年来、しつこい糖尿病に悩まされてきた。食後に尿試験紙で図ると、かなりの尿糖が出ている。それが、いつまでも残ってしまうようになった。そこで抜本的なことを考えて、尿糖が出なくなるための工夫や実行をしてみた。失明をしたり、人工透析になるのが恐かったからである。

私が確かめてみたのは、次のこと。
・糖質と炭水化物を摂取しない……砂糖・米・パン・うどんなどを控える。
・なるべく歩く……すでに尿糖が出ているときは、4キロメートルくらい歩く。
・ホメオスタシスをうながす……温冷浴をしてグルミューを回復する。できたらラップリンなどもする。

むろん個人差があるので、誰もが同じ結果になるとは言えないでしょう。しかし、危険のない範囲で確かめてみてはいかがでしょうか。


治したい高血圧と糖尿病。


高齢者には、高血圧や糖尿病にかかっている人が多い。高血圧であって、糖尿病の人もいる。しかし、高齢者にとって高血圧や糖尿病は、死への近道と言ってよいだろう。何とかして、治したいものである。

それらの原因を考えると、若い時代からの食習慣や生活習慣から少しずつ症状が表面化してきたこと。したがって、やはり長期的に食べものや生活の見直しによって、治癒をしたほうがよいでしょう。薬で短期間に治すのは、他のいろいろな問題を併発するからです。

例えば、血圧だけを下げたり、血糖値だけを改善しても、身体全体としては病状が残っていることが多いようです。そんな意味で、食べものと生活習慣の見直しをするのが、高齢でなく若い時代からも必要ではありませんか。若いときほど、治りやすいからです。


糖質と炭水化物、高血糖値!


糖質・炭水化物を食べると、高血糖値になるらしい。医学的には知らないが、何となくわかることがある。それは、それらを食べるとインシュリンがドカッと出るから。若い時代にはよいが、高齢になると膵臓が分泌するインシュリンも少なくなってくるようだ。つまり、そのためにいつまでも血糖値を下げることができないらしい。

そこで、ひとまず糖質・炭水化物を食べなければよい。そうすることによって、血糖値が上がらないからインシュリンを必要としない。

糖質・炭水化物が多い食品は、とうもろこし(71g) うどん(57g) あんパン(50g) 食パン(47g) ごはん(38g) さつまいも(32g) カボチャ(21g) ジャガイモ(18g) すいか(10g) 牛乳(5g)
などである。なお、かっこ内の数字は食品100gに含まれる糖質量。


健康の哲学というほどでもないが。


哲学というほど大げさなことではないが、それでも長年の経験からマスターしたことが多くある。いわゆる「生活の知恵」である。かつてはやった謝国権の「性生活の知恵」とは、関係ありません。

例えば、糖尿病の改善である。ふつう、内科医や保健所を尋ねると、食生活の制限と生活習慣の改善を厳しく指導される。しかし、やってみると苦しいばかりで成果が現われにくい。そこで、自分なりに調べて方策を樹立する。

炭水化物と脂質の忌諱である。つまり、なるべく炭水化物を避け、糖質もとらない。したがって、食事のメニューは蛋白質・脂質などが中心になる。つまり、主食である米・パン・うどんなどを避けるわけである。そんな方法でも、曲がりなりにも尿糖は出なくなる。そして、次の知恵を探す。


人生の目的などと、脳がもたらす。


最近になって、何となくわかったことがある。例えば、人生の目的である。それは、とくにないものを仮想的に構築する脳がもたらす幻影ではないか。強いて言えば人生の目的は、ただ生きることであろう。

それを死が恐ろしいかのごとく、金持ちになるとか、有名になるなどという上っ面の事象に置き換えて、激しく求めていくのは脳のしからしめる現象なのではないか。だいたい金持ちや有名などというものは、取るに足らないものであり、私たちがこの世に生まれてきた目的にすりかえるには、まったく愚かしいことだ。

つまり、かなり複雑に発達をした脳という身体の一部に、他の身体の部分が追従している構図。愚かな大将のもとに多くの兵隊が動いている軍隊のようなもの。大将の考えによって成功を収めたり、失敗をもたらすのである。兵隊が大将を変えることができないのも、悲劇の一部でもあろう。


脳を他とする自信なく、NOのままなり。


いつごろからだろうか、何となく脳について考え始めたことがある。ふと感じたことであるが、支配と被支配の関係。もしかしたら、脳は人間に寄生している別種の生物かもしれない。ミトコンドリアやマクロファージ、それ以下の大腸菌なども人間の機能の一部と考えれば、考えられないこともない。

さらに、心が脳にあるという考え方。しかし、むしろ脳に流れる血液のほうが問題で大切。聖書は、何かを暗示しているように思う。もしかしたら、「考える脳」とは錯覚で、血液を忘れているのかもしれない。

生きている意味などありえないのだろうか? なぜならば、私たちは「生きている」のではなく「生かされている」のだから。何でも意味を求める脳であり、自分自身に考えを及ぼさないためのカモフラージュかもしれない。


いつまでも若さを保ついくつかのこと。


若さを保つ秘訣というほどのことではないが、まず健康でなければならない。日常のちょっとした行いの中で、自分なりに工夫することがある。

皮膚のグルミューを回復させる
足の裏を揉む
手足を洗う
深呼吸・嗽(うがい)をする
仰向けに寝る。あまり高い枕をしない
鼻をかむ。片方ずつかむ。鼻毛を抜かない
舌を洗う(ぜったいをブラシでこそぐ)
塩で歯と歯茎をブラッシング。歯間を清潔に
食べものを噛むときは、歯の片方でなく左右を使う
ラップリンをして脳にホメオスタシスさせる

など思いつくことはいろいろあるが、小さな心がけを今後も追加しよう。


現実に老化を避けて、寿命を延ばす。


日々思いついて現実に行ったために、老化予防ができて、なお寿命を伸ばす基本的な方法をいくつか思いついた。

・よい空気を吸う……森林浴や河川浴をします。そして、空気のよい場所で深呼吸をするのです。
・よい水を飲む……地下水を利用します。しかし、除草剤やダイオキシンなどは、塩素とともにハーレーで除去。
・よい食べものを食べる……化学薬品で汚染されていない野菜など。また、地元にできる旬のもの。肉・魚などは、なるべく全体食のできるもの。
・適度な運動を続ける……晴れた日は川沿いに4キロメートルくらいゆっくりと歩く。有酸素運動でなくてもよい。
・じゅうぶんな睡眠をとる……疲れを翌日にもちこさない。できたら朝・昼食後にも、各20分くらいの仮眠。


大好きな曲「ラ・フォリア」を集めてみたり。


フォリア(folia)は、もともとはヨーロッパ南西の舞曲。三拍子の緩やかな音楽で、フォリアとは「狂気」とか「常軌を逸した」という意味。最初は、騒がしい踊りの音楽であったらしい。

それが、落ち着きのある変奏曲形式で演奏するようになった。17世紀にイタリアで大流行、コレッリやヴィヴァルディのほか多くの作曲家が採り上げている。ソナタの一部に置かれたものもあり、『ラ・フォリア』とも呼ばれる。また、ヘンデルは『サラバンド』としている。

私は、この曲が大好きでYouTubeで聞いたときは、再生リスト(ライブラリ)にしてしまう。後で、何回も聞くためである。とくに、下記の最後にあるライブの曲は何度聞いても飽きない。
http://www.youtube.com/view_play_list?p=ACA05C0817854577


『冬の旅』、最後まで聞く、雨の日の午後。


雨の降る日は、散歩に出かけられない。そこで、部屋でパソコンをするのであるが、最近はYouTubeで曲を聞く。ここのところ、シューベルトの『冬の旅』という歌曲を聞くことが多い。全部で24曲もあるので、かなり時間がかかる。しかし、全曲を続けて聞くと、しみじみとした味わいが得られる。もしも全曲がしんどいときは、最初の七曲

1. おやすみ Gute Nacht  2. 風見の旗 Der Wetterfahne
3. 凍った涙 Gefrorne Tränen  4. 氷結 Erstarrung
5. 菩提樹 Der Lindenbaum  6. 溢れる涙 Wasserflut
7. 川の上で Auf dem Flusse  8. 回想 Rückblick
9. 鬼火 Irrlicht  10. 休息 Rast
11. 春の夢 Frühlingstraum  12. 孤独 Einsamkeit

13. 郵便馬車 Die Post  14. 霜おく頭 Der gerise Kopf
15. 烏 Die Krähe  16. 最後の希望 Letzte Hoffnung
17. 村にて Im Dorfe  18. 嵐の朝 Stürmische Morgen
19. まぼろし Täuschung  20. 道しるべ Der Wegweiser
21. 宿屋 Das Wirtshaus  22. 勇気 Mut
23. 三つの太陽 Die Nebensonnen  24. 辻音楽師 Der Leiermann

Kuroda Kouta (2009.08.03/2009.08.03)