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  新句(十九音) 作品集20(2009年2月分)



雨安居(うあんご)といいて、部屋にて瞑想をする。


私(rik)は、雨が数日続くときに、自分なりに雨安居(うあんご)などと言って、部屋にこもって瞑想をすることにしている。必ずしも、梅雨のときでない。
本来の雨安居は、インドで夏の三ヶ月間に雨が多いので、僧侶が外出を避けて部屋で修行をすることをいう。その期間を一夏(いちげ)といい、雨安居・夏安居(げあんご)などともいう。

いずれにしても、私は僧侶ではないので瞑想と言っても、かなりいいかげんなもの。いちばん多いのは、自分自身が宇宙に溶け込んだ状態を想像する。気ままに飛び回ることも、空想の中では可能だ。そんなことをしていると、何となく楽しい。

いったい、何が現実なのであろうか。そんなときには、いつも『荘子』の「胡蝶の夢」を思い出す。


常温で腐敗をしない食べ物、注意!


私(rik)は、常温でも腐敗しない食べ物には注意をしている。その結果、なるべく食べないようにしていることも事実。野菜、果物などは早めに食べる。

醤油などは、テーブルの上に置いても腐敗しないものは避ける。開栓後は冷蔵庫に保管する注意書きのあるものしか使わない。ついでながら、味噌・マヨネーズ・トマトケチャップなどは、私の家には置いていない。

近年になって食中毒や食品の腐敗について、消費者の間で騒ぎすぎる傾向がある。そんなために、メーカーは防腐剤を入れざるをえない。そもそも牛乳が常温で保存できるなどということは、どう考えても不思議なことである。
私はあまり食べないが、肉から作るハムや魚から作るカマボコなどが常温で痛まないなどということも、それなりに理由があるのであろう。


老いたらば求められないことは、ほどほど。


あれもしたい、これもしたいなどと考える。
若いころは、それでも力任せ(ちからまかせ)にやったから、何とかできた。しかし、老いてくるとスタミナが続かなくなってしまう。

その結果、中途半端になったり「百舌の速贄」(もずのはやにえ)になりがち。仕方のないことであろう。

そんなために、自分自身に言い聞かせる。しきたりになっていることは何とかするが、求められもしないことを次々と際限なくするのは、愚かなことである。それは、「蛙の腹自慢」と同じじゃないか。むしろ、老化予防を目的とした自分自身のためにするほかは、あまり深入りをすべきではないんだ。
精神的にも、ある程度「足るを知る」ことが必要なのではないか。


最近は、公徳心とモラルの欠如。


公徳心は、公徳つまり「社会生活の中で守るべき道徳」を重んじて守ろうとする精神のこと。モラル(moral)も道徳ではあるが、倫理つまり「善悪・正邪の判断において普遍的な規準」のような基本的なものであろう。

現代社会は技術が高度に発展をしたが、金がすべてであるような風潮になって、公徳心、モラル、そして礼儀なども欠けてしまったようだ。政治家・公務員・教職員なども、その傾向にある。

そんなわけで小学生や中学生も、いきおいそうなってくる。
パソコンや携帯電話など技術の最先端をいく道具の使い方なども、かなり大きな問題を含んでいるようだ。
ある程度、公徳心やモラルの教育も学校でして欲しいものだ。


「振り込め」はルール違反で、悪い世の中。


「振り込め詐欺」が大流行している。騙すほうも巧妙になっているが、騙されるほうもその被害が多くなっているという。とくに、高齢者の被害が増加しているらしい。

しかし、そのような犯罪は恥ずかしいことである。
犯罪を行う人、つまり犯人は世間に対して自分の非人格や恥を公開しようとしている。また、そのような犯罪が流行する社会自体が、恥じるべき状態。

プロレスの試合。次々と救急車が来て、多くの死人が出たりはしない。力道山は、リンクの外の不注意で亡くなった。リンク上では、最低のルールを守るからだ。『荀子』だったか、幼児がよちよちと井戸のほうに歩いて行って落ちそうになる。そばに居た人が、慌てて救い上げる。基本的な人情だからだ。
『蜘蛛の糸』のカンダタや聖ペテロの母などは、創作なのではないか。


異なったイメージをもつ天使と悪魔。


ミカエル、ガブリエル、ラファエルなどの天使に対して、サタン、デーモン、バアルなどの悪魔がいる。そしてふつう、「天使は善で、悪魔は悪」というように、天使と悪魔は正反対のイメージを与える。
しかし、堕天使のような存在を考えると、もともとは同じものだったのかもしれない。

つまり、善と悪とは相対的なものであって、時代によっても価値観は異なっている。また、旧約聖書などでは神に対抗する存在を悪魔としている。そして、例えばバアルを何回も悪く言っている。

もともとバアルは、カナン地方で豊穣の神として崇められていた。それがエリヤと争って破れ、その信奉者(預言者)五百人が殺された。その結果、人間のほかに猫とヒキガエルの三つの頭をもつ不気味な姿にされたようだ。


勘違いする人多いネットの社会。


インターネットの社会は、情報の伝達がすばやく出来て素晴らしい。しかし、ともすると無責任な投稿やメールが多く見られる。自分自身が無知で愚かなために、勘違いをするからだ。

私も、かつて手書きの時代には、久しく「勘違い」を「感違い」と勘違いしていた。また、この「日々記憶の断片」に『偶成』の
<少年老い易(やす)く学成り難(がた)し……>
を引用したときに、作者を「朱子」としたら、「朱熹」の間違いではないかというコメントをいただいたことがある。その人は、わざわざウィキペディアで調べたと書いてあった。

しかし、そのコメントは無記名で単に「朱子じゃない人」とあった。ていねいにお礼を書いておいたが、なんとなく自分の無学や軽率をお互いに恥じるのがいやになって、コメントを受け付けないようしてしまった。私(rik)は、無記名の投稿をしないようにしている。


血圧も正常になり、まずはやれやれ!


最近になって、何とか最高血圧が160以下、最低血圧が95以下になった。食べものや水に注意を払って、10年くらいになるだろうか。長期間で陥った症状は、薬でなく食べものと水で治したほうがよいと考え、がんばってみた。
今後はさらに、少しずつ数値が下がっていくのではないか。また、血圧だけでなくグルミューも回復したみたい。

グルミューは、皮膚のすぐ下にある器官。静動脈吻合枝とも言われ、もともと体温を調節するための器官だったらしい。そして元来は、この器官が機能をして体温調節を行ったという。グルーミューということもある。
食べ物や生活習慣を近代的には変化していない未開地の原住民は、まだグルミューの機能がしっかりしていて、寒さや暑さに強いという。

なお、詳細は『青空のホームページ』の「健康のページ」にある
○グルミューが機能しなくなった日本人
○グルミューとペルオキシゾーム
を参考にしてください。


最近はすぐに飽きちゃう、老いたるゆえか?


ここのところ何かをしても、すぐに飽きちゃうんだ。かつてのように、ねばりと興味が続かない。もしかしたら、老いたためかもしれない。
しかし老いてからも、創作欲がますます盛んな人もいる。

考えてみれば救急車で病院に運ばれ、入院・手術をしてからのこと。手術の後も、ずっと通院。そして、やっと身体の状態が元に戻ったものの精神的な気力がなくなってしまった。

何となく、恥も外聞もなくなってしまったみたい。
自分自身でも「健全な身体に、健全な精神が宿ったらいいなぁ」などと思う。身体が思うように働かないというもどかさの原因を何とかしてつきとめて、早めに改善をしたい。


股引(ももひき)をはくようになり、冬の寒き日。


数年前までは、股引などはかなかった。それどころか、真冬でも半ズボン・開襟シャツ・素足にサンダルで散歩をしたものだ。
しかし、昨年くらいから体温の調節がうまくいかなくなった。入院をして、手術を受けてからのことかもしれない。もしかしたら、自分自身のホメオスタシスが効かなくなったのだろう。

仕方がないので、股引をはくようになった。また、冬場は五本指の靴下、つまり軍手のようなタイプのものを使用。むろん、サンダルでなく靴にした。

しかし、それでも体が冷えてくる。
加齢による現象ではなく、自分の体内の変化によるものではないかと考えるのであるが、その傾向について抜本的な対策を講じたい。


大型と自動二輪の免許を取った。


学生時代に私(rik)は、大型自動車と自動二輪車の運転免許証を取得した。そして、アルバイトで大型の運転などもした。また、陸王(りくおう)といってハーレーと似たバックギアのある自動二輪車にも乗ったことがある。

だから、免許証は今日まで更新して続いている。しかし、運転は五十歳のときにやめた。考えがあって、自動車を手放したのである。
運転免許証の更新手続きは五年ごとにあるが費用も安いし、楽しい半日であり、目の検査などもしてくれるので行っている。

運転はしなくなったが免許証は、身分証明書として使えるので、何かと便利である。本来の目的には利用しないで、他の効果が大きいので、今後も更新の手続きに行くつもり。あと何回行けるだろうか。


焼酎に釣られて行くか? 吉祥寺まで。


いったい何のことか意味がわからないでしょう。
まだ私(rik)が高校生だったころ、同級生だった鈴木正信さんが連れていってくれた吉祥寺にある思い出のお店なのです。それらが、いせや(焼き鳥)、甚助(沖縄そばと餃子)、万福(中華料理)、古城(名曲喫茶)など。

でも、現在はいせやだけしか残っていません。だらか、懐かしくなってフラフラ〜ッと寄ってしまうのです。当時は、まだ一段と高い番台があって清宮氏の母上が座って監視をしていました。焼き鳥は、支払いのときに串の数で数えたので、串を下に落としたりする飲兵衛もいたようです。

私(rik)たちは、最初から焼酎ストレートを梅割りにしました。やはり、そのころは厚手のコップに、受け皿が付いていたことを覚えています。新築をしたが五十年もの間、あまり雰囲気の変わっていないお店です。


わたくしのインターネットは知的空間。


五年前に始めたインターネットではあるが、ずいぶんと楽しい思いができる。居ながらにして見れるGoogleの航空写真(国内・外国)、そして最近になってストリートビューや海底写真まで。あるいは、活用範囲の広いYouTube。

YouTubeでは、例えば以前見た映画などを調べられる。
黒澤監督のロシア映画『デルス・ウザーラ』などは、原フィルムからの抜粋がいくつかあった。いずれも10分以内であるから、気楽に見れる。また、『短くも美しく燃え』ではモーツアルトのピアノ協奏曲21番二楽章があり、映画自体のフィルムはなかった。しかし、Googleの「画像」で見ると主人公の姿や映画のカットなどが見れる。

また、私の好きな「EF55」の雄姿があり、試してみたら「吉祥寺いせや」などもあった。さらに、YouTubeには「意味のないこと」が9件あって、Googleには「意味のないことの意味」などがある。わたくにとっては、見ていていつまでも飽きない知的空間である。


豚肉を食べれば、脳が活性化する?


ここのところ、私は吉野家で豚丼(とんどん)を食べる。
なぜならば、ドクター中松という人が一日一食700カロリー(キロ)として、豚肉を食べると脳が活性化するとインタビューで言っていた。
豚肉にはビタミンB16が含まれていて、脳によいとのこと。そうすると、144歳まで生きれるらしい。
また、発明の原動力を「金」でなく、「愛」にするとよいとも言っておられた。

私は大食いなので、一日一食では腹が減ってしまって、ちょっと不可能。
しかし、認知症やアルツハイマー病になりたくないし、また144歳くらいまで生きたいので、似非ベジタリアンから転向して豚肉を食べるようになった。吉野家で鰻丼などの期間限定食がないときは、たいがい豚丼。そして、サントリービールの中瓶。
そんなわけで、脳の働きがいまだに活発かも?


われ一人、天上天下唯我独存。


このごろ、つくづくと「唯我独存」だと思う。
自分は一人、天上でも天下でも、つまりどこでも一人ぼっち。賑やかな場所にいても、孤独感にさいなまれるのは何故であろう。おそらく、複雑な社会の中で、誰もが感じる感覚ではないか。

釈迦は、優れた人だったから、生まれたときから「唯我独存」と感じたのであろう。それが、おそらく後になって弟子たちが尊敬のあまり「唯我独尊」と言い直したのではないか。

ライオンなども狩をするときはグループを組む。人間も原始時代にはマンモスなどを狙うときは、数人で徒党をなしただろう。相手が大きいからである。現代でも組織などと言って、多くの人が何となく煩わしい仕組みにしばられる。できたら、個々が「唯我独存」でありたいものだ。


いたし方ないことと言い、老いを諦らむ。


いったい、いつの間に老いが来てしまったのだろうか。
私の場合は、少しずつ老いがやってきたのではない。ガクンと、急に来たようだ。一昨年の夏に、入院・手術をして退院後の肥立ちが何となく悪かった。もしかしたら、院内感染をしたのかもしれない。

クラミジアが多量に血液にいたこと自体、尋常のことではない。自分自身でも驚いてしまった。そして、さらに緑膿菌・溶連菌(溶血性連鎖球菌)などがいた。そこで、抗生物質を三種類も使用。一つは一時間以上もかかる点滴。

それでも、まだ完全に回復はしていない。つまり、老いてくるとパラサイトにも負けてしまう。私は「四門出遊」の最初の話を思い出した。それは、老人が道で必死になって犬から逃れている光景。
「四門出遊」は、釈迦が太子だったときに王城の東西南北の四つの門から出かけて、四つの出来事を見たこと。東門を出て老人、西門を出て病人、南門を出て死人、北門を出て沙門に会い、出家しようと決心をしたという。


YouTube、手軽に貼れる「YAHOO!」と「goo」。


大流行の世界的動画ライブラリYouTubeである。
私のデジカメは動画形式をAppleの「.MOV」形式で作るので、今までは何となく不便だった。なぜならば、Windowsムービーメーカーで読めないからだ。そこで、いちいちホームページビルダー付属のウェブビデオスタジオで変換をしていた。それがYouTubeでは、そのまま読める。

そのような次第もあって、動画は直接にYouTubeで処理できる。カットや編集などはできないが、字幕は付けられるようだ。私のデジカメでは音声が録音できないが、工夫をすれば何とかなるだろう。

YouTubeで実行すると、その下に「Yahoo Japan!」と「goo」というアイコンがあって、そこをクリックするとそのまま投稿をしたことになる。やってみると、「goo」プログよりも「Yahoo」プログのほうが手順が簡単のようだ。


強行軍をしないのが、プチさんの決まり。


健康維持や老化予防を目的としているプチさん(プティ散策)。したがって、強行軍を絶対にしてはいけない。あまりムリをすると、疲れが出てしまったり、膝を痛めてしまう。

そんなわけで、きついときには途中でやめる。
むろん、雨が降り出したりすると、早めに引き返すのである。風邪をひいて、気管支炎になってはいけない。また、体力を大幅に消費するのもよくない。

とにかく、あまり疲れを出さないようにして、心地よい眠りができる程度にしておきたい。若いころは少々のムリでもOKであり、翌日に疲れを持ち越すことはなかった。還暦を過ぎて、ぼつぼつ古希であるから、考え方を改めなければいけないのである。


人間はカインの心、もつものなのか?


旧約聖書に出てくるカインとアベルである。
アベルがベジタリアンであり、カインが肉食家であったのかもしれない。そして、その食生活が行動にあらわれてしまったのだろう。

いずれにしても、その経過はどうであれ、カインは罪を犯してしまうのである。闘争的なのも、肉食の結果かもしれない。

カインの心は、寂しかったかもしれない。そして人間の心は、もともと寂しいのであろう。人間は寂しい存在で、意味もなく荒野をほっつき歩く習性が、いかんともしがたい。
農業をして、一定の場所に安住できれば、それが忘れられていくのであろう。カインとアベルについては、聖書に書かれていることから、多くのことを学ぶことができる。


死ぬときに「意」をもちてゆく懸念が生ず。


最近になって、何となく自分自身の「死」を考えるようになった。
そして、むろん肉体は焼かれてしまうが、「意」が残るような懸念が心配として現実化してきた。今までは、脳も焼かれてしまうので、そんなことはないと考えていた。

しかし、生前には記憶が脳に蓄えられているのが現実としても、いっぽうではプラズマとして荷電体になっているらしい。人魂(ひとだま)などという言葉が古くからあるのは、そのようなことを暗示しているのではないか。

とにかく、物理的な物体として人体を考えるのではなく、電磁波のようなエネルギーとしてとらえると、重力の場だけでは解決できないこともあるような気がする。


内側も、外側もない不思議空間。


私たちの人体は、遠い過去にはパイプのようなものだったらしい。つまり、ミミズのように体内には一本だけの単純な消化用の筒があったのではないか。それが、機能を分担する各器官の発達によって、次第に複雑になってきた。

そんなわけで、現在でも口腔や胃の中・肺の中などは体外とも考えられる。浮き輪やドーナットに例えれば、中心の穴の空いているところ。すると、体内というのは浮き輪でいえば空気が入っている部分になることがわかる。そしてそこは、内側であっても一連の皮膚で守られている。

なぜ、そのようなことを考えるかというと「外包」と「内包」という概念を使って、人間を定義しようとしているからである。外側にある一連の皮膚で囲まれている部分を自己と考えるのは、社会的に、さらには宇宙的規模で考えると、未発達な脳のもたらす錯覚または幻影になってしまうからだ。


不用品、日に一つずつ捨てていきたし。


部屋にいて、ざっと身の回りを見渡すと、あまりにも不必要なものが多いのに驚く。おそらく、一生つまり私が生きている間に使う必要のない品々。そして、まず読むことのないであろう本など。

そこで、それらを整理してしまおうと思うのだが、なかなかできない。なぜならば、いつか必要になるんじゃないかなどと未練があるからだ。しかし、とうとう意を決して「一日に一つずつでも考えて整理をしてしまおう」などと決心をした次第。

『一言芳談』に、
<俊乗房云、後世(ごせ)をおもはんものは、じんだがめ一も、もつまじき物とこそ心えて候へ。>
とあった。


雨の日は小説などを試みており。


雨が降ったり、雪の日などは外出できない。そこで、自分の部屋でパソコンを始める。ときには長編小説を手がける。しかし、なかなか完成しない。小説家を志向しているのではなく、老化予防のためであるから、それはそれでよい。

したがって、回想創造法を用いた自己福音書としての作品。そこで、いずれも若い女性が主人公。今のところ三本あって、タイトルは、
『ジューダスの福音書』
『悪魔先生』……ヴィヴァルディの生涯。「アマデウス」と似ている。
『愛と死と永遠の書』……芹沢光次郎の小説を参考にした。
としてみた。
なお、『ジューダスの福音書』は『ユダの福音書』としたかったが、そうするとグーグルやヤフーに拾われてしまうので、英語読みにしてある。


それなりの理由はあるが、病(やまい)は愚か。


病気になって、つくづくと思う。
いろいろと事情はあったものの、不勉強で気付かなかったことが原因になっていることが多い。つまり、私(rik)が病気になったことの理由を問いただせば、自分自身が愚かだったことが原因だろう。

前立腺肥大なども、若かったころに脂肪や糖分などの栄養の取りすぎた結果のようだ。また、院内感染でパラサイトが体内に入ってしまったのも、そもそも入院をするような状態に陥ったからであろう。

個人差があることを忘れて、一律に考えるのもよくない。
「朝に水を多量に飲むと健康によい」とか「朝食を抜くとよい」とか「よく噛めば消化によい」などといっても、必ずしもそうでない。例えば、あまり噛むと繊維分がなくなってしまって、かえって胃腸をダメにしてしまう。
……


退院の後に、次々身体(からだ)の不調。


前立腺の手術をするために、十日間ほどの入院をした。
その結果は、素晴らしいほどの効果があって、二十年ほど若返ったようだ。つまり、お陰さまでオシッコがじゃんじゃん出るようになった。

医学の進歩と、執刀医の先生の技術に感謝をしている次第。
しかし、その後になって他の部分がなぜか次々と悪くなってしまった。身体の中に、パラサイトが常駐するようになってしまったためかもしれない。手術の前に数ヶ月間、カテーテルを用いたのでそこから体内に感染をしてしまったのではないだろうか。

そのパラサイトが、次々と胃腸などの内臓に症状をもたらす。
衰えてしまった身体には、かつてのような抵抗力がなくなってしまったようだ。まず、体力の回復をする必要があるらしい。


詳しくは知らないままに、始めたHP。


『青空のホームページ』が、なぜやぼったいのか?
Windowsやパソコンについて知識がないままに、市の文化サークルで仲間に薦められ、私(rik)が担当して作成したから。2004年の春にノートパソコンを買ったのである。

それまで10年くらいパソコンにはご無沙汰、仕事で使っていたころは、まだMS-DOSの時代であった。だからWindowsを始めたときは、何となく斬新な感じがした。

知らないままに、理解した範囲でいろいろとやってみた。
他人のせいにするのではないが、実は最初に協力してくれると言ったOさんと、Tさん。その大ベテランお二人は、しばらくして物故された。そんなわけで、デザインまで手が回らなかったんだ。
また、途中で放棄した次第。


少々のことでは医者に行かぬ人あり。


自分が医者なのに、あまり医者に行かない知人がいる。
その理由は、私なりにわかってきた。
ふつう病気の症状の変化は、

(1) 医者に行ったから治った。
(2) 医者に行かなくても、時間とともに自然に治る。
(3) 医者に行ったけど、いつまでも治らない。
(4) 医者に行ったから悪くなった。

の四つのケースがあるだろう。

事故による怪我や火傷(やけど)、骨折、そして盲腸炎などは、すぐに医者に行く必要がある。しかし、長期的に患った高血圧・糖尿病、そして肝炎などは通院をしても、なかなか治らないようである。


知らぬ間にクスリのリスク、身に迫りくる。


クスリのリスク。
そんなことをあまり考えない人が多い。病院で処方してくれたり、薬局でアドバイスをしてくれるので、安心して使用する。しかし、最初はよく効いた薬も、次第に効果がなくなってしまうこともある。

また、いろいろな薬を併用すると、思わぬ結果を招くことがある。有吉佐和子『複合汚染』のようなことが、身体の中で相乗効果として起こってしまう。ステロイド剤の使用なども、何となく身体には負担が大きすぎるようだ。

知らないままに陥ってしまうクスリの弊害に留意しなければならない。
クスリには、酒や麻薬のような特性があるのかもしれない。続けるうちに、中毒症状と似た状態になってしまうからである。
そんなわけで、あまりクスリは飲まないほうが無難。と私(rik)は思う。


Kuroda Kouta (2009.04.16/2009.04.16)