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  新句(十九音) 作品集(2012年11月分)



tamaさんのメールは、いつも有意義であり。


tamaさん(タマさん・玉木茂平さん)から、社会情勢に関するメールをいただく。歴史をとらえて現時点の問題など、多くを学ぶことができる。とても、私にとっては有意義な情報となっている。

現代の日本の社会は、すでに骨抜きになされている。いったい、誰のための国なのか。つまり、政治家の間にかなりの敵方の人間が、すでにいるのではないか。どう考えても、パンダを数匹もらっただけの国に対して、援助がべらぼうに多すぎるように思う。

あったこと、なかったことに、いちゃもんを付けて金銭を掠め取るのはヤクザの常套手段。そんなことに似ている政治をしているのは、あたかもパラサイトに寄生された病人とも同じ構造である。何とかしてほしい。


年老いて、呆(ぼ)けないうちに自分史を書く。


老いてくると、記憶力が減退する。そこで、記憶力がはっきりしているうちに、自分自身の過去を整理しておきたい。そうしないと、やがて何がなんだかわからなくなってしまう。

はっきりしている間に、孫たちのためにも、また自分のためにも前後関係を明確にして、書き残しておくべきである。

他人や関係者の写真や記録を載せると、肖像権や著作権などの問題が発生するかもしれない。しかし、そのような苦情が出たら記事を取り消すことで、大きな問題は発生しないでしょう。

自分史の見本一例……朗読とBGM付きで、タイトルは「詳細プロフィール このホームページの 作者紹介」となっています。
http://www.geocities.jp/rikwhi/riko/sakusya_all.html


腎臓が、とうとうダメになってしまった。


長らく糖尿病を患って、とうとう腎臓がダメになってしまったらしい。かつて糖尿病になったときは、半年ほどの自己治療で治ってしまったのだが、今回は院内感染をした緑膿菌などの原因で治らない。つまり、腎臓が回復しないのである。

「肝腎」という言葉がある。最近は「肝心」とも書くが、肝臓と腎臓のことで人体にとって、いちばん大切な臓器。また酒を毎日飲むので、肝臓も心配である。

腎臓が治らないときは、移植をするといいかもしれない。一年前くらいに、ファーレンゴンの人の腎臓が安く移植できたが、そんなにまでして生き延びたいと思わなかったので、私はしなかった。


最近は、激しい喉の渇きが生じる。


疲れが蓄積したせいであろうか、ここのところ激しい喉の渇きが生じることがある。おそらく、糖尿病の末期症状かもしれない。

まだ、目もショボショボしながらも、何とか大丈夫。足も、壊疽などはできていない。そして、むろん透析もしていない。十年くらい前に診てもらった内科の医者は、治療をしないと三年後に目や足に異常が生じ、透析になるかもしれないと言った。それから、七年間素人療法で何とかがんばっている。

まったく不思議である。疲れが蓄積しない限り大丈夫。しかし、心理的に疲れがたまると、喉の渇きが生じる。水やビール、そして炭酸飲料などを飲むと、一時的におさまるのであるが、……


今さらに、これはいったいどうしたものか?


私は数年前に、前立腺肥大の手術をした。そのときに用いたカテーテルから、ウイルス性肝炎に似た院内感染をしたらしい。エイズ・肝炎のような菌で、緑膿菌という。その後、ずっと身体の調子が悪い。下のような記事があった。

「全国民に肝炎検査の実施へ:厚生労働省が新指針

厚生労働省は、国内に患者が300万人以上いるとされる国内最大の感染症「ウイルス性肝炎」の検査について、全国民が少なくとも1回は受けるように働きかける基本指針を大筋でまとめました。

指針では、国や地方自治体が、検査や情報提供を行なう整備体制の必要性を強調しており、また感染者が治療を受けながら働くことができるよう企業に協力を求めることも定められています。

ウイルス性肝炎は感染経路がさまざまなうえ、感染しても自覚症状が現われにくいため放置している方も少なくありません。治療を受けずにいると慢性肝炎、肝硬変、そして肝がんへと進行し、年間約4万3000人が亡くなっていると推定されています。しかし、ウイルス検査の実施主体が、市町村、事業主などに分かれているため、どれくらいの人が検査を受けているか実態が把握できていませんでした。

そのため、厚生労働省は全国民が少なくとも1度はウイルスの有無を調べる検査を受けられるように態勢を整える方針を決定。肝炎対策基本法に基づく指針として、患者団体や専門医らが参加する協議会において了承されました。 来年度から市町村が実施する出張検診の支援や、患者の治療相談に応じるコーディネーターの育成といった事業が開始されることになっています。」


糖尿に野菜ドロドロ、自分で作る。


糖尿病には、食事に関する注意が必要である。一日に一回は、生野菜のジュースを摂ることが好ましい。そんなわけで、私は面倒だが生野菜ジュースをミキサーで作る。

材料は、ふつうニンジン・カブ・ゴボウ・キャベツなどである。カブがないときは、ダイコンを用いる。リンゴやバナナなどを加えることもある。

しかし、味付けに砂糖や塩などの調味料を、一切用いない。自然のままの味である。あまりおいしいものではないが、健康のためだと考えて、何とか飲み下す。


あれこれと日々悩むうち、自分が病気。


義姉が、自殺という愚かな死に方をした。その後始末が、大変であった。部屋はごみ屋敷。その後片付けが、50万円以上。銀行通帳は、毎月厚生年金が入る前は100円以下になっている。また、未払いの後期高齢者など、三年分も未納になっていた。

そして、市民税なども私の妻のところに請求が来る。仕方がないので、すべて払っている。死んでから120万円以上も現金で払ったことになる。

愚かで、無学な義姉をもったから、しかたがないのかもしれない。私は、まだ大きな発病をしていないが、妻はすっかり参ってしまった。すでに倒れる寸前といった様子。仕方がないことなのであろうか。


ボロボロと尿の中に、欠け落ちている。


何かのはずみで、血尿が出ることがある。ほんの少しではあるが、ふつうそこに小さな異物が混ざっている。おそらく、血管かその内部の異物であろう。

先日(2012/11/06火曜日)、ちょっと大食いをしたら出た。私は、自宅ではいったん尿をカップに採るので見るとわかる。

以前、通院をしていたころは、そのようなことが多かった。その当時は、腎臓や膀胱の一部がボロボロと欠け落ちて、尿に混じっていた。おそらく、新陳代謝が大きかったのかもしれない。


狭い部屋、質素な暮らし、それで満足。


私の住んでいる部屋は、12階にある狭い部屋。ふつう、3DKになっている大きさを二分して、少人数向きの住宅にしてある。だから、せいぜい二人まで。

それでも建物は超高層ビル、したがってスプリングクラーなどが付いていて、消火設備の定期点検がある。貧しいが狭い部屋でも、ホテル風の生活ができる。エレベータで降りたら、そこにビルティというレストランがある。雨の日でも、傘は必要でない。

貧しくて大きなところに住めないが、それでも何とか『方丈記』のような日々楽しい生活ができる。12階なので景色もよく、大栗川と向かいの「霞が関」緑地が見える。12階というのは、最初のころに歩いて上り下りしたからである。しかし、足が弱ってしまったので三機あるエレベータを利用するようになった。


このごろは、あるものだけで生活をする。


関係の少ないことにはタッチをしないのであるが、いきおい新しいものをなるべく避けて、現在所有するものに親しむようになる。

かつて買った書物やCDなど、取り出して読んだり聞いたりする。中には、懐かしい思いのするものがある。次々と新しい刺激を求めていくのとは異なった楽しみもある。『論語』為政編にあるように「温故知新」などと、昔から言うではないか。つまり、過去の事実を研究して、新しい知識や見解をひらくことである。ついでながら、 「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」と読み、「温」を「あたためて」と読むこともあるが、「温古知新」と書くのは間違い。

そのようにすると、生活そのものが消極的になったわけだが、何となく落ち着いた静かな日々を過ごせるようになった。


関係の少ないことは、タッチをしない。


若いころは、何にでも挑戦した。しかし老いてくると、体力がなくなる。そんなわけで、最近になって、あまり多くのことはできない。いきおい、関係のないことには、タッチしないことにならざるをえない。

あれもやりたい、これもやりたいという気持ちはあるが、体力が続かないのである。疲れやすく、飽きやすいというのも困ったことだ。

自分に関係する必要最小限のことを日々している。それでも、パソコンの中に大きな知的空間があるので、じゅうぶんに満足できる。とても、ありがたい話である。


素晴らしい才能をもつ、ユリア=フィッシャー。


ユリア=フィッシャー(Julia Fischer 1983.6.15〜)は、ドイツのヴァイオリニスト、そしてピアニストでもある。


http://youtu.be/dK5jWbI-hOk
http://youtu.be/SJUQD6Rr2M8


水晶を身体に入れる療法もある。


水晶(rock crystal)は古来からパワーがあって、健康にもよいと言われている。大きなものは、手で触れたり、握ったりする。また、小さいものを数珠のようにつないで、身体に付けたりもする。臍に入れたりもするようだが、落ちてしまうので絆創膏やバンドエイドなどで貼り付けておく。

口にくわえてもよいが、飲み込んでしまう危険がある。また、体内に置くのは男性ならば直腸(rectum)に入れるのが手っ取り早い。女性の場合も、立ち居振る舞いや座った場合を考えると、やはり直腸がよいでしょう。

直腸に入れると言っても肛門から入れて、少し深くまで押し込むと安定する。取れなくなってしまったり、また排便とともに水晶を失ってはいけないので、薄いビニールなどで包んで、引き出しやすくして入れるとよい。そのときは、クリームをたっぷり付けて指で押し込む。引き出すと便が付いていることがあるので、衛生に注意をしなければならない。この方法を私は「レククリス」と呼んでいる。


レククリス、すれば少しは体調よいか?


私は、週に数日はラップリンをしている。しかし、何となくする気がしないときが多い。そこで、レククリスをしておいて、勇気を出してラップリンをするのである。なぜそのようにするかというと、相互に抵抗がなくなって、私は気分が高ぶらずに、自然にラップリンができるから。

つまり、体調を整えるラップリンの補助動作として、レククリスするのである。そうかと言って、いったん履いた後で、あまりレククリス自体に気が取られたらいけない。ラップリンは、せいぜい一時間おきであり、その間はレククリスをずっと付けたままにしておくからである。レククリスをしていること自体、忘れていることが望ましい。

そんな次第であるから、あまり身体に抵抗を感じないようにレククリスを半日ほど履いていなければならない。刺激を強くすると、痔や直腸ガンになるかもしれない。そこで自然に保つように努力をする。そんな方法を考えて、ときどきセットをしなおす。健康に注意して、日々やっているうちに何とか慣れてきたようだ。そして、体調もだいぶよくなった。


本を読む楽しみありて、雨の日もよし。


雨の日は、外出も思うようにいきません。そこで、部屋で何かをする。外食は、エレベータで降りると傘なしで9痔からビルティに行ける。また、コモディというスーパーは10時から。傘をさして川崎街道を越すと、吉野家・松屋・なか卯が24時間やっている。

しかし、部屋に籠(こ)もったままのほうが多い。そこで、読書かパソコン。読書は、かつて読んだ本を取り出す。そして、何となく懐かしい気分になる。

読書には思い出があって、とても楽しい。パソコンはchromeから直接に映画や記録を探す。それも、また楽しい時間である。


検索は、chromeから直接にする。


かなり以前に、高速になるということで、chromeを確かめてみた。しかし、思ったよりも効果が上がらなかったので、そのままにしてある。その結果、ホームページのマークがすべてchromeに変わってしまった。

グーグルが作ったので、呼び出しは「https://www.google.co.jp」となっている。しばらくは使わなかったのであるが、最近になって検索に用いるようになった。ホームページを「http://www1.ttv.ne.jp/~riko/」で立ち上げているので、別にアイコンがあって高速の別枠を作るから簡単である。

したがって、作業中に調べごとに利用すると便利である。なお、つい最近まで「chrome」は、「チョロメ」と読むものとばかり私は思っていた。


『脳はバカ、腸はかしこい』、なるほどそうか?


2012年11月16日(金曜日)朝、ビルティで見た読売新聞一面下部にあった図書広告。専門が寄生虫学・感染免疫学・熱帯医学などの藤田紘一郎著。そこには「脳は性的モラルがなく、意志薄弱で、ウヌボレ屋。……脳は糖を欲しがり、腸は糖の摂りすぎを嫌がる」とあった。おそらく脳という器官の異常性について、書いてある書物のようだ。

著者は寄生虫についての専門家である。しかし、私のように脳自体がヒトに関する一種のパラサイトであると考える者からすると、まだそのような結論は出ていないようだ。

もっとも、ヒトの身体の中で腸が形成されたときよりも、ずっと後になって脳は完成したらしい。ミミズのような原始的な生物を考えると納得ができる。私は、ヒトの脳自体がヒトに寄生をした複雑なパラサイトではないかと思っている。


背を曲げて食べる姿は悲しくもあり。


最近になって、食事の支度をするのが億劫になった。そこで、ビルティやサイゼリアなどを利用する。吉野家や松屋などのこともある。とにかく、安くて安全なものが、そこで何とか食べられるからである。

ビルティやサイザリアでは、ドリンクバーが利用できる。数杯を飲むのであるが、定食の中に費用が含まれているので、ずいぶんと割安である。そんなために、高齢者が一人で来ている場合も多い。

高齢者には、意外にも女性が多い。おばあさんと言ってもよい人が、一人で食事をしている。後ろから見ると背が曲がって、前屈(かが)みになっている。雰囲気として、ちょっと悲しい姿でもある。


包み込む思想があって、こころ安らぐ。


これでは何のことかわからない。包み込むとは、ある対象の部分集合のことである。例えば、『論語』の中に自分が納得をする文章があるとする。むろん全体ではない。一部分でよいのである。

そのように全体を「A」とすると、自分自身の考えが「B」であって、「A」の中にあるということ。また、「B」の中に含まれない部分が「A」にあってもいっこうにかまわない。

包含関係がかなり複雑であっても、直感的に「包み込む思想」があれば、その全体「A」についても、納得できるというわけである。


いくらでも水が飲みたくなるのはなぜか?


前にも言ったが、最近になって、とても水が飲みたくなる。もしかしたら、糖尿病の末期状態かもしれない。ハーレーで浄化をした冷たい水、瓶ビールなどをはじめとして、炭酸飲料のペットボトルなど何でもよい。

とにかく、喉を潤(うるお)してくれるものが欲しくなる。さもないと、口腔が乾いてしまい、言葉を発するのにも不自由になってしまう。

いきおい水分を多く飲むため、不便なことも生じる。つまり、オシッコが近くなることである。おそらく、体内の水分が多くなるためであろう。そして、血圧もかなり上がっているのかもしれない。いきおい、遠くへ行くのが億劫になってしまった。


濾過をして冷やした水に、酢を入れて飲む。


糖尿病の末期になって、やたらと喉が渇いて水が飲みたい。そこで、ハーレーで濾過をした水をフランス製のガラス容器に入れて、冷蔵庫で冷やしておく。そして、飲むときに少量の酢を加える。

そのようにすると、味が付いて飲みやすい。炭酸飲料やビールなどと比べると味が薄いが、それでも何となくおいしい。

酢は身体によいという。私は、富士酢というメーカーが古来からの製法で作っているものを飲んでいる。酢と酒は、兄弟みたいなものなので、何となく満足をするのである。


用済みの電池と同じ、役に立たない。


使用済みの電池は、もはや役には立たない。見かけは新品と同様でも、まったくダメである。速やかに捨ててしまわないと、新品と間違えてセットをしたりしてしまう。

人間の場合も、同じようなことが言えるのではないか。老人は図体が大きく、立派に見えても、すでに体力や根気力がない。摩耗してしまった機械や消耗した電池と似たようなものであろう。

最近になって、つくづくと自分自身を考えてしまう。かつてのような根気力や体力が、すでにないのである。見かけは一人前であるが、作業自体はまったくダメ。すぐに疲れてしまって、続かない。もっと悪いのは、なかなか作業が始まらないことである。


最近は、鈍い動作とトロンとした目。


施設に入った知人を見舞いに行く。一年前は、頭脳もしっかりしていて、ただ立ち居振る舞いに不自由をしていた友が、ここのところ急速に変わってきた。

動作が鈍くなったことと、生彩がなくなってしまったことに気付く。おそらく加齢によって、何事も面倒になるのであろう。そして、表情まで無関心になってしまった。目がトロンとして、何事にも以前のようには、あまり興味を示さない。

何となく薬の作用ではないかと思うが、はっきりはしないのだ。鈍い動作とトロンとした目は、高齢にありがちな症状なので、仕方のないことかもしれない。つまり、見舞いに行くたびに、その人の人格が少しずつ失われて、認知症が進んでいくような気がするのである。


時間とは概念であり、存在しない。


「時空」という。「時間」と「空間」である。しかし、空間はともかく、時間はどうであろうか。実際に、運動がなければ時間の存在は意味がないのではないか。

われわれは、「ニュートン時間」や「ベルグソン時間」を意識する。そして、ニュートン時間が一種の約束ごとであることに気付く。すべての社会で、物事を時間に関して表示することによって、整理ができるためである。

とどのつまり、時間は人間の脳が考え出した一つの概念ではないだろうか。実際には、異なっている部分を一連の変化から切り出して、定義をすることによって個別化をする。そのようにすることによって、すべてのことが時間の制約によって、個別に定義されるのである。


ころころと鳴くコオロギも、いなくなりけり。


秋も深まり、いつのまにかベランダで鳴いていたコオロギ(蟋蟀)がいなくなってしまった。ベランダには植木やサボテンなどがあるので、蝉などがよく飛んできた。遠くから、緑が見えるのであろう。

蝉は、ベランダにある緑の草木にとまって、しばらく鳴いている。そして間もなく、どこかへ飛んで行ってしまうことが多い。中には、木の根元で死んでしまうのもいた。

小さい虫やコオロギなども、夏の間はよく来る。しかし、冬に近づいて寒さが増してくると、いつの間にかいなくなってしまう。死んでしまうのかもしれない。今年も、そうであった。


刺す力、ない蚊の動き、秋は深まる。


秋が深まってきても、南向きの暖かい部屋であるから、蚊がいることがある。室内で、まだ秋から冬にかけて、20度C以下になっていない。しかし、すでに弱っているので、肌にとまって刺すことはない。私は安心をして、しばらくじっと蚊の動きを見ている。

やがて、衰えて死んでしまうのだろう。よく見ると、飛んでいるのも精一杯のようだ。勢いが、ないからである。

そして何となく、前に読んだ志賀直哉の蜂か何かの記述のことを思い出す。城崎(きのさき)かどこかの旅館で書いたものだったと思う。しかし、なぜ蚊で蜂のことを思い出したか、私にもわからない。


ほどほどにすべきではないか、健康のこと。


日々の生活に、健康は大切。しかし、そうかと言って健康が生きる目的ではない。健康に注意をするあまり、何となく自分と妻の健康が問題になる。

しかし、まだ互いに身体に痛みや痺れが出たわけではない。何とか日々の生活には、不健康による苦痛がまだ出ていないのである。確かに億劫になったり、気力が失われてしまったことは事実であるが、それは体調によるものではなく、精神的な問題が影響をしているように思う。

何となく、人生の煩わしさを思い知らされた数ヶ月であった。また、義姉の死によって、人生の疑問などを知らされた。信仰などについても、つくづくと愚かしさを思い知らされたのである。そして健康の問題は、そのような背景に隠されていたように思う。


トンネルの思い出ありて、懐かしい場所。


小学校へ上がる前に、しばらくの期間、私の家族は鎌倉の扇ヶ谷(おおぎがやつ)に住んでいた。鎌倉駅から線路に沿って、北鎌倉のほうへ坂を上がり、海蔵寺の手前である。そんなわけで、よく周辺を独りで散歩した。

そのころは、自動車道になっている現在の大仏切り通しがなく、人が一人通れるくらいの小さな切り通しがあった。ほんの数メートルだが、そこを抜けると長谷に近道ができた。数年前に行ってみたが、長谷側の出口にゴミが捨ててあって、もはや通れなくなっている。当時、そこでトンネルを出るときに見た明るい光が印象的であった。

もう一つのトンネルは、父に自転車で連れて行ってもらった小坪へ抜ける道。これは、自転車が通れるくらいの切り通し。光明寺から、逗子マリーナに抜ける道だった。そのころは、逗子マリーナはなく、小坪は磯になっていて魚の釣り場であった。辺鄙なところで、湘南サナトリウムなどがあった時代である。


室内もとうとう寒く、今日から暖房。


今朝、室内の温度が18度Cであった。20度Cを割ったのは、この冬で始めて。そこで、室内温度を22度Cに設定をして、エアコンを起動した。すると、10分ほどで20度Cになった。ありがたいことである。

私の住んでいる部屋は、狭いが超高層ビルの一部である。部屋にスプリングクーラらが付いていたり、耐火構造になっている。そんなわけで、建物全体が冷えないのであろう。

12階であるから、空気もよいようである。今までは、熱交換機タイプの換気扇を使っていた。外気を取り入れるときに、室温にしてくれる。したがって、部屋の温度は一定で変わらない。その装置も、なかなか便利でありがたい。


次々と身体の不調、引きこもりがち。


加齢によって、健康を維持しにくくなるらしい。どうも、ここのところ体調が何となくよくない。
(1) 寒くなったためか、体温が保てなく、鼻水が出たり、体調が優れない。
(2) 便秘になりがちで、何となく気分がすぐれない。
(3) 水を大量に飲みたくなる。糖尿病のせいかもしれない。

しかし、まだ痛みや痺れなどが身体に表れていない。水を大量に飲んでも、腹痛などはない。ただ、オシッコが近くなるだけである。したがって、かつてのような遠出が億劫になって、つい下か隣のデパートで、買い物をするようになってしまった。

いきおい、引きこもりのような日々の生活になる。しかし、食事の支度や皿洗いなどが面倒であるから、モーニングなどは外食で済ますことが多い。エレベーターで降りると、ビルティというレストランがあって、9時からやっている。また、川崎街道を渡ると吉野家・松屋・なか卯があって、24時間営業で便利。

Kuroda Kouta (2012.12.14/2012.12.14)