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  新句(十九音) 作品集(2012年10月分)



つくづくと姉の愚かさ、改めて知る。


義姉の愚かさについては、「ごみ屋敷」や「引きこもり」に関して、これほどひどいとは思わなかった。死んでから、すべてが明確になったわけであるが、まったく異常なほどである。

なぜ、そんなことになったのだろうか。姉は前後見境もなく、生きてきたためであろう。あまり計画もなく、ただその日を送ってきたためかもしれない。

とにかく死後、部屋の掃除をするのに、専門業者を頼んで一ヶ月。部屋が臭いので、数日に分けてせざるを得なかったと言う。いっぺんにすると、作業員の気分が悪くなってしまうためである。いったい、自分自身はどんな生活をしていたのだろうか。


葡萄酒とパンの喩えを知らなかった姉。


まだ(義姉と私の妻との)母が生きていたころ。フランス製の高級な葡萄酒をもらったので、そのころ相模原にいた母と姉のところに届けた。そのときに、姉がパンと葡萄酒の喩えも知らなかったので、まったく驚いてしまった。

ルカによる文書(1) 第二十二章19・20節に「パンを取り、感謝を捧げてからそれを裂き、彼らに与えて言った「「これは、あなたたちのために与えられる私の体だ。私の思い出として、これを行ないなさい」 同じように、晩さんの後で杯を取ってこう言った「この杯は、あなたたちのために流される私の血による新しい契約だ。」」とある。

ぶどう酒については、「その子は主の前で、大いなる者となる。ぶどう酒や酔っぱらう飲み物を飲まず、母の胎にいるときから、聖霊に満たされている。」「洗礼者ヨハネがやって来て、パンを食べもせず、ぶどう酒を飲みもしないと、あなたたちは『彼には、悪霊がいる』と言う。」「(よいサマリア人が)彼に近づき、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやった。彼を自分の家畜に乗せて、宿屋に連れて行き、世話をした。」のような三件の記述がある。


死んでみて、いろいろわかる手続きがある


ふつう大人が死ぬと、社会保険事務所に年金の支払い停止の届け出を出すなど、誰かがしなければならない煩わしい届け出がたくさん残る。

市役所などに届ける死亡届は、必ず必要である。そうしないと、死体の火葬ができないからである。

その他、独り暮らしの場合は電気料金の停止などの手続きがある。死んだと言うことは一つの事実であるから、それらをすべて関連して行うこともできるであろう。しかし、現時点の制度では遺族の一人が、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてしなければならない。まったく煩わしいかぎりである。


だいぶ前、姉の愚かで、犬目騒動。


舌足らずで、何のことかわかりにくい。犬目は、八王子にあるカトリック教会である。義姉が突然に、教会に入りたいと言い出した。まだ、母が元気なころで、母が娘である姉の面倒を見ていたころのこと。

母をおいて出て行くというので、兄弟中から「無責任だ」という意見であった。それでも、最終的に義兄が母の部屋を作って、母の面倒を見るということになった。

しかし、姉の計画は実現しなかった。つまり、シスターにはなれなかったのである。掃除婦や賄い婦ならば、なれたのであるが、さすが姉の無学と不勉強では、教会もシスターとして引き受けるわけにいかなかったようだ。そして、兄弟たちが呆れたが、姉と母との生活は母が死ぬまで続いたのである。


教会の神父たちにも、いろいろとあり。


義姉(ぎし)は、義理の姉のこと。妻または夫の姉である。私の場合は「妻の姉」に当たる。兄の妻なども言う。さらに血縁関係はないが、姉妹の約束を交わして姉としている人など。

その義姉は、久しくクリスチャン。いろいろな神父と親しくしていたみたい。死んだときに、非公式なミサをしてくださった方が二人もいたらしい。義姉はもともと学問もなく、愚かで聖書の勉強などもしていない。それでも、教会では大切にしてくれた。

もっとも、相模原の淵野辺におられたフランスの神父さんは、はっきりと「姉の無学と不勉強」を指摘して、アドバイスをしてくれた。しかしその後、義姉は行かなくなってしまった。その神父さんについては、私を先生と呼んでくださる開業医をしている方から聞いた。その人が、フランスに留学しているときに、その神父さんと親しかったという。


独りでは死ぬに死ねない手続きがある。


だらしのない人が死んだら、後の人が大変である。義姉は愚かで、けじめのない人だったので、部屋の荷物搬出に50万円以上もかかった。また、二年前(平成22年)からの未納保険料45,600円も残っていた。それらすべて、私が支払ったのである。

また、死んだら社会保険事務所にその届け出をする必要がある。しかし、本人が届け出ることはできない。ふつう、家族の誰かが届けるのであろう。もっとも、届け出をしないで、振り込まれる年金をちゃっかり受け取ってしまう詐欺事件がある。かなりしてから発覚をして、返還をすることになる。

義姉が死んだので、府中の社会保険事務所に行った。しかし、一時間近く待たされたので、届け出をやめてしまった。面倒なので、そのままにしておこうと思う。後で利息を付けて返却をする必要が出てくるかもしれないが、本人は死んでいるので誰が償うのであろうか。


自殺した姉の愚かな哀れさがあり。


義姉が8月19日に自殺をしてから、ほとんどの手続きが何とか終わった。私は、その日に自殺をしたのだとわかったが、後のスケジュールに関係するので、言わなかった。死体検案書にも「敗血症」と書いてあったし、警察も気付かなかったからである。

その後、荷物を片づけて、姉の自筆ではないが証拠書類が出てきた。だから10月5日に、そのことを多摩警察署の担当警部に話した。すると、すっかり納得をされた。義姉の場合は、いわゆる「引きこもり」で自殺行為であったと考えてはいたが、その証拠を見て、はっきりした原因がわかったと言う。

自分自身が出られなくなってしまったことについて、私は井伏鱒二の『山椒魚』を思い出した。自分自身の変化には気付かぬままに、洞(ほこら)から出られなくなってしまったのである。また、教会の人たちや警察官の立ち会いで、ドアを開けてびっくり。足の踏み場もないほど、玄関に内側からものが置いてあって、死体を運び出すのにも一苦労。さらに居間のほうは、立錐の場所もないほど、ものが貯め込んであった。そんなことで、義姉が自殺をしたことが、すぐにわかったのであるが、私は黙っていた。


関わりをもちたくもなし、面倒なこと。


なるべく面倒なことには、関わりを持ちたくない。若いころは何でもやってみたが、古希を過ぎたころから、何となく面倒になってしまった。

そして、今やっていることが、何となくムダなような気がしてしまう。つまり、自分には直接にあまり関係のないことだと思うのである。

億劫(おっくう)という言葉があるが、面倒とともに億劫である。体力がなくなったことと、気力がなくなったことに、原因があるのかもしれない。困ったことである。


健全なからだとこころ、両立しにくい。


よく「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」という。ユウェナリスの『風刺詩集』に、「身体が健康であれば、おのずから精神も健全であるはず」とある。その詩の一部が訳されて広まった言葉なのであるが、本来は「大欲を抱かないで、健康な身体に健全な精神が宿るように望むべきだ」という意味。

ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis 60ころ~130ころ)は、ローマの風刺詩人。当時の退廃したローマ社会の偽善・愚行などを痛烈に批判したのが『風刺詩集』である。

つまり、ローマ時代から健全な身体と心は両立しにくかったという意味。


何となく何かをしても、すぐに飽きちゃう。


最近になって、すぐに飽きちゃうのである。かつてのような、忍耐力がなくなってしまった。疲れというか、もっとはっきりと言うと、人生の疲れが出てきてしまったみたい。

愚かな義姉が自殺をして、その後始末をしたのであるが、その後始末がくだらない作業の連続であったことも原因であろう。人が死んだのであるが、何でこのような愚かしいことを私がしなくてはならないかと思うと、ますます疲れてしまった。

他人のせいにするわけではないが、愚かしいことをしていると、すぐに飽きてしまうのである。そんなわけで、温泉にでも行って少しずつ体調を取り戻していきたいと思う。


「脳操」に、必要なのは水と食べ物。


「脳操」については前にも書いたが、それ以前に水と食べ物に関する注意が必要である。むろん、清々(すがすが)しい空気も大切。

脳が正しい判断を下すためにも、あまり高温になってはいけない。夏期などは、頭を冷やすことも大切である。睡眠中は、水枕やアイスノンを利用するのもよいでしょう。

涼しい環境にあると、正しい判断ができることが多い。そんなことを「脳操」を行うときに、知っておく必要がある。


ソコロフのラモーを聞けば、なつかくあり。


私は、ソコロフ(Sokolov)のラモー(Rameau)を聞くと、なぜかなつかく感じるのである。いったい何故だろうか。ソコロフもラモーも、まったく知らない国の人である。

そのようなことは、よくある。『徒然草』第七十一段に書かれている既視感(デジャビュ)などであろうか。

とにかく、なつかしい感じになるということは、心のどこかに共鳴をしているのであろう。そして、その原因は、私にもよくわからないのである。

http://youtu.be/A8qR5GYK7wI
http://youtu.be/MlTbi7yQw9k
http://youtu.be/L9AC1A7c-e8


ゴミ屋敷、近隣者とのトラブルがある。

下記のような記事があった。義姉の場合は火事などは起こらなかったが、その寸前であったみたい。

「元警視「ゴミ屋敷」隣人を日本刀殺害

 東京都世田谷区野沢の路上で、10日午前11時半ごろ、無職久保節子さん(62)が首から血を流して倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡した。刺したとみられる男は久保さん宅に立てこもり、同日午後、突入した警視庁特殊班が玄関脇で倒れているのを発見。男も間もなく死亡した。自殺とみられる。捜査1課は、殺人容疑で男を容疑者死亡のまま書類送検。男は向かいに住む徳永重正元警視庁警視(86)。日本刀のような刃物(刃渡り約50センチ)が近くで見つかった。近隣住民によると「2人の口論は有名」だったという。

 東京都世田谷区の高級住宅街で発生した突然の“立てこもり事件”に現場周辺は、物々しい雰囲気に包まれた。上空には報道各社のヘリコプターが飛び、警視庁の捜査車両や救急車など計20台以上が周辺を包囲。規制線が張られ、警察官が「犯人が凶器を持っているかもしれません。外に出ないように」と大声で呼び掛け、厳戒態勢が敷かれた。

 警視庁によると、10日午前11時半ごろ、久保さんが「隣の家の人が農薬をかける」と110番通報。その後、住民から「男が日本刀を振り回している」「人が倒れている」などの通報が相次いだ。警察官が現場へ到着すると、久保さんが路上で首から血を流していた。病院へ搬送されたが、失血死で死亡した。

 久保さんを刺した男は向かいに住む元警視庁警視の徳永容疑者。犯行後、久保さん宅に立てこもった。通報から約2時間が過ぎた午後1時40分ごろ、特殊班が突入すると、玄関脇の部屋で首から血を流して倒れていた。意識不明で病院へ搬送されたが、間もなく死亡。近くには血が付着した日本刀のような刃物が落ちていた。自殺したとみられる。

 2人の間では、今年5月ごろからトラブルが絶えなかった。捜査1課によると6月、足が悪くつえをついていた徳永容疑者が自宅前で殺虫剤をまいていた際、久保さんに体当たりされたとして世田谷署へ相談。10月には代理人の弁護士が同署を訪れており、事件につながったとみられる。

 近隣住民も多数のトラブルを目撃していた。60代の主婦は「女性の自宅がゴミ屋敷で、2人はよく口論していた。女性が男性へゴミを投げ付ける時もあった」。30代の女性会社員は「2人の口げんかは有名。おばさんが野良猫を10匹以上飼っていて、トラブルになっていた」と明かした。久保さんが私道に並べた植木鉢に関しても言い争いになり、事件前日には徳永容疑者が久保さん宅へ植木鉢を投げ込んだとの情報もある。

 一方、徳永容疑者も「おまえを殺して自殺する」と怒鳴りながら、路上で刀を素振りする姿が目撃されていた。久保さんは1人暮らし。徳永容疑者は妻と生活しており、85年に赤坂署課長代理を最後に退職した。」


久々に体重が減り、60代になる。


きょう(2012年10月12日(金曜日))、極楽湯に入るときに測ったら、体重が69.90キログラムになっていた。70キログラム代を下回ったのは、50年ぶりのことであろう。

ここのところ体調が何となくよくないのであるが、それでも身が軽くなった気がする。もっとも、糖尿病の末期による症状かもしれない。かつて、NASに来ていた古屋さんがそんなことを言っていた。太るにも、太れないのである。

義姉が愚かな死に方をして、その後処理などで忙しかったためかもしれない。サイゼリアに行って、ハンバーグステーキなどを食べるのであるが、翌日になると体重が戻ってしまうようだ。すでに、栄養を消化できないのかもしれないのである。


「ルドルフといっぱいあってな」、記憶に残る。


だいぶ前にテレビで見た物語。なぜか、印象に残っている。連続劇であったので、全部は見ていない。それでも、印象に残っている場面が多くある。

http://youtu.be/6YmLrUO2OkM
http://youtu.be/W2k5Dt9PVXI
http://youtu.be/VjbeqO27Zj0


この頃は救急車が、ひっきりなしに。


最近になって気づいたことであるが、私の住んでいる地域では、昼夜の区別なく救急車が走っている。おそらく、急病人が増えたためであろう。どうやら、交通事故ではないらしい。

いずれも、パープ・パープと鳴らして遠くからやって来る。そして、近くのマンションや民家の前で止まって、しばらくしてから出て行くことが多い。

もしかしたら、もう死んでしまった人が乗せられたのかもしれない。とにかく、高齢者が増えたことも、その原因であろう。高齢者は、循環器系や心不全などで倒れやすいので、いきおい救急車のお世話になる。


最近は、背がギシギシと痛むことあり。


加齢のためだろうか? 何となく身体がギクシャクとする。とくに、背骨が痛いことが多い。何かをしようとすると、ギクッと痛むのである。

70年以上も使った身体である。すり減ってしまった部分もあるだろう。そんな箇所が何かの拍子に、引っかかって痛むのかもしれない。

とにかく、あまりムリなことはやめて、身体に負担がかからないようにする。かつてのように、数十キロメートルを歩いたりしない。近くても、バスを利用して、足に負担のかからないようにすることも大切である。


人間の脳を食う虫、現実にいる。


数多くの寄生虫(パラサイト)がいる。さらに、三尸(さんし)の虫などが人間の体内にいると信じられた。三虫(さんちゅう)ともいい、上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士、中尸の虫は獣、下尸の虫は牛頭の姿をしている。大きさはどれも2寸ほどで、人間が生れ落ちるときから体内にいる。

庚申の日(60日に一度)に眠ると、三尸が体から抜け出して、天帝にその人間の罪悪を告げる。そして、その人間の命を縮めるのである、したがって、庚申の夜は会場を決めて、夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まった。

最近になって、実際に人間の脳を食べるアメーバが見つかったらしい。下記のような記事があった。

「人間の脳食べるアメーバに感染、パキスタンで10人死亡

[イスラマバード 9日 ロイター] 世界保健機関(WHO)の当局者は9日、パキスタンで5月以降、人間の脳を食べるアメーバ「ネグレリア・フォーレリ」による脳炎で少なくとも10人が死亡したことを明らかにした。
このアメーバは、汚染した水と一緒に鼻を通って体内に侵入し、人から人には移らないが、致死率は98%と非常に高い。アメーバに侵入されると、最初は頭痛や肩の凝り、発熱や腹痛など軽い症状を訴えるが、原発性アメーバ性髄膜脳炎によって5─7日で死に至る。
WHO疾病早期警戒システムのムサ・カーン博士によると、パキスタンで確認された10件の死亡ケースはいずれも南部の港湾都市カラチに集中している。ただ、このアメーバの存在は現地であまり知られていない可能性があり、感染例がすべて報告されているかどうかは分からない。カラチでは2006年にもネグレリア・フォーレリの感染が確認されていた。
米疾病対策センター(CDC)によると、米国では2002年からの10年間で32件の感染が報告されている。」


CloudMailで、100通以上が10通以下。


今まで、Windows Liveメールを開封すると、100通以上のリストが現れた。しかし、ほとんどが私には不要な迷惑メールである。そこで、CloudMailを導入した。すると、日々10通以下になった。

あらかじめ迷惑メールの一覧がホスト側にあるのと、そこへ自分なりに追加登録ができるためである。むろん、確認のために不要になったメールの一覧も見ることができる。

そして、自分自身のWindows Liveメールのリストには、チェックを通過したメールだけのリストがアップされる。結果的に受信メールが少なくなって、とても見やすくて便利。


スパイダー・ソリティアをして、運試しをする。


私はパソコンのゲームなどはしないのであるが例外として、何とはなしに音楽を聞きながら、スパイダー・ソリティアをすることがある。左側に、YouTube動画で音楽を流しておきながら、右の画面にソリティアを開く。すると、BGMを聞きながら、ソリティアができる。一種の老化予防というか、運試しでもある。

左の画面が、動画であってもよい。しかし、静止画のほうがソリティアに熱中できる。画面の横幅が1280もあるので、二分しても充分である。なお、画面の縦幅は1024。

ソリティアは、なかなか上がれないことがある。しかし、一回やってダメなら諦めてやめる。何回も挑戦するのは、疲れるし時間のムダになるのでしない


ハンマークラフィール三楽章、しみじみとした響き。


ベートーベンのピアノソナタである。そのソナタ作品106の三楽章。ハンマークラフィールは、ピアノの前身のような楽器であろう。Valentina Lisitsaが現代のピアノで演奏している。そして実に、こまやかな味わいが出ている。

http://youtu.be/WZOCQJppHsg
http://youtu.be/WxkAG8XZwXk


言い分は、それぞれにあり、当時の価値観。


石川五右衛門やヒットラーにも、それぞれの言い分があったと思う。しかし、私はその内容を知らない。また、ムッソリーニに関してカトリック教会が、いったいどのような価値観をもっているかも知らない。

世の中には、二重人格というのがあるそうだ。そして見方によっは、いずれの側にも考えられる。私は中学生の頃から、東条英機という人は、真面目で偉大な人だったと思っている。

かつて、イザヤ=ベンダソンという奇怪なペンネームで『ユダヤ人と日本人』という本があった。その頃から、私は義姉がユダヤ人(またはユダヤ系の人)でないかと考えた。なぜならば、人格が二重に見えたからである。


食事することの自体が、労働である。


「腹が減ったら、飯を食えばよい」などと、単純に言う。しかし、飯を食うこと自体が、かなりの重労働である。その証拠に、かなり疲れたときには、飯を食う気力までなくなってしまう。

そんなときに、何かを食べると、かなり疲れる。そして、消化できなくて、戻したり噎(む)せ込んだりしてしまう。

したがって、ある程度空腹になったら、何かを食べなければならない。とくに高齢者になったら、注意をする必要がある。生理的に、内臓が弱くなっていることもあるからである。


夢さめて、瞬間どこにいるかを迷う。


うたた寝をしていて、目が覚めると、ふとどこに自分が居るのかを迷うときがある。私は、温泉の寝風呂でうたうたとしたときなど、目が覚めると家の蒲団ではないので、瞬間ではあるが、びっくりしてしまう。

夢自体が連続性のないものであるから、他愛のないことを考えていたのであろう。どこで夢が覚めても、身の危険もないような内容である。

それでも、論理の脈絡が途切れると言うことは、考えてみればなかなか恐ろしいことでもある。生死についても、そんなことが大きな問題になることがあるかもしれない。


ゆらゆらと水母(くらげ)漂う心地は何故(なぜ)か?


最近になって、身体全体がゆらゆらとすることがある。もしかしたら、病気なのかもしれない。脳の感覚が、そう感じるのであって、脳震盪にも似ている。しかし、しばらくすると治ってしまう。

おそらく、三半規管の故障だろう。三半規管は、内耳にある三つの半環状の管である。それらは、互いに直角に組み合わされており、その中にはリンパ液が満たされている。そして、その動きによって回転方向を立体的に知る。つまり、平衡感覚を司っている。

とにかく、短時間でも平衡感覚を失うのは困ったことである。やはり、加齢によって身体に不都合が生じるのであろう。すでに古稀(七十歳)を過ぎたのであるから、横井也有が『歎老辭』に言うように、仕方のないことかもしれない。


「疲れた」と言うと、ますます疲れてしまう。


よく、「疲れた」「疲れた」という人がいる。しかし、そのような人は自己暗示にかかってしまい、ますます疲れてしまうようだ。

むしろ、疲れなどを忘れている状態が好ましい。しかし、そんなことを言っても、古稀を過ぎると、身体が衰えるのでなかなか難しい。

仕方がないので、自分で自分自身を騙すようなことを考える。つまり、疲れてはいるが「まだまだ大丈夫!」と思うのである。そして、しばらく横になって休息をする。そのときに、頭を水枕やアイスノンで冷やすと、私の場合は効果的である。


老いたらば、転ばぬように万全の注意!


若いころは問題でないことが、老いてくると違ってくる。足がからんで転んだだけでも、打ち傷をしてしまう。もしも、後ろ向きに転ぶと脳を打って、脳震盪になる危険性が大きい。

したがって、平素から万全の注意が必要である。靴も滑りにくいものを履いて、歩幅も小さくする。歩幅を小さくするのは、躓(つまず)かないためと、軽く躓いても転ばないようにするためである。

また、階段なども身体のバランスを崩したときに、手摺りにすぐに捕まれるような体制にしておく。階段やエスカレータの手摺りをべたっと握ってしまってもよいが、そうすると衛生面の問題が生じる。


混沌とした思い出が、脳裏をよぎる。


それは、いったいどういうことなのだろうか? 楽しい思い出とか、反対に不愉快な思い出などが、ふと突然に出てくる。とくに、そのときの感情には関係がないようだ。

脳は起こったことの一連の記憶場所らしい。そして、その記憶は後で何かの拍子に再生されるのではないか。つまり、経験を思い出すことである。

整理ができていない状態で、混沌としたままの形で出てくるのは、困ってしまう。いったい、それにどういう意味があるのだろうか、自分自身でもまったくわからないからである。


できるだけ空気と水は新鮮なもの。


空気と水は、新鮮なものを摂りたい。空気は、室内を閉め切ってしまわずに、窓を開けておいたほうがよい。冬の寒いときは、熱交換型換気扇を用いて室内と同じ温度にして、換気をするとよい。

水も新鮮なものがよい。できたら、塩素や化学物質を除いて、安全な水にしたい。私はハーレー浄水器を用いているが、直接に飲むのだったら蛇口からでなく、冷蔵庫でしばらく冷やしてから飲むとよいでしょう。

日本で売られているペットボトルに入った飲料水は、滅菌のために加熱をしてある。生水でないので、おそらく身体には好ましくない。フランス製のエビアンは、加熱をしない生水であるが、カルシウムなどを含んでいるので、日本人には結石などができて、好ましくないと思う。


朝・松屋、昼・サイゼリア、晩・部屋で飲む。


ここのところ、外食が増えた。愚かな義姉が自殺をしてから、二ヶ月ほど去って妻も私も疲れてしまい、飯を作るのが何となく億劫になったからである。朝は、松屋で焼き魚定食。昼はサイゼリアで日替わりランチの場合が多い。

そして、夜は自宅で大瓶ビールを二本、軽い夜食とともに飲む。そんなわけで、長年続けたベジタリアンもやめてしまった。また、妻は姉のことを話題にすると、血圧が上がってしまう。今までに、120万円ほど姉の支払いを現金でさせられたからであろう。

自分で作って食べれば、健康的で安全であろう。しかし、義姉の晩年を考えると、何をするのも面倒になってしまう。義姉が葬儀ミサを三回もしていただき、洗礼名を三つも持っていることを考えると、うんざりしてしまう。なぜならば、市役所に催促されて姉の健康保険料の未納分三年分も妻が支払わされたり、さらに市民税の未払いを請求されたりしているからである。そんなわけで、飯の支度をするのさえが気分的に面倒になってしまった。


対策は、早め早めになしておくべし。


何の対策かって? 例えば、地震。また、病気というか健康についての注意など。それらの事象は、意外にも思わぬときにやってきて、その進行が早い。そして、そのいざというときは、意外に早くやってくるかもしれないから。

かつて、『傾向と対策』という雑誌があった。そこで平素から、そのようなときがきても慌てないようにするだけの心づもりが必要である。

「備えあれば憂いなし」などと、昔から言うのは当を得たことであろう。つまり、早め早めに対策をたてておかなければならない。

Kuroda Kouta (2012.10.31/2012.10.31)