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  新句(十九音) 作品集(2012年8月分)



必要のないものを捨て、疑問が残る。


古稀(七十歳)を過ぎたころから、必要のないものを整理し始めた。おそらく、死ぬまで関係のないものやことなど、持っていても仕方ない。そんな案配だから、新しいことも始めない。それがあると便利ではあっても、面倒なことは始めないのである。

つまり、若いころのような情熱と気力がなくなったのである。その費用は何とかすれば問題ではないが、それに熱中する情熱が薄れてしまったみたい。

そんなわけで、いろいろと考えてみると、身の回りの必要がないことの他に、もしかしたら自分自身がすでに必要のない存在なのかもしれないという疑問が湧いてくる。そして、何となく宜なるかなと思うのではあるが、……。


理工式健康法の記事を投げ出す。


Facebookページで、ホームページを作ろうとした。しかし、TabSiteの取り扱いが狂ってしまって、ノートとのリンクがうまくいかない。仕方がないので、その時点でギブアップをした。

しかし、あらかじめそのようなことを想定して、ホームページにバックアップをしておいた。だから、そのFacebookのノートをホームページ側から呼び出して編集することもできる。しかし、面倒なので投げ出したまま。

下記のような形で、みっともないままに残っているが、気が向いたら再びメンテナンスをしよう。
理工式健康法


あらすじが記憶に残る映画を探す。


数年前に見た映画。何というタイトルだったかをどうしても思い出せないのである。

屋敷の内部に小さな川が流れている。幼いときに、その川に沿って近道をした。しかし、ときどき屋敷の管理人に見つかって、注意をされる。

その後、その女の子は大女優になる。そして、その屋敷が売りに出されているのを知って、屋敷ごと買おうとする。そんなストーリのタイトルを忘れてしまった。ググっても、なかなか出てこない。


ありがたいシルバーパスの小さい旅行。


シルバーパスは、私の場合1年間1000円の費用で、提示をするだけで都内のバス路線に乗れる。とても便利である。

そんなわけで、バスを利用することが多くなった。利用の方法としては、起点から終点の場合が多い。例えば、聖蹟桜ヶ丘から国立駅、多摩センター駅、帝京大学構内などである。

そして、そこから歩いてみたり、温泉に入ったるする。小さい旅行と言うほどのことではないが、老いて長距離を歩けなくなってからは、それでもかなりの運動である。そんなわけで、シルバーパスを利用できることには、大いに感謝している次第。


楽しみは、ようつべ(YouTube動画)を見る、食うことと寝る。


橘曙覧(たちばな あけみ)のことを考えると、何とも恥ずかしい内容。橘曙覧は江戸後期の歌人で、志濃夫廼舎(しのぶのや)と号した。万葉調の気品ある歌を詠み、良寛とともに幕末歌人として異彩を放っている。

それはそうと、私も古稀を過ぎたころから、何となく楽しみの数が減った。かつては、あちこちに行ったり、興味ある趣味に熱中をした。それが、最近では疲れてしまうので、面倒になってYouTubeの動画を見ることくらい。それでも、世界の動きや医療関係の知識、そして音楽などが部屋で実現できる。

また、食うことは外食によって楽しくなる。葡萄酒なども、ゴージャスな昼食にとる。ゴージャスと言っても年金生活者なので、せいぜいサイゼリアで昼のランチ(600円)・赤のデカンタ(190円)の計790円くらいである。そして、夜になって安らかに寝られることが、正直言って楽しみである。


手が痺れ、痛くなるのは何故であろうか?


今まではなかったことだが、最近になって手の指先が痺(しび)れる。血行が悪くなっているのかもしれない。そして、何となく痛くなることもある。

そんなときは、手を揉(も)むと直ってしまうことが多い。また、温泉に行って、身体を温めるとたいがい直る。指先の血管に欠陥を生じたか、そこを流れる血液に問題があるのかもしれない。

何とかしなければならないと思っているが、まだあまり重傷でないから様子をしばらく見てみようと思う。もしかしたら、パソコンのキーボードを使いすぎるためかもしれない。


こんなことしててよいのか、終末のとき。


2012年の12月に、世界の終末が来るという。易経やノストラダムス、マヤ暦などでそのような予言が出ている。つまり、世の終末が来るらしい。

そんなことがあっても、とくに何もしていない。本当は、地下にシェルターを作ったり、防空壕を掘ったりする必要があるのではないか。

しかし、身の回りにはそんな気配はあまり見当たらない。最寄りの電鉄会社が地震対策としてホームの支柱の補強を始めたくらいしか、私には気がつかない。ノアの方舟(はこぶね)なども、その当時は誰からも相手にされなかったのではないだろうか。
2012年の予想図


つけ麺のおいしい店が近くにできた。


部屋からエレベータで降りると、道の向こう側に吉野家・松屋・なか卯などがある。そして、だいぶ前に東池袋にあったという大勝軒という店が開店した。

とくに、どうということではないが、私にとってはありがたい話だ。つまり、肉の入っていない注文をするので、吉野家に行ってもライスカレーくらいしかない。そんなわけで、チャーシューが一切れしか入っていないことには辛抱できる。また、野菜大盛りも同じ値段(680円)でOK。

それだけで、腹一杯になって何ともありがたい。つけ麺ではあるが、私は辛い汁(つゆ)を飲まないようにしている。


体調の悪いときには、「健康21シリーズ」。


かつて、私の学生時代に「傾向と対策」という受験用の雑誌があった。その後、社会に出てからも傾向に対しては、何らかの対策をたてることが多くなった。例えば、風邪が流行するときには、その予防などを行うのである。

それはそうと、「青空のホームページ」に「健康21シリーズ」というのがある。そこには、病気の知識とともに、予防の方法なども述べられていて、大いに参考になる。

医学的な知識が解説されているので、それなりの傾向があったときには、的確な対策ができて、何ともありがたい。
健康21シリーズ


恥と悔い、あまりに多き人生だった。


考えてみると恥と悔いが、あまりにも多い人生だったなぁ。それらを思い出すだけでも、何ともやりきれない気持ちになる。

そして、もしも生まれ変わったら、そのようにならない工夫をしようなどと、考えている。呑気なことかもしれない。

恥や悔いは、自分の力量がなかったために、ついそうなってしまったこと。もしも事前に慎重に考えれば、避けられたことが多い。もっとも、すべては後になってわかったことなんだ。後の祭りである。つまり、祭りのあとの山車(だし)のように、時機遅れでむだなこと。今さら悔やんでも手遅れなのである。


改めて言うまでもない、生老病死。


私も古稀を過ぎたころから、生老病死がチラチラと見えてきた。どうしても、病気になりがち、そして死が近づいてくる感じ。なぜならば、風邪などのような軽い病気でも、若いころのように簡単には治らない。

悪化をしないまでも、長引いてしまう。いつまでも調子が悪かったり、気分が優れないのである。おそらく、身体の抵抗力や免疫力が衰えてしまったのであろう。

そんなわけで、日々無理をしないで体調を壊さないようにしている。かつてのように長距離を歩いたり、徹夜をして原稿を仕上げたりなどしない。つまり、一晩寝ても疲れが残るようなことをなるべくしないのである。


寝たきりやおしめは、何とか避けたいものだ。


私は古稀をとっくに過ぎたが、寝たきりになったり、おしめ(襁褓)のしたきりになるのは、何としてでも避けたいと思う。また、いわゆる恍惚の人やアルツハイマー病もご免だ。

友達に、寝たきりになってしまった人がいる。それを見ると気の毒ではあるが、少なくとも自分の意思で、動けることが大切であると思う。

そんなわけで、身体の調子には注意をしなければならない。脳梗塞になったりすると、身体の自由を失うことが多いので、そうならない工夫が必要である。つまり、高齢になればなるほど、自分の健康に対して留意しなければならないことになるようだ。


人生の終わり近くに、聖書の勉強。


古稀をとっくに過ぎ、私に残る大きなことと言えば死ぬこと。そこで、いろいろなことを考えてみた。生前のことや死後の状態を知るときに、仏典のほかに聖書の知識が必要である。

時間がないので、どうしても簡潔な資料が欲しい。芥川龍之介ほどの人でも、「侏儒の言葉」で呟いたり、自分自身の聖書を作ったりしている。(「西方の人」と「続西方の人」の二冊) 聖書が、膨大になってしまったからであろう。

アポロニウスの業績が混じっていたり、ルカがテオフィロ閣下に言った資料が次第に大きくなりすぎてしまったようだ。私は、「ルツ記」などのように小説にしたものはともかく、自分自身用に用いる資料は短いほうがよいと思う。
「Qの福音書(先生の言葉)」
「落ち穂拾い」


「自分史」を作ってみよう、老化予防に!


記憶は、次第に薄れていく。そこで、高齢になったら「自分史」を作ってみるのもよいだろう。今までの記憶を整理することによって、アンチエイジング効果があるかもしれない。

最初、あらすじを作っておいて、それを次第に追加していく方法がよい。自分を中心にして、関係のある人が登場する。プライバシーの問題が、生じるかもしれない。しかし、文章や写真については、問題が生じたら削除や修正をしたらいいのではないか。有名人でない限り、あまり問題にならないことが多いようである。仮に問題があったら、その文章全体を未発表とすればよい。

最終的には、かなり大きいものになると思う。また、後になって修正・加筆していくと、老化予防の効果があるでしょう。私の場合、「詳細プロフィール」として「青空のホームページ」の作者紹介にも利用した。
「自分史」(詳細プロフィール このホームページの 作者紹介)


水分の補給と考え、瓶ビール飲む。


夏は、喉が渇く。私は重度の糖尿病なので、とくに人一倍喉が渇くのである。だから、水をガブガブ飲むんだが、あまりおいしくない。そこで、大瓶のビールを毎回20本ほど注文して大量に飲む。夏期は一日に三本くらい飲んでしまうので、注文は週に一回。

アルコールが5パーセント程度だから、アル中にはならないようだ。また、アルコールで消毒をした飲料と思えば、何となく安全である。

そんな理屈で、飲み物のほとんどが瓶ビールになってしまった。大瓶だから一回で、一本あれば何とかなる。ただ、妻と飲むときは二本を開けることもある。いくら弱いと言っても、やはりアルコホリックになってしまうようだ。


そのままで、水道水を飲むのは危険?


危険というのが、いったいどのような状態を言うのかで、問題は異なってくる。また、場所によっても水質が大きく異なるであろう。ここでは、一般的な話題。

消毒用の塩素などのほかにも、化学物質や農薬などが混入していることがある。そこで、私は安全を見越してハーレーという浄水器を用いている。むろん、そこから出た水は腐敗しやすいので、その水で作った氷を入れて冷やしておく。

冷たい水を飲むのは、健康によくないかもしれない。しかし、多量に飲まなければ問題はないでしょう。つまり、ちびちびと何回も飲むのである。


何となく膝がガクガクするのはなぜか?


この歳(2012年8月)になって、何となく膝がガクガクすることがある。もしかしたら、カルシウムの不足かもしれない。今まであった爪の三日月も、すっかり消えてしまった。

最近の食材からは、必要な成分が満足に摂れないと言う。どうしても不足してしまうのである。そこで、青汁やドデカミンなどで何とか補足する。

カルシウムの不足も、必然的に起こる。だからシェーキーズへ行って、ピザの食べ放題を週に一回くらいはする。そのときに、ピッチャーも注文するので、効果が半減してしまうのかもしれない。カルシウムは骨などの成分になるとともに、体内の解毒をしてくれるという。


なぜだろう、ストンと落ちる夢を見るのは?


ときどき、身体がストンと落ちる夢を見る。蒲団に寝ているので、落ちる距離などはないのであるが、実感としてストンと落ちるのである。

そんなときは、驚いて目が覚めてしまう。夢自体は脈絡のないことで、前後関係もはっきり覚えていない。ただ、そのストンという感じが、なかなか強烈なのである。

もしかしたら、内蔵の調子が悪いのかもしれない。血液が滞(とどこお)っていたのが、いっぺんに流れたのかもしれない。めったにはないことではあるが、毎日そのようなことが起こったら、一度医者に行ったらよいだろう。


大声を出すのも一つの健康法?


ときどき、大声を出すと健康によいらしい。しかし、室内でやったり、デパートや電車の中ですると、気が違ったと思われてしまう。

そこで、多摩川の堤防へ行ってする。こちら側に人がいないときに、大声で「おーい」と叫ぶのである。向こう岸にいる人に、呼びかけている感じになる。

しかし、それでも変な人がいると思われるだろう。実際に、誰にも聞かれずに大声を出すということは難しい。騒音の激しいトンネルの中などは、よいかもしれない。それだって何か問題が起こるかもしれず、注意をする必要があるだろう。


何故か、今年の蝉はほとんど鳴かず。


毎年、喧(かまびす)しく鳴く蝉が、今年はあまり鳴かない。異常気象のせいであろうか。ミンミンゼミが、遠慮がちに少しだけ。しかも、短い期間に鳴いていた。そして、すでに秋のような気配になってしまった。

2012年12月は、予言された終末の時期であると言う。具体的に何がどうなるかは、私の知るよしもないが、何となく毎年と異なる気配がする。

今年は、蝉があまり鳴かないままに夏が過ぎたという印象が強い。もしも、終末がなかったら、いったい来年は、どうなることやら。


とりとめのないことばかり、考えており。


空想というのであろうか。ここのところ、あまり現実的でないことばかり、考えるようになった。とりとめがないというか、論理的ではないことが多い。

おそらく脳が考えるのであろうが、あまりにも突飛なことで、驚いてしまうのである。考え方をある程度パターン化しておいて、それに基づけばいいのであるが、まったく思いつきである。

イグナティウス=デ=ロヨラ(Ignatius de Loyola 1491?~1556)」に「霊操」というのがある。健全な身体を作るのが体操であれば,健全な魂を作るのは霊操。つまり霊操は、魂を活性化させて神の意志との直接的な接触をめざす。イエズス会創始者ロヨラの神体験を基にした詳細な霊操指南の書である。


目つぶれば、ほのかに見える残像があり。


目を瞑(つぶ)ると、ぼんやりとした残像が残ることがある。今まで、とくに気にしたことはないが、何かのサインかもしれない。

目はレンズの役目をする器官である。そして、その実際の像は、脳で理解をするらしい。したがって、過去に見たことのないものは、理解ができないのではないか。

ただ、何となくぼんやりとした残像ができるというのは、自分自身でも経験をしたことがない事象を思い浮かべたことかもしれない。


捨てること、整理・整頓、必要な時期?


私も、とうとう七十歳代の半ば。何となく、いいかげんな人生を歩んできたように思う。そんなために、身の回りには不要なものが多い。

小説の書きかけ、絵の未完成なもの、作曲途中のピアノ曲など。そのときどきの思いつきで作ったものだから、他人には何のことかわからないだろう。

そのような未完のものを整理・整頓をする必要がある。そのままの形で残しておくと、意味がないばかりか、だらしのない人間だったと言われてしまうだろう。そんなことをつくづくと考える年格好に、私もなってしまった。


うすうすとわかり始めた死後の生命。


むろん、私はまだ死んだことがないので、死後のことなどわからない。しかし、もしかしたらその経験があって、その記憶が失われてないだけのことかもしれない。いずれにしても確証はないけれど、何となく感じるのである。

つまり、私には死んでしまえばすべてが終わり、とは考えられないのである。そして、脳の機能などにも疑問をもっている。なぜならば、最近になって脳のない子どもが生まれていることや、クラゲなどの脳のない生物がUFOの編隊のような高度な行動をとることが、不思議にも思われるのである。

私の知識では、はっきりとしたことはわからないが、YouTube動画などで調べたところ、脳の機能のほかに、「気」というものが存在するのではないかと思うようになった。


血管が浮き出るときは、高血圧か?


最近になって、脚の血管が浮き出る。右足の内側が、無気味にふくらんできた。左足は、さほどでもない。いったい、どうしたことなのだろうか?

そして、ときどきその中で何かが動いている感じがする。血管の中の成分だろうか、あるいはパラサイトなのであろうか。どうやら、単に高血圧ということではないらしい。

いずれにしても、ムズムズと虫が這っている感覚。しかし、外側には何も見えない。やはり、血管の中であろう。何となく院内感染をしてしまった緑膿菌などではないかとも心配している。


歯ブラシで、歯周病予防はできないものか?


歯ブラシでゴシゴシ擦(こす)っただけで、歯周病の予防はできないのだろうか。私は定期的に歯科医師に行って、歯に付いた歯周菌を取ってもらう。かなり、強い圧力で削るらしい。痛いときがある。

そのようにしないと予防にならないらしい。歯磨きの中には、歯周菌対策のものがあるらしい。もしかしたら、自動的に歯周菌を溶かしてしまうらしい。

しかし、その方法では他の問題があるらしい。菌を除いても、歯自体がダメになったら仕方がない。やはり、ていねいに磨いて、月に一回ほど歯科医師で歯周菌を取り除いてもらうのが、よいのかもしれない。


食べ物の過不足による脳の異常化。


日々あまり気にしないが、食べ物の過不足によって脳のダメージが実現してしまう。とくに高齢者の場合は、問題が大きい。

最近よく言われる「引きこもり」「ごみ屋敷」など。それらは自分自身で一つの空間を脳に作ってしまう。むろん、その価値観なども自己勝手に作り上げる。したがって、他人の意見などを聞かないのである。

不足する栄養素を補い、不必要で人体に好ましくない化学薬品などを取らないようにすることが大切である。つまり、取ってはいけないものを避けて、取らなくてはならないものを摂取することが大切。微量栄養素でも、欠乏をすると大きなダメージを脳に与えるらしい。


引きこもり、ごみ屋敷など、認知症の結果。


最近になって、認知症の人が、65歳以上の一割を占めるようになった。その極端な例として、引きこもりやごみ屋敷がある。

引きこもりは、部屋に閉じこもってしまい、外出をしなくなる現象。また、ごみ屋敷とは不要なものまで保存をするので、部屋がいっぱいになったり、家の周りにごみの山ができる。

そんな行動をするようになったら、認知症の一種と思えばよい。つまり、脳がおかしくなって、正常な判断ができなくなってしまったのである。おそらく食べ物が悪く、脳を冒されてしまったためであろう。


何となく、先が短いような気がする。


古稀を過ぎたころから、何となく先が短いような気がする。それまでの、ほとんど失敗だった私の人生を振り返ると、そんな実感がひしひしと感じられる。

善行もほとんどなく、そうかと言って人を殺したり、傷を付けたような悪行もなかったようだ。つまり、あまり意義のない人生を平々凡々として過ごしてきたのである。

今から、いまさら大きなことはできない。なるべく悪行を避けて、穏やかにこの一生を終わりたいものである。


新しいものは買わない、複雑だから。


古稀を過ぎたころから新しいものは、なるべく買わないようにしている。便利ではあるが、その利用方法が面倒であることが多いから。

そんなわけで、電子レンジや携帯電話なども、まだもっていない。また、自動車の免許証は大型と自動二輪があるのだが、車もやめてしまった。自動車の他にカーナビなども便利ではあるが、使いこなせないと考えたからである。

そして、免許証の更新さえもやめてしまった。高齢者の更新手続きが何となく面倒だったからである。したがって、最近はバスを利用する。シルバーパスが1000円で取得できるんで、便利である。行動範囲も、かつてと比べて小さくなったので、それで充分である。週に数回スーパー銭湯に、汗をかくために行くぐらいだから


可能性失いつつも、ただ生きるのみ。


加齢にともなって、次々と可能性を失ってきたみたい。そして、何となく生きるようになった。以前のようにバイタリティーがないので、とくに何もしない。

自分自身と妻の健康を考えるくらい。かつては、姉の健康も考えたのだが、姉は言うことを聞いてくれずに、亡くなってしまった。残念なことである。

健康に関する原則のようなものがあるに違いない。個人差はあっても、基本的なことは多いだろう。「理工式健康法」と名付けて、すこしずつまとめていきたい。私と妻は同年齢なので、互いに百歳になったら、その内容が認められるかもしれない。

Kuroda Kouta (2012.09.14/2012.09.14)