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 新句(十九音) 作品集59(2012年5月分)



時空間、脳がもたらす仮想概念?


時間と空間である。私は、もしかしたら時空ともに実在するものではないのではないかと考えている。とっぴな考えであるが、何となくそう思うのである。

確かに時間の概念はある。地球と太陽の位置関係から、標準時が決められている。しかし、もしも運動がなければ時間も意味ないであろう。また、空間を決める長さである。それも、メートル原器があったり、クリプトン86による方法などがある。

しかし、考えてみると自分独りだけが地上に存在するときには、時間も空間も取り決めが必要ないのではないか。多くの人が共通して何かをするときに、そのような取り決めが必要になってくるのである。


飲んべえと言えるか私、ダメな性格。


例えば4月24日(火曜日)朝9事前後。吉野家に行った。部屋から5分もかからない。そして、旨辛カレー並み(330円)と、ビールを注文。ビールは、サントリーモルツ中瓶500ml(400円)。カレーは、肉の入っていない唯一の定食。合計730円。

しかし、ゆっくりと食べても、何となく食い足りない。というか、飲み足りないのである。そこで、冷酒(330円)とねぎ玉子(90円)を追加。合計420円。

それから、いい気持ちになって部屋に帰る。しかし、冷酒を飲まないときのほうが多い。どうも、酒に飲まれてしまった感じがして、お恥ずかしい次第。本当は、玉子の入っていないキムチにしたいところだが、キムチは何となく汚らわしい感じがするので食べない。


イルヘルスからの脱却、すでに困難。


誰も好きでイルヘルスになったんではない。いわば、取り付かれてしまったのである。自分自身が体力のある間は、イルヘルスにはなりにくい。

しかし、食べ物が悪いと腸内細菌がやられてしまって、その結果イルヘルスになることがある。微妙なバランスで作られている身体ではあるが、現代の化学薬品を多く含む加工食品などを長い間食べ続けるとやられてしまう場合が多い。

いったんそうなったら、なかなか治りにくい。まず食べ物を点検する必要がある。農薬や防腐剤、界面活性剤などの化学薬品を体内に入れないようにしたい。そして、水にも注意をする。人類が長く飲んできた生水を飲むことも大切ではないだろうか。


ほとんどの現代人は、イルヘルス症。


現代は、ストレスの多い社会である。さらに、現代の食べ物や水も、健康に関係する。生活習慣も、きわめて問題が多い。

いきおい、身体は病んでしまう。そして、病みながらも日々の生活を続ける。つまり、病気でありながら健康者の生活をする。完全な健康ではないが、それなりに生活をするのである。

しかし、その状態は不安定であり、いつ倒れてしまうかもしれない。イルヘルス症になったら、なるべく健康側に移行する努力をしなければならない。歯周病や糖尿病、高血圧、そして初期のガンなどが曲者(くせもの)である。何とか、早めのうちに治してしまいたい。


何故に襲いてくるか、恥の思い出。


何かをしていると、ふと過去のいたたまれない感情を思い出すことがある。思わず嘆息するとともに、なぜそのような記憶がいま蘇ったのかを考えてみる。しかし、直接にそのことを連想させる思いを抱いたわけではない。

そんなことが、最近になってよくある。もしかしたら、脳が些細なことの再生をして、記憶の整理をしているのかもしれない。睡眠中には、そんなことがよくあると言う。

楽しかった思い出や得意になった記憶は、あまりないようだ。恥ずかしいことやいたたまれないことが多いのは、どうしたことであろう。もしかしたら、人生が残り少なくなった私に対する何らかの警告かもしれない。


今までに使わないもの、整理をしよう!


身の回りを見ると、使わないものが多い。若いころは、いつか必要になるだろうと考えて、何でも保管をしていた。

しかし、古稀を過ぎたころから、いつも考えてしまう。今までに使わなかったものが、今後も使わないように思える。つまり、一生の間に使わないであろう。

そのようなものは、自分自身の身体が健康なうちに、整理をしてしまいたい。つまり、死ぬときには、何もいらないのである。


増えすぎたような感じの人類、いかに?


地球上の総人口は、2011年10月31日に70億人に到達したと推計される。しかし、アメリカ国勢調査局の推計では、その70億人の到達は2012年3月12日としている。いずれにしても、いま70億人を超えたことは事実であろう。

この70億人をどう考えるのか? 増えすぎたと考える人も、かなりいるはずである。もしも、人類が何者かに飼育されているとすると、増えすぎて全体的な資質が低下したので、間引きをしなければならないと考えるのではないか。

あたかも、狭いところに多くの家畜がひしめき合って飼われていたら、品質が下がってしまうので、飼育者は全体を減らすことを考えるだろう。また、場所によって人口密度が均一でないと、飼料の配分なども大変である。


考えてみれば危ない場所に日々いる。


私たちは、何とも不安定で危険な場所に置かれている。いつ大地震があるかもしれない火山列島の上、また気候的にも不安定な地球上の位置、すなわちいつどうなるかもわからない土地の上にいることに気付く。

また、自分自身の身体を考えてみても不安定。それは、明日にもガンになるかわからないし、循環器系の病気で死んでしまうかもわからない。医療行政の中にいると言っても、何となく安心できない。

さらに考えてみれば、偽りの世の中にいて、人生の持ち時間をすり減らして行くような感じである。なぜそんなことを考えるかというと、自分なりに理由がある。つまり、考えるのでなく、本能的にひしひしと感じるのである。だいぶ前からのことであったが、それが次第に強くなってきた。


ガンになる理由は、日々の生活にある。


最近は、ガンになる人が多い。そして、治らずに悪化して、死んでしまう。恐ろしい話である。親しかった人も、ずいぶんアウトになった。

おそらく、食べ物や生活習慣に問題があるのではないだろうか。食べ物の中に入っている化学薬品などは、ガンの原因になるものが多い。また、水もペットボトルの場合は、生水でないので注意が必要。

生活習慣として、運動不足があげられる。なるべく歩くようにして、身体を鍛える必要もあるようだ。


自己用に、『Qの福音書』と『ジューダスの福音書』。


市販されている聖書にある福音書は、あまり参考にならないと思う。そこで、自己用に『Q(クー)の福音書』と『ジューダス(ユダ)の福音書』を作った。その後、何回か読み直している。

ナショナルジオグラフィックの「失われた福音書」には、「ユダの福音書」のことが述べられていた。内容について、私は「さもありなん」と思った。

また、「Jesus_Christ_Superstar_1973」という映画はイエスではなく、むしろユダが主役のようである。そして、何となくユダの立場を弁護しているように思われた。その結果、『ジューダスの福音書』と同じ立場を取っているので、私はうれしく思った。


勝五郎、それなりに知る、死後の空間。


丹波哲郎や宜保愛子のYouTube動画を見ることもある。最近は、「大霊界3」というのを見た。小泉八雲の記述をもとにして、勝五郎のテーマを丹波流に解釈したものである。

私は、死んで生まれ変わるとは思わない。そもそも死なないのである。重力の作用がいわゆる生前と異なるので、天井から自分自身の死体を見ているというのは、もっともなことであろう。

映画になった程久保にある勝五郎の前世の家なども、何回も前をとおったことがある。昔の農家なので、どれも似たような感じである。また、映画の中では姉弟の年齢が離れていたが、もっと近かったのではないか。


ドン=キホーテの悲しみは、それなりにある。


ときどき「ドン=キホーテ」の映画を見る。歌劇になっているものもあり、「ラ・マンチャの男」の場合もある。私は、主人公が笑いものになっているのに、人間性の悲しみを感じる。つまり、キホーテとパンサの人間性に対して、自分の中にある感情が働いてしまうらしい。

おかしみでも、「ミスタービーン」のような「単純で軽い」(と思わせるように作ってある)愚かさに対する感情とはずいぶん異なる。

人間の本質に関する滑稽さは、何ともしがたい。最後に本を焼いて、キリスト教徒として死ぬくだりでは悲しみがこみ上げる。ラ・マンチャでは、キホーテとパンサが宗教裁判を受けるために、階段を上がっていくところなどは、何ともやりきれない気持ちがする。


時間とは、いったい何であるのだろうか?

なぜ時間があるのだろうか? 一生とは、何であろうか? そもそも時間とは、いったい何であろうか?

私は、時間とは概念に過ぎないのではないかと思う。つまり、運動があるから時間の概念ができるのである。そして、現代において運動のない社会などは、考えられないからである。

したがって、それは相対的なものであろう。仮に、99万円以上を持っている人を金持ちとする。すると、そうでない人は貧乏人になってしまう。つまり、価値観の問題で、基準をどこに置くかを決めるのである。するといったい、自分の一生とは何であろうか?


情報が多いと、何が真実なのか?


YouTube動画で調べていると、正反対の意見などがある。また、あまり吟味をされていないままに、記事になっているものも多い。人生のすべてを明らかにしようと考えても、なかなかうまく行かない。

私は、「生まれる前」「一生の間」「死後の空間」などを知りたいと思っている。しかし、それらをすべて解決するような動画はないみたい。

しかたがないので、
(1) 時間とは何か? 実際にはないが、利便のために概念が作られている。
(2) 人間の脳とは何か? 脳は、いわゆる人間に寄生した生き物。
(3) 人間は、どこにいるのか? つまり、11次元の空間にいて、生きている間は重力に縛られている。したがって、平衡宇宙の存在に気付かない。
というテーマに分けて、研究をしている。


恐竜の骨は、いったい何を意味する?


恐竜の化石や骨が発掘される。すると、その生前の形を想像する。骨があることは、その生前があったということだから、当然なことである。

しかし天の邪鬼の人は、そうは考えない。つまり、骨が最初から骨としてあったので、恐竜がいたこととは関係がないと言うのである。なぜならば、神様は最初から骨を骨として創造したと考えるのである。

そんな考えは、馬鹿げていると言う。しかし、天動説が常識になる前の時代や、進化論が信じられていた時代には、似たようなことがありがち。何でも原因があって、その結果があると考えるのが現代の常識ではあるが、原因があっても結果がなく、結果があっても原因のないことも、あるいはあるのかもしれない。


水分は消毒をして、飲みたくもあり。


人体は、体重の半分以上が水分である。そして水分は、身体にとって非常に大切な要素。その水分を摂るときに私たちは、あまりにも無関心である。

例えば、水道水をそのまま飲む。また、清涼飲料水に頼ってしまう。それは、あまり人体に好ましくないであろう。塩素などを含んだままに飲んだり、生水でない加工水を多量に飲んだりするからである。

清冽な地下水をそのまま飲むのがよいことは、何となくわかる。しかし、そのようなことができない地域が多くなってしまった。そこで、私はハーレーで濾過してから地下水を飲んでいる。それとともに、アルコールで消毒した地下水を飲む。つまり、富士山系から湧出した地下水に、5パーセントのアルコールを加えた近くの工場で造られたビールを利用するのである。


寝たきりと、よいよいになる食事に注意!


何となく現代の食生活は、寝たきりやよいよいになる近道のようである。なぜならば、化学薬品が含まれているものが多いからである。確かに、腐ったりしない。でも、食べている人の腸内細菌がやられてしまう。

また、防腐剤を食べ続けた結果でしょう、団地で孤独死をした人が腐敗をしないで六ヶ月もしてから発見されたりする。スーパーやコンビニのおにぎりやサンドイッチ、そしてパックに入った弁当ばかりを食べていた。したがって、自分の身体も腐らずにミイラ化をしていたらしい。

とにかく、食生活には注意をしたいものである。rikの「化学薬品症候群」を参考にして欲しい。


何もかも無駄な感じの日々が過ぎゆく。


最近になって、何となく日々が無駄のような感じがする。退廃的になったわけではないが、おそらく加齢による衰えかもしれない。かつて、若かったときにはない経験である。

つまり、何をやっても仕方がないと感じるのである。それは、もしかしたら生死(しょうじ)に関する考え方が変わってきたためかもしれない。

意欲が衰えたことは事実。最近になって気付いたことであるが、知識欲まで少なくなってしまった。YouTube動画を見るときも、何となく面倒くさくなることがある。かつてはない経験である。もしかしたら、知識に対する時間の消費が気分的に耐えられないのかもしれない。


ホーキング、リサ=ランドール、事実だろうか?


ふつう私たちのいる場は、前後・左右・高さの三次元空間と時間を含めた四次元だと考える。しかし、ランドールは五次元だと言う。さらに、次元が増して11次元だと考える学者もいる。

そして、実際には認識をする四次元の他の次元は隠されていて、直接には認識できないと言う。何となく眉唾のような気がしたが、東大の小柴ホールでランドールの講演会があったりして、学問的にはかなり確立されていることらしい。私には、素粒子が異なる空間に移動することやミチオ=カクの説明などはわからない。

私は、宇宙空間がどうなっているかを数式によって証明したいなどとは考えていない。そんなことは、自分にはできないからであるから。しかし、隠れている空間がメビウスの帯のような構造をしていて、人間それぞれの死の状態とも関係があるのではないかと、以前から考えていた。


病気などしない人たち、いるのだろうか?


現代社会において、病気をしないという人など、現実にいるのだろうか? 化学薬品をふんだんに利用する農法や保存法ができたので、おそらく体内がすでにダメになってしまったのではないだろうか。

化学薬品を体内に多量に取り入れた時代などは、過去になかったに違いない。自然界にあるフグやトリカブトなどの毒物を食べたりしてアウトになることはあっても、防腐剤や酸化防止剤、界面活性剤などによる障害はなかったと思う。

ベンジャミン=フランクリンの『フランクリン自伝』には、「父も母も私の知るかぎり、死に際の病以外に倒れたことが一度もなかった」というくだりがあった。


イルヘルスでも、生きていく方法がある。


現代社会において、まったくの健康などはないんじゃないだろうか? すでに食べ物や生活習慣によって、かなり体内が汚染されてしまった。化学薬品、つまり防腐剤や界面活性剤などが人体に影響をしているようだ。

「無病息災」からできた語で、「一病息災」という言葉がある。病気をまったくしない健康な人よりも、持病を一つぐらいもっている人のほうが、かえって身体を大切にするので、結果的には長生きをするという意味である。

その一病息災を大事にして、寝たきりやよいよいになって、大小便の世話になることがないように、私は注意をしたいと思う。また、経済よりも命が大切ではあるが、命のために際限なく経済を強いられることがないようにもしたい。


護摩焚きて、こころ清らか、高幡不動。


毎年二回、高幡不動尊で護摩を焚いていただく。私と妻の祈願で、一回に私は三万円、妻は一万円を納める。十年ほど続いている、私たちの年間スケジュール。

いまどき、何とも古くさいことだと言う人もいる。しかし、護摩を焚くことが国家的事業だった時代もある。天皇が主催をしたことも多いらしい。

私も妻も、その雰囲気が好きである。一時間足らずの時間ではあるが、ふつう貫首さんが護摩を焚く。そのバックグラウンドの読経もすばらしい。やがて、参加者は手に香油を塗ってもらい、本陣の不動尊とこんがら童子・せいたか童子の前に行って、親しく参拝できる。何となくこころが清まる儀式である。


陝右の人たちの札、はがされており。


2012年(平成24年)5月19日(土曜日)のことである。5月4日(金曜日・祝日)に焚いていただいた妻の護摩。新しいお札(一万円)をいただいたので、古い札を返しに行った。

私は、柱に「陝右(せんゆう)の人たち」の札を貼って、勝五郎前世の墓を見に行った。その間、妻は本堂で渡邊師の説教を聞き、きょうの護摩に参列をしていた。

小一時間して、さて帰るときに山門をくぐった。左の柱に貼った札とともに妻の写真を撮ろうとしたのである。すると、驚いたことに貼ったばかりの札が、剥がれているのである。いったい誰が剥がしたのであろうか。参詣人の一人であろうか、もしかしたら境内を清掃していた大きな図体の僧であろうか。私は、ちょうど前日に散髪をして、頭が僧のようになっていた。そして、ちょうど手水のところから、その僧が見ていた。おそらく、どこかの僧が普段着で門のところで何かをしていると思ったに違いない。


ガンで死ぬ人がいるのは、なぜなのか?


最近の死因の第一位はガン、二位は心筋梗塞、三位は脳卒中(脳梗塞など)であるという。そして、四位以下に肺炎や事故・自殺などが続くが、ガンがダントツに増えているのは事実。

私たちの身体には、毎日5000個くらいのガン細胞が生まれる。しかし、そうかと言って誰もが、致命傷になるわけではない。なぜならば、老衰で死んだ人を調べると、多くの場合ガンが見つかるらしい。

ふつう、自然治癒で治る場合が多い。しかし大きくなってからでは、ダメである。抗がん剤を利用すると、逆に身体の免疫力がゼロになってしまう。玄米を食べたり、笑ったりすること、体温を暖めることで、ガンの進行はいちじるしく遅れるらしい。何となく、特定の組織が利権を頑(かたく)なに守っている構図である。


白血球・ミトコンドリア、何ものなのか?


私たちの身体の中には、白血球やミトコンドリアがいる。そして、それらは私たちの身体の中で、独立した生命体の形をしている。

白血球は、血液中に含まれる有形成分の一つ。その数は、血液1立方ミリメートル当り6000〜8000個。赤血球数の500から1000分の1ほど。その種類は豊富で、原形質内に顆粒(かりゅう)をもった顆粒白血球として中性好性・酸好性・、塩基好性白血球があり、無顆粒白血球としてリンパ球・単核細胞がある。それらの働きは生体の防御作用で、侵入した細菌・異物などを貪食(どんしょく)する。白血球は目的の場所まで、アメーバ運動によって到達する。白血球の寿命は顆粒白血球で10日前後、リンパ球の大部分は100〜200日、一部は3〜4日。

ミトコンドリア(mitochondria)は、すべての真核生物の細胞質中に存在。糸状または顆粒(かりゅう)状の細胞小器官で、内外二重の膜に包まれ、細胞の核とは別にDNA(デオキシリボ核酸)をもっていて、独自に分裂によって増殖。糸粒体。糸状体。コンドリオソームとも言う。


楽しみは、まれに吉野家、ビール飲むとき。


橘曙覧ではないが、私にも楽しみがいくつかある。魚を煮たりはしないが、それでも飲み食いに関するものも多い。

その一つ。腹が減ると、何となくふらふらと吉野家に行く。部屋から五分のところにあるし、百年も続いた老舗(しにせ)であるからだ。

ところが、そこへ行くとたいがいビールを飲む。小瓶(500ml)のサントリー・モルツである。府中工場の見学をして知ったことであるが、富士山系の地下水100パーセントを用いた自然水仕込み、そして原料も多くない。だから安全であって、健康にもよいのではないか。


健康に日々忘れてはダメ、三不足。


ここのところ体調が何となく悪い。そこで、つらつらと原因を考えてみた。どうやら、三つのものが不足しているらしい。

それは、「寝不足」「運動不足」そして「酢不足」である。昼夜、水分を多量に飲む。そんなために、睡眠中にオシッコに行きたくなる。そして、目が覚める。それが、睡眠不足つまり寝不足の原因。足腰の不調よりも、慢性的な便秘。そのために、バスに乗ったり、トイレのないところへの遠出ができない。運動不足にならざるをえない。

酢不足は、よく考えてみると自宅でも外食でも、酢の物をほとんど食べない。だから、酢が身体に不足をしているみたい。酢が不足すると、理工式健康法フォーラムの「酢」に書かれているようなことになるらしい。これからは、改善してみよう。


断食のすすめを読んで、躊躇しており。


甲田先生の「小食健康法」や、さらには「断食健康法」などを知って、私はためらってしまう。なぜならば、人一倍大食いだからである。

少ない食事だと、物足りない。いわゆる「腹の虫が治まらない」のである。そこで、悪いとわかっていながら、つい大食いをする。外食の場合も、梯子(はしご)をしてしまう。吉野家で牛丼を食べて、さらに松屋で牛めしを食べたりすることもある。

おそらく、腹の虫とは腸内細菌のことであろう。自分の意思と異なることをさせるのである。もしかしたら、三尸(さんし)の虫が実際にいるのかもしれない。三尸の虫は、人の体内に住んでいるという三匹の虫。庚申(こうしん)にあたる夜に、人が眠っている間に体内から抜け出て、その人の罪悪を天帝に告げるらしい。


無知のため、間違い多く今までにあり。


不勉強で無知のために、今までに多くの間違いをしてきた。中には、まったく反対のことをして、気付かずにいたのである。

例えば、健康に関してである。食べ物や飲み物についての、基本的なこと。「肉を食べなければ力がでない」とか「牛乳やチーズは身体にいい」などと信じていた。

最近になって、栄養学や健康に関する基本的なことを学んで、間違いに気付いた。そして、「今からでも、遅くない」と考えて、やはり改めることにした。


もの忘れ・度忘れ・しまい忘れなどあり。


古稀を過ぎたころから、もの忘れ、度忘れ、そしてしまい忘れなどが多くなった。しまい忘れとは、どこに何を置いたかを失念してしまうこと。必要になって探しても、どこに置いたかが思い出せない。そんなことは、若かったころにはなかった。

いつまで探しても出てこない。そして、もしかしたら処分をしてしまったのではないかと思う。処分をしたのなら、出てこないのは当然である。しかし、その処分をしたかどうかという記憶があいまいなので、いつまでも探すことになる。

いずれにしても、記憶力が弱くなったのは事実。やはり、加齢によって次第に脳の記憶力が薄らいでしまうのだろうか。


いにしえに長頭の部族、あったらしい。


はっきりはしないが、かつて長頭の部族が支配階級にあったらしい。その頭蓋骨が残っているので、私は事実と思う。日本ではエクナトンの妻(王妃)ネフェルティティが知られている。美術の教科書などに、その肖像が載っているから長頭だったことが想像できる。なお、エクナトンとネフェルティティの間に、六人の娘と一人の息子があったそうで、その息子がツタンカーメンだと言う。

帽子を被っているので、頭の形を想像できる。頭蓋骨をカバーするために、長かったことが想像に容易である。

また、そのような人種とともに、巨人族がいたことも考えられる。いずれにしても、私たちの人種とは異なる知的空間を有する支配階級があったことが、何となく想像できるのである。

Kuroda Kouta (2012.06.02/2012.06.02)