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  新句(十九音) 作品集58(2012年4月分)



間違った常識もある現代社会。


現代社会には、間違った常識がかなりある。食べ物の例で言うと「牛乳は身体によい」とか、「バターよりもマーガリンのほうが健康によい」などである。そして、それらを知識や常識として、家庭の主婦が子どもに対して行う。困ったことである。

さらに、「人類の歴史」や「脳に関する考え方」、さらには「死後の問題」なども、かなり間違った考え方があろだろう。

アメリカには、未だに「地球が平らである」ということを信じているグループがあって、「地球は平べったい協会」という事務所や支部があり、現在も活躍していらしい。


生米をそのまま食べる療法もある。


「生麦生米生卵」(なまむぎ・なまごめ・なまたまご)というが、三つの食品間にどういう関係があるのだろうか。ナ行音・マ行音・ガ行音などがあって、言いにくいので早口言葉の一つとなっている。実際にアナウンサーなどが、練習に使っているらしい。

私は、自宅では卵や肉は食べない。また、麦もパンとしてしか食べない。そこで生米である。生米や生大豆を理工式健康法・療法の一つとしていただく。

とくに重篤な糖尿病になってからは、定期的に行う。本来ならば、糖質を摂取しない方がよいのであるが経済的な理由で、そうもいかない。糖質をほとんど摂らないエスキモーやマサイ族に糖尿病がないことは知っている。そこで、自分なりに考えたのが「生米」なのである。無農薬の半挽き米をそのまま食べたり、コーヒーミルで挽いてからいただくのである。


「映像の世紀」のすべて、見るのをやめた。


なぜだろうか、以前だとYouTube動画の再生リストを作って、何回も見たのであるが、今回はその紹介版のサマリー、つまり全話予告編一巻(6分)だけにした。何となく面倒なのと、見ていていたたまれない箇所が多いからであろう。また、脳のことについて自分なりに知ったことも、大きく関係をしているのかもしれない。

紹介版によると、
(1) 20世紀の幕開け
(2) 大量殺戮の完成
(3) それはマンハッタンから始まった
(4) 国家の狂気……ヒットラーの野望
(5) 世界は地獄を見た
(6) 革命はいまだならず……独立の旗の下に
(7) 勝者の世界分割
(8) 恐怖の中の平和
(9) 超大国が揺らぎ始めた……ベトナムの衝撃
(10) さまよえる民……民族の悲劇果てしなく
(11) JAPAN
である。
 なお、……の左は予告編に最初に付いていたタイトル、右は実際のシリーズについた名前。


日々生きている証明に、新句をいかが?


俳句や短歌を作っている人は多い。しかし、やってみるとなかなか難しい。それに比べて、この新句(十九音)は簡単。季語などもなく、思ったままを言葉で表現。それが、未熟であったり幼稚であっても、かまわない。

そんなわけで、思ったことをそのまま書ける短詩形といってよい。語調も、思ったままでよい。

そこで、一日に一句ずつ作っていくのもよいだろう。それをどこかへ発表する。そうすると、その発表がなければ病気になっていたり、もしかしたら死んでいるかもしれないのである。


瓶ビール、とうとう家で買うことになる。


今まで、家にビールを置いていなかった。吉野家で食事のときに中瓶ビール(500ml)を飲むのであるがアル中になったせいか、それでは足りない。そこで、いじきたなくも考えた。部屋に置いておけば、いつでも飲めるじゃないか。

そんなわけで大瓶ビール(633ml)を1ケース(20本)を注文した。そして、はや2ケース目である。

キリンの一番しぼりというのであるが、なかなかおいしい。一日にたいがい4本くらい飲む。アルコールが5パーセントというから、体内の消毒にはよいのではないか。私の場合、腸内細菌ともマッチしているのではないかと思ったり、何となく横山大観やニールドルフ(ネルウルフ)のことを思い出したりした。


アヌンナキ、それぞれがもつ古代の意識。


アヌンナキをご存知だろうか? アヌンナキ(Anunnaki)あるいはアヌンナク (Anunnaku)、アナナキ(Ananaki)とも呼ばれ、シュメールなどの神話に出てくる神々の集団。後期バビロニア神話によれば、アヌンナキは兄妹神アヌとキの子である。

そのアヌンナキが、現在でも生き残っているらしい。もしかしたら、蜥蜴(とかげ)の形をしていて、肉食なのかもしれない。つまり、哺乳類ではなく爬虫類の人類になっているかもしれないという。

私は、何となくアヌンナキの直系が現代の社会を支配しているように感じる。あなたは、どうであろうか?


度忘れと記憶違いが、しばしば起こる。


最近になって、度忘れをすることが多くなった。即座に、ものや人の名前などを思い出せないのである。また、記憶違いと言うのであろうか、実際にしたことが他のバックグラウンドに溶け込んで、馴染ませてしまうのである。

若いころには、そんなことはなかった。七十歳を超えたころから、多くなったことである。おそらく、脳の老化と関係があるのであろう。

恍惚の人ではないが、仕方のないことかもしれない。また、アルツハイマー病の場合も、記憶が次第に失われていくようである。記憶が失われてしまうということは、幼児に戻ることと似ている現象であろう。


人間の脳は、脂肪で構成される。


ヒトの脳は、60パーセントが脂肪であるらしい。したがって、脂肪分を食べると、そこに吸収をされる場合がある。化学薬品症候群は、注意をすべき問題である。

バーターよりも、マーガリンがよいなどと言う。しかし、いずれも脂肪かもしれないが、マーガリンは「食べるプラスチック」などと悪口されるように、身体に好ましいものではない。

脳の働きは、人体にとって重要。しかし、脳のこと自体については、研究があまり進んでいないみたい。人体の中にあって、血液や酸素を桁違いに必要とする器官であるから、特異な存在であることはわかるが、……。


人間の脳が時間を意識するのみ。


ヒトの脳とは、いったい何であろうか? もしかしたら、古代からヒトに寄生をした生物かもしれない。エクナトンやその妻である王妃の頭を思うと、何となく感じるのである。

あまりにも発達をしてしまったために、ふつうの頭蓋には入りきれない。そこで、後方に大きくなったみたい。エントロピーが増大するように、すべてをそこに収納しなければならないと、考えたからだろうか。

しかし、その後その形の頭は少ない。巨人族も、滅びてしまったようだ。その代わり、脳はいろいろなことを考えた。時間の概念もそうであろう。実際には、ないものをあると考え、その理論体系を広げていく。脳の位置にしても、不自然である。シーラカンスのように、逆さまになっていないと、支えるだけで大変であるからだ。


世の中の仕組み、うすうす分かり始めた。


この歳になって、世の中の仕組みが何となく分かり始めたみたいだ。つまり、還暦を過ぎ、さらに古稀を迎えたころから遅蒔きではあるが、おぼろげながら分かったような気がする。

世界中には、ニュースや情報が満ちあふれている。しかし、そのようなことの背景には何があるか。それは、荒海の波が激しく吹雪いているときに、海底では静かに水が淀んでいるのと似ている。

私たちは海面に浮いている船の中で右往左往するが、嵐は一向に去らない。そんな仕組みではないかと、最近になって分かり始めたのである。


昔から生老病死は避けられぬこと。


四苦八苦(しくはっく)という言葉がある。仏教における苦しみの分類で、生老病死を四苦、さらに愛別離苦(あいべつりく=愛する者と別れる苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく=怨んだり憎んでいる者と会う苦しみ)、求不得苦(ぐふとくく=求ていめる物が得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく=あらゆる精神的な苦しみ)の四苦に加えて、八苦である。

最初の四苦についても、生はともかく老病死は恐ろしい。シャカが若いとき、四門出遊して目(ま)の当たりに見て悩んだことも、何となくわかる。老いから病、そして死に到る。学会に研究を発表して博学であった大岩先生も、北原白秋の弟子であって才媛と言われた三木先生も、やはりそうだった。

私は、老病の過程にあるので、身の回りの整理している。年金生活者であるから、ムダなことはしない。公団の賃貸住宅に住んでいるし、持ち物はなるべく減らしている。


HTML5、やればやるほど、わからなくなる。


ぼつぼつ新しいパソコンを買おうと思う。現在のstudioXPSから性能をアップするためである。

新しい機種には、現在と同じくOfficeを入れない。さらに、今までお馴染みのホームページ・ビルダーなども面倒なので入れないつもり。したがって、今後ホームページの作成やメンテナンスは、メモ帳でしなければならない。

総トップページについて」で、画像の貼り付けとURLの貼り付けを基本的なテストとしてやってみた。何となくできたので、他の基本的なことをマスターしていきたい。しかし、やってみるとどうもわからなくなってしまう。


引きこもり、食う・寝る・休む、ダメになるかも?


ここのところ何となく体調が悪く、遠出ができない。いわゆる引きこもりの状態が多くなった。部屋に居て、食う・寝る・休むの繰り返しである。もっとも、食事が面倒なので、外食に出ることはある。

五分以内で、吉野家や松屋に行けるので便利。また、それらの店は料金が安く、何となく安全なので利用する。

私は、年金生活者で公団の賃貸住宅に住んでいる。しかし、テレビのドキュメンタリーを見ていると、生活保護を受けずにホームレスになってしまうケースが多い。つまり、私の生活はホームレス寸前と考えてよいのである。


無関心、興味や趣味が異なるためか?


「理工式健康法フォーラム」という健康関係のサイトを作った。しかし、どうしたことか思ったようには投稿する人がなかった。

健康に関することだから、誰にでも必要な情報と考えたが、人数が増えない。したがって、個人差に関する意見も集まらない。FacebookページにTabSiteで作成したホームページであるが、かなりメンテナンスに手数がかかるので、そのタイトルと投稿ページだけ残して削除してしまった。

まちまちな意見でも、お互いに参考になったり、自分自身の価値判断の材料になる。そんなことで、本当は病気や症状について、データを集めておくのがよいと思うのであるが、……


アヌンナキ、シュメール人に知識与えた?


シュメール文明(シュメール文化)というのがある。シュメール(Shumer・Sumer)は、古代メソポタミア南部の地域名。後に、バビロニアとよばれる地方の北半分がアッカド、ペルシア湾に臨む南半分がシュメールとよばれた。

しかし、この地域にいつごろシュメール人が来たかは不明。古代文明が突然に発祥をしたとは考えられず、二ビル星に住んでいたアヌナンキから伝えられたのかもしれないという。

そのようなことを考えると、妥当かもしれないが、時間と距離の問題が残る。もしかしたら、時空そのものが人間の考えているようなものではないのかもしれない。


マヤ暦で、いよいよ終末、すべて終わりか?


マヤは、天文学など古代文明が発達していたという。現在の知識を凌ぐほどである。その一つに、この世は2012年の12月で終末を迎えるという。

言われてみれば、何となくそんな感じもする。世の中の動きや人の考えかたなどが、もはや先の短い感じがするからである。

私などの人知の及ばないところではあるが、万一のことを考えて、覚悟をしておく必要がある。むろん、大災害が生じてパソコンや携帯電話などの通信はおろか、社会のシステムが機能しなくなってしまう。そんなことも、つまり死を覚悟しておかなければならないようだ。


実際に運命などは、あるのだろうか?


「運命論」とか「宿命論」というのが、あると言う人がいる。私は、あまり詳しくないが文学の中などにも、詳しく述べられることがあるようだ。

つまり、世の中のことや自分のことは、あらかじめすべて決まっていて、その通りになるのだと言う。それを運命とか宿命と言う。だから、いたずらに騒いでも仕方がないと諦める。

しかし、諦めるのであれば、その諦めることもあらかじめ決まっていたのではないか。あらすじが決まっていると考えるのであれば、その考えも決まっていたのではないか。もしかしたら、脳が錯覚をして自覚する単なる一連の論理なのかもしれない。


リポビタン、ドデカミンなど飲んではみたり。


ここのところ、ちょっと疲れ気味。そこでリポビタンDやドデカミンなどを飲むことが多い。効くのか効かないのかわからないが、何となくちょっとは元気になるみたい。

リポビタンDは、瓶に「指定医薬部外品」と書いてあるので、滋養強壮・栄養補給の効果があるらしい。製薬会社が作っているので、大丈夫だと思う。

ドデカミンは、12種類の元気成分が入っていると言う。それらは日常で摂れない成分なので、効果があるのかもしれない。500ml入りのペットボトルが、ものすごく売れているので効くのかもしれない。


何となく生臭くあり、グルコサミン錠。


足の調子が悪くなってから、グルコサミンというサプリメントを一日に十錠ほど飲んでいる。お陰さまで、歩くときの膝の痛みはなくなった。私にとって、効き目もあってよい薬だったと感謝をしている。そして、その後、五年ほどずっと続けている。

最初から気付いていたことだが、ちょっと生臭い感じがする。おそらく、カルシウムの補給のためエビやカニの固い部分を使っているのだろう。

昔から、「良薬は口に苦し」というのだから、そのようなことは仕方がないことと割り切って、我慢をするべきことなのであろうか。


一段と倹約・工夫の日々の始まり。


私も妻も、古稀を過ぎた。そして、妻もそのうち仕事を辞める。当然のこと、収入が少なくなる。そこで、生活を切り詰める必要が出てくる。

つまり、二人とも完全な年金生活者になってしまう。現在、私たちは公団の賃貸住宅に住んでいるが、それでもかなりの経費がかかる。だから、どうしても生活全体を見直す必要が生じる。

工夫をすることによって、何とか生きていけるかもしれない。しかし、そうかと言って病気になったらお終い(しまい)である。そんなわけで、倹約・工夫の日々の始まりとともに、健康に関しても維持をしていく努力をしなければならない。


新しいものやことには、ちょっと躊躇。


だいぶ前からであるが、新しいことを始めるときに、躊躇をするようになった。なかなか、新しいものにも馴染めない。自動車のカーナビや携帯電話などにも、かなりの抵抗を感じたのである。

結局、自動車自体もやめてしまった。大型と自動二輪の付いた運転免許証も返上した。そして、携帯電話は未だにもっていない。

このパソコンも、やめてしまおうと思うことがある。しかし、老化予防のための優れたツールであるから、そう思う都度、考えを新たにしてがんばっている。


すぐ飽きてしまう性格、直したくあり。


以前はそうでなかったのだが、古稀を過ぎたころから、何かをするとすぐに飽きちゃうことが多くなった。おそらく、体力が消耗してしまったためであろう。

そんなために、いきおい中途半端なことが多くなってくる。つまり、「百舌(もず)の速贄(はやにえ)」になっちゃうのである。

だから最近は、品物やパソコンのツールなどをあまり買わないようになった。もっとも、パソコンでは無料のソフトやブログなどをインストールして、可能性を確かめたりはするが、自分自身の手に負えないものは、放置をしてしまう。百舌の速贄と言われても、仕方のないことである。


丹念に読めば読むほど、わからなくなる。


例えば、新約聖書の福音書などがそうである。素晴らしい書物ではあるが、何とも理解しがたい部分が残っている。

そもそも、何で福音書などというタイトルになっているのだろうか。福音とは、幸福の音信(いんしん)であるという。音信の文章と言えば、パウロの書簡のような感じを受ける。おそらく最初のころは、そのような記述であったのかもしれない。それが、後で追加をするたびに大きくなって、現在のストーリ形式に変わってきたのでしょう。

そしてタイトルだけが、そのまま残ったのかもしれない。そんな次第で、物語としては素晴らしいが、私には意味がわからない部分がまだ多く残されている。むしろ、『Qの福音書』などのほうが、わかりやすい。


外食の悪い癖、つい飲んだらはしご。


ふつう、朝飯は吉野家ですることが多い。たいがいライスカレーか牛丼、朝の定食のこともある。その他にビールとキムチ。とても、おいしい。

その後である。大食いの私は、ちょっと食べたりない。と、言うか飲み足りないのである。そんなわけで、ビールが飲める店に行くことが多い。

困ったことだと思うのであるが、いったん店を出てから、別の店へ入る。つまり、はしごをするわけである。なるべく外食をやめて、家で食事をする方式に変えればよいのであるが、支度や後の皿洗いなどが面倒なので、そうもいかない。何とかしなければならない。


どちらかと言うと、独りが気楽でもあり。


結婚をするよりも、独身のままでいたほうが気楽かもしれない。人間関係は、ともすると煩わしいことが多いからである。

西行や鴨長明のことを考えると、そのような生き方は、昔からあったようだ。しかし、そうはしたくても、病気になったり倒れたときのことを考えると、心配である。

現代では独り暮らしをしていても、問題はないだろう。昔のように「村八分」のルールさえもなくなってしまったようだ。したがって、必要でない社会には参加しないほうがよいのかもしれない。しかし、老いてくると心配でもある。


思いつき次々アップ、理工フォーラム。


思い付いたことを理工式健康法フォーラムに次々とアップしていく。思い付いたことだから、あまり系統だってはいない。それでも、いいのである。

もともとフォーラムであるから、意見の異なる人がいるであろう。また、同一人物でも時間が過ぎれば、考えが異なってくる場合もある。

この理工式健康法フォーラムは、学術的に整理をされた著作物ではない。医学事典や医学ハンドブックでもない。したがって、前後に記述の矛盾があってもかまわない。むろん、個人差などもあろう。それぞれの人が、その場合に体験をしたようなことがらを記述しておけば、後で多くの人の参考になる場合があるのではないかと思う。


すぐ疲れちゃうのは、何か病気であるか?


ここのところ体調が何となく優れず、何かをすると、すぐに疲れてしまう。朝起きて、何もしなくても、疲れていることがある。

もしかしたら、何か重篤な病気なのかもしれない。単にイルヘルスという状態では、考えられない身体(からだ)だからだ。疲憊(ひばい=疲労困憊)といったような感じである。

考えられる原因としては、糖尿病の結果かも知れない。尿の中の糖が、平常でも大きな値になってしまって、それが戻らず何となく心配である。まだ、目は何ともないが、そのうちに失明するかもしれない。今年は市から来た「平成24年度 特定健康診査・後期高齢者健康検査」に行ってみようと思う。


何もかも中途半端で、恥ずかしくなる。


今までにしたことは、ほとんどのことが中途半端。いわゆる完成の域には、何もかも達していない。努力が足りなかったのか、それとも力不足だったのか。

いずれにしても、自分自身で満足ができないのであるから、恥ずかしいかぎり。そんなことを続けているうちに、歳をとってしまった。

つまり、何のために何をしてきたかを考えると、恥ずかしくなるのである。そして、さらに人生は何かなどと、思いを巡らす。イソップのサワー・グレープスのような論理をもってきて、自分自身をなぐさめることもしばしば。


症状に、痛み・痒みがないのは初期か?


腹がチクチクするとか、全身が痒(かゆ)いなどという症状はない。しかし、それなりに内臓が冒されていることがあるらしい。ガンの場合は、初期の段階では痛みがないらしい。

私は、痛みや痒みがないときは、初期状態だと思って我慢をしてしまう。そして、病院にも行かないし、薬も飲まない。

しかし、高齢になると、症状が出たときには、すでに手遅れということもあるらしい。そこで、市から案内の来た「平成24年度 特定健康診査・後期高齢者健康診査」を受けてみようと思う。わざわざ「後期高齢者」と書いてあるので、かなりの覚悟をしておく必要がありそうだが、……。


イラストを描く気力なく、思いがつのる。


「回想創造法」と「自己福音書」である。前者は老化予防、つまりアンチエイジング。後者は安心立命のため。そんな案配で始めたものの、進める気力がなくなってしまった。思いや考えはあるが、作業のスケジュールがたたない。

つまり、もはやイラストを描いたりする気力がないのである。それらは、かなり細かい作業である。何日もかかるし、また忍耐のいる仕事である。

そんなわけで考えはあるものの、具体的な作業にはかかれない。考えていること自体を文章に置き換えるのも、億劫になってしまった。そんなことは、かつてなかったことである。
回想創造法・自己福音書の内容紹介デモ

Kuroda Kouta (2012.05.01/2012.05.01)