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  新句(十九音) 作品集55(2012年1月分)



生かされている心地して、日々が過ぎゆく。


自分が「生きている」という実感よりも、何となく「生かされている」のだという感じがする。いったい、人生とは何だろうか?

『コヘレットの書』(伝道の書)には、死んだときのことを
<15: 彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で帰って行く。彼はその労苦によって得た何物も、手に携え行くことができない。>
と書いてある。

また、日々生きている間の警告として
<11: 言葉が多ければ空しいことも多い。人に、何の益があるか?>
ともある。


人間は飽きちゃうことが、大きな特徴。


何をするにも最初のうちは興味津々。しかし、やがて飽きちゃうことが多い。あれほど熱中したことが、嘘みたい。どうしたことだろうか。

私はしつこい性格なので、なかなか飽きない。一度でも興味をもった対象に対して、いろいろな角度から見直していく。すると、新たな興味が次々と湧いてくるので、再びフレッシュな気持ちになる。

食べ物や趣味などの場合は、放棄してもよいだろう。しかし、人間関係には注意をする必要がある。最初に魅力のある人だと思って友達になった場合、それなりの覚悟が必要である。多く見られるパターンは、人と人との場合でも何となく飽きちゃって、連絡も途絶えがちになってしまうこと。しかし、私はなるべく自分からはそうならないようにしている。


キリのないムダなこと、次々としている。


人生も終盤になって、つくづくと考えた。今まで、いろいろなことをやってきたが、いずれもキリのない無駄・無意味なことが多かったようだ。

それでは、何が無駄でないことなのか。それは、食べることと寝ること、そして自分自身の身体をメンテナンスすることくらいであろう。つまり、興味や趣味ですることは、大きな目で見ると、あまり意味がないのではないか。

例えば、「金持ちになる」とか「有名になる」というようなことは、際限がなくエスカレートしていく。おそらく次々とキリのないことであろう。そんなことよりも、もっと人生を楽しく生きる方法があるのではないか。『黒い革袋』に書いてあることが、まったく頷ける。


「治らない」糖尿病を治してみよう。


糖尿病は、単に食事療法と運動療法では、なかなか治らないと言われる。膵臓や腎臓が、すでにダメになっているからである。また、まれに放射能が原因であることもあるらしい。内臓の疾患は、長期的な治療が必要であろう。

そこで、何とか工夫をして、治してしまいたい。また、治らないまでも症状が出ないようにしたい。

そのために、
(1) くちゃくちゃ療法
(2) ラップリン療法
(3) 湯治療法
(4) 水飲み療法
などを考えた。


風は吹く、どこからどこへ行くのだろうか?


旧約聖書にある『コヘレットの書』(伝道の書)第1章6に、
<風は南に吹き、また転じて北に向かい、めぐりめぐって再びもとのところに帰る。>とある。

そのときに、いったい風はどんな姿をしているのだろうか?

(1) 春のうららかな日の風
(2) 夏の執拗に吹く風
(3) 秋の木の葉を散らす風
(4) 小春日和(こはるびより)に暖かくそよぐ風
(5) 冬の粉雪(こゆき)を舞わす風
(6) 積もった雪に吹き当たる風
などを想像して、『風』という曲を作ってみた。


グーグルで「魚籃観音」、検索すると。


私は、魚籃観音が大好きである。そこで、グーグルで「魚籃観音」とインプットして探す。

すると困ったことに、最近になって自分自身の記事が多く拾われてしまう。URLに「riksys」「aozorasys」などとあるのは、私の記事である。

そんなわけで、新しい魚籃観音を探すことがなかなかできない。もっと全国的に探すと、かなりあるのですが、せいぜい都内か近県しか行けない。そこで、何となくじり貧になってしまった。もしも、あなたが都内で魚籃観音のおられる場所をご存知ならば、教えてください。


糖尿も、とうとう末期? うとうととする。


糖尿病になってから久しい。かなり進行をしてしまったのかもしれない。最近では、眼がチクッとしたり、痛かったりする。また、何となくやる気がしない。さらに、パソコンをしているときに、ついうとうととしてしまう。

うとうとならよいが、眠ってしまうこともある。ハッとして起きるのであるが、その間に、おかしなキー操作をしているらしくて、画面が変わってしまっていることがある。

寝不足でうとうとすることはあるだろう。しかし、睡眠を充分取っても、糖尿病の場合は眠くなるらしい。もしかしたら、それは糖尿病によるのではなく、加齢による現象かもしれない。いずれにしても、困ったことである。


ソロモンの知恵といわれる空(くう)の空しさ(むなしさ)。


旧約聖書に『コヘレットの書』(伝道の書)というのがある。ちょっと異質な書であって、「空」という概念を書き並べたところなどは、何となく仏教のような感じもする。

ソロモンが書いたような形式になっているが、実際にはそうでない。

第一章にある
<02 空(くう)の空、空しい(むなしい)ことの空しさ、一切(いっさい)は空。
03 この世でするすべての苦労は、その身に何(なん)の利益があるのだろうか?>
<06 風は南に吹き、また転じて北に向かい、めぐりめぐって再びもとのところに帰る。>
第十二章の
<07 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
08 伝道者は言う。「空の空、いっさいは空である。」>
などが印象的である。


歯周病・糖尿病など、万病の元。


歯周病と糖尿病には、よほど注意をしなくてはいけません。いずれも、初期のうちは自覚症状が少ないので、甘く見てしまうからです。しかし、それらは万病の元で、油断をすると命取りになるでしょう。

また、歯周病の人は糖尿病になりやすく、糖尿病の人は歯周病が治りにくいと言います。つまり、いずれも知らない間に少しずつ進行をしてしまうのです。

歯周病は口腔内、糖尿病は膵臓などと言った単なる部分的な病気ではありません。歯周菌は、血液に入って全身を巡ります。また、糖尿病は血糖値の高い状態で、全身を血液が流れていきます。そのような状態が続くと、やがて身体はダメになってしまいます。つまり、両方の病気を何とかして治してしまう必要があるのです。


いろいろと学ぶことあり、『ベルツの日記』。


岩波文庫に『ベルツの日記』がある。古い大冊のものと、それからセレクトしたものがあるらしい。

ベルツ(1849~1913)は、ドイツの医学者。1876年(明治9年)東京医学校(のちの東京大学医学部)教師に迎えられて来日した。日本の伝染病・寄生虫病を研究して、1905年に帰国した。そのベルツが残した日記である。

私は何回か読んだが、教えられることが多かった。例えば、ローマ法王レオ十三世のこと。法王の小冊子『けんそんのしおり』を愛読していたがベルツの記述から、その人柄がわかってなるほどと思った。また、鎌倉の大仏が銅の目方で売りに出されたことも書いてあった。結果的には解体費用と運搬費用がかかるので売れ残ってしまい、今でもで~んと鎮座ましましているわけ。


現代に、無学・施無畏の人は少なし。


資本主義と合理主義が極度に発達した現代社会には、私が尊敬できるような無学で、施無畏(せむい)の人は少ない。親しい人の中には、渡邊五郎師がいらっしゃるだけ。

無学とは、完全に博学でなくてもよい。ひととおり基本的なことをすべて学んでいれば、それが無学であると思う。

また、施無畏とは観音菩薩のような人格でなくてもよい。社会に大きく貢献をしている人であれば、施無畏者であると思う。日々小さな奉仕を続ける人も、施無畏者である。そんな無学で施無畏は、少なくなってしまった。


大食いの癖なおらずに、古稀を迎える。


歳をとると小食になるというが、私はそうでない。むしろ、以前と比べて大食いになったみたい。いくら食っても満腹しないし、食い足りない感じが残る。

もしかしたら、何か病気かもしれない。食い物ばかりでなく、飲み物もそうである。水やビールを多量に飲む。糖尿病の症状の一つだと言う人もいる。

とにかく、自分でも困ったことと思う。しかし、少々の大食いをしても太らないのである。おそらく、消化でききれないのかもしれない。そして、便秘になったりする。何となく、身体のバランスが崩れてしまったみたい。ホメオスタシスが効かず、自律神経が失調してしまったのかもしれない。


少しずつ追加をしよう! フォーラムの記事。


理工式健康法フォーラムは、日々健康に過ごすための意見投稿の場。誰でも、無料で参加できる。健康に関することがらではあるが、個人差があるので一概に言えない。そこで、互いに自由に意見を言うことによって、自分自身がどうしたらよいかを知ることができる。

しかし、実際にやってみると意見を投稿する人は少ない。医学的な見解や、病気に対する処置法などは、ハンドブックに書いてある。そのような一般論では治らない病気の対処法や考え方である。

多くの意見が寄せられていれば、学ぶことがあろう。しかし、あまり意見が集まらないので、仕方なく自分で少しずつ追加をしていく。つまり、自分で作った質問へ自分で回答したり、意見を言うのである。自作自演ではないが、それでも自分の考え方を整理できるので、素晴らしいことかもしれない。


最近は身体(からだ)が冷えて、寒くてならぬ。


この秋から冬にかけて、身体(からだ)の保温が困難になってしまった。かつては、そんなことはなかったのだが。ズボン下も「すててこ」ではなく、「ももしき」というタイプのものになった。それでも、じっとしていると身体全体が冷えてしまって、寒くて仕方がない。

真冬でも半ズボン、半袖開襟シャツ、素足にサンダルで散歩をした数年前が嘘のようである。そのころは、それでも動いていると寒さを感じなかった。

加齢による現象だろうか、次第に自分自身の体温が保持できにくくなってしまったみたい。手先や足のつま先が冷えてきて、身体全体が次第に冷たくなってしまう。いったい、どうしたものだろうか。コヘレットの書(伝道の書)に書かれている晩年のソロモンのことなども思い出す。


揺れている感じは、すでに脳震盪か?


脳震盪(のうしんとう)という病気がある。脳振盪とも書いて、頭を打ったりしたときに起こる一時的な意識障害である。ふつうは数分で回復して、めったに異常を残すことはないらしい。

最近になって、ときどき身体全体がグラグラと揺れるような感じがする。地震のときのような感じであるが、実際には揺れていない。

もしかしたら、脳に異常があるのかもしれない。やはり、七十年以上も使っていると、故障をするのだろうか。あるいは、脳梗塞や心筋梗塞などの前兆かもしれない。何となく、先が短くなってきたような感じがする。


何事もやり過ぎはダメ、ほどほどにする。


「これでもか、これでもまだか?」というように執拗に続ける人がいる。また、相手がうんざりするほど繰り返す。

そんなことをしていると、嫌われたり、敬遠をされてしまう。

旧約聖書の『コヘレットの書』(伝道の書)に、
<12: わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。>
と書いてある。最後のほうである。


次々とソフトをダウン、使い切れない!


このブログもそうであるが、次々と加入をした。広告は入るが、すべてが無料なのでありがたい。

(1) 日々記憶の断片
(2) Facebook個人ページ日本健康会ページ理工式健康法フォーラム
(3) 青空のはてな!
(4) 名曲ライブラリ
(5) 青空ライブラリ名作コレクション
(6) 健康21シリーズ
などである。

さらに、
(7) YouTube
(8) Twitter
など。そして、音声読み上げソフト、作曲ソフト、……。


キリのないことをするより、考えてみる。


次々とキリのないことをするよりも、いったん立ち止まって考えてみる必要がある。なぜならば、関連性のないムダな努力を気付かずにしているかもしれないからである。

何かに熱中をすると、つい勢いに乗って手を広げてしまう。むろん、それはそれでよいのだが、ともすると収拾がつかなくなってしまいがち。とくに高齢者の場合は、注意が必要。なぜならば、疲れてしまって続かなくなるから。

ときどき立ち止まって、いま何のために何をしているかを考えてみる必要がある。そうしないと、時間ばかりが取られてしまって、全体の見通しが甘くなってしまいがち。人生の持ち時間は限られているから、効率よく事を運ばなければならない。


楽しみは、一駅ごとに降りてみること。


駅周辺には、いろいろと興味深い場所がある。珍しいものや、独自のもの。そして、神社仏閣などもある。個人の家は中に入れないが、神社や仏閣はたいがいフリーだから境内に入っても問題ない。本堂の中、つまり内陣に入ってもOKのところがある。

そんなわけで、京王線・井の頭線(全69駅)をやってみた。とても面白かったので、続いて都営地下鉄(全38駅)を経巡った。京王線・井の頭線にも、生まれて初めて降りるという駅があったり、都営地下鉄のようにすべてが新しい駅だから物珍しい。

いずれにしても、とくに用がないのに駅周辺を歩くのは、何とも楽しい。思わぬ発見があったり、再認識の場所があって面白い。時間が足りなくて、記事の少ない駅周辺へは、後日また行こうと思う。


バランスが取れなくなって、フラフラとする。


最近、何かの拍子に身体のバランスが取れなくなって、フラフラとすることがある。まだ、転んだ(ころんだ)ことはないが、それでも何かにつかまったり、よろめいてしまう。

部屋に居るときもそうであるが、外でもある。例えば、バスの乗り降り。ステップのところで、よろめいて手すりにつかまる。老人にはよくあることであろう。最近は、バスが停車してから席を立つように注意されるので、走行中の転倒はあまりない。

いずれにしても、加齢によって身体のバランスが取りにくくなってしまった。かつて、老人を見てうとましく思ったものだが、自分自身がそうなってしまった。まったく、横井也有の『嘆老辞』の記事(BGMに注意)の通りである。


木枯らしの吹く日は、部屋でパソコンをする。


木枯らしが吹いたり、雨や雪が降ると、外へは出かけられない。なぜならば、身体が冷えてしまうから。ここのところ、体温調節機能が衰えたらしく、すぐに風邪気味になる。おそらく、こじらせて肺炎を併発して死ぬのではないか。

そこで、そんな日には大事をとって、外出しない。運動不足にならないように、せいぜい隣りのスーパーか駅ビルくらいまで。そこまでは屋根が続いているので、傘なしで行ける。

それでも、部屋にいることが多い。画集を見たり、読書をすることもあるが、パソコンをすることが多い。むろんゲームなどもする。しかし、今まで書いた記事を修正したり、プチさん(プティ散策)などの追加をしたい場所などを考えたりすることが多い。楽しい一時(ひととき)である。


効果なし、実に多くのことを言っても。


まったく効果がないとは言わないが、いまのところは何も結果が出ていない。それは、理工式健康法フォーラムについてである。

健康を保つのは難しく、ともすると病気になってしまう。とくに、高齢の場合はそうである。そこで、個人差を考慮して、フォーラム形式で互いの意見を言うサイトを作った。そして、宣伝をしてみた。切実な問題だから、多くの意見が集まると思ったからである。しかし、いまだに意見は多くない。

吉祥寺に小ざさという最中屋(もなかや)がある。売れなくて困るというので、旅館などを訪問して売り歩いていた。社長が同級生なので、私は使いものに利用した。しかし、テレビでの紹介があって、飛ぶように売れるようになった。行列ができて、羊羹などはすぐに売り切れてしまう。社長が、葉山マリーナにヨットを買ったので、乗りに来いと言ってきた。忙しいままに行かなかったら、あっけなく彼は死んでしまった。


老いてきて記憶喪失、恍惚の人?


老いてくると、記憶があいまいになる。ものの名前や人の名前を失念する。話をしていても、「あー・うー」などと言うようになる。アルツハイマー病なども、恐ろしい。

「恍惚の人」は、有吉佐和子の小説であるが、加齢による症状でもある。歳をとると、どうしても脳の機能が衰えてくるのであろうか。そうならないように、注意をしなければならない。

「かくも長き不在」は、マルグリット=デュラス・ジェラール=ジャルロの原作で、敵国によってなされた脳の実験によって、記憶を失った男のストーリである。待ちわびていた妻と再会するのであるが、記憶は蘇(よみがえ)らなかった。逃げるために突然に走り出して、トラックに当たって死ぬ。何ともやりきれない終末であった。


我ながら、脳と身体(からだ)の不可思議多し。


脳や身体(からだ)は、自分自身の一部でありながら、わからないことが多い。そして考えてみると、ますますわからなくなる。

脳で考えるのだが、そのこと自体もわからない。かつて、「こころ」というように心臓が考える場所だと考えた時代もあった。私はさらに、そこに流れている血液が考えるのではないかと疑った時期があった。そして、聖書などで血液に関して、特別な配慮をしているのを納得したりした。

身体についても、わからないことが多くある。糖尿病の場合は血糖値が高くなってしまう。そしてそれが、循環器系障害の原因になるという。むろん、その場合は脳に行く血液も血糖値が高いまま。つまり、糖尿病は脳がコントロールできない症状である。


ダルシンがはためく高地、ブータン国は。


ダルシンとは、日本の神社に掲げる幟(のぼり)のようなものである。風が吹くと、旗めく。標高が高いので、風が強いのであろう。たいがいは、強く旗めいている。

ブータンは、仏教国である。まだ、あまり資本主義社会には影響されていない状態のように見受けられる。

高地なので、稲作はできない。そこで、蕎麦(そば)や馬鈴薯(じゃがいも)が作られる。ほとんど肉食などはしていないらしい。ドキュメントなどの映像を見ていると、何となくなつかしい気持ちになるのはなぜだろうか。


思い出は、懐かしくもあり、悲しくもある。


最近になって、今までのことを思い出すことがある。人生も七十歳を過ぎると、過去のことが脳裏によぎることが多くなるらしい。

その思い出なのであるが、なぜか懐かしさとともに、悲しさがともなう内容のことが多い。

『コヘレットの書』(伝道の書)に、<私は、この世に悲しむべき悪のあるのを見た。すなわち、富はこれを貯える持ち主に害を及ぼすことである。……人は、まったく来たように去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者には、何の益があるか?……人は一生、暗闇(くらやみ)と、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。……悲しみは、笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。>
とあった。


昔から、「老いて病は、致し方(いたしかた)なし」。


『法華経』に「生老病死」という言葉が出ている。生まれることはともかく、誰もが老いて、病気を患い、そして死んでいくという。いわゆる「四苦八苦」の三つである。

『旧約聖書』に出てくるソロモン王のような人も、晩年には自分自身の身体の体温も維持できなかったそうである。

ふじ みゆうさんは、次のように引用しておられた。
<ダビデ王は多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚着せ​られても暖まらなかった。そこで家臣たちは、王に言った​。「わが主君、王のために若い処女を探して、御そばには​べらせ、お世話をさせましょう。ふところに抱いてお休み​になれば、暖かくなります。」彼らは美しい娘を求めてイ​スラエル領内をくまなく探し、シュネム生まれのアビシャ​グという娘を見つけ、王のもとに連れて来た。この上なく​美しいこの娘は王の世話をし、王に仕えたが、王は彼女を​知ることがなかった。(列王記上1-1~4​)>


人生は「旅」ではないか、偉人も私も。


人生は一つの「旅」ではないかと思う。例えば、シャカのような偉大な人物一生を見ても、いわゆる「旅」であった。それなりに記録が残っていて、雄大なスケールの「旅」である。(YouTube動画で前者は1時間49分56秒、後者は3分6秒)

しかし、そのようなことは大なり小なり、誰にでもあることではないか。取るに足らないような人間にとっても、それなりに一つの「旅」。

そして、その「旅」の終着点が「死」だ。もっとも、スエーデンボルグや小野篁(おののたかむら)のように、そこへ行き来して戻ってきた人にとっては、その「死」までも「旅」の範囲であったのかもしれない。


水を飲め! 健康のため生水がよい。


一日に3リットルくらいの水を飲むのがよいらしい。私は身長の割には体重があるので、一日に5リットルくらいの水を飲んでいる。

むろんバケツに一杯も水を飲むと、水が体内に貯まってしまって、頭痛などを起こすらしい。しかし、多めに飲んでいると脳梗塞や心筋梗塞になりにくいと言う。

飲み水であるがペットボトルは、ふつう煮沸をしているので好ましくない。味はいいが、本来の水ではない。私は、水道水から塩素やフッ素などを取り除いたものを飲んでいる。詳細は、日本健康会の理工式健康法フォーラムにある「よい水を飲む」を見て欲しい。


次々と数年続く、お別れがあり。


ここ数年来、親しい友達が次々と死んだ。若いころには、あまりなかったことだが、古稀の前後から、めっっきり多くなった。毎年のように、数人があの世に行ってしまう。

そんなわけで、自分自身のことも何となく自信がなくなってきた。かつては、健康に注意をしていたので、自分は大丈夫だろうなどと考えていた。それが、どうやら万全ではないことが、つくづく思い知らされたのである。

そんなわけで、ほつぼつ「いつ死んでもよいような覚悟」と「身の回りの整理が大切」だとわかってきた次第。財産などは皆無なので、問題はない。しかし、しかかった仕事のすべてが、中途半端になってしまうのは残念である。何とかできないものであろうか。


お気に入り、次々と見て学習をする。


ホームページやこのブログにも、右上に☆がある。そこをクリックすると、自分でお気に入りにセットした記事を見ることができる。また、YouTubeなども、お気に入りの指定ができる。

お気に入りという言葉は、最初のころは馴染まなかったが、ヴィヴァルディの曲にも「お気に入り」というのがあったりして、次第に慣れてきた。

すると、いったん仮に「お気に入り」にしておいて、後でゆっくりと見て学習することを覚えた。むろん、その「お気に入り」の他にもウエブ検索の結果なども参考にして、自分自身の考えをまとめていけるのでありがたい。

Kuroda Kouta (2012.01.31/2012.01.31)