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  新句(十九音) 作品集41(2010年11月分)



「心身を健康にする生き方」あるか?


帯津良一(おびつりょういち)先生は、「ホリスティック医学」の第一人者であられる。西洋医学は「要素還元主義」であり、人間の身体を臓器ごとに診るが、ホリスティック医学では、人間を一つの有機体として全体的に診る。つまり、臓器と臓器のつながりを考慮して、さらには「生老病死」までを考えるという。

その生老病死という言葉からわかるように、「死」の世界までを含めて医療のあり方を考えていくのである。私は、そのような医学があることを知り、驚いてしまった。

なぜならば、私は人生自体が旅であって、いつかはその旅ができなくなって、この世との別れになると考えているからです。別旅となって、再生するまでを考えると、暗くて長いトンネルのようなところではないでしょうか。そんなことを自覚することが、「心身を健康にする生き方」だと思っているからです。


人体の奇形は、多く化学薬品?


YouTubeにも、多くの人体の異常、奇形などが動画で報告されている。何とも困った問題である。私の独断ではあるが、おそらく何らかの化学薬品が、複雑に関係しているように思う。ベトナム戦争で行われた枯葉剤のことなどを考えると、何となく恐ろしい。

近年になって、動物などにも奇形が多く発生しているという。むろん、古くから突然変異や奇形はあった。しかし、人為的になされた結果としての事象は、ここのところ急速に増加をしているとのことである。

恐ろしい現実である。私は、なるべく化学薬品の入っていない食材を用いるようにしている。また、化学調味料などもできるだけ使わない。空気はともかく、水と食べものに関して、細心の注意を払う必要があるのではないか。化学薬品症候群を避けるためにも。


目キラキラすると、しばらくパソコンやめる。


最近になって、目が弱くなったのかもしれない。少し疲れてくると、目がキラキラしてくる。輝くのではなく、見えなくなってくるのだ。目には滝のような流れが写って、それが視力を妨げる。

おそらく視神経がやられてしまったのであろう。とくに痛いとか苦痛を伴うわけではないが、視力を妨げるのは事実である。まだ、眼科に行っていないが、すぐに治ってしまうので失明などの危険はないようだ。

そんなときは、パソコンをやめる。そして、散歩に行ったりする。さらに、吉野家で牛鍋丼を食べ、キムチでビールを飲んだりする。すると、不思議なことに治ってしまう。その足で多摩川に行ったり、近くを散歩する。そして、帰ったらまたパソコンを始めることが多い。そして、そのときはもうキラキラの症状がなくなっているので不思議である。


老いたらば、納得のゆく自分の世界。


若いときには希望も大きく、可能性もあった。しかし、還暦、さらに古希を過ぎると自信もなくなってくる。健康上や体力の関係で、あまり遠くへは行くこともできない。いきおい、自分自身の限界を知ることになろう。

スポーツなどを見ても、見るだけで自分ですることはできない。また、古典の文学も理解できない。アブストラクト(abstract)の抽象的で観念的な美術などは、いったい何のことかわからない。逆にしても、同じに見える。また、交響曲などを聞くと、早く終わらないかと思う。超絶技巧の曲などは、気狂いじみて聞こえる。

とどのつまり、自分自身が納得のできる知的空間を伸ばしていくのがよいのではないか。そして、『方丈記』のがうなやみさごのことを思い出す。


人間は本来孤独、師も弟子もなく。


一生の間に、本当の師に巡りあえる人は、何人いるだろうか。吉田松陰は、「軽々しく誰かを師としたり、誰かの師となってはいけない」と言う。それほど先生と弟子の間は、得がたいものである。

吉田松陰(1830〜1859)は、幕末の思想家。欧米遊学を志してペリーの船で密航を企てたが、失敗をして入獄した。出獄後は、松下村塾を開いて多くの人材を育てた。しかし、安政の大獄で刑死。私は、ときどき松陰神社に行く。

法然と親鸞、道元と懐奘のように最初の面会によって悟るほどの力量のない私は、この歳になるまで師らしい師には出会ったことがない。そんな次第で、自分自身が師であって弟子でもあるような安易な考え方をするようになった。人間は、そんな意味で孤独であるのかもしれない。


「健康」と「老化予防」と「安心立命」。


私の三大モットーである。モットーというよりか、むしろ「座右の銘」。つまり、私の人生、といっても残り幾ばくもないと思うが、その短い余生で「健康」と「老化予防」と「安心立命」の三つがテーマである。

「健康」は「生活習慣」とも密接な関係があり、また「老化予防」などが複雑に影響してくる。

「安心立命」は、いわゆる「死後の問題」に関する自分なりの納得ということができる。まだ死んだことがないのでよくわからないが、死後の世界については行き先と経路を迷うことのないように、あらかじめはっきりとさせておきたい。しかし、そのアプローチは学問的な方法でなく、直感的かつ本能的で強力に推し進めたい。なぜならば、現代の学問では解決できない問題であると私は考えるからである。


「こんなこと過去にもあった」ような気がする。


私が言うのは、大きな事件のことでない。日常の取るに足らない些細なこと。何かしようとして、ふと「こんなこと過去にもあった」ような気がするのである。それは、互いにまったく同じことではない。例えば、辞書でわからない文字を引く。同じ字を引くのではない。初めての文字のはずであるが、前にも引いたような気がするのである。

もうすこし具体的に言うと、道を歩いているとき。まだ通ったことがない道で、そんな気がすることが多い。「いつかどこかで」同じ体験をしたのだが、思い出そうとするとダメ。何とも、もどかいし気持ちがする。

既視感じゃないかとも考えるのだが、私のはもっと単純なこと。おそらく、同じパターンをまとめて記憶しているのであろう。だから、そこに少し違った箇所があっても、別の分類が思い出されるのではないだろうか。


豺狼のごとく群がる店じまいのとき。


前にも言ったことであるが、きょうも聖蹟桜ヶ丘で感じたので重出した。私のよく利用した「さくらや」のことである。ここで言う「店じまい」というのは、その日の閉店ではなく、店をやめてしまうこと。豺狼(さいろう)は、言葉通り「やまいぬ」と「おおかみ」。また、「欲の深い人」のことも言う。

店がつぶれてしまって最後の整理をするときなどは、安いので人が集まる。もしかしたら、人間にはダメになりかかったものに群がる心理が、あるのかもしれない。過去の生存競争が激しかったときの遺伝子の名残りだろうか。

同じようなことが、赤字ローカル線の廃止の場合にも言える。最後の日が、開業以来の大繁盛などということがある。まったく、愚かしいことであり、自分自身の醜い部分をさらけ出すので、私は大いに反省をする。


老醜という言葉、ふと脳裡をよぎる。


老醜(ろうしゅう)という言葉がある。その意味は、ふつう「年をとって姿などが醜くなること」。「老醜をさらす」などという。私も、いつしかその齢(よわい)になって、そんな言葉が脳裡を過(よ)ぎることがある。何かをして失敗をしたときなどは、つくづく思う。

しからば、老醜をさらさないためにはどうしたらよいのか。むろん、何もしなければ失敗はないだろう。しかし、そのようなわけにはいかない。生きている以上は、日々の方便(たつき)が必要である。例えば、健康で過ごすためにも、勉強や工夫が必要だ。

そんな按配で、それらの勉強や工夫についても、つい消極的になってしまう。それが老化の一つの原因であることもわかっているが、いっぽうでは気力が失われたことも事実である。何とも困ったことだ。


世の中に面倒なこと、多すぎないか?


現代社会には、何となく面倒でムダの多いことが目立つ。それがどこからくるのかはわからないが、おそらく利権やセクショナリズムも大きく関係しているだろう。

面倒で煩わしいことが多いので、世の中がますますいやになってくる。昔からある隠遁者なども、その時代にはそれなりにそうであったのかもしれない。

考えてみると、世の中の仕組みの中には、自分がいる場所がないのである。そうかと言っても、直ちに死ぬわけにもいかないし、隠遁をするわけにもいかない。つまり、死んで解決ができる問題でもないし、隠遁したから逃れられるわけでもない。矛盾と理解できないことが多すぎる現代社会であるが、私は何とかして、その中にいなければならないのである。


このプログ、個人のメモ帳、備忘の類い。


「日々記憶の断片」とか「生活の知恵」などと、偉そうなタイトルが付いているが、何となく私個人の単なるメモ帳であったり、備忘の類いなどという謗りを免れないであろう。

また、未完の記事がかなりあって、見苦しい限りでもある。そのことは、私自身の人格の未熟がなせる技であって、何ともいたし方ない。あまり訪問者がないままに、開き直った感じであるかもしれない。

「日々記憶の断片」は、考えたことを記憶として断片として残そうという他愛のない企画。「生活の知恵」は、健康や生活習慣について思いついたこと。私のは「生活の知恵」であって、かつて大流行した謝国権先生の「性生活の知恵」とは関係がありません。


パソコンの中が、一つの知的空間。


私のパソコンには、4G(よんギガバイト)の主メモリに、1T(いちテラバイト)のハードディスクが付いている。最初のころと比べると、ずいぶん大きなメモリ空間である。文字はむろんのこと、画像・動画などをかなりの分量入れることができる。

何となくガラクタボックスのような感じになりがちであるが、私にとってそれは一つの知的空間である。その中で、自分自身の考えなどを少しずつまとめていけるから、その利用価値は絶大なのだ。

検索などもインターネット上で、自分自身のドメインやアドレスを指定して行うことができる。また、Windows 7では簡単に「プログラムとファイルの検索」ができる。スタートボタン(Windowsキー)から指定をして、プログラム・ファイル・メールから付箋まで、ほぼ確実に探してくれるのでありがたい。


結局は、わからずじまい、死後の生など。


いろいろと考えてはみたものの、死後のことなどは結局解らないままに、自分自身が死んでしまうのではないだろうか。もしかしたら、体験をしてはいるが、記憶にないのかもしれない。それは、あたかも転勤先の場所がどこでどんなところであるかを知らずに、迎えが来て飛行機に乗ってしまうようなものだ。

今のところ、まだ現実に体験をしていないからか、とくに「死後の世界」があるとは思えない。また、死ぬということ自体、現実でないように感じる。確かに、心臓や肺が停止して、脳の機能がダメになり、焼かれて灰になるだろう。

しかし、そういう外見上のことではなく、私たちが置かれた次元自体が生死にかかわらず続くのではないか。それを感じないだけで、死を切り離して論じるのは、ドーナットの重心が空間にあるのを知らないのと同じ。


不可解なもの多くあり、現代社会。


科学技術が発達した現代社会と言っても、まだまだ不可解な物体や現象が多くあるみたい。むろん、そのことに注意しなくても日々の生活ができるから、関心がない人たちは不可解に対して喧(かまびす)しくない。

例えば、UFOや宇宙人の存在・人類文明の異常なほどの急な発達、人間の脳に関する未解決な問題など、私には不可解だらけである。そして、何となく私とは異質な人たちが、別次元にいるように思えてならない。

それは、ちょうど家畜が飼われているようなもの。仮に私が一匹のニワトリとすると、何のために日々飼育されているかがわからない。また、いったい何をすればよいのかも教えられていない。何となく、日々を生きているという感じ。あたかもケンタッキーの養鶏場で、ニワトリがカーネルおじさんの考えていることも知らずに、ただ餌を啄(つい)ばんでいるように。


「金持ち」や「有名」などは、愚かなものか?


私のもっている『イソップ寓話集』(山本光雄訳)に、「狐と葡萄の房」として、
<或る飢えた狐が葡萄棚から葡萄の下がっているのを見た時に、それを手に入れようと思いましたが、できませんでした。そこを立ち去りながらひとり言を言いました。「あれはまだ熟(う)れていない。」……>

確かに、その通りだとも思う。でも、私は何となく「金持ち」や「有名」などは愚かしく、空しいものと思う。秒単位で仕事をこなすために自家用ジェット機で、世界中をかけまわっている事業家よりも、年金生活者の私はもっと幸福だと思う。

ハワード=ヒューズの伝記を読んだり、ソロモン風のコヘレットの書を読むと、いったい彼らは何のために何をしたかを不思議に思ったりもする。負け惜しみや捨て台詞(ぜりふ)だろうか。


防腐剤ばかり食べたら身体(からだ)に異変。


近年になって、食中毒が少なくなったようだ。それは、食品に防腐剤を多量に添加するからではないだろうか。私のよく行く食堂には、紅しょうがが置いてあって、いつ見ても色鮮やかでおいしそうに見える。

かつて、自分で紅しょうがを作ったことがある。かなり塩分を多くしても、すぐ白くかびてしまった。腐ったり、カビが生えるのを嫌う利用者が多いために、防腐剤を多く混入するのではないだろうか。しかし、化学薬品が体内に蓄積すると、身体に異変をきたすのは必然。

例えば、饅頭である。買ってきて五日ほどテーブルに置いておく。すると、カビが生える。それを捨てて、もう一度その店で買って、その日のうちに食べる。もしも、一週間しても常温でカビが生えないのであれば、私は捨ててしまう。そして、それからその店では決して買わないようにする。


バートンの『ちいさいおうち』、心に残る。


アメリカの絵本作家・画家・デザイナーのバージニア=リー=バートンが描いた絵本である。子どもに買い与えたのが五十年ほど前、他愛のない内容ではあるが、なぜか今でも覚えている。

静かな田舎の土地に建てられた小さなお家が、次第に都市化をしていく中で過ごし、やがて最後は車に乗せられて引越しをするというストーリ。そのお家の窓が、何となく顔に見えて印象深かった。

私の持っている版は、数字以外の文章はほとんどひらがな。絵と文章が、半々くらい。漢字は、「月」「木」「小川」「子ども」「日」「大きく」くらいです。それでも、とても豊かな内容なので、いつまでも心に残ることでしょう。


なつかしい、いつかどこかで見たことがある。


何かの機会に、ふとなつかしい思いがする。そして、すでに「いつか」「どこか」で、その体験をしたような気がする。既視感やデジャビュと言われる体験とも似ている。

しかし、「いつ」「どこ」などの明瞭な記憶がない。何となく、そんな気がするという程度であって、詳細を思い出せないのである。そんなことは、いろいろな場合に起こる。

景色を見たとき、絵や彫刻などを見たとき、書物を読んだとき、テレビなどのドラマを見たとき、知人と話をしているとき、そして自分自身が何かを考えているとき、その他いろいろな場合に。おそらく、いつも自分は同じようなことをしていて、同じようなパターンの体験をしているからかもしれない。


老いは病(びょう)、病(やま)いは死への準備であるか?


たいがいの人は、老いてくると病気になりがち。そして病気が続くと、やがて死。仕方のないことである。健康に留意をしても身体が衰えていくのは、どうしようもない。

老いてくると病気がちになって、たいがいは病院や医者に通う。そして、薬の常用を始めるようになってしまう。そうなると、それは一生の間ずっと続く。つまり、死ぬまでである。

私は、なるべく薬は使わないようにしたいと思っている。せいぜいサプリメントがよいところ。長期間で患った糖尿病とか、血圧異常などは、やはり長期間かかっても食事や生活習慣の改善によって治すのが常道ではないだろうか。また、病を死の準備と考えて、生活に注意をしたい。


次々と思い浮かべり、過ぎ去りし日々。


なぜだろうか、最近になって過去のことをよく思い出す。懐古趣味があるというわけではないが、追憶の日々が何となく多くなった。おそらく加齢によって、身体が衰えてきたためであろう。

「追憶をしだすと老人」というような話を聞いたことがあるが、まさしくその通りかもしれない。もしかしたら、脳まで衰え始めたのではないだろうか。心配である。

「昔はよかった」とか「今の若い者は」などというような愚かなことをグチり始めたら、要注意だろう。イソップの「狐と葡萄の房」の話ではないが、ひとりよがりの偏見である。過ぎ去った日々を思い出して、現在の自分自身を見つめなおす必要があるのではないだろうか。


いつまでも若くありたし、ムリな願いか?


「ウルマンの詩」にあるような心がけをしているのだが、やはり現実は厳しい。ここのところ、足が萎え始めていたり、内臓がダメになりかかっているようだ。気をつけているのだが、致し方ない。

しかし、同じ年でも若々しい人もいる。髪の毛も白くなくて、むしろ黒くてつややかである。さらに、その人の言うことも老いた感じがない。

最初から「ムリな願い」だろうかなどと考えるのは、すでに老いてしまっている証明かもしれない。老いなどを感じること自体が、老いている証拠であろう。生老病死(しょうろうびょうし)などをことさらに考えるのは、人間だけかもしれない。病むときに病み、死ぬときに死ぬのがよろしい。それが、自然界の掟である。あまり、あれこれと考えること自体、老いを早める結果になるのかもしれない。


新しい出会いを求めて寺を経巡(へめぐ)る。


まだ行ったことのない寺を私が経巡っているのは、仏像や観音像との新しい出会いを求めるためである。ご本尊になっていて、ふだんは外から見れない像や、いわゆる秘仏などは対象外だ。いつ行っても、境内に佇(たたず)んでおられる像などが、私の目的なのである。

仏や観音などと言っても、所詮は人間の作ったものである。しかし、それでも一種の芸術作品となって、単に信仰の対象ばかりでなく、鑑賞のターゲットとなるのでうれしい。

境内をぐるっと回ると、はっと息を飲むような像があったりする。あまり有名でない像であっても、たまたま行ってお目にかかることがある。そんなときは、至福の至りで何とも運がよかったなどと思う。それこそ、仏さまや観音さまのお導きではないかなどと考えるのである。


在るもので工夫をすると、心が豊か。


在るもの、在る物、有るもの、有る物などを工夫して使っていると、何となく心が豊かになる。つまり、喜びが増したり、豊かさが増すのだ。

「吾、唯、足るを知る」という言葉をご存知だろうか? 蹲(つくばい)に配置をした文字で、中心の水が出てくるところが「口」。その上には「五」、右に「隹」(ふるどり)、下に「止」、左に「矢」が配してある。

欲しいものを求め続けるのも、それなりによいだろう。しかし、やがてキリがないことに気付く。そこで、現時点で自分自身が持っているものを工夫することを考える。すると、結構いろいろなことができることがわかる。そんなことをしていると、心が豊かになって、何となく人生が充実してくるから不思議である。


あきらめは、手っ取り早い「われ足るを知る」。


諦(あきら)めちゃうというと、何となく消極的で厭世的。しかし、高齢になると大切なことだ。京都の有名な寺にある蹲(つくばい)「吾、ただ足るを知る」というのは、古来からの哲学者の教えであろう。似たようなデザインのものが、多摩センターのパルテノン裏にあった。丸いまん中の水が出る部分に「口」があって、上に「五」、右に「隹」、下に「止」、左に「矢」のようにデザインされている。「口」を下・左・上・右にして読むわけである。

私も、還暦を過ぎたころから、そのようなことの大切さをつくづくと知った。こころの平安のためには、いわゆる諦めも必要である。

老子やマルクス=アウレリウスなど、東西の哲人が残した言葉として、大いに考えなければならない。


楽しみは、仏・観音を訪ね行くとき。


とくに初回は、その仏(ぶつ)や観音(かんのん)がどのようなお姿であろうかなどと想像をして、大いに心が躍る。何となく、まだ若いころに紹介をされて、初めて会った人のときと、同じような心境である。お見合いなどでも、おそらく同じであろう。

つまり、大きな期待と微(かす)かな不安が混在する。それは、大きさや置かれている場所などではない。全体のお姿が、もっておられるイメージである。それが、想像をしていたものと大きく異なることがある。

しかし、いちばん悪いのは、そこへ行ってもお目にかかれないことだ。秘仏やご開帳の日が決まっていて、拝顔できない。改めて行けばよいのであるが、私は面倒なのでたいがい行かない。もしも行って、期待とは異なっていたら、失望がそれだけ大きくなるからである。


椎茸を干す老和尚、初めて見たり。


五月台駅周辺にある修廣寺(修広寺)で、「椎茸(しいたけ)を干す老和尚」の像を始めて見た。「天童山の典座和尚と若き日の道元禅師」というタイトルが付いていた。これまでに何回も文章で読んだことがあるが、その光景を像にしたものを見て、私は大いに感激をした。

つまり、中国で道元が見た椎茸を干す老いた典座僧である。身をかがめて、椎茸をほしている。おそらく、夏の暑い日差しの下であろう。道元が声をかけたのも、不思議ではない。

その老和尚は、おそらく「今干さなければ、いつになったらできるのじゃ」などと言ったに違いない。その言葉が強く印象に残ったので、道元が書き残している。そんな会話が、二人の像からわかってくる。


どこにある? 越路吹雪と有吉佐和子。


墓ではなくて、それぞれ記念碑。いったい、どこにあったかを思い出せない。いずれも寺の境内、ひっそりとあったのを覚えている。そして、写真を撮ってどこかのページにアップしたことも覚えている。

そこで、「越路吹雪」。つい一週間前のこと。Windowsボタンを押して、「プログラムとファイルの検索」に入れる。すると、すぐに出た。実際には「越路」でOK。しかし、なぜか「有吉佐和子」はその方法ではダメ。

そこで、グーグルの検索で「有吉佐和子 site:http://riksys.web.fc2.com/」とする。単に、「有吉佐和子」とするとすべてのホームページになってしまって、大変な数となる。また、ホームページ・ビルダーの「サイト内検索」でもよい。それは、ファイルを一つずつ読んで探すので、かなり時間がかかってしまう。Windowsボタンを広げて、コンピュータから探しても、結局はGoogleになって同じこと。工夫をすることで、「越路吹雪」も「有吉佐和子」も見つかった。


仕掛かりの文書の整理、する時期となる。


たくさんある文書や書類の整理をする時期になったようだ。年齢から考えて、いつ死ぬかわからないし、死ななくても、認知症やアルツハイマー病になってしまう可能性が大いにある。身の回りの知人が、すでに何人かそういう状態であるからだ。

文字に書いたものばかりではない。むろん、持ち物などもそう。物の整理は、妻でもできよう。しかし、文書は自分でなければまとめられない。

そこで、まず不要なものを捨ててしまうのと同様に、今後もあまり意味のないモチーフなどは削除をしてしまう。また、持ち物を整理・整頓して、どこに何があるのかを明確にするのと同様に、創作用の素材などはパソコン内に分類をして入れておく。すぐに取り出せるような工夫をしておくことも必要である。


「ナルヘソ」を「メルヘン」と読む、豊かなこころ。


カタカナで「ナルヘソ」と書いてある四字を「メルヘン」と読むくらいのこころの豊かさがあればよいと思う。つまり、そんなところに「ナルヘソ」は出てこないばずで、そこの文は「メルヘン」になっていると考えながら読んでいる。

読書をしていると、そんなことがよくある。つまり、次を読む前に、自分自身である程度の先読みをして、内容を決めてかかっているのだ。

まったく最初の読書では、そのストーリに関しては、すべての文字が初体験。それでも誤字や脱字があれば、目ざとく見出す。やはり、それはある程度の自分自身の考えた文章を心にもっているためであろう。


小野神社、菊のご紋と随身椅像。


京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩十分(かちじゅっぷん)ほどのところにある小野神社。参拝者は少ないが、とても由緒のある神社である。鳥居にも門にも、菊のご紋が付いている。菊のご紋は朝廷と関係があって、勝手に付けるわけにはいかない。

また、延喜式内社である。つまり、「延喜式の内に記載された神社」で格式が高いことを示している。式内社は、延喜式(延長五年(927年))に記載されていて、当時から朝廷に重視された神社であることを示している。

随身椅像(ずいしんいぞう)とは、椅子に腰掛けている神さまを警護する近衛の武士。それが二体残されている。古いほうの一体は、元応元年(1319年)の作であり、小野神社建設当時から安置されていたという。


Kuroda Kouta (2010.11.10/2010.11.30)