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  新句(十九音) 作品集36(2010年6月分)



体重が少しずつ増え、膝痛(しっつう)も増す。


考えてみれば、私たちの足が身体を支えていること自体が不思議でもある。人間といえども、もともと四足歩行だった。それが、前二本を手として用いるようになって、脳の発達が著しい進歩をしたという。

しかし、元来は梁(はり)として用いていた背骨が柱になり、後足二本で身体を支えることになる。いきおい、膝や腰に負担がかかるのは否めない。老いてくると、その部分がダメになってきて、膝痛を起こしてしまう。中には激しい傷みで、歩行が困難になることもある。

そこで、何とかしなくてはいけない。グルコサミンやコンドロイチン、そしてコラーゲンを補充したり、カルシウムのある食べ物を摂る必要が出てくる。また、太った人は、膝の負担を軽くするために、体重を増やさないようにしなければならない。


不摂生、天罰覿面、体重増加。


ちょっと不摂生をして油断すると、天罰覿面(てんばつてきめん)である。私の場合、体重が増加をしてしまう。そんなわけで常に、「覿面の今」を大切にしなければならない。「現在、目の前にある今」しかなく、過去は過ぎ去ってもはやない。未来はまだないが、やって来たときは覿面の今になっている。つまり、現在のみが大切ということ。覿面は、的面と書くこともあるそうだ。

正受老人(道鏡慧端(どうきょう えたん)寛永19(1642)~享保6(1721))は、江戸時代の臨済宗の僧侶。19歳で出家し、至道無難などの指導を受ける。臨済宗中興の祖・白隠禅師(白隠慧鶴)の師で、白隠が大悟したと思い込み慢心したのを厳しく指導した。

不摂生は肥満をもたらし、やがて病気を引き起こすことが明白な理のようだ。したがって、、「覿面の今」を慎まなければならない。


親と子の関係につき、思うことあり。


父母が早く死んだので、いわゆる親孝行などはできなかった。残念であり、『父母恩重経』を思い出す。また、『孝経』なども考えるが、「身体髪膚これを父母に受く。敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは考の始めなり。」はともかく、「身を立て道を行ひ、名を後世に揚げて以て父母に顕はすは、孝の終りなり」などとは思っていない。さらに、『論語』(泰伯第八の三)にある曾子(そうし)が臨終のときに言った「死んだら私の足と手を開いてみろ。傷などは何もないはずだ!」も、何となくわかるような気がする。

私は、なぜか「孝行」というと、次の3人の名前とその母親のことを思い出す。

王祥(おうしょう)……母親が寒中に「鯉が食べたい」と言う。そこで、池に行って裸になり、氷の上に横になった。氷を溶かすためである。やがて、氷が溶けて一匹の鯉が氷上に躍り出てきた。
孟宗(もうそう)……やはり、母親が寒中に筍(たけのこ)が食べたいと言う。そこで、竹藪に行って掘ってみたら、たまたま一本があった。
呉孟(ごもう)……超貧乏なので夏に蚊帳(かや)もなく、母親が蚊に刺されてしまう。そこで、自分の身体に酒を吹きかけて母の横に寝ていた。つまり、蚊はすべて酒を吹きかけた自分の身体から血を吸ったのである。
何とも非現実な話ではあるが、すべてが母親であり、父親ではないところが面白い。もっとすごいのは、誰が書いた何という古典か忘れてしまったが、「自分の腿(もも)の肉を切り取って母に食べさせた」というのである。


治し方、教えて欲しい、ガンとヒマンの。


もしも、ガンにならない方法・軽度のガンを自然治癒させる方法などをご存知でしたら、どうぞご教示ください。また、ヒマンを簡単に解消する方法を知っていたら、その方法を教えてください。情報がないと、結局は自分自身で研究をして、その解決をしなければなりません。

前のテーマは、糖尿病と高血圧症でした。結局は、そのいずれも簡単に治ることがわかり、自分自身と妻と義姉とで確かめてOKでした。もっとも、透析をしているとか、すでに失明をしてしまったような場合は、治らないと思います。初期症状でしたら、少なくとも尿糖を出なくするとか、高血圧を境界値にするには、費用のかからない方法で簡単に実現できることが、やってみてわかりました。

ガンとヒマンについても、早く解決をしたいと思っています。ご協力をよろしく願います。


すべすべの皮膚を実現する野菜食。


女性にとっては、うれしいことかもしれない。数年のテストの結果、野菜食が肌を美しくすることがわかった。キメが細かくなって、光線が斜めに当たると、てらてらと反射をするほどである。

つるつる温泉というのが、五日市にあるが、それは皮膚の外部からの効果。つまり、温泉に入った後の数時間程度の持続性しかない。しかし、すべすべ皮膚というのは、身体の内部からの変化。むろん持続をするし、風邪などもひきにくくなるようだ。

旧約聖書『ダニエル書』一章12節から13節に、「十日間、試験的に私たちに野菜だけ食べさせ、水を飲ませ、王の贅沢な食物を食べる若者たちと比べてください。」という記述があります。そしてその結果は、王と同じ贅沢な食物を食べた若者たちよりも、肉食をせずに野菜を食べたグループのほうが顔色もよく、皮膚も美しく、また身体も太っていたということです。


菜食は、肉食よりも優れているか?


私も、外では牛丼を食べたり、焼き鳥屋で飲んだりする。しかし、原則的にはベジタリアンである。したがって、家の台所には肉や魚の調理器具がない。むろん、電子レンジも置いてありません。

『ベルツの日記』には、ベルツが人力車に乗って日光に行ったことが書かれています。彼は、粗末な食事しか取っていない車夫のスタミナに驚いて、肉を食べさせたらもっと力が出ると考えました。そこで、車夫に肉食をさせたのですが、どうしたことか急に力がなくなってしまいました。

菜食とか肉食とかは、出す力には関係がないのでしょう。考えてみればゴリラも菜食ですし、初代目ターザン俳優のワイズ=ミュラーもベジタリアンだったそうです。メルボルン・オリンピック水泳自由形の金メダリストのマレー=ローズも菜食ですし、プロ・レスリングのキラー=コワルスキーもそうでした。


常識は『両論』に似て、逆のことあり。


仮に『両論』(ディッソイ・ロゴイ)と呼ばれる本があるが、著者も正式な書名も不明である。ソクラテスが晩年の時代ごろと思われるが、次のような文章が残っている。

「スパルタでは少女が下着を着ないで歩くのを美しいと見るが、イオニアではみっともないことと考える」「マケドニアでは婚前前の娘は男と交わってもよいが、ギリシアでは許されない」「マッサゲダイ人は親の死体を食べて子の腹へ葬るのを立派な弔いとするが、ギリシアでは恥ずべきことで罪になる」。

「情けは人のためならず」というのは、「その人のためにならないから、情けをかけてはいけない」などと言う。誰かの小説に、将軍が堀の上にある自分の銅像を倒して池へ落とそうとしていたら、老婆に叱られる話があった。


ガン・ヒマン、新しいこと、わかり始めた。


私は学者でもないし、医者でもない。しかし、「糖尿病と高血圧症」の研究に続いて、「ガンとヒマン」の研究をしている。研究と言っても、学界などに発表するものではないし、学問的な裏づけを厳密に必要とするものでもない。

ただ、私と妻、そして親しい方々が糖尿病・高血圧症・ガン・ヒマンから逃れるために、そんな研究を続けている。そして、「糖尿病と高血圧症」については、何とか解決。さらに「ガン」については、初期のものであればOKらしい方法を発見。それを実際にテストしている段階である。おそらく、ある程度の結論が今年中には出るでしょう。

問題は、「ヒマン」である。肥満と書くと、そこに人類の長い歴史が物語られるようである。今日のような時代の生活は、いまだかつて誰も経験をしなかったのではないだろうか。王様といえども、昔の環境はもっと悪かったと思う。


朱泙漫(しゅひょうまん)、愚かなプラン、具現性なく。


私は今日までずっと、何となく意味のない技術を学んできたような気がする。それらが、いっこうに役には立たないからである。例えば、『荘子』雑篇にある「列禦寇篇第三十二」にある話と似ている。

朱泙漫は、支離益(しりえき)から「龍を殺す方法」を学ぶために、全財産を使い果たした。しかし、龍はどこにもいないので、せっかくの技術は何の役にも立たないままで終わってしまった。

この支離益とは別な人だが、支離疏(しりそ)が有名。私は、支離疏と哀駘它(あいたいだ)ということで覚えている。ともに醜男(ぶおとこ)だが、不思議な魅力をもっている。その詳細は、青空のホームページ「文学エクジビション」にある「お便り5……配信メモ5(2005年08月から2005年09月分)」の「現在の一瞬(3/3)」にあります。


わからないこと多くあり、そのまま終わる。


科学万能の時代という。本当に、そうであろうか。確かに、分子化学が進み、遺伝子工学によって人間の構造もわかってきただろう。しかし、ヒトに関する仕組みがわかっても、なぜ自分がヒトであるのかとか、死んだらどうなるのかなどは、さっぱりわからない。

そんなことは、よくある。例えば「月の錯覚」などは、いまだに未解決のまま。月や太陽が、なぜ地平線で大きく見えるかについて、「光の屈折説」「瞳孔・水晶体説」「比較・対比説」「地平視角説」「天空形状説」などがあり、近年になっても研究が次々と発表されているという。

私には、わからないことが多く残って、このままでは死にきれない気がする。つまり、心配のまま死んでしまうと、そのままその問題に直面するのではないかという恐れがあるからだ。ソクラテスの言葉ではないが、「わかっていないということが、わかっていない」のであろう。


カイコウズ、初夏の新芽のすさまじきかな。


聖蹟桜ヶ丘あいおい証券のカイコウズ。冬には巻き藁をして、大事にされていた。しかし、春先に藁を取ってみると、幹まで穴があいている。とても、新芽が芽吹くとは思えないほどであった。しかし、五月も終わりになると青々とした新芽でおおわれ、ものすごい勢いである。

この分で行くと、梅雨明けのころには紅い花を満開に咲かせるでしょう。つくづくと生命力の強さに驚かされる。また、四季のうつろいに不思議さを知る。

カイコウズ(海紅豆)は、アメリカデイゴとも言って、マメ科の常緑高木である。デイゴの一種で、ブラジル原産。江戸末期に渡来した。6~8月頃、枝先の長い花序に深紅色の花をつける。しかし、他にもマメ科の高木で、インド・マレー半島・中国南部に分布するものもある。これは種子が堅く、深紅色で光沢がある。したがって、装飾品になる。ナンバンアカアズキともいう。


観音は、すでに身近に数柱(すうはしら)あり。


いったい、どこにあるのだと問われそう。それは、ホームページの中。私が、すでに「プチさん駅周辺シリーズ」で経巡(へめぐ)った数千の寺院で撮影した写真の中である。後で見直して、かなりの仏・観音像があることに気付いた。忘れてしまっていたのである。そこで、それらを改めて見直すことにした。

私は、『孝経』の注釈を書いた楊黼(ようふ)のことを思い出す。楊黼は明代の人で、仏典を好み隠棲をして、仕えなかった。その楊黼が、両親に別れを告げて、菩薩に会いに出かける。その途中、僧に「菩薩に会いに行くよりも、仏に会ったほうがよい」と言われる。

「仏はどこにおられるか?」と聞くと、「家に帰ったときに、毛布をかぶり、靴を逆に履いた人が迎えてくれる。その人が、仏じゃ。」と答える。言われたとおり家に戻ると、もう真夜中だった。母親は大急ぎで出てきた。毛布をひっかけ、靴も逆に履いていた。


秘書さんのくださる豆は、とてもおいしい。


私は、大豆・小豆などの豆類が大好き。豆だけ食べていても、おそらく栄養は偏らないであろう。五穀とは、ふつう米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を言う。「聖書」(ダニエル書)にもあるが、菜食のほうが健康によい。最近になって「ローマの健闘士が、肉でなく豆・大麦・野菜などを主食とした」ということが、文献からわかったそうです。パプア・ニューギニア人は、芋・豆・野菜を食べ、動物性食物をほとんど食べない。つまり、「バランスよく何でも食べる」わけでもないのに、民族は絶えていない。

「新約」に、皮衣を着てイナゴを食べていたパプテスマのヨハネの話がある。生臭坊主のような印象を受けるが、そのイナゴは昆虫ではなく「いなご豆」だったということが、最近になってわかったそうだ。すると、やはりヨハネも菜食主義だったのでしょう。 また、皮衣はラクダの毛で織った布。なめし皮を着て虫を食べていたのではありません。

豆が魅力的だったことは、「旧約」にもある。「すると、ヤコブは言った「では、今すぐ誓ってください」 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲った。ヤコブは、エサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく、立ち去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。」


治らない病気と、治る病気とがある。


個人差があって一概には言えないが、治る病気と、治らない病気とがある。簡単に治る病気は、糖尿病・高血圧症。長い間の不摂生でなった病気であるから、逆にある程度の期間をかけて治療に当たれば完治するはず。しかし、すでに失明していたり、脚を切断してしまったり、透析をしているような人は、もはや治らないかもしれません。

治らない病気は、前立腺肥大症・歯周病など。それらは、どうしても外科的な治療や抜本的な対策をとらなければ、なおりません。いずれも身体の一部の変化と言えるからです。

現在、私が研究中の病気はガンとヒマン。おそらく、いずれも比較的簡単に治るでしょう。初期ガンは必ずしも悪化するとはいえないので、精神的治療も大切。現在、私はワイル博士からヒントを得て、「なんその法」なども確かめてみようと考えているところです。


簡単なタイプのアトピー、早めに治す。


もしも、あなたが簡単なタイプのアトピーであったら、早めに治してしまうほうがよい。慢性の状態になると、なかなか治りにくくなるからである。長い間の食事や生活習慣によって、アトピーになることが多い。「化学薬品症候群」と私は言っているが、多くの化学薬品が体内に蓄積することによって、皮膚のホメオスタシスのバランスが崩れて、そうなるのではないだろうか。

私は学者でもないし、医者でもない。それでも、自分自身のアトピーを何とか克服した。それも、いわゆる薬を用いることなく、食生活と生活習慣の改善によってである。

自分の工夫でたいがいは治るが、ムリなこともある。それは、母親の胎内にいるときにアトピーの遺伝質を引き継いで生まれた場合。そのようなときは、病院に行って根本的な治療を受けなければならない。


死の不安、麗姫(りき)の嘆きと同じであるか?


『荘子』(そうじ)に、こんな話がある。麗姫は、艾(がい)の国境を守る役人の娘であった。晋の国に連れ去られるときに、さめざめと涙を流して悲しんだ。しかし、王とともに立派な宮殿で生活し、毎日おいしいご馳走を食べるようになったときに、なぜあのときに悲しんだのであろうかと後悔するようになった。

そのようなことを記した後、荘子(そうし)は次のように書いている。「だから、死者も自分が死ぬ前に、なぜあのように生きることに執着していたのかと、後悔をしないともいえない。」

つまり、経験をしたことがない未来については、嘆き悲しんでも仕方がないということであろう。しかし、私には麗姫の例が、直感的にどうもしっくりしない。釈迦やダライラマ、そして身近には勝五郎のような人もいる。ほとんどの人が再生をしないので、そんな心配は不要なのだろうか。


たのしみは、観音を見るために行く散歩。


いつごろからだろうか。仏像を見るのが好きになった。老人になったためかもしれない。むろん、東京国立博物館などにも行く。しかし、実際に都内の寺を散歩して、自分の足で観音のおられる場所を探すのが、大いに楽しみなのである。

観音の場所と言っても、必ずしも寺院でない。道端に大きな観音さまが立っておられたり、公園などに佇んでおられることもある。例えば、平和島の競艇場横にある平和観音、新板橋駅の近くの道におられる「おふくろ観音」、そして飛鳥山公園に佇む聖観音菩薩などである。

行くときには、なるべくシルバーパスを使う工夫をする。ケチっているようで、お恥ずかしい次第だが少しでも費用を少なくしたいのも事実。例をあげると、板橋へ行くのは都営三田線「新板橋駅」、上野へは大江戸線「上野御徒町駅」。ちょっと歩く距離が増えるが、そのほうが楽しくなることも事実。


蘇東坡とソロモンが言う「文字」「知恵」空し。


「卒塔婆」でも、「蘇東波」でもない。正しくは「蘇東坡」であり、蘇軾(そしょく 1036~1101)のこと。中国、北宋の政治家・文学者。「人間文字を知るは、憂患の初め」と書き残している。

ソロモンの口調で、コヘレットは演説する。「夢が多いと、幻滅も多い。言葉が多いと、失う時間が多くなる」「銀の好きな人は銀をどんなに集めても飽きず、富みを好む人は富みで満足をすることがない」。そして、「知識が多くなれば、憤激も多くなる」と悲観的な結論である。

現代文明は追い求めるばかりで、その結果について考えていないような気もする。豊かになればなるで、それに比例しては幸福にならないようだ。私も、言葉や知識が多くなると、煩わしいと思う。大いに反省をする次第。すべて、「空の空」である。


ソクラテス、言った言葉は本当なのか?


「ソクラテスが言った」などと言う。しかし、ソクラテス自身は一冊の書も残していない。また、録音をしたテープレコーダなども残っていない。クセノフォンも書いてはいるが、私たちはプラトンの記述からほとんどを知る。

したがって、プラトンがソクラテスをして自分自身の言いたいことを言わせたという懸念は免れない。そのようなことは、よくある。例えば、新約聖書の中でパウロの書いているものは、イエス=キリストの言葉などを言い換えたのではないかと疑問に思うふしもある。

仏典でさえ、不思議な記述が残っている。生まれたばかりの幼児が歩いて、「天上天下唯我独尊」などと言うが、「独尊」ではなく「独存」だったのではないかと、私は思う。


一連の至福の時間、吉野家・ミスド。


晴れた日は、午前中から計画的にあちこちを歩きまわって、午後三時ごろに聖蹟桜ヶ丘まで帰ってくる。腹が減ったし、喉もかわいた。そんな日が多い。

そこで、まず食事。ふつう吉野家へ行く。経済的に、負担が軽いからである。つまり、安い。ビールを飲んでも、千円以下で足りる。しかし、並(なみ)では腹がいっぱいにならず、ちょっと物足りない。

そんなわけで、ついミスドにふらふらと入ってしまう。そして、ドーナット二つとコーヒー。これも千円以下。ブレンドコーヒーの場合、ふつうお代わりをする。しかし、アイスコーヒーが150円のときは、それを注文する。とにかく吉野家とミスドの半時間は、私にとってささやかではあるが至福のときである。


最期までおろそかにせず、自分の体。


自分の体であるが、自分一人のものではないらしい。『孝経』に、「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く。敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは考の始めなり。」とあるのは、まったくもっともなことだと思います。

死ぬまで自分自身の体をおろそかにしないで、大事にメンテナンスすることが必要ではないでしょうか。

東条英機が絞首刑になる前日まで、歯を治療していたことは本人の偉大さを物語るのではないか。そして、古くは石田光成が刑場に引かれていくときに、水を所望したら水がないので柿が差し出された。しかし、彼は柿が痰によくないといって断った。すると、すぐに死ぬのだから、そんなことはどうでもよいのではないかと、回りにいた愚かなものが笑ったという。


できるとき精一杯のことをするだけ。


あまり面倒なことは考えない。あれこれと思案したり、画策をすることなどは、私の苦手。そこで、できるときに精一杯のできることをするだけだ。むろん、やってみると難しくて仕上がらないことが多くある。そんなときは、途中で投げ出すことになってしまう。

おそらく、計画性のないことをやっていると、他人はあざ笑うであろう。しかし、本人にとっては精一杯のことであるから仕方がない。ただ、現時点の作業を仕上げてしまおうと、ひたすら頑張っているだけである。

いきおい人生観の考え方による違いが見られてしまう。何となく、ゴキブリが台所の隅を全速力で走っているのと同じかもしれない。高い次元で見れば、何をしても知れているのであろう。コヘレットの書にあるように、何となく空しいことかもしれない。


身の回り、物が多いと面倒くさい。


身の回りに物が多くなってくると、どうしても煩わしくなってくる。それらに気を取られるからである。ともすると、逆に物に支配されたような状態にさえなってしまう。

そこで、考えられることは、物を多く持たないこと。物が少なければ、不自由もあろう。しかし、最低限の品物で生活をする工夫が、常日頃から大切。あまり道具が多くなっても、すべてを使いこなせるものではない。

とどのつまり、「吾、唯足るを知る」という概念が生じてくる。ふつう欲望は、「足るを知る」どころか「足るを知らない」ことが多い。つまり、際限がないのである。そして、「足るを知らざる」になったり、「足らざるを知らざる」になったりしてしまう。常日頃からの考え方が、大切になってくるのではないか。


次々と増やすことより、整理が大事。


文字通りの意味。興味や欲望にかられて、次々と増やしていく。しかし、そんなことを続けていくと、収拾がつかなくなってしまう。集めたものの整理がつかなくなると、何のために集めたのかがわからなくなってしまう。そこで、整理をすることが必要になる。

しかし、物の蒐集は工夫をすれば何とかなる。たいへんなのは、文章や写真などのいわゆるドキュメントである。自分で書いた記事であるが、増えてくると何がなんだかわからなくなってしまう。その上、書いた時期がかなり前後するから内容に矛盾を生じてくる。つまり、考え方が変化をしたのである。

そんなために、書き残すのをやめてしまおうと考えたこともあるくらい。でも、いっぽうでは「生きる証明」としての価値があるから、何とか整理をしっかりとしていきたいと思うのであるが、……。


栗の木の香り、なつかし若き日のころ。


六月の梅雨の前後に、栗の木は花が咲く。その独特の香りである。何となく精液の匂いに似ているのではないでしょうか。そしてその時期になると、私は自分が若かったころのことを思い出す。

若かったころは精力絶倫であって、精液もたくさん出た。そして、その匂いも強かったように思う。そんな時代の思い出が、栗の木の花が咲くころによみがえってくる。

匂いは記憶の中で、かなりイメージが確実である。風景や言葉などは時間とともに、おぼろげに薄れてしまうが、嗅覚は本能的な印象で、強く残っていることが多い。幼いころに抱いてくれた祖母の匂いなどを覚えている人が多いのではないだろうか。嗅覚は、基本的に生存を支配する機能なので、記憶にしっかりと焼き付けられるのかもしれない。


プチさんは、「犬も歩けば棒に当たる」か?


「犬も歩けば棒に当たる」という諺(ことわざ)がある。もともと、「何かしようとすれば、災難に遭う」という譬(たと)えであった。しかし、それが最近になって「出歩けば、思わぬ幸運に廻りあう」というような逆の場合にも使われるようになったみたい。

私は、「健康」と「老化予防」、そして「安心立命」のために、晴れた日は寺院廻りをしている。とくに、大仏や大観音を探しているわけでない。それなのに、幡ヶ谷の清岸寺に魚籃観音を尋ねたら、大きな聖観世音菩薩もおられた。本郷三丁目に腰衣観音を見に行ったら、見事な十一面観音にも出会えた。浅草の待乳山聖天へ出世観音像を探しに行ったら、隣りの慶養寺に寄ると偶然にも大観音にお目にかかれた。

まさしく、「犬も歩けば棒に当たる」である。


たのしみは寺町を行き、新たな発見。


寺町と言って、寺がまとまっているところがある。例えば、千歳烏山の寺町である。震災や火事などで、都心から寺が計画的に移転してきた場合が多い。そんな場所では、短い時間で多くの寺院に参拝できる。

なんでそのようなことを言うのかというと、最近になって多くの場所を回れなくなったからである。老いて、体力が減少したためかもしれない。だから、近くで多くを回れるのが楽しみなのである。

そんな寺院に、大仏や大観音があることも多い。特大級の大仏は少ないが、それでもかなり大きなものがある。涅槃像(寝釈迦)のこともあって、いずれもユニークである。観音も、ブロンズのものや石のもの、さらには木製のものもある。また、見慣れない「さざれ石」などもあって、興味がつきない。


研究を他人に譲る、拱辰禅師。


鉄眼禅師(てつげんぜんじ)は苦労の末に、『大蔵経』を出版した。大飢饉に苦しむ人々のために、途中で集めた資金を惜しげもなく投げ出したからだ。そんなことが、何回かあった。

いっぽう、中国の拱辰禅師(きょうしんぜんじ)は、実際には『景徳傳燈録』を著している。なぜ、そのように言うのか。拱辰禅師は苦労して、釈尊から宋の時代までの伝記をまとめた。それを都に持っていくとき、永安道原という人に貸したら、持ち逃げされてしまった。それで仕方なく、引き返したのである。

しばらくして、その本が出版された。しかし、拱辰禅師は「その書物が人々のためになれば、著者の名前などどうでもよい」と述べ、笑って訴訟などをしなかったと言う。


インストール次々として、動作緩慢。


いろいろなことがしたいと思って、ツールを次々と買い込んだ。アニメ方式で健康PR作品を作りたくて、「DoGA CGA」「Flash Maker2」「六角大王」などもインストールした。また、音楽関係もいくつか組み込んだ。

しかし、考えてみればアニメなど作れるものでない。また、付帯音楽の作曲と言っても自分の能力ではムリである。そんなわけで、インストールして何回か動かしてみただけで、その後はすっかりご無沙汰。

いきおいメモリを逼迫して、動作速度まで緩慢になってしまった。作業用のDドライブは90パーセントも空いているのに、Cドライブは逆に残り10パーセント少々である。その結果、何となく重くなってしまった。それは、あたかも肥満児の動きが鈍いのと同じような理屈ではなかろうか。困ったことである。


青梅(あおうめ)やらっきょうをする時期は過ぎたり。


暦の上では、この月の中旬が入梅だった。毎年、その時期には梅干を準備したり、らっきょうを酢漬けにしたりする。しかし、なぜか今年は時期を逃してしまった。

きょう、赤紫蘇(あかじそ)を一束買ってみたが、すでに青梅は売っていない。しかたがないので、妻に葉だけを選定してもらって、塩もみにでもしてみよう。らっきょうに関しても、とうとう買いそびれてしまった。したがって、残念ながら今年は梅干もらっきょう漬けもない。何となく、寂しい食卓になってしまう。

夏は、お腹にいろいろな菌が繁殖する。したがって、梅干やらっきょうは健康的に好ましい食材。それも化学薬品を用いない自家製のものがよい。玄米の上に、梅干を載せるだけで健康食。慣れてくると、そのおいしさがよくわかる。自作の甘くないらっきょうも、やはり最高の食べ物でしょう。


Kuroda Kouta (2010.06.22/2010.06.30)