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  新句(十九音) 作品集35(2010年5月分)



しみじみと「ライエルマン」を雨の日に聞く。


雨の日には、外出ができない。風邪をひく心配があるし、滑って転んだりする危険があるから、どうしても必要なところへしか行かない。ふつうは、部屋で手持ちのCDなどを聞く。

このプログを『冬の旅』で検索すると、いくつかの記事が載っているが、やはりここに新たに書き加えておこう。「ライエルマン」は、シューベルト『冬の旅』の第24曲目、つまりそのシリーズ最終の歌曲である。

ドイツ語で「Der Leiermann」、「辻音楽師」と訳される。エドゥアール=マネの「辻音楽師」(「老音楽師」と言うこともある)はバイオリンをもっているが、ここではおそらく古い手風琴をもった演奏家が、しみじみとした旋律を弾いているのだと思う。歌詞の意味はよくわからないが、何となく身につまされる内容である。


都都逸と短歌のリズム、試みてみた。


都都逸(どどいつ)をご存知でしょうか? 「とといつ」ではありません。ふつう「都都逸」と書くが、「都々逸」「都都一」などとも。いわゆる俗曲の一つで江戸時代に成立し、寄席で歌われて流行した。「七・七・七・五」の二十六文字で、男女間の細やかな情を表現したものが多い。

短歌は、「五・七・五・七・七」のいわゆる「みそひともじ」であり三十一文字。最初の「五・七・五」を上の句、下の「七・七」を下(しも)の句という。

いずれも少し長すぎると私には思われたので、俳句の「五・七・五」では言い切れず、二文字増やして「五・七・七」とした。形式としては、短歌の上の句の最後の部分と下の句を続けたような感じである。それは、長歌(ちょうか)の最後の部分に、似ているかもしれない。そして、それに新句(十九音)と命名したのであるが、……。


ちょうどよい、私にとって新句(十九音)の長さ。


何か記録をしたいときは、ふつう文章にする。稗田阿礼や馬のようなことは、私には不可能。そこで私は、小さい単位に区切ってメモをする。そのとき、『歎異抄』に唯円が書き残した師の言葉「弥陀の五劫思唯(ごこうしゆい、唯はりっしんべん)の願いをよくよく案ずれば、ひとへに親鸞ひとりがためなり」のような長くて高邁な文章は、到底「一人」の私にはムリ。

せいぜい、「咳をしても一人」くらい。私の知っている短詩形、つまりここでは俳句だが、その中でいちばん短い。また、五七五にもなっていない。さらに、その前後の事情がわからないと理解できない。

尾崎放哉(おざきほうさい)は東大の経済学部を卒業して、保険会社に入社。支店長になるが、ある日突然に家出をした。妻子を捨て、あちこち放浪する。西行ではないが、種田山頭火のような乞食同然になったのである。そして、小豆島で病に倒れ最期。一連の斬新な非定型俳句を残した。


新句(十九音)には論理の飛躍、大いに結構。


「結構」という言葉は、OKのときもNOのときも使える便利な表現。お見合いをして「結構でございます」と言われ、待っていてもなかなか連絡がこない。仕方なく問い合わせをすると、「あのとき、結構でございますとお断わりをしたはずなのに」と言う。そんな言葉があるが、新句では自分がわかればよい。

また、論理の飛躍があっても、一向にかまわない。考えに矛盾があるのは、よくあることだが論文では許されない。しかし、新句ではOK。もしも、忘れてしまいそうなことであれば、コメントとして残しておけばよい。

新句は、まず五・七・七。タイトルとも考えられる部分。それだけでもよいが、その後に思いついたことを書き加えておくとよい。いま読んでいただいているこの部分にである。「何がどうしたか」くらいの覚えは、メモっておけるだろう。繰り返すが、要は「自分でわかれば、それでよい」のである。


マグノリア、マロニエ咲きて夏を感ずる。


マグノリア(magnolia:ラテン語)は、モクレン科モクレン属の植物。芳香があって、観賞用になる。落葉樹で、葉は卵形。春に葉に先だって紫色の六弁花を開く。中国の原産で、古くから庭木とされている。モクレン科には、コブシ・オガタマノキ・ユリノキなども含まれる。

マロニエは(marronnier:フランス語)は、トチノキ科の落葉樹。聖蹟桜ヶ丘の川崎街道にある並木は、ベニバナトチノキ。樹皮は灰褐色、葉は大きく数枚の倒卵形をした手の平状の複葉。初夏、赤みがかった白色の花を円錐状に咲かす。バルカン半島の原産、街路樹などにされる。

いずれも、個性のある花。私はどちらも大好き。マグノリアの香りも好きだし、マロニエの勢いも素晴らしい。冬に丸裸に切ってしまった木から、新芽が吹き出して、さらに花を次々と付けるのが何とも不思議である。


ロイブケのピアノソナタを聞いて楽しむ。


久々にロイブケのピアノソナタを聞いてみた。演奏をしている動画ではなく、楽譜を次々と示すもののほうが楽しめる。

ユリウス=ロイプケ(Julius Reubke 1834~1858)はドイツの作曲家、ピアニスト。オルガニストでもあったという。ベルリンの音楽院でピアノを学び、後にフランツ=リストの愛弟子となった。しかし、二年後に亡くなっている。

「Piano Sonata in B-flat minor」となっていて番号がないから、この曲しかピアノソナタを残さなかったのかもしれない。三十分にわたる大曲でも、単一楽章のようにも聞こえる。区切りは、せいぜいフェルマータが置かれた程度。聞いて楽しむとは、動画が演奏家ではなく楽譜を示してくれるから。ページを繰る必要がない。むろん、私が弾ける内容ではないが、とても緊張をする。


あの人に逢いたくもあり、すでに亡き後(あと)。


「あの人に逢いたい」と、強く思うことがある。しかし、当人はとっくに亡くなっている。したがって、いくら思っても逢うことはムリ。最近になって、そんなことがよくある。かつては、父母について思ったが、ここのところ親しかった知人のことが、しばしば偲(しの)ばれる。

ちょっとした何かのきっかけで、そんな感情が甦(よみがえ)ってくる。そして、なつかしく思うのである。もう一度逢ってみたいという気持ちが、何となく湧き出てくる。それが無理であることが、わかっていても。

昔から「孝行をしたいときには親はなし」とか「墓に布団は着せられぬ」などと言う。一日一日を大切にして生きていても、親に対しては、そんなことになる。したがって、友だちや恋人でも、逢える間に時間の許す限り、逢っておくのがよいのではなかろうか。


「めろうふ」か「ばろうふ」と読むか? 迷ってしまう。


三十三観音の中の「馬郎婦観音」である。ふつうは、「めろうふ」と読むことが多い。女性の姿をしている観音さまで、手に『法華経』と頭蓋骨を持つこともある。そのいわれは馬(ば)氏に嫁いだことを物語る。しかし、一方では魚籃観音と同身であるという意見も見受けられる。

経には、そのようなことが多いから、もしかしたら呉音と漢音との読みの違いかもしれない。三十三観音には入っていないが、馬頭観音というのがある。それは、「ばとう」つまり「ば」だ。また、牛頭馬頭は、「ごずめず」と読んで、「ばず」とは読まない。長い間の習慣によっているのかもしれない。

馬喰町の「馬喰」は「ばくろう」だと思うが、駅名は「ばくろちょう」、「う」がない。そんなことがよくある。秋葉原は、「あきば」の原だから、本来は「あきばはら」だったのかもしれない。なお、秋葉神社は「ば」と濁らなくて「あきはじんじゃ」と読むそうである。


まだ持たぬ、電子レンジと携帯電話。


私は、いまだに携帯電話と電子レンジを持っていない。そんな生活を現代的でないと、笑われるかもしれない。しかし、考えがあってのことで、今後もしばらく続くでしょう。

まず、電子レンジ。チンをするだけで、何でもできてしまう。便利この上ない。しかし、発売当時に説明を読んで不思議に思った。人間が過去には経験のない方法で、調理をする。もしかしたらその影響があるかもしれないと考え、買わなかった。解凍などは、少々時間がかかっても、自然解凍をする。そのほうが、安全だからである。

また、携帯電話。確かに便利ではある。しかし、耳というか脳の近くで強力な電磁波を利用するのではないだろうか。それが生理的には何となく不気味に思えたので、まだ買っていない。


蝸牛(かたつむり)、たこ焼きに似た食べ方をする。


日本ではあまり食べないが、蝸牛(かたつむり)はエスカルゴ(escargot:フランス語)と言って、ヨーロッパでは美味の部類。マイマイ科カタツムリで、とくにフランス料理で用いる。食用カタツムリなので、日本のものとは異なる。でも、たこ焼き用の鍋で煮る場合が多いようだ。

いっぽう、蛸(たこ)焼きはずいぶんはやっている。その専門食堂などがあり、女性には大人気。

私は蛸をはじめとして、烏賊(いか)・海栗(うに)・蟹・海老などをあまり食べないが、それでもイカ墨やエスカルゴはときどき食べる。妻が好きであるから。基本的な方針として、刺身(さしみ)なども含めてあまり食べない。ヨーロッパとは食習慣が異なることはむろんであるが、個人的に動物の死骸をなるべく食べないようにしているからだ。


あまりない、いつでも見れる魚籃観音。


私は、観音信仰をしている。中でもとくに、魚籃観音が好きだ。だから、月に何回か拝顔をしにゆく。しかし、行く場所は限られていて、あまりない。もしも、他にご存知ならば教えていただきたい。

私は、長円寺(北千住)や高幡不動尊に行く。長円寺は小さい堂の中、高幡不動尊は屋外、それぞれお参りする。高幡不動尊には、他にも奥殿に一柱おられる。魚籃観音がおられる寺院でも、大恩寺(赤羽)には他の観音さまとご一緒に三十三柱が並び、明治寺(新江古田)には200柱ほどの観音さまがおられて、その中の三柱が魚籃観音。

そんなわけで、長円寺はちょっと遠いために、高幡不動尊へ行くことが多い。いつも屋外におられ、静かに佇んでおられる。私は、その観音さまに参拝をすると、心が洗われたような気持ちになる。


あちこちと探し求めて、高幡になる。


あちらこちらと東京都内の寺院を探し求めて、千ヶ所くらいを歩きまわった。魚籃観音のおられるところである。百観音のある明治寺や三十三観音ある大恩寺には、当然のことながら魚籃観音もおられる。その他にも、北千住の長円寺には素敵な魚籃観音がいるが、かなり遠いので往復に時間が必要。また、魚籃寺などは秘仏だったり、他の寺ではご開帳の日が決まっていて、いつでも拝顔をするわけにはいかない。

そんな事情で困っていたときに、渡邊五郎師が高幡不動尊にある魚籃観音を教えてくださった。すらりとした美しいお姿で、大きな魚に乗っている観音である。その観音さまは、境内の木立の中に秘かに佇んでおられる。だから、行けばいつでもお眼にかかれる。

そろそろ身体が衰え、遠くへ行けなくなったので、最近は高幡不動尊ばかり行くようになった。


たらちねの母の思いは、なつかしきもの。


母は、いつまでも母である。私の母も、妻の母も、だいぶ前に死んでしまったので、もはやいない。しかし、いつもなつかしく思う。そして、互いに思い違いなどがあっても、母親のご健在の人がうらやましい。

『方丈記』に、「山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峯の鹿(かせぎ)の近く馴れたるにつけても、世に遠ざかる程を知る。」というくだりがある。鴨長明は母ばかりか、父も偲んでいたようだ。また、養和の飢饉では「母の命つきたるをも知らずして、いとけなき子の、なお乳を吸ひつゝ臥せるなどもありけり。」と感慨している。

私は出家をしたこともないし、飢饉を見たこともない。しかし、自分の母をとくになつかしく思うことがある。そして、その感情を「母に抱かれて聞いた歌」と「子守歌」にしてみた。


似ていたり、ベートーベンとモーツァルトに。


十二曲ほど、自分なりに小品を作曲してみた。その時は気付かなかったが、後でびっくりした。私と同じメロディーをすでにベートーベンとモーツァルトが、使っていたのだ。不遜な言い方かもしれないが、歴史に残る天才でも、私と同じような断片を考えるものだと、つくづく思った次第。

母に抱かれて聞いた歌」は、ベートーべン「ピアノソナタ17番(作品31第2)ニ短調」で、ふつう「テンペスト」と呼ばれる曲の第3楽章「Allegreetto」冒頭の部分。おまけに、無窮動(Perpetuum mobile)のような感じまでが似ている。

子守歌」は、モーツアルト「バイオリンとビオラのための協奏交響曲」(変ホ長調 K.364)第2楽章の冒頭。あまり聞いたことのない曲だったので、大きなショックを受けた。十二音階など現代音楽にするならともかく、単調な短調の旋律は出尽したのではないでしょうか。誰かが「旋律の枯渇化」という言葉で説明していたが、今になってなるほどと思いました。


ハナミズキ、日本の土地にすっかり馴染む。


ハナミズキ(花水木)は、ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉樹である。ミズキの仲間では、花が目立つ。北アメリカの原産で、アメリカヤマボウシとも言う。アメリカ原産でありが、日本のヤマボウシに似ているからだ。

日本に帰化したのは、ソメイヨシノを1912年に東京市からアメリカワシントンD.C.へ贈ったことの返礼として、1915年(大正4年)に来たのが始まり。

英語では「dogwood」。17世紀ごろ樹皮を犬の皮膚病治療に使ったらしい。また、木製の串(dog)を作る堅い木であったこと。そんなことが、言われる。しかし、私はハナミズキがイエスの十字架になったため後悔をして、曲がった木になってしまったという伝説を思い出す。


何故になつかしくあり、初めての場所?


初めてのことなのに、何となくなつかしく感じることがある。あるいは、何となくどころか、強烈な懐かしさが心に迫ってくることさえある。私は、寺院の境内や仏像のお顔を見たときに、そんな気がすることが多い。

『徒然草』第七十一段の後半に、「またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひ出(い)でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。」というくだりがある。

「以前これとそっくり同じことがあったなぁ」と思うのであるが、それがいつどこだったかを思い出せないことが多い。既視感(デジャブ)というのであろうか。フランスの超心理学者エミール=ブワラック (Émile Boirac)が1917年に執筆した「超心理学の将来」(L'Avenir des sciences psychiques)の中で提唱した言葉。


行って見て、新たな発見すること多い。


何となく知っているところでも、実際に行ってよく見ると、それまでに思ってもいなかったような発見をすることがある。従来は、ぼんやりとしか見ておらず気付かなかったことにも、はっとして息を飲むような発見があったりするので何とも不思議。

「聞くと見るとは大違い」などという諺もあるが、まったくそのとおりの場合も、しばしばある。聞いていたよりも、現実がむしろ悪いほうになっていて大違いだと知ることが多い。

また「聞いて極楽、見て地獄」とは、聞いていたことと実際が大きく違っていることを言います。それこそ、現実が悪いほうになっている場合。そんなことが、しばしばあるので実際に自分自身で行って見て、確認をする必要があるのでしょう。


楽しみは、どこに行くかを考えるとき。


晴れて体調が快適な日の朝は、「さて今日は、どこに行こうか」などと考える。そんなときは、とても楽しい。行きたいところは、たくさんある。パソコンをオンして、グーグルやヤフーの地図を見て探す。そして、これから行こうとしているところの下調べなどもする。

目的が決まっていて、行き先もわかる場合とそうでない場合がある。例えば、「長円寺に魚籃観音のお姿を見に行く」。そんなときは、その周辺のことなどあらかじめ調べておいて、それから行ってみるんだ。

目的はあるが、どこへ行ってよいかわからないときもある。例えば、「都内の三十三観音を新たに探す」。そのようなときは、まずどこへ行ったらよいかをインターネットであれこれと調べる。それは、なかなか大変な作業であるが、また一つの楽しみ。つまり、新しい発見が期待できるからである。


よく見ると、それぞれの顔、異なりており。


ミスドで一時間くらい、コーヒーを飲みながら外を見ている。なかなか面白い。道行く人の有様である。しかし、ここで言うのは人間ではなく、仏像のことだ。寺院に参拝し、写真を撮ってくる。帰ってからお顔を拝見すると、それぞれに異なっていて尊い限りである。

仏像と言っても、単に仏師が作った作品にすぎない。いかに芸術的であり、信仰の対象になっていても、所詮それは神などの超自然の作品でないことは事実であろう。

それでも、仏師が心をこめて作った作品には、それぞれに感情が出ている。あるいは、自分自身の娘が死んで、その面影を観音の顔に残したかったのかもしれない。そんなお顔を、拝見することがある。パターン化されていないユニークなお顔やお姿もある。よく見ると、すべてが異なっているのである。


おぼろげな記憶を誰か教えてほしい。


かつて本で読んだが、何という題名か忘れてしまった。もう一度、その箇所を見たいと思うが、インターネットでも探しきれるものではない。そんなわけで、どなたかご存知であれば、どうぞご教示をしてほしい。

中国の話だったと思う。小舟に乗ってすれ違うのであるが、片一方には男が二人。向うは、おそらく若い娘とその母親だろう。娘の角になった髪型を男の一人が、笑って冷やかす。すると、母親は「大の男が名もなさずに、すれ違う女の髪型を論じるなどとは、何とも情けない」とあざける。

もう一つ。若い男が午前中ずっと、せっせと薪(まき)を割る。張り込んでいた探偵は、犯人がいったい巻を割ってどうするのかといぶかる。その家には、暖房設備があったから薪は不要なのに。そのストーリは、確か短編怪奇小説アンソロジーにあった内容。


親鸞と橘嘉智子、死にいさぎよし。


親鸞(1173~1262)は、鎌倉時代初期の僧で、浄土真宗の開祖。比叡山で天台宗などを学んで、二十九歳のときに法然と出合った。法然に師事して、念仏他力門になる。越後に流されて、恵信尼と結婚。善鸞と覚信尼を生む。その後、許されて常陸・信濃・下野(しもつけ)などで、教化(きょうけ)活動。浄土真宗を開き、阿弥陀による万人救済を説く。『教行信証』『愚禿鈔』などを著した。『歎異抄』は弟子唯円の著。「見真大師」とも言う。

橘嘉智子(786~850)は、嵯峨天皇の皇后。仏法への信仰が非常にあつく、京都嵯峨に檀林寺を建てた。また、私学として学館院を設立した。檀林皇后と呼ばれる。

なぜお二人が、死に関してはいさぎがよかったのかというと、親鸞は「自分が死んだら、死体を加茂川に流して、魚の餌にしなさい」、段林皇后は「死体は裏庭に放り出し、犬の餌にしなさい」と書き残しているからである。実際には、お二人とも周りの人たちがそうしなかった。


無駄なもの、使わないもの、意外に多い。


身の回りにあるものを調べてみると、意外にも使わないものが多かったり、無駄なものがかなりあることを知る。若いころはエネルギッシュだったので、多くの品物も有効に活用できた。しかし、老いてくると持物のほうに、反対に翻弄されてしまうことになる。

あまり高度で複雑な品物は、扱いきれない。自動車やパソコンなども、そうである。そんなわけで、自動車はやめてしまった。パソコンはDELLのいちばん簡単なもの。運手免許は大型と自動二輪をもっているのだが、実際にはここ数年運転をしたことがない。ただ、免許証は身分証明書としても使えるので、常に携行している。

あまりこだわりたくないが、最近になって私も「吾唯足るを知る」ということがわかってきた。「足るを知る」などという立派なことではなく、「足らざるを知らない」という、どちらかというと消極的で、無知に近いことであろうか。


雨の日は、身の回りなど整理してみる。


身の回りなどと言っても、あまり多くはない。しかし、雨の日は出かけられないので、部屋で何かをする。私は、テレビをあまり見ない。いきおい、手持ちの書物をひも解いたり、パソコンのインターネットで調べたりする。

しかし、いちばん先にすることは、身の回りの整理。持ち物や衣服、それから部屋の中の品物、さらに資料や文章などである。

その中で手数がかかるのは、今までに作った文章の整理。いわゆる校正というのでしょうか。読み直して、間違いを訂正する作業。私は、いつでも思いついたときにメモしてしまう。その時点では、あまり内容の吟味をしない。そのような次第で、次々と文章ができる。このプログもそうであるが、「生きている証明」を思いつくままにするのだから、後で整理をする必要があるのです。


わたくしは、「食事は儀式」、そう考える。


毎度の食事である。忙しいときは、つい掻き込(かきこ)んだりする。丸飲みのこともある。しかし、それはいけないこと。渡邊五郎師は、外食であっても食事の前後に、ていねいな合掌をなさる。

仏教には「五観の偈」(ごかんのげ)がある。食事の都度「多くの人が働いて、この食事ができた」「自分はこの食事をいただく価値があるか」「貪(むさぼ)りの心を持たないことを誓う」「食事を良薬と考える」「この食事は、自分を完成させるためにいただくのだ」というのである。

わたくしは仏教徒ではないが、それでも「食事は、大自然の一部分を自分にお迎えする一つの厳粛なセレモニー」だと思う。自分以外の「腹の虫」までも、同じ立場であろう。埴谷雄高の『死霊』では、魚がイエスを糾弾したり、豆が釈迦を批判する。すでに調理したものを捨てるなど、もっての他(ほか)。


雨の日は安居、晴れたらプチさんに行く。


いつごろだろうか、雨の日や雪の日、そして曇った日は安居(あんご)をして、晴れて青空が見える日はプチさん(プティ散策)に行くようになった。もっとも、それは年金生活者になってからのことである。

私の言う安居とは、正式には雨安居(うあんご)とも言う。単に安居(あんきょ)というと気楽にのんびりと暮らしたり、現在の状態に安心していることである。雨安居は仏語で、僧が夏の雨期に寺にこもって修行をすることである。別に夏安居・冬安居などもある。私は修行などしないが、書類の整理やパソコン記事作成、そしてページ修正をする。

晴れて青空が出ると、デジカメの写りがよい。だから、晴れた日にはプチさん(プティ散策)に行く。初めてのところに行ったり、今までに行ったところを再訪したりする。それが、とても大きな楽しみだ。


増やすより、思ったよりも減らすが難い。


趣味や道楽などは、収集品を次々と増やしていくのが楽しみである。励みにもなるので、次々と新しい品々を求める。しかし、ある時点になると、蒐集が多くなりすぎたことに気付く。そして、減らそうとすると大変である。何れも苦労して集めた愛着がある品なので、処分をするのが忍びない。

そんな事情は、おそらく他のことにも言えるのではないか。極端な例として、体重である。四十歳代からメタボのせいで、どんどん増えてしまった。そして、今さらになって減らすのが困難であることが、身にしみてわかった。

お金についても、考えなければならない。しかし、金額が大きくなっても預金通帳のゼロの桁数が増えるだけで、物としての場所を取らない。したがって、とくに減らす努力をしなくてもよいだろう。何でも前に攻めるときは簡単だが、バックして撤退するときのことも、老いたらば考えておく必要があろう。


心臓はガンにならない、なぜであろうか?


肺ガンとか、腎臓ガン、前立腺ガンなどはよく聞く。女性の場合は、乳ガン、子宮ガンなどもある。男性の場合に子宮ガンはないし、女性に前立腺ガンはない。乳ガンは、男性でも希にある。

しかし、私は男女ともに心臓ガンになった話を聞いたことがない。なぜ、心臓はガンにならないのでしょうか。研究や調査をしたことがないし、また医学に関係のある仕事をしているわけではないので、素人の当てずっぽうかもしれないが、自分の考えをここにメモしておきましょう。

低体温だとガンになりやすいという。おそらく、体温が下がると免疫力も低下するのであろう。その意味では、心臓の部分は体温が高いので、ガンにならないのかもしれない。また、心臓は体内でいちばんエンザイム(酵素)を消費する器官であるから、ガンになりにくいのかもしれない。


意外にも大切なのは腸内細菌。


かつて、大腸菌などは何の役にも立たないので、滅菌してしまえばよいなどと考えた時代もあった。そして、実際に体内の無菌化をする実験がなされた。確かに生まれたばかりの赤ちゃんは、体内菌などはほとんどない。むろん、赤ちゃんの口内には歯周菌もいない。

それが、少しずつ体内に住み着くのである。おそらく太古の時代から、そうだったに違いない。そこで、私は一つの仮説を考えてみた。胃とか腸が、器官として消化を分担しているのと同様に、体内菌も消化に携わっているのではないだろうか。赤血球やミトコンドリアなどのように、私たちの体内で独立をして機能するものも存在するからである。

古い時代から、内臓の機能を分担するために、善玉菌が体内に寄生をするようになったのではないか。だから、腸内を完全に消毒してしまうと、健康が保てなくなって、逆に病気になってしまう。


橘嘉智子がモデルか、観音像?


図鑑で右手がちょっと長いが美しい十一面観音立像を拝見した。一説には、光明皇后つまり聖武天皇のお后(きさき)がモデルとも言われるが、時代から考えて、私は橘嘉智子(たちばなのかちこ)のお姿だと思う。(また、観心寺の国宝・如意輪観音坐像もそうである。)

橘嘉智子(786~850)は嵯峨天皇の皇后、仏法への信仰が非常にあつく、京都嵯峨に檀林寺を建てた。また、私学として学館院を設立し、檀林皇后と呼ばれる。

しかし、嵯峨天皇にはいわゆる配偶者が28人もあり、その子女が50人ほどいるという。嘉智子妃は美しい人であったが、そんな中で心の葛藤があったのかもしれない。「死んだら私の身体を庭に投げ出して、犬に食わせなさい」などと言ったのも、もしかしたら天皇に対する何らかの当てつけでないかと、私は秘かに思うのですが、……。


なぜなのか、いつもいっぱい都電の車内。


なぜなのだろうか? 都電・荒川線は、いつも混んでいる。ふつうの日でも、満員で座れないことが多い。日中の時間帯でも、そうである。

そこで、改めて車内を観察してみた。すると、高齢者が多く乗っていることがわかった。それも、見ているとシルバーパスを利用する者が多い。それでは、なぜシルバーパスの利用者が多いのか?

地下鉄の路線では、外の景色などが見えない。したがって、乗車中は手持ち無沙汰になってしまう。しかし、都電は違う。あちこちの景色が見れる。また、途中で下車しても名所や物見遊山の場所が多い。そんなために、高齢者が好んで利用をするのではないか。そんなことが、わかってきた。もっとも、私もその一員であるが、……。


人の師となる条件は、その人格か?


吉田松陰(1830~1859)は、「軽々しく、人の師となるな。また、軽率に人を師と仰ぐな」と書き残した。もっともなことであると思う。またソクラテスほどの人でも「私は人を教育したこともないし、謝礼として金銭をもらい受けたこともない」と言っている。

細井平洲(ほそいへいしゅう 1728~1801)は、上杉鷹山(うえすぎようざん)の師で、江戸中期の儒学者。人の師となる条件あげている。「仁徳が深くて高い」「多方面の知識が豊かで、才能がある」「常に学んで、努力する」「落ち着きがあって、正直」「賢い人をねたまずに、他人のよい言葉を喜んで聞く」「よい行いを称揚(しょうよう)して、古今の書籍に書いてある内容を信じる」「言葉や行いを日々学び聞く努力をして、それを現時点で活用する心がけがある」「驕(おご)りたかぶったり、財宝にこだわったりしないで、他人のことを思いやって、恕(ゆる)す心をもっている」など。

私は、いつも渡邊五郎師を思うのである。


Kuroda Kouta (2010.05.23/2010.05.31)